世界一周その9ーすり鉢の美しい街ラパス

ラパスはボリビアの事実上の首都で、すり鉢上になって美しい街です。ボリビアは南米最貧国らしく、確かにベルーに比べても物価がかなり安い。その代わり、シャワーの出が悪かったり、インターネットがとてつもなく遅かったり。治安もあまりよくないみたいでした(カメラ盗まれたひとも…)。

すり鉢状の街並み
すり鉢状の街並み

ペルーのプーノから国境を抜けて、ラパス市街に入ると、そこら中でひとが水や泡スプレーみたいなのをかけあってました。ホテルのひとによると、ラパスはちょうどカーニバルの最中だとのこと。だから、旅行代理店もレストランも休みだよ、と。それだとウユニ塩湖に行けなくて困るなぁと思ったのだけど、本当にどこも休み。

カーニバルで水かけする人びと
カーニバルで水かけする人びと
旅行者にも容赦なし
旅行者にも容赦なし

さらに、ラパスーウユニ間が雨で道が非常に悪いらしく、通常12時間位のところ17時間かかったという旅人もいたりして、どうしようかと思っていたところ、ラパスーウユニの飛行機があるということで、大人力を発揮し、直接Amaszonasという航空会社のオフィスに行って、チケット購入。

ただ直近のチケットがなかったため、ラパスに4泊することに。せっかくなので、カーニバルを観に行ったり、ボリビアのひとを紹介してもらってご飯を食べたり、ちょっとよいホテルに泊まってみたりしました。日本で打てなかった黄熱病の予防接種を受けようとも思って、Centro Pietroという保健省の施設にも言ってみたのだけどなぜかその日は打てませんでした(スペイン語が分からず)。

カーニバルのパレード
カーニバルのパレード

割りと4泊もしたら、暇かなと思ったのですがそうでもなかったです。さて、次はいよいよウユニ塩湖です。

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世界一周その8ークスコとプーノで死にかける

マチュピチュからクスコへ。

クスコはインカ帝国の首都であったらしく、だからこそ破壊されてすっかりとスペイン風の街になっていました。建物は荘厳で美しく、写真に映えます。

クスコのカテドラル
クスコのカテドラル

一方で、カテドラルの前では、インカ時代由来の何かの踊りの練習をやっていました。恐らく太陽の祭り、インティ・ライミの練習。

カテドラル前で踊りの練習をするひとびと
カテドラル前で踊りの練習をするひとびと

その後、僕は食中りで完全にダウン。クスコからプーノの観光バス(10時間弱)では、ひどい腹痛に加えて高山病っぽい頭痛まで出てきて(睡眠が多いと呼吸が浅くなって高山病の症状が出やすいらしい)本当に辛く、5箇所くらい立ち寄る観光スポットではほとんどバスで休んでました。プーノでも街をさらっと歩いて、高台まで行って写真を撮ったくらい。

プーノの高台から、晴れてないのでイマイチ
プーノの高台から、晴れてないのでイマイチ

次のプーノからラパス(10時間位)間でもグロッキーでしたが、薬や深呼吸などのかいもあってか、着く頃にはだいぶよくなりました。原因は恐らく、サラダかフルーツ。南米の恐ろしさを痛感。今後は水で洗う生モノはバナナ以外は食べないようにしたいと思います。

コパカバーナの街、この頃は晴れてて絶景
コパカバーナの街、この頃は晴れてて絶景

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世界一周番外編ーニューヨークのとんでもサウナの話

ニューヨークのとんでもサウナ、Russian & Turkish Bathsのご紹介

Russian & Turkish Baths
Russian & Turkish Baths posted by (C)suadd

・ロッカールームがかなり汚い。ゴムぞうりみたいなのを履くので直接触れませんが。
・基本混浴(別の日もあり)で、男性は貸してもらえるショーツ、女性は水着。
・人種的には、ロシア人が圧倒的に多いように感じた。年齢層は幅広くて、若い人もたくさんいます。
・そんなに広くないのでひとがぎっしり。説明が難しいけど、壁という壁にひとが佇んでる感じ(サウナ外も)。時間帯が夕ご飯前という混み合う時間帯だったのかも。
・水桶があるサウナがあって、熱くなったらバシャバシャ浴びてる。もちろん跳ねっ返りが飛んでくる。
・シャワーのあるサウナがあって、(以下、同上)
・サウナの中で本読んだり、ペットボトル飲んだり、寝っ転がってたり、なんでもあり
・水風呂はプールみたいな感じで、濁っててとても入る気がしなかった
・シャワールームからの泡だった水が中央に流れてくる。ゴムぞうり履いてるものの(略)
・外には食堂みたいもあって、みんないろいろ食べたり飲んだりしてる
・値段は35ドル

まとめると、とにかく汚くてたぶんほとんどの日本人にはかなり抵抗があると思われます。僕も1時間経たずに出ちゃったし。ただサウナ好きとしてはサウナの機能は果たせてるので結構満足しましたし、「何事も経験」な僕にとっては、非常に味のあるよい経験になりました。

これを読んで、より多くの方に興味を持っていただき、トライしていただきたいところです。

※詳しいレビューはこちらがとても参考になります

世界一周その7ー2時間半待ってマチュピチュを望む

4時半に起きて、マチュピチュ村からバスで30分。それからマチュピチュを横切って、ワイナピチュ入口へ。マチュピチュを一望できるワイナピチュへはトレッキングで1時間なのだけど、これがかなりキツい。もう汗だくでTシャツがぐっしょり。しかし、登ったと思ったら周りは雲に覆われていて、まったくマチュピチュが見えず。

