働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法/駒崎弘樹

NPOフローレンス代表の駒崎氏がワーカホリック状態からいかにワークバランスを保つ状態に持っていったかかなり具体的に書いています。そして、家庭など人生のすべてを「働く」と捉えて、トータルで「働き方革命」を起こすことを提唱しています。

僕は、よくいろんなことに手を出してるので、仕事暇なんだね、と言われますが、そうでもなくて、基本的にはすべてを駒崎氏がいう広義の意味での仕事と捉えていて、何一つ無駄なことなどないと思っています。いわゆる会社の仕事とプライベートが一体化しているので、土日でもメールを見ますし、平日でも遊んでいることもあるし、よく海外に行ったりしてます。でも、そうやって生きていくことで、やりたいことが出てくるし、目標へのモチベーションを保つこともできていると思います。

なので、本書によって「働き方革命」を起こすひとがたくさん出てくるといいなと思いました。前書「「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方」でも思いましたが、駒崎氏は本当に自然体なのに、いつでもチャレンジしていて純粋にすごいなと思います。独特のユーモアもあって読みやすいですし、ぜひ手に取ってみてください。

<抜粋>
・「全くうちの社員はなんてメンタルが弱いんだ。ちょっとくらい言われたからって、過剰に反応しすぎだ」と憤慨した。 そもそも社員の仕事は無駄話ばっかりに見えるし、もっとスピードをもって仕事ができるはずだ。そう考えるとイラついてきて、声を荒らげないにせよ、注意を繰り返すようになっていった。
・注意をすると、しばらくはミスはなくなる。だから注意を重ねる。結果的に注意しないといけない点を探すようになる。勢い、社員の欠点やミスばかり目に入ってきて、長所や頑張ってる点が見えなくなっていった。 しかし「うちの社員には、まだ褒めるネタなんてない。これから彼らが成長したら、褒めよう」と考えるようにした。
・昔から「パートナーとなるような人と出会いたい」と思って、色んな女性と付き合ってきた。しかし致命的な間違いを犯していたことに、「働き方革命」を始めた後に気づいた。パートナーというものがいて、それに出会うのではない。人はパートナーになっていくのだ。しかもそれを相手に期待するのではなく、自分が変わることで新しい関係性を創りだすことができるのだ。
・大人になって僕は仕事というレベル上げをやっていた。毎日同じ電車に乗り、仕事の種類は違うけれど、毎日仕事をし、毎日同じ電車で帰り、寝る。僕のレベルは多分あがっている。そのうち99になるのかも知れない。

聖(さとし)の青春/大崎善生

プロ棋士、村山聖を追った壮絶なドキュメント。重い病気を抱えながら、命を火をともしてトップグループまで駆け上る姿が感動的です。あの羽生氏とも何度も対戦しており、何度か勝ってます。家族愛、師弟愛、好敵手との交流など、どれをとっても非常に密度が濃くて、これだけ破天荒な人物が現代に存在したのが信じられない気分になります。若くして亡くなったのが非常に残念です。自分ももっと濃く生きていこうと思いました。内容は壮絶なのですが、元気がもらえます。

金持ち父さん貧乏父さん/ロバート キヨサキ

大学時代に読んだときは強い衝撃を受けて何度も読み返したものですが、久しぶりに読み返してみても非常に独特でおもしろい作品です。

具体的な方法はあくまで例だといい、読者に根本的な考え方を変えるように求めているところがおもしろいです。この本は日本だけで300万以上部売れているそうで、であれば300万人が金持ちになっているかというとそういうわけではないのがさらにおもしろいところ。ベストセラーなだけに文章も非常に平易だし、分かりやすいのですが、実はかなり奥深い。結局のところどこまで咀嚼して、行動に移せるかが重要ということなんでしょうね。

個人的には、この本を買う人が増えれば増えるほど、ロバート・キヨサキが金持ちになっていることに気づくことが重要なポイントだと思ったりしてます(笑)

一つおもしろかったのは、この本は2000年に発売(原書はもっと前と推測)されてますが、こんなことを書いてます。

私たちはいま、歴史上かつてなかったほど興奮に満ちた時代に生きている。後世の人たちはこの時代を振り返り、なんて活気に満ちあふれた時代だったことかとためいきをつくに違いないーーあの時代こそ、古きものの死と新しきものの誕生の時代だった。混乱に満ち、だからこそ興奮に満ちた時代でもあったと。

