クロネコヤマト誕生の物語「小倉昌男 経営学」

元ヤマト運輸代表取締役社長の小倉昌男氏による経営中心の自伝。創業者の先代から受け継いだヤマト運輸の歴史とクロネコヤマト開始とその発展について、どのように考えながら経営してきたかが詳しく描かれています。

その考え方などは非常に合理的でありながら、人情味にも溢れており、それらがクロネコヤマトの大成功に繋がったのがよく分かります。本当に社会インフラとなるサービスを作るにはどうすればよいか、非常に勉強になりました。

<抜粋>
・大正八(一九一九)年十一月、トラック四台をもって創業したヤマト運輸(当時は大和運輸といった)は、翌年三月、突如として起こった恐慌に出端をくじかれ、会社の存立も危ぶまれた。その危機を乗り切ることができたのは、大正十二(一九二三)年に現在の三越百貨店の前身である三越呉服店との間に市内配送契約が締結されたからであった。
・昭和五十一(一九七六)年から始まった宅急便は、当初の心配をよそに着実に伸長し、初年度には百七十万個、五十二(一九七七)年度五百四十万個、そして五十三(一九七八)年度は一千万個を超すことが確実であった。  宅急便が業務の新しい柱になる見込みがあったからこそ、最大の顧客であった三越からの撤退という重大な決断を、躊躇なく行うことができたのである。
・三十歳の誕生日に創業した小倉康臣は、明治二十二(一八八九)年、東京・京橋生まれ。二十五歳で青果店を興した後、第一次世界大戦後の景気を目の当たりにして自動車時代が到来するのを確信し、研究の末、トラック運送会社の設立を思い立った。
戦後、日本の製造業が経済復興に必死の努力をした結果、家電など工業製品が生産地から消費地に向かって大量に流れ込んだ。中でも爆発的に伸びたのが関西から東京への輸送需要である。
市場は大きく変化しつつあった。にもかかわらず、ヤマト運輸は相変わらず関東一円のローカル路線に閉じこもっていた。というのも、社長である康臣が、トラックの守備範囲は百キロメートル以内でそれ以上の距離の輸送は鉄道の分野だ、と固く信じていたからである。私を筆頭に社内の若手は長距離輸送への進出を懇願したが、康臣は断固として許さなかった。
・私の観察では、営業利益率が七%以上の路線会社の荷筋は一口五個以下の貨物が多かった。五%以上の会社は大体十個以下であった。ヤマトは五十個前後が多い。これでは利益率が低いのも当たり前である。こうしてみると、小口貨物を断って大口貨物に重点を置いた営業戦略はなんと間違っていたことか。他社は大口貨物も運んでいるが、その陰で小口貨物を大量に運んでいたのがぜんぜん見えなかったのだ。
・篠田教授は特にコミュニケーションの重要性を強調された。社長の持っている情報と同じ情報を従業員に与えれば、従業員は社長と同じように考え、行動するはずである。従業員が、社長はこうして欲しいだろうと推察し、自発的に行動するのが、パートナーシップ経営だというのだ。
昭和四十年代後半、この個人向け市場で事業を展開しているのは郵便局だけ。民間業者が参入してなかった理由は、採算が取れないことがはっきりしていることと、信書は郵便法で郵便局以外の者の参入を禁じており、それに違反すると三年以下の懲役という罰則があるからだった。
・平成十一(一九九九)年三月末時点で、全国の宅急便の取次店数は二十九万七千軒である。ちなみに、全国の郵便ポストの数は、約十六万本である。
最後に警察署。これは全国で約千二百ある。案外少ない感じだが、地域の治安を維持するのが役目だから、必要ならもっと多いはずだろう。これは参考になった。警察署が千二百で済むなら、ヤマト運輸の宅配のための営業所も、そのくらいあれば間に合うのではないかと考えたのである。  そこでセンターの目標は全国の警察署の数、千二百ヵ所とした。
・平成十一(一九九九)年三月の東京・中央区全域における宅急便の取扱個数は、発送が六十一万個、到着が四十六万個、一ヵ月の発着合計は百七万個であった。それを九つのセンターと六つのデポでさばいている。配属の集配車両は百六十八台である。一台の一日当たりの集配個数は、平均二百五個になる。センターには車両が配属されているが、デポに車はなく、手押し車で客先を回って歩いている。中央区の中でも銀座は荷物の多い地域だが、銀座一丁目から八丁目まで、あの狭い地域に全部で二十一台の車両が配属され、毎日走り回っている。一丁目に平均二・六台の割合である。
・現在全国に約三十万店の取次店があるが、会社の支払う手数料は百円×荷受け個数で、総枠は決まっているから、取次店は多ければ多いほど有効なのである。  取次店手数料とお客様の割引料の合計二百円は、販売促進費用として考えれば、決して高くはない。私はそう確信した。
初日の全体の出荷個数は、十一個であった。
車体に「翌日配達」と書いて走り回ったことは、宣伝のためでもあったが、むしろヤマト運輸の社員に、必ず翌日配達してみせるという、決意表明をうながすものであった。
・宅急便のサービスエリアが順次拡大し、面積で全国の九八・八%、人口で九九・七%をカバーするようになった平成元(一九八九)年三月末におけるサービスレベルは、全配達個数四億一千万個の中、翌日配達が九〇・三%、三日目配達が九・七%であった。
・サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。どちらを優先するかの判断の問題なのである。
企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。
「サービスが先、利益は後」というのは、社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのである。
宅急便を始めて気がついたのは、これまでは、荷主の輸送担当者にあごで使われていたという感じだったのが、集荷に行っても配達に行っても、家庭の主婦から必ず「ありがとう」「ご苦労様」という言葉をかけられることであった。これまで聞いたことのない感謝の言葉を聞いて、現場を回るドライバーたちは感激してしまった。
・社員の中には、両方やって何が悪い、宅急便も頑張ってやるけれど、従来のせっかく築いた商業貨物の取引先を切る必要はないではないか、と言う者も多かった。しかし宅急便は正に社運を賭けた仕事であり、成功するかどうかわからないが、始めた以上成功させなかったら会社がつぶれることは間違いなかった。宅急便を成功させる道は徹底した業態化しかないのである。
・だが、周囲が驚く以上にこちらが驚くことがあった。宅急便をそっくり真似して宅配事業を始めた会社が続々と出てきたのだ。それもいきなり三十五社である。
・人が成功したらすぐ真似をするのは日本人の通弊である。誰がやっても儲からないと言われていた宅配事業でヤマト運輸が成功したと聞いたら、その理由を調べるのが普通であろう。単にクロネコのマークが主婦に受けたなどという単純なものではないことぐらいわかるはずである。
・名称は社内から公募し、千八百三十三通の応募から女子社員の出した「ダントツ三ヵ年計画」に決まった。
・道路運送法では、免許は輸送力の需給を考慮して付与する建前になっていた。だが運輸省には輸送力の需給をつかむ資料は一つもなかったから、担当者の恣意的な判断に任されていたのが実態であった。
・ヤマト運輸は、監督官庁に楯突いてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである。不当な処置を受けたら裁判所に申し出て是正を求めるのは当然で、変わったことをした意識はまったくない。
・この機をとらえ、ヤマト運輸は、運賃改定申請書の表紙を提出するのを拒否した。大手の申請が一社でも欠けると作業が進まないから、運輸省はトラック協会を通じて頭を下げてきた。それならばと、宅急便の独自運賃の申請を認めるなら路線トラックの申請書を提出するという妥協案を出したところ、運輸省からは承知したという返答があった。そこで路線運賃の申請書と、宅急便運賃の申請書を両方とも出した。
・運輸省はヤマト運輸の申請を無視し、審査しようとはしなかった。そこで、五月三十一日の朝刊に、同じ一頁三段の広告を出した。今度は、Pサイズの発売は、運輸省が未だに認可しないため、六月一日の開始予定を延期せざるを得なくなりました、というものであった。
・「全員経営」とは、経営の目的や目標を明確にしたうえで、仕事のやり方を細かく規定せずに社員に任せ、自分の仕事を責任を持って遂行してもらうことである。
・ところで組織が大きくなると、社員のやる気を阻害する者が社内にいることが多い。注意しなければならない点である。それは往々にして直属の上司であることが多い。とくに社歴の長い者が要注意である。
・こうした社員は、自分の経験をもとに仕事のやり方を部下に細かく指示したがる傾向がある一方で、会社の方針とか計画をなぜそうなのか説明することが苦手だったりする。しかしそうなると、社内のコミュニケーションがそこで途切れてしまうことが多い。  だからこそ、コミュニケーションの推進役として中間管理者が大事な役割を負っているのだ。彼らが任務を果たしてくれるかどうかが、やる気のある社員集団ができるかどうかの決め手であることを忘れてはならない。
・要するに管理職は、現場をあまり見ていないし、また都合の良い報告はするけれど悪い報告は社長に一切しないのである。よく言われる通り、社長は孤独である。その孤独とそこから派生する弊害を補ってくれるのが、労働組合なのである。だから極論すれば、労働組合がなければ責任をもった経営はできない。私はそう思う。
・今後、インターネットを利用した商品売買が普及すれば、宅急便事業を軸にさらなるビジネスチャンスも期待できるだろう。
・一方、クール宅急便の年間取扱個数は約九千七百万個強、収入で一千億円強に上るが、これは全宅急便の中で、個数で一二・五%、金額で一八%を占めている。
・利用料金は集金額が一万円未満の場合は三百円、一万円以上三万円未満は四百円、三万円以上十万円未満は六百円、十万円以上三十万までは千円である。  普通商店でクレジットカードを使用したときの店側の払う手数料はだいたい五%くらいだから、コレクトサービスの二~三%というのは割安だと思う。
・ヤマト運輸が通信販売業者を対象に品代金のコレクトサービスを展開できるのも、本業の宅急便が多額の現金収入を抱えているからといえる。
・トラックも、タクシー同様、単に個人の営業を認めればいい。運輸政策の問題だが、個人タクシーが認められているのだから、規制撤廃をしたらよいのではないか。私はそう思う。
・誠実であるか、裏表がないか、利己主義ではなく助け合いの気持ちがあるか、思いやりの気持ちがあるかなど、人柄に関する項目に点を付ける。体操の採点のように、複数の社員の採点を集め、最高の点と最低の点を外し、残りを足して平均点を出す。つまり多くの目で評価する。  日本では、客観的に通用する実績評価の方式は見当たらない。ならば、せめて次善の策として下からの評価を行ったらよいのではないかと思ったのである。もちろん単独ではなく、他の制度と併用するのであるが、私は、人柄の良い社員はお客様に喜ばれる良い社員になると信じている。
・そして、五年後に宅急便が黒字を出すと、今度はその理由も考えずにいきなり三十五社も新規参入してくるありさまである。だから今は一社のみ残し、すべて撤退してしまっている。  要するに、自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。論理の反対は情緒である。情緒的にものを考える人は経営者には向かない。  論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。また説明をしているうちに、考え方を論理的に整理することもある。他に対して説明する能力も、経営者にとって大事な資質である。
攻めの経営の神髄は、需要をつくり出すところにある。需要はあるものではなく、つくるものである。
・私は、役人とは国民の利便を増進するために仕事をするものだと思っている。だから宅急便のネットワークを広げるために免許申請をしたとき、既存業者の利権を守るために拒否されたのには、芯から腹が立った。需給を調整するため免許を与えるかどうかを決めるのは、役人の裁量権だという。では需給はどうかと聞いても資料も何も持っていない。行政指導するための手段にすぎない許認可の権限を持つことが目的と化し、それを手放さないことに汲々としている役人の存在は、矮小としか言いようがないのである。
・平成六(一九九四)年に行政手続法が制定された。この法律は、基本的に口頭による行政指導を禁止した法律である。ところが、役人の猛烈な巻き返しで、行政指導の文書化は受ける側が文書を要求したときにのみ限定されたのである。もちろん行政指導を受ける側、つまり民間企業が必ず文書に記すことを要求すれば問題はないのだが、実際には文書請求を言い出しかねて口頭の指導を受けている例がほとんどだという。役人にも問題があるが、民間企業の経営者の姿勢にも問題があると思う。

ピカソがどうスゴいのかを知る「ピカソは本当に偉いのか?」

ピカソがなぜ芸術家として圧倒的に評価され、その作品が高価になっているのかを丁寧に解説してあります。ピカソが英才教育を受けとてつもない技量を持っていたこと、「種の起源」から変化、前衛に価値が出てきたこと、美術館が登場し美術マーケットができてきたこと、などなど他にもいろいろ理由がありますが、まさに時代が作ったスーパースターだということがよく分かりました。ディズニーやマリリン・モンロー、ビートルズ、ビル・ゲイツやジョブズなどと同じ。

著者は、労働意欲を奪ってしまうほどの高値はどうか、晩年の自画像から幸せであったのかと疑問を投げかけていますが、個人的には現代のスポーツ選手や映画スターも同じだし、起業家もそう。膨大な価値を生み出した対価としてはそんなものかなとも思うし、晩年の自画像が後悔を示しているのではないかという点については、というよりも他の要素(分からないですが数々の女性を傷つけたことなど)が影響しているような気はしてます。そもそも普通のひとでないので普通の感覚では計り知れないのかなと。

