ルポ資源大陸アフリカ/白戸圭一

毎日新聞記者で元南アフリカ特派員の白戸氏が書いたアフリカの実情。南アフリカはもちろんのことナイジェリアからスーダン、ソマリアなどに現地取材をしており、間一髪なシーンも何度も出てきます。その介あって様々な取材対象から多重的なコメントを引き出して、新聞という限られた紙面でないこともあり、非常に丁寧に分かりやすくアフリカが描かれています。

ここのところ新聞業界が苦境に陥ったりして、ジャーナリズムのあり方が問われていますが、本書を読むと、これこそがジャーナリズムであり、絶対に必要なものだという感を新たにしました。

非常に刺激的でおもしろいので、アフリカを少しでも知りたいと思う方には、とっかかりの一冊としてよいと思います。

<抜粋>
・ナイジェリア産原油の約半分を生産する最大手ナイジェリア・シェル社の2004年の推計では、同社の石油関連設備から盗まれた原油は1日辺り4万〜6万バレル。ドラム缶に換算すると実に3万1800〜4万7700本に相当する原油が毎日、パイプラインに開けられた穴から抜かれたり、沖合に停泊した偽のタンカーに積み込まれて密売されているのだ。これはもう、住民が貧しさに耐えかねてコソ泥を続けているというレベルの盗難量ではない。大規模な犯罪組織でなければ扱いきれない分量だ。
・私は発散さんに「スーダン政府は国際社会に対して、民兵を組織化したり支援した事実はないと一貫して否定しています。政府軍が村を襲撃することなどあり得ないとも言っています」と答えた。メッキーが通訳を終えると、周囲に集まっていた数十人の住民が一斉にどよめいた。 「本当ですか」 「じゃあ、襲撃の際に、なんで軍のヘリコプターが村の上を飛んでいたんだ」 テレビとも新聞とも無縁な人々が、自分たちを襲った惨劇が世界に向けてどう伝えられているかを知っているはずもなかった。命からがらキャンプに逃げてきた彼らにとって、襲撃の首謀者が自国政府であることは「常識」だったのである。
・無政府国家には警察が存在しない。立法機関も存在しないから、そもそも社会生活を律する法律がない。したがって、道義的な責任はともかく、法律上はソマリアで人を殺しても罪にはならない。そんなソマリアには天文学的な数の銃が氾濫しており、我々はソマリアの地に足をつけた瞬間から猛獣の檻に紛れ込んだウサギのような存在であった。(中略)入国前に我々が辿り着いた結論は、有能な私兵集団を護衛に付ける以外にないということであった。
・モガディシオ市民の日常生活の情報源はラジオである。モガディシオには、この時、十局のFMラジオ局があった。(中略)「特定の武装勢力が批判の的になると、当事者から怒りの電話がかかってくることもあります。でも、武装した人間が幅を利かせる国になってもう14年です。武装勢力を支持する国民なんて一握りしかいません。ラジオを通じて人々が自由に意見を言える社会をつくりたいと思います」

ゴールは偶然の産物ではない/フェラン・ソリアーノ

FCバルセロナがどのように世界的クラブになったのかを最高責任者(副会長)であったフェラン・ソリアーノ氏が書いています。MBA出身者らしく、サッカーという不確実性の高い業界ながら、ロジカルに考え、着実に手を打っているのが分かります。

しかし、読みながら、サッカークラブが国内リーグやチャンピョンズリーグで優勝できるのかどうかは確かに時々の運にも左右されますが、実際のビジネスもよく考えれば同じく運に左右されるわけで、サッカークラブを経営するというのは、普通の会社を経営するのとほとんど変わらないのだろうなとも思いました。

そのため、普通にまっとうな経営の成功例を知ることができ、サッカーファンにとっては欧州のサッカー業界でどのようなことが起きているかも同時に楽しめる一度に二回おいしい作品になっています。

日本はなぜ貧しい人が多いのか/原田泰

タイトルは統計的な事実の一つで、基本的に統計学を駆使して、一般に信じられている俗説の誤りを指摘し、さらにはそれではどうすればいいかまで仮説を提唱する内容になっています。統計の読み方にはいろいろな考えがあり、本書の読み方が必ずしも正しいとは言えないとは思いますが、いろいろと意外な事実を見せつけられると、もっと丁寧にものごとを見ていく必要があるのだなと痛感させられます。

