齋藤ジン氏は、主にヘッジファンドなどにアドバイスをするUSの会社の共同経営者で、長年マーケット、というか政治も含めた世界の動きを見てきた経験から、世界秩序が変わりつつあり、そしてそれは日本にとっては大きなチャンスになる、と主張しています。
近代の歴史にも触れつつ、なぜいまこういう状況なのか、そしてそれはどうなるのかを紐解いており、非常に分かりやすく、たいへん勉強になりました。
ワシントンでは、冷戦終結によって政治的イデオロギーを競う時代は終わったと考えるようになりました。であるならば、政治介入の必要性は低下し、市場メカニズムを重視する「小さな政府」のほうがずっと効率的です。カーヴィルが掲げたスローガンの「何が重要? 経済でしょう!」しかり、クリントン大統領が1996年の一般教書演説で放った「大きな政府の時代は終わった」という宣言しかり、経済合理性を最優先で追求する時代に入っていたのです。
クリントン政権は中国が西側システムに参入することを奨励しました。ここでの前提は、政治的イデオロギーで対立する時代は終わった(はず) なので、中国が「私たちの」システムに加盟すれば、「私たち」と同化していくだろうというものでした。
賃金と経済効率を犠牲にして、既存雇用を守るという社会の選択は、デフレの選択と同義です。最大のインプットコストである賃金のカットを皆で受け入れれば、デフレになります。経済効率を犠牲にすれば、将来の成長見通しが悪化するので、デフレマインドをさらに強化されるのは不可避です。これは1+1=2の世界の話ですので、日本人はデフレを、つまり「失われた 30 年」を選択したと言えます。 よく海外投資家は、「日本の政治家が補助金を垂れ流してゾンビ企業を維持しているから日本の経済に活力がないのだ」、そう指摘します。おっしゃる通りです。 しかし政治家が財政政策を使って地方のゾンビ企業を援助している理由は、雇用を守るためであり、有権者から選ばれた国会議員として、社会的要請に応えているだけだとも言えます。不良債権処理を遅らせ、地方の中小企業のほとんどが法人税を支払わない環境を作り、日銀もゼロ金利を続け、皆で頑張って社会の優先事項を果たそうと努力し続けた成果こそが、日本の誇るべき「失われた 30 年」なのです。
例えば、冷戦後からはじまった、新自由主義という秩序についてはこのような形です。
彼らが理解していなかったこと──それは、新自由主義の波に乗れずに「取り残された人々」が非常に多かったという事実です。 草の根のトランプ支持者の多くは「新自由主義から取り残された人々」と言えるでしょう。よく東海岸や西海岸の「エリート」たちは、トランプの演説集会への参加者や「MAGA(Make America Great Again=アメリカを再び偉大な国にする)」のロゴをつけたTシャツを着ている人を人種差別主義者や性差別主義者のように扱います。
自分たちの祖先は、LGBTの権利を守るために命がけでアメリカへ渡ってきたんじゃない、敬虔なキリスト教徒としてその教えを忠実に実践するためにここへ来たんだ、そう信じていますから。 にもかかわらず、東西海岸のエリートたちからは、同性婚を認めろ、中絶を認めろなどと叱責され、受け入れないと、「お前たちは野蛮人だ」といった扱いをされているのです。
実際、トランプが起訴される度に、彼の支持率はむしろ上昇するという構造になっていました。これは司法システムがトランプ支持者の信認を失ったことを意味します。 司法も、一つのコンフィデンス・ゲームです。検察は冤罪事件を生み出すことがありますし、裁判所が100%正しい判断を下すということはあり得ません。しかし司法が司法として機能するには、多くの市民に一定の信認を置かれる必要があります。そうでないと、司法システムそのものが成立しません。
現在は新自由主義の問題によりトランプ現象のようなことが起こっており、それは次の秩序を模索する動きであると。
今、私は新自由主義という様々な行動の根底にあった世界観が瓦解し、勝者と敗者が入れ替わると確信しています。つまり読者の皆さんの生活を規定してきた「常識」も大きく変わるはずです。
その中心にいて、重力の役割を果たすのが覇権国家なので、アメリカは最後、自分に都合の良いシステムを作り出し、それを正当化する世界観を広めようとするでしょう。もちろん、それが上手くいくとは限りませんし、冷戦時代のように、二つの極が並立したり、群雄割拠の世界が訪れるかもしれません。
今後については、シナリオをいくつか示し、詳しく見解を示しています。
アメリカが中国を抑え込むことを国策としている以上、アメリカが次に描く世界秩序の中には日本がどうしても必要になるので、それを踏まえて美味しい場所を取りに行く努力を継続することは有益だと思います。その意味において、私は岸田政権が非常に素晴らしい功績を上げたと考えています。世界の転換期とは新しいルールが書かれる時だ、岸田総理はそれを明確に理解した上で日本の存在感を高めることに尽力しました。かれこれ 30 年以上、ワシントンにいますが、岸田総理のように歓待された日本の首相はいないと思います。日本では岸田総理をあまり面白くない、あまり何もやっていない首相のように言うことがありますが、ワシントンや国際金融市場の評価は全く逆です。
労働者の希少性が高まる中、日銀が徐々に金融政策を正常化することは、市場メカニズムを通じて労働者の雇用の適正化をさらに推し進めることになります。日本企業を全体として見ると貯蓄超過なので、穏やかな金利の引き上げによって経済全体がおかしくなる可能性は著しく低いはずです。一方、金利が経済に戻ることで、金利が払える企業、賃金が払える企業が希少資源である労働力を確保していきますので、経済の足腰が強くなります。
金利・賃金という市場メカニズムを使うことで、競争力のある企業に労働力とマネーが流れることを奨励すると同時に、官を縮小し、外国人労働者を増やす。これはすなわち、新自由主義の時代に日本ができなかったことです。
一方、政府関与を高めるべきところは、地政学的な立ち位置をしっかり確保し、サプライチェーンの再構築や将来の成長産業に上手にお金をつけてあげることです。政財官の連携に長けた日本なので、他の国よりも効率的にそれを行うことができると思います。ただ繰り返しますが、政権与党が非常に脆弱なことが強い懸念材料です。
そんな中で、日本は経済における失われた30年と人口動態による相対的な伸びしろ、そして地政学的なポジションにより、大きなチャンスを迎えると言います。
本書は個人的な世界認識と非常に近く、それらを分かりやすく構造的に解説してくれており、かなり腑に落ちるところが多かったです。個人的には、新自由主義の信奉者でもあったし大きな恩恵を受けてきた立場でしたが、一方でその限界も感じていました。
それを新自由主義の問題から「世界秩序そのものが変わる」というビューを示しているのが新しいと思いますし、説得力もありました。秩序が変わるにせよ、変わらないにせよ、AIの進展も含めて、大きく世界が変わるのは間違いないと思うので、自分自身も(会社も)大きくアップデートしていなかければならないという思いを新たにしました。