残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法/橘玲

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などの橘玲氏の新作。知能は遺伝するとか、性格は家庭とは無関係とか、自己啓発では変われないとか、(アメリカ人に比べて)日本人は会社が嫌いだった、とか様々な実験や理論からズバズバ書いていておもしろいです。

全部が全部合っているか分からないにせよ、そういう可能性もある、という前提で世の中を捉える方がいいのだろうなと。今まで常識と思われていたことがことごとく覆る世の中だからこそ、こういうありえる現実に触れるのは重要なんじゃないかと思います。

すごく読みやすいですし、頭のトレーニングになります。

<抜粋>
・ぼくたちの社会では、スポーツが得意ならうらやましがられるけれど、運動能力が劣っているからといって不利益を被ることはない。音楽や芸術などの才能も同じで、ピアノが弾けたり絵がうまかったりすることは生きていくうえで必須の条件ではない。 それに対して知能の差は、就職の機会や収入を通じてすべてのひとに大きな影響を与える。誰もが身に沁みて知っているように、知識社会では、学歴や資格で知能を証明しなければ高い評価は得られないのだ。 もしそうなら、知能が遺伝で決まるというのは不平等を容認するのと同じことになる。政治家が国会で、行動遺伝学の統計を示しながら、「バカな親からはバカな子どもが生まれる可能性が高く、彼らの多くはニートやフリーターになる」と発言したら大騒動になるだろう。すなわち、知能は「政治的に」遺伝してはならないのだ。
・ハリスは、子どもの性格の半分は遺伝によって、残りの半分は家庭とは無関係な子ども同士の社会的な関係につくられると考えた。(中略)子どもは、親や大人たちではなく、自分が所属する子ども集団の言語や文化を身につけ、同時に、集団のなかで自分の役割(キャラ)を目立たせようと奮闘するのだ(『子育ての大誤解』<早川書房>)。 集団への同化と集団内での分化によって形成された性格は、思春期までには安定し、それ以降は生涯変わらない。ぼくたちは長い進化の歴史のなかで、いったん獲得した性格を死ぬまで持ちつづけるように最適化されている。
・もうちょっと正確にいうと、適性に欠けた能力は学習や訓練では向上しない。「やればできる」ことはあるかもしれないけれど、「やってもできない」ことのほうがずっと多いのだ。 こちらが正しければ、努力に意味はない。やってもできないのに努力することは、たんなる時間の無駄ではなく、ほとんどの場合は有害だ。
・中間共同体とは、PTAや自治会、会社の同期会のような「他人以上友だち未満」の人間関係の総称だ。日本や欧米先進諸国では、貨幣空間の膨張によってこうした共同体が急速に消滅しつつある。PTA活動や自治会活動は面倒臭いから、お金を払ってサービスを購入すればいい、というわけだ。 中間共同体が消えてしまうと、次に友情空間が貨幣に侵食されるようになる。友だちというのは、維持するのがとても難しい人間関係だ。それによくよく考えてみれば、たまたま同級生になっただけの他人が、思い出を共有しているというだけで、自分にとって「特別なひと」になる合理的な理由があるわけではない。
・アメリカの有名大学でMBAを取得した優秀なひとたちが、最新のマーケティング理論を引っ提げて起業に挑戦するけれど、ほとんどは失敗する。それは彼らが儲かることをやろうとして、好きなことをしないからだ。 それに対して「好き」を仕事にすれば、そこには必ずマーケットがあるのだから空振りはない(バットにボールを当てることはできる)。ほとんどのひとは社会的な意味での「成功」を得られないだろうけど、すくなくとも塁に出てチャレンジしつづけることはできる。

起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと/磯崎哲也

(本書は献本いただきました。献本、ありがとうございます)

内容は「事業計画」「資本政策」「企業価値」「ストックオプション」「種類株式」などなどベンチャーのファイナンスに関わること全般で、すごく難しく聞こえますが、奇跡的に分かりやすいです。

僕も職業柄、いくつかファイナンスを経験してきたこともあって、いろいろと相談を受けたりするのですが、ファイナンスはテクニカルに奥が深く、かつ幅広い解決方法があったりして、なかなか全体として把握するのが難しいと思っています。

僕の場合、周りに詳しい方々がいたので、なんとかなってきましたが(すごく幸せなことですね)、もしこの本があれば、すごく早くにいろいろなことが知れてよかったのに、と思いました。

特に、資本政策は後戻りが聞かないので、いろいろと大変な相談とか話とかを聞きます。後、ネット上だと結構適当なことを書いてあることが多くて惑わされたりします。そうならないためにも資金調達とかする前に一読することをオススメしたいです。

P.S.磯崎さんのブログはこちらです。

ルポ 貧困大国アメリカ II/堤未果

ルポ貧困大国アメリカ」の続編。今回は、学資ローン、社会保障、そして前回にひき続き医療改革などを取り上げています。

相変わらずひどい実例のオンパレードで、暗い気持ちになりますが、特に医療改革でオバマ大統領がようやく国民皆保険導入を公約に掲げて当選し、医療関係者などの賛同も経て導入に向けて動き始めたにも関わらず、医療保険会社などの画策により見事に潰されていく様が何とも言えない無力感を覚えます。

日本人でよかったと思う一冊。

<抜粋>
・学資ローンに対しては消費者保護法というものは存在しない。1998年にクリントン大統領が署名した高等教育法改正が、他のローンに通常は適用されている消費者保護法のすべてを学資ローンから削除したからだ。さらに2005年には、住宅ローンやカードローンでよく使われる、借り手が自己破産した場合の借金残高免責も学資ローンの適用から外されていた。
・労使交渉で強気に出られないGMは、従業員と退職者の年金と医療保険を負担し続け、ついに医療費負担は他の業界を抜いて全米一の年間56億ドルにまで膨れ上がった。 自動車一台あたりに上乗せされる年金分のコストは1500ドル(15万円)。これが競争相手のトヨタUSAに大きく引き離される原因の一つとなり、かつては「巨人」と呼ばれたGMの市場での力は失われていった。
・現在アメリカ国内で歯科医療保険を持っていない国民は1億人、約3人に1人いる。 貧困層では数百万の子どもたちが、治療しないままの虫歯を持っている。(中略)歯と貧困には深い関係がある。他の病気と違い、歯には自然治癒というものがないからだ。
・「医療費がこれだけ高い国はどう考えても異常です。カリフォルニア州では医療費請求の21%が保険会社によって却下されている。1錠の薬を4つに割って節約する高齢者や、仕事を持っているのに突然破産する会社員、過労死や鬱病で倒れてゆく医師や看護師。これらを生み出した原因はたった1つ、医療を賞品にしてしまったことです」
・「今のシステムが奪った、目に見えないものとはたとえば何ですか?」 「患者と医師の間のつながりや、医師のなかに存在するはずの誇り、充実感などです。(中略)間に医療保険会社という株主が介在しない世界では、患者は医師を人として信頼し、医師は患者との交流を通して、いのちを救っているという充実感と誇りを受け取るのです。これは数字では測れない、けれど人間が日々生きていくためには失ってはならないものの1つです」
・アメリカの総人口は世界の5%だが、囚人数は世界の25%を占める「囚人大国」なのだ。
・州政府にとってそれら民間刑務所の最大の魅力は、とにかくコストが安いことだという。全米の刑務所運営維持費用は年間570億ドル(5兆7000億円)を超えており、これは国の年間教育予算420億ドルを上回っている。

まさか!?/マイケル・J・モーブッサン

LMCMというファンドのチーフ・インベストメント・ストラテジストで、コロンビア・ビジネススクールのファイナンス非常勤教授のマイケル・J・モーブッサン氏が「ブラック・スワン」「なぜビジネス書は間違うのか」などのビジネス書の内容の一部や、研究事例などを元に、意思決定の考え方や、ミスをするポイントについてまとめて書いています。

個人的に、非常に興味のあるテーマなので、大変おもしろかったです。結局のところ、世の中には間違った考え方が氾濫しているので、それらに気づくことが重要ですが、しかし、それらは巧妙に正しいふりをしています。こういった著作を読むことで、気づきを得て、少しは判断ミスを防ぐことができるようになります。