特に年金について、なぜ今払いすぎになっているのかを高度経済成長と人口増で説明し、支給額と支給年限を3割カットすればほとんどすべての問題は解決するし、それでもまだ世界一のレベルにある、というのは目から鱗でした。

もちろん精査は必要だと思いますが、根拠のない削減やばらまきよりは、事実に基づいた国家経営をして欲しいものだなと思いました。これ以外のパートも非常に興味深くて、見識を広げる上でよい良作と思います。

<抜粋>
・要するに、1700年ごろまで、世界はほとんど一様に貧しかった。ところが、その後の300年で、世界のある国は豊かになり、他の国は貧しいままだった。これは、豊かな国が豊かなのは、他の国を貧しくしたからではないことを示唆する。
・子供のコストには、養育するための直接コストだけではなく、母親が子供を育てるためにあきらめなければならない所得が含まれる。(中略)失われた所得は、2億3719万延となる。これが例えば2人の子供を育てるためのコストで、1人当たりにすれば1億1860万円ということになる。もちろん、これに加えて食費や教育費もかかる。
・(年金について)人口が減少すれば有利な年金は払えない。しかし、これは当たり前のことではないだろうか。私は、むしろ、日本中のすべての高齢者が、払い込んでもいない年金が魔法のポケットから出てくるはずはなく、産んでもいない子供が年金を払ってくれるはずもない、という当たり前の事実を認識してくれると思っている。世代間の対立などあり得ない。すべての親は、次世代の子供の幸せを願っており、それが日本を繁栄させてきた。高すぎる年金は諦めてもらうしかないが、子供は、親にそれなりのプレゼントをすることを嫌がってもいない。年金のカットは、制度の永続性を保障し、人々にむしろ安心を与えるはずだ。
・年金支給額と支給年限を3割ずつカットすれば、年金支給額は(1-0.3)×(1-0.3)=0.49であるから半分になる。年金保険料引き上げは必要なくなるどころか、引き下げも可能になり、人口減少社会の問題は解決する。そして、年金をカットした後でも、日本の年金は世界一のレベルにある。年金の大幅なカットをした後でも、私たちは、日本の社会保障システムを誇りに思うことができる。これはすごいことだと思いませんか?
・日本の社会保障支出全体の対GNP比は2003年で17.7%と、国際的に見て低いが、高齢者向け支出に関しては、9.3%であり、ドイツの11.7%より低いものの、イギリスの6.1%、オランダの5.8%を大きく上回っている。では、何が低いのか。日本は医療費も低いが、もっとも低いのは家族を助ける支出だ。(中略)イギリスは、高齢者のための支出が日本の3分の2にすぎないのに、子供のためには日本の4倍も支出している。イギリスは、高齢者が我慢して、子供を育てる若者を助けている。これこそが未来のために現在を犠牲にする不屈のジョンブル魂だと私は思う。
・公務員の賃金水準が高い都道府県ほど、都道府県民の所得は低い傾向がある。(中略)なぜこのような傾向があるのだろうか。所得の低い県では、公務員の他に仕事がないので、公務員の賃金が相対的に高くなるというのが、通常の答えだろう。 しかし、公務員のほかに仕事がないのであれば、公務員の賃金も安くて済むはずだ。(中略)むしろ因果関係を逆にして考えるべきではないか。公務員の賃金が地域の賃金水準よりも高ければ、有能な人材が公務員になり、ビジネスには集まらない。だから、地域の経済発展が遅れるのではないか。

マネーの進化史/ニーアル ファーガソン

歴史におけるお金の起源から熱狂と失望など。ここ最近のバブルや壮大な失敗は見聞きしても、歴史に出てこないお金の歴史はよく知らなかったので大変興味深くおもしろかったです。最新の金融工学がどうというより、お金とは何かを考えるのが、お金を知り、お金に振り回されず、お金をコントロールすることに繋がります。全体を俯瞰できる良書だと思います。