いずれにしても、非常に勉強になる良作です。

<抜粋>
・ピカソの成功の秘密は、十九世紀後半に急成長した画商というビジネスの可能性を正確に見抜き、自分の作品の市場評価の確立と向上にあたって、彼らが果たす役割というものをとことん知り抜いていた点にありました。
・当然ながら、そうした安値で仕入れられた絵というものは、ひとたび市場で評価を得た場合には、画商に大きな利益をもたらすことになります。実際に、モネやルノワールの作品は、はじめは徐々にでしたが、やがて加速度的にその評価と値段を上昇させていくことになり、これを扱う画商には大成功がもたらされることになりました。
絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは、その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
・こうしたピカソの破壊的な性向は、作品制作にとどまらず彼の対人関係、とりわけ女性関係においても発揮され、時に相手の人格までを崩壊させてしまうような、激烈な愛憎関係を再生産していくことになります。
・人格や自尊心までが内面に向かって崩れていくさまを見るような迫真の描写は、子供がおもちゃの中を見たくて壊すように、画家が人間の心を破壊することではじめて可能になったものといえるでしょう。そもそも、自分が一度は愛した女性の半狂乱の泣き顔というものを、絵画作品の題材にできるという点で、ピカソの感覚は常軌を逸してしまっています。
マティスは、いかに大胆な表現を追求しようとも芸術は、人の哀しみや苦しみを癒すものという信念を抱いていたといいます。ところが、ピカソはまるで芸術によって世界を破壊し創造し直そうとでもしているかのように見えたというのです。
・そして、彼らに先立つドラクロワが、色彩は脇役であるべしという絵画理論の基本を破壊したのは、デッサンに象徴される「理性」に代わって、色彩の喚起する「感覚」こそが革命後の絵画の主人公となるべきだとの確信があってのことでした。
・ニーチェはモネやルノワールと同世代のドイツの哲学者。二十四歳という異例の若さで大学教授に抜擢された俊才で、激烈な陶酔に誘う独特の文体で綴る強烈な哲学は当時の若者を熱狂させました。四十四歳の時にトリノ街頭で発狂し、十一年の療養生活の後、肺炎で一九〇〇年に亡くなっています。
ピカソに限らず、周囲にカリスマ的な影響力を及ぼす人の多くは、それが意識的なものであるか否かを問わず、自身の感情をあらわにすることに長けています。
・彼女の切り出した突然の別れ話にピカソは、自分に発見された恩を返せと逆上、自分のもとを去ったら行く先は砂漠しかないと警告します。実際に、ピカソの彼女に対する嫌がらせは執拗をきわめ、画学生時代にピカソとの同棲で中断されていた絵画を再開したフランソワーズは、フランスではなく英米の絵画市場に活躍の場を見出そうとします。
近代絵画は写真に対抗して写実描写を放棄しましたが、当時の画家が写真に対して抱いていた危機感は私たちの想像を上回るものがあり、ピカソの世代に至ってなお真剣に心配をしています。
・ピカソは写真の出現が絵画の存在基盤を危うくしていると語っています。対するムンクの答がふるっていて、カメラをあの世に持って行き死後の世界を撮れるようになるまでは恐るるに足らないと、一笑に付しています。
・じつは、ジャリがその怒りにも似た破壊性をもって打破しようとしていたのは、この「常識」というものに他なりませんでした。  ただし、ここでいう「常識」は、ブルジョワ階級というフランス革命によって新たに社会の支配的な階層に納まった人々に特有の「常識」を指しています。
・じつは、ピカソ自身もそのことは充分に心得ており、経済的な安定を確保して以降は、個人的な面談にせよマスコミの取材にせよ、意識的に演出したボヘミアン的な言動を欠かさぬよう留意していました。

「我が逃走」を本当に書いた貴重な作品

paperboy&co.創業者、家入さんの新作。ペパボがGMOに買収されたくらいから、上場、社長退任、カフェ立ち上げ、東京都知事選挙、CAMPFIRE、BASE立ち上げなどなど。とにかく赤裸々に逃走っぷりを書いていて、非常におもしろかったです。むしろこれだけ自分のダメっぷりや散財する様を克明に描いた作品は今までにないのではないでしょうか。

個人的には、このくらいの時期はよく家ちゃんと飲んだりしていたので、各出来事にいろいろ思い出があり、登場人物も知っているひとが数多くいて、「なるほど、あれはそういうことだったのか」と物事をまったく違う方向から観た思いです。

むしろ、割と近い位置にいても心理状態まではなかなかよく分からないというか、誰であっても分からないものなんだなと思いました。

後、本当に家入さんのダメっぷりが強調されているのですが、しなしながらロリポップ初めとしたサービスやペパボという組織や、その後一緒に作ってきたCAMPFIRE、BASEといったサービスは本当に素晴らしく、創るひととして超一流なのは間違いないです。今は新しいサービスを作ってるみたいで(ちょくちょく聞いてますが)本当に楽しみです。

ハチャメチャぶりを周りではなく自らが書いたという点で非常に貴重でおもしろい作品でした。

※本書は献本いただきました(後、CAMPFIRE運営会社には出資しております)

スタートアップの厳しさが詰まった「HARD THINGS」

オプスウェア創業者であり、短期間で超一流VCに上り詰めたアンドリーセンホロウィッツのベン・ホロウィッツが自らの起業と彼の経営の考え方をまとめた作品。

前半はほとんどジェットコースターのようなオプスウェア時代の振り返りが強烈。浮き沈みというよりは、ほとんど死にかけながらなんとか倒産を免れ続け、最後に大復活してHPへの売却を果たす、まさに奇跡のストーリー。

後半はそういった経験を元にしたベンの経営哲学。僕も同じような悩みを抱えてきたので、すごく共感できたし、勉強になりました。複雑な問題について、明確な理由付けをして対応していっているにつけて、非常に頭が良いひとなのだなと思いました。

しかし、最終的なところは

スタートアップのCEOは確率を考えてはいけない。会社の運営では、答えがあると信じなきゃいけない。答えが見つかる確率を考えてはいけない。とにかく見つけるしかない。可能性が10に9つであろうと1000にひとつであろうと、する仕事は変わらない。

ということで、逃げたくなるような局面でも諦めないであらゆる手を尽くせるかが、成否を分けるというのに完全に同意します。

<抜粋>
・私はこのままでは時間切れになってしまうのを思い知らされた。そのときまで、私は本当に真剣な選択をしたことがなかった。自分には無限の時間と無限の能力があって、やりたいことは何でもできるとぼんやり考えていた。しかし父のジョークのお陰で私は、このままでは家族を失いかねないと気づかされた。ありとあらゆる努力をしながら、私はもっとも大切なことを忘れていた。自分がしたいことではなく、何が大切なのかという優先順位で、世界を見ることをこのときに初めて学んだ。
・1995年11月になってビル・ゲイツは、『ビル・ゲイツ未来を語る』(アスキー)という著書の中で、やがて「情報スーパーハイウェイがすべての企業と消費者を単一のネットワークで結びつける」と予想し、「インターネットに取って代わって、コミュニケーションの世界を制覇することは論理的な必然だ」と書いている。ゲイツは後になって「情報スーパーハイウェイ」を「インターネット」と書き直した。しかしオリジナル版ではそうではなかったのだ。
・ネットスケープ以後、デベロッパーがコンピューティングに新たな機能を追加するとすればインターネットという環境に対してであり、マイクロソフトの独自規格に対してではなくなった。
・またも資金調達が必要になった。今回は状況がさらに悪くなっていた。2000年の第4四半期に、私は可能性が少しでもある資金源はすべてあたり、その中にはサウジアラビアのアル・ワリード・ビン・タラール王子も含まれていたが、誰ひとりとしていかなる評価額でも投資する意思を見せなかった。シリコンバレーでもっとも勢いのあるスタートアップだったわれわれが、たった半年のうちに投資対象ですらなくなっていた。477人の社員と時限爆弾にも似たビジネスを抱えながら、私は答えを探し求めた。
完全に資金が底をついたら何が起こるかを考えていると──あれだけ注意深く選んで雇った社員を全員解雇し、投資家の金をすべて失い、われわれを信じてビジネスを託してくれた顧客を危険にさらす──将来の可能性に集中することなど困難だった。
・私は、愕然とした。激しく汗をかき始め、電話を切ったあと、すぐに着替えなければならなかったほどだった。どうしていいか、見当もつかなかった。もし私が家へ帰れば、会社は間違いなく倒産する。もし、ここに残れば……そんなことができるか? 私は電話をかけてフェリシアを出してもらった。
・われわれの運命を考えると、とても眠るどころではなかった。私はなんとか気分を高めようと、こう自問してみた。「起き得る最悪のことは何か?」。返ってくる答えはいつも同じだった。「倒産し、母を含めて全員の財産を失い、ひどい不景気の中で一生懸命働いてくれた人たちを全員レイオフしなければならず、私を信じてくれた顧客全員が困難に陥り、私の評判は地に堕ちる」。もちろん、その質問で気分が楽になったことなど一度もなかった。
・私がCEOであり、ラウドクラウドが上場企業であったために私以外には全体像が見えていなかった。私は、会社が極めて深刻なトラブルに陥っているとわかっていた。私以外にこのトラブルから会社を救える者はいないし、私はすべての事情を理解していない人たちからのアドバイスに聞き入っていたのだ。私にはあらゆるデータと情報が必要だったが、会社の方向性に関する提言はいらなかった。今は戦時なのだ。会社が生きるも死ぬも、私の決断の質次第であり、その責任を回避したり、緩和したりする術はなかった。
「ひどい経済環境だった」「アドバイスが悪かった」「物事の移り変わりが速すぎた」などというセリフは許されない。選択肢は、生き残るか、完全崩壊のどちらかだ。
・「きみは会社に残り、全員の立場を理解していることを確かめなきゃいけない。一日も待てない。いや、むしろ1分だって待てない。従業員たちは、自分がきみのために働くのか、EDSに行くのか、いまいましい職探しをするのかを知る必要がある」とビルは答えた。ビルは正しかった。
・「いくつか悪い知らせがある。ブレードロジックにやられている。これは製品の問題だ。これが続けば、会社を叩き売らなくちゃならない。勝てる製品を持たない限り、生き残る道はない。そのために、きみたち全員にがんばってもらう必要がある。今晩家に帰ったら、奥さんやご主人、大切な人、誰であれきみたちのことを一番気にかけている人と真剣に話し合って、こう言ってもらいたい。『ベンが向こう半年間、私を必要としている』。会社に朝早く来て、遅くまでいてもらいたい。夕食はおごる。私も一緒にここにいる。失敗は許されない。銃には一発だけ弾が残っていて、標的に命中させなくてはならない
・自分へのメモ「やっていないことは何か?」を聞くのは良いアイデアだ。
・それは死ぬまで続く、自分対自分の議論だった。一方で私は、仮想化によって仮想サーバーのインスタンスが大量発生すれば、われわれのやり方が以前にも増して重要になると主張した。しかし次の瞬間私は、それは真実かもしれないが、アーキテクチャを変更すれば、オプスウェアの立場は危うくなると思い直した。
・「成功するCEOの秘訣は何か」とよく聞かれるが、残念ながら秘訣はない。ただし、際立ったスキルがひとつあるとすれば、良い手がないときに集中して最善の手を打つ能力だ。逃げたり死んだりしてしまいたいと思う瞬間こそ、CEOとして最大の違いを見せられるときである。
・自分の中では、プラスを強調し、マイナスを無視することによって、全員の士気を高めているつもりだった。しかし部下たちは、現実が私の説明よりも微妙な状況だと知っていた。しかも彼らは、世界が私の言うようにバラ色ではないことを知っているのに、全社ミーティングのたびに私のくだらない景気付けを聞かされていたのだ。
・200人のグローバルなセールス部門を率いるのは、25人のローカルなセールス部門を動かすこととは違う。運が良ければ、25人のチームを率いるために雇った人物が、200人のチームの動かし方を身に着けるかもしれない。そうでなければ、新しい仕事に最適な人物を雇う必要がある。これは、幹部の失敗でもシステムの失敗でもない。それが大都市における生活なのだ。この現象を避けて通ろうとしてはいけない。事態を悪化させるだけだ。
・もっとも重要なのは、あなたの強い意志だ。降格の話題をあやふやな気持ちで始めたら、混乱を招く。状況の混乱、そして人間関係の混乱だ。相手が会社を辞めるかもしれないという考えを持っておくべきだ。彼が抱く強い感情を考えれば、会社に残りたいと思う保証はどこにもない。彼を失う余裕がないなら、降格は実行できない。
どの会社にも、命懸けで戦わなくてはならないときがある。戦うべきときに逃げていることに気づいたら、自分にこう問いかけるべきだ。 「われわれの会社が勝つ実力がないのなら、そもそもこの会社が存在する必要などあるのだろうか?」
・自分の惨めさを念入りに説明するために使うすべての心的エネルギーは、CEOが今の惨状から抜け出すため、一見不可能な方法を探すために使うほうがはるかに得策だ。やればよかったと思うことには一切時間を使わず、すべての時間をこれからきみがするかもしれないことに集中しろ。結局は、誰も気にしないんだから。CEOはひたすら会社を経営するしかない。
教育は、早い話が、マネジャーにできるもっとも効果的な作業のひとつだ。自分の部下たちに全4回の講義を受けさせることを考えてほしい。1時間の講義に3時間の準備が必要だとする──計12時間の作業になる。クラスには生徒が10人いるとしよう。   来年彼らは合計約2万時間、会社のために働くことになる。あなたの教育によって部下たちの業績が1パーセント向上するなら、あなたの12時間によって、会社は200時間相当の利益を得ることになる。
・機能教育を新規採用の条件にする。 アンディ・グローブ曰く、マネジャーが社員の生産性を改善する方法はふたつしかない。動機づけと教育だ。よって、教育は組織のマネジャー全員にとって、もっとも基本的な要件である。この要件を強制する効果的な方法のひとつは、採用予定者向け教育プログラムを開発するまで、その部署の新規雇用を保留することだ。
幹部採用をみんなの総意で決めようとすると、議論はほぼ間違いなく、長所ではなく短所のなさへとぶれていく。孤独な作業ではあるが、誰かがやらなくてはならないのだ。
・第一は、「正しい野心を持った人材を採用する」ことだ。会社をアメリカ上院みたいな政治の場にしたければ、間違った野心を持つ人間を雇うのがてっとり早い。長年インテルを率いたアンディ・グローブによれば、「正しい野心家」というのは「会社の勝利を第一の目標とし、その副産物として自分の成功を目指す」ような人物だという。それに反して「悪い野心家」は、「会社の業績がどうあろうと自分個人の成功が第一」というタイプだ。
・「大組織においては、どの職階においても社員の能力はその職階の最低の能力の社員の能力に収斂する」  その理由はこうだ。どの職階でも、社員は自分の能力を測る物差しを直近上位の職階の社員の中で最低の能力の社員に求める。仮にジャスパーという男が副社長の中で一番能力が低いとしよう。すると部長職の社員は、全員がジャスパーと自分を比べて自分には昇進の資格があると考える。すると副社長はすべてジャスパーと同程度の能力の社員で占められるようになる。以下同様にして、すべての職階が無能レベルに達する。
・フェイスブックは新規採用職員に対して他社に比べて低い肩書しか与えないことで、いくぶんかは損をしているかもしれない。しかし逆に、肩書が低いことでフェイスブックを選ばないような社員はまさにフェイスブックが必要としない社員だとも考えられる。実際、フェイスブックの採用手続きと試用期間はフェイスブックが望むような人材が残り、望まないような人材が自ら去るよう巧みにデザインされている。
・CEOは開発過程をブラックボックスと考えて、目に見える成果だけを追ってはならない。「ソーセージがつくられる現場」を自分の目で見て何が行われているのか理解していなければならない。
・個人面談は緊急性の高い課題についての報告だけでなく、社員が日頃抱いている不満、目にしてはいるが正式の報告書には書きにくい問題点、温めている有望なアイデア、メールシステムへの不満、個人的な悩みなど、ありとあらゆる問題を拾い上げることができるほとんど唯一のチャネルだ。
・組織デザインで第一に覚えておくべきルールは、すべての組織デザインは悪いということだ。あらゆる組織デザインは、会社のある部分のコミュニケーションを犠牲にすることによって、他部分のコミュニケーションを改善する。
・私は成功したCEOに出会うたびに「どうやって成功したのか?」と尋ねてきた。凡庸なCEOは、優れた戦略的着眼やビジネスセンスなど、自己満足的な理由を挙げた。しかし偉大なCEOたちの答えは驚くほど似通っていた。彼らは異口同音に「私は投げ出さなかった」と答えた。
・過去10年間にテクノロジーの進歩のおかげで、新企業を立ち上げるための資金的ハードルは大幅に下がった。しかし、優れた企業を築くために必要な勇気というハードルは、以前と変わらず高いままだということを覚えておくべきだろう。
・平時のCEOは会社が現在持っている優位性をもっとも効果的に利用し、それをさらに拡大することが任務だ。そのため、平時のリーダーは部下からできる限り幅広く創造性を引き出し、多様な可能性を探ることが必要となる。しかし戦時のCEOの任務はこれと逆だ。会社にすでに弾丸が一発しか残っていない状況では、その一発に必中を期するしかない。戦時には社員が任務を死守し、厳格に遂行できるかどうかに会社の生き残りがかかることになる。
・平時のCEOは企業文化の育成に務める。戦時のCEOは生き残りを賭けた闘争に自ら企業文化をつくらせる。戦時のCEOは突発的非常事態に対応するプランを用意する。戦時のCEOは、『バトルスター・ギャラクティカ』のアダム提督ではないが、サイコロを投げて「3のゾロ目に賭ける」しかない場合があることを知っている。平時のCEOは自社の優位性の活かし方を知っている。
・しかし良きCEOであろうとするなら、つまり長期的に人々の支持を得ようとするなら、時には短期的に人々を怒らせるような行動を取らねばならない。つまり不自然な行動を必要とする。
・社員の行動にいちいちフィードバックを与えることは、当初いかに不自然に感じられようと、CEOの業務の基礎となるブロックのひとつずつだ。
CEOが常にフィードバックを発信し続けていれば、全社員がそのことに慣れる。「ボスにああいうことを言われたが、どういう含みがあるのだろうか? ひょっとしてCEOは私を嫌っているのかもしれない」などというような疑心暗鬼を生まずに済む。誰もがフィードバックで指摘された内容に集中するようになり、個人に対する抜き打ちの実績評価だとは考えなくなる。
ベンチャーキャピタリストになって初めて私は、他人の思惑を気にせずに本当に思っていることを言う自由を得た。CEOにはそのような贅沢は許されない。CEOは「周りはどう思うだろうか?」と常に考えていなければならない。特に公に弱みを見せることは許されない。それは社員、経営陣、株主の利益に反する。CEOは常に絶対の自信を見せていなければならない。

