世界一周その35ーアウシュヴィッツ強制収容所で涙する

ベルリンの壁を買い付けた後は、アウシュヴィッツに向かいます。

まず、アウシュヴィッツへの基点となるポーランドのクラクフという街まで飛びます。クラクフは小さい街なのかと思いきや、クラクフ中央駅には巨大モールがついているし、城壁に囲まれた街の中央にはこれまた巨大な広場があり、夜遅くまで活気に溢れていました。

クラクフ中央広場。夜遅くまで人通りが多い
クラクフ中央広場。夜遅くまで人通りが多い posted by (C)suadd

クラクフ中央広場の教会
クラクフ中央広場の教会 posted by (C)suadd

名物であるビゴス(Bigos)という煮込み料理と、ピエロギ(Pierogi)という水餃子を食べてみたのですが、ピエロギはまぁまぁながら、ビゴスがあまりにもしょっぱい。たまたまな可能性もありますが、まったく口に合いませんでした。。ただ、なぜか街中に何件もあったケバブ屋のケバブはかなり美味しかったです。

クラクフからアウシュヴィッツ強制収容所まではバスで1時間40分ほど。アウシュヴィッツは無料で一人でも観光可能なのですが、ネットで調べたところ、日本人の方で唯一公認ガイドをされている中谷剛さんという方がいたので、メールしてみたところ案内のある日だったのでせっかくなのでツアーに参加させていただきました。

入口。ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)とある
入口。ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)とある posted by (C)suadd

収容所では、収容された人々から、管理人を選抜し、お互いに監視させ、さらにガス室での死体処理までさせていたという。収容所自体の建設もさせていたのですが、最後の方は収容できなくなり、健康で働けそうな人々以外はそのままガス室送りになったという。

アウシュヴィッツ第二収容所は非常に広大
アウシュヴィッツ第二収容所は非常に広大 posted by (C)suadd

ガス室。右上にある穴から毒ガスを入れた
ガス室。右上にある穴から毒ガスを入れた posted by (C)suadd

なぜそんなひどいことを、と思うのですが、当時のドイツでは不況から生まれた思想により、優秀であるアーリア人繁栄のために、(ナチスが決めた)劣等種族を排斥することが正当化されていました。しかも、収容所のオペレーションの多くはユダヤ人自身によってされていたので、管理するナチス側も直接手を下すわけではなく、罪悪感を持たずにすんだ、というわけです。

例えば、財産を全て持ってこさせ、それを分類し、ベルリンに到着する頃には、元々の財産が、金何グラム、ダイヤモンド何グラムなどと単なる記号化されていました。

ガス室の隣にある焼却施設。ユダヤ人自身に焼かせたという
ガス室の隣にある焼却施設。ユダヤ人自身に焼かせたという posted by (C)suadd

この日はとても天気がよく、汗ばむくらいだったのですが、膨大に積まれた衣類やカバン、眼鏡、靴などを観る度に鳥肌が立ちました。さらに、マットレスと布地に加工するために死体から刈り取られた髪の毛や膨大な量の子どもの靴には涙せざるをえませんでした。

発見された大量の子供の靴たち。もちろんすべてではない
発見された大量の子供の靴たち。もちろんすべてではない posted by (C)suadd

条件さえ整えば、こういうことが起こりうるということを教えてくれ考えさせてくれる貴重な施設だと思いました。行くのはそれなりに大変ですが、クラクフもとても雰囲気があってコストも高くない街ですし、ヨーロッパまでいけば格安航空会社ですぐなので、ぜひ多くの方に足を運んでもらいたいところです。

祈りの行進をするユダヤの方
祈りの行進をするユダヤの方 posted by (C)suadd

この後はパリに向かいます

<TIPS>
・クラクフでは(ドイツと違って)無料WiFiがたくさん飛んでいます。クラクフ空港にもありました。
・アウシュヴィッツ行きのバスは混むと1時間40分立ちになるので気をつけましょう。20〜30分前には行った方がよいと思います。

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