<抜粋>
・はじめてコインがお目見えしたのは、紀元前600年ごろまでさかのぼれるようで、エフォエス(現トルコ領、イズミルの近く)にあるアルテミス神殿の遺跡で、考古学者たちが発見した。
・彼(注:アダム・スミス)が1776年に『国富論』を書いてから一世紀の間に、金融界では爆発的な改革が進み、ヨーロッパや北米でさまざまな形態の銀行が数多く生まれた。最も古くからあるのは、手形割引を行う銀行だ。
・(1970年ごろイギリスでは)収入や資本利得が高いと100%を超える限界税率が適用されたため、それまでに見られた貯蓄や投資の意欲を減退させた。福祉国家イギリスは、資本主義経済が機能するうえでなくてはならないインセンティブを奪ったように思えた。つまり、努力する者に与えられる「大金」という「アメ」、そして怠け者が被る「困窮」という「ムチ」が失われたのだった。
・このゲーム(モノポリー)を作ったそもそもの動機は、ひと握りの地主が借地人から徴収した地代で儲ける社会制度の不平等を暴くところにあった。(中略)このゲームが教えてくれるのは、最初の考案者が意図した点とはまったく逆で、「不動産を所有するのは賢い」ということだ。
・アメリカの住宅購入者に具体的な変化をもたらしたのは、連邦住宅局(FHA)だった。FHAは住宅ローンの借り手に政府が支援する保険を提供し、高額で(購入価格の最高80パーセント)、長期(20年)の、完全に割賦償還される低金利ローンを普及させようと試みた。(中略)魅力的だがどこに行っても代わり映えのしない典型的な郊外風景が広がる現代のアメリカは、このようにして生まれたと言っても過言ではない。
・一世紀あまり前、欧米の先進的なビジネスマンたちは、アジア全域には目もくらむようなチャンスが潜在していると考えた。(中略)ところが、西欧の資金を10億ポンドあまり投資したにもかかわらず、ヴィクトリア時代のグローバリゼーションの芽は、アジアのほぼ全域でうまく根ざさず、今日、植民地搾取として記憶される、苦い遺産だけが残った。
・いまになって振り返ってみれば(第一次世界)戦争の原因はいくらでも見つかり、しかも歴然としているのに、なぜ当時の人びとは悲劇的な戦争が起きる数日前まで、それらの点に気づかなかったのだろうか。一つには、流動性が豊富だったことと時間が惰性的に流れたことがあいまって、視界が曇っていたからかもしれない。世界の統合が進み、金融の技術革新がおこなわれたおかげで、投資家たちは安全感を高めた。さらに、普仏戦争という直近の大規模なヨーロッパ戦争から44年が経っていたし、ありがたいことに前回の戦争は短期間で終わっていた。
・2008年5月の時点では、中国がアメリカの景気後退の影響をまったく受けないなどということは、あり得ないように思われた。アメリカはいぜんとして中国の最大の輸出先であり、中国輸出総額のおよそ五分の一を占めていた。一方ここ数年、中国の成長に対する純輸出額の重要度は、かなり低くなった。そのうえ、潤沢な外貨準備高のおかげで、北京は悪戦苦闘するアメリカの銀行に資本注入できるくらい強い立場に立てた。
・最もあり得そうな事態は、アメリカと中国の政治的な関係が悪化することだ。争点の発端は貿易かもしれないし、台湾やチベットの問題、あるいはほかのまだ顕在化していない問題が起爆剤になるかもしれない。このようなシナリオは、信じがたいかもしれない。だが後世の歴史家たちが歴史を振り返るとき、このような展開になった経緯を説明しようとして、一連の因果関係をどうそれらしく組み立てるのかは容易に想像できる。

歴史とはなにか/岡田英弘

歴史というのはその時の国の都合によいように書かれているということを理解すべきだ、という著者の主張はとても分かりやすく、その視点でいろいろな歴史を紐解いたのが本書です。個人的には、本書の解釈には過激な部分もあるように思いますが、それもまた割り引いて捉えよ、というのが著者の主張だと思います。