スーパーグローバル企業の実態「石油の帝国」

今やアップルに抜かれてしまったが、それまで全世界で時価総額一位であったエクソンモービルの実態を詳細な取材から明らかにした力作。

イメージとしては、アメリカ政府とエクソンモービルのような石油系ジャイアント企業は一心同体のように思っていましたが、実際はかなり違っています。エクソンモービルは各国、特にアメリカとは仲の良くない中東国家やアフリカの独裁国家などとうまくやった行かなければならないし、実際のところ売上の半分以上は海外ということもあり、全然一枚岩ではないようです。

エクソンモービルの幹部たちは、石油国有化の波が来ては去っていくのを何十年も見てきた。そして長い目で見れば、ほとんどの政府は民間企業とパートナーシップを組むことが自国の利益となる、ということを理解する、という理屈だった。

法律もコロコロと変えるような独裁国家でいかにうまく企業を経営するかは本当にノウハウであって、非常に学ぶべきものが多いと思いました。結局のところ、そういった国家であっても石油を組み上げるだけの技術はなくエクソンモービルと組むのがもっともよいことだと長い期間をかけて理解してもらうのが重要なようです。時にはイラクのように接収されても、またチャンスはある、といった感じです。

リー・レイモンドが述べた、エクソンモービルを満足させるためにはロシアは何をしなければならないか、についての言葉はプーチンの神経を逆なでしていた。「後に受けた報告によれば、プーチンはレイモンドのことを、全く傲慢で攻撃的すぎる人物と受け取った」、とミザモアは述べている。「そしてプーチンはレイモンドに完全に興ざめした。アメリカ実業界の大物が来て、傲慢にも一国の大統領に物事を指図するとは……プーチンはただ彼に完全に興ざめした。それが我々の受けた報告だった」。

途中このようにロシアとすら譲らないで交渉するシーンも登場します。

アメリカが1日に消費するおよそ2000万バレルの石油のうち4分の3は輸送用燃料だった。その残りはプラスティック製造などの産業用途に向けられていた。発電にはほとんど使われていなかった。石炭、天然ガス、水力、原子力が発電用の主要エネルギー源だった。

アメリカではクルマがないと何もできないわけですが、3/4もが輸送用燃料に使われているとは知りませんでした。環境面からも内燃機関の効率の悪さ(発電所に比べて)を考えると、電気自動車が重要になると共に、ライドシェアリングなど社会構造も変化していくのだろうなぁと思いました。

いずれにしてもスーパーグローバル企業の実態が知れる素晴らしい力作です。

<抜粋>
・エクソンモービルのアチェにおけるガス生産事業は、いまやインドネシアにおけるアメリカ外交・情報上の優先課題と位置付けられていた。
あらゆる前線において、彼らは大使館から一定の距離を置くことを好み、現地政府関係者との会議に大使館上級スタッフの同席を求める必要を感じたことがない、という印象を受ける
・エクソンモービル以外の多くの会社においては、契約を分割したり、会計処理のグレーゾーンを残したりすることを許容し、四半期業績報告のばらつきをなくし、投資家には安定した姿が見えるようにしていたが、レイモンド下のエクソンモービルにおいては、そのような会計数値の操作は解雇に値する行為だった。レイモンドはさらに、わずかな経費のごまかしであっても解雇の対象にした。
・カタールは、サウジアラビアからペルシャ湾に突き出た半島にあり、地図上では小さなトウヒの木のような形をしている。特徴がなく、荒れて砂だらけの土地で、湿気が多く、オアシスも自然の緑もなかった。20世紀の変わり目のころ、カタールの人々は、貧しい漁民、真珠採り、そしてベドウィンの牧夫だけで、人口はおそらく5000人から1万人程度だった。
・BPの太陽エネルギー事業投資は、石油・ガス事業に比べれば取るに足りないレベルだった。ある元幹部によれば、この投資は社内では、ビジネスとしてよりもマーケティングの立場から認められたものだった。BPソーラーは、通常のイメージ広告投資がなし得るよりもはるかにプラスの社会的評価向上効果をもたらした。
・中国は安全な海洋航行の便益を享受でき、アメリカの納税者にその負担を押し付けることができる。しかし、それがなぜ将来の興隆を目指す中国にアピールしないのか、は明白であった。「状況が逆だったら我々ならどう思うか、を考えてみればいい」。
・チェイニーを信頼し、頻繁に会っていた。そして彼は、元石油業界幹部でブッシュ政権2期目のエネルギー省長官のサミュエル・ボドマンを非常に尊敬していた。しかしながら、レイモンドはブッシュ政権との関係を深める中で、意識的にブッシュ政権によるサダム・フセイン後のイラク再生の試みからは一定の距離を置いた。世界で最も未開発の石油とガスの多い国での国家建設失敗という汚点によって、自社の評判に傷をつけたくなかった。イラクにおけるアメリカの新帝国主義的野心は破綻するだろう。しかし、エクソンモービルという企業帝国はその独自の利益を追求し続け、またそれは焦ってはならなかった。
アメリカの大衆の一部と同じく、プーチンの閣僚の一部もブッシュのホワイトハウスが、アメリカの巨大多国籍石油会社の意思決定を行っている、あるいはその逆、と信じているようだった。
・1995年ごろ、レイモンドは、同社買収の可能性について話し合うため、ロスネフチ幹部と会談した。幹部たちは、「喜んで」と言い、買収してくれるよう懇願した。しかしレイモンドはこれを断った。ロスネフチの幹部でさえ、法的に何を所有しているのか確実に把握していなかったからだ。
・「舞台裏で起こっていることは誰にも見えないが、プーチンはクレムリンを元KGBや元ロシア軍人で一杯にしている。これは非常に、非常に危険なことだ。なぜなら、プーチンは超保守派を通じて権力を掌握しようとしているからだ。いったん彼がクレムリンに権力を確立したら、最悪の事態となる」。
・リー・レイモンドが述べた、エクソンモービルを満足させるためにはロシアは何をしなければならないか、についての言葉はプーチンの神経を逆なでしていた。「後に受けた報告によれば、プーチンはレイモンドのことを、全く傲慢で攻撃的すぎる人物と受け取った」、とミザモアは述べている。「そしてプーチンはレイモンドに完全に興ざめした。アメリカ実業界の大物が来て、傲慢にも一国の大統領に物事を指図するとは……プーチンはただ彼に完全に興ざめした。それが我々の受けた報告だった」。
・石油とガスは使われ続ける、とエクソンモービルのエコノミストやプランナーは結論付けた。化石燃料は2030年ころまで、そしてそれを越えても、グローバルな経済と安全保障の中心であり続けるであろう。レイモンドはこの予測をブッシュ政権と議会の、できるだけ多くの聞く耳を持つスタッフに聞かせるよう骨を折った。
・エクソンモービルの科学者たちはそのような技術革新が2030年以前に起きるとは信じていなかった。それまでの間は、たった一つの予測不可能な展開、いわゆる「ブラック・スワン〔事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のこと。〕」だけが、グローバルな石油需要の上昇カーブをシフトさせる可能性を有していた。政府による、炭素課税や炭化水素燃料使用の制限などを通じた温室効果ガス排出制限の決定がそれだった。
・同社幹部はしばしば、アメリカ政府からの便宜の提供は必要ない、ホワイトハウスからの指図も受けない、グローバルな自立を選ぶ、と主張するが、現実はもう少し複雑である。同社はチェイニーとの間に直通ラインを持っており、事業上の必要次第では国務省ともアブダビとも交渉した。
・デビー側のチャド東部方面及び首都の防衛は脆弱だった。国防省が給与を払っている7万人の兵士の内、2万人の兵士だけが制服を保有し、時折仕事に現れるような有様で、実際に訓練され、武装し、戦闘ができる者はわずか4000人だった。それだけでなく、もし何万人もの幽霊軍人への給与支払いに必要な現金が尽きたなら、反乱が起きる。この脅威のために彼は巨額の資金を必要とした。
・同社の国際的な競争相手はエクソンモービルの強硬姿勢にただ乗りをしていた。シェブロン、シェル、トタール、その他の会社は、エクソンモービルが産油国政府相手に行った教育と標準契約普及の取り組みから恩恵を受けていたが、柔軟に対応する用意もあった。彼らは、エクソンモービルのように契約を至上命題とするポリシーを採用していなかったので、自分たちの都合に合えば契約の改訂には比較的容易に妥協した。
2006年以降、エクソンモービルがついに、人間の活動が地球温暖化に寄与していることを認めた後においてさえ、同社は、経済的コストが環境上の便益を上回ることを理由に、炭素利用の制限に対して抵抗した。まず保護主義者の側が最初に害を証明しなければならない。次に、提案された規制の費用と便益の方程式が成立していることを証明しなければならない。エクソンモービルは、化学物質に対する規制の提案に対し、同じロビーイング戦略を適用した。
ティラソンと経営企画グループは、何が2008年の油価高騰の原因だったのかを解明できなかった。
・排出権取引は複雑で、将来の予測が立てにくく、煩雑、かつ高コストであり、企業の長期的な投資計画を困難にさせる。これと比べると、炭素税は税額の変動予測が立てやすく、炭素削減技術への新規投資を促進すると考える」と強調した。
・世界の石油供給はその頂点に達し下降し始める、という「ピークオイル」の予測が馬鹿げた世迷い言であることは、過去の不正確な予測が示す通りだった。最低限、世界には数十年先あるいはもっと先の需要を満たすに十分な石油が残っている。また、ガスと石炭の埋蔵量はさらに豊富だ。ロシア、カタール、そしてイランの天然ガス田は数十年もつはずであり、アメリカも、もし非在来型天然ガスの埋蔵量が期待通りならば、国内供給によって自国のガス需要を満たせる見込みである。
・2011年、経済面での苦痛が広がった時代において、ガソリン支出は家計の10パーセントにも達した。今、政策の硬直化が起きているガソリン価格を形成するシステムを変えることは、最も苦しんでいる中間層に新たな重い負担を押し付けることに他ならなかった。

マネーの歴史を知る「21世紀の貨幣論」

物々交換社会は実は存在しなかった、『オデュッセイア』にはお金が出てこない、など衝撃的な話から繰り広げられるマネーの歴史で、非常にダイナミックでおもしろいです。タイトルは「21世紀の貨幣論」となっていますが、マネー史とした方がしっくりきます。

今となっては社会的な常識となっているお金が、昔から今のような信任を集めていたわけではなく、君主、民衆、商人、国家、銀行などの進化の過程でどのように成立してきたかが、見事に描かれています。

