与えるひとが成功する理由「GIVE & TAKE」

全米No.1のビジネススクール「ペンシルベニア大学ウォートン校」の史上最年少終身教授著。

ひとを「ギバー(人に惜しみなく与える人)」「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」「マッチャー(損得のバランスを考える人)」に分けて、もっとも成功するのはどれかという議論を展開しています。

販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。

結論、意外なことにギバーなのだが、逆にギバーは「与えすぎてしまい」成功できないことも多く、その違いなどについて詳細な解説を加えています。

着眼点は非常におもしろいのですが、それらを分ける定義がまずはっきりしないし、挙げられている事例も後付け感が否めません。

ではなぜ取り上げたのかという話なのですが、本質的にはネットの時代にギバーのよい評判がより広まりやすくなり、テイカーはその逆となるため、今後ギバーの考え方や行動が非常に重要になってくるだろうという直感はおそらく正しいと思ったためです。

数々のストーリーは非常におもしろくて、身に包まされることもあり、僕は普段何気なくしていると特に交渉などの際テイカー的側面がもたげてしまうので、もっともっと相手の立場にたって何かできることはないかと常に与えることを意識していきたいと思いました。

<抜粋>
・販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。
・電話もなければ、インターネットも高速の交通機関もない時代には、マラソンにはかなりの時間がかかった。人間関係と個人の評判を築くのは気の長い話だった。「昔は、手紙は出せても、そのことに誰も気づかなかった」とコンリーはいう。今日のような密接に結びついた社会では、人間関係や個人の評判は人目につきやすく、ギバーはペースを加速することができるとコンリーは考えている。
・ベンチャーキャピタルはそれまで、中身の見えないブラックボックスだった。そこでホーニックは、起業家たちをなかに招き入れることにしたのだ。情報をウェブ上に公開して共有し、ベンチャーキャピタリストの考えをより深く理解してもらうことで、起業家がもっとうまく売り込めるよう手助けをはじめた。
・告発によれば、レイはエンロンが破綻する直前に7000万ドル(約70億円)以上の株式を売却し、沈みかけた船から財宝を盗みとったという。
テイカーは部下に対しては支配的になるが、上司に対しては驚くほど従順で、うやうやしい態度をとる。有力者と接するとき、テイカーはまさにペテン師になる。
・年をとればとるほど、休眠状態のつながりはますます増えていき、また、さらに貴重なものになっていく。
テイカーはユニークなアイデアを生み出し、反論をものともせず、それらを擁護するコツを心得ている。自分の意見に絶対的な自信をもっているため、普通の人なら想像力を抑え込まれてしまう「社会的な承認」に縛られることがないからである。
・ある調査で、ミネソタ大学の研究者ユージーン・キムとテリーザ・グラムは、非常に才能のある人は他人に嫉妬されやすく、嫌われたり、うらまれたり、仲間はずれにされたり、陰で中傷されたりすることを発見した。ただし、これがギバーであれば、もはや攻撃されることはない。それよりむしろ、ギバーはグループに貢献するので感謝される。同僚が嫌がる仕事を引き受けることで、マイヤーは妬みを買うことなく、そのウェットとユーモアで仲間をアッといわせることができたのだ。
・実際、それぞれのカップルに夫婦関係への具体的な貢献度合いをあげてもらうと、自分がしたことは11個思いつけたのに、相手のしてくれたことは8個しか思いつかなかった。
・成績のよくない生徒や、差別を受けているマイノリティグループの生徒の成績と知能検査のスコアを向上させるには、教師が生徒に対し期待を抱くことがとりわけ重要だということなのだ。
・すべての業種において、マネジャーが無作為に従業員をブルーマーに指定すると、その従業員は才能を開花させた。これを利用すれば「仕事の成果にかなり大きな影響をおよぼすことができる」とマクナットは考えている。そこで、マネジャーたちにこうすすめている。 「従業員の可能性を心から信じ、支援の手を差し伸べ、可能性を信じていることを常日頃から伝えていれば、やる気が出ていっそう努力するようになり、その可能性を発揮できるようになるのです」
ギバーは同僚と会社を守ることを第一に考えるので、進んで失敗を認め、柔軟に意思決定しようとする。ほかの研究によれば、人は自分よりも他人のために選択するとき、より的確で創造的な決断が下せるという。自分を中心に考えると、エゴを守ろうとすることによって決断が歪められるだけでなく、考えうるあらゆる局面に適した選択をしようと悩むことになる。
・調査では、私が「新しいコンピュータを買うご予定がありますか」と尋ねると、その人が六ヶ月以内に新しいコンピュータを買う可能性が、18パーセント高まることがわかっている。
・ギバーはゆるい話し方をすることで、相手に「あなたの利益を一番に考えていますよ」というメッセージを伝えている。だが、控えめに話さないほうがいい立場が一つだけある。それは、リーダーシップを担っている場合だ。
・(注:ハンツマン)「これまでの人生で、経済的にもっとも満足のいく瞬間は、大きな契約を結んで舞い上がったことでも、そこから利益をものにしたことでもない。それは、困っている人を助けられたことである。与えれば与えるほど、ますます気分がよくなる。気分がよくなればなるほど、ますます与えることが容易になっていくのだ」
・ほかの人の代理人として振る舞うことは、ギバーとしての自己イメージと社会的イメージを保つための効果的な方法なのだ。
・クレイグズリストのようなシステムは、多くの人間がマッチャーだという事実を利用して、人びとに価値を交換させている。しかし一部の研究者は、むしろフリーサイクルのようなシステムこそ、今後急速に成長するだろうと考えている。