いくらがんばっても、判断ミスをゼロにすることはできませんが、こうやって少しでも前進していきたいなと思っています。

<抜粋>
・よい決断を下したにもかからわず、ひどい結果が出たら、自らを奮い立たせ、再び立ち上がり、もう一度ゲームに取り組む準備をすること。それだけだ。
・他人の意思決定について評価する時もまた、彼らが得た結果よりも決断を下すプロセスに目を向けるのがよいだろう。たまたま偶然に大きな成功を収めるような人も少なくない。たいていは、彼らはどうやってその結果が得られたのか、まったく検討がついていない。しかし、多くの場合、運命の女神が彼らに微笑むのをやめたとたんに、彼らは奈落の底に突き落とされる。同様に、スキルのある人でも、一時期だけひどい結果を被るようなこともあるが、そこで落胆してはならないのだ。
・ある研究で、研究者が二つのグループの社会人に、1ドルで、50ドルの賞金が得られる宝くじに参加してもらった。(中略)抽選の前に、研究者が被験者に、宝くじのカードをいくらで売れるか訊ねてみた。カードを自分で引いたグループの回答は9ドル近くだったのに対して、自分で引けなかったグループは2ドル以下であった。自分である程度、状況をコントロールしていると信じている人は、当選確率は実際よりもよいと思ってしまうのだ。
・統計的に、アクティブにポートフォリオを構築する資産運用マネージャーは、市場のインデックスよりも低いリターンしか得られておらず、これはどの投資会社も認めている。この理由は極めてシンプルだーー市場は非常に競争が激しく、かつ、運用マネージャーは手数料を取るのでリターンが減ってしまう。市場はまた、適度にランダムで、時の経過につれてすべての投資家がよい結果と悪い結果に出合うようになっている。にもかからわず、アクティブ運用マネージャーは、我こそは市場よりもはるかによいリターンを得られるかのように振る舞う。
・心理学者リチャード・ニスベットの研究によれば、東洋人と西洋人の間には大きな文化的な相違があるという。東洋と西洋では経済的、社会的、哲学的な伝統が異なるため、ある出来事に対する受け止め方が変わってくるのだ。東洋人はより周囲の状況に関する説明をしたがり、一方、西洋人は個別の事柄に固執する。東洋と西洋の間で認識の違いが生まれるのもうなずける。例えば、東洋人は環境に合わせようとするが、西洋人は自分がそこにいる目的を明確にしたいと思う。
・よい結果が繰り返し起こると、人は自分のやり方が正しく、それですべてうまくいっていると考える。この錯覚が人に根拠のない自信を植えつけ、(たいていはよくならない)予期せぬ出来事へとつながるのである。
・人が複雑なシステムを考える時に犯すもう一つの過ちは、心理学者が還元主義的先入観と呼ぶ(中略)人間の、複雑な問題をよく考えずにシンプルに片づけてしまおうとする傾向である。
・この先入観のよい例が金融である。早くは1920年代のリサーチですでに、価格は通常の正規分布に当てはまらないと示しているのにもかかわらず、経済学理論はいまだに価格は正規分布するということを前提に置いている。もし金融の専門家がアルファ、ベータ、もしくは標準偏差という言葉を使って証券市場の説明をするのを聞いたことがあるならば、それは実際に目の前で還元的先入観を見ていたことになる。
・非常に稀で極端な出来事は、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもある。集合的なシステムについて考える際には、コストをそれほどかけずに、なるべく多くのポジティブな出来事に出合い、ネガティブな出来事が起きても大丈夫なように対策をしておくことである。
・例えば、ある企業がよい業績を出していると、マスコミが「正しい戦略、ビジョンのあるリーダー、士気の高い社員、すばらしい顧客志向、活気あふれる企業文化……」と賞賛するであろうことをローゼンツワイグは述べている。しかし企業の業績がその後、平均に回帰すると、傍観者たちはこれらすべての指標が悪くなったと結論づけるだろうが、現実にはそのようなことは何も起こっていないのである。多くの場合、同じ経営陣が同じ戦略で、同じ経営を行っているのである。
・本書で述べる意思決定の過ち(判断ミス)はたくさんの人に共通に起こる、よくあるもので、日常で見つけやすく、なおかつ防げるものでなければならないと述べた。私の意図が伝わっていれば、本書に出てくる事例のような過ちをいろいろなところで見かけるようになるだろう。最初にやるべきことは、毎日流れてくる多くの情報の中から、これらの過ちに気づくことである。
・いったん結果が明らかになると「後知恵のバイアス」がかかって、多くのコメンテーターが最初からそんなことはわかっていた、というようなことを偉そうに言いはじめる。また、人は、物事がうまくいかなかったのは他人のせい、うまくいったのは自分のおかげだと言いたがる。そして、本書では、日常で目にする事件や、さまざまな決定の結果を考える際には慎重でいようと呼びかけている。

ルポ資源大陸アフリカ/白戸圭一

毎日新聞記者で元南アフリカ特派員の白戸氏が書いたアフリカの実情。南アフリカはもちろんのことナイジェリアからスーダン、ソマリアなどに現地取材をしており、間一髪なシーンも何度も出てきます。その介あって様々な取材対象から多重的なコメントを引き出して、新聞という限られた紙面でないこともあり、非常に丁寧に分かりやすくアフリカが描かれています。

ここのところ新聞業界が苦境に陥ったりして、ジャーナリズムのあり方が問われていますが、本書を読むと、これこそがジャーナリズムであり、絶対に必要なものだという感を新たにしました。

非常に刺激的でおもしろいので、アフリカを少しでも知りたいと思う方には、とっかかりの一冊としてよいと思います。

<抜粋>
・ナイジェリア産原油の約半分を生産する最大手ナイジェリア・シェル社の2004年の推計では、同社の石油関連設備から盗まれた原油は1日辺り4万〜6万バレル。ドラム缶に換算すると実に3万1800〜4万7700本に相当する原油が毎日、パイプラインに開けられた穴から抜かれたり、沖合に停泊した偽のタンカーに積み込まれて密売されているのだ。これはもう、住民が貧しさに耐えかねてコソ泥を続けているというレベルの盗難量ではない。大規模な犯罪組織でなければ扱いきれない分量だ。
・私は発散さんに「スーダン政府は国際社会に対して、民兵を組織化したり支援した事実はないと一貫して否定しています。政府軍が村を襲撃することなどあり得ないとも言っています」と答えた。メッキーが通訳を終えると、周囲に集まっていた数十人の住民が一斉にどよめいた。 「本当ですか」 「じゃあ、襲撃の際に、なんで軍のヘリコプターが村の上を飛んでいたんだ」 テレビとも新聞とも無縁な人々が、自分たちを襲った惨劇が世界に向けてどう伝えられているかを知っているはずもなかった。命からがらキャンプに逃げてきた彼らにとって、襲撃の首謀者が自国政府であることは「常識」だったのである。
・無政府国家には警察が存在しない。立法機関も存在しないから、そもそも社会生活を律する法律がない。したがって、道義的な責任はともかく、法律上はソマリアで人を殺しても罪にはならない。そんなソマリアには天文学的な数の銃が氾濫しており、我々はソマリアの地に足をつけた瞬間から猛獣の檻に紛れ込んだウサギのような存在であった。(中略)入国前に我々が辿り着いた結論は、有能な私兵集団を護衛に付ける以外にないということであった。
・モガディシオ市民の日常生活の情報源はラジオである。モガディシオには、この時、十局のFMラジオ局があった。(中略)「特定の武装勢力が批判の的になると、当事者から怒りの電話がかかってくることもあります。でも、武装した人間が幅を利かせる国になってもう14年です。武装勢力を支持する国民なんて一握りしかいません。ラジオを通じて人々が自由に意見を言える社会をつくりたいと思います」

ゴールは偶然の産物ではない/フェラン・ソリアーノ

FCバルセロナがどのように世界的クラブになったのかを最高責任者(副会長)であったフェラン・ソリアーノ氏が書いています。MBA出身者らしく、サッカーという不確実性の高い業界ながら、ロジカルに考え、着実に手を打っているのが分かります。

しかし、読みながら、サッカークラブが国内リーグやチャンピョンズリーグで優勝できるのかどうかは確かに時々の運にも左右されますが、実際のビジネスもよく考えれば同じく運に左右されるわけで、サッカークラブを経営するというのは、普通の会社を経営するのとほとんど変わらないのだろうなとも思いました。

そのため、普通にまっとうな経営の成功例を知ることができ、サッカーファンにとっては欧州のサッカー業界でどのようなことが起きているかも同時に楽しめる一度に二回おいしい作品になっています。

日本はなぜ貧しい人が多いのか/原田泰

タイトルは統計的な事実の一つで、基本的に統計学を駆使して、一般に信じられている俗説の誤りを指摘し、さらにはそれではどうすればいいかまで仮説を提唱する内容になっています。統計の読み方にはいろいろな考えがあり、本書の読み方が必ずしも正しいとは言えないとは思いますが、いろいろと意外な事実を見せつけられると、もっと丁寧にものごとを見ていく必要があるのだなと痛感させられます。

特に年金について、なぜ今払いすぎになっているのかを高度経済成長と人口増で説明し、支給額と支給年限を3割カットすればほとんどすべての問題は解決するし、それでもまだ世界一のレベルにある、というのは目から鱗でした。

もちろん精査は必要だと思いますが、根拠のない削減やばらまきよりは、事実に基づいた国家経営をして欲しいものだなと思いました。これ以外のパートも非常に興味深くて、見識を広げる上でよい良作と思います。

<抜粋>
・要するに、1700年ごろまで、世界はほとんど一様に貧しかった。ところが、その後の300年で、世界のある国は豊かになり、他の国は貧しいままだった。これは、豊かな国が豊かなのは、他の国を貧しくしたからではないことを示唆する。
・子供のコストには、養育するための直接コストだけではなく、母親が子供を育てるためにあきらめなければならない所得が含まれる。(中略)失われた所得は、2億3719万延となる。これが例えば2人の子供を育てるためのコストで、1人当たりにすれば1億1860万円ということになる。もちろん、これに加えて食費や教育費もかかる。
・(年金について)人口が減少すれば有利な年金は払えない。しかし、これは当たり前のことではないだろうか。私は、むしろ、日本中のすべての高齢者が、払い込んでもいない年金が魔法のポケットから出てくるはずはなく、産んでもいない子供が年金を払ってくれるはずもない、という当たり前の事実を認識してくれると思っている。世代間の対立などあり得ない。すべての親は、次世代の子供の幸せを願っており、それが日本を繁栄させてきた。高すぎる年金は諦めてもらうしかないが、子供は、親にそれなりのプレゼントをすることを嫌がってもいない。年金のカットは、制度の永続性を保障し、人々にむしろ安心を与えるはずだ。
・年金支給額と支給年限を3割ずつカットすれば、年金支給額は(1-0.3)×(1-0.3)=0.49であるから半分になる。年金保険料引き上げは必要なくなるどころか、引き下げも可能になり、人口減少社会の問題は解決する。そして、年金をカットした後でも、日本の年金は世界一のレベルにある。年金の大幅なカットをした後でも、私たちは、日本の社会保障システムを誇りに思うことができる。これはすごいことだと思いませんか?
・日本の社会保障支出全体の対GNP比は2003年で17.7%と、国際的に見て低いが、高齢者向け支出に関しては、9.3%であり、ドイツの11.7%より低いものの、イギリスの6.1%、オランダの5.8%を大きく上回っている。では、何が低いのか。日本は医療費も低いが、もっとも低いのは家族を助ける支出だ。(中略)イギリスは、高齢者のための支出が日本の3分の2にすぎないのに、子供のためには日本の4倍も支出している。イギリスは、高齢者が我慢して、子供を育てる若者を助けている。これこそが未来のために現在を犠牲にする不屈のジョンブル魂だと私は思う。
・公務員の賃金水準が高い都道府県ほど、都道府県民の所得は低い傾向がある。(中略)なぜこのような傾向があるのだろうか。所得の低い県では、公務員の他に仕事がないので、公務員の賃金が相対的に高くなるというのが、通常の答えだろう。 しかし、公務員のほかに仕事がないのであれば、公務員の賃金も安くて済むはずだ。(中略)むしろ因果関係を逆にして考えるべきではないか。公務員の賃金が地域の賃金水準よりも高ければ、有能な人材が公務員になり、ビジネスには集まらない。だから、地域の経済発展が遅れるのではないか。

