Amazonのエラーが出ていた件が直りました

WordPressの便利プラグイン「wp-tmkm-amazon」を使って、Amazonの情報を引っ張ってきて表示していたのですが、今朝からなぜか表示できなくなっていました。

原因は、Amazon側で仕様変更があったかららしい(変更自体あるのは知ってたけど)。

Amazon アソシエイト Web サービスの名称変更および署名認証についてのお知らせ

そして、それに対応したバージョンを作成し配布してくれていた素晴らしい方がいました。

wp-tmkm-amazonプラグイン配布 OpenMediaLaboratory

無事復活。
よかった、よかった。

リンクが消えてしまっていたので、いろいろご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

P.S.twitterで教えていただいたoshio_dohouseさんに感謝です。ありがとうございました。

ブラック・スワン[下]/ナシーム・ニコラス・タレブ

上巻からの続き

本書での矛盾は、超保守的というのは国債を買うようなことだと書いていますが、しかし実際には超保守的とは言えないということでしょうか。今のような不確実性の高い世界では超保守的などありえないわけで。であれば、自らを守る方法も多様化せざるを得ませんが、そういったことについてはほとんど言及がありません。

さらに言えば、リスクテイクについて、個人がやりたいことや、なりたい自分への衝動が無視されていること。起業するのは割に合わないのはもしかすると自明なことかもしれませんが、やりたいからやるのはそんなに馬鹿げていることでしょうか。同じように、医者になって世の中の人を病気から救いたい、政治家になってこの国を良くしたい、という衝動については、尊重されるべきだと思います。

もちろん本書では、人の「人生への態度」への警笛が主であって、それ自体非常に有益だと思います。だから、僕としては、この態度を学んだ上で、自らのやりたいことをするための糧にできればいいのではないかなと思いました。