まさしく! 本当におもしろい時代に生まれて、いつも幸せだなぁと思ってます。でも、もっとおもしろいことが待ってる気がします。

<抜粋>
・「教えるっていうのは話したり、授業をしたりすることなのかい?」 「ええ、そうだと思いますけど」 「それは学校で教えるやり方だ」金持ち父さんは笑みを浮かべながら言った。「でも人生はそんなふうな教え方はしない。だけど、人生がだれよりもすぐれた先生だってことはたしかなのさ。たいていの場合、人生はきみに話しかけてきたりしない。きみのことをつついて、あちこち連れまわすだけだ。人生はそうやってきみとつつくたびにこう言っているんだ。『ほら、目を覚ませよ! きみに学んでもらいたいことがあるんだよ』ってね」
・「あるいは、きみがガッツのない人間だったら、人生につつかれるたびになんの抵抗もせずに降参してしまうだろう。そして、一生安全な橋だけを渡り続け、まともなことだけをやり、決して起こることのない人生の一大イベントのために一生エネルギーをたくわえ続けるんだ。そして、最後は退屈しきった老人になって死ぬ。とても働き者で気のいいきみにはたくさんの友達ができるだろう。だが、実際きみがやったことといえば、人生につつきまわされ、されるがままになっていただけだ。心の奥底で、きみは危険を冒すことを恐れていた。本当は勝ちたかったのに、負けるのが怖くて勝利の感激を味わおうとしなかった。そして、自分がそうしなかったことをきみは知っている。きみだけが、心の奥底でそのことを知っている。きみは安全なこと以外はしない道を選んだんだ」
・「きみはものの見方を変えなくちゃだけだよ。つまり問題なのは私(注:金持ち父さん)だといって私を責めることをやめるんだ。私が問題なんだと思っていたら、私を変えなければそれは解決しない。もし、自分自身が問題なんだと気づけば、自分のことなら変えられるし、何かを学んでより賢くなることもできる。たいていの人が自分以外の人間を変えたいと思う。でも、よく覚えておくんだ。ほかのだれを変えることより、自分自身を変えることのほうがずっと簡単なんだ」
・「まず、お金を持たずにいることが怖いから必死で働く、そして給料を受け取ると欲張り心が頭をもたげ、もっとお金があればあれも買える、これも買えると考え始める。そのときに人生のパターンが決まる」 「パターンってどんな?」と私は聞いた。 「朝起きて、仕事に行き、請求書を支払う。また朝起きて、仕事に行き、請求書を支払う……この繰り返しだ。その後の彼らの人生はずっと恐怖と欲望という二つの感情に走らされ続ける。そういう人はたとえお金を多くもらえるようになっても、支出が増えるだけでパターンそのものは決して変わらない。これが、私が『ラットレース』と呼んでいるものなんだ」
・「『お金になんか興味はない』と言う人はおおぜいいるが、そう言いながら一日八時間せっせと働いている。そんなのは真実を否定していることにしかならない。本当にお金に興味がないのなら、なぜ働いているんだ? こういう考え方の人は、お金を貯め込んでいる人よりももっと異常と言えるかもしれない」
・「じゃあ、ぼくたちはどうすればいいんですか? 恐怖心や欲望がすっかりなくなるまで、お金のために働くなってことですか?」 「いやちがう。そんなことをするのは時間のむだだ。感情は人間であるかぎり避けられない。感情のおかげで私たちは人間でいられるんだ。『感情(emotion)』という言葉には活動するエネルギーという意味があるんだ。自分の感情に正直になって、自分にとって悪い方にではなく、自分のためになるように心と感情を使うんだ」(中略)「いま言ったことがよく分からなくても心配しなくていい、時間がたてば少しずつ分かっていくから。ただ一つ、感情に対してただ反応する人間ではなく、それを観察して考える人間になることを覚えておくんだ。たいていの人は、自分の行動や思考を支配しているのが感情だということに気づいていない。感情は感情として持っていていい。だが、それとは別に自分の頭で考える方法をまなばなくちゃいけないんだ」
・「たしかに経営を学ぶための場所はある。でもビジネススクールはたいてい、多少高度な『数字屋』を作るだけだ。数字屋では人に雇われるのがせいぜいで、自分でビジネスを興すことはできない。数字屋がやることといえば、数字をながめ、人の首を切り、ビジネスをつぶすことくらいだ。私はそういう数字屋を雇っているからよくわかるんだ。あの連中の考えることといったら、費用を切り詰め値段を上げることだけだ。そうやって問題を増やしているだけなんだ。たしかに数字は大事だ。もっと多くの人がそのことに気づけばいいのにと思うよ。でも、それだけがすべてじゃない」
・「たとえば『人はみんな働かなくちゃいけない』『金持ちはみんなペテン師だ』『給料をあげてくれなければ仕事を変わる。安くこき使われるのはまっぴらだ』『この仕事は安定しているから気に入っている』とか言う人は感情で考えている。そうじゃなく、『自分に見えていないことが何かあるんじゃないか?』というふうに自問すれば、感情的な思考を断ち切って、はっきりした頭で物事を考える時間ができるんだ」
・学校教育を終えるとたいていの人は、大切なのは大学の卒業証書や成績ではないことに気がつく。学校の外の実社会では、いい成績以外の何かが必要だ。それを「ガッツ」と呼ぶ人もいれば、「ずぶとさ」「やる気」「大胆さ」「はったり」「ずるがしこさ」「世渡りの技術」「ねばり強さ」「頭の切れ」などと呼ぶ人もいる。呼び名はなんであれ、この「何か」が、最終的には学校の成績などよりもその人の将来に決定的な影響を与える。
・偉大な投資家たちの大いなる頭脳に近づく唯一の方法は、おごらずたかぶらず、謙虚に彼らの言葉を読んだり、耳を傾けたりすることだ。自尊心が高くて人の話を謙虚に聞けない人、批判ばかりしている人は、本当は自分に自信がなくて危険を冒すことができない人間である場合はよくある。その理由は明らかだ。何か新しいことを学ぶとき、それを完全に理解するためには失敗を冒す必要がある。自信がある人でなければそんなことはできない。