マネーの進化史/ニーアル ファーガソン

歴史におけるお金の起源から熱狂と失望など。ここ最近のバブルや壮大な失敗は見聞きしても、歴史に出てこないお金の歴史はよく知らなかったので大変興味深くおもしろかったです。最新の金融工学がどうというより、お金とは何かを考えるのが、お金を知り、お金に振り回されず、お金をコントロールすることに繋がります。全体を俯瞰できる良書だと思います。

<抜粋>
・はじめてコインがお目見えしたのは、紀元前600年ごろまでさかのぼれるようで、エフォエス(現トルコ領、イズミルの近く)にあるアルテミス神殿の遺跡で、考古学者たちが発見した。
・彼(注:アダム・スミス)が1776年に『国富論』を書いてから一世紀の間に、金融界では爆発的な改革が進み、ヨーロッパや北米でさまざまな形態の銀行が数多く生まれた。最も古くからあるのは、手形割引を行う銀行だ。
・(1970年ごろイギリスでは)収入や資本利得が高いと100%を超える限界税率が適用されたため、それまでに見られた貯蓄や投資の意欲を減退させた。福祉国家イギリスは、資本主義経済が機能するうえでなくてはならないインセンティブを奪ったように思えた。つまり、努力する者に与えられる「大金」という「アメ」、そして怠け者が被る「困窮」という「ムチ」が失われたのだった。
・このゲーム(モノポリー)を作ったそもそもの動機は、ひと握りの地主が借地人から徴収した地代で儲ける社会制度の不平等を暴くところにあった。(中略)このゲームが教えてくれるのは、最初の考案者が意図した点とはまったく逆で、「不動産を所有するのは賢い」ということだ。
・アメリカの住宅購入者に具体的な変化をもたらしたのは、連邦住宅局(FHA)だった。FHAは住宅ローンの借り手に政府が支援する保険を提供し、高額で(購入価格の最高80パーセント)、長期(20年)の、完全に割賦償還される低金利ローンを普及させようと試みた。(中略)魅力的だがどこに行っても代わり映えのしない典型的な郊外風景が広がる現代のアメリカは、このようにして生まれたと言っても過言ではない。
・一世紀あまり前、欧米の先進的なビジネスマンたちは、アジア全域には目もくらむようなチャンスが潜在していると考えた。(中略)ところが、西欧の資金を10億ポンドあまり投資したにもかかわらず、ヴィクトリア時代のグローバリゼーションの芽は、アジアのほぼ全域でうまく根ざさず、今日、植民地搾取として記憶される、苦い遺産だけが残った。
・いまになって振り返ってみれば(第一次世界)戦争の原因はいくらでも見つかり、しかも歴然としているのに、なぜ当時の人びとは悲劇的な戦争が起きる数日前まで、それらの点に気づかなかったのだろうか。一つには、流動性が豊富だったことと時間が惰性的に流れたことがあいまって、視界が曇っていたからかもしれない。世界の統合が進み、金融の技術革新がおこなわれたおかげで、投資家たちは安全感を高めた。さらに、普仏戦争という直近の大規模なヨーロッパ戦争から44年が経っていたし、ありがたいことに前回の戦争は短期間で終わっていた。
・2008年5月の時点では、中国がアメリカの景気後退の影響をまったく受けないなどということは、あり得ないように思われた。アメリカはいぜんとして中国の最大の輸出先であり、中国輸出総額のおよそ五分の一を占めていた。一方ここ数年、中国の成長に対する純輸出額の重要度は、かなり低くなった。そのうえ、潤沢な外貨準備高のおかげで、北京は悪戦苦闘するアメリカの銀行に資本注入できるくらい強い立場に立てた。
・最もあり得そうな事態は、アメリカと中国の政治的な関係が悪化することだ。争点の発端は貿易かもしれないし、台湾やチベットの問題、あるいはほかのまだ顕在化していない問題が起爆剤になるかもしれない。このようなシナリオは、信じがたいかもしれない。だが後世の歴史家たちが歴史を振り返るとき、このような展開になった経緯を説明しようとして、一連の因果関係をどうそれらしく組み立てるのかは容易に想像できる。

歴史とはなにか/岡田英弘

歴史というのはその時の国の都合によいように書かれているということを理解すべきだ、という著者の主張はとても分かりやすく、その視点でいろいろな歴史を紐解いたのが本書です。個人的には、本書の解釈には過激な部分もあるように思いますが、それもまた割り引いて捉えよ、というのが著者の主張だと思います。

しかし、著者のように歴史学者でない場合は、そこまで深く歴史を調べることはできないわけで、いろいろな本を読みながら、多面的に歴史や世界を捉えていく必要があるのだろうなと思います。

そういった意味で、その理解の助けの一つになる良書だと思います。非常に刺激的でおもしろいです。

<抜粋>
・「イン・シャー・アッラー」は、非イスラム教徒には、よく誤解される。キリスト教徒は、この表現を「イスラム教徒は不誠実で無責任なやつらだ。気が変わったら約束は守らないんだ」というふうに受け取りやすい。しかし、イスラム教徒に言わせれば、全力を挙げて約束を守るつもりでいるけれども、自分が約束を守ることを神様がお望みにならなければ、守れないかもしれない。だからこの「イン・シャー・アッラー」をつけないで「ではあした、かならずここで会います」と言ったら、神の意思よりも自分の意思を優先させるという、重大なる不敬の罪になる・
・アメリカのアイデンティティの基礎は、歴史ではない。アメリカ合衆国は、純粋にイデオロギーに基づいて成り立った国家だ。だから、アメリカ文明では、歴史はあってもなくてもいいもので、重要な文化要素になり得ない。
・アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。
・たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題にはこういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、改善のためにには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げこむとは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言い逃れだ、大切なのは過去ではなくて現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。
・北宋時代の漢人、いわゆる中国人の大部分は、血統の面では、実は隋・唐時代の中国人の主流であった遊牧民の後裔だったが、意識の面では、自分たちは秦・漢時代の最初の中国人の直系の子孫であり、純粋の漢人だと、思いこむようになっていた。 こうした思いこみを、この時期にはじめて芽ばえた、いわゆる「中華思想」と言う。 中華思想の核心は、「夷狄(非中国人)は、軍事力では中華(中国人)より勝るが、文明度の高さにおいては、中華は夷狄にはるかに勝っている」という主張で、現代のことばで言えば、「中国人は世界でもっとも優秀な民族である」ということになる。
・七世紀になって、唐朝が中国を統一し、公海を渡って軍隊を韓半島南部に上陸させ、倭王の古くからの同盟相手だった百済王を滅ぼした。当時の倭のタカラ女王(皇極天皇、斉明天皇)は、倭軍を韓半島に派遣して百済の復興を試みたが、663年、倭軍は白村江で全滅した。これで倭人たちは、アジア大陸から追い出され、海の中で孤立した。 当時の情勢では、いまにも唐軍が日本列島に上陸して、そこの住民を征服し、中国領にする危険がさし迫っていた。これは現実の危険だった。その危険を防ぐために、日本列島に住んでいた倭人たちと、出自がいろいろ違う華僑たちが団結して、倭国王家のもとに結集した。
・歴史は文学だから、一つ一つの作品には、それに備わった機能というものがある。歴史を書く側の立場から言うと、その作品で歴史家が目ざした目標、狙った効果というものがある。
・世界はたしかに変化しているけれども、それは偶然の事件の積み重なりによって変化するのだ。しかしその変化を叙述する歴史のほうは、事件のあいだに一定の方向を立てて、それに沿って叙述する。そのために一見、歴史に方向があるように見えるのだ。
・フランス革命は、われこを正当な所有権者なり、と主張する各派のあいだの流血の争いになり、たくさんの犠牲者を出したあげく、最後にナポレオンが実権を握って1799年に第一総領になって、やっと「国民」が王の財産を相続するということで決着がついた。それで、かつての王の財産はぜんぶ、フランス人という国民の「国家」だ、ということになった。こうしてフランスでも国民国家が誕生した。
・国民国家という形態が復旧したおもな原因は、軍事だ。ナポレオンが軍事の天才だったことに加えて、国民国家は、戦争に強かった。 君主制だと、君主は自分の財布からお金をはたいて、兵隊を雇って、訓練して、だいじに使わなくちゃいけない。大規模の常備軍をかかえておくことは、あまり金がかりすぎて、ほとんど不可能に近い。これにくらべて、国民軍は、ほとんど無限に多数の兵士を徴兵でき、短期間で大軍を動員できる。
・アメリカ人は、君主制は、なにか邪悪なものだ、と思っている。なにか不自然なものだ、と思っている。アメリカ合衆国の建国によって、人類の長年の理想がはじめて実現した、と思っている。民主主義が全世界に広まるのが、歴史の必然であり、それを実現するのが、アメリカの神聖な使命だ、と信じている。こういう、反論を許さない、頭ごなしの割りきりかたは、イデオロギーそのもので、マルクス主義とおっつかっつの、非論理的な信仰なのだ。
・中国という国民国家は、20世紀のはじめの1912年に中華民国ができるまで、まだなかった。だから朝鮮の国王や、ヴェトナムの皇帝が、清朝皇帝に代々朝貢して、冊封を受けていたからといって、それで朝鮮国やヴェトナム国が、清朝の宗主権を承認して、新帝国の保護国だったことにはもちろんならない。国民国家というのものは、18世紀末のアメリカ独立とフランス革命をきっかけとして発生して、19世紀の帝国主義時代に世界じゅうに広まったものなので、19世紀以前の朝貢と冊封に基づく外交関係は、「宗主国」と「保護国」の関係などとは、ぜんぜん意味が違うのだ。

小さなチーム、大きな仕事―37シグナルズ成功の法則

37signalsの経営陣による経営哲学本。37signalsは日本ではあまり知られていませんが、プロジェクト管理ツール「Basecamp」などをウェブサービスとして提供しており、インターネット系のひとには割に有名な会社です。独自の経営哲学も有名で、本書はそれらをまとめて、小さなチームで最大限の仕事をするための方法がたくさん書かれています。

もちろん37signalsの事業体の特殊性による部分もありますが、ウノウもエンジニア主体の会社であることもあり、非常に勉強になりました。いい部分は取り入れて行きたいと思います。