前エントリにも書きましたが、上下巻に分かれている上に非常に濃密なので、読むのに時間もかかりますが、ものすごいよい本なので、非常におすすめです。

<下巻抜粋>
・(ヨーロッパ系金融機関にて)彼らは夏の間を通じて、「五カ年計画を作成する」べく会議を何度も開いていた。五カ年計画は、充実した内容を持つ一種のマニュアルになるはずだった。五カ年計画だと? 真ん中に居座って計画を立てるなんていう連中がまるっきり信じられない私からすると、そんなものは考えるだけでバカバカしかった。企業の内部で起こる成長は有機的で予測不可能なものだ。草の根レベルから立ちのぼるものであって、上からばら撒くものではない。
・別に探していたわけではないものを見つけて、それが世界を変えてしまう。そして発見の後になって、どうしてこんな当たり前なものにたどり着くのに、「こんなにも長いことかかったんだろう」と不思議に思うのだ。車輪が発明されたとき、そこに記者はいなかった。でも、たぶんみんなで車輪(これのおかげで、その後大きな経済成長が実現した)を発明する計画を立て、予定表に沿って仕事を進めて完成させたわけじゃないだろう。賭けてもいい。ほとんどの発明はそういうものだ。
・私たちはガリレオは科学の殉教者だと思っている。実際は、教会は彼に真面目に取り合わなかったのだ。むしろ、大騒ぎしていたのはガリレオのほうで、それが誰かの毛を逆なでしたようだ。ダーウィンとウォレスが、リンネ協会で自然選択による進化の論文を発表した年の終わり、当のリンネ協会の会長は、「衝撃を受けるような発見はなかった」と述べている。
私たちは自分たちが予測をする段になると、ものごとは予測できないということをすっかり忘れてしまう。だからこそ、みんなこの章とか、この章と同じような話を読んで、まったくそのとおりだと思っても、いざ自分が将来のことを考えるときになると、うなずいたはずの主張に従えなくなってしまう。
・知識に関する謙虚さについて考えよう。ものすごく内省的で、自分は思い上がっているのではないかと思って煩悶している人を思い浮かべよう。バカの勇気はないが、「ぼくにはわからない」と言える、めったに見ないガッツは持ち合わせている。阿呆とか、もっと悪くすると無知な人みたいに見えるのは気にしない。ためらい、明言はせず、間違っていたことで起こった結果のことを詫びる。内省し、内省し、内省して、肉体的にも精神的にもくたびれ果ててしまう。 だからといって、自信がないというのではない。ただ、自分自身の知識を疑ってかかっているだけだ。私はそういう人を「認識主義者」と呼んでいる。
・バーベル戦略とはこんなやり方だ。黒い白鳥のせいで、自分が予測の誤りに左右されるのがわかっており、かつ、ほとんどの「リスク測度」には欠陥があると認めるなら、とるべき戦略は、可能な限り超保守的かつ超積極的になることであり、ちょっと積極的だったり、ちょっと保守的だったりする戦略ではない。
<以下、その具体的な部分>
・よい方の白い白鳥にめいっぱい自分をさらし、同時に、悪い方の黒い白鳥には被害妄想みたいな態度を取るのだ。よい方の黒い白鳥にさらされている部分では、不確実性の構造をちゃんと分かっていなくていい。損がとても限られているなら、あらん限りの力を尽くして積極的に投機的に、なんなら「理不尽に」ならないといけないのだが、どうもそれがうまくわかってもらえない。 
・細かいことや局所的なことは見ない。(中略)予測ではなく、備えの方に資源を費やすのだ。
チャンスや、チャンスみたいに見えるものには片っ端から手を出す。(中略)人生で運のいいことがあっても、それに気づかない人があまりにも多い。大手の出版社から仕事が舞い込みそうなら、予定なんか全部放り出せ。もう二度と扉は開かないかもしれないのだ。チャンスはその辺の気に生えてくるものじゃないのが、みんなほとんどわかっていないので、私はときどきショックを受ける。
・政府が持ち出す、こと細かな計画には用心する。(中略)企業に競争をやらせると、悪い方の黒い白鳥に一番さらされている連中が一番生存に適しているみたいに見えることがある。
・予測をどうしても聞かないといけないはめになったら、先のことになればなるほど予測の正確さは急激に低下するのを頭に置いておこう。
<ここまで>
・地震が起こるオッズはわからないが、起こったらサンフランシスコがどんなことになるかは想像ができる。意思決定をするときは、確率(これはわからない)よりも影響(これはわかるかもしれない)のほうに焦点を当てるべきなのだ。不確実性の本質はそこにある。
知的生産に凡人はなんの役割も果たさない。でも、みんなそれがよくわかってないし、(不安になるので)否定したりする。知性の面で、ほんの一握りの人たちが大きな影響を及ぼすというのは、富の分布がとても偏っていることよりずっと不安な話だ。
(LTCMの)マートンとショールズの考えも、モダン・ポートフォリオ理論も崩れ落ちた。彼らの出した損失はそれほど大きかった。(中略)私の友だちも私もポートフォリオ理論の信者はタバコ会社と同じ運命をたどるんだろうと思った。(中略)でも、そんなことには全然ならなかった。 その代わり、ビジネススクールのMBAの連中は、相変わらずポートフォリオ理論を教えられていた。オプションの公式には、相変わらずブラック=ショールズ=マートンの名前がついていた。

ブラック・スワン[上]/ナシーム・ニコラス・タレブ

まぐれ」のタレブ新作。本書も超刺激的でものすごいおもしろいです。数週間前に読んだのですが、消化に時間がかかってしまいました。そして、抜粋があまりに長いので、上巻と下巻に分けてエントリします。ただし、感想は上巻と下巻のものに分かれているわけではありませんので、ご注意ください。

本書でも著者は、現在の常識と言われるものを実例をあげながらばっさばっさを切っていきます。歴史から学ぶことの問題、銀行は安全なビジネスだという幻想、医者の思い込みによる被害、マスコミやエコノミストの欺瞞、経営計画立案の無意味さなどなど。そして、なぜ世の中がそのようになっているのか、を人間の性質(情緒)と絡めて暴露していきます。

そして、だからどうすればよいのか、という点も。これを簡単にまとめると、大部分を超保守的なシナリオにかけながら、自分にとって都合のよい非常に稀にしか起きない出来事(ブラック・スワンすなわち黒い白鳥)に賭けるということになります。確かに著者も言うように、確率は非常に稀すぎて分からないけれども、影響は計り知れるものはあります(例えば、地震など)。