P.S.ここ数日どしどし書評あげてますが、リアルタイムに読んでるわけではありませんので、、普段は読んだ本を書きためていて「おもしろい本だけを」徐々にエントリしているのですが、最近エントリする時間が足りなかったという経緯です。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略/クリス・アンダーソン

『ワイアード』誌編集長による著作。フリー(無料)に関しての歴史や心理学などから、現代のデジタル時代のコピーなどフリーについて、まとめた本。いろいろな事例やそれに対する考え方などが載っていて非常に勉強になります。

ただ、まとめというかくくり方についてはまだまだ試行錯誤が続いている現在からすると、無理矢理感は否めないかもしれません。むしろ、様々なケースを知ることが自分がやっていることに対して何かしらのインスパイアを得るタイプの本かなと思います。

最近思ってるのは、会社の時価総額なんかは同じようなことやってる会社の売上と利益を比べて見ても、結局適正な価格なんて誰にも分からないし、ある芸能人やプロスポーツ選手がどのくらい稼いでいるか聞いても妥当なのかよく分からないわけで、お金にこだわりすぎてもしょうがないなと。

意味や価値があることをやれば、お金はついてきます。もちろんそこからもっとマネタイズするというのは努力はしてもいいけど、もっと人間やることに遊びがあっていいと思うし、お金儲けできるかどうかというのは一般的に考えられている以上に偶然の要素が大きい気がします。

例えば、音楽がネットでコピーされる前のミュージシャンはすごく儲けられたけど今は儲けるのが難しいとか。時を経て変わりゆくものだから、個人の才能とかではどうしようもないことは多い。

人生お金においては損するくらいでよくて、得したって誰かからあいつは不当に儲けてるって思われても嫌だし。だから僕はお金が絡まなくても個人的におもしろいなと思ったことはやるし、そうでないことはやらない。もちろんそれは甘いことなのかもしれないけど、それでもいいじゃないかとも思う。毎日楽しんで、幸せを感じつつ、自分の興味のおもむくままに生きていきたいなと。

<抜粋>
・デンマークのあるスポーツジムは、会員が少なくとも週に一度来店すれば、会費が無料になるプログラムを実施している。だが一週間に一度も来店しなければその月の会費を全額納めなければならない。その心理効果は絶大だ。毎週通うことで、自信がつくし、ジムも好きになる。いつか忙しいときが来て、来店できない週が出てくる。そうすると会費を支払うが、そのときは自分しか責められない。
・十七世紀以降、市場や商人階級の役割は、多くの地域で全面的に受け入れられるようになった。(中略)「すべてのものに価格がある」という考えは、わずか数世紀ほどの歴史しかないのだ。
・低品質の無料バージョン(低音質でいつ曲がかかるのかわからないラジオ)は、音質のよい有料バージョンを買ってもらうためのすぐれたマーケティング手法となり、ミュージシャンの収入は、演奏からレコードの著作権使用料に移った。現在のフリーは、形を変えて同じやり方をしている。無料の音楽配信がコンサート・ビジネスを成長させるためのマーケティング手法となっているのだ。そのなかで変わらないものと言えば、音楽レーベルがあいかわらずこれに反対していることだ。
・米と小麦を主食とする社会は農耕社会で、内側へ向く文化になりやすい。おそらく米と小麦を育てる過程で彼らはかなりのエネルギーをとられてしまうからだ。一方、マヤやアステカなどトウモロコシを主食とする文化は、時間とエネルギーが余っていたので、よく近郊の部族を攻撃したという。
・(人口学者で生物学者のポール・エリック)は、1975年までに「信じられないほど広範囲で」飢饉が起こり、1970年代と80年代で何億人もが餓死し、世界は「真の欠乏の時代」に入ると予測していた(これがはずれたにもかかわらず、彼は1990年にマッカーサー財団の天才賞を受賞した。受賞理由は、「環境問題に対する世間の理解を大いに高めた」ことだった)。
・実際は売上げを5ドルから5000万ドルに増やすのは、ベンチャー事業にとってもっともむずかしい仕事ではありません。ユーザーになにがしかのお金を払わせることがもっともむずかしいのです。すべてのベンチャー事業が抱える最大のギャップは、無料のサービスと1セントでも請求するサービスとの間にあるのです。
・知的財産に関する議論では、保護に賛成反対どちらの意見もまったく筋が通っているので、それはパラドックスだと言えます。パラドックスは私たちが関心を持つ物事の多くを動かしています。たとえば結婚生活がそうです。彼女と一緒にはいられない。でも彼女なしではいられない。両方の発言ともに真実です。そして、その両者の力関係が結婚生活を何よりもおもしろくしているのです。
・そのあとに起きたことには、ヤフー幹部全員が驚いた。ヤフーの有料サービスからユーザーが大挙して逃げる事態は起こらなかったのだ。広告なしのメールなど、そこにはお金を払うに足る利点が残っていたし、契約を更新しなかったユーザーも年間契約をしていたのですぐにはやめなかったからだ。とにかくユーザーは大きく習慣を変えることなく、せっせと不要なメールを削除しつづけ、容量の消費量はヤフーが心配していたほど急には伸びなかった。
・自動掃除機のルンバのことを考えてみてほしい。円盤形のルンバが動くのを眺めていると、そのマヌケさを残念に思わずにはいられない。でたらめに部屋の中を行ったり来たりしながら、急に引き返して、あきらかに汚れている部分をそのままにしたりする。ところが、どういうわけか最後には、不規則に動いていてもカーペット前面をあまさずカバーしてきれいにする。人間がやれば五分で終わることがルンバには一時間かかるかもしれない。だがそれは自分の時間ではなく機械の時間だ。そして、機械にはいくらでも時間があるのだ。
・(ブラジルのバンド)バンダ・カリプソは、CDの売上げが自分たちの懐へ入ってこなくても気にしない。カリブソの主な収入源はライブ興行であり、それはうまくいっている。町から町を移動しながら、ライブ前にその町に激安のCDを大量に投下するやり方で、カリプソは年に数百回のライブを行う。通常は週末に二回か三回のライブを打って、国中をマイクロバスかボートで旅して回るのだ。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT

マイケル・ジャクソン THIS IS IT マイケル・ジャクソン THIS IS IT (2009)

【監督】ケニー・オルテガ
【出演】マイケル・ジャクソン

★★★★☆ [90点]「偶然の産物のドキュメンタリーだけど、、」

マイケル・ジャクソンが亡くなることがなければ生まれなかった偶然の産物のドキュメンタリーなのでなかなか評価も難しいのですが、広義の感動を与えるのが映画だとすると、素晴らしい作品だと思います。

僕の中ではマイケル・ジャクソンと言えば、「Dengerous」だったりするのですが、それ以後、HR&HMに行ってしまい、J-POPを経て、HOUSEなひとになってしまったので、あまり接していませんでしたが、改めて聞いてみてすごくいい曲が多いし、マイケル・ジャクソンの音楽への真摯な取り組み方がかっこよかった。

僕は一度は六本木ヒルズで、もう一回はIMAXで観たのですが、二度目の方が親近感が湧いてしまって、冒頭の一緒に働くために選抜されたダンサーたちの熱い想いを聞いた時点で激しく感情移入して、その後は、IMAXの臨場感のあるサウンドと相まって、圧倒されてました。そして、もう観られないんだなと思うと、本当に残念な気持ちになりました。

たくさんのひとに観ていただきたいドキュメンタリーです。

Posted by suadd on 2009/12/29 with ぴあ映画生活

ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたか/エド キャットマル

メイキング・オブ・ピクサー」が会社としては歴史に主題が置かれているのに対して、本書はピクサーがどのように優れた作品を生み出しているのかに焦点を当てられています。

特に複雑なことをやっているわけではないのですが、しかしそれを根付かせるのは非常に大変だと思いました。個人的にはピクサーは理想像に近い会社のひとつなので、いいなと思った部分はどんどん取り入れていきたいなと思いました。

<抜粋>
・(ジョン・ラセター監督の標語)技術が芸術を刺激し、芸術が技術に挑む
・(事後分析のやり方)具体的なやり方としては、「次の作品でも繰り返してやりたいこと」と「次の作品では避けたいこと」を、それぞれ五点ずつ参加者に挙げてもらうのも効果的な方法です。否定的なことだけを話し合うのではなく、肯定的なことを取り上げてバランスを取ることで、参加者は安心して発言できるようになります。
・ピクサー大学では、油絵から彫刻、脚本執筆、演技といったクラスから、ヨガやピラティスまであらゆるコースが用意されている。ピクサーのスタッフが教師として自らの技術を伝授する場合もあれば、外部から教師を招聘することもある。ピクサーで働く人なら誰でも講習を受けることができ、受講料は無料。さらに、受講のためなら仕事を休むことが許される。

世界史のなかの満洲帝国/宮脇淳子

満洲というと、戦前に日本が事実上植民地化していた中国の一部ですが、本書では満洲という土地の成り立ちから始まって、どのような社会情勢の中で、どのように満洲帝国が成立し、そしてどのように中国に還っていったのかをまとめています。

かなりの部分をその前の時代の中国や韓国、日本の情勢に割いています。著者の言うように、僕も中国にも確固たる国家が存在している上で徐々に土地を奪って行ったという印象を漠然と持っていましたが、その時代の詳細を読むと、中国大陸自体が相当に混乱しており、内乱で政権が頻繁に交代しており、各地に軍閥が存在し、かつソ連や欧米各国の思惑が複雑に絡み合っていたということが非常によく分かります。

だからといって、日本が行ったことがよいことだとはまったく言えませんが、世界のどこの国も帝国主義的に植民地化を進めていた時代だという背景はよく理解しておく必要があると思いました。

新書ですが、非常にクオリティの高い作品だと思います。著者によればこのように満洲を中心として、歴史を描いた書籍はほとんどないらしく、非常に貴重な内容になっていると思います。