<抜粋>
・失敗は成功の源ではない。ハーヴァード・ビジネススクールのある調査によると、一度成功した起業家は次もうんと成功しやすい(次に成功する確率は34パーセント)。しかし最初に失敗した起業家が次に成功する確率は、はじめて起業する人と同じでたったの23パーセントだ。一度失敗している人は、何もしなかった人と同じぐらいにしか成功を収めていない。成功だけが本当に価値のある体験なのだ。
・午後二時、普通は会議中だったり、メールに返信していたり、同僚とおしゃべりしてたりしている。同僚に肩をポンとたたかれてその場で始まるちょっとした会議は害のないように思えるが、実際には生産性を蝕んでいる。作業の中断は協調作業ではなく、ただの中断だ。そして、あなたの仕事が終わらない。
・実際考えてみると、会議の本当のコストは信じ難いものだ。一時間かかる会議を設定し、参加者を10人招待したとしよう。これは実際には一時間の会議ではなく10時間の会議である。1時間の会議の時間と10時間の生産力を交換しているのだ。
・ToDoリストもより短くするようにしよう。長いリストにはゴミが集まる。長いリストに書かれたことをすべてやりとげたことがあるだろうか?
・たとえ有能な人でも必要のない人間を雇うことはない。有能な人を雇っても何もやることがないのでは、あなたの企業には百害あって一利なしなのだ。
・小さなチームでは、働いてくれる人間が必要なのであって、人に仕事を振る人間が必要なのではない。皆何かを生み出さなければならない。結果を出さないといけないのだ。
・メールを出してから返事がくるのに何日、何週間と待たされた経験は? どういう気持ちになっただろう? 近頃「待たされる」のが通常化してしまったせいか、「待つ」ことが普通と思い込んでいる人が実に多いのだ。

P.S.明日からGDC(ゲームデベロッパーズカンファレンス)でサンフランシスコです。かなり久しぶりで、グリーンカード放棄後、はじめての入国なので少しドキドキしてます。

その科学が成功を決める/リチャード・ワイズマン

イギリスの心理学教授リチャード・ワイズマンが豊富な科学的実験結果から常識と言われていることの間違いを指摘し、その代わり科学的効果の実証されている方法を提示するという構成になっています。といっても文章は平易でウィットに富んでいて非常に読みやすいです。久しぶりに抜粋コメント方式でいきます。

<抜粋&コメント>

  • (20種類のブレインストーミングの実験結果を分析したところ)驚くべきことに、実験の大半で、参加者が一人で考えるほうが集団で考えるより量も質も上という結果がでていた。
    ブレストの有効性については疑問は感じてはいたのですがここまではっきり結果が出ているのですね。個人的にはブレスト自体は他の人の自分では思いもつかない発言が元になって、「その後の」自分のアイデアを出すのにいい効果があるように思います。なので、ブレストはあくまでアイデアを集める場所と捉えて、実際は企画者がじっくりと考えて決めるのがいいのではないかと思います。
  • 職場に花や観葉植物が置かれていると、男性社員から出されるアイディアが15パーセント増え、女性社員の場合は問題への対応が以前より柔軟になった。
    さっそく観葉植物を買おうw
  • おそらく誰もが大好きな行動、“仕事中に寝転がる”が科学的に検証された。オーストラリア国立大学のダレン・ニプニッキとドン・バーンは、参加者に後文字からなるアナグラムの問題を、直立姿勢とマットレスに横になった姿勢の両方で解いてもらった。(中略)おもしろいことに、横になった参加者の方が問題を解く速度がおよそ10パーセント速く、したがって制限時間内の正解率も高かった。
    オフィスに横になれるところつくりたいけど、どうやったら作れるかなぁ。コタツはあるので、広めに畳とかを敷き詰めたらいいかもしれない。
  • 科学的な実験結果から言うと、いざという場合は配偶者より飼い犬にそばにいてもらったほうが、あなたの健康にはよさそうだ。 おもしろいのは、猫では同じことが言えない点だ。研究によると猫と暮らしているとマイナスの気分が軽くなりはしても、目立って気持ちが穏やかになることはなく、心臓発作を起こした場合に、12ヶ月後の生存率が高まるわけでもない。
    どっちかというと猫派なんですが、犬の方がいいのかな(苦笑)
  • 親はつい子どもの才能や知能をほめて、気分をよくさせたくなるものだ。だが、研究によると、そうしたほめ言葉はいい結果を生まないようだ。ほめるなら子どもの努力や、集中力、時間の使い方などをほめるほうがはるかに効果がある。たとえばあなたの子どもが試験でいい点をとったら、「ずいぶんよく勉強したね」「遊びにいったりしないで、時間をちゃんと使ってえらかったわ」「大変だったのに、よくがんばったね」などとほめる。(中略)こうしたほめ言葉で子どものがんばる力や柔軟性、忍耐力がはげまされる。さらにそれらの点を明確にするために、子供が自分の使った技術や作戦を思い出させるような質問をする。
    頭がいいとほめられるだけだと、同時に失敗を恐れるようになり、さらにがんばらなくてもできると勘違いする、そして実際に悪い成績を取るとやる気をなくしてしまうという。なるほど、ですね。

大人げない大人になれ!/成毛眞

元マイクロソフト日本法人社長の成毛氏によるエッセー。大人げない大人を自称するだけあって、あまのじゃくな主張がものすごく新鮮で、おもしろいです。えー、そこ否定しちゃうの?って感じで。しかし、実際のところ圧倒的な業績をあげるひとというのはこういう考え方をするひとなのだろうなとも思います。本書にはたくさん注目すべき主張がありますが、そのうち特に気になったものをいくつか。

(目標をもってはいけない)試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れることを知っているからだ。 それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり違和感を覚える。

確かにこれは不思議なことですね。僕も経営者という立場上、事業計画を立てたりもしますが、基本的に業績はかなり外部状況に影響されるので予測は非常に難しいです。それでも事業計画が必要だと思うのは、いつどのくらいヒトモノカネが必要になるのかを明らかにするためで、採用や資金調達などはすぐにできるというわけではないので目の前の課題だけでなくロングスパンで物事を考えるには役に立つと思います。

一方でベンチャーであれば、ビジネスモデルが強固ではないことも多いため、計画には織り込まずに、常に非連続な成長を目指して違うことをやってみることも必要だと思います。この際に気をつけなければいけないのは、小さいビジネスをいくら生み出してもあまり意味はないということで、ビックビジネスを生み出すために何を仕込んでいけるかが重要なのかなと。

(キャリアプランはもたない)キャリアプランニングのカウンターとなる考え方に、「Planned Happened Stance」というものがある。日本語では「計画された偶然性」とされている。これは、目標を定めた計画性を志向するキャリアプランニングに対して、世界を不確実なものと捉え柔軟性を重視する考え方である。(中略)ビジネスの世界に身を投じるのであれば、どこで自分を活かすことができるか、どういったところで最も面白く働けそうかを常に考えなければならない。そして一度チャンスを見つけたら、思い切って飛びつくことが必要である。おそらくこれ以外に成功の秘訣と呼べるものはないはずだ。

キャリアプランニングというのに確かに違和感を感じていたのですよね。状況なんてどんどん変わるし、10年、20年も見据えてキャリアプランニングしていくのなんて、本当にできるのかと。

チャンスに飛びつく以外に「成功の秘訣と呼べるものはないはずだ」と言い切ってしまう辺りがおもしろいのですが、肌感覚としては非常に近いかなと。キャリアがとか言ってないで、もっと自分を信じて、自分が面白いと思ったことに身を投じる方がいいんだろうなと思いました。