超格差時代を生き抜くヒント「グローバル・スーパーリッチ」

タイトルから受ける印象とは違い、プルトクラート(上位0.1%の超富裕層)やその周辺への綿密なインタビューや豊富な統計データなどを用いて、今世界で何が起こっているかを鮮やかに描き出した良作。

今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。

この流れは止められないのがいたいほど分かったので、どのように生きていくかを考えさせられました。結局、自分が好きで得意なことをやって世の中に価値を生み出していくしかない。先進国においては、誰でもできることはボーダレス化により、どんどん下方圧力がかかってしまいます。

(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」

しかし、いかに成功するかを考えると、実際のところ結構難しい。世の中のランダム性が強くなっているので、ある世界では成功したひとが、ある平行世界では成功しないということがありえてしまう。しかし、一度、強者の世界に突入すれば、ほとんどすべてを勝つ方向に持ってくことができる。だから、まずはひとと違うことをして目立った成果をあげることが重要だと思っています。

経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
(中略)
一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。

とはいえ、僕はあまりこの考えには賛同してなくて、いつでも(何歳でも)チャンスはありえると思っています。だから、常にチャンスを掴むための努力をしていなければならないと思っています。努力をしていなくても運良く成功することはありますが、努力が成功につながらないと僕自身は納得できないので、努力そのものを楽しめるような分野でやっていきたいと思ってます。

P.S.