<抜粋>
・洛陽盆地に黄河文明が発生したのは、この一帯でだけ黄河を渡ることができた、という理由からである。黄河の北側は、東北アジア、北アジア、中央アジアへ通じる陸上交通路が集まり、南側は、東シナ海、インド洋への水上交通路が、ここからはじまった。
・表意文字である漢字は、違う言語を話していた人びとの交易のための共通語として発展した。漢文の古典には、文法上の名詞や動詞の区別はなく、接頭辞もなく、時称もない。どんな順序で並べてもいい。発言は二の次で、目でみて理解するための通信手段である。これはマーケット・ランゲージの特徴である。
・中国における官僚も市場の役員の性格を保存していて、その地位を利用して口利き料を取るのは当然の権利とされていた。賄賂も、あまり程度がひどくないかぎり合法である。直接に税金徴収の責任を負う地方官は原則として無給で、一定の責任額を中央に送金したあとの残りは合法的に自由にできる。公金も私金もふやすことができるのが有能な地方官であった。中国文明のこのような性格は、多くの日本人が渡った二十世紀はじめの満洲や中国にも生き残っていたし、共産主義を放棄した現代中国ではふたたび表面化している。
・日本列島の状況も似たようなもので、倭人の聚落と、秦人、漢人、高句麗人、百済人、新羅人、加羅人など、雑多な系統の移民の聚落が散在する地帯であった。古い倭人の聚落はいずれも山の中腹か丘の上にあり、焼畑農耕の村だったが、渡来人たちが平野部を開拓して食料の生産が増加し、都市の成長うながした。 当時の日本列島に倭国という国家があって、それを治めるものが倭王だったわけではなく、倭王が先にあって、その支配下にある土地と人民を倭国といったのである。
・国民国家では、国民の範囲を確定するために「国境」が引かれて「国土」が囲い込まれ、国民は「国語」と「国史」を共有することが強制される。 明治維新当時の日本は、江戸時代の鎖国政策のおかげで海外に日本人はほとんどおらず、北海道以外は国境線の内側すべてが日本人であるという、国民国家の条件にまことによくあてはまっていた。開国した日本は、無条件でこの新しいイデオロギーを取り入れることができたのである。しかし、中国大陸はそういうわけにはいかなかった。
・1915年、次項で述べる二十一ヶ条要求を日本から強いられた袁世凱は、7月、これをいちおう解決すると、11月、帝政を復活し、みずから皇帝になることを宣言した。しかし、日英露仏は袁世凱に帝政延期を勧告し、国内においても、袁世凱子飼いの段祺惴と 馬(注:にすいに馬)国璋さえも賛成せず、副総統黎元洪は辞意を表明した。雲南から反袁世凱の第三革命の火蓋が切られ、部下の広西将軍陸永廷も独立したため、さすがの袁世凱もやむをえず3月に帝政を取り消し、民国の称号に復した。在位八十三日であった。
・1945年8月に日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたとき、満洲帝国には155万人の日本人がいた。壮年男子を徴兵されたあとの22万人の開拓移民のうち一万人以上がソ連の侵攻で殺され、シベリアに抑留された60万人のうち6万人が命を失った。それ以外にも、引き揚げまでの収容所生活で、13万人が伝染病や栄養失調などで亡くなった。そして、生き残った日本人はほとんど全員内地、つまりいまの日本国に引き揚げたのである。
・そもそも関東軍の任務は満洲の防衛であったが、1934年以降は、ソ連領内に侵攻作戦をおこなうように変更された。関東軍の兵力は、1931年当時は二個師団6万人にすぎなかったが、1941年には70万人になっていた。国内における反満抗日軍は、当初は30万人にものぼり関東軍を悩ませたが、1935年ごろにはやや平静に帰した。

たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する/レナード・ムロディナウ

いわゆる偶然性に関する作品で、前半は今までどこかの本で読んだような事例もあり個人的にはいまいちだったのですが(ただこの手の作品が初めてなら非常に楽しめると思います)、後半、特に最終章が抜群におもしろいです。

世の中の成功と失敗には偶然が非常に大きく作用することについては疑いはありませんが、さらに実際には人が他人を判断する際にも、成功している俳優や経営者、政治家などを過大に評価してしまう性質について豊富な研究例や実例を用いて示しています。

しかし、個人的に響いたのは、ではそれではどうすればいいかについて、偶然を引き寄せるためにできる限り「前向きに歩き続け」ろと書いている点でした。

とりわけ私が学んだことは、前向きに歩き続けることだ。なぜなら、幸いなことに、偶然がかならず役回りを演じるので、成功の一つの重要な要素、たとえば打席に立つ数、危険を冒す数、チャンスを捉える数が、われわれのコントロール化にあるからだ。失敗のほうに重みをつけてあるコイン投げでさえ、ときには成功が出る。あるいは、IBMのパイオニア、トーマス・ワトソンが言ったように、「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」ということだ。

つまり、何かを成し遂げたければ、諦めずに失敗し続けろ、挑戦する数だけは自分で決められるのだから、ということでしょうか。そして、偶然が悪い方向に振れた時でもそれを受け止めること。成功したとしても、自らの成功が必然であったと驕らないこと。これが本書を読んで僕が感じたことです。

ブラックスワン」は世の中の偶然性が高まっていることをシニカルな見方で描いていましたが、それに対してどうしたらいいかは示してくれませんでした。しかし、本書ではその次について(全体からするとごくわずかですが)言及している点で新しいと思います。

