強さと脆さ/ナシーム・ニコラス・タレブ

ブラック・スワン」のタレブ新作。「ブラック・スワン」では、ブラック・スワンという現象そのものに焦点を当てていましたが、本作では「ではどうしたらいいか」に踏み込んでいます。

「ブラック・スワン」から1年半で金融危機が起き、それから2年。タレブは反省として、無駄の重要さについて語っています。あまりにも最適化されていると、予想外のことが起こったときに対応ができなくなる、と。

これによって、タレブの主張(哲学?)には磨きがかかりましたが、「ではどうしたらいいか」というと、いろいろな悪い可能性に備えて一見無駄なこともキープしつつ、できるだけ多くの良い可能性に賭ける、と結構実行するのが大変な戦略になってしまっています。

しかし、それでもそれが唯一の戦略である、と僕は思います。個人的には、前にも書きましたが、もっと自分の好きなことややりたいことに重点を置いてもいいのではないかと思います。そうすれば、人生を楽しみつつ、良い可能性に賭け、稀に良い可能性が起こればより人生を楽しむことができるからです。

「ブラック・スワン」に比べるとインパクトは欠けますが、これからの不確実な時代を生きて行くためには、セットで必読と思います。

<抜粋>
・グローバリゼーションは一見効率がいいように見えるかもしれない。でも、レバレッジを大きく利かせている点や要素同士の相互作用が多岐にわたる点を考えると、一ヶ所で不具合が生じれば、それがシステム全体に伝播するのがわかる。その結果、たくさんの細胞がいっぺんに発火し、癇癪の発作を起こした脳みたいな症状に陥る。すばらしく機能している複雑なシステムである私たちの脳みそが、「グローバリゼーション」なんかしていないのをよく考えてみてほしい。少なくとも浅はかな「グローバリゼーション」はしていない。
・知識の限界の下で、つまり将来が不透明である中で、進歩を遂げる(そして生き残る)ためには、こうした無駄のどれかがないといけない。この三年間、私はそういう考えに取り憑かれてきた。明日何が必要になるか、今日のうちにはわからない。
・物には二次的な使い道があり、そんな使い方がタダでついてくるものなら何だって、今まで知られていなかった使い道が出てきたり、新しい環境が現れたりする可能性がある。そういう二次的な使い道が多い組織ほど、環境のランダム性や認識の不透明から多くを得られるのだ!
・私は大事なことを見落としていた。生きた組織(人間の身体でも経済でも)には変動性とランダム性が必要なのだ。それだけじゃない。組織に必要なのは果ての国に属する種類の変動性であり、ある種の極端なストレス要因だ。そういうのがないと組織は脆くなる。私はそれにまったく気づいていなかった。
・受けた教育と文化的環境に洗脳された私は、規則的に運動して規則的に食事をするのが健康にいいと思い込んでいた。邪悪な、理にかなった議論というやつに自分が陥っているのに気づかなかった。世界がこうあってほしいという理想にもとづくプラトン的な思い込みだ。そればかりでなく、私は必要な事実は全部知っていたのに、洗脳されてしまったのだ。
・私がモデルを激しく罵っているとき、社会科学者が繰り返し言っていたのはこんなことだった。お前の言ってることなんか前から知ってるよ、こう言うじゃないか、「モデルは全部間違っているものだ、でも中には役に立つものもある」って。 彼らには本当の問題が見えていない。本当の問題は、「中には害をなすものもある」ってことだ。で、そういうモデルは大変な害をなす。
・私にとっての問題は、みんな稀な事象の果たす役割を認め、私の言うことに頷いてくれて、それなのにみんなああいう指標を使い続けることだ。ひょっとして頭の病気なのかと思ってしまう。