一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

ちょっと本題と外れますが、まさにFacebookなどに巨額投資したDSTのような新興財閥の動きは非常に注目だと思いました。

<抜粋>
・今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。
・「テクノロジーが変化する速度はかつてないほど速く、それがセクターからセクターへと波及している」と、モーカーは私に語った。「どうやら、これからも指数関数的な速度で広がりつづけるようだ。われわれ一人一人は賢くなりつつあるわけではないが、社会全体は知識をどんどん蓄積している。もみ殻の山をかき分け、小麦の実にたどり着くために、われわれは情報やテクノロジーの助けを借りることができるーー過去のどの社会にもなかったことだ。この点はきわめて大きい
・西洋の第一次金ぴか時代のさなかには、本当にその経済システムがうまくいくかどうか、明確にわかっていたわけではなかった。そのころ、産業革命という「暗い、悪魔のような工場」に触発された急進主義者たちは資本主義に反旗をひるがえした。そして革命に成功すると、血なまぐさい手段によって経済と政治のしくみを再構築することになったのだ。だが今日では、共産主義の実験の果てを見なくとも、資本主義が機能することは明確に証明されている。
・スーパーエリートに含められる人びとは、データギークの台頭はまだ始まったばかりだと考えている。エリオット・シュレイジは、テクノロジー分野において、いわば貴族階級に属している。彼は、シリコンヴァレーでもっとも注目を集めていたころのグーグル社で広報担当重役を務めたあと、巨大企業になりつつあったフェイスブック社に移って同じ業務をこなした。2009年、教育及び出版担当重役を集めた社内会議でシュレイジは、子供たちに勧めるべき学問の分野は何かと質問され、統計学であると即答した。データを理解する能力こそ、21世紀にもっとも大きな力になるという理由だった。
ドルー・フォーストは、ハーヴァード大学の学長として三度目の卒業式のスピーチで、卒業生に「人生の駐車スペース理論」を実行するよう説いた。「目的地の近くには駐車スペースがないだろうと予想して、10ブロックも離れた場所に車をとめてはいけない。まずは行きたい場所に行きなさい。必要があればUターンはいつでもできる」
・経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
・一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。
・(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」
・カッツェンバーグが1991年の覚書で披露したアイデアは、その後の学術研究によって広く裏づけられている。驚いたことに、1999年にエイブラハム・ラヴィードが実施した映画作品200本の経済的側面に関する調査の結果、スターの出演は興行収入にまったく関係ないとわかった。
・(ジョージ・ソロスがホロコーストから逃げ回った経験から)「ときには、生き残るために積極的な努力をすることが必要になる。それは少年時代に体験したことだ。人から教わった部分もあれば、経験してわかった部分もある……。父の経験から知ったのは、通常のルールが通用しなくなったとき、そのルールをかたくなに守りつづければ死ぬということだ。生き残れるかどうかは、通常のルールが通用したいことに気づくかどうかにかかっている……。行動しないことがもっとも危険である場合もある」
ノーベル賞受賞者について調査したロバート・マートンは、適切な仕事を選びとる能力の存在を発見した。その能力は、選んだ仕事をこなす能力そのものと同じほど重要だった。マートンは1968年にこう記している。「彼らのはほとんどは、問題を解決することではなく発見することの重要性に目を向けている。彼らが一様に示しているのは、根本的重要性を有する問題を把握するにあたっての鑑識力、判断力の向上こそが各自の仕事にもっとも大切であるという強い信念である」
・ザッポスでは、多くの部分で「ワオ」が重視されている。コアバリューの一つ目は、サービスを通じて「ワオ」を届けることなのだ。その第一歩としてザッポスは、従業員に、この会社で働くことは特権だと思ってもらえるよう努力している。私は、ヘンダーソンで過ごした二日間のあいだに十数回も、「ハーヴァード大学に入るより、この会社に入るほうが難しい」と聞かされた。社内には「ワオ!」の壁ーーもちろん、どんどん落書きしていいことになっているーーというものがあって、誰かが「大勢の人が私の仕事を見学したいと思ってくれることに、『ワオ』といいたくなる」と書いていた。
・2010年4月、世界一の金持ちであるのはどんな気分かとMITの学生たちに質問されたビル・ゲイツは、たいしたことはないというような意味の返事をした。「いや、限界収益はしだいに少なくなる。私は、ハンバーガーの室と価格の点で、マクドナルド以上の店をまだ知らない」彼はこれまでに、たとえば自家用ジェットでの移動など、すばらしい役得はあったことを認めた。「しかし、数百万ドルを稼いだあとは、それをどう還元するかが大事になる」
・長い目で見れば、この都市の寡頭制にとっても、もっと広範囲なヴェネツィアの繁栄にとっても、<ラ・セッラータ>は終わりの始まりを意味した。1500年、ヴェネツィアの人口は1330年の時点に比べて減っていた。17世紀から18世紀、ヨーロッパの他の国々が発展するにつれ、かつてヨーロッパ一豊かだったこの都市はいっそう衰退していった。
・それを誰に明確にしてもらうかは、きわめて難しい問題だ。政府が、これはいい事業、これは悪い事業というふうに分け隔てし、悪い事業には、たとえば特別に課税するなどの方法で罰を与えれば、違和感を覚える人は多いだろう。それに強力なロビー団体の存在もある……。『これはいい事業、これは悪い事業』と区別するのは、経済学者にすら難しい。進行中の事業であれば、なおさらだ
この200年でもっとも驚くべき政治的事実といえば、マルクスの言うような事態が起こっていなかったことである。ヴェネツィアのエリートとは異なって、西洋の資本家は破壊的想像や新しい参入者との競争を甘んじて受け入れ、より包括的な経済秩序と政治秩序をつくりあげた。その結果、人類史上もっともさかんな経済進歩の時代が出現している。
・一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

20世紀の隠れた大発明を知る「コンテナ物語」

今でこそ当たり前のコンテナ輸送ですが、当然ながら港は昔から一大産業であり(NYだけで10万人以上が携わっていたという)、波止場で港の労働者が荷物の運ぶシーンからコンテナ輸送になるまでには本当に紆余曲折がありました。

海運業者、鉄道、トラック、国家、都市および港間で興味深い事件がたくさん起こっており、最終的に60年代後半〜70年代にかけて劇的に切り替って、それぞれの勢力図が塗り替わっていく様が丁寧に描かれています。

