繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史/マット・リドレー

世の中には悲観論が溢れています。例えば、石油がなくなりかけている、プリオンで死者が多数出る、地球が温暖化しつつあるなど。しかし、石油はなくならなかったし、プリオンでも死者はそんなに出ませんでした。地球温暖化についても、この地球にイノベーションが起こらなければの前提で、解決可能な可能性が非常に高いと本書は主張します。

また、懐古主義も根強く、昔のほうがよかった、と言うひとがいます。しかし、実際は100年前よりも圧倒的に豊かで安全に生活できるようになっているし、ひとが発展途上国で農場から都市の工場で働くのは、その方がいい暮らしができるからです。

もっと楽観的になって、人生を楽しもう、と思わせてくれる良書です。

<抜粋(上巻)>
・つまり、貧しいとはこういうことだ。自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で自分の時間を売れなければ貧しく、必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かだと言える。これまでずっと、繁栄や成長は、自給自足から相互依存への移行と同義語だった。
・近ごろ、「フードマイレージ」を非難するのがはやっている。食べ物があなたの皿の上にたどり着くまでに長い距離を移動すればするほど、多くの石油が燃やされ、その途上で多くの平穏が乱されたことになるというのだ。だが、なぜ食べ物だけを狙い撃ちにするのか? Tシャツマイレージやノートパソコンマイレージにも抗議の声を上げるべきではないのか?
・食品を農家から店頭までに運ぶあいだに排出される二酸化炭素は、その食品の生産・消費の過程で排出される総量のわずか四パーセントにしかならない。イギリスの食品を冷蔵するときには、外国から空輸するときの10倍、消費者が自動車で自宅と店を往復するときには50倍の二酸化炭素が排出される。
・最初のトラクターは優秀な馬に比べて優位なところはほとんどなかったが、地球のことを考えると、たしかに非常に大きなメリットが一つあった。エネルギー源となる餌を育てるための土地が必要なことだ。アメリカの馬の数は、1915年にピークの2100万頭に達しており、当時、全農地の約三分の一が馬の餌の栽培に充てられていた。そのため、役畜を機会に替えることで、広大な土地が人間の食糧を栽培するために放出される。
・「私のような農民は食糧を生産するのに1930年代の技術を使うべきだと言いながら、MRIではなく聴診器を使う医者の診察を受けようとしないような人たちにはうんざりだ」
・現代の遺伝子組み換えは、圧力団体に煽られた不合理な不安によって、生まれたとたんにあやうくもみ消されかけた技術だ。最初、その食品は安全ではないかもしれないと言われた。無数の遺伝子組み換え食品が食されたあとも、遺伝子組み換え食品による人間の病気の症例が一つも出なかったため、その議論は立ち消えになった。
・アフリカ各国政府は、欧米の活動家による強力な運動によって遺伝子組み換え食品を規制するように説得されたため、三カ国(南アフリカ、ブルキナファソ、エジプト)以外では商業生産ができなくなっている。なかでも有名なのが2002年のザンビアの事例だ。グリーンピース・インターナショナルやフレンズ・オブ・ジ・アースなどの団体による運動により、遺伝子組み換え食品だから危険かもしれないと説得された政府が、基金の真っただ中に食糧支援を断る事態にまでなった。
・帝国は、というより政府一般は、初めこそ民衆のためになることをするが、長く続くほど理不尽になる傾向がある。(中略)政府は次第にもっと野心的なエリートを雇うようになる。彼らは民衆の生活に対する干渉を強めることによって、社会が上げる収益からの自分の取り分を増やし、一方で強要する規則を増やし、最終的には金の卵を産むガチョウを殺してしまう。

<抜粋(下巻)>
・ナイロビのスラムやサンパウロのバラック集落はたしかに、静かな田舎の村より暮らしにくい場所ではないのか? そこに移ってきた人びとにとってはそうではない。どんなに生活環境が悪くても、都市にある相対的な自由とチャンスのほうが良い、と彼らは機会があるごとに熱っぽく語る。
・どうやら、1700年から1800年のあいだに、日本人は集団で犂を捨てて鍬を選んだようだ。その理由は、役畜より人間のほうが安く使えたことにある。当時は人口急増の時代であり、それを実現したのは生産性の高い水田だった。(中略)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し、土地は不足したが労働力は安かったので、犂を引く牛馬に食べさせる牧草を育てるために貴重な農地を使うより、人間の労働力を使って土地を耕すほうが、文字どおり經濟的である状態に達した。そうして日本人は自給自足を強め、見事なまでに技術と交易から手を引き、商人を必要としなくなって、あらゆる技術の市場が衰退した。
・「農場からここに移って工場で働くようになったら、農業をしていたときよりもたくさんの服やいろんな種類の食べ物が手に入るようになったよ。それに家も良くなったし。だから、そう、工場に来てからのほうが生活は楽だね」
・もしアメリカ航空宇宙局(NASA)が存在しなかったなら、どこかの富豪がただ名誉のためだけに、月に人を立たせる計画にすでに身代をつぎ込んでいないと断言できるだろうか?
・経済協力開発機構(OECD)による大規模な調査によると、政府が研究開発に支出しても経済成長に目立った影響は見られないという。これは政府の思惑を裏切る結果だ。実際そうした支出は「私企業の研究開発費をはじめ、本来は民間が活用できる資源を占有してしまう」のだ。この少々驚くべき結論は各国政府にほぼ完璧に無視されている。
・どの10年を取っても新たな悲観主義者が続々と登場し、自分が生きる時代こそ歴史が大きくその方向を変える支点だと主張して譲らない。
・彼(注:ハーバード・マルクーゼ)は生活水準が下がり続けることによって起きる、マルクスの「プロレタリアートの貧困化」という概念を逆手に取り、労働者階級は資本主義によって過剰な消費を強いられたと論じた。この見解は学会のセミナーでは反応が良く、聴衆はさもありなんといった顔で頷く。しかし現実にはゴミも同然だ。地元のスーパーマーケットに行っても、選択肢が多すぎて何も選べず惨めな思いをしている人を目にした記憶は、私にはない。私の目に映るのは選択している人びとだ。
・彼(注:プラトン)は書き留めるという行為が記憶力を衰退させていると嘆じた。
・1970年代にイギリスのティーンエージャーだったころ、私が読んだどの新聞も、石油がなくなりかけている、化学物質によって癌が発生するようになる、食糧が不足している、氷河期が訪れようとしている、などと伝えていた。のみならず、イギリス経済の衰退は避けられず、ことによると全面的な破綻を迎えるなどとも報じていた。1980年代から90年代にかけて、イギリスが突如として繁栄をきわめて成長が加速し、健康や寿命、環境も好転したとき、私は大きな衝撃を受けた。
・これまでのところ、20世紀に二度にわたって訪れた温暖化の波にもかかわらず、地球規模の気候変化によって絶滅が確認された種は一つもない。
・世界はいまやネットワーク化されており、アイデアは過去に例を見ないほど盛んに生殖している。したがってイノベーションが起きる速度は倍増し、21世紀における生活水準は経済発展によって想像もつかないほどの高みまで向上するだろう。世界の最貧層までも、必需品はもとより贅沢品に至るまで入手できるようになると主張してきた。こうした楽観論はまちがいなく主流の思潮から外れているが、実際は人類滅亡を唱える悲観論より現実的であることを歴史が示しているとも述べた。

P.S.前エントリで紹介した福岡対談を記事にしてもらってます。我ながら結構おもしろいと思うのでどうぞ。
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