<抜粋>
・すべての分野の成功者が、ほとんど例外なく、ある特定の人間集団ーー決して諦めない人間集団ーーの一員であるのはそのためだ。
・もし屋根から飛び降りればSAT(米・大学進学適性試験)の点数を598点から625点に上げてくれるというなら多くの学生が(親とともに)そうするだろうが、点数を30点上げたければ、単に適性試験をあと二回受ければそれが叶うチャンスは十分あることを明らかにしている研究について話す教育者はほとんどいない。
・実際アップル社は、音楽プレイヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリングの方法で、その問題にぶつかった。というのは、真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出すが、同じ歌が同じアーティストによって繰り返し演奏されるのを聞いたiPodユーザーが、シャッフルはランダムではないと思ったからだ。そこで「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と、アップル社の創業者スティーブ・ジョブスは言った。
・1995年のある研究によれば、『バロンズ』誌(米・金融投資週刊誌)が招いた高額所得の「ウォールストリート・スーパースター」8〜12人によるバロンズ年次円卓会議での市場分析は、平均市場収益程度しか当っていなかった。
・単なる偶然で印象的な成功のパターンを示す分析家やミューチュアル・ファンドはいつだって存在するだろう。また多くの研究が、そうした過去の市場の成功は未来の成功のよい指標ではないことをーーつまり、その成功はおおにただの幸運であることをーー明らかにしているが、大半の者が、株式仲買人やミューチュアル・ファンドの専門家の推薦は金を払うに値すると考えている。だから多くの投資家が、それも知的な投資家さえ、法外な手数料がかかるファンドを買う。
・たとえばノーベル賞受賞経済学者マートン・ミラーは、こう書いている。「もし株を眺め、勝ち馬を選ぼうとしている人間が一万人いるとすれば、一万人のうちの一人は偶然だけで成功する。それが起きていることのすべてだ。それはゲームであり、それは偶然の作用であり、人々は何か意図的なことをしていると考えているが、じつはそうではない」
・たとえば、最近コロンビア大学とハーバード大学の研究者は、困難な時期には経営陣を刷新することで対応すべしという株主の要求に、社の定款上逆らうことが難しい多くの企業を調査した。その結果、経営陣をクビにして三年のうちは、平均的に、事業成績に少しも印象的な改善が見られないことがわかった。CEOの能力差がどれほどであろうと、それはコントロールできないシステムの要素の作用に飲み込まれてしまう。
・ランダム・プロセスの科学的研究では、ドランカーズ・ウォークが原型である。そして日常生活においても、それが適切なモデルになる。というのも、われわれはブラウン運動をしている花粉粒のように、ランダムな事象によって、間断なく、こっちの方向に押されたりあっちの方向に押されたりしているからだ。その結果、社会的データの中に統計的規則性を見いだすことはできても、特定の個人の未来を予測することは不可能だし、われわれの特定の業績、仕事、友人、経済状態に関して言えば、多くの人が思っている以上に偶然に負っているところが大きい。
・われわれはスーパースター的なビジネス界の大立て者、政治家、俳優に、そしてプライベート・ジェットを乗り回している人物に、自動的に敬意を払ってしまう。まるで彼らの業績が、民間飛行機の機内食を食べざるを得ない人間にはないような、ユニークな才能を反映しているかのように。またわれわれは、専門知識を例証するような実績を誇る人間ーー政治評論家、金融・財政の専門家、ビジネスコンサルタントらーーの過度に厳密な予測に、これまた過度なまでの信頼を置いてしまう。
・ランダムネスの研究は、出来事に対する水晶的見解は可能だが、残念ながら、それができるのは唯一出来事が起きてからであることを教えている。われわれは、ある映画がなぜうまくいったのか、ある候補者がなぜ選挙に勝ったのか、なぜ嵐に襲われたのか、なぜ株価が下がったのか、なぜあるサッカーチームが巻けたのか、なぜある新製品が失敗したのか、なぜ病が悪化したのか、を理解していると信じている。しかしそうした専門知識は、ある映画がいつうまくいくか、ある候補者がいつ選挙に勝つか、嵐がいつ襲うか、株価がいつ下がるか、あるサッカーチームがいつ負けるか、ある新製品がいつ失敗するか、病がいつ悪化するか、を予測するうえでほとんど役に立たないという意味で、空疎である。
・過去を説明する話を考えだしたり、将来に対する曖昧なストーリーに確信をもつようになったりすることは簡単だ。また、そうした努力に落とし穴があるということは、われわれはそれを企てるべきではないということを意味しない。しかし、われわれは直感的誤信に陥らないようにすることができる。われわれは、解釈も予言も、懐疑心をもって見れるようになれる。われわれは出来事を予言する能力に頼るのではなく、出来事に対応する能力に、柔軟性、自信、勇気、忍耐のような人間的性質に、注意を向けることができる。そしてわれわれは、人のこれ見よがしな過去の業績よりも直接的印象に、より多くの重要性を置くことができる。そしてこのようにすれば、われわれは、自動的な決定論的枠組みの中で判断するのを食い止めることができる。
・エコノミストのW・ブライアン・アーサーは、小さい要素が合流すると、特段強みのない会社が競争相手を凌ぐようになると説く。彼はこう書いている。「現実の世界では、いくつかの同じような規模の会社がともにある市場に参入した場合、小さな幸運ーーたとえば、予想外の注文、バイヤーとの偶然の巡り会い、思いつき的経営上の知恵ーーによって、どの会社が早々と売れはじめ、時間が経つとどの会社が支配するようになるか、といったことが決まることがある。経済活動は小さすぎて予見できないような個々の取引によって(決まり)……、これらの小さな“ランダムな”事象は蓄積すると、そのうちにポジティブ・フィードバックによって拡大されることがある」
・それは市場に対する決定論的な考え方、つまり、成功を支配しているのは主として個人または製品に固有の特質であるという見方だ。しかし別なものの見方、つまり、非決定論的な見方がある。この見方では、質は高いが知られていない本、歌手、俳優がごまんと存在し、そこから何かを、あるいは誰かを傑出させるものは、主に、ランダムで小さな要素の同時発生ーーつまり、ラックーーということになる。そしてこの見方でいくと、伝統的な経営陣は単に無駄骨を折っていることになる。
・(ビルゲイツについて)つまり、W・ブライアン・アーサーであれば言うように、人びとはみんながDOSを買っていたからDOSを買ったのだ。流動的なコンピュータ起業家の世界において、ゲイツは集団から抜け出す一個の分子になった。しかし、もしキンドールの非協力がなかったら、IBMのビジョンの欠如がなかったら、サムとゲイツの二度目の出会いがなかったら、ゲイツがどんな洞察力や商才を有しているとしても、ゲイツは世界一の富豪ではなくただの一ソフトウェア起業家になっていたかもしれないし、まただから彼のビジョンはただの一人のソフトウェア起業家のそれとしか見えないのだ。
・どう見ても、才能を富に比例させることは間違いだろう。われわれは人の潜在力を目にすることはできない。できるのは結果だけだが、われわれはしばしば結果が人格を反映するものと考えて、人びとを間違って評価してしまう。人生のノーマル・アクシデント理論が示しているのは、行動と報酬の関係がランダムであるということではなく、ランダムな作用はわれわれの特質や行動と同じぐらい重要であるということである。
・能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉ーー偶然の役割ーーを忘れないようにすることだ。
・母の体験は私に、手にしている幸運を識別し、評価し、また自分の成功に関わっているランダムな出来事を認識すべきであることを教えてくれた。それはまた私に、われわれに深い悲しみをもたらすかもしれない偶然の出来事を受け入れるようにも教えてくれた。