日本のエレクトロニクス・メーカーが躍進したのもまさにコンテナのおかげでした。グローバリゼーションとは何かも考えさせられ、知的好奇心が刺激される良作です。

<抜粋>
・輸送コストが高かった頃は、港や消費者に近い立地が有利であり、そのため製造業は長年にわたりやむなくコストの高い都市周辺に工場を設置していた。だが輸送費が下がると、彼らはさっさと地方に移転する。
・パンアトランティック海運のような内航海運会社は規制でがんじがらめの状況に置かれ、起業家精神を発揮する余地などすこしもない。また、アメリカ船籍の外航船を運航するウォーターマンのような船会社は、海運同盟すなわち運賃カルテルへの加盟を認められている。さらにアメリカ人船員が乗り組むアメリカ船は、軍用船やら貨物船やら政府の払い下げ船を運航する独占的な権利を持つ。おまけに政府から補助金も潤沢に出る。こんなぬくぬくとした環境で保護されているから、ウォーターマン海運はあんな立派な本社を構えていられるのだ。
ニューヨーク市にとって、港は雇用の一大供給源である。1951年、港が戦時体制から正常な状態に戻ったとき、海運業・トラック運送業・倉庫業で働く市民の数は10万人に達していた。ここには鉄道と市営フェリーの職員は含まれていない。
・だが規格戦争はこれで終わりではない。むしろこれはほんの始まりにすぎなかった。今度は、アメリカにせかされた国際標準化機構(ISO)がコンテナの規格統一に乗り出したのである。ISOには当時三七カ国が加盟していた。その頃はまだ国境を超えたコンテナ輸送はほとんど行われていなかったが、いずれそうなることは目に見えており、各国企業が大規模な投資を始める前に国際規格を決めてしまうのがISOの目標である。
これだけでも、コンテナ輸送の威力がわかる。ニューヨーク港で暑かったコンテナ貨物の量は、1965年には195万トンだった。それが翌66年の最初の10週間だけで、260万トンに急増している。この現象を目の当たりにしたアメリカの海運各社、さらにイギリスの二社、大陸欧州のコンソーシアムがどっと参入してきた。「船会社も港もコンテナ輸送に本腰を入れ、もはや後戻りできない状況になったのはこの66年である」と、あるコンサルティング会社は分析している。
・1967年〜68年の鉄道はそんな助言に耳も貸そうとしなかった。ベトナム戦争による好景気を受け、ピギーバック輸送は絶好調で3年で30%も伸びている。伝統に支えられ規制に守られてきた鉄道会社には、新しいビジネスに向かう気概が欠けていた。そして、コンテナ輸送という未開の領域がみすみすトラックにさらわれるのを見過ごしたのだった。
・シンガポールの躍進ぶりはあらゆる予想を超えていた。新ターミナル開業前の1971年の時点では、シンガポール港湾局が予想した10年後のコンテナ取扱量は19万TEUだった。しかし82年の取扱量は100万TEUを軽く超え、同港はコンテナ港として世界六位にランクされている。(中略)ついに2005年には、原油を除く一般貨物で香港を抜いて世界最大となった。いまや5000以上のグローバル企業がシンガポールをハブ港として利用する。輸送の力が貿易の流れを変えることを、シンガポールは実証したのである。
コンテナのメリットを最初に実感したのは、エレクトロニクス・メーカーだった。電子製品は壊れやすいうえ盗難にも遭いやすく、まさにコンテナにぴったりの商品である。エレクトロニクス製品の輸出は1960年代前半から伸びていたが、コンテナ化で海上運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、保険料が安くなると、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を制覇した。
新しい港の地理学は、従来とは異なる貿易パターンを生み出す。地中海に面した南フランスのメーカーが輸出するには、英仏海峡に面したルアーヴルを使うのがいちばん安上がりだった。(中略)日本からサンフランシスコ向けのか持ちは、ごく近くのオークランドではなくシアトルに送られた。シアトルからサンフランシスコまで鉄道輸送しても、寄港先を減らす方が安上がりだからである。
・20世紀末に起きたグローバリゼーションは、だいぶ性質がちがう。国際貿易の主役は、もはや原料でもなければ完成品でもなかった。1998年のカリフォルニアに運ばれてきたコンテナの中身をもし見ることができたら、完成品が三分の一足らずしか入っていないのに驚かされるだろう。残りはグローバル・サプライチェーンに乗って運ばれる、いわゆる「中間財」である。
・60年代を通じ、コンテナリゼーションの降盛を予測する論文は次々に書かれているが、どれも輸出入の流れは基本的には変わらないと見込んでおり、貨物は徐々にコンテナに切り替わるとみている。コンテナ輸送が世界経済を再編し貿易を一気に拡大するという予想があっても、まじめには受け取られなかった。