ブラック・スワン[下]/ナシーム・ニコラス・タレブ

上巻からの続き

本書での矛盾は、超保守的というのは国債を買うようなことだと書いていますが、しかし実際には超保守的とは言えないということでしょうか。今のような不確実性の高い世界では超保守的などありえないわけで。であれば、自らを守る方法も多様化せざるを得ませんが、そういったことについてはほとんど言及がありません。

さらに言えば、リスクテイクについて、個人がやりたいことや、なりたい自分への衝動が無視されていること。起業するのは割に合わないのはもしかすると自明なことかもしれませんが、やりたいからやるのはそんなに馬鹿げていることでしょうか。同じように、医者になって世の中の人を病気から救いたい、政治家になってこの国を良くしたい、という衝動については、尊重されるべきだと思います。

もちろん本書では、人の「人生への態度」への警笛が主であって、それ自体非常に有益だと思います。だから、僕としては、この態度を学んだ上で、自らのやりたいことをするための糧にできればいいのではないかなと思いました。

前エントリにも書きましたが、上下巻に分かれている上に非常に濃密なので、読むのに時間もかかりますが、ものすごいよい本なので、非常におすすめです。

<下巻抜粋>
・(ヨーロッパ系金融機関にて)彼らは夏の間を通じて、「五カ年計画を作成する」べく会議を何度も開いていた。五カ年計画は、充実した内容を持つ一種のマニュアルになるはずだった。五カ年計画だと? 真ん中に居座って計画を立てるなんていう連中がまるっきり信じられない私からすると、そんなものは考えるだけでバカバカしかった。企業の内部で起こる成長は有機的で予測不可能なものだ。草の根レベルから立ちのぼるものであって、上からばら撒くものではない。
・別に探していたわけではないものを見つけて、それが世界を変えてしまう。そして発見の後になって、どうしてこんな当たり前なものにたどり着くのに、「こんなにも長いことかかったんだろう」と不思議に思うのだ。車輪が発明されたとき、そこに記者はいなかった。でも、たぶんみんなで車輪(これのおかげで、その後大きな経済成長が実現した)を発明する計画を立て、予定表に沿って仕事を進めて完成させたわけじゃないだろう。賭けてもいい。ほとんどの発明はそういうものだ。
・私たちはガリレオは科学の殉教者だと思っている。実際は、教会は彼に真面目に取り合わなかったのだ。むしろ、大騒ぎしていたのはガリレオのほうで、それが誰かの毛を逆なでしたようだ。ダーウィンとウォレスが、リンネ協会で自然選択による進化の論文を発表した年の終わり、当のリンネ協会の会長は、「衝撃を受けるような発見はなかった」と述べている。
私たちは自分たちが予測をする段になると、ものごとは予測できないということをすっかり忘れてしまう。だからこそ、みんなこの章とか、この章と同じような話を読んで、まったくそのとおりだと思っても、いざ自分が将来のことを考えるときになると、うなずいたはずの主張に従えなくなってしまう。
・知識に関する謙虚さについて考えよう。ものすごく内省的で、自分は思い上がっているのではないかと思って煩悶している人を思い浮かべよう。バカの勇気はないが、「ぼくにはわからない」と言える、めったに見ないガッツは持ち合わせている。阿呆とか、もっと悪くすると無知な人みたいに見えるのは気にしない。ためらい、明言はせず、間違っていたことで起こった結果のことを詫びる。内省し、内省し、内省して、肉体的にも精神的にもくたびれ果ててしまう。 だからといって、自信がないというのではない。ただ、自分自身の知識を疑ってかかっているだけだ。私はそういう人を「認識主義者」と呼んでいる。
・バーベル戦略とはこんなやり方だ。黒い白鳥のせいで、自分が予測の誤りに左右されるのがわかっており、かつ、ほとんどの「リスク測度」には欠陥があると認めるなら、とるべき戦略は、可能な限り超保守的かつ超積極的になることであり、ちょっと積極的だったり、ちょっと保守的だったりする戦略ではない。
<以下、その具体的な部分>
・よい方の白い白鳥にめいっぱい自分をさらし、同時に、悪い方の黒い白鳥には被害妄想みたいな態度を取るのだ。よい方の黒い白鳥にさらされている部分では、不確実性の構造をちゃんと分かっていなくていい。損がとても限られているなら、あらん限りの力を尽くして積極的に投機的に、なんなら「理不尽に」ならないといけないのだが、どうもそれがうまくわかってもらえない。 
・細かいことや局所的なことは見ない。(中略)予測ではなく、備えの方に資源を費やすのだ。
チャンスや、チャンスみたいに見えるものには片っ端から手を出す。(中略)人生で運のいいことがあっても、それに気づかない人があまりにも多い。大手の出版社から仕事が舞い込みそうなら、予定なんか全部放り出せ。もう二度と扉は開かないかもしれないのだ。チャンスはその辺の気に生えてくるものじゃないのが、みんなほとんどわかっていないので、私はときどきショックを受ける。
・政府が持ち出す、こと細かな計画には用心する。(中略)企業に競争をやらせると、悪い方の黒い白鳥に一番さらされている連中が一番生存に適しているみたいに見えることがある。
・予測をどうしても聞かないといけないはめになったら、先のことになればなるほど予測の正確さは急激に低下するのを頭に置いておこう。
<ここまで>
・地震が起こるオッズはわからないが、起こったらサンフランシスコがどんなことになるかは想像ができる。意思決定をするときは、確率(これはわからない)よりも影響(これはわかるかもしれない)のほうに焦点を当てるべきなのだ。不確実性の本質はそこにある。
知的生産に凡人はなんの役割も果たさない。でも、みんなそれがよくわかってないし、(不安になるので)否定したりする。知性の面で、ほんの一握りの人たちが大きな影響を及ぼすというのは、富の分布がとても偏っていることよりずっと不安な話だ。
(LTCMの)マートンとショールズの考えも、モダン・ポートフォリオ理論も崩れ落ちた。彼らの出した損失はそれほど大きかった。(中略)私の友だちも私もポートフォリオ理論の信者はタバコ会社と同じ運命をたどるんだろうと思った。(中略)でも、そんなことには全然ならなかった。 その代わり、ビジネススクールのMBAの連中は、相変わらずポートフォリオ理論を教えられていた。オプションの公式には、相変わらずブラック=ショールズ=マートンの名前がついていた。