金融恐慌とユダヤ・キリスト教/島田裕巳

(本書は献本いただきました。献本、ありがとうございます)

日本の10大新宗教」の著者島田氏による新作で、現在の欧米型資本主義と宗教との関係を明らかにしようとした意欲作。例えば、終末論から100年に一度の金融危機といった言葉が出てきたり、アダムとイブが労働を課されたということから労働への罰の意識があるといったことが取り上げられています。

個人的には、内容が非常に斬新すぎて、そう言われればと思うもののまだ態度は保留にして、今後は、こういった見方もあるという前提で、いろいろなことを考えていきたいなと思います。

内容は非常に斬新でおもしろく、新書で読みやすいですし、ぜひ一読をおすすめします。

<抜粋>
・仮に2008年秋から2009年春にかけての半年ほど新聞やテレビ、さらにはインターネットといったメディアにほとんどふれることがなく、金融危機のニュースに接する機会がなかったという人がいたとしたら、世界が100年に1回の危機に見舞われたことを知らないままでいた可能性も考えられる。それほど、現実の社会は大きくは変わっていない。銀行の相次ぐ破綻で騒然としていたり、失業者が街に溢れるといった事態は起こっていないのである。
・ユダヤ・キリスト教の核心には、終末論が存在している。(中略)そうした信仰があるからこそ、同時多発テロや金融危機は、世の終わりが訪れたかのような、あるいはそれを予想させる出来事として解釈されることとなった。
・こうした政策は、20世紀はじめに革命を経て成立したソビエト連邦の共産主義政権において、具体的に実施された。だが、私的所有を廃して、それらを国家の所有に帰したとき、その国家をいかなる形で運営していくのかについては、それほど具体的な政策や方策は説明されていない。
・理想の世界を描き出そうとする試みが、こういった方向にむかいやすい点は、宗教における天国と地獄との対比にも示されている。 各宗教には特有の来世についての考え方が見られるが、おおむね地獄については詳細で、生き生きと描写されるものの、天国や極楽にかんしては、それほど詳細な描写がなされず、描かれた世界も、人をそこへ誘うような圧倒的な魅力を持ってはいない。凄惨な地獄の描写を通して、地獄にだけは落ちたくないという思いを抱かせ、それが、天国や地獄に生まれ変わることへの強い憧れを生んでいくが、人間が理想とする世界の姿を描き出すことは、案外に難しいのである。
・いったん取得した株を長期にわたって保有していれば、必ず利益が出るとも言われてきたが、最近の研究では、それが必ずしも事実でないことが証明されている。
・エデンの園にとどまっていられれば、アダムとイブは、死を免れることができたばかりか、労働の必要もなかった。労働は、いわば神に逆らった罰であり、それは本来的に苦役としての性格をもっている。ユダヤ教やキリスト教が広まった地域において、仕事と余暇の時間や期間が厳格に区別され、できるだけ労働時間を早く切り上げ、余暇に楽しみを見出そうとする傾向が強いのも、もとをたどれば、この旧約聖書の物語に行き着く。それは、労働のなかに生きがいを見いだしてきた日本人にはない考え方であり、労働観である。
・(明治維新前)日本人は、「宗教」という概念を知らなかった。宗教ということば自体は存在したものの、それは、宗派の教えの意味で、今日使われるような教団を組織し、定まった教えをもつ集団の意味での宗教という概念は知らなかった。
・経営者や幹部が桁違いの巨額の報酬を得るということは、欧米の企業では是認されるが、日本の企業においては許されない。それは、仕事のシステムが異なっているからで、アメリカの企業などでは、ボスの権限が絶対で、部下はひたすらその命令に従って行動することになるが、日本の企業では、上司の権限は制限され、むしろ部下によって祭り上げられる存在である。
・上司は、何か問題が起こったときには、最終的な責任をとらなければならないが、個別の仕事にかんしては、命令を下さなくても、部下が強調して仕事をし、個々の事柄について独自に判断していく体制が作られている。そうした形で仕事が進められている日本の企業のなかで、上司だけが巨額の報酬を得ることは難しいし、社員の納得は得られない。
・一神教の世界において、金融資本主義が過剰なほど発展を見せてきたのも、市場には神の見えざる手が働いているという信仰が存在し、市場に全面的な信頼を寄せることができると考えられたからである。あるいは、金融業者や金融機関は、人々のあいだにそうした信仰が広まっていることを前提に、積極的な投資を即すことができた。
・日本人が信頼を寄せることができるのは、目に見えない神ではなく、人であり、物である。日本人が物づくりということに強いこだわりをもち、そこに賭けてきたのも、洗練された技術を確立することができるなら、世界の諸国と十分に勝負することができ、安定した経済を実現できると確信してきたからである。