しかし、著者のように歴史学者でない場合は、そこまで深く歴史を調べることはできないわけで、いろいろな本を読みながら、多面的に歴史や世界を捉えていく必要があるのだろうなと思います。

そういった意味で、その理解の助けの一つになる良書だと思います。非常に刺激的でおもしろいです。

<抜粋>
・「イン・シャー・アッラー」は、非イスラム教徒には、よく誤解される。キリスト教徒は、この表現を「イスラム教徒は不誠実で無責任なやつらだ。気が変わったら約束は守らないんだ」というふうに受け取りやすい。しかし、イスラム教徒に言わせれば、全力を挙げて約束を守るつもりでいるけれども、自分が約束を守ることを神様がお望みにならなければ、守れないかもしれない。だからこの「イン・シャー・アッラー」をつけないで「ではあした、かならずここで会います」と言ったら、神の意思よりも自分の意思を優先させるという、重大なる不敬の罪になる・
・アメリカのアイデンティティの基礎は、歴史ではない。アメリカ合衆国は、純粋にイデオロギーに基づいて成り立った国家だ。だから、アメリカ文明では、歴史はあってもなくてもいいもので、重要な文化要素になり得ない。
・アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。
・たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題にはこういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、改善のためにには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げこむとは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言い逃れだ、大切なのは過去ではなくて現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。
・北宋時代の漢人、いわゆる中国人の大部分は、血統の面では、実は隋・唐時代の中国人の主流であった遊牧民の後裔だったが、意識の面では、自分たちは秦・漢時代の最初の中国人の直系の子孫であり、純粋の漢人だと、思いこむようになっていた。 こうした思いこみを、この時期にはじめて芽ばえた、いわゆる「中華思想」と言う。 中華思想の核心は、「夷狄(非中国人)は、軍事力では中華(中国人)より勝るが、文明度の高さにおいては、中華は夷狄にはるかに勝っている」という主張で、現代のことばで言えば、「中国人は世界でもっとも優秀な民族である」ということになる。
・七世紀になって、唐朝が中国を統一し、公海を渡って軍隊を韓半島南部に上陸させ、倭王の古くからの同盟相手だった百済王を滅ぼした。当時の倭のタカラ女王(皇極天皇、斉明天皇)は、倭軍を韓半島に派遣して百済の復興を試みたが、663年、倭軍は白村江で全滅した。これで倭人たちは、アジア大陸から追い出され、海の中で孤立した。 当時の情勢では、いまにも唐軍が日本列島に上陸して、そこの住民を征服し、中国領にする危険がさし迫っていた。これは現実の危険だった。その危険を防ぐために、日本列島に住んでいた倭人たちと、出自がいろいろ違う華僑たちが団結して、倭国王家のもとに結集した。
・歴史は文学だから、一つ一つの作品には、それに備わった機能というものがある。歴史を書く側の立場から言うと、その作品で歴史家が目ざした目標、狙った効果というものがある。
・世界はたしかに変化しているけれども、それは偶然の事件の積み重なりによって変化するのだ。しかしその変化を叙述する歴史のほうは、事件のあいだに一定の方向を立てて、それに沿って叙述する。そのために一見、歴史に方向があるように見えるのだ。
・フランス革命は、われこを正当な所有権者なり、と主張する各派のあいだの流血の争いになり、たくさんの犠牲者を出したあげく、最後にナポレオンが実権を握って1799年に第一総領になって、やっと「国民」が王の財産を相続するということで決着がついた。それで、かつての王の財産はぜんぶ、フランス人という国民の「国家」だ、ということになった。こうしてフランスでも国民国家が誕生した。
・国民国家という形態が復旧したおもな原因は、軍事だ。ナポレオンが軍事の天才だったことに加えて、国民国家は、戦争に強かった。 君主制だと、君主は自分の財布からお金をはたいて、兵隊を雇って、訓練して、だいじに使わなくちゃいけない。大規模の常備軍をかかえておくことは、あまり金がかりすぎて、ほとんど不可能に近い。これにくらべて、国民軍は、ほとんど無限に多数の兵士を徴兵でき、短期間で大軍を動員できる。
・アメリカ人は、君主制は、なにか邪悪なものだ、と思っている。なにか不自然なものだ、と思っている。アメリカ合衆国の建国によって、人類の長年の理想がはじめて実現した、と思っている。民主主義が全世界に広まるのが、歴史の必然であり、それを実現するのが、アメリカの神聖な使命だ、と信じている。こういう、反論を許さない、頭ごなしの割りきりかたは、イデオロギーそのもので、マルクス主義とおっつかっつの、非論理的な信仰なのだ。
・中国という国民国家は、20世紀のはじめの1912年に中華民国ができるまで、まだなかった。だから朝鮮の国王や、ヴェトナムの皇帝が、清朝皇帝に代々朝貢して、冊封を受けていたからといって、それで朝鮮国やヴェトナム国が、清朝の宗主権を承認して、新帝国の保護国だったことにはもちろんならない。国民国家というのものは、18世紀末のアメリカ独立とフランス革命をきっかけとして発生して、19世紀の帝国主義時代に世界じゅうに広まったものなので、19世紀以前の朝貢と冊封に基づく外交関係は、「宗主国」と「保護国」の関係などとは、ぜんぜん意味が違うのだ。

