フェイスブック 若き天才の野望/デビッド・カークパトリック

フェイスブックの立ち上げから今までを丁寧な取材から明らかにした良書。フェイスブックとザッカーバーグ(とその周辺の人物が)がどういうタイミングでどんな決断をし、発展を遂げてきたかが非常に鮮明に描かれています。

個人的に一番興味深かったのは、フェイスブックがヤフーへの10億ドル(約820億円)での売却の交渉の最中に、フェイスブックが社会人へのオープン登録制(それ以前は大学生と高校生のみ)の導入する辺り。

「もしオープン登録制にした後も、ユーザー数と滞在時間が安定して伸びないようなら、あの10億ドルだか10億1ドルだかが、ぼくたちの欲しいものなのかもしれない」

しかし、結果は

約1週間後、大人たちはフェイスブックに入るだけではなく、入った後に友だちを招待したり、写真を載せたりと、アクティブユーザーのすることすべてをやっているらしいことが分かった。彼らはハマったのだ。 オープン登録以前、新規ユーザーの登録は1日に約2万人だったが、10月の第2週には、その数が5万人になっていた。

となる。そして『まだ売り時じゃない』と。会社を経営していると、常に「ここが頂点なのではないか」という思いと、「まだまだこんなものじゃない」という思いが交錯しますが、フェイスブックでもどこでも同じなんだなと思いました。

また、全体として感じるのは、ザッカーバーグがものすごいアグレッシブにサービス自体にコミットしていること。時にそれは、ユーザーから強い反発を受けて、後戻りしたりしますが、それでもザッカーバーグは常に(彼の考える)あるべき未来を見据えて、既存サービスの大幅な変更(ニュースフィードは典型)を次々にしていきます。

それで、共同設立者のサベリンも含めて多くの敵を作ってしまうわけですが、それがゆえにフェイスブックが力強くここまで成長してきたのも事実です。ザッカーバーグの天才性や狂気性、そして成長を垣間見れるのも本書の魅力だと思います。

ベンチャーというのは、本当にスリリングな瞬間が多くて、しかしそれを乗り越えた時の達成感は代え難いものがあります。だから止められないわけですが、本書にはそういうストーリーが満載で、ベンチャーに関わる、もしくは関わりたい方であれば誰であってもオススメ、というか必読だと思います。

P.S.ちなみに、映画『ソーシャル・ネットワーク』と本書を読むとかなり違う部分がありますので、比べるとまた楽しいです。

<抜粋>
・学生たちは、全学の「フェイスブック」写真がオンラインで検索できるようなフレンドスター的サービスを強く求めていた。オンライン人名録をつくるのに、それほど難しいプログラミングが必要ないのは明らかだった。サンフランシスコの起業家がつくれたサービスをハーバードの管理者たちがいつまでもつくれないでいるのはどうしたわけなのだ?
・みんながレストランで食事をしている最中に、パーカーに彼の弁護士から電話が入った。悪いニュースだった。プラクソ社の取締役会はパーカーが保有していた50パーセント近くの持株を剥奪することを決定した。つまり今後、プラクソが買収されても上場されてもパーカーには1ドルも入ってこないのだ。
・サベリンはフロリダの銀行口座を凍結した。 ザ・フェイスブックは、運営費を支払うことができなくなった。(中略)サベリンはザ・フェイスブックの運営に関して、ザッカーバーグと自分の役割を定めた合意書を用意したと告げた。だがサベリンは、ザッカーバーグが弁護士にもほかの仲間たちにも見せずにサインすると約束するのでなければ、その合意書を見せることはできないと主張した。
・交渉が続く間、ザッカーバーグはパロアルト市ラジェニファーウェイ819番地の灯りを消さないために、自分の貯金をはたき続けた。(中略)ザッカーバーグと家族は結局この夏、総額で8万5000ドルをザ・フェイスブックのために支出した。
・トライブのピンカスは1994年にバージニア州アーリントンで「フリーローダー」(Free-loader)というベンチャー企業を起こしていたが、パーカーは15歳でその会社でアルバイトしたことがあった。
・「辞めるなんてとんでもない間違いだ。一生後悔するぞ。ザ・フェイスブックはすぐにものすごい会社になるんだ! ビデオサイトなんて掃いて捨てるほどあるじゃないか」 しかし、言うことを聞かずにチェンはザ・フェイスブックを去ってビデオ・サービスを立ち上げた。それがユーチューブだった(同社は2006年にグーグルに16億ドルで買収された)。
・ザッカーバーグとモスコヴィッツは徹底的に順序立てて仕事を進めた。ザ・フェイスブックが正式に運用を開始していない大学の学生で、ユーザー登録を試みようとする者も多かった。彼等は待機リストに登録され、その大学で運用が開始されると、メールで通知が送られた。待機リストに登録された学生の割合が20%を超えると、ザ・フェイスブックはその大学を運用の対象に加えた。
・アップルは1ユーザーあたり毎月1ドル払ってくれるので、アップル・グループが拡大するにつれてザ・フェイスブックに入る収入も増えた。すぐにアップルからの広告収入は月額数十万ドルに達した。2005年のフェイスブックにとってはこれが事実上唯一の収入源だった。
・写真はフェイスブックで最も人気のある機能になっただけではなく、フェイスブックはインターネットで最も人気ある写真サイトになった。リリース後わずかひと月で、85パーセントのユーザーが少なくとも一度は写真でタグ付けされた。
・(ヤフーとの買収交渉時、姉のランディの回想)「弟は本当に葛藤していた。彼はこう言った。『これは大変なお金なんだ。ぼくの下で働いているたくさんの人たちにとって、それこそ人生を変えるかもしれないお金だ。だけどぼくたちには、これ以上もっと大きく世界を変えるチャンスがある。誰かがこのお金を手にすることが、ぼくにとって正しい行動とは思えないんだ』」
・「2種類のアイデンティティを持つことは、不誠実さの見本だ」 ザッカーバーグが道徳家のように言う。(中略)自分が誰であるかを隠すことなく、どの友だちに対しても一貫性をもって行動すれば、健全な社会づくりに貢献できる。もっとオープンで透明な世界では、人々が社会的規範を尊重し、責任ある行動をするようになる。
・ザッカーバーグはかなり以前から、ほとんどのユーザーが時間を費やしてまで複数のソーシャルネットワークで複数のプロフィールを作ったりしないことに気づいていた。さらに彼は、ハーバードとパロアルトでの延々と続く雑談で「ネットワーク効果」の知識を得ていた。ひとたび、ひとつのコミュニケーションプラットフォームへの集約が始まると、加速がついて勝者による市場総取りが起きる。
・「ぼくたちにできる最善の策といえば、周りの世界と共にスムーズに動き、常に競争に励み、壁をつくらないことだ。いずれにせよぼくたちは、共有のほとんどがフェイスブックの外で起きるようになると考えているから、是非ともこれを進めていきたいと思っている。ぼくには成功を保証することはできない。ただ、今これをやらなければいずれわれわれは失敗すると思うだけだ」
・(続いて)「そんな大胆な考えが会社の財政を脅かすのではないかと心配しなかったのか」と、私は聞いてみた。 「何十年間も価値の続くものをつくろうとしているなら正しい方向に議論を進めるしかない」と彼は言った。