P.S.ここのところ慌ただしくてぜんぜん更新できてませんでした。。仕事納めもしたので、書きたかったことをばしばし書いていきます。

アフリカ 動きだす9億人市場/ヴィジャイ マハジャン

アフリカで本当に起こっていることを慎重に描いた良書。確かに、日本にいるとアフリカのニュースと言えば、紛争やインフレなどばかりで、地理的に遠いということもあって何だか縁も薄く危険なところという印象を受けるわけですが、実は決定的に問題のある国はそんなに多くなく、非常に力強く経済成長していることが分かり、かなり根本から認識を改めさせられます。本書からアフリカもすぐに中国やインドのような存在になっていき、市場としても世界に組み込まれていくのだなということが分かりました。アフリカ、早いうちに一度は行かないとと強く思いました。

<抜粋>
・驚くべきことに、ジンバブエは新たな投資家を引きつけてもいる。状況の悪化にもかかわらず、海外からの直接投資は2003年の400万ドルから、2005年には1億300万ドルまで増加。企業の時価総額が大幅に下落したこと、そしていずれはこの国も回復するだろうとの考えから、リスクを取る価値はあると多くの投資家が信じたのだ。
・仮にアフリカが一つの国だとすると、2006年の国民総所得(GNI)は9783億ドルになる。インドを上回り、世界第10位の経済規模だ。BRICsのうち中国以外の三ヶ国(ブラジル、ロシア、インド)を凌いでいる。もちろん、アフリカは一つの国ではない。だが、意外に豊かなのだ。
・(セルテス創業者モハメド・イブラヒム)「私はアフリカ人だ。アフリカについては内戦、法秩序の欠落、病気など、悪いことばかりが報道されていると常々感じていた。本当に悪いイメージだし、不当な話だと思う。そう、たしかに問題は多いが、アフリカはとても大きな場所だ。53の国があるうち、深刻な問題を抱えているのは4、5ヵ国くらいだろう。ハルツームだって、行ってみたらそこがスーダンの一部だと聞いて驚くと思うね」 一方、このマイナスイメージは、ビジネスという観点からは必ずしも悪いことばかりではないともイブラヒムは指摘する。「現実と認識の間にギャップがあると、いい商売ができる」(中略)「私はその気になれば立派な大型ヨットや飛行機を買うことだってできる。だが、これは私の義務だ。私たちはアフリカという一枚の大きな織物をなしている。私がアフリカで稼いだ金は本当は彼らのものなんだ」
・アフリカはばらばらの小さな国が集まった大陸であり、ビジネスに求められる「規模の経済」が成り立ちにくいという意見がある。だが、人口1億4000万人のナイジェリアはもちろん、アフリカ諸国の約3分の2がシンガポール(400万人)よりも人口が多い。
・アフリカは全人口の過半数が24歳未満であり、世界的に見ても最も若い市場を有している。人口調査局によると、ヨーロッパの人口が2050年までに6000万人減少すると言われている一方で、アフリカは9億人増えて現在の人口から倍増すると予測されている。
・携帯電話を所有しているアフリカ人は現在1億3000万超。世界で最も成長の早い携帯電話市場だ。
・先進国の視点では、アフリカでの携帯電話の成功が持つ意味を見落としがちだ。というのも、欧米において携帯電話は必需品というよりはむしろ目新しい商品であり、ビジネスツールだった。消費者はすでに固定電話を持っていたからだ。アフリカなど多くの発展途上地域では、携帯電話こそが初めて手に入れる通信インフラであり、零細企業に事業基盤を与え、地方と世界をつなぎ、知識を広める道具になる。一言で言えば、携帯電話は経済発展の根幹なのだ。
・サハラ以南のアフリカ人の半数が1日1ドル未満で生活している、という話はよく聞くが、これも慎重に検証しなければならない。人口密集地域では、五人家族や八人家族が一軒の家に住んでいることが多い。つまり、世帯としては1日5ドルから8ドルを稼ぐことができるわけで、1ヵ月にすればそれは180ドルになる。