お金とは何かを知るにはその歴史を知る必要がある、という意味において、必読な作品だと思います。

<抜粋>
・取引は盛んに行われるが、取引から生まれる債務は取引の相手との間で相殺されるのがふつうだった。相殺後に残った分は繰り越されて、次の交換に使うことができた。未払い分を精算しなければならないようなときでも、フェイそのものが交換されることはめったになかった。
・(注:ジョージ・ドルトン)「われわれが信頼できる情報を持っている過去の、あるいは現在の経済制度で、貨幣を使わない市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であったりしたことは一度もない」
通貨そのものはマネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのだ。
・『オデュッセイア』では、暗黒時代の社会の驚くほど多彩な光景が次々に繰り広げられるのだが、あることが目を引く、マネーが出てこないのだ。
・国がペソを使うことを義務づけていない領域で、代替貨幣が自然発生的に生まれたのである。州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始めた。借用書はまたたく間に通過として流通するようになった。ペソを支えるために流動性供給を絞ろうとする政府の対応に、国民は公然と反旗を翻した。
・中世の君主には、みずから治める領地からの収入以外に歳入を増やす方法はほとんどなかった。封建領土に直接税や間接税を課すことは実際問題として不可能だったため、貨幣鋳造益はこのうえなく魅力的で、このうえなく確実な収入源だった。
たとえば1299年には、フランス国王の総収入は200万ポンド弱あった。このうち優に半分を、悪鋳と改鋳による造幣局の鋳造益が占めている。
・オレームはまったくちがう貨幣感を示した。マネーは君主の所有物ではなく、マネーを使用する共同体全体の所有物としたのである。
銀行の屋台骨を支えているのは、資金を融通し、決済する能力のほうだ。銀行はマネーシステムの中で銀行にしかできない役割を果たしているから、特別な存在なのである。
銀行業務の真髄は、銀行の資産と負債から発生する資金の支払いと受け取りを全体として一致させることにほかならない。銀行の資産と負債とは、もちろん、すべての借り手と債権者のすべての負債と資産である。これこそが、中世時代の大国際商会が再発見していた技術だった。
・今度はマネー権力が君主に圧力をかける側に回った。マネー権力者の利益に沿ってソブリンマネーが管理されなければ、ソブリンマネーを放棄すると威嚇したのである。形勢は完全に逆転した。
・(モンテスキュー)為替相場が確立されたため、君公が貨幣を突然、大きく操作すること、少なくともそうした強権の発動を成功させることはできなくなった。
・キャッシュは国に対する信用の表象として揺るぎない地位を保っているが、流通しているマネーの圧倒的多数は、民間企業の口座にある預金だ。1694年に政治の妥協が成立して、ソブリンマネーとプライベートマネーが統合されたことが、いまも現代のマネー世界を支える基礎になっている。
理想の国家であるスパルタに、このイノベーションは必要ない。スパルタは自国の伝統的な社会構造は完璧だとして、貨幣を使用しなかった。
・(ロー)「貨幣の価値に対して財貨が好感されるのではなく、その価値によって財貨が交換されるのである」
5月には500ルーブルだったインド会社の株価は、12月には1万ルーブルを突破した。株価が上がるほど、公的債務が新株に置き換えられていった。この取引が完了すると、ローはついに、政府債務と政府株式の交換という、空前絶後の偉業を成し遂げることになった。
・おそらく、オーバレント・ガーニー商会の提供担保に対して貸し付けた債権者のうち、その担保に頼らざるを得なくなることを予想した人や、その担保に本当に注意を払った人は、1000人に1人もいなかっただろう。
・「なぜだれも危機が来ることをわからなかったのでしょうか」という女王の質問に対する答えは単純明快である。マクロ経済を理解するための大きな枠組みに、マネーが組み込まれていなかったからだ。
・9月15日月曜日、国が信用支援を拒否し、リーマン・ブラザーズは破産申請する。それをきっかけに始まったパニックの大きさを見ても、リーマンは救済されるとだれもが固く信じていたことがうかがわれる。
・ソロモン王は聖書でこう戒める。「かならずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また、賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また、知識ある者が恵みを得るものでもない」(中略)「しかし、時と機会はだれにでも与えられている」
シラーは何年も前から、市払いがGDPに連動する国債を発行することを提唱している。経済成長の不確実性がもたらす財政リスクを、国と投資家が共有するようにするのである。

ソフトバンクのロビイング「孫正義の参謀」

元ソフトバンク社長室長の嶋氏が、ボーダフォン買収からスプリント買収くらいまでの仕事を語っています。嶋氏は元衆議院議員だっただけあり、主にロビイングの話が多いのですが、かなり赤裸々です。ソフトバンク規模の会社がどういうロビイングをしているのか分かり、非常に興味深かったです。

<抜粋>
・「いろいろと検討したが、どうもピンと来ない。ヤケのヤンパチで犬と外国人を使ったら、これが当たった」 孫社長の説明である。
・犬が父親という白戸家のアイディアをクリエーターがプレゼンしたとき、孫社長は「天才だ!」と叫んだという。
・そう決意して携帯電話の電話帳を見た。官房長官、官房副長官、首相補佐官、そして内閣総理大臣まで番号があった。

アップル製品のこだわりを知る「ジョナサン・アイブ」

アップルの近年の製品のデザインをリードしてきたジョナサン・アイブについて丹念に追った作品。最初の辺りが冗長だが、後半はアップル入社後にどのようにチームができていき、復帰したジョブズと関わり、iMac、iPod、iPhone、iPadなんかがデザインされていったのかなどが克明に描かれており、非常におもしろかったです。

とにかくこだわりがすごい。このくらいのこだわりでもってプロダクトを作っていきたいと思いました。

<抜粋>
・アメリカの教育制度が企業への就職を目的にしていたなれば、イギリスのデザイン教育は、情熱を追求し、情熱を核としたチームを築くことを奨励していた。
「違うものを作るのは簡単だが、いいものを作るのは難しい」 ーージョニー・アイブ
・(ジョブズが戻ってきて)「スティーブが、僕らの目標は金儲けではなく、偉大な製品を作ることだと宣言したんだ。その哲学があれば、これまでとは根本的に違う判断を下すはずだと思った」。ジョニーはのちにそう語っている。
・「デザインが差別化の手段だと思っている人が多すぎる。全く嫌になるよ。それは企業側の見方だ。顧客や消費者の視点じゃない。僕たちの目標は差別化じゃなくて、これから先も人に愛される製品を創ることだとわかってほしい。差別化はその結果なんだ」
・「フォーカスグループはやらない。アイデアを出すのはデザイナーの仕事だから」とジョニーは言う。「明日の可能性に触れる機会のない人たちに、未来のデザインについて聞くこと自体が的外れだよ」
・その時点で携帯電話には数曲しか入らなかったが、そう遠くないうちに、だれか、おそらくライバル会社がふたつのデバイスをひとつにすることは目に見えていた。
現在のデザインの前線はハードウェアではなくソフトウェアなのだ。
ジョブズはいつも、集中とはイエスということではなく、ノーということだと語っていた。ジョニーの指導のもと、アップルは「そこそこいい」ものであっても「偉大な製品」でなければ却下することを激しく自分たちに課している。

謙虚さと内省の重要さ「ピクサー流 創造するちから」

ピクサーの創業者&社長のエド・キャットムルがピクサーをいかにして成功に導き「続けている」かについて語った作品。ピクサーの成り立ちから途中のスティーブ・ジョブズがオーナーの時代、そしてディズニー買収後のディズニーのアニメーション部門の立て直しなどが描かれています。

要点は二つかなと思っていて

・とにかく優秀な人間を集めて、相乗効果が出るチームを築くこと
・隠されている罠に気づくような内省的な仕掛けを作ること

これは言うのは簡単ですが実行するのは難しいです。しかし、ピクサーはこれを非常にうまくやっており、施策もこれでもかというくらいあげられており、非常に勉強になります。

特筆すべきはエド・キャットムル自身が繰り返し謙虚さや内省について語っていることです。

チーフたちは、不満を持っていたにもかかわらず、歴史をつくっているという実感はあり、ジョンを才能あるリーダーだと認めていた。『トイ・ストーリー』は、取り組む意味のあるプロジェクトだった。仕事が好きだからこそ、その中での腹立たしいことも我慢できた。私にとって目からウロコだった。よいことが悪いことを隠していたのだ。今後気をつけなければならないことだと認識した。よい状況にもたいていマイナス面が共存しているものだが、実際にそれに気づく人がいても、クレーマーのレッテルを貼られることを恐れて言い控えてしまう。また、こういうことは放置すると悪化し、ピクサーを崩壊させかねないとも思った。

社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自信がある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。

会社がうまくいっているときは、リーダーが抜け目のない決断を下した結果だと考えるのは自然なことだ。そのようなリーダーたちは、会社を繁栄させるカギを見つけたとさえ信じるようになる。実際には、偶発性や幸運が果たした役割が大きい。

リーダーの本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。

こんな形です。結局のところ持続的な成功は、経営陣がどれだけ謙虚さを保ち内省し続けるかにかかっていると思いました。

<抜粋>
・私がとくに重視しているのが、不確実性や不安定性、率直さの欠如、そして目に見えないものに対処するメカニズムだ。私は、自分にはわからないことがあることを認め、そのための余白を持っているマネージャーこそ優れたマネージャーだと思っている。それは、謙虚さが美徳だからというわけでなく、そうした認識を持たない限り、本当にはっとするようなブレークスルーは起きないからだ。
・スティーブは正しかった。ピクサー初の映画が興行収入成績を打ち立て、我々の夢が実現しようとしていたとき、IPOによって1億4000万ドル近い金額が調達できた。1995年で最大のIPOだった。それから数カ月後、まるでキューの合図とともにアイズナーから電話があり、契約を見直してピクサーとの提携関係を結びたいと言ってきた。そしてスティーブの折半という条件をのんだ。スティーブの言ったとおりになり、私は感嘆した。その確信と遂行力は見事としか言いようがない。
・チーフたちは、不満を持っていたにもかかわらず、歴史をつくっているという実感はあり、ジョンを才能あるリーダーだと認めていた。『トイ・ストーリー』は、取り組む意味のあるプロジェクトだった。仕事が好きだからこそ、その中での腹立たしいことも我慢できた。私にとって目からウロコだった。よいことが悪いことを隠していたのだ。今後気をつけなければならないことだと認識した。よい状況にもたいていマイナス面が共存しているものだが、実際にそれに気づく人がいても、クレーマーのレッテルを貼られることを恐れて言い控えてしまう。また、こういうことは放置すると悪化し、ピクサーを崩壊させかねないとも思った。
・アイデアをきちんとかたちにするには、第一にいいチームを用意する必要がある。優秀な人材が必要だと言うのは簡単だし、実際に必要なのだが、本当に重要なのはそうした人同士の相互作用だ。どんなに頭のいい人たちでも相性が悪ければ無能なチームになる。したがって、チームを構成する個人の才能ではなく、チームとしてのパフォーマンスに注目したほうがいい。メンバーがお互いを保管し合うのがよいチームだ。当たり前のように聞こえるかもしれないが、私の経験から言って、けっして当たり前ではない、重要な原則がある。いいアイデアよりも、適切な人材と適切な化学反応を得ることのほうが重要なのだ。
・社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自信がある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。
監督がクルーからの信頼を失ったら介入する、それが判断基準だ。一本のピクサー映画に関わる300人あまりのスタッフは、物語が独り立ちするまでに発生する途方もない調整や変更に慣れている。
・会社がうまくいっているときは、リーダーが抜け目のない決断を下した結果だと考えるのは自然なことだ。そのようなリーダーたちは、会社を繁栄させるカギを見つけたとさえ信じるようになる。実際には、偶発性や幸運が果たした役割が大きい。
・彼らには経営能力と壮大な野心があり、本人は判断をまちがえたとも自分を尊大だとも思っていなかった。それでも勘違いは生まれる。頭脳明晰なリーダーでさえ、成功し続けるために必要な何かを見失う。私はこう思った。自らの視野の限界を知り、うまくつき合わなければ、ピクサーもいずれ同じ勘違いをするようになると、“隠れしもの”と私が呼ぶものに対処する必要があった。
「見えないものを解き明かし、その本質を理解しようとしない人は、リーダーとして失格である」
・リーダーの本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。
・反省会の「予定」が反省を促す
反省会の準備に費やす時間は、反省会そのものと同じくらい価値がある。言い換えれば、反省会が予定されることで自省を強いられる。反省会がオープンに問題と格闘する場だとすると、プレ反省会は、格闘を成功させる舞台づくりをする期間だ。反省会を行う価値の九割方は、それに至るまでの準備にかかっていると言っても過言ではない。
・どれほど促しても、出席者はあからさまな批評をしたがらない、ということを忘れてはならない。その壁を取り除くために私がとった方法は、出席者に二つのリストをつくらせることだった。一つは、次回もやろうと思っていることトップ5、もう一つは、二度とやらないと思っていることトップ5だ。否定的なことが相殺するため率直な意見を言いやすい。進行役にバランスをとるように頼んでもいい。
・PUはけっしてプログラマーをアーティストに、アーティストをベリーダンサーにするためにやっているのではない。誰もが新しいことを学び続けることの大切さに気づいてもらいたくてやっている。それもまた柔軟性を維持するための重要な部分だ。やったことのないことにあえて挑戦することで、頭を柔らかく保つ。それがPUがもたらすメリットであり、人を強くしていると思う。
・最終的に、4000通のメールがノーツ・デーの投書箱に届いた。全部で1000種類のアイデアがあった。
・ミスを防げば、ミスに対処する必要がなくなるという幻想に陥ってはならない。実際には、ミスを防ぐためのコストのほうが、ミスに対処するコストよりはるかに高くつく場合が多い。
リスクを回避することはマネージャーの仕事ではない。リスクを冒しても大丈夫なようにすることがマネージャーの仕事である。

元祖技術ベンチャーに学ぶ「本田宗一郎 夢を力に―私の履歴書」

インターネット関連の日本企業で世界で大成功した例というのはないわけなのですが、過去を振り返れば、自動車、電機、ゲームなどで世界的ブランドとなった日本企業は多々あります。最近はそういった会社がどのように海外で成功してきたかに興味があります。

ホンダはその一例であり、トヨタに比べれば会社が小さな時代から東南アジアでなくアメリカに進出し成功した点や、強力な創業者に率いられた技術ベンチャーである点などから非常に参考になるのではないかと思っています。

抜粋コメント形式で、勉強になった部分をあげておきます。

二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。

若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。

本田宗一郎は藤沢武夫と組んでホンダを世界的企業に育てたのですが、実はその前から東海精機という会社はかなりの成功を収めており経営者としての素地はありました。戦後にトヨタに売りしばらくフラフラした後に作ったのがホンダでした。当時39歳。僕は二社目作ったのが35歳なのでまだまだ時間はありそうです。

二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。

どのように経営していたのか結構謎ですが、この後4人の後継者にあっさりと後を譲りかつそれが成功していることから、早い段階から世界的に相当な分業体制ができあがっていたのだろうと推測します。世界的な企業になるにはこれくらいの分業体制でないといけないのかもしれません。

技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。

技術があるという前提では、確かに「気づく」の重要さは軽視されているように思います。逆に優れた技術者とは「気づく」のがうまいとも言えると思います。

ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

インターネット・サービスでも使ってみて「おお!」と意表をつく体験があるサービスこそが広まってきたと思います。意表をつくサービスを作っていきたいです。

<抜粋>
・二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。
・若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。
・事業主としてのこの間の生活は遊びどころでなく、非常に苦しい日々が続いた。だがピストンリングの製作に成功すればどうにかなるという前途に期待をかけ、みんな励まし合ってこの苦しさと戦った。 どうにか物になるピストンリングの製作に成功したのは昭和十二年(1937年)十一月二十日だった。製作にとりかかってからすでに九か月すぎていた。大勢の工員をかかえ製品なしの辛苦の九か月間だった。
・戦時中トヨタの資本が四十%はいり資本金百二十万円の会社に成長してピストンリングの生産は本格化した。そのときトヨタから取締役としてはいって来たのが石田退三さん(トヨタ自工会長)だった。
東海精機の株主であるトヨタからはトヨタの部品を作ったらという話があったが、私は断然断って私の持ち株全部をトヨタに売り渡し身を引いてしまった。戦時中だったから小じゅうと的なトヨタの言うことを聞いていたが、戦争が終わったのだからこんどは自分の個性をのばした好き勝手なことをやりたいと思ったからである。
私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか一%にすぎないということも言っておきたい。九九%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。
・「どうにも納得できないということで、僕も暴れたわけで。特振法とは何事だ。おれにはやる権利がある。既存のメーカーだけで自動車をつくって、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を永久に大きいと誰が断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え、と怒ったのです。うちは株主の会社であり、政府の命令で、おれは動かない
・「強力な創業者がいて、しかもその人が技術的にトップに立っている。加えて、過去にどえらい成功体験を持っている。そういうリーダーがいるということは、行く所まで行ってしまわないと、途中で止めるということはとてもできない企業体質だった」(注:技術研究所所長杉浦英男)
・二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。
「資本主義の牙城、世界経済の中心であるアメリカで成功すれば、これは世界に広がる。逆にアメリカで成功しないような商品では、国際商品になりえない。やっぱりアメリカをやろう」
「実はシビックが発売四年目で大ヒットしたので、鈴鹿製作所に増産のための第二ラインを新設することを一度取締役会で決定した。しかし、社長だった僕はどうにも乗り気になれない。この計画を実行すると、トヨタと全面戦争になる。それは得策じゃない。当時のホンダとトヨタでは、十両にも上がっていない力士が横綱に挑むようなものだった」と決断した河島は「それならいっそ、アメリカに工場を造ろうじゃないか」と川島、西田の両副社長に提案した。
・技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。
・ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