これはちょっとたって少し見えた時
これはちょっとたって少し見えた時

気温が高くなると晴れるという言葉を信じること2時間半、10時半過ぎにさっと雲が開けました。とにかく長時間待ったから感動もひとしおでした。

ついにマチュピチュを一望
ついにマチュピチュを一望

それから降って、マチュピチュをぐるっと回ったのですが、見張小屋という一番高いところからの景色が素晴らしかった。周りには寝っ転がって見ているひとが多数。僕も同じくしばし見とれてました。

見張小屋の近くから一望できてすごく気持ちがいい
見張小屋の近くから一望できてすごく気持ちがいい

今回の旅でマチュピチュは絶対行きたかったところの一つだから、ワイナピチュで粘ったのはグッドチョイスでした。

リャマ、運搬用に使われていたらしい
リャマ、運搬用に使われていたらしい
奥の山がワイナピチュ、勾配がすごくてひたすら階段をあがっているような感じ
奥の山がワイナピチュ、勾配がすごくてひたすら階段をあがっているような感じ

なお、この時まったくもって曇っていたので油断して、ものすごい日焼けしました。後、すごい筋肉痛にも。。しかし、次回クスコでさらに悲劇が待っているのでありました。

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世界一周その6ーオリャンタイタンボとマチュピチュ村

ナスカの地上絵を観た後、リマへ戻りクスコ経由でマチュピチュに向かいます。

オリャンタイタンボはクスコから車で1時間半、マチュピチュ村までの列車駅。乗り継ぎの関係で、数時間過ごすことになったのだけども、本当に何もない町(一応遺跡があるのですが高山病を警戒して見ず)。しかし、クスコからオリャンタイタンボまでの線路が増水のためか不通で乗り換えの観光客でそれなりに賑わってました。

オリャンタイタンボ
オリャンタイタンボ

それからマチュピチュ村へ。ここもすごく小さい村なのだけど、コンパクトで雰囲気のいい村でした。線路脇に立ち並ぶ飲食店やホテルが不思議な感じ。温泉とかマッサージ屋もあるようです。

マチュピチュ村で食べたチキン、おいしかった
マチュピチュ村で食べたチキン、おいしかった
線路脇にレストランやホテルが立ち並ぶ不思議な雰囲気
線路脇にレストランやホテルが立ち並ぶ不思議な雰囲気
駅の隣にはお土産物屋が集積する
駅の隣にはお土産物屋が集積する

次回はマチュピチュに登ります

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世界一周その5ー荒野のナスカの地上絵

バジェスタス島からナスカへ。

地上絵はひとつひとつが思ったよりかなり巨大。周りはなんにもない荒野で灼熱だし、作るの大変だったろうに。1000年以上前にほんと誰がなんの為に作ったんだろう。

周りは何にもない荒野
周りは何にもない荒野
セスナに乗らないでもここから2つ地上絵が見れます
セスナに乗らないでもここから2つ地上絵が見れます
ハチドリ
ハチドリ
海鳥
海鳥

リマからは444キロ、車で6時間もかかるのだけど、来てよかったなと思いました。セスナは8人乗りで、ほんと心もとなくてドキドキでした。

セスナは8人乗り
セスナは8人乗り

次はマチュピチュに向かいます。

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世界一周その4ーミニガラパゴスと呼ばれるバジェスタス島

リマから車で数時間にあるミニガラパゴスと呼ばれている島々。朝8時なのにクルーズに行くたくさんのひとで賑わっていました。島はいろいろな生き物がいたのだけれども、とにかく鳥の数が半端ない。写真の黒い部分は全部鳥です。たくさん餌の魚がいるんだろうなぁ。

バジェスタス島へのクルーズの行列
バジェスタス島へのクルーズの行列
黒いところはみんな鳥...
黒いところはみんな鳥…
アザラシもいます
アザラシもいます
なんか名物っぽいペリカン、触れます
なんか名物っぽいペリカン、触れます

そしていよいよナスカの地上絵を観ます。

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世界一周その3ー身構えて降り立ったリマ

はじめての南米(ペルーの首都)ということでかなり身構えて降り立ったのだけど、伝統的な教会や市庁舎が建ち並んで美しい旧市街と、海岸沿いの風が気持ちいい公園とモールなどがあるモダンで若者が多い新市街が対象的ですごく面白い街でした。ご飯も美味しいし、タクシーの運ちゃんはアミーゴ、ストリップはどうだい?と聞いてきてフレンドリー。新市街は若者や子供がのどかにスケボーやフリスビーをしていて、芝生で寝っ転がっていると本当に気持ちよかったです。底抜けに眩しい陽射しが能天気。もちろんタクシーは交渉制でボラれるし、危険なこともあるんだろうけども、それを差し引いてもだいぶブラスな街だと思いました。

ラルコマル、崖の側面にある不思議なショッピングセンター
ラルコマル、崖の側面にある不思議なショッピングセンター
ラルコマルの上は公園になっていて、子供たちがいっぱい
ラルコマルの上は公園になっていて、子供たちがいっぱい
趣のある本屋
趣のある本屋
サン・フランシスコ教会、中ではミサが行われてました
サン・フランシスコ教会、中ではミサが行われてました