人は原因と結果が明確なものに惹かれやすい。だから、多くの人は情緒に引きずられ、自分の予測を過大評価し、大きなリスクには対応できないが、何かをすればダイレクトに結果の出る仕事に精を出してしまいます。

しかし、本当に世界を変えたいのならば、著者曰く「チャンスや、チャンスみたいに見えるものには片っ端から手を出す」ことが重要になってきます。

下巻へと続く

<上巻抜粋>
・歴史に接すると人間の頭には三つの症状が出る。私は不透明の三つ子と呼んでいる。具体的には次の通り。 a 分かったという幻想。世界は実感するよりずっと複雑(あるいはランダム)なのに、みんな何が起こっているか自分にはわかっていると思い込んでいる。 b 振り返ったときの歪み。私たちは、バックミラーを見るみたいにして、後づけでものごとを解釈する(歴史は、人が経験する現実よりも、歴史の本で学んだほうがわかりやすい)。 c 実際に起こったことに関する情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。とくにものごとの分類を始めたりすると、つまり「プラトン化」すると、それに縛られてしまう。
・毎日毎日、彼らの予測からかけ離れたことが起こった。でも彼らには、起こったことを自分が予測できていなかったのがわからなかった。それまでに起こったことに照らせば頭がおかしくなるようなことが毎日起こっていた。それなのに、起こったことを後から振り返ると、それほどおかしくないことだったような気がする。そんな後講釈のせいで、起こったことがどれほど稀で、どれほど考えられないことなのかが見えにくくなる。その後も私は、事業の成功や金融市場を考える場で、まったく同じような幻想を目撃することになる。
・キリスト教が地中海沿岸を席巻し、その後西欧全体を覆う宗教になるなんて誰が予測しただろう? 当時のローマの年代記編集者たちは、この新しい宗教に気づいてもいなかった。キリスト教の歴史家たちは、当時の文献がキリスト教に言及していないので、困っている。
・(第二次世界大戦中の日記の)シャイラーの本に出会って、歴史の仕組みについて直感的にわかったことがある。第二次世界大戦の始まりのころを生きた人たちは、何か大変なことが起こっていると書きとめていたに違いない、今の人はそう思うかもしれない。でも、まったくそんなことはなかった。
・作家とパン屋さん、投機家とお医者さん、サギ師と売春婦の違いを考えると、いろいろな営みがわかりやすくなる。世の中の仕事は、仕事量を増やさなくても稼ぎを何桁も増やせる仕事と、仕事量と仕事時間(どちらも供給には限りがある)を増やさないと稼ぎが増えない仕事、つまり重力に縛られた仕事に分けられるのだ。
・七面鳥がいて、毎日エサをもらっている。エサをもらうたび、七面鳥は、人類の中でも親切な人たちがエサをくれるのだ、それが一般的に成り立つ日々の法則なのだと信じ込んでいく。(中略)感謝祭の前の水曜日の午後、「思いもしなかったこと」が七面鳥に降りかかる。七面鳥の信念は覆されるだろう。(中略)七面鳥は、昨日の出来事から、明日何が待っているか推し量れるだろうか? たぶんいろいろわかることはあるだろう。でも、七面鳥自身が思っているよりも、わかることはちょっと少ない。そして、その「ちょっと」で話はまったく変わってくるかもしれないのだ。
・1982年の夏、アメリカの大手銀行は、過去の利益の累計に近い額の損を出した。アメリカの銀行が歴史を通じて稼いできたものが、ほとんど全部吹き飛んだ。ほとんど全部だ。お金を貸していた中南米の国々がまとめて同時にデフォルトしたのだ。「きわめて異例の事態」というやつである。そういうわけで、銀行商売をやっていれば不意打ちを食らうもので、銀行はとても危ない商売で利益を稼いでいるのがはっきりするのにひと夏しかかからなかった。そうなるまで、みんな、とくに銀行の連中は、銀行は「慎重」だと思い込んでいた。
・1960年代の医者たちは、食物繊維が身体に必要だという直接の証拠が見つからなかったので、役に立たないと決めつけた。おかげで一世代がまるごと栄養失調になった。実は、繊維は血液中の糖分の吸収を遅くし、また、腸内で前ガン状態の細胞をこすり落とす働きをする。歴史を通じて、医学はこの手の単純な間違った推測でたくさんの被害を起こしてきた。 医者が信念を持っちゃいけないなんて言うつもりはない。ただ、決定的だ、間違いない、なんて思い込んでしまうのはいけないと言っているのだ。
