荒削りなコンセプト「欲望の見つけ方」

ひとの欲望が模倣から来ている、というのはすごくおもしろい考え方で思い当たる節もたくさんあります。一方で、それはそれとして内在的な欲望というか、ひとりひとりやりたいこと、欲しいものというのもあるし、他人に影響を受けつつも自分を見つけていくというのがそこまで悪いことでもないと個人的には思っています。

その後、奇妙なことが起きた。自分が設立した会社から去るとき、解放感を味わったのだ。  そのとき自分は 何もわかっていなかった ことに気づいた。それまでの成功は失敗だったように感じ、失敗のほうが成功であるように感じた。飽くことも満足することもない奮闘の裏には、どんな力が働いていたのだろう

著者が、成功したいと望み始めたビジネスがうまくいかなかったときにそこから解放された、欲望に左右されていたのは模倣によるものだった、と言っていますが、一時期の解放感についてのみで、著者があまり欲望から解放されたようには見えませんでした。

信じがたい真実は偽りよりも危険であることが多い。この場合の偽りとは、私は物事を誰の影響も受けずに自力で欲している、私が何を望み、何を望まないかは私が決めていると思うことだ。真実はこうだ。私の欲望は他者の媒介によって誘導されたもので、欲望の生態系は自分が理解できる規模を超えており、自分はその一部である。

危険なのは、モデルの存在を認識しないことだ。その場合、私たちは簡単にモデルと不健全な関係に陥ってしまう。モデルは巨大な影響力を発揮しはじめる。私たちは無意識のうちにモデルに執着しがちだ。モデルというのは、多くの場合、秘密の偶像なのである。

確かに自分の欲望についてはどこから来ているのか分からないものもありますし、それはモデルへの模倣なのかもしれません。ただ、自分が価値があるというものを探していく、やっていくというのもまた個別の人生だとも思うので、欲望(模倣)に支配されているという考え方自体が二元論的なのではとも思いました。

私たちはポケットにスロットマシンを入れているから危ないのではない。ポケットにドリームマシンを入れているから危ないのだ。スマートフォンは何十億人もの欲望を、ソーシャルメディア、グーグル検索、レストランやホテルのレビューを通じて映しだしている。スマートフォンに対する神経系中毒は本物だ。しかし、スマートフォンが自由にアクセスできるようにした他者の欲望への執着は、形而上的な脅威である。 模倣の欲望はソーシャルメディアの真の原動力だ。

一方で、確かに現代が欲望を駆り立てるような構造がある、そういったビジネスが成功している、というのもそうだと思うので、そういったことに意識的になるのはすごく重要かなと思います。

全体として、新しいコンセプトを示していて勉強になりました。一読の価値のある作品だと思います。