抜粋はすごく長くなってしまったのですが、ご興味があればどうぞ。

<抜粋メモ>
・どういうわけか日本では、我慢を美徳として考える傾向がある。そして、強い自制心を持つことが大人の証明になるとされる。しかし、私の周囲の成功者とされる人に、我慢強い人物は見当たらない。逆に、やりたいことがまったく我慢できない、子供のような人ばかりだ。そういう人は、好きでやっているのだから、時間を忘れていくらでもがんばるし、新しいアイデアも出てくる。我慢をして嫌々ながらやっている人が、こういう人達に勝てるはずがないではないか。
・(GoogleのYouTube買収について)M&Aの世界では、会社の買収を考えるとき、対象会社の抱える訴訟リスクを注意深く見積もって意思決定を行うものだが、これほど大規模な訴訟リスクを抱える事例も珍しかったのではないか。当時の報道によると、グーグルは、この訴訟対策として2億ドル以上の預託金を用意したという。こういった会社を買収するには、過剰な自信と勇気が必要だ。
・昨年頃から、爆発的に始まったように見えるこの「おバカタレント」ブームだが、実はこのようなキャラクターは、いつの時代にも存在していると言える。(中略)古くは狂言や歌舞伎のような日本の伝統芸能にも、おバカ・天然ボケとして描かれた役柄が多く存在する。
・日本を見回すと、こうした素人の発表の場が沢山ある。保険会社が主催するサラリーマン川柳や、新聞社による写真コンクール、近年話題になっているケータイ小説など、挙げればキリがない。日本人は発信したがりの民族なのである。
・多くの大人は、たとえ興味を引かれる物事を見つけても、自分で言い訳を並べ立てて手を出さないものだ。もう少し仕事が落ち着いたら、とか、何かきっかけがあればと考える。しかし、いつまでたっても仕事は落ち着くことはないし、そう都合よくきっかけが訪れることもない。
・自分より偉い人や強い人の意見をいったんはすべて否定していく(中略)なぜこのようにするのかといえば、権力を持った人の考えは、完璧な独裁者でもない限り、民主主義の論理に沿って部分最適に向かうからである。乱暴に言えば、自らの地位を守るために自然と大衆に迎合していくのだ。
・若者がラーメン屋やブティックを一軒だけ経営し始めたところで、ベンチャーとは呼ばない。ベンチャービジネスとは、権力や権威に反抗し、他人が無視しているようなものに己の人生を賭けることである。これに価値が付与され、人を追従させることができると、そこに差益が生まれ大きな儲けを手にすることができるのだ。
・仕方がないことだが、人間は年齢を重ねるに連れて保守的になりやすい生き物である。もし人が、どの程度保守的なのかを計ることができるのであれば、年齢に対して幾何級数的に上昇する様子が見て取れるように思う。これは知識や経験が蓄積すればするほど、自分の中での枠組みが固まってくるためであって、その枠組みを崩して新しいものを取り入れるコストが上昇していくのである。
・プロフェッショナルの定義は、ここまで触れたようにあいまいなものだ。しかし、人がプロフェッショナルを自任するようになると、どうも失敗や間違いを恐れるようになるのではないかと感じる。
・(目標をもってはいけない)試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れることを知っているからだ。 それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり違和感を覚える。
・もしどうしても目標を立てたいのであれば、ほとんど実現不可能なくらいの大きな目標を持つべきだろう。しかし、これ自体はその達成方法を考えるのには役には立たない。自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入し、何かしらの変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。
・何か新しいものが生まれるときは、たいていそのきっかけに偶然性をはらんでいる。アイデアを生み出すには、この偶然性をいかに自分の味方につけるかが重要になるのだ。
・(キャリアプランはもたない)キャリアプランニングとは、情報収集を重ねて計画的なステップアップを設計することなのだそうだが、こんなものが一体何の役に立つのだろうか。そもそもどんなに時間をかけて情報収集したところで、知ることができるのは今日現在のことだけである。ビジネスの世界で、今日現在のことにいくら詳しくなろうとも仕方ないのだ。かといって、数年後の見通しをつけようとすれば、それはこの上なく厄介なことである。もし、数年後のことがある程度でも予想できるのであれば、その人はキャリアプランナーになって他人の愚痴を聞くよりも、自分でビジネスを起こした方が比べ物にならないほど儲かるだろう。こういった人たちが、あなたの人生を保障することなどできないのは当然のことである。
・キャリアプランニングのカウンターとなる考え方に、「Planned Happened Stance」というものがある。日本語では「計画された偶然性」とされている。これは、目標を定めた計画性を志向するキャリアプランニングに対して、世界を不確実なものと捉え柔軟性を重視する考え方である。(中略)ビジネスの世界に身を投じるのであれば、どこで自分を活かすことができるか、どういったところで最も面白く働けそうかを常に考えなければならない。そして一度チャンスを見つけたら、思い切って飛びつくことが必要である。おそらくこれ以外に成功の秘訣と呼べるものはないはずだ。
・「こんな資格を持っている」ということばかりアピールする人間は、同時に「僕は同じ資格を持っている人間となら、いつでも交換可能です」と言っているようなものである。
・結局のところ、英会話も資格も、この勉強に躍起になる人が目指すところは一緒なのである。第三者にわかりやすく評価してもらうことで安心したいだけなのだ。しかし、わざわざ他人と同じ尺度で評価されるところに飛び込んで、どんないいことがあるのだろうかと私は思う。
・(神話をつくろう)個人でも会社でも、最も効果的なマーケティングの方法は、神話をつくることである。神話というと少し仰々しいかもしれないが、人が人に話したくなるような面白い話だと理解してくれればいい。
・自分自身が実際に体験できることは、本当にごくわずかのことだけだ。自分がいるその時間、その場所のことだけしかわからない。人間は常に時間と地理の制約を受けるのである。 しかし読書をすることで、この制約を超えた世界のことを疑似体験することができる。
・読書についてよくある勘違いが二つある。ひとつは、本は始めから最後まで全てよまなければならないということだ。そしてもう一つは、読んだ本の内容は覚えていなければならないということである。

事実に基づいた経営/ジェフリー フェファー、ロバート・I. サットン

スタンフォード大学の教授2人の共著。タイトルがあまりにも固いのですが、内容はかなりおもしろいです。ビジネス書でよく語られている定石に対して、本当にそうなのかを問いかけて、事実ではそうでないケースもありますよ、というのが大体の流れです。しかし、定石を根っから否定しているわけではなく、いろいろなケースがあるのだから事実を冷静に見極めて、判断せよということを書いています。

とはいえ、結局のところ何が正解なのか本書が明らかにしてくれるわけではないので、最後は自分で考え決めなければいけないわけですが。そのための考え方の流れが描かれていて、それが非常におもしろく勉強になるのが、本書の特徴かなと思います。

<抜粋>
・第三に、経営者が、大量のビジネス書、記事、カリスマ、コンサルタントなどから仕入れるアドバイスは全く整合性がないことである。人気のビジネス書から、次のような全く反対のアドバイスの例を挙げてみよう。「カリスマ性のあるCEOを採用せよ」vs「謙虚なCEOがよい」、「複雑系を取り入れろ」vs「シンプルこそベストだ」、「戦略に集中せよ」vs「戦略計画など無益だ」。読めば読むほど混乱する。
・さらに悪いことに、良いアドバイスと悪いアドバイスを見分けることは簡単ではないため、経営者たちは往々にして間違った手法を実践してしまう。その一つの理由は、コンサルタントというのは、仕事を取ってくることで評価されるが、良い仕事をしたかどうかというのは二の次で、実際に提言が効果をあげたかは、評価にほとんど関係ないことである。さらにすごいのは、もし問題が十分解決されなければ、解決されない問題のためにコンサルティング会社の仕事がまた入ってくることである。
・もし、われわれの意見がコンサルティング会社に対してひどすぎると思うのなら、あなたのお気に入りのコンサルタントに、「コンサルティング会社の提言なり経営手法が実際にどのような効果をあげたか」の証拠を見せてくれるように頼んでみよう。
・私たちはベインの調査は評価したいと思っているが、なぜ同社がそのホームページで表を提示し、「われわれのクライアントは市場平均に比べて三倍の業績をあげている」などとホラを吹いているのか、理解に苦しむ。ベインの優秀なコンサルタントたちは、相関関係があるといっても、それがベインのコンサルティングが業績をあげた証明になるわけではないとわかっているはずだ。そもそも、業績の良い会社はコンサルタントを雇うだけの資金の余裕があったと見ることもできる。実際、ベインが本当に業績に貢献したかどうかは何の証拠もない。まさか、ホームページを見た人が、その瞬間に統計のクラスで学んだことを忘れることを期待しているわけではないとは思うが。
・その会社では、その前年に顧客満足度と効率性を上げるためにシックスシグマが導入されていた。サットンは講演の中で、シックスシグマやTQMなどのプロセス改善手法によって、効率は上がるがイノベーションが減ることを指摘した。それに対して、自称「品質管理の鬼」「品質の伝道師」たちがやって来て、シックスシグマはイノベーションも含めた品質の改善に役立っていると反論した。このグルたちは、10年もの経験があり、しかもシックスシグマやTQMがイノベーションに貢献した事例を一つもあげられないのにもかかわらず、そう言い張ったのである。
・「ユニホームを身につけると、個人の好みよりもグループのゴールや価値観を大切にする」心理的な力が働くことが実証されている。
・こうした研究から明らかなことは、「才能がすべてだ」といったような見方は、あたかも才能が初めから決まっていることを前提としている、という意味で危険であるということだ。こうした見方をすると、どうせ始めから決まっているのだから努力しても無駄だ、自分たちは何もできないといった考え方を(部下を含めて)生むことになる。しかし、例えば基本的な認識能力は、テストで測れる部分で見る限り、向上させることは思った以上に簡単なのである。向上できると思えば向上できる。しかし、これは大変重要なのだが、逆にもしこうした能力は上がらないと思い込んでいると、やはり上がらないのである。
・ジェームス・トレイビッグが言ったとおりだ。「金に釣られて入社する奴らは、金に釣られて辞める」。
・最近最もポピュラーな「経営資源から見た企業」という戦略理論によれば、競争優位は価値があり、かつ希少な資源を持つことによって生まれるが、その優位が継続するためには、その資源は競争相手が真似をして追いつけないよう、真似できにくく、何か別のもので代替できないものでなくてはならない。したがって、問題は「企業を成功に導く戦略というのは、(他社にとって)理解したり真似したりすることが難しいのか?」ということになる。
・デルの社員が、製品からねじ一本減らすのにどれだけ時間を使っているか(それによって製造時間が四秒短縮される)を聞いただけで、それまでして製造の効率性を上げようとする取組みは、自分で会社を経営したり、自分のような人を雇って他の会社の問題を解決したいと思っている頭の良いMBAにはあまり魅力的に映らないであろうことは想像がつく。
・変革を成功させた企業は賞賛され、リーダーは神のようにあがめられる一方、過去にこだわる企業は馬鹿にされる。結局、「変わるか、さもなくば死ぬか」なのだ。あるグルに言わせれば、「イノベーションをするか死ぬか、どちらのほうがよいか?」 こうしたスローガンや信念は完全な間違いではないが、半分しか正しくない。変革もイノベーションも危険な両刃の剣なのである。
・インテルの共同創業者であり、元CEOでもあるアンディ・グローブが退任後にこんな告白をしている。「誰も将来のことなんてわからない。私もだ」という彼の意見に対して、それではどのようにして社員を動機づけていたのかと尋ねられ、「うーん、自己規律の面もあるし、幻想という面もある」と答えた。「そして幻想は現実になった。自分を過大評価し、実際よりも良く見せるようにしたという面では幻想かもしれない。しかし、自信を持って行動しているふりをしていると、実際に自信が出てくる。だから、幻想はもう幻想でなくなる」

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法/駒崎弘樹

NPOフローレンス代表の駒崎氏がワーカホリック状態からいかにワークバランスを保つ状態に持っていったかかなり具体的に書いています。そして、家庭など人生のすべてを「働く」と捉えて、トータルで「働き方革命」を起こすことを提唱しています。

僕は、よくいろんなことに手を出してるので、仕事暇なんだね、と言われますが、そうでもなくて、基本的にはすべてを駒崎氏がいう広義の意味での仕事と捉えていて、何一つ無駄なことなどないと思っています。いわゆる会社の仕事とプライベートが一体化しているので、土日でもメールを見ますし、平日でも遊んでいることもあるし、よく海外に行ったりしてます。でも、そうやって生きていくことで、やりたいことが出てくるし、目標へのモチベーションを保つこともできていると思います。

なので、本書によって「働き方革命」を起こすひとがたくさん出てくるといいなと思いました。前書「「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方」でも思いましたが、駒崎氏は本当に自然体なのに、いつでもチャレンジしていて純粋にすごいなと思います。独特のユーモアもあって読みやすいですし、ぜひ手に取ってみてください。

