たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する/レナード・ムロディナウ

いわゆる偶然性に関する作品で、前半は今までどこかの本で読んだような事例もあり個人的にはいまいちだったのですが(ただこの手の作品が初めてなら非常に楽しめると思います)、後半、特に最終章が抜群におもしろいです。

世の中の成功と失敗には偶然が非常に大きく作用することについては疑いはありませんが、さらに実際には人が他人を判断する際にも、成功している俳優や経営者、政治家などを過大に評価してしまう性質について豊富な研究例や実例を用いて示しています。

しかし、個人的に響いたのは、ではそれではどうすればいいかについて、偶然を引き寄せるためにできる限り「前向きに歩き続け」ろと書いている点でした。

とりわけ私が学んだことは、前向きに歩き続けることだ。なぜなら、幸いなことに、偶然がかならず役回りを演じるので、成功の一つの重要な要素、たとえば打席に立つ数、危険を冒す数、チャンスを捉える数が、われわれのコントロール化にあるからだ。失敗のほうに重みをつけてあるコイン投げでさえ、ときには成功が出る。あるいは、IBMのパイオニア、トーマス・ワトソンが言ったように、「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」ということだ。

つまり、何かを成し遂げたければ、諦めずに失敗し続けろ、挑戦する数だけは自分で決められるのだから、ということでしょうか。そして、偶然が悪い方向に振れた時でもそれを受け止めること。成功したとしても、自らの成功が必然であったと驕らないこと。これが本書を読んで僕が感じたことです。

ブラックスワン」は世の中の偶然性が高まっていることをシニカルな見方で描いていましたが、それに対してどうしたらいいかは示してくれませんでした。しかし、本書ではその次について(全体からするとごくわずかですが)言及している点で新しいと思います。

