マネーの進化史/ニーアル ファーガソン

歴史におけるお金の起源から熱狂と失望など。ここ最近のバブルや壮大な失敗は見聞きしても、歴史に出てこないお金の歴史はよく知らなかったので大変興味深くおもしろかったです。最新の金融工学がどうというより、お金とは何かを考えるのが、お金を知り、お金に振り回されず、お金をコントロールすることに繋がります。全体を俯瞰できる良書だと思います。

<抜粋>
・はじめてコインがお目見えしたのは、紀元前600年ごろまでさかのぼれるようで、エフォエス(現トルコ領、イズミルの近く)にあるアルテミス神殿の遺跡で、考古学者たちが発見した。
・彼(注:アダム・スミス)が1776年に『国富論』を書いてから一世紀の間に、金融界では爆発的な改革が進み、ヨーロッパや北米でさまざまな形態の銀行が数多く生まれた。最も古くからあるのは、手形割引を行う銀行だ。
・(1970年ごろイギリスでは)収入や資本利得が高いと100%を超える限界税率が適用されたため、それまでに見られた貯蓄や投資の意欲を減退させた。福祉国家イギリスは、資本主義経済が機能するうえでなくてはならないインセンティブを奪ったように思えた。つまり、努力する者に与えられる「大金」という「アメ」、そして怠け者が被る「困窮」という「ムチ」が失われたのだった。
・このゲーム(モノポリー)を作ったそもそもの動機は、ひと握りの地主が借地人から徴収した地代で儲ける社会制度の不平等を暴くところにあった。(中略)このゲームが教えてくれるのは、最初の考案者が意図した点とはまったく逆で、「不動産を所有するのは賢い」ということだ。
・アメリカの住宅購入者に具体的な変化をもたらしたのは、連邦住宅局(FHA)だった。FHAは住宅ローンの借り手に政府が支援する保険を提供し、高額で(購入価格の最高80パーセント)、長期(20年)の、完全に割賦償還される低金利ローンを普及させようと試みた。(中略)魅力的だがどこに行っても代わり映えのしない典型的な郊外風景が広がる現代のアメリカは、このようにして生まれたと言っても過言ではない。
・一世紀あまり前、欧米の先進的なビジネスマンたちは、アジア全域には目もくらむようなチャンスが潜在していると考えた。(中略)ところが、西欧の資金を10億ポンドあまり投資したにもかかわらず、ヴィクトリア時代のグローバリゼーションの芽は、アジアのほぼ全域でうまく根ざさず、今日、植民地搾取として記憶される、苦い遺産だけが残った。
・いまになって振り返ってみれば(第一次世界)戦争の原因はいくらでも見つかり、しかも歴然としているのに、なぜ当時の人びとは悲劇的な戦争が起きる数日前まで、それらの点に気づかなかったのだろうか。一つには、流動性が豊富だったことと時間が惰性的に流れたことがあいまって、視界が曇っていたからかもしれない。世界の統合が進み、金融の技術革新がおこなわれたおかげで、投資家たちは安全感を高めた。さらに、普仏戦争という直近の大規模なヨーロッパ戦争から44年が経っていたし、ありがたいことに前回の戦争は短期間で終わっていた。
・2008年5月の時点では、中国がアメリカの景気後退の影響をまったく受けないなどということは、あり得ないように思われた。アメリカはいぜんとして中国の最大の輸出先であり、中国輸出総額のおよそ五分の一を占めていた。一方ここ数年、中国の成長に対する純輸出額の重要度は、かなり低くなった。そのうえ、潤沢な外貨準備高のおかげで、北京は悪戦苦闘するアメリカの銀行に資本注入できるくらい強い立場に立てた。
・最もあり得そうな事態は、アメリカと中国の政治的な関係が悪化することだ。争点の発端は貿易かもしれないし、台湾やチベットの問題、あるいはほかのまだ顕在化していない問題が起爆剤になるかもしれない。このようなシナリオは、信じがたいかもしれない。だが後世の歴史家たちが歴史を振り返るとき、このような展開になった経緯を説明しようとして、一連の因果関係をどうそれらしく組み立てるのかは容易に想像できる。