罪と音楽/小室哲哉

小室哲哉氏が例の詐欺事件を中心にデビューから今までを振り返った本。判決が確定して間もない中での出版で興味本位で読んでみましたが、小室氏が真摯に自分と向き合って書いているのが分かって、非常に好感を持ちました。

詐欺事件についてはいろいろと思うこともあるとは思うのですが、「何かきっかけさえあれば、いつでも、すぐにでも、全額返済できるんだと(原文ママ)」思っていたことがすべての根源であったと繰り返し反省をしています。エイベックスの松浦社長や千葉副社長の証言(抜粋参照)も書かれていますが、感動的で、非常に愛されているのだなと感じました。

また、いつどのようなことを考えていたのかや、つんく、村上春樹、Mr.Children、GreeeNなどへの言及などは非常に興味深く、いつでも戦略的にプロデュースしてきた人なのだなと思いました。今後の再起については、自身でも書いているように、何十年やってもヒット曲を1つも出せない人がいるのが音楽業界なわけで、まだまだ未知数だとは思いますが、これだけクレバーな人なら何かやってくれるのではないかなと思います。今後が楽しみです。

<抜粋>
・その頃から考えていたのが「空席理論」だ。(中略)TMを3人組にした理由も、つまりドラムやベースがいる4人組や5人組のバンドにしなかった理由も、そこにある。(中略)83年当時、その席が空いていると感じた。ちょうどアリスやYMOが去った頃だったこともある。しかも、アルフィーがブレイクしたばかりで、3人組への注目度は高い。そこを狙えばチャンスはあると思った。
・僕の勝手な見解としては、僕ら(注:つんくと自分)2人が両輪となり、拍車をかけてしまった現象がある。Jポップの「わかりやすさの追求」だ。 では、「わかりやすい」とは何か? 僕は、「高速伝達」「より早く伝えようとするための方法のひとつ」と捉えている。 「できる限り、直感的、反射的に伝わるよう心がけること」
・わかりやすさを求める風潮に反旗をひるがえしてくれている代表格が、Mr.Childrenではないだろうか。彼らの曲は、聴く人に考える時間を求めてくる。(中略)彼らのような音楽は、誰にでも作れるものではない。誰がやっても成立するものでもない。シンガーとしても類いまれな資質、素晴らしい声質、そして技を持っている桜井和寿くんだからできる。彼の声や歌に乗ると、考えさせる歌詞やメロディであっても、スピード感を失わずに刺さるのだ。うらやましい。
・「一時期、(証人(注:エイベックス松浦社長)と被告人は)疎遠になっていたようですが、それはなぜですか」「我慢できないくらい傲慢なところが出てきたからです。これ以上の付き合いを続けることは、正直、難しいと感じました」(中略)「大金が入ると、人はこれほど変わるものかと、残念でした」(中略)「ポップス界においては、希有なメロディメーカーであり、その才能は今も少しも衰えていないから、僕や千葉がそばにいてタッグを組めば、才能はさらに開花します」 彼の言葉にはスピード感があった。シュッ、シュッと僕に刺さってきた。 「刑務所に入ってしまうことは、音楽業界のプロデューサーにとって致命的です。何年かして、出所した後、社会復帰したとしても、時代のトレンドを掴んだり、先取りする勘を取り戻すのは至難の業なので、音楽業界にとって多大な損失になります。どうか情状酌量をお願いします」
・年齢的には、僕の方が5歳か6歳上だが、精神的には、彼らの方が圧倒的に大人だった。社会人としても、一人の人間としても、きっとずっと前から、僕より視野が広かったのだろう。 松浦社長や千葉副社長の証言を聞きながら、自分のいちばん大切なものを自分で汚していたことを悔やんだ。自分のプライドであり、アイデンティティである。「音楽家であること」を、自分自身に対しての言い訳に使っていたのだ。 「だいたい音楽家は社会常識が少々欠落しているものだ」とか、「そもそも音楽家たる者は社会から逸脱しているものである」などなど。
・嘆願書を書いてくださった音楽業界のみなさんは「ヒット曲を義務付けることはとてつもなく重い刑です」と暗に主張されていたように思う。10年、20年やっても、ヒット曲が1曲も出ない人もいる。むしろ、出ない人のほうが圧倒的に多い。それでも音楽業界にいられるだけマシ。去り行く者たちの背中をどれだけ見送ったか。華やかそうに見えても、スポーツにも似た、実力至上主義の世界なのである。
・音楽の勉強や歌唱トレーニングをすると、音痴はある程度解消できる。それなりのリズム感も身につく。しかし、声質だけはどうしようもない。