Google文化がいかにしてできたか「How Google Works」

グーグル前CEOのエリック・シュミットと、前プロダクト担当SVPジョナサン・ローゼンバーグによるGoogleの仕事の進め方。今はGoogle出身者も増えてきてGoogle的経営を取り入れたりその話も表に出てきていますが、それでもどのようにGoogleという特異なベンチャーが生まれ育ってきたかをまとめた本書はすごく刺激的で勉強になりました。

ただ、これらは創業者の二人含めた経営陣が(に限らずGoogleのひとびとも)時に失敗もしながらいろいろと試行錯誤して見つけてきた新しいやり方であって一朝一夕にできたものではありません。僕も経営者として、参考にしながらも、自分たち独自のやり方を見つけていかなければならないなと思いました。

最近思っているのは、普通のやり方をしていたら普通の結果しか出ないということです。

本当にスゴいことをやりたければ、常識に逆らったやり方をしなければならない。これを肝に銘じて「最高のプロダクト」を作ることを目指していきたいと思います。

<抜粋>
・競合の脅威に対抗するための先述もいくつか挙げていたが、基本的にマイクロソフトに立ち向かうには最高のプロダクトを作るしかない。
・「企業は何か価値のあることをするために存在する。社会に寄与する存在だ。(中略)まわりを見ると、いまだにカネ以外に興味のない人間もいるが、根本的な意欲というのはもっと別のこと、すなわちプロダクトをつくり、サービスを提供するなど、一般的に何か価値のあることをしたいという欲求から生まれるものなのだ」(注:デビッド・パッカード)
(注:上場時)創業者たちは短期利益の最大化や自社株に対する市場の評価などは一切気にしなかったのだ。会社のユニークな価値観を未来の従業員やパートナーに示すことのほうが、長期的成功にははるかに重要であることを知っていたからだ。いまでは10年も前の株式公開の難解な仕組みなど忘却の彼方だが、「長期的目標に集中する」「エンドユーザの役に立つ」「邪悪にならない」「世界をより良い場所にする」といったフレーズは、いまも会社のあり方をよく言い表している。
私たちがオフィスに投資するのは、社員に自宅からではなく、オフィスで働いてもらおうと考えているからだ。通常の勤務時間内に自宅から遠隔勤務をすることは、先進的経営の証であるかのように思われることも多いが、問題もある。ジョナサンがよく言うことだが、会社全体に広がると職場から生気が失われるリスクがあるのだ。
・彼らにとって「異議を唱える義務」を重んじる文化は、背中を押してくれるものだ。だが、反対意見を述べること、とくに人前でそうすることが苦手な人もいる。だから異議を唱えることを「任意」ではなく「義務」にする必要があるのだ。
目安として、CEOがスタッフ・ミーティングを開くときには出席者の少なくとも50%を、プロダクトやサービスのエキスパートとしてプロダクト開発に責任を負っている人たちにしたい。
ではなぜ、採用を担当者だけに任せるのだろう? 全員がそのスゴイ知り合いを連れてくるべきではないか? 常にずばぬけて優秀な人材が集まってくる、優れた採用文化を醸成する第一歩は、候補者を発掘するうえで採用担当者が果たす役割を正しく理解することだ。ポイントは、候補者の発掘は採用担当者の独占的業務ではない、ということだ。(中略)人材を探すのは全社員の仕事であり、この認識を会社に浸透させる必要がある。採用担当には採用プロセスの管理を任せるが、採用活動には全員を動員すべきだ。
・面接の上限を「五」という魅惑的な素数(少なくともコンピュータ科学者にとっては)に設定した。
・だからといって新規採用者に言い値を払ってはいけない。報酬カーブは低いところから始めるべきだ。(中略)ただし、彼らが入社後、抜群の働きをするようになったら、それにふさわしい報酬を払おう。インパクトが大きい人材ほど、報酬は大きくすべきだ。
インターネットの世紀で最も重要なのは、プロダクトの優位性だ。だから当然、最も手厚い報酬を受け取るべきは、最高のプロダクトやイノベーションの近くにいる人々だ。つまり画期的なプロダクトや機能の開発に貢献した人材には、たとえ駆け出しの平社員であっても莫大な見返りで報いる必要がある。職位や入社年次にかかわらず、ずばぬけた人材にはずばぬけた報酬を払おう。重要なのは、どれだけのインパクトを生み出すかだ。
・大多数は、中国の現体制は持続不可能なのでいずれ政府の行動は変わり、グーグルに再参入のチャンスが来るはずだというセルゲイの意見に賛成した。
すべての社員が四半期ごとに、自らのOKRを更新してイントラネットで公開することになっており、他の同僚がどんな仕事をしているかが簡単にわかる。
・アイデアを思いつくのは割と簡単で、それより何人かの同僚にプロジェクトに賛同してもらい、自分だけでなく彼らの勤務時間の20%を投じてもらうほうがずっと難しい。

PayPal創業者による起業講義「ゼロ・トゥ・ワン」

PayPal創業者であり、Facebook、LinkedIn、Yelpなどの初期投資家でもあるピーター・ティールの主に起業についての著作。非常に深く、示唆に富んでいて面白かったです。正直言って、まだ咀嚼できてない部分もありますが、いくつか抜粋コメントしてみます。

ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ

これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。

これは本当にそうで、グローバリゼーションは不可避なのは確か。しかし、その結果がどうなるかについてはテクノロジーの進歩によって決まると。これを忘れないでテクノロジーをどう進化させて、何をするかを考えていく必要があります。

未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。

彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。

ここでいう計画とは、こうなるはずだという強い意思のもとに物事を推進することです。確かに成功者は計画をもって「分からない」人には見えなかった未来を築いてきています。僕もこうなるであろう未来に計画的に近づいていっているつもりです。

時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。

過去の経験からしてもある瞬間の決断がそれ前後の数年間で一番重要です。しかし、今がその瞬間なのかは分からないことが多い。だから常に今がどれだけ重要な瞬間かを考えて緩急をつけながらも、基本的にはベストを尽くすしかないと思ってます。

自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?

人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?

はっとしたのですが、自然についての真実を探すのは天才の仕事ですが、人間についての真実はむしろ普通のひとの方が気付くことが多い(なぜなら普通の感覚を持っているから)。自然の真実、人間の真実と考えることで、普通のひとにもチャンスがあるという意味で世の中はなんて公平なんだと思いました。

<抜粋>
・ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ
・これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。
経済理論が完全競争の均衡状態を理想とするのは、モデル化が簡単だからであって、それがビジネスにとって最善だからじゃない。
競争は価値の証しではなく破壊的な力だとわかるだけでも、君はほとんどの人よりまともになれる。
・彼らの謙虚さはおそらく戦略的なものだ。連続起業家が世に存在するということは、成功が単なる運とも言い切れない。(中略)成功がほぼ運によるものだとしたら、こうした連続起業家はおそらく存在しないはずだ。
・未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。
・彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。
・盤石な計画を持つ意思の固い創業者にとってはどんな価格でも低すぎるので、会社を売却することはない。
未来をランダムだと見る世界では、明確な計画のある企業はかならず過小評価されるのだ。
起業は、君が確実にコントロールできる、何よりも大きな試みだ。起業家は人生の手綱を握るだけでなく、小さくても大切な世界の一部を支配することができる。それは、「偶然」という不公平な暴君を拒絶することから始まる。人生は宝クジじゃない。
・重要なのは「何をするか」だ。自分の得意なことにあくまでも集中するべきだし、その前に、それが将来価値を持つかどうかを真剣に考えた方がいい。
べき乗則のもとでは、企業間の違いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。
・あえて起業するなら、かならずべき乗則を心にとめて経営しなければならない。いちばん大切なのは、「ひとつもことが他のすべてに勝る」ということだ。
・時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。
・隠れた真実の存在を信じ、それを探さなければ、目の前にあるチャンスに気づくことはできない。フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過小評価されるのは、それがあまりに単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏づけている。振り返ればごく当たり前に見える洞察が、重要で価値ある企業を支えているのだとすれば、偉大な企業が生まれる余地はまだたくさんある。
・自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?
・人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?
・競争は資本主義の対極にある。
優秀な起業家は、外の人が知らない真実の周りに偉大な企業が築かれることを知っている。偉大な企業とは世界を変える陰謀だーー隠れた真実を打ち明ける相手は、陰謀の共謀者になる。
・コンサルタントを雇っても無駄だ。パートタイムの社員もうまくいかない。遠隔地勤務も避けるべきだ。仲間が毎日同じ場所で四六時中一緒に働いていなければ、不一致が生まれやすくなる。君が誰かを雇うなら、フルタイムか、雇わないかの二者択一でなければならない。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(下)」

上巻から続きます

本書の収奪的・包括的という定義が曖昧なのは確かだと思います。江戸時代は収奪的政治制度ではあったが、後の維新を起こす程度には経済的繁栄をしていたのも確かであるし、二元論的な部分は否めないと思います。

この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。

とはいえ、全体として収奪的政治制度の腐敗がエスカレートしやすいというのも事実だし、包括的政治制度がさまざまなステークスホルダーがいることで、一方的な収奪的経済制度になりにくいのは確かで、政治と経済の関係に新しい視点を持ち込んだという点で非常に意義深い著作だと思います。

僕は長年リバタリアンなのですが、本書を読むと、政治制度が経済的繁栄に非常に大きな影響力を持っていることがよく分かって、少し考えなければならないなと思いました。

日本は現在、包括的な政治制度を持ち、それにより包括的な経済制度を持っているため、あまり政治の重要性について考えてきませんでした。世の中では財産権や下手すると法の下の平等すら持っていない国もたくさん存在します。そしてそれが決定的に経済的繁栄を阻んでいるということがよく分かりました。

1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。

では日本はどうでしょうか。民主主義では多くのことが決められなくなっているし、国家が機能しなくなっているのは先進国全般でよく言われています。しかし、この収奪的政治制度と包括的政治制度という関係性で言えば、確かに日本では高齢層が若年層を収奪したり、特定の利益団体が収奪している部分は多少あるにせよ、どこかが権力を掌握し一方的に収奪しているわけではなく、また今後もそうなる可能性は低そうです。

現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。

しかし成長戦略を描くという意味で言うと、様々な利益団体のロビイングから来る足の引っ張り合いからなかなか方向性を保ちづらい。一方で、この状態は戦前の日本やナチス時代のドイツを考えると、揺り戻しがあって特定グループが収奪的制度を打ち立てるよりはましと考えることができそうです。

大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。

よって、個人的には依然としてリバタリアンで構わないが、政治の決定的な岐路に立たされた場合は政治に関与すること、もしくは国外に出ることを検討する必要がありそうです。

<抜粋>
・こうした奴隷貿易が行われていたため、あらゆる刑罰が奴隷にされることに変わっている。こうした断罪には利点があった。犯罪者を売って利益を手にしようと、人々が鵜の目鷹の目で犯罪を見つけようとするからだ。
アフリカが産業革命の入り口にいないことは確かだったが、真の変化は進行していた。土地の私的所有によって部族長の力は弱まり、新しい人々が土地を買って富を築けるようになった。ほんの数十年前には考えられなかったことだ。このことからわかるのは、収奪的制度と絶対主義的な支配体制が弱体化すれば、あっというまに新たな経済的活力が湧いてくるということだ。
フランス革命の指導者とその後に続いたナポレオンは、こうした地域に革命を輸出することによって、絶対主義を破壊し、封建的な土地関係を終わらせ、ギルドを廃止し、法の下の平等を強いた。(中略)フランス革命はこうして、フランスだけでなくヨーロッパのほかの地域に、包括的制度とそれが促進する経済成長に向けて準備をさせたのだ。
・当初に何度か敗北を喫したあとで、新フランス共和国軍は初期の防衛戦で勝利を収めた。軍の組織について克服しなければならない深刻な問題はあったものの、フランスはある重要なイノヴェーションで他国に先んじていた。すなわち、徴兵制である。1793年8月に導入されたこの制度のおかげで、フランスは大規模な軍隊を編成できたし、ナポレオンの名高い軍術が登場する前においてさえ、最強と言ってもよいような軍事的優位性を確立できたのだ。
・19世紀半ばには、フランスの支配下にあったほぼあらゆる地域で工業化が急速に進展したのに対し、フランスに征服されなかったオーストリア・ハンガリー帝国やロシア、フランスの支配が一時的で限定的だったポーランドやスペインなどでは、概して停滞したのである。
・歴史的視点から考えてみると、法の支配はかなり奇妙な概念である。法がすべての人に等しく適用されねばならないのは、なぜだろうか? 王や貴族が政治権力を持ち、それ以外の人が持たないのであれば、何であれ王や貴族にとって許されることが、それ以外の人には禁止され処罰の対象となるのは至極当然だ。実際、絶対主義的な政治制度のもとでは法の支配など考えられない。それは、多元的な政治制度とそうした多元性を支える広範な連合から生み出されるものなのだ。
包括的な政治制度のおかげで自由なメディアが栄えると、今度は自由なメディアのおかげで包括的な経済制度や政治制度に対する脅威が広く知らしめられ、阻止されるケースが多くなる。
・国際社会は、植民地独立後のアフリカが、国家計画の推進と民間セクターの開拓によって経済成長を実現するものと思っていた。しかしそこには民間セクターなどなかったーー農村地域を除いては。農村地域は新しい政府に代表を派遣できなかったため、真っ先に餌食となったのだ。いちばん大事なことは、こうした例の大半で、権力にしがみついていれば莫大な利益が得られたということだろう。
・この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。
・現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。
・2001年12月1日、政府はあらゆる銀行預金口座をまずは90日間、凍結した。週単位で少額の現金の引き出しが許されただけだった。引出限度額は当初、まだ250ドルに相当した250ペソで、後に300ペソになった。だが、引き出しが許されたのはペソ預金だけだった。ドル預金口座からの引き出しは、ドルのペソへの交換に同意しない限り誰にも許されなかった。
・翌年1月、ついに切り下げが実施され、もはや1ペソは1ドルではなく、まもなく4ペソが1ドルとなった。ドルで預金するべきだと考えた人の正しさが、これで証明されるはずだった。ところが、そうはならなかった。政府が銀行のドル預金をすべて強制的にペソに換えたものの、交換レートを旧来の一対一としたからだ。(中略)政府が国民の預金の4分の3を取り上げたのだ。
2009年11月、北朝鮮政府は経済学者が言うところの通貨改革を実施した。何人も10万ウォンを超える金額の交換はできないと、政府が発表した。ただし、上限額はその後、50万ウォンに緩和された。10万ウォンは闇市場の為替レートではおよそ40ドルだった。北朝鮮政府は国民の私有資産のかなりの部分を一気に消し去った。
・肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。
いくつかの歴史的転換点がなければ、西欧諸国がいち早く台頭して世界を征服することはありえなかった。こうした転換点となったのは以下のような要因だった。封建制度が独自の道筋をたどって奴隷制度に取って代わり、やがて君主の権力を弱めるに至ったこと、西暦1000年代に入ってから数世紀間に、ヨーロッパで商業上の自治を保つ独立した都市が発展したこと。明朝の中国皇帝とは異なり、ヨーロッパの君主が海外貿易を脅威と受け取らず、その結果、妨げようとしなかったこと、封建秩序の基礎を揺るがしたペストの到来。そうした出来事が違う展開をしていれば、私達がこんにち住むのは現在の世界とはかけ離れた世界、ペルーが西欧や合衆国より豊かな世界だったかもしれない。
・1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。
・ドイツも日本も、20世紀前半には世界でも指折りの豊かな工業国であり、国民の教育水準は比較的高かった。それでも、国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の台頭や、日本の軍国主義体制が戦争を通じたろう度拡大に熱中するのを妨げず、政治面でも経済面でも、収奪的制度に急転回することになった。
市場の失敗を減らし経済成長を促す政策を採択するうえでの最大の障害は政治家の無知ではなく、その社会の政治・経済制度から生じるインセンティヴと規制だという事実だ。それにもかかわらず、無知説は欧米の政策立案者のあいだで幅を利かせ、彼らはほかの方法はそっちのけで繁栄をいかに設計するかにもっぱら関心を寄せている。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(上)」