次はナスカの地上絵を観るため、まずバジェスタス島へ行きます

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世界一周その2ーワシントンDCで政治を感じる

中学からの友達が世界銀行にいるということでニューヨークから一日トリップ。ペンシルベニア駅から3時間と近くはないけど車内はネットも使えて割と快適。DCでは有名なスミソニアン博物館は19ある博物館並びに研究センターですべて無料らしい。しかもそれぞれが日本の国立新美術館並にでかい。アメリカの国力を見せつけられます。それから政府系で働いている外国人を交えて食事も。普段ビジネスパーソンとしか話さないから面白かったです。

スミソニアン航空宇宙博物館
スミソニアン航空宇宙博物館
スミソニアン航空宇宙博物館
スミソニアン自然史博物館
DCの至る所にあるレンタルバイク Capital Bikeshare
DCの至る所にあるレンタルバイク Capital Bikeshare
世界銀行。我々の夢は、貧困の撲滅
世界銀行。我々の夢は、貧困の撲滅

この後、いよいよ南米編に突入します。

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世界一周その1ーニューヨークは綺麗になってた

世界一周のスタートはニューヨークから。

8年ぶりのニューヨークは雪も降っててほんと寒かった。寒いのはいいんだけど、それでいてタクシーが捕まらないので凍えました。それでも洗練されたレストランやホテル、綺麗になって活気のある街並み、ブルーノートのジャズ、すべてが刺激的でよかったです。もう少しいてもよかったかも。

A Voce Columbus
A Voce Columbus

Blue Note
Blue Note

Chelsea Market
Chelsea Market

グラウンドゼロ
グラウンドゼロ

ワシントンDCにも行きました。

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世界一周はじまりました

自分でもあまりにもバタバタして出発してしまい実感が薄いんですが、いよいよ世界一周はじまりました(笑)

まずは8年ぶりのニューヨークから。ニューヨークは昔すごく好きで7,8回は来たことあるんですが、年をとると行き13時間、帰り16時間というフライト時間がきついんですよね。しかし、あまりにも来てなかったので再訪。といっても、絶対に行きたいのはグラウンドゼロくらいなので、後はなりゆきでのんびりな予定です。

世界一周バッグ
世界一周バッグ posted by (C)Shintaro

前回のエントリにいろいろアドバイスいただいて一部持ち物を追加したりしました。アドバイスいただいた方ありがとうございました。そのおかげでもあってかやっぱり48Lでは足らずサブバッグも追加に。

明後日夜から南米ペルーのリマに出発します。

世界一周の持ち物

世界一周1ヶ月後に考える世界一周の持ち物世界一周の持ち物(最終版)もご覧ください。

さていよいよ2月10日(金)の出発が近づいてきているわけですが、先週まるまる風邪を引いていたりした関係で、いろんな準備が圧倒的に遅れています。特に痛いのは、黄熱病の予防接種ができなかった点なのですが、まぁ黄熱病危険区域には立ち入らないように気をつけようと思います。

それで、世界一周って何持っていけばいいの? という話なんですが、僕もかなりいろいろ調べたのですが、よく分からなくて非常に困ってます(実際のところ旅のスタイルや予算などに相当に左右されるらしいです)。

とりあえず僕の方針としては、まぁどうせ大抵のものは後で買えるだろうから、できる限り少なめで行こう、です。今回特に恐らく異例なほど少ない48Lのバックパックでがんばってみようと思います(すぐ諦めるかもですが)。後でいろいろ思うところも出てくると思うので、そういうのは追記していきます。

※太字がアドバイスを元に追加したもの

▼一般
・パスポート
・国際運転免許証
・海外用財布
・クレジットカード2枚、国際キャッシュカード2枚、キャッシュ
・濡れマスク
[tmkm-amazon]B000LZRO0S[/tmkm-amazon]
・服類(ダウンジャケット、ヒートテック上下、水着、帽子含む)
・石鹸
・爪切り
・部屋干しトップ(3小袋)
・ポケットティッシュ(6パック)
・日焼け止め
・サングラス
・虫よけスプレー
・薬(胃腸薬、風邪薬、痛み止めなど)
味噌汁
レインコート
・海外プラグ変換アダプター
[tmkm-amazon]B000WMK6X2[/tmkm-amazon]
・分配アダプター
・ワイヤーロック×2
・アルミレスキューシート
・LEDライト
・イヤホン
カメラの三脚
・名刺若干
・地球の歩き方(ニューヨーク&ペルー)

▼電子機器
・MacBook Air 13.3インチ
[tmkm-amazon]B002CJM7S0[/tmkm-amazon]
・Android端末(Expreria mini pro香港にて購入したもの、SIM入れて使う)
・iPhone
ガラケー(結局持っていくことに)
・Kindle
[tmkm-amazon]B005VD4SUY[/tmkm-amazon]
・デジタル一眼レフカメラ(Nikon D7000+標準ズームレンズ+単焦点レンズ)
・USBメモリ 32GB(防水防塵)
[tmkm-amazon]B002FO4PE6[/tmkm-amazon]
・電動髭剃り

▼バックパック
・地球の歩き方オリジナル エディターズキャリーバックパックJr IIー48Lは一般的には相当小さいらしいですが、無理だったら買えばよいかなと。
[tmkm-amazon]B0047RZY9Y[/tmkm-amazon]
サブカバン(やはり48Lでは入りきらず…)