・講釈の誤りは、連なった事実を見ると、何らかの説明を織り込まずにはいられない私たちの習性に呼び名をつけたものだ。一連の事実に論理的なつながり、あるいは関係を示す矢印を無理やり当てはめることと言ってもいい。説明をすれば事実同士を結びつけることができる。そうすれば事実がずっと簡単に覚えられるし、わかりやすくなる。私たちが道を踏み誤るのは、この性質のせいでわかった気になるときだ。
・2003年12月のある日、サダム・フセインが捕まったとき、ブルンバーグ・ニュースは13時01分にこんな見出しを流した。「米国債上昇、フセイン確保でもテロは減らない可能性も」 市場が動くと必ず「理由」をつけないといけないとマスコミの連中は思い込んでいる。(中略)13時31分、次の見出しが流れた。「米国債下落、フセインの確保でリスク資産の魅力高まる」 それじゃ、同じ一つの確保(原因)で、ある事象とその正反対の事象の両方が説明できるということだろうか? そんなことは不可能なのは明らかだ。(中略)マスコミはそういうことを四六時中やっている。彼らが原因を掲げ、ニュースにして流し、ものごとを手にとってさわれるようにする。選挙で候補者が負ければ、その人が有権者に嫌われた「原因」を供給する。ありそうな原因ならなんだっていい。マスコミには事実調査担当が山ほどいて、ありとあらゆる手を尽くして「徹底的に」裏をとる。なんだか、彼らは間違ったことを限りなく几帳面にやりたいみたいだ。
・私たちの情緒の仕組みは、因果関係が線形である場合向けに設計されている。たとえば、毎日勉強すれば、勉強量に比例して何かが身につくだろうと期待する。どこかに向かっている感覚がないと、情緒が働いてやる気をなくさせようとする。でも、今の現実では、線形で前へ進み続けて満足させてくれる進歩なんてありがたいものはめったにない。ある問題について一年間考え続けて、結局何にも分からないなんてこともある。それでも、何も得られなかったことにがっかりしてあきらめてしまわなければ、ある日突然何かがわかるのだ。
・肩で風を切る山師全員のうち、多くは地に落ちて、ほんの何人かがそのたびに立ち直る。自分は不滅だと信じ込みそうなのは、そうやって生き延びた連中だ。彼らは本が書けるぐらい面白い経験をしていることだろう。(中略)実際、自分はいい星の下に生まれたと言う山師は多い。山師自体がたくさんいて、運が尽きた連中の話は聞けないからだ。
・専門家が専門家で・・・・ないことが多い仕事とは、証券会社の営業マン、臨床心理学者、精神科医、大学の入試担当、裁判官、議員、人事担当者、諜報アナリスト(あれだけコストをかけておいて、CIAの成績は痛々しいほどだ)である。いろいろな文献を読んで私がつけ加えたい人たちは次の通りだ。経済学者金融予想屋、ファイナンスの教授、政治学者、「リスクの専門家」、国際決済銀行の職員、国際金融エンジニア協会(IAFE)の偉いさんたち、それに個人向け金融アドバイザー。 単純に言って、動くもの、したがって知識が必要なものには普通専門家がいない。
・データ提供会社は、JPモルガン・チェースだのモルガン・スタンレーだのといった名誉ある組織で働く(スーツを着た)「著名エコノミスト」の予測を覗き見させてくれる。エコノミストたちが喋ったり、流暢にもっともらしく理屈を説いたりするのを見ることができる。そういう彼らはだいたい七桁の年収を稼ぎ、数字を計算したり予測をつくったりする研究員を後ろに従えて、スターの扱いを受けている。そういうスターの連中はバカだから、自分の予測を平然と公表している。おかげで子々孫々の代まで記録が残り、彼らの能力を観察したり評価したりできるのだ。 さらに、金融機関の多くが毎年の年末に、愚かにも翌年を占った「200x年の見通し」なんてタイトルの小冊子をつくっている。もちろん、前の年に立てた予測を後から振り返って当たったかどうか調べてみたりはしない。調べもせずにそんな予測に乗る一般の人たちは連中に輪をかけてバカかもしれない。
「専門家」の一般的な欠陥を詳しく見ていこう。彼らは不公平な勝負をしている。自分がたまたま当たったときは、自分はよくわかっているからだ、自分には能力があるからだと言う。自分が間違っていたときは、異常なことが起こったからだと言って状況のせいにするか、もっと悪くすると、自分が間違っていたことさえわからずに、また講釈をたれてはしたり顔をする。自分がちゃんとわかっていなかったんだとは、なかなか認めない。でも、こういう持っていき方は、私たちのあらゆる営みに現れる。私たちの中の何かが、自尊心を守るように働いているのだ。