<抜粋>
・すべての分野の成功者が、ほとんど例外なく、ある特定の人間集団ーー決して諦めない人間集団ーーの一員であるのはそのためだ。
・もし屋根から飛び降りればSAT(米・大学進学適性試験)の点数を598点から625点に上げてくれるというなら多くの学生が(親とともに)そうするだろうが、点数を30点上げたければ、単に適性試験をあと二回受ければそれが叶うチャンスは十分あることを明らかにしている研究について話す教育者はほとんどいない。
・実際アップル社は、音楽プレイヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリングの方法で、その問題にぶつかった。というのは、真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出すが、同じ歌が同じアーティストによって繰り返し演奏されるのを聞いたiPodユーザーが、シャッフルはランダムではないと思ったからだ。そこで「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と、アップル社の創業者スティーブ・ジョブスは言った。
・1995年のある研究によれば、『バロンズ』誌(米・金融投資週刊誌)が招いた高額所得の「ウォールストリート・スーパースター」8〜12人によるバロンズ年次円卓会議での市場分析は、平均市場収益程度しか当っていなかった。
・単なる偶然で印象的な成功のパターンを示す分析家やミューチュアル・ファンドはいつだって存在するだろう。また多くの研究が、そうした過去の市場の成功は未来の成功のよい指標ではないことをーーつまり、その成功はおおにただの幸運であることをーー明らかにしているが、大半の者が、株式仲買人やミューチュアル・ファンドの専門家の推薦は金を払うに値すると考えている。だから多くの投資家が、それも知的な投資家さえ、法外な手数料がかかるファンドを買う。
・たとえばノーベル賞受賞経済学者マートン・ミラーは、こう書いている。「もし株を眺め、勝ち馬を選ぼうとしている人間が一万人いるとすれば、一万人のうちの一人は偶然だけで成功する。それが起きていることのすべてだ。それはゲームであり、それは偶然の作用であり、人々は何か意図的なことをしていると考えているが、じつはそうではない」
・たとえば、最近コロンビア大学とハーバード大学の研究者は、困難な時期には経営陣を刷新することで対応すべしという株主の要求に、社の定款上逆らうことが難しい多くの企業を調査した。その結果、経営陣をクビにして三年のうちは、平均的に、事業成績に少しも印象的な改善が見られないことがわかった。CEOの能力差がどれほどであろうと、それはコントロールできないシステムの要素の作用に飲み込まれてしまう。
・ランダム・プロセスの科学的研究では、ドランカーズ・ウォークが原型である。そして日常生活においても、それが適切なモデルになる。というのも、われわれはブラウン運動をしている花粉粒のように、ランダムな事象によって、間断なく、こっちの方向に押されたりあっちの方向に押されたりしているからだ。その結果、社会的データの中に統計的規則性を見いだすことはできても、特定の個人の未来を予測することは不可能だし、われわれの特定の業績、仕事、友人、経済状態に関して言えば、多くの人が思っている以上に偶然に負っているところが大きい。
・われわれはスーパースター的なビジネス界の大立て者、政治家、俳優に、そしてプライベート・ジェットを乗り回している人物に、自動的に敬意を払ってしまう。まるで彼らの業績が、民間飛行機の機内食を食べざるを得ない人間にはないような、ユニークな才能を反映しているかのように。またわれわれは、専門知識を例証するような実績を誇る人間ーー政治評論家、金融・財政の専門家、ビジネスコンサルタントらーーの過度に厳密な予測に、これまた過度なまでの信頼を置いてしまう。
・ランダムネスの研究は、出来事に対する水晶的見解は可能だが、残念ながら、それができるのは唯一出来事が起きてからであることを教えている。われわれは、ある映画がなぜうまくいったのか、ある候補者がなぜ選挙に勝ったのか、なぜ嵐に襲われたのか、なぜ株価が下がったのか、なぜあるサッカーチームが巻けたのか、なぜある新製品が失敗したのか、なぜ病が悪化したのか、を理解していると信じている。しかしそうした専門知識は、ある映画がいつうまくいくか、ある候補者がいつ選挙に勝つか、嵐がいつ襲うか、株価がいつ下がるか、あるサッカーチームがいつ負けるか、ある新製品がいつ失敗するか、病がいつ悪化するか、を予測するうえでほとんど役に立たないという意味で、空疎である。
・過去を説明する話を考えだしたり、将来に対する曖昧なストーリーに確信をもつようになったりすることは簡単だ。また、そうした努力に落とし穴があるということは、われわれはそれを企てるべきではないということを意味しない。しかし、われわれは直感的誤信に陥らないようにすることができる。われわれは、解釈も予言も、懐疑心をもって見れるようになれる。われわれは出来事を予言する能力に頼るのではなく、出来事に対応する能力に、柔軟性、自信、勇気、忍耐のような人間的性質に、注意を向けることができる。そしてわれわれは、人のこれ見よがしな過去の業績よりも直接的印象に、より多くの重要性を置くことができる。そしてこのようにすれば、われわれは、自動的な決定論的枠組みの中で判断するのを食い止めることができる。
・エコノミストのW・ブライアン・アーサーは、小さい要素が合流すると、特段強みのない会社が競争相手を凌ぐようになると説く。彼はこう書いている。「現実の世界では、いくつかの同じような規模の会社がともにある市場に参入した場合、小さな幸運ーーたとえば、予想外の注文、バイヤーとの偶然の巡り会い、思いつき的経営上の知恵ーーによって、どの会社が早々と売れはじめ、時間が経つとどの会社が支配するようになるか、といったことが決まることがある。経済活動は小さすぎて予見できないような個々の取引によって(決まり)……、これらの小さな“ランダムな”事象は蓄積すると、そのうちにポジティブ・フィードバックによって拡大されることがある」
・それは市場に対する決定論的な考え方、つまり、成功を支配しているのは主として個人または製品に固有の特質であるという見方だ。しかし別なものの見方、つまり、非決定論的な見方がある。この見方では、質は高いが知られていない本、歌手、俳優がごまんと存在し、そこから何かを、あるいは誰かを傑出させるものは、主に、ランダムで小さな要素の同時発生ーーつまり、ラックーーということになる。そしてこの見方でいくと、伝統的な経営陣は単に無駄骨を折っていることになる。
・(ビルゲイツについて)つまり、W・ブライアン・アーサーであれば言うように、人びとはみんながDOSを買っていたからDOSを買ったのだ。流動的なコンピュータ起業家の世界において、ゲイツは集団から抜け出す一個の分子になった。しかし、もしキンドールの非協力がなかったら、IBMのビジョンの欠如がなかったら、サムとゲイツの二度目の出会いがなかったら、ゲイツがどんな洞察力や商才を有しているとしても、ゲイツは世界一の富豪ではなくただの一ソフトウェア起業家になっていたかもしれないし、まただから彼のビジョンはただの一人のソフトウェア起業家のそれとしか見えないのだ。
・どう見ても、才能を富に比例させることは間違いだろう。われわれは人の潜在力を目にすることはできない。できるのは結果だけだが、われわれはしばしば結果が人格を反映するものと考えて、人びとを間違って評価してしまう。人生のノーマル・アクシデント理論が示しているのは、行動と報酬の関係がランダムであるということではなく、ランダムな作用はわれわれの特質や行動と同じぐらい重要であるということである。
・能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉ーー偶然の役割ーーを忘れないようにすることだ。
・母の体験は私に、手にしている幸運を識別し、評価し、また自分の成功に関わっているランダムな出来事を認識すべきであることを教えてくれた。それはまた私に、われわれに深い悲しみをもたらすかもしれない偶然の出来事を受け入れるようにも教えてくれた。