以上。後、今回諦めたものとしては以下があります。

・トラベラーズチェック(最近は国際キャッシュカードだけでもいいらしい)
・万能ナイフ(全部手荷物にするので、飛行機持ち込みできないため)
・iPad(Kindleに集約)
・洗濯ロープ(あると便利らしいがほんとか)
・外付けHDD(USBメモリ32GBで代用)

他、何かこれ持ってった方がいいよ、というものがあれば教えていただけるとうれしいです。

※最新版は、世界一周1ヶ月後に考える世界一周の持ち物をご覧ください。
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Zynga Japanを退社します

私、山田進太郎は、本日1月16日(月)付でZynga Japanを退社します。

ウノウのミッションであり、Zyngaへのウノウ売却時の理由でもあった

「世界で使われるインターネット・サービスを創る」

を達成できないままなのは残念ですが、目標はすぐに達成できてはつまらないもの。今後もこの目標は個人的に追いかけていきたいと思います。

有限会社ウノウからだと10年半弱、元副社長の石川と作ったウノウ株式会社から考えると7年、Zyngaになってからは1年半弱。

振り返ってみると、本当に社内外、いつの時も、様々な方々に支えられて来たのだなぁと思います。

退社したからといって人生が終わるわけではありませんが、一つの区切りだとは思いますので、改めまして。

私とZynga Japan(およびウノウ)に関わったすべての方に深く感謝いたします。今まで本当にありがとうございました。

今後についてはまったく未定ですが、しばらく海外を回ろうかなと思っています。その後は、また大好きなインターネット・サービスを作っていくことになると思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

P.S.今後ご連絡は個人宛メールか、Facebookなどにお願いします

賀正+2011年の本

あけましておめでとうございます。

昨年も本当にいろいろな方にお世話になり、ありがとうございました。個人的にも、すごくいろいろな気づきのある年で、よかったなと思います。今年はちょっと新機軸を打ち出して行こうかなと思ってます。

それでは、恒例の2011年の本です。今年も昨年に続いて若干不作だったかなと思いますが、それでもこの5作品は読んでおいて損はないと思います。

2006年2007年2008年2009年2010年はこちらからどうぞ。

5位 小説 盛田昭夫学校
ソニーというベンチャーがどのように発展してきたかが非常にいきいきと描かれています。ソニーがどのように世界ブランドになっていったかは、現在どのように世界的なプロダクトを作るかの助けになると思います。

4位 自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門/森村進
これから徐々に主流になっていくであろうリバタリアニズムについての入門書です。

3位 繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史/マット・リドレー
現代は暗い話題が多いですが、過去どの時代に比べても生活水準はあがっていて、世の中どんどんよくなってますよ、ということがよく分かる本。大きな世界の流れを知ることは、これから何をしていけばいいのかのヒントにもなると思います。

2位 強さと脆さ/ナシーム・ニコラス・タレブ
衝撃の名作「ブラック・スワン」のタレブ新作。「ブラック・スワン」の後を考えているため、考察本になっていて、切れ味は劣りますが、いずれにしても合わせて必読本です。

1位 フェイスブック 若き天才の野望/デビッド・カークパトリック
Facebook本の中では図抜けています。現在の世界でもっとも重要なプロダクトの一つであるFacebookの成り立ちを知っていくのは非常に重要だと思います。

小説 盛田昭夫学校(下)/江波戸哲夫

上巻からの続き

76年 4686億円(14%増)
77年 5128億円(9%増)
78年 5423億円(6%増)
絶対額こそ77年には442億円、78年には295億円と着実にふえていたが、伸び率は68年にトリニトロンが登場してからの数年間の30%〜50%を大きく割り込んでいた。(中略)そこで盛田はいくつもの大きな戦争を戦いながら、たえず目を光らせて次のヒット商品を探していた。(中略)浅井は改良型プレスマンを盛田に渡した。 「どれどれ」盛田はデスクの前のソファーに座り、大きなヘッドフォンを、輝く銀髪の頭に被った。すぐに目をつぶり音楽に聞き入った。浅井の視線の先でテープの交響曲に合わせるように盛田の上半身がかすかに揺れた。やがて目を開け、ヘッドフォンを外して盛田が勢いよくいった。 「これは、いいね」 浅井の心臓がぴくんと跳ねた。 「250万台はいけるぞ」

ソニーは常にヒット商品を狙い続けていました。

「初回の3万台はもし売れなかったら、私が責任をとって会長を辞めます。君らは成果のことは何も心配しないで、思い切り売ることにだけ精力を傾けてください」 出席者は一瞬どよめき唖然とした顔で盛田を見た。その視線を盛田は穏やかに受け止めていた。

ウォークマン発売前は「誰かがイヤフォンをつけていると、耳が遠いのだろうと思われかねない時代」で、販売会社のソニー商事含め懐疑論が非常に多く盛田氏はこう言って反対を押し切きりました。

(USにおけるユニバーサルからのベータマックス訴訟で)いくつかの公開討論会には、盛田もパネラーとして出席した。 盛田はアメリカの市民にも高い人気があり、彼がパネラーとなった会場は、いつも溢れんばかりの人が集まった。盛田は決して流暢とはいえない、しかし誰にもはっきりと聞き取れ、説得力のある英語をしゃべった。 「USAは自由の国です。USAはイノベーションを先端で引っ張ってきた国です。それは世界中の国がよく知っています。そのUSAが、自由も技術革新も否定しては、USAではなくなってしまう」