今まで数々の人々が何が国家の繁栄と没落を決めるのかという説を唱えてきています。

暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。

(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。

マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。

本書は、ジェフリー・サックスやジャレド・ダイアモンド、マックス・ウェーバーなどの説を真っ向から否定し、収奪的社会と包括的社会という観点から、すべてを捉え直す意欲作です。

大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である

要するに、「ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度」ということになり、またその収奪的制度と包括的制度、それぞれの強いフィードバック効果から双方への移行が非常に難しいとしています。

肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。

一方で、第二次世界大戦後のソ連など一時的に急速な経済的成長をしたとしても収奪的制度下では持続的成長ができないとし、例えば現在の中国がまさにそれに当たるとして、包括的政治制度に移行しなければ成長は持続できないと主張しています。

紹介だけで長くなってしまったので、下巻の方でこれらについて考えてみたいと思います。

<抜粋>
・カルロス・スリムを現在の姿にした経済制度は、合衆国のそれとは大きく異なっている。あなたがメキシコの起業家だとすれば、キャリアのあらゆるステージで参入障壁がきわめて重要な役割を演じるはずだ。
・スリムがメキシコ経済において財を築いたのは、もっぱら政治的なコネのおかげだった。彼が合衆国に進出して成功したことはないのだ。1999年、スリム参加のグルポ・コルソはコンピューター小売企業のコンプUSAを買収した。(中略)「この評決のメッセージは、このグローバル経済において、企業が合衆国に来たければ合衆国のルールを尊重しなければならないということです」
こうした起業家は最初から、自分たちの夢のプロジェクトが実行可能であることを確信していた。制度とそれが生み出す法の支配を信頼していたし、財産権の安全を心配していなかった。最後に、政治制度によって安定性と継続性が保証されていた。
・本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。
・暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。
・気候や病気、あるいはなんらかの地理説によって、世界の不平等を説明することはできない。ノガレスを考えてみるといい。二つのノガレスを分かつのは、気候、地理、病気などにかかわる環境ではない。そうではなく、合衆国とメキシコの国境なのだ。
・(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。
・ダイヤモンド自身も指摘するように、中国とインドはきわめて豊富な動植物群に恵まれていたし、ユーラシア大陸の指向性も大いなる味方だった。ところがこんにち、世界の貧しい人々の大半がこの二つの国で暮らしているのである。
・二つのノガレスを、あるいは北朝鮮と韓国を分断する文化的相違は、反映の違いの原因ではなく、むしろ帰結なのである。
・マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。
われわれはこう主張する。世界の不平等を理解するには、一部の社会がきわめて非効率かつ望ましくない仕方で構築されるのはなぜかを理解しなければならない、と。
・大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である。
政治とは、社会がみずからを統治するルールを運ぶプロセスである。
・絶頂期のソ連のように、中国は急成長を遂げているが、依然として収奪的な制度、国家の支配のもとでの成長であり、包括的な政治制度への移行の兆しはほとんど見られない。
・収奪的な制度がなんらかの成長を生み出せるとしても、持続的な経済成長を生み出すことは通常ないし、創造的破壊を伴うような成長を生み出すことは決してない。
産業革命が名誉革命の数十年後にイングランドで始まったのは偶然ではない。(中略)偉大な発明家は、自分のアイデアから生じた経済的機会をとらえることができたし、自分の財産権が守られることを確信していた。また、自分のイノヴェーションの成果を売ったり使わせたりすることで利益をあげられる市場を利用できた。
こうした決定的な岐路が重要なのは、収奪的な政治制度と経済制度が協働し、相互に支え合う結果、着実な改革を強く阻害するからだ。このフィードバック・ループのしつこさが悪循環を引き起こす。
・(ソ連において)1928年から1960年にかけて、国民所得は年に6パーセント成長した。これは、それまでの歴史においておそらく最もめざましい経済成長だったはずだ。この急速な経済成長を実現したのは、技術的変化ではなかった。そうではなく、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の親切による資本蓄積だったのだ。
成長はきわめて早かったため、リンカーン・ステフェンズのみならず、数世代にわたる欧米人がだまされた。合衆国のCIAもだまされた。ソ連自身の指導者すらだまされた。
・1940年代までに、ソ連の指導者たちはこれらの無意味なインセンティヴをはっきりと認識していたーー彼らはを賛美する西側の人々は別として、ソ連の指導者たちは、そうしたインセンティヴが生じる原因は技術的問題であり、解決可能であるかのように行動した。
・成長は政府の指揮によるものであり、おかげで一部の基本的な経済問題は解決された。しかし、持続的な経済成長を促すには、個々人が才能やアイデアを活用する必要があったのに、ソ連式の経済制度を捨てなければならなかったはずだが、そんなことをすれば自分たちの政治権力を危険にさらすことになっただろう。実際、1987年以降にミハイル・ゴルバチョフが収奪的な経済制度からの脱却をはじめると、共産党は力を失い、それと同時にソ連は崩壊したのである。
・大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。
・ローマは共和国期に堂々たる帝国を築き上げ、遠距離の貿易や輸送を盛んに行なったにもかかわらず、ローマ経済の大半は収奪を基盤としていた。共和国から帝国への移行は収奪の比重を増し、最終的には、マヤ族の都市国家に見られたような内紛、政情不安、崩壊を招いたのである。
ローマの成長が持続する可能性はなかった。包括的な面と収奪的な面を併せもつ制度のもとで起こったからだ。ローマ市民は政治的・経済的権利を手にしていたが、奴隷制は広く普及し、きわめて収奪的だった。そして、元老院議員階級のエリートが政治と経済を牛耳っていた。
・きわめて絶対主義的なオスマン帝国の制度を考えれば、スルタンが印刷機に敵意を抱いていたのも理解できる。書物を通じてさまざまな考え方が広まれば、民衆を支配するのがずっと難しくなる。
・第二に、(オーストラリア・ハンガリー帝国の)フランツは鉄道の敷設に反対した。鉄道は産業革命とともに出現した重要な新技術の一つだった。北部鉄道の建設計画を提示されたとき、彼はこう言った。「いかん、いかん、鉄道などごめんだ。革命がこの国に入り込んでくるかもしれないではないか」
・(中国では)この禁止令は18世紀になっても定期的に出され、海外交易の芽を効果的に摘み取った。なかには交易を発展させた者もいた。だが、皇帝の気がいつなんどき変わって交易を禁じられるかわからず、船、設備、交易関係に投資したところで無駄どころかもっとひどいことになるかもしれないというのに、わざわざ投資しようという者はほとんどいなかった。

与えるひとが成功する理由「GIVE & TAKE」

全米No.1のビジネススクール「ペンシルベニア大学ウォートン校」の史上最年少終身教授著。

ひとを「ギバー(人に惜しみなく与える人)」「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」「マッチャー(損得のバランスを考える人)」に分けて、もっとも成功するのはどれかという議論を展開しています。

販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。

結論、意外なことにギバーなのだが、逆にギバーは「与えすぎてしまい」成功できないことも多く、その違いなどについて詳細な解説を加えています。

着眼点は非常におもしろいのですが、それらを分ける定義がまずはっきりしないし、挙げられている事例も後付け感が否めません。

ではなぜ取り上げたのかという話なのですが、本質的にはネットの時代にギバーのよい評判がより広まりやすくなり、テイカーはその逆となるため、今後ギバーの考え方や行動が非常に重要になってくるだろうという直感はおそらく正しいと思ったためです。

数々のストーリーは非常におもしろくて、身に包まされることもあり、僕は普段何気なくしていると特に交渉などの際テイカー的側面がもたげてしまうので、もっともっと相手の立場にたって何かできることはないかと常に与えることを意識していきたいと思いました。

<抜粋>
・販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。
・電話もなければ、インターネットも高速の交通機関もない時代には、マラソンにはかなりの時間がかかった。人間関係と個人の評判を築くのは気の長い話だった。「昔は、手紙は出せても、そのことに誰も気づかなかった」とコンリーはいう。今日のような密接に結びついた社会では、人間関係や個人の評判は人目につきやすく、ギバーはペースを加速することができるとコンリーは考えている。
・ベンチャーキャピタルはそれまで、中身の見えないブラックボックスだった。そこでホーニックは、起業家たちをなかに招き入れることにしたのだ。情報をウェブ上に公開して共有し、ベンチャーキャピタリストの考えをより深く理解してもらうことで、起業家がもっとうまく売り込めるよう手助けをはじめた。
・告発によれば、レイはエンロンが破綻する直前に7000万ドル(約70億円)以上の株式を売却し、沈みかけた船から財宝を盗みとったという。
テイカーは部下に対しては支配的になるが、上司に対しては驚くほど従順で、うやうやしい態度をとる。有力者と接するとき、テイカーはまさにペテン師になる。
・年をとればとるほど、休眠状態のつながりはますます増えていき、また、さらに貴重なものになっていく。
テイカーはユニークなアイデアを生み出し、反論をものともせず、それらを擁護するコツを心得ている。自分の意見に絶対的な自信をもっているため、普通の人なら想像力を抑え込まれてしまう「社会的な承認」に縛られることがないからである。
・ある調査で、ミネソタ大学の研究者ユージーン・キムとテリーザ・グラムは、非常に才能のある人は他人に嫉妬されやすく、嫌われたり、うらまれたり、仲間はずれにされたり、陰で中傷されたりすることを発見した。ただし、これがギバーであれば、もはや攻撃されることはない。それよりむしろ、ギバーはグループに貢献するので感謝される。同僚が嫌がる仕事を引き受けることで、マイヤーは妬みを買うことなく、そのウェットとユーモアで仲間をアッといわせることができたのだ。
・実際、それぞれのカップルに夫婦関係への具体的な貢献度合いをあげてもらうと、自分がしたことは11個思いつけたのに、相手のしてくれたことは8個しか思いつかなかった。
・成績のよくない生徒や、差別を受けているマイノリティグループの生徒の成績と知能検査のスコアを向上させるには、教師が生徒に対し期待を抱くことがとりわけ重要だということなのだ。
・すべての業種において、マネジャーが無作為に従業員をブルーマーに指定すると、その従業員は才能を開花させた。これを利用すれば「仕事の成果にかなり大きな影響をおよぼすことができる」とマクナットは考えている。そこで、マネジャーたちにこうすすめている。 「従業員の可能性を心から信じ、支援の手を差し伸べ、可能性を信じていることを常日頃から伝えていれば、やる気が出ていっそう努力するようになり、その可能性を発揮できるようになるのです」
ギバーは同僚と会社を守ることを第一に考えるので、進んで失敗を認め、柔軟に意思決定しようとする。ほかの研究によれば、人は自分よりも他人のために選択するとき、より的確で創造的な決断が下せるという。自分を中心に考えると、エゴを守ろうとすることによって決断が歪められるだけでなく、考えうるあらゆる局面に適した選択をしようと悩むことになる。
・調査では、私が「新しいコンピュータを買うご予定がありますか」と尋ねると、その人が六ヶ月以内に新しいコンピュータを買う可能性が、18パーセント高まることがわかっている。
・ギバーはゆるい話し方をすることで、相手に「あなたの利益を一番に考えていますよ」というメッセージを伝えている。だが、控えめに話さないほうがいい立場が一つだけある。それは、リーダーシップを担っている場合だ。
・(注:ハンツマン)「これまでの人生で、経済的にもっとも満足のいく瞬間は、大きな契約を結んで舞い上がったことでも、そこから利益をものにしたことでもない。それは、困っている人を助けられたことである。与えれば与えるほど、ますます気分がよくなる。気分がよくなればなるほど、ますます与えることが容易になっていくのだ」
・ほかの人の代理人として振る舞うことは、ギバーとしての自己イメージと社会的イメージを保つための効果的な方法なのだ。
・クレイグズリストのようなシステムは、多くの人間がマッチャーだという事実を利用して、人びとに価値を交換させている。しかし一部の研究者は、むしろフリーサイクルのようなシステムこそ、今後急速に成長するだろうと考えている。

超格差時代を生き抜くヒント「グローバル・スーパーリッチ」

タイトルから受ける印象とは違い、プルトクラート(上位0.1%の超富裕層)やその周辺への綿密なインタビューや豊富な統計データなどを用いて、今世界で何が起こっているかを鮮やかに描き出した良作。

今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。

この流れは止められないのがいたいほど分かったので、どのように生きていくかを考えさせられました。結局、自分が好きで得意なことをやって世の中に価値を生み出していくしかない。先進国においては、誰でもできることはボーダレス化により、どんどん下方圧力がかかってしまいます。

(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」

しかし、いかに成功するかを考えると、実際のところ結構難しい。世の中のランダム性が強くなっているので、ある世界では成功したひとが、ある平行世界では成功しないということがありえてしまう。しかし、一度、強者の世界に突入すれば、ほとんどすべてを勝つ方向に持ってくことができる。だから、まずはひとと違うことをして目立った成果をあげることが重要だと思っています。

経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
(中略)
一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。

とはいえ、僕はあまりこの考えには賛同してなくて、いつでも(何歳でも)チャンスはありえると思っています。だから、常にチャンスを掴むための努力をしていなければならないと思っています。努力をしていなくても運良く成功することはありますが、努力が成功につながらないと僕自身は納得できないので、努力そのものを楽しめるような分野でやっていきたいと思ってます。

P.S.