絶対貧困/石井光太

著者は途上国の貧困について体当たりで取材し、本やテレビで発表をしている作家。ぜんぜん知らなかった途上国でも最貧民な層の人たちが、どのような仕事があり、どのように恋愛をし、子どもを作ったり育てたりしていくのか、などを綿密な取材から描いています。さらに、売春婦や物乞い、路上生活者などについても触れており、非常に興味深いです。

日本人が途上国で物売りや物乞いを前にした時、よく発する言葉があります。「彼らに一々お金をあげても何の解決にもならないし、キリがない。だからあげるべきじゃない」(中略)私はもっと簡単に考えるべきだと思うのです。物売りを目にしたら「がんばってるなー」ぐらいに思って、安いものを買ってあげればいいと思うのです。お菓子にしたって、ティッシュにしたって十円とかそのぐらいです。ちょっとぼられたって大した値段になるわけでもありません。 もしあなたが買ってあげれば、きっとすぐに彼らと親しくなることができるでしょう。路上の住処につれていってくれるでしょうし、家族や友人を紹介してくれるはずです。もちろん、記念写真を一緒に撮ったっていいと思います。また、外国人を相手に商売をしているような子ならば一日二、三百円も払えば片言の外国語で丸一日ガイドをしてくれるはずです。それがどんなにあなたにとって有意義なことになることか。

確かに自分はたまたまいい地域に生まれただけで、生まれたところが違っていたら同じ境遇だったのだと強く思いました。本書では売春婦の子どもが稼ぎがいいゆえにいい教育を受けていく姿なども描かれています。

こういった矛盾だらけの世界のことを考えると、日本の不平等がまだかわいく見えるし、早くそういった人々を救えるようなポジションにいこうと思うのでした。

mixiアプリ一般公開迫る

mixi Developer Center (ミクシィ デベロッパーセンター) mixiアプリ一般公開に向けたカテゴリ掲載申請の締め切りについて

mixiアプリ(PC版)に関して、一般公開の際に公開アプリになるためには8月17日24:00までにカテゴリ掲載申請を行っていただくようお願いいたします。

mixiアプリは、PC版が8月下旬、モバイル版が9月下旬公開。というスケジュールが本当に実施させるのか気になってたのですが、PC版の締切が決定されたということは、いよいよ一般公開されるらしいです。

楽しみですねー

ブログ移転

今までブログはMovableTypeというソフトを使っていたのですが、使っているロリポップというレンタルサーバーでブログ更新するのに時間がかかりすぎてタイムアウトを頻繁に繰り返すようになってきてました。なので、突然思い立って、WordPressというのにしてみました。

更新はすごく楽になったのですが、ページ表示が若干遅くなったかも?

とりあえずブログのURLが変わったので、変更よろしくお願いします。RSSリーダーで読んでいる方は自動で更新されると思います。

http://suadd.com/blog/

http://suadd.com/wp/