盛田氏は英語が堪能ではなかったが、中身のあるスピーチでアメリカ人を魅了していました。

(ヨーロッパのソニー従業員の懇親会にて)「私がいまどういう気持ちでソニーという会社のことを考えているか、皆さんにお話しておきましょう」 前例のないことである。会場がいっぺんに静まり返った。 「まず、どんなことであれ、ソニーと関係を持ったすべての人が、そのことによってそれまで以上に幸福になって、ソニー商品を買った人はそのことで生活が豊かになって幸福になり、ソニー商品を売る人は利益を得ることで幸せになる。といったように、ソニーとなんらかの関係を持った人はすべていままで以上に幸せになる。これが私の願いであります」

盛田氏の企業観が分かるスピーチです。

ソニーではすでに64年に国内売上高を海外売上高が上回り、その後も着実にその差は開き、岩城が帰国した76年には国内売上げ1911億円に対して海外売上げが2725億円と1.43倍にもなっていた。

設立から18年で海外売上高が国内を逆転しています。

日本はバブル経済の真っ最中で、どこにもここにも金がうなっていた。ソニーも例外ではなかった。この時期、連結の売上げは左記のようにわずか2年で1兆3500億円も伸ばしてほぼ倍増した。
87年 1兆5948億2600万円
88年 2兆2036億100万円(38%増)
89年 2兆9475億9700万円(34%増)

凄まじい伸び。そして、ソニーはコロンビア買収に乗り出します。

日本語のスピーチを行なうときの盛田は、構成とその論点だけを確認すれば、原稿を作ることなどめったになかった。しかし英語の講演の場合は盛田はいつも丁寧に原稿を準備し、実際に声に出して練習もした。あんなに軽やかで絶妙な盛田のスピーチも、大きなエネルギーと緊張感に支えられていた。まれに盛田は緊張のあまり重要な講演を引き受けたことを後悔し、身近なものに愚痴ることさえあった。「なんだってこんな講演を引き受けてしまったのだ」

スピーチが得意だったが、その裏には必死の努力があったという。

<まとめ>
ソニーも昔はいちベンチャーとして始まり、数々のヒット商品を出し、そのたびに猛烈に業容を拡大していきました。特に戦後10年、設立9年で上場、上場後4年間で売上を10倍にしているのは本当に素晴らしいです。一方で、その裏には数々の苦闘があったんだなというのがよく分かって、すごく共感できます。全般ものすごくおもしろいので、特にベンチャーに関わる人にはオススメです。

上巻はこちら

小説 盛田昭夫学校(上)/江波戸哲夫

一応、小説とあるのですが、ソニーの歴史には忠実に、様々な主人公の視点で生き生きと描かれています。経営という視点で見ると、他社をベンチマークするだけではなく、過去の偉大なベンチャーから学ぶことも重要なのではないかと思います。個人的に非常に勉強になることばかりだったので、抜粋コメント方式で行きたいと思います。

東京通信工業の前身「東京通信研究所」は、45年10月1日、終戦からわずか2ヶ月後に、井深大を中心とした数人の仲間によって設立された。最初の拠点は日本橋の百貨店「白木屋」の三階。井深の知人が使わなくなった配電室を貸してくれたのだ。 当初、彼らは会社の存続のために、電気炊飯器の製造やラジオの修理・改造などを行なっていた。ラジオの修理・改造は戦争中、短波放送を聴くことのできないラジオを強要された多くの人に喜ばれた。

終戦からわずか2ヶ月後に開始。この会社の記事を見て、23歳の盛田は、36歳の井深に手紙を書いて、翌年、東京通信工業が設立されました。

発足したばっかりの東通工は、NHKとは第一スタジオの調整卓などいくつもの取引があった。その関係で井深も盛田もしばしばNHKに出入りしていた。(中略)ある日、井深はCIEの職員からテープレコーダーを見せられ、音を聞かされた。 井深はたちまちその音質のよさに魅了させられ、会社に戻るやいなや盛田にいった。  「テープレコーダーだよ、われわれのやるべきものは。ワイヤーではなく、テープで行こう」

テープレコーダーを発売する前はそこまで傑出していたわけではなかったようで、いろいろな仕事をしていました。

テープレコーダーは東通工の規模を急速に大きくした。 G型の試作機が開発された49年には従業員数87名、売上高3200万だったものが、G型が発売された50年には従業員115人、売上高9700万円、H型が発売された51年には従業員159人、売上高1億5500万円、H型よりさらに小型のP型(ポータブル用)が発売された52年には従業員214人、売上高3億4300万円となった。 つまり従業員は2.5倍、売上高は10倍となった。数字の表面だけをたどればかなり順調に見えるが、製品の開発・製造・改良のために雇った従業員はそれが終われば当面の仕事はなくなるし、開発・改良費を惜しみなく使ったので、東通工の財政にはいつも厳しいものがあった。