一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

ちょっと本題と外れますが、まさにFacebookなどに巨額投資したDSTのような新興財閥の動きは非常に注目だと思いました。

<抜粋>
・今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。
・「テクノロジーが変化する速度はかつてないほど速く、それがセクターからセクターへと波及している」と、モーカーは私に語った。「どうやら、これからも指数関数的な速度で広がりつづけるようだ。われわれ一人一人は賢くなりつつあるわけではないが、社会全体は知識をどんどん蓄積している。もみ殻の山をかき分け、小麦の実にたどり着くために、われわれは情報やテクノロジーの助けを借りることができるーー過去のどの社会にもなかったことだ。この点はきわめて大きい
・西洋の第一次金ぴか時代のさなかには、本当にその経済システムがうまくいくかどうか、明確にわかっていたわけではなかった。そのころ、産業革命という「暗い、悪魔のような工場」に触発された急進主義者たちは資本主義に反旗をひるがえした。そして革命に成功すると、血なまぐさい手段によって経済と政治のしくみを再構築することになったのだ。だが今日では、共産主義の実験の果てを見なくとも、資本主義が機能することは明確に証明されている。
・スーパーエリートに含められる人びとは、データギークの台頭はまだ始まったばかりだと考えている。エリオット・シュレイジは、テクノロジー分野において、いわば貴族階級に属している。彼は、シリコンヴァレーでもっとも注目を集めていたころのグーグル社で広報担当重役を務めたあと、巨大企業になりつつあったフェイスブック社に移って同じ業務をこなした。2009年、教育及び出版担当重役を集めた社内会議でシュレイジは、子供たちに勧めるべき学問の分野は何かと質問され、統計学であると即答した。データを理解する能力こそ、21世紀にもっとも大きな力になるという理由だった。
ドルー・フォーストは、ハーヴァード大学の学長として三度目の卒業式のスピーチで、卒業生に「人生の駐車スペース理論」を実行するよう説いた。「目的地の近くには駐車スペースがないだろうと予想して、10ブロックも離れた場所に車をとめてはいけない。まずは行きたい場所に行きなさい。必要があればUターンはいつでもできる」
・経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
・一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。
・(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」
・カッツェンバーグが1991年の覚書で披露したアイデアは、その後の学術研究によって広く裏づけられている。驚いたことに、1999年にエイブラハム・ラヴィードが実施した映画作品200本の経済的側面に関する調査の結果、スターの出演は興行収入にまったく関係ないとわかった。
・(ジョージ・ソロスがホロコーストから逃げ回った経験から)「ときには、生き残るために積極的な努力をすることが必要になる。それは少年時代に体験したことだ。人から教わった部分もあれば、経験してわかった部分もある……。父の経験から知ったのは、通常のルールが通用しなくなったとき、そのルールをかたくなに守りつづければ死ぬということだ。生き残れるかどうかは、通常のルールが通用したいことに気づくかどうかにかかっている……。行動しないことがもっとも危険である場合もある」
ノーベル賞受賞者について調査したロバート・マートンは、適切な仕事を選びとる能力の存在を発見した。その能力は、選んだ仕事をこなす能力そのものと同じほど重要だった。マートンは1968年にこう記している。「彼らのはほとんどは、問題を解決することではなく発見することの重要性に目を向けている。彼らが一様に示しているのは、根本的重要性を有する問題を把握するにあたっての鑑識力、判断力の向上こそが各自の仕事にもっとも大切であるという強い信念である」
・ザッポスでは、多くの部分で「ワオ」が重視されている。コアバリューの一つ目は、サービスを通じて「ワオ」を届けることなのだ。その第一歩としてザッポスは、従業員に、この会社で働くことは特権だと思ってもらえるよう努力している。私は、ヘンダーソンで過ごした二日間のあいだに十数回も、「ハーヴァード大学に入るより、この会社に入るほうが難しい」と聞かされた。社内には「ワオ!」の壁ーーもちろん、どんどん落書きしていいことになっているーーというものがあって、誰かが「大勢の人が私の仕事を見学したいと思ってくれることに、『ワオ』といいたくなる」と書いていた。
・2010年4月、世界一の金持ちであるのはどんな気分かとMITの学生たちに質問されたビル・ゲイツは、たいしたことはないというような意味の返事をした。「いや、限界収益はしだいに少なくなる。私は、ハンバーガーの室と価格の点で、マクドナルド以上の店をまだ知らない」彼はこれまでに、たとえば自家用ジェットでの移動など、すばらしい役得はあったことを認めた。「しかし、数百万ドルを稼いだあとは、それをどう還元するかが大事になる」
・長い目で見れば、この都市の寡頭制にとっても、もっと広範囲なヴェネツィアの繁栄にとっても、<ラ・セッラータ>は終わりの始まりを意味した。1500年、ヴェネツィアの人口は1330年の時点に比べて減っていた。17世紀から18世紀、ヨーロッパの他の国々が発展するにつれ、かつてヨーロッパ一豊かだったこの都市はいっそう衰退していった。
・それを誰に明確にしてもらうかは、きわめて難しい問題だ。政府が、これはいい事業、これは悪い事業というふうに分け隔てし、悪い事業には、たとえば特別に課税するなどの方法で罰を与えれば、違和感を覚える人は多いだろう。それに強力なロビー団体の存在もある……。『これはいい事業、これは悪い事業』と区別するのは、経済学者にすら難しい。進行中の事業であれば、なおさらだ
この200年でもっとも驚くべき政治的事実といえば、マルクスの言うような事態が起こっていなかったことである。ヴェネツィアのエリートとは異なって、西洋の資本家は破壊的想像や新しい参入者との競争を甘んじて受け入れ、より包括的な経済秩序と政治秩序をつくりあげた。その結果、人類史上もっともさかんな経済進歩の時代が出現している。
・一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

20世紀の隠れた大発明を知る「コンテナ物語」

今でこそ当たり前のコンテナ輸送ですが、当然ながら港は昔から一大産業であり(NYだけで10万人以上が携わっていたという)、波止場で港の労働者が荷物の運ぶシーンからコンテナ輸送になるまでには本当に紆余曲折がありました。

海運業者、鉄道、トラック、国家、都市および港間で興味深い事件がたくさん起こっており、最終的に60年代後半〜70年代にかけて劇的に切り替って、それぞれの勢力図が塗り替わっていく様が丁寧に描かれています。

日本のエレクトロニクス・メーカーが躍進したのもまさにコンテナのおかげでした。グローバリゼーションとは何かも考えさせられ、知的好奇心が刺激される良作です。

<抜粋>
・輸送コストが高かった頃は、港や消費者に近い立地が有利であり、そのため製造業は長年にわたりやむなくコストの高い都市周辺に工場を設置していた。だが輸送費が下がると、彼らはさっさと地方に移転する。
・パンアトランティック海運のような内航海運会社は規制でがんじがらめの状況に置かれ、起業家精神を発揮する余地などすこしもない。また、アメリカ船籍の外航船を運航するウォーターマンのような船会社は、海運同盟すなわち運賃カルテルへの加盟を認められている。さらにアメリカ人船員が乗り組むアメリカ船は、軍用船やら貨物船やら政府の払い下げ船を運航する独占的な権利を持つ。おまけに政府から補助金も潤沢に出る。こんなぬくぬくとした環境で保護されているから、ウォーターマン海運はあんな立派な本社を構えていられるのだ。
ニューヨーク市にとって、港は雇用の一大供給源である。1951年、港が戦時体制から正常な状態に戻ったとき、海運業・トラック運送業・倉庫業で働く市民の数は10万人に達していた。ここには鉄道と市営フェリーの職員は含まれていない。
・だが規格戦争はこれで終わりではない。むしろこれはほんの始まりにすぎなかった。今度は、アメリカにせかされた国際標準化機構(ISO)がコンテナの規格統一に乗り出したのである。ISOには当時三七カ国が加盟していた。その頃はまだ国境を超えたコンテナ輸送はほとんど行われていなかったが、いずれそうなることは目に見えており、各国企業が大規模な投資を始める前に国際規格を決めてしまうのがISOの目標である。
これだけでも、コンテナ輸送の威力がわかる。ニューヨーク港で暑かったコンテナ貨物の量は、1965年には195万トンだった。それが翌66年の最初の10週間だけで、260万トンに急増している。この現象を目の当たりにしたアメリカの海運各社、さらにイギリスの二社、大陸欧州のコンソーシアムがどっと参入してきた。「船会社も港もコンテナ輸送に本腰を入れ、もはや後戻りできない状況になったのはこの66年である」と、あるコンサルティング会社は分析している。
・1967年〜68年の鉄道はそんな助言に耳も貸そうとしなかった。ベトナム戦争による好景気を受け、ピギーバック輸送は絶好調で3年で30%も伸びている。伝統に支えられ規制に守られてきた鉄道会社には、新しいビジネスに向かう気概が欠けていた。そして、コンテナ輸送という未開の領域がみすみすトラックにさらわれるのを見過ごしたのだった。
・シンガポールの躍進ぶりはあらゆる予想を超えていた。新ターミナル開業前の1971年の時点では、シンガポール港湾局が予想した10年後のコンテナ取扱量は19万TEUだった。しかし82年の取扱量は100万TEUを軽く超え、同港はコンテナ港として世界六位にランクされている。(中略)ついに2005年には、原油を除く一般貨物で香港を抜いて世界最大となった。いまや5000以上のグローバル企業がシンガポールをハブ港として利用する。輸送の力が貿易の流れを変えることを、シンガポールは実証したのである。
コンテナのメリットを最初に実感したのは、エレクトロニクス・メーカーだった。電子製品は壊れやすいうえ盗難にも遭いやすく、まさにコンテナにぴったりの商品である。エレクトロニクス製品の輸出は1960年代前半から伸びていたが、コンテナ化で海上運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、保険料が安くなると、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を制覇した。
新しい港の地理学は、従来とは異なる貿易パターンを生み出す。地中海に面した南フランスのメーカーが輸出するには、英仏海峡に面したルアーヴルを使うのがいちばん安上がりだった。(中略)日本からサンフランシスコ向けのか持ちは、ごく近くのオークランドではなくシアトルに送られた。シアトルからサンフランシスコまで鉄道輸送しても、寄港先を減らす方が安上がりだからである。
・20世紀末に起きたグローバリゼーションは、だいぶ性質がちがう。国際貿易の主役は、もはや原料でもなければ完成品でもなかった。1998年のカリフォルニアに運ばれてきたコンテナの中身をもし見ることができたら、完成品が三分の一足らずしか入っていないのに驚かされるだろう。残りはグローバル・サプライチェーンに乗って運ばれる、いわゆる「中間財」である。
・60年代を通じ、コンテナリゼーションの降盛を予測する論文は次々に書かれているが、どれも輸出入の流れは基本的には変わらないと見込んでおり、貨物は徐々にコンテナに切り替わるとみている。コンテナ輸送が世界経済を再編し貿易を一気に拡大するという予想があっても、まじめには受け取られなかった。

無印マニュアルに学ぶ「無印良品は、仕組みが9割」

無印良品は38億円赤字を出し、その後V字回復しているがその中興を築いた元社長松井氏による無印良品の話。多くはマニュアル(無印ではMUJIGRAMという)について割かれているのですが、単純なマニュアル化というよりも、タイトルにもあるように仕組み作りについて概念から細かいところまで書かれています。

メルカリは、今までは経営陣から現場までその場の判断でどんどん進めてきたものの、仕組み化していかないと回って行かないフェーズになってきているので、非常に勉強になりました。MUJIGRAMならぬMERUGRAM(仮)を作っていきたいと思ってます。

P.S.ちなみに良品計画、中国など海外が好調で収益を伸ばし続けており、2017年には海外店舗が国内を超える計画だそうです。

<抜粋>
リーダーに必要なのは徹底力であり、組織の向かうベクトルをまとめる。それをできるまでやる、やり遂げるしかないのだが、私は社長になった時に覚悟を決めたのです。
・今の時代のリーダーに必要なのはカリスマ性ではなく、現場でも自由にものを言えるような風土をつくり、その意見を仕組みにしていくことです。
・マニュアルを使うと、決められたこと以外のしごとをできなくなる、受け身の人間を生み出す、とよく指摘されています。無味乾燥なロボットを動かすような、画一的なイメージがあるようです。しかし、そういう人をつくるのが無印良品の目的ではありません。 むしろ、マニュアルをつくれる人になるのが、無印良品で目指すところなのです。
・マニュアルをつくり上げるプロセスが重要で、全社員・全スタッフで問題点を見つけて改善していく姿勢を持ってもらうのが目的なのです。
・たとえば、時間が足りないからと毎日のように残業をしているのなら……本当に時間が足りないのか。もしかしたら、自分では必要だと思っている作業に、ムダがあるのではないか。そうやって自分の仕事を改めて考えるうちに、「どのように働くべきか」「何のために働くべきなのか」という仕事の本質に近づけるようになるのです。
・マニュアルは、それを使う人が、つくるべきなのです。 また、特定の部署だけがつくるのではなく、必ずすべての部署に参加してもらうこと。さらにいうなら、すべての社員が参加できる道筋を整えておくのがコツです。
・誰でもわかるようにするためには、いい例と悪い例を紹介するのも一つの手です。
・一例として、MUJIGRAMの「売り場の基礎知識」にはこう書いてあります。
 「売り場」とは
 何:商品を売る場所のことです
 なぜ:お客様に見やすく、買いやすい場所を提供するため
 いつ:随時
 誰が:全スタッフ
 このように、冒頭で「何」「なぜ」「いつ」「誰が」の四つの目的を説明してから、ノウハウの説明に入っていくというフォーマットになっているのです。 「これくらいのこと、言わなくてもわかるのでは」と思うかもしれませんが、その一方的な思い込みこそ、個人の経験や勘に頼りがちな風土をつくってしまうのです。
・“一見、必要な努力”に目を奪われ、がむしゃらに頑張ってしまう前に、「本当に、この努力の方法でいいのか」を自問するわけです。
・退社時には、私物や進行中の仕事の書類などを残してはいけないことになっており、机の上に載っているのはパソコンと電話ぐらいです。
・ハサミやホチキス、のりなどの文房具は、部門ごとで共有するようにしています。個人で文房具を所有していると、際限なく所有物が増えていくものです。
無印良品では会議の時に使う提案書はA4一枚(両面)と決めてあります。新規出店のような大型の案件でも、提案書はA4一枚です。
・「部下に注意をする」とは
 何:部下のミスやトラブルを是正する行為
 なぜ:部下にミスやトラブルの原因を認識させ、反省してもらうことで成長を即す
 いつ:部下がミスやトラブルを起こした時
 誰が:自分

iPhone vs Androidの歴史「アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか」

iPhone vs Androidつまり、スマートフォン分野でのApple vs Googleの歴史。ものすごい丁寧に追いかけてあり、iPhoneもぎりぎりの選択から生まれてきたことが分かるし、Androidにいたってはほとんど奇跡のようなタイミングと戦略により生き残ってきたことがよく分かります。