おもちゃ、を作りたい

ポール・グレアム「自然発生的な起業のアイデア」 – らいおんの隠れ家

最初に作ったものが、みんなに「おもちゃみたい」とけなされてもヘコまないこと。実際、それは良いサインだ。それこそ他の人たちがアイデアを見落す理由なのだ。最初のマイコンはおもちゃだと無視された。最初の飛行機も、最初の自動車もそうだった。そういった点で、ユーザは好んでいるのに、掲示板の荒らしが「おもちゃ」と叩くようなものを誰かが持ってきたら、私たちはとりわけ投資したくなる。

まちつく!」の原型を作りはじめたのは2年前くらいで、半年くらいかけて試行錯誤しながらプロトタイプができた頃に、東京ゲームショウのインディーズみたいなデモに出そうかと思ったのだけど、こんな小さい画面でしかできない動きもない地味なケータイゲームは注目されないだろうなと思ってしまい、止めました。あの時出してたらどうなっただろう。

その後、キューエンタテインメントの内海さんに見せたら、「何これおもしろいよ、すごい。絶対流行るよ!」って言われて、すごくうれしかったのも思い出した。それ以外の場合は、だいたい無関心だったけど。

そして今、300万人以上(本体+mixi+モバゲー)のユーザーさんに使ってもらえてとてもうれしいです。結果よければよし、ということで(笑)。もっと世界のたくさんのひとに使ってもらいたいなぁ。

『孫正義 LIVE 2011』は必見

ソフトバンクの孫さんが行ったスピーチ『孫正義 LIVE 2011』がすごくおもしろいです。新卒の学生向けらしいですが、ソフトバンクというか孫さんの紹介になっているので誰が見ても良い内容です。Ustreamにて動画が公開されていますが、4/5までらしいのでお早めに。

とはいえ、2時間強あるので、内容については、テキスト起こしていただいてるものもあります。

孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その1) | kokumai.jpツイッター総研
孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その2) | kokumai.jpツイッター総研
孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その3) | kokumai.jpツイッター総研

個人的には、ナスダックジャパンとかヤフーBBとか、最近だと中国での孫さんの根のはり方を見て、本当にすごい方だと尊敬していたのですが、こうやってスピーチを聞くと、こんなおもしろい方が現代にいるのだなぁと改めて思いました。

自分の志なんだろうなと。僕は別に「でっかいこと」は目指してなくて、もっと身近に自分の作ったモノを送り込みたいと思っています。これはある意味で「でっかいこと」かもしれませんが、でかいことありきでやろうとしてるわけではないんですよね。

また、永続的に発展していく会社を作るとかは興味はなくて、別にグループ化しなくていいし、世の中にはおもしろいひとたちがたくさんいて、おもしろいことをしていてくれればいいとも思う。

でも、やはり孫さんの考え方はすごくおもしろいと思うし、それに賛同するひとが集まって、ソフトバンクグループになっているんだろうなと思いました。

このスピーチはすごくおもしろいので、明日までに時間のある方はぜひ観てみてください。