最初のブレイクスルーはテープレコーダー。

46年に二十数人で始めた東通工は、わずか六年間で300人近い従業員をかかえるようになっていた。テープレコーダーの開発のために多くの専門家も雇い入れている。その開発が一段落しかけているいま、彼らをどうやって食わせていったらいいのだろう? それができなければ彼らを首にしなければならない。しかし一生懸命に口説いて入社させた者ばかりだ、そんなひどいことはできない。 そう思いつめていたところへトランジスタの話が舞い込んだのだ。25000ドル(注:トランジスタ特許の使用料)という金額は当時の為替レートで900万円になる。サラリーマンの平均月給が1万円台の半ばだから、物価がおよそ20倍になっていると考えれば、現在の二億円に近い金額になる。

6年間で300人近い従業員、そして社運を賭けたこの特許の取得後、トランジスタラジオの開発には3年もかかっています。

この(注:トランジスタラジオTR-55)発売と軌を一にして東通工株の店頭公開が実現することとなり、それらを新聞記者など関係者に発表する一連の日程が決められた。55年7月下旬の暑い盛りだった。

なんと設立わずか9年で上場。トランジスタラジオの発売と同時。つまりほとんどテープレコーダーだけで上場。また上場時の従業員は400人程度。

TR-63(注:小型トランジスタラジオ)は東通工の売上げに大いに貢献した。輸出額の推移はこうである。
 55年 954万円
 56年 6408万円
 57年 3億2876年

海外売上も順調に拡大

トランジスタラジオの大成功に伴い東通工は凄まじい勢いで業容を拡大した。
 55年3月期には、
 売上高、3億5100万円
 利益、4700万円
 従業員、384名だったものが、
 4年後の59年3月期には、
 売上高、33億5000万円
 利益、3億9000万円
 従業員、2124名
 となっている。この4年間で売上高は10倍、利益は8倍、従業員数は5.5倍に急膨張した。

上場後の4年間で、売上10倍、利益8倍、従業員数5.5倍まで急拡大。

「海外要員を求む=SONY」59年秋、新聞にこんなキャッチフレーズの全面広告が掲載された。後世に語り継がれるのは「英語でタンカの切れる日本人を求む」というキャッチフレーズだが、それは翌年の求人広告だった。戦争で疲弊した日本経済は、50年から53年にかけての朝鮮戦争のお陰で急速に息を吹き返し、56年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言し、間もなく高度成長期に足を踏み入れようとしていた。 海外で活躍できる。それは日本中の志ある若者の気持ちを捉えた。そうした若者が一人また一人と品川御殿山のソニー本社を目指した。

こういう雰囲気の中での海外進出。

「ゴミレターを整理してくれっていわれたんだが、ゴミレターって何ですかね?」 大河内が笑みを浮かべた。 「ご承知の通り、トランジスタラジオが飛ぶように売れていましてね。いま世界中の代理店希望者からインクワイアリー「照会状)が着ているんです。欧米関係のものは次々とはけるんだけど、中近東、アフリカなんてところの分は後回しになってどんんどん溜まっている。それをみんなゴミレターと呼んでいるんだ」

トランジスタラジオはその性能から世界中(アフリカ、中近東含む)から注文が殺到していました。

下巻に続きます

人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ/米長邦雄

将棋棋士の米長邦雄氏による「勝負の研究」。すでに引退済みで、もう70近いはずなのですが、Twitterが話題になったりもしてますね。

ビジネスでは直接ライバルと対峙するということはあまりないわけですが、将棋では一対一の勝負しかありません。そういった中で長年、戦ってきた米長氏の勝負感が垣間見れて、非常に勉強になりました。

特にカンが、その人すべてを「しぼったエキス」であるという考え方や、勝負で勝つためには最善手のみを選択するのではなくて、相手にとって難しい手を打って泥沼に引きずり込む、というのはなるほどなぁと思いました。

30年くらい前の著作なんですが、まったく色褪せていなくて、おもしろかったです。

<抜粋>
・カンというのは自分が好きで必死で取り組んでいないと、働かないものです。嫌いな分野とか、やりたくないなと思っている仕事で、鋭いカンが働いたという話は聞いたことがありません。
・人間にとって大切なものは、努力とか根性とか教養とか、いろいろあります。しかし、一番大切なものはカンだ、と私は思っています。カンというのは、努力、知識、体験といった貴重なもののエキスだからです。その人の持っているすべてをしぼったエキスです。
・遊びが勝負のマイナスになるとは、私は信じません。ひと通りの遊びをしましたが、私の将棋にマイナスになったものはない。一歩ゆずって、最低の感想としても、自分が、それを罪悪感のようなものを抱きながらやった場合はマイナスになるかもしれないが、いわれのない罪悪感など持たなければ、マイナスになるはずがない、とだけは言えます。遊びこそ人生修行の課程の一つなのです。
・私は、難局になると、相手の側に立って考え、一番むずかしい手、一番結論の出しにくい手を指して、相手に手を渡すようにしています。手が広くて、わからなくなるような局面に導いていきます。いわば泥沼に引きずり込むわけです。 相手は困る。私だってわからない。そうすると、弱いほうは余計にわからないので、間違いやすくなる。そして、いっぺんに形勢を損なうのです。
・実戦では、必ずしも最善手ばかりを指せなくてもかまわないのだ、という「雑の精神」を言い換えますと、戦いというのは、相手にどこまでなら点数を与えても許されるのか、つまり許容範囲で捉えていく、という発想です。 要するに、決定的に負けになるとすればどこなのか、そういう感覚で、常に対局に臨めば、勝負はなんとかなる、という勝負感なのです。
・世の中に真実が一つしかない、人間のあるべき姿は一つしかないと考えるのはおかしい。将棋では「こう指しても一局」とよく言います。最善手は常に一手だけで、必ずそれを指すべきだと考えれば、誰も将棋は指せなくなる。世の中のことも、きっと同じでしょう。バランスが片一方に偏りすぎていると見た場合に、私は、少々極端に見えることを言うことがあるのは、何事にもバランスと許容範囲というものを大切にしたいからです。