<抜粋>
・「全くうちの社員はなんてメンタルが弱いんだ。ちょっとくらい言われたからって、過剰に反応しすぎだ」と憤慨した。 そもそも社員の仕事は無駄話ばっかりに見えるし、もっとスピードをもって仕事ができるはずだ。そう考えるとイラついてきて、声を荒らげないにせよ、注意を繰り返すようになっていった。
・注意をすると、しばらくはミスはなくなる。だから注意を重ねる。結果的に注意しないといけない点を探すようになる。勢い、社員の欠点やミスばかり目に入ってきて、長所や頑張ってる点が見えなくなっていった。 しかし「うちの社員には、まだ褒めるネタなんてない。これから彼らが成長したら、褒めよう」と考えるようにした。
・昔から「パートナーとなるような人と出会いたい」と思って、色んな女性と付き合ってきた。しかし致命的な間違いを犯していたことに、「働き方革命」を始めた後に気づいた。パートナーというものがいて、それに出会うのではない。人はパートナーになっていくのだ。しかもそれを相手に期待するのではなく、自分が変わることで新しい関係性を創りだすことができるのだ。
・大人になって僕は仕事というレベル上げをやっていた。毎日同じ電車に乗り、仕事の種類は違うけれど、毎日仕事をし、毎日同じ電車で帰り、寝る。僕のレベルは多分あがっている。そのうち99になるのかも知れない。

聖(さとし)の青春/大崎善生

プロ棋士、村山聖を追った壮絶なドキュメント。重い病気を抱えながら、命を火をともしてトップグループまで駆け上る姿が感動的です。あの羽生氏とも何度も対戦しており、何度か勝ってます。家族愛、師弟愛、好敵手との交流など、どれをとっても非常に密度が濃くて、これだけ破天荒な人物が現代に存在したのが信じられない気分になります。若くして亡くなったのが非常に残念です。自分ももっと濃く生きていこうと思いました。内容は壮絶なのですが、元気がもらえます。

金持ち父さん貧乏父さん/ロバート キヨサキ

大学時代に読んだときは強い衝撃を受けて何度も読み返したものですが、久しぶりに読み返してみても非常に独特でおもしろい作品です。

具体的な方法はあくまで例だといい、読者に根本的な考え方を変えるように求めているところがおもしろいです。この本は日本だけで300万以上部売れているそうで、であれば300万人が金持ちになっているかというとそういうわけではないのがさらにおもしろいところ。ベストセラーなだけに文章も非常に平易だし、分かりやすいのですが、実はかなり奥深い。結局のところどこまで咀嚼して、行動に移せるかが重要ということなんでしょうね。

個人的には、この本を買う人が増えれば増えるほど、ロバート・キヨサキが金持ちになっていることに気づくことが重要なポイントだと思ったりしてます(笑)

一つおもしろかったのは、この本は2000年に発売(原書はもっと前と推測)されてますが、こんなことを書いてます。

私たちはいま、歴史上かつてなかったほど興奮に満ちた時代に生きている。後世の人たちはこの時代を振り返り、なんて活気に満ちあふれた時代だったことかとためいきをつくに違いないーーあの時代こそ、古きものの死と新しきものの誕生の時代だった。混乱に満ち、だからこそ興奮に満ちた時代でもあったと。

まさしく! 本当におもしろい時代に生まれて、いつも幸せだなぁと思ってます。でも、もっとおもしろいことが待ってる気がします。

<抜粋>
・「教えるっていうのは話したり、授業をしたりすることなのかい?」 「ええ、そうだと思いますけど」 「それは学校で教えるやり方だ」金持ち父さんは笑みを浮かべながら言った。「でも人生はそんなふうな教え方はしない。だけど、人生がだれよりもすぐれた先生だってことはたしかなのさ。たいていの場合、人生はきみに話しかけてきたりしない。きみのことをつついて、あちこち連れまわすだけだ。人生はそうやってきみとつつくたびにこう言っているんだ。『ほら、目を覚ませよ! きみに学んでもらいたいことがあるんだよ』ってね」
・「あるいは、きみがガッツのない人間だったら、人生につつかれるたびになんの抵抗もせずに降参してしまうだろう。そして、一生安全な橋だけを渡り続け、まともなことだけをやり、決して起こることのない人生の一大イベントのために一生エネルギーをたくわえ続けるんだ。そして、最後は退屈しきった老人になって死ぬ。とても働き者で気のいいきみにはたくさんの友達ができるだろう。だが、実際きみがやったことといえば、人生につつきまわされ、されるがままになっていただけだ。心の奥底で、きみは危険を冒すことを恐れていた。本当は勝ちたかったのに、負けるのが怖くて勝利の感激を味わおうとしなかった。そして、自分がそうしなかったことをきみは知っている。きみだけが、心の奥底でそのことを知っている。きみは安全なこと以外はしない道を選んだんだ」
・「きみはものの見方を変えなくちゃだけだよ。つまり問題なのは私(注:金持ち父さん)だといって私を責めることをやめるんだ。私が問題なんだと思っていたら、私を変えなければそれは解決しない。もし、自分自身が問題なんだと気づけば、自分のことなら変えられるし、何かを学んでより賢くなることもできる。たいていの人が自分以外の人間を変えたいと思う。でも、よく覚えておくんだ。ほかのだれを変えることより、自分自身を変えることのほうがずっと簡単なんだ」
・「まず、お金を持たずにいることが怖いから必死で働く、そして給料を受け取ると欲張り心が頭をもたげ、もっとお金があればあれも買える、これも買えると考え始める。そのときに人生のパターンが決まる」 「パターンってどんな?」と私は聞いた。 「朝起きて、仕事に行き、請求書を支払う。また朝起きて、仕事に行き、請求書を支払う……この繰り返しだ。その後の彼らの人生はずっと恐怖と欲望という二つの感情に走らされ続ける。そういう人はたとえお金を多くもらえるようになっても、支出が増えるだけでパターンそのものは決して変わらない。これが、私が『ラットレース』と呼んでいるものなんだ」
・「『お金になんか興味はない』と言う人はおおぜいいるが、そう言いながら一日八時間せっせと働いている。そんなのは真実を否定していることにしかならない。本当にお金に興味がないのなら、なぜ働いているんだ? こういう考え方の人は、お金を貯め込んでいる人よりももっと異常と言えるかもしれない」
・「じゃあ、ぼくたちはどうすればいいんですか? 恐怖心や欲望がすっかりなくなるまで、お金のために働くなってことですか?」 「いやちがう。そんなことをするのは時間のむだだ。感情は人間であるかぎり避けられない。感情のおかげで私たちは人間でいられるんだ。『感情(emotion)』という言葉には活動するエネルギーという意味があるんだ。自分の感情に正直になって、自分にとって悪い方にではなく、自分のためになるように心と感情を使うんだ」(中略)「いま言ったことがよく分からなくても心配しなくていい、時間がたてば少しずつ分かっていくから。ただ一つ、感情に対してただ反応する人間ではなく、それを観察して考える人間になることを覚えておくんだ。たいていの人は、自分の行動や思考を支配しているのが感情だということに気づいていない。感情は感情として持っていていい。だが、それとは別に自分の頭で考える方法をまなばなくちゃいけないんだ」
・「たしかに経営を学ぶための場所はある。でもビジネススクールはたいてい、多少高度な『数字屋』を作るだけだ。数字屋では人に雇われるのがせいぜいで、自分でビジネスを興すことはできない。数字屋がやることといえば、数字をながめ、人の首を切り、ビジネスをつぶすことくらいだ。私はそういう数字屋を雇っているからよくわかるんだ。あの連中の考えることといったら、費用を切り詰め値段を上げることだけだ。そうやって問題を増やしているだけなんだ。たしかに数字は大事だ。もっと多くの人がそのことに気づけばいいのにと思うよ。でも、それだけがすべてじゃない」
・「たとえば『人はみんな働かなくちゃいけない』『金持ちはみんなペテン師だ』『給料をあげてくれなければ仕事を変わる。安くこき使われるのはまっぴらだ』『この仕事は安定しているから気に入っている』とか言う人は感情で考えている。そうじゃなく、『自分に見えていないことが何かあるんじゃないか?』というふうに自問すれば、感情的な思考を断ち切って、はっきりした頭で物事を考える時間ができるんだ」
・学校教育を終えるとたいていの人は、大切なのは大学の卒業証書や成績ではないことに気がつく。学校の外の実社会では、いい成績以外の何かが必要だ。それを「ガッツ」と呼ぶ人もいれば、「ずぶとさ」「やる気」「大胆さ」「はったり」「ずるがしこさ」「世渡りの技術」「ねばり強さ」「頭の切れ」などと呼ぶ人もいる。呼び名はなんであれ、この「何か」が、最終的には学校の成績などよりもその人の将来に決定的な影響を与える。
・偉大な投資家たちの大いなる頭脳に近づく唯一の方法は、おごらずたかぶらず、謙虚に彼らの言葉を読んだり、耳を傾けたりすることだ。自尊心が高くて人の話を謙虚に聞けない人、批判ばかりしている人は、本当は自分に自信がなくて危険を冒すことができない人間である場合はよくある。その理由は明らかだ。何か新しいことを学ぶとき、それを完全に理解するためには失敗を冒す必要がある。自信がある人でなければそんなことはできない。

P.S.ここ数日どしどし書評あげてますが、リアルタイムに読んでるわけではありませんので、、普段は読んだ本を書きためていて「おもしろい本だけを」徐々にエントリしているのですが、最近エントリする時間が足りなかったという経緯です。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略/クリス・アンダーソン

『ワイアード』誌編集長による著作。フリー(無料)に関しての歴史や心理学などから、現代のデジタル時代のコピーなどフリーについて、まとめた本。いろいろな事例やそれに対する考え方などが載っていて非常に勉強になります。

ただ、まとめというかくくり方についてはまだまだ試行錯誤が続いている現在からすると、無理矢理感は否めないかもしれません。むしろ、様々なケースを知ることが自分がやっていることに対して何かしらのインスパイアを得るタイプの本かなと思います。

最近思ってるのは、会社の時価総額なんかは同じようなことやってる会社の売上と利益を比べて見ても、結局適正な価格なんて誰にも分からないし、ある芸能人やプロスポーツ選手がどのくらい稼いでいるか聞いても妥当なのかよく分からないわけで、お金にこだわりすぎてもしょうがないなと。