ベゾス(アマゾン創業者)が言うように、AppleはiPhoneで儲け過ぎたがゆえにGoogleのAndroidに付け入る隙を与えられてしまいます。しかし、Googleもなんだかよく分からなかったAndroidに紆余曲折ありながらも賭け続けたのは素晴らしい。僕はAndroidが出てきた時になんでこんなことやってるんだろうと思っていた口なので、本当に尊敬します。

ビジネスというのは最先端に行けば行くほど、誰も見えていない可能性に気づくことができます。それに対して社内外から批判されようが、ベットし続けることが重要なんだなと思いました。自分も早く勝負できるだけの先端に行きたいものです。

<抜粋>
モトローラと提携するのは、キャリアと直接交渉せずに音楽携帯を作って他社に対抗しようという、防御措置とリスク回避のためだったが、2004年がひと月、またひと月とすぎていくにしたがって、iTunesとiPodについてはなんら防御措置など必要ないことがわかってきたのだ。iTunesをより広く普及させるのに<ロッカー>の手助けはいらず、iPodの売上がロケットさながら急上昇するのを、ただ待てばよかった。2003年夏の四半期にわずか30万台ほどだったiPodの売上は、2004年に入っても四半期でまだ80万台だったが、同年夏に爆発的に伸びる。2004年9月締めの四半期では200万台、年の最後の四半期では450万台になった。
・アップルは初代iPhoneを作るのに1億5000万ドル以上の費用をかけたらしい。
・iPhoneは、見た目がクールなだけでなく、そのクールさを利用して、まったく新しい携帯電話の使い方を生み出していたーーアンドロイドのエンジニアたちが可能だと思っていなかったか、可能だとしても危険すぎると思っていた方法だ。
ルービンは「ボス」でなくなったことにも慣れなければならなかった。グーグルのアンドロイド部門を率いていたが、2005年の末でも、従業員5700人の会社で10人ほどの部下しかいなかった。ただグーグルは、明らかにアンドロイドをほかのあまたの小さな買収企業より優遇していた。
・立案に半年を費やしたあと、マーケティングそのものを放棄し、ジーマンを解雇した。ペイジもブリンも、グーグルの検索エンジンが自動的に広まると信じていてーーその読みは正しかったーーその後もグーグルは、2001年までマーケティング担当役員を置かなかったほどだった。
アップルはそのあと残りの30%を取るが、ルービンは、アンドロイドの取り分にもできるその30パーセントをキャリアに渡すことにした。差し出されるものを受け取らないのはおかしいという意見もあったが、ルービンは<ドロイド>成功のチャンスが少しでも広がるなら安い買物だと思った。
・携帯電話一台からあがる広告収入はデスクトップ一台より少ないが、保有者の数を考えると、全体としての収入は爆発的に伸びそうだった。消費者が一年で買う携帯電話の数はPCの五倍にのぼるーー18億台と4億台のちがいだ。グーグルはまだその市場にほとんど浸透していなかった。
2010年になると、アメリカの多くの消費者が、たんにキャリアがAT&T社でないという理由からアンドロイド携帯を買っていた。ジョブズは2007年のiPhone発売以来、ネットワークの性能を早く上げろとAT&T経営陣に圧力をかけていたが、独占契約が終了してベライゾンでもiPhoneを提供できるようになる2011年のはじめまでは、AT&Tに行使できる影響力にも限界があった。
(ペイジ)グーグルに関する記事を読むと、どれもこれも、グーグル対ほかの会社、グーグル対くだらない何かといった内容ばかりだ。興味が沸かない。われわれは、いまここにない偉大なものを作るべきだろう? ネガティブな態度では進歩できない。それに、本当に重要なことはゼロサムではない。チャンスはたくさん転がっている。みんなの暮らしをよりよくするために、テクノロジーを使って、斬新で本当に重要なものを作り出すことができるんだ。
(ジョブズ)2010年、なぜiPadが重要なのかと尋ねられて、こう答えた。「アメリカが農業国だったとき、車はすべてトラックだった。農場で必要とされたからだ。でも、都市部で乗られるようになると、沓間の人気ががぜん高まった。オートマティック・トランスミッションやパワーステアリングなど、トラックにはあまり関係のなかったイノベーションが、乗用車では何より重要な機能になった……PCはトラックのようになる。まだ出回っているし、価値も大いにあるが、やがて一部の人しか使わないものになるだろう」

アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか

アマゾンの作り方「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」

綿密な取材によりアマゾン創業者ジェフ・ベゾスを追った力作。

とにかく丁寧に、幼少時代からはじまり、アマゾンがどのように立ち上がり、最初はバーンズ&ノーブルなどの大手書店、続いてトイザらスやウォールマートのような巨人たちから、ザッポスやクイッドシーのようなベンチャーと対抗してきたのか、その間に打ってきたロジスティクス、カスタマーレビュー、アマゾンプライム、マーケットプレイス、AWS、キンドルなどの戦略の裏側から、人事や企業文化まで事細かに描かれています。

思ったのは、今では当たり前になっている上記の施策ですが、当時は本当に手探りで、様々な手法が試され、星の数ほどの失敗の中からビッグヒットが生まれてきたということです。本書によるとアマゾンも膨大な数の失敗を繰り返しており、ほんの少し正解の数が多かっただけなことが分かります。しかし、それが決定的な差になっています。

なので、ビジネスをする上ではとにかく正しいと思われる施策を大胆に考えて、試行回数を増やしてすばやく正解か間違いかを判断していくことがとにかく重要なんだと再認識できました。

ベゾスのやり方には極端なところもありますが、非常に合理的なのに夢もあって、個人的にモバイル・コマースのビジネスをしていることもありものすごい勉強になりました。何度か読み返そうと思ってます。

<抜粋>
・「あなた方は物理的な店舗を持っていませんよね。そのうち、この問題が原因で伸び悩む日が来ると思いますよ」 細身のスターバックス創業者が、ふたりのためにコーヒーを入れつつこう切り出すと、ベゾスが正面から反論する。 「いや、月まででも行けると思っていますよ」
チェーン展開しているバーンズ&ノーブルがオンライン事業を本気で進めるのは難しいはずだとベゾスは読んでいたし、この読みは正しかった。ごく一部にすぎないオンライン事業で損失を出すのはいやだと考えたリッジオ兄弟は、優秀な社員の投入をためらった。利益率の高いリアル書店での販売が低下する恐れがあるからだ。
・立ち上げ期のアマゾンで働いた人々のなかには、ここまで強烈ではないかもしれないが、同じような想いを抱く人が多い。皆、説得力のある教義を説いたベゾスを信じ、金銭的には十分に報われた。だがそのあと、冷たい目の創業者に捨てられ、経験豊かな人々に交代させられた。
・「そうかもしれないね。でも一点だけ指摘しておこう。新しい販路に注目してすばやく開拓するといったことは、リアル店舗を持つ既存の小売業者にとって以外なほどやりにくいことなんだ。いや、企業というのはそれぞれに手慣れたやり方というものがあって、みんなそうなのかもしれない。ともかく、そのあたりのことをみなさんは過小評価している気がする。本当のところどうなのかは、そのうちわかるんじゃないかな
このとき、誰よりも大きくインターネットに賭けたのがジェフ・ベゾスである。ウェブの登場で会社にとっても消費者にとっても世界が大きく変わると信じたベゾスは、迷うことなく前に突きすすんだ。このころ、ベゾスはこうくり返していた。 「ウチの会社は評価が低すぎると思います。アマゾンの将来像を世界が理解できていないのでしょう」
・当時は、多くの人が使うほど製品やサービスの価値があがるというネットワーク効果をハイテク業界が学んでいく時代だった。オンラインの市場はネットワーク効果に支配されており、売り手は十分な数の買い手が集まるのを待ち、逆に買い手は十分な数の売り手が集まるのを待つ。つまり、オークション分野でイーベイの優位は覆せないものとなっていたのだ。アマゾンにとっては大きな失敗で板でではあったが、意外なほどにへこまなかったとブラックバーンは言う。
・キャンベルが出した結論は、「ガリは報酬の問題やプライベートジェットなどの役得ばかりを気にしている。社員の気持ちはベゾスのほうを向いている。創業者を選んだほうが賢明だ」であった。
・投資家の目が厳しくなったこと、また、経営幹部がこぞって意見したことから、ベゾスも方針を転換する。スローガンも「早くでかくなる」から「社内をまともにする」となり、「規律、効率、無駄の排除」が合言葉となった。会社は1998年の1500人から2000年になるころには7600人と爆発的な勢いで成長したおり、このあたりで一息つく必要があるとベゾスでさえも感じる状況になっていた。
・「まあ、いつものことなのですが、あのときもジェフ対世界という構図でした」
・「小売店は2種類に分けることができます。どうしたら値段を高くできるのかを考えるお店と、どうしたら値段を下げられるのかと考えるお店です。我々がめざすのは後者です」
・調査後、アマゾンはテレビ広告をすべてやめただけでなく、マーケティング部門を解体してしまう。
・自分の時間をうまく割り振る努力の一環として、一対一の面談をやめると宣言。一対一で部下と面談すると、問題解決やブレインストーミングにならず、どうでもいいような報告と社内政治の雑音を聞かされることが多いからだ。いまも、ベゾスが社員と個別面談することはめったにない。
ベゾスはこの方法をさらに一歩進めた。新しい機能や製品を提案する場合は、プレスリリース形式の意見書にすべしとしたのだ。目的は、うりのポイントをぎりぎりまで洗練させること、顧客が目にするリリースからスタートし、そこからさかのぼる形で仕事をするようになることだ。新しい機能や商品が世間にどのように伝えられるのかを知らず、神様である顧客がそれをどう受け取るのかを知らずに優れた意思決定はできないーーそうベゾスは考えたのだ。
宝飾品担当となったふたりは、その少し前、アパレルへ参入したときと同じように、慎重に進めようと考えた。経験豊富な小売業者にマーケットプレイス経由で商品を販売させ、アマゾンは手数料を受けとると同時に彼らのやり方を見て学ぶのだ。ランディ・ミラーはこう証言している。 「アマゾンはこれが得意なんですよ。よくわかっていない事業に参入する場合、マーケットプレイスでスタートして小売業者を誘致し、彼らのやり方や品ぞろえを観察して学んでから参入するのです」
・アンストアであるとは、また、顧客にとってなにが一番いいのかさえ考えればいいことを意味する。宝飾品事業では100%から200%の利ざやが慣例だが、アマゾンがそれに従う必要はない。 この会議でベゾスは、アマゾンは小売企業ではない、よって、小売業界に頭を下げる必要はないと宣言したのだ。
・物流ネットワークのソフトウェアを根本的に改めた結果、大きな成果が得られた。(中略)ウィルケがアマゾンに来たころはクリックから出荷まで3日かかる場合が少なくなかったが、それが、ファーンリー会議から1年でほとんどの商品について4時間以内と短くなったのだ。ちなみに、電子商取引業界の一般的な値は12時間である。
・プライムには価値があると、最終的には確認される。Amazonプライムに登録した顧客は、注文の翌々日に必ず商品が届くのが便利だとアマゾン中毒になるのだ。
・ジャシーとベゾス、ダルゼルが新しいAWSの構想を取締役会に提出すると、組織的ノートがその鎌首ともたげようとした。「まっとうな疑問」だったとのちに述懐しているが、ジョン・ドーアが当然の質問をしたのだーー海外展開を加速しなければならないのにエンジニアの採用が滞っているいま、なぜ、この事業をはじめなければならないのか、と。 「この事業も必要だからだ」ーーそれがベゾスの回答だったアマゾンは市場ニーズを繁栄する形でそのようなサービスを必要としている、というのだ。ジャシーは、取締役会後、これほど大胆な投資をする会社で仕事ができるお前は幸せ者だとドーアに言われたらしい。
ビル・ミラーからAWSの収益予想を尋ねられたとき、ベゾスは、長期的には収益が上げられるようになるが、「スティーブ・ジョブズの失敗」をくり返したくないと回答した。iPhoneをびっくりするほど利益があがる価格にして、競争相手をスマートフォン市場に引き寄せた愚は避けたいというわけだ。
・アマゾンの弾み車が加速しているころ、イーベイの弾み車はばらばらに壊れつつあった。安値で入札したコブラのゴルフクラブセットが落札できるかどうか7日間も待つのはつらいと考え、消費者は、さっと買い物ができる確実性と利便性を求めるようになった。オンラインオークションの魅力は薄れてしまったのだ。
時間がたつにつれ、消費者はアマゾンでのショッピングを楽しいと思い、イーベイで品物を探したり高すぎる配送料を請求してくる売り手に対応したりするのはめんどうだと思うようになった。アマゾンは混乱と戦って克服したのに対し、イーベイは混乱に飲まれたのだ。
・(ダルセル)「いろいろな人のもとで仕事をしましたが、ジェフには何点か、ほかの人より優れているところがあります。ひとつは、現実を受け入れること、現実について語る人は多いのですが、現実に一番近いと思われることを前提に意思決定をする人はまずいません。 もうひとつ、彼は因習的な考え方にとらわれることがありません。なんと、物理法則以外に縛られるものがないのです。物理法則はさすがの彼にも変えられませんが、それ以外はすべて応談だと考えているのです」
・自分たちが知る配送料金とP&Gの卸価格からクイッドシーが試算したところによると、アマゾンは、3ヶ月で1億ドル以上の赤字を紙おむつだけで出す計算になったらしい。
・危害を持てーー反論し、コミットしろ リーダーには、賛同できないとき、まっとうなやり方で決定に異を唱えることが求められる。そうするのは気が進まない場合や大変だと思われる場合も、である。リーダーは、信念を持ってねばり強く行動しなければならない。社会的結束を優先して妥協するなどもってのほかだ。そして、リーダーたる者、最終決定が下されたら、それに全力でコミットしなければならない。
・50人以上の部署をたばねるマネージャーは、一定のカーブで部下を並べ、成果を一番挙げられていない社員をクビにしなければならない。アマゾン社員は常に評価され、処分の恐怖にさらされているのだ。
・倹約 顧客にとって意味のないお金は使わないようにする。倹約からは、臨機応変、自立、工夫が生まれる。人員や予算規模、固定費が高く評価されることはない。
グーグルのような無料食堂や無料送迎バスなどの福利厚生はほとんどない。

ジェフ・ベゾス 果てなき野望