P.S.昨夜、ZyngaはNasdaqに上場しました。私に関わりのあるすべての皆様に感謝いたします。

自分思考/山口絵理子

バングラディッシュなど途上国でブランドバッグなどを作っているマザーハウスの山口絵理子さんの新作エッセー。誰もやってこなかったことを切り開いてビジネスを作り、悩みながらも前に進んでいく姿がとても清々しいです。

前例のないことをやろうとするといつでも人から反対されたり、批判されたりします。しかし、それを乗り越えたところにこそ「創造」があります。

誰もが賛成することに新しさと価値はない。

普段忘れがちなので、しっかり胸に刻んでおこうと思います。

<抜粋>
・自分がこの国で生き残ってビジネスをしていくうちに、どんどん嫌な目に合って、どんどん嫌な自分になっていくようで、自分が壊れてしまいそうで……。自分のこと嫌いになるくらいだったらやめたほうがいいんじゃないかって正直思ったりする。だけど、私は自分が決めた道を歩いているんだから、やっぱりその分の代価は払わなければならない。
・すでにネパールで何年も過ごしている人からは、 「ネパールは難しすぎる」 「今はやめときなさい」 「絶対うまくいかないから」 そんなことを散々言われた。でも本当にそうなのかな? と自分に問う。前を歩いてきた先人たちが言うことが、いつも正しくて、それに従って歩いていたら、「創造」とか「新しいもの」っていう言葉は、この世には生まれてこない。絶対に例外は存在し、その例外が一本の道しかなかったところに、もう一つの小さな道をつくってきたんじゃないかなっていつも私は思っている。

P.S.以下もオススメです。

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繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史/マット・リドレー

世の中には悲観論が溢れています。例えば、石油がなくなりかけている、プリオンで死者が多数出る、地球が温暖化しつつあるなど。しかし、石油はなくならなかったし、プリオンでも死者はそんなに出ませんでした。地球温暖化についても、この地球にイノベーションが起こらなければの前提で、解決可能な可能性が非常に高いと本書は主張します。

また、懐古主義も根強く、昔のほうがよかった、と言うひとがいます。しかし、実際は100年前よりも圧倒的に豊かで安全に生活できるようになっているし、ひとが発展途上国で農場から都市の工場で働くのは、その方がいい暮らしができるからです。

もっと楽観的になって、人生を楽しもう、と思わせてくれる良書です。

<抜粋(上巻)>
・つまり、貧しいとはこういうことだ。自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で自分の時間を売れなければ貧しく、必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かだと言える。これまでずっと、繁栄や成長は、自給自足から相互依存への移行と同義語だった。
・近ごろ、「フードマイレージ」を非難するのがはやっている。食べ物があなたの皿の上にたどり着くまでに長い距離を移動すればするほど、多くの石油が燃やされ、その途上で多くの平穏が乱されたことになるというのだ。だが、なぜ食べ物だけを狙い撃ちにするのか? Tシャツマイレージやノートパソコンマイレージにも抗議の声を上げるべきではないのか?
・食品を農家から店頭までに運ぶあいだに排出される二酸化炭素は、その食品の生産・消費の過程で排出される総量のわずか四パーセントにしかならない。イギリスの食品を冷蔵するときには、外国から空輸するときの10倍、消費者が自動車で自宅と店を往復するときには50倍の二酸化炭素が排出される。
・最初のトラクターは優秀な馬に比べて優位なところはほとんどなかったが、地球のことを考えると、たしかに非常に大きなメリットが一つあった。エネルギー源となる餌を育てるための土地が必要なことだ。アメリカの馬の数は、1915年にピークの2100万頭に達しており、当時、全農地の約三分の一が馬の餌の栽培に充てられていた。そのため、役畜を機会に替えることで、広大な土地が人間の食糧を栽培するために放出される。
・「私のような農民は食糧を生産するのに1930年代の技術を使うべきだと言いながら、MRIではなく聴診器を使う医者の診察を受けようとしないような人たちにはうんざりだ」
・現代の遺伝子組み換えは、圧力団体に煽られた不合理な不安によって、生まれたとたんにあやうくもみ消されかけた技術だ。最初、その食品は安全ではないかもしれないと言われた。無数の遺伝子組み換え食品が食されたあとも、遺伝子組み換え食品による人間の病気の症例が一つも出なかったため、その議論は立ち消えになった。
・アフリカ各国政府は、欧米の活動家による強力な運動によって遺伝子組み換え食品を規制するように説得されたため、三カ国(南アフリカ、ブルキナファソ、エジプト)以外では商業生産ができなくなっている。なかでも有名なのが2002年のザンビアの事例だ。グリーンピース・インターナショナルやフレンズ・オブ・ジ・アースなどの団体による運動により、遺伝子組み換え食品だから危険かもしれないと説得された政府が、基金の真っただ中に食糧支援を断る事態にまでなった。
・帝国は、というより政府一般は、初めこそ民衆のためになることをするが、長く続くほど理不尽になる傾向がある。(中略)政府は次第にもっと野心的なエリートを雇うようになる。彼らは民衆の生活に対する干渉を強めることによって、社会が上げる収益からの自分の取り分を増やし、一方で強要する規則を増やし、最終的には金の卵を産むガチョウを殺してしまう。