意味や価値があることをやれば、お金はついてきます。もちろんそこからもっとマネタイズするというのは努力はしてもいいけど、もっと人間やることに遊びがあっていいと思うし、お金儲けできるかどうかというのは一般的に考えられている以上に偶然の要素が大きい気がします。

例えば、音楽がネットでコピーされる前のミュージシャンはすごく儲けられたけど今は儲けるのが難しいとか。時を経て変わりゆくものだから、個人の才能とかではどうしようもないことは多い。

人生お金においては損するくらいでよくて、得したって誰かからあいつは不当に儲けてるって思われても嫌だし。だから僕はお金が絡まなくても個人的におもしろいなと思ったことはやるし、そうでないことはやらない。もちろんそれは甘いことなのかもしれないけど、それでもいいじゃないかとも思う。毎日楽しんで、幸せを感じつつ、自分の興味のおもむくままに生きていきたいなと。

<抜粋>
・デンマークのあるスポーツジムは、会員が少なくとも週に一度来店すれば、会費が無料になるプログラムを実施している。だが一週間に一度も来店しなければその月の会費を全額納めなければならない。その心理効果は絶大だ。毎週通うことで、自信がつくし、ジムも好きになる。いつか忙しいときが来て、来店できない週が出てくる。そうすると会費を支払うが、そのときは自分しか責められない。
・十七世紀以降、市場や商人階級の役割は、多くの地域で全面的に受け入れられるようになった。(中略)「すべてのものに価格がある」という考えは、わずか数世紀ほどの歴史しかないのだ。
・低品質の無料バージョン(低音質でいつ曲がかかるのかわからないラジオ)は、音質のよい有料バージョンを買ってもらうためのすぐれたマーケティング手法となり、ミュージシャンの収入は、演奏からレコードの著作権使用料に移った。現在のフリーは、形を変えて同じやり方をしている。無料の音楽配信がコンサート・ビジネスを成長させるためのマーケティング手法となっているのだ。そのなかで変わらないものと言えば、音楽レーベルがあいかわらずこれに反対していることだ。
・米と小麦を主食とする社会は農耕社会で、内側へ向く文化になりやすい。おそらく米と小麦を育てる過程で彼らはかなりのエネルギーをとられてしまうからだ。一方、マヤやアステカなどトウモロコシを主食とする文化は、時間とエネルギーが余っていたので、よく近郊の部族を攻撃したという。
・(人口学者で生物学者のポール・エリック)は、1975年までに「信じられないほど広範囲で」飢饉が起こり、1970年代と80年代で何億人もが餓死し、世界は「真の欠乏の時代」に入ると予測していた(これがはずれたにもかかわらず、彼は1990年にマッカーサー財団の天才賞を受賞した。受賞理由は、「環境問題に対する世間の理解を大いに高めた」ことだった)。
・実際は売上げを5ドルから5000万ドルに増やすのは、ベンチャー事業にとってもっともむずかしい仕事ではありません。ユーザーになにがしかのお金を払わせることがもっともむずかしいのです。すべてのベンチャー事業が抱える最大のギャップは、無料のサービスと1セントでも請求するサービスとの間にあるのです。
・知的財産に関する議論では、保護に賛成反対どちらの意見もまったく筋が通っているので、それはパラドックスだと言えます。パラドックスは私たちが関心を持つ物事の多くを動かしています。たとえば結婚生活がそうです。彼女と一緒にはいられない。でも彼女なしではいられない。両方の発言ともに真実です。そして、その両者の力関係が結婚生活を何よりもおもしろくしているのです。
・そのあとに起きたことには、ヤフー幹部全員が驚いた。ヤフーの有料サービスからユーザーが大挙して逃げる事態は起こらなかったのだ。広告なしのメールなど、そこにはお金を払うに足る利点が残っていたし、契約を更新しなかったユーザーも年間契約をしていたのですぐにはやめなかったからだ。とにかくユーザーは大きく習慣を変えることなく、せっせと不要なメールを削除しつづけ、容量の消費量はヤフーが心配していたほど急には伸びなかった。
・自動掃除機のルンバのことを考えてみてほしい。円盤形のルンバが動くのを眺めていると、そのマヌケさを残念に思わずにはいられない。でたらめに部屋の中を行ったり来たりしながら、急に引き返して、あきらかに汚れている部分をそのままにしたりする。ところが、どういうわけか最後には、不規則に動いていてもカーペット前面をあまさずカバーしてきれいにする。人間がやれば五分で終わることがルンバには一時間かかるかもしれない。だがそれは自分の時間ではなく機械の時間だ。そして、機械にはいくらでも時間があるのだ。
・(ブラジルのバンド)バンダ・カリプソは、CDの売上げが自分たちの懐へ入ってこなくても気にしない。カリブソの主な収入源はライブ興行であり、それはうまくいっている。町から町を移動しながら、ライブ前にその町に激安のCDを大量に投下するやり方で、カリプソは年に数百回のライブを行う。通常は週末に二回か三回のライブを打って、国中をマイクロバスかボートで旅して回るのだ。

ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたか/エド キャットマル

メイキング・オブ・ピクサー」が会社としては歴史に主題が置かれているのに対して、本書はピクサーがどのように優れた作品を生み出しているのかに焦点を当てられています。

特に複雑なことをやっているわけではないのですが、しかしそれを根付かせるのは非常に大変だと思いました。個人的にはピクサーは理想像に近い会社のひとつなので、いいなと思った部分はどんどん取り入れていきたいなと思いました。

<抜粋>
・(ジョン・ラセター監督の標語)技術が芸術を刺激し、芸術が技術に挑む
・(事後分析のやり方)具体的なやり方としては、「次の作品でも繰り返してやりたいこと」と「次の作品では避けたいこと」を、それぞれ五点ずつ参加者に挙げてもらうのも効果的な方法です。否定的なことだけを話し合うのではなく、肯定的なことを取り上げてバランスを取ることで、参加者は安心して発言できるようになります。
・ピクサー大学では、油絵から彫刻、脚本執筆、演技といったクラスから、ヨガやピラティスまであらゆるコースが用意されている。ピクサーのスタッフが教師として自らの技術を伝授する場合もあれば、外部から教師を招聘することもある。ピクサーで働く人なら誰でも講習を受けることができ、受講料は無料。さらに、受講のためなら仕事を休むことが許される。

世界史のなかの満洲帝国/宮脇淳子

満洲というと、戦前に日本が事実上植民地化していた中国の一部ですが、本書では満洲という土地の成り立ちから始まって、どのような社会情勢の中で、どのように満洲帝国が成立し、そしてどのように中国に還っていったのかをまとめています。

かなりの部分をその前の時代の中国や韓国、日本の情勢に割いています。著者の言うように、僕も中国にも確固たる国家が存在している上で徐々に土地を奪って行ったという印象を漠然と持っていましたが、その時代の詳細を読むと、中国大陸自体が相当に混乱しており、内乱で政権が頻繁に交代しており、各地に軍閥が存在し、かつソ連や欧米各国の思惑が複雑に絡み合っていたということが非常によく分かります。

だからといって、日本が行ったことがよいことだとはまったく言えませんが、世界のどこの国も帝国主義的に植民地化を進めていた時代だという背景はよく理解しておく必要があると思いました。

新書ですが、非常にクオリティの高い作品だと思います。著者によればこのように満洲を中心として、歴史を描いた書籍はほとんどないらしく、非常に貴重な内容になっていると思います。

<抜粋>
・洛陽盆地に黄河文明が発生したのは、この一帯でだけ黄河を渡ることができた、という理由からである。黄河の北側は、東北アジア、北アジア、中央アジアへ通じる陸上交通路が集まり、南側は、東シナ海、インド洋への水上交通路が、ここからはじまった。
・表意文字である漢字は、違う言語を話していた人びとの交易のための共通語として発展した。漢文の古典には、文法上の名詞や動詞の区別はなく、接頭辞もなく、時称もない。どんな順序で並べてもいい。発言は二の次で、目でみて理解するための通信手段である。これはマーケット・ランゲージの特徴である。
・中国における官僚も市場の役員の性格を保存していて、その地位を利用して口利き料を取るのは当然の権利とされていた。賄賂も、あまり程度がひどくないかぎり合法である。直接に税金徴収の責任を負う地方官は原則として無給で、一定の責任額を中央に送金したあとの残りは合法的に自由にできる。公金も私金もふやすことができるのが有能な地方官であった。中国文明のこのような性格は、多くの日本人が渡った二十世紀はじめの満洲や中国にも生き残っていたし、共産主義を放棄した現代中国ではふたたび表面化している。
・日本列島の状況も似たようなもので、倭人の聚落と、秦人、漢人、高句麗人、百済人、新羅人、加羅人など、雑多な系統の移民の聚落が散在する地帯であった。古い倭人の聚落はいずれも山の中腹か丘の上にあり、焼畑農耕の村だったが、渡来人たちが平野部を開拓して食料の生産が増加し、都市の成長うながした。 当時の日本列島に倭国という国家があって、それを治めるものが倭王だったわけではなく、倭王が先にあって、その支配下にある土地と人民を倭国といったのである。
・国民国家では、国民の範囲を確定するために「国境」が引かれて「国土」が囲い込まれ、国民は「国語」と「国史」を共有することが強制される。 明治維新当時の日本は、江戸時代の鎖国政策のおかげで海外に日本人はほとんどおらず、北海道以外は国境線の内側すべてが日本人であるという、国民国家の条件にまことによくあてはまっていた。開国した日本は、無条件でこの新しいイデオロギーを取り入れることができたのである。しかし、中国大陸はそういうわけにはいかなかった。
・1915年、次項で述べる二十一ヶ条要求を日本から強いられた袁世凱は、7月、これをいちおう解決すると、11月、帝政を復活し、みずから皇帝になることを宣言した。しかし、日英露仏は袁世凱に帝政延期を勧告し、国内においても、袁世凱子飼いの段祺惴と 馬(注:にすいに馬)国璋さえも賛成せず、副総統黎元洪は辞意を表明した。雲南から反袁世凱の第三革命の火蓋が切られ、部下の広西将軍陸永廷も独立したため、さすがの袁世凱もやむをえず3月に帝政を取り消し、民国の称号に復した。在位八十三日であった。
・1945年8月に日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたとき、満洲帝国には155万人の日本人がいた。壮年男子を徴兵されたあとの22万人の開拓移民のうち一万人以上がソ連の侵攻で殺され、シベリアに抑留された60万人のうち6万人が命を失った。それ以外にも、引き揚げまでの収容所生活で、13万人が伝染病や栄養失調などで亡くなった。そして、生き残った日本人はほとんど全員内地、つまりいまの日本国に引き揚げたのである。
・そもそも関東軍の任務は満洲の防衛であったが、1934年以降は、ソ連領内に侵攻作戦をおこなうように変更された。関東軍の兵力は、1931年当時は二個師団6万人にすぎなかったが、1941年には70万人になっていた。国内における反満抗日軍は、当初は30万人にものぼり関東軍を悩ませたが、1935年ごろにはやや平静に帰した。

たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する/レナード・ムロディナウ

いわゆる偶然性に関する作品で、前半は今までどこかの本で読んだような事例もあり個人的にはいまいちだったのですが(ただこの手の作品が初めてなら非常に楽しめると思います)、後半、特に最終章が抜群におもしろいです。

世の中の成功と失敗には偶然が非常に大きく作用することについては疑いはありませんが、さらに実際には人が他人を判断する際にも、成功している俳優や経営者、政治家などを過大に評価してしまう性質について豊富な研究例や実例を用いて示しています。

しかし、個人的に響いたのは、ではそれではどうすればいいかについて、偶然を引き寄せるためにできる限り「前向きに歩き続け」ろと書いている点でした。

とりわけ私が学んだことは、前向きに歩き続けることだ。なぜなら、幸いなことに、偶然がかならず役回りを演じるので、成功の一つの重要な要素、たとえば打席に立つ数、危険を冒す数、チャンスを捉える数が、われわれのコントロール化にあるからだ。失敗のほうに重みをつけてあるコイン投げでさえ、ときには成功が出る。あるいは、IBMのパイオニア、トーマス・ワトソンが言ったように、「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」ということだ。

つまり、何かを成し遂げたければ、諦めずに失敗し続けろ、挑戦する数だけは自分で決められるのだから、ということでしょうか。そして、偶然が悪い方向に振れた時でもそれを受け止めること。成功したとしても、自らの成功が必然であったと驕らないこと。これが本書を読んで僕が感じたことです。

ブラックスワン」は世の中の偶然性が高まっていることをシニカルな見方で描いていましたが、それに対してどうしたらいいかは示してくれませんでした。しかし、本書ではその次について(全体からするとごくわずかですが)言及している点で新しいと思います。

<抜粋>
・すべての分野の成功者が、ほとんど例外なく、ある特定の人間集団ーー決して諦めない人間集団ーーの一員であるのはそのためだ。
・もし屋根から飛び降りればSAT(米・大学進学適性試験)の点数を598点から625点に上げてくれるというなら多くの学生が(親とともに)そうするだろうが、点数を30点上げたければ、単に適性試験をあと二回受ければそれが叶うチャンスは十分あることを明らかにしている研究について話す教育者はほとんどいない。
・実際アップル社は、音楽プレイヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリングの方法で、その問題にぶつかった。というのは、真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出すが、同じ歌が同じアーティストによって繰り返し演奏されるのを聞いたiPodユーザーが、シャッフルはランダムではないと思ったからだ。そこで「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と、アップル社の創業者スティーブ・ジョブスは言った。
・1995年のある研究によれば、『バロンズ』誌(米・金融投資週刊誌)が招いた高額所得の「ウォールストリート・スーパースター」8〜12人によるバロンズ年次円卓会議での市場分析は、平均市場収益程度しか当っていなかった。
・単なる偶然で印象的な成功のパターンを示す分析家やミューチュアル・ファンドはいつだって存在するだろう。また多くの研究が、そうした過去の市場の成功は未来の成功のよい指標ではないことをーーつまり、その成功はおおにただの幸運であることをーー明らかにしているが、大半の者が、株式仲買人やミューチュアル・ファンドの専門家の推薦は金を払うに値すると考えている。だから多くの投資家が、それも知的な投資家さえ、法外な手数料がかかるファンドを買う。
・たとえばノーベル賞受賞経済学者マートン・ミラーは、こう書いている。「もし株を眺め、勝ち馬を選ぼうとしている人間が一万人いるとすれば、一万人のうちの一人は偶然だけで成功する。それが起きていることのすべてだ。それはゲームであり、それは偶然の作用であり、人々は何か意図的なことをしていると考えているが、じつはそうではない」
・たとえば、最近コロンビア大学とハーバード大学の研究者は、困難な時期には経営陣を刷新することで対応すべしという株主の要求に、社の定款上逆らうことが難しい多くの企業を調査した。その結果、経営陣をクビにして三年のうちは、平均的に、事業成績に少しも印象的な改善が見られないことがわかった。CEOの能力差がどれほどであろうと、それはコントロールできないシステムの要素の作用に飲み込まれてしまう。
・ランダム・プロセスの科学的研究では、ドランカーズ・ウォークが原型である。そして日常生活においても、それが適切なモデルになる。というのも、われわれはブラウン運動をしている花粉粒のように、ランダムな事象によって、間断なく、こっちの方向に押されたりあっちの方向に押されたりしているからだ。その結果、社会的データの中に統計的規則性を見いだすことはできても、特定の個人の未来を予測することは不可能だし、われわれの特定の業績、仕事、友人、経済状態に関して言えば、多くの人が思っている以上に偶然に負っているところが大きい。
・われわれはスーパースター的なビジネス界の大立て者、政治家、俳優に、そしてプライベート・ジェットを乗り回している人物に、自動的に敬意を払ってしまう。まるで彼らの業績が、民間飛行機の機内食を食べざるを得ない人間にはないような、ユニークな才能を反映しているかのように。またわれわれは、専門知識を例証するような実績を誇る人間ーー政治評論家、金融・財政の専門家、ビジネスコンサルタントらーーの過度に厳密な予測に、これまた過度なまでの信頼を置いてしまう。
・ランダムネスの研究は、出来事に対する水晶的見解は可能だが、残念ながら、それができるのは唯一出来事が起きてからであることを教えている。われわれは、ある映画がなぜうまくいったのか、ある候補者がなぜ選挙に勝ったのか、なぜ嵐に襲われたのか、なぜ株価が下がったのか、なぜあるサッカーチームが巻けたのか、なぜある新製品が失敗したのか、なぜ病が悪化したのか、を理解していると信じている。しかしそうした専門知識は、ある映画がいつうまくいくか、ある候補者がいつ選挙に勝つか、嵐がいつ襲うか、株価がいつ下がるか、あるサッカーチームがいつ負けるか、ある新製品がいつ失敗するか、病がいつ悪化するか、を予測するうえでほとんど役に立たないという意味で、空疎である。
・過去を説明する話を考えだしたり、将来に対する曖昧なストーリーに確信をもつようになったりすることは簡単だ。また、そうした努力に落とし穴があるということは、われわれはそれを企てるべきではないということを意味しない。しかし、われわれは直感的誤信に陥らないようにすることができる。われわれは、解釈も予言も、懐疑心をもって見れるようになれる。われわれは出来事を予言する能力に頼るのではなく、出来事に対応する能力に、柔軟性、自信、勇気、忍耐のような人間的性質に、注意を向けることができる。そしてわれわれは、人のこれ見よがしな過去の業績よりも直接的印象に、より多くの重要性を置くことができる。そしてこのようにすれば、われわれは、自動的な決定論的枠組みの中で判断するのを食い止めることができる。
・エコノミストのW・ブライアン・アーサーは、小さい要素が合流すると、特段強みのない会社が競争相手を凌ぐようになると説く。彼はこう書いている。「現実の世界では、いくつかの同じような規模の会社がともにある市場に参入した場合、小さな幸運ーーたとえば、予想外の注文、バイヤーとの偶然の巡り会い、思いつき的経営上の知恵ーーによって、どの会社が早々と売れはじめ、時間が経つとどの会社が支配するようになるか、といったことが決まることがある。経済活動は小さすぎて予見できないような個々の取引によって(決まり)……、これらの小さな“ランダムな”事象は蓄積すると、そのうちにポジティブ・フィードバックによって拡大されることがある」
・それは市場に対する決定論的な考え方、つまり、成功を支配しているのは主として個人または製品に固有の特質であるという見方だ。しかし別なものの見方、つまり、非決定論的な見方がある。この見方では、質は高いが知られていない本、歌手、俳優がごまんと存在し、そこから何かを、あるいは誰かを傑出させるものは、主に、ランダムで小さな要素の同時発生ーーつまり、ラックーーということになる。そしてこの見方でいくと、伝統的な経営陣は単に無駄骨を折っていることになる。
・(ビルゲイツについて)つまり、W・ブライアン・アーサーであれば言うように、人びとはみんながDOSを買っていたからDOSを買ったのだ。流動的なコンピュータ起業家の世界において、ゲイツは集団から抜け出す一個の分子になった。しかし、もしキンドールの非協力がなかったら、IBMのビジョンの欠如がなかったら、サムとゲイツの二度目の出会いがなかったら、ゲイツがどんな洞察力や商才を有しているとしても、ゲイツは世界一の富豪ではなくただの一ソフトウェア起業家になっていたかもしれないし、まただから彼のビジョンはただの一人のソフトウェア起業家のそれとしか見えないのだ。
・どう見ても、才能を富に比例させることは間違いだろう。われわれは人の潜在力を目にすることはできない。できるのは結果だけだが、われわれはしばしば結果が人格を反映するものと考えて、人びとを間違って評価してしまう。人生のノーマル・アクシデント理論が示しているのは、行動と報酬の関係がランダムであるということではなく、ランダムな作用はわれわれの特質や行動と同じぐらい重要であるということである。
・能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉ーー偶然の役割ーーを忘れないようにすることだ。
・母の体験は私に、手にしている幸運を識別し、評価し、また自分の成功に関わっているランダムな出来事を認識すべきであることを教えてくれた。それはまた私に、われわれに深い悲しみをもたらすかもしれない偶然の出来事を受け入れるようにも教えてくれた。