<抜粋(下巻)>
・ナイロビのスラムやサンパウロのバラック集落はたしかに、静かな田舎の村より暮らしにくい場所ではないのか? そこに移ってきた人びとにとってはそうではない。どんなに生活環境が悪くても、都市にある相対的な自由とチャンスのほうが良い、と彼らは機会があるごとに熱っぽく語る。
・どうやら、1700年から1800年のあいだに、日本人は集団で犂を捨てて鍬を選んだようだ。その理由は、役畜より人間のほうが安く使えたことにある。当時は人口急増の時代であり、それを実現したのは生産性の高い水田だった。(中略)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し、土地は不足したが労働力は安かったので、犂を引く牛馬に食べさせる牧草を育てるために貴重な農地を使うより、人間の労働力を使って土地を耕すほうが、文字どおり經濟的である状態に達した。そうして日本人は自給自足を強め、見事なまでに技術と交易から手を引き、商人を必要としなくなって、あらゆる技術の市場が衰退した。
・「農場からここに移って工場で働くようになったら、農業をしていたときよりもたくさんの服やいろんな種類の食べ物が手に入るようになったよ。それに家も良くなったし。だから、そう、工場に来てからのほうが生活は楽だね」
・もしアメリカ航空宇宙局(NASA)が存在しなかったなら、どこかの富豪がただ名誉のためだけに、月に人を立たせる計画にすでに身代をつぎ込んでいないと断言できるだろうか?
・経済協力開発機構(OECD)による大規模な調査によると、政府が研究開発に支出しても経済成長に目立った影響は見られないという。これは政府の思惑を裏切る結果だ。実際そうした支出は「私企業の研究開発費をはじめ、本来は民間が活用できる資源を占有してしまう」のだ。この少々驚くべき結論は各国政府にほぼ完璧に無視されている。
・どの10年を取っても新たな悲観主義者が続々と登場し、自分が生きる時代こそ歴史が大きくその方向を変える支点だと主張して譲らない。
・彼(注:ハーバード・マルクーゼ)は生活水準が下がり続けることによって起きる、マルクスの「プロレタリアートの貧困化」という概念を逆手に取り、労働者階級は資本主義によって過剰な消費を強いられたと論じた。この見解は学会のセミナーでは反応が良く、聴衆はさもありなんといった顔で頷く。しかし現実にはゴミも同然だ。地元のスーパーマーケットに行っても、選択肢が多すぎて何も選べず惨めな思いをしている人を目にした記憶は、私にはない。私の目に映るのは選択している人びとだ。
・彼(注:プラトン)は書き留めるという行為が記憶力を衰退させていると嘆じた。
・1970年代にイギリスのティーンエージャーだったころ、私が読んだどの新聞も、石油がなくなりかけている、化学物質によって癌が発生するようになる、食糧が不足している、氷河期が訪れようとしている、などと伝えていた。のみならず、イギリス経済の衰退は避けられず、ことによると全面的な破綻を迎えるなどとも報じていた。1980年代から90年代にかけて、イギリスが突如として繁栄をきわめて成長が加速し、健康や寿命、環境も好転したとき、私は大きな衝撃を受けた。
・これまでのところ、20世紀に二度にわたって訪れた温暖化の波にもかかわらず、地球規模の気候変化によって絶滅が確認された種は一つもない。
・世界はいまやネットワーク化されており、アイデアは過去に例を見ないほど盛んに生殖している。したがってイノベーションが起きる速度は倍増し、21世紀における生活水準は経済発展によって想像もつかないほどの高みまで向上するだろう。世界の最貧層までも、必需品はもとより贅沢品に至るまで入手できるようになると主張してきた。こうした楽観論はまちがいなく主流の思潮から外れているが、実際は人類滅亡を唱える悲観論より現実的であることを歴史が示しているとも述べた。

P.S.前エントリで紹介した福岡対談を記事にしてもらってます。我ながら結構おもしろいと思うのでどうぞ。
「起業は若いうちにやればやるほど得」『Zynga Japan』山田進太郎×『gumi』国光宏尚対談レポート

TechCrunchスタートアップバトル審査

TechCrunch Tokyo 2011のスタートアップバトルの一次審査をやりました。いやはや世の中にはおもしろいスタートアップがたくさんあるもんですね。僕がはじめた2004年にはこんなにたくさんなかったので、喜ばしい限りです。イベント本体は29日(火曜)なので時間のある方はぜひどうぞ。僕も行く予定です。

2件お知らせ。

先週末の福岡の対談イベントのまとめができてます。

明星和楽/Zynga(旧ウノウ)の山田進太郎さん×gumiの国光宏尚さんの対談「Fukuoka Startup School」 (個人的メモバージョン)

それから、前にも紹介したインタビューの第二弾が出ています。

失敗こそ成功への近道×山田進太郎氏(2)

追記:福岡の前半部分のまとめも作っていただいてありました!

『Fukuoka StartUP School』