クロネコヤマト誕生の物語「小倉昌男 経営学」

元ヤマト運輸代表取締役社長の小倉昌男氏による経営中心の自伝。創業者の先代から受け継いだヤマト運輸の歴史とクロネコヤマト開始とその発展について、どのように考えながら経営してきたかが詳しく描かれています。

その考え方などは非常に合理的でありながら、人情味にも溢れており、それらがクロネコヤマトの大成功に繋がったのがよく分かります。本当に社会インフラとなるサービスを作るにはどうすればよいか、非常に勉強になりました。

<抜粋>
・大正八(一九一九)年十一月、トラック四台をもって創業したヤマト運輸(当時は大和運輸といった)は、翌年三月、突如として起こった恐慌に出端をくじかれ、会社の存立も危ぶまれた。その危機を乗り切ることができたのは、大正十二(一九二三)年に現在の三越百貨店の前身である三越呉服店との間に市内配送契約が締結されたからであった。
・昭和五十一(一九七六)年から始まった宅急便は、当初の心配をよそに着実に伸長し、初年度には百七十万個、五十二(一九七七)年度五百四十万個、そして五十三(一九七八)年度は一千万個を超すことが確実であった。  宅急便が業務の新しい柱になる見込みがあったからこそ、最大の顧客であった三越からの撤退という重大な決断を、躊躇なく行うことができたのである。
・三十歳の誕生日に創業した小倉康臣は、明治二十二(一八八九)年、東京・京橋生まれ。二十五歳で青果店を興した後、第一次世界大戦後の景気を目の当たりにして自動車時代が到来するのを確信し、研究の末、トラック運送会社の設立を思い立った。
戦後、日本の製造業が経済復興に必死の努力をした結果、家電など工業製品が生産地から消費地に向かって大量に流れ込んだ。中でも爆発的に伸びたのが関西から東京への輸送需要である。
市場は大きく変化しつつあった。にもかかわらず、ヤマト運輸は相変わらず関東一円のローカル路線に閉じこもっていた。というのも、社長である康臣が、トラックの守備範囲は百キロメートル以内でそれ以上の距離の輸送は鉄道の分野だ、と固く信じていたからである。私を筆頭に社内の若手は長距離輸送への進出を懇願したが、康臣は断固として許さなかった。
・私の観察では、営業利益率が七%以上の路線会社の荷筋は一口五個以下の貨物が多かった。五%以上の会社は大体十個以下であった。ヤマトは五十個前後が多い。これでは利益率が低いのも当たり前である。こうしてみると、小口貨物を断って大口貨物に重点を置いた営業戦略はなんと間違っていたことか。他社は大口貨物も運んでいるが、その陰で小口貨物を大量に運んでいたのがぜんぜん見えなかったのだ。
・篠田教授は特にコミュニケーションの重要性を強調された。社長の持っている情報と同じ情報を従業員に与えれば、従業員は社長と同じように考え、行動するはずである。従業員が、社長はこうして欲しいだろうと推察し、自発的に行動するのが、パートナーシップ経営だというのだ。
昭和四十年代後半、この個人向け市場で事業を展開しているのは郵便局だけ。民間業者が参入してなかった理由は、採算が取れないことがはっきりしていることと、信書は郵便法で郵便局以外の者の参入を禁じており、それに違反すると三年以下の懲役という罰則があるからだった。
・平成十一(一九九九)年三月末時点で、全国の宅急便の取次店数は二十九万七千軒である。ちなみに、全国の郵便ポストの数は、約十六万本である。
最後に警察署。これは全国で約千二百ある。案外少ない感じだが、地域の治安を維持するのが役目だから、必要ならもっと多いはずだろう。これは参考になった。警察署が千二百で済むなら、ヤマト運輸の宅配のための営業所も、そのくらいあれば間に合うのではないかと考えたのである。  そこでセンターの目標は全国の警察署の数、千二百ヵ所とした。
・平成十一(一九九九)年三月の東京・中央区全域における宅急便の取扱個数は、発送が六十一万個、到着が四十六万個、一ヵ月の発着合計は百七万個であった。それを九つのセンターと六つのデポでさばいている。配属の集配車両は百六十八台である。一台の一日当たりの集配個数は、平均二百五個になる。センターには車両が配属されているが、デポに車はなく、手押し車で客先を回って歩いている。中央区の中でも銀座は荷物の多い地域だが、銀座一丁目から八丁目まで、あの狭い地域に全部で二十一台の車両が配属され、毎日走り回っている。一丁目に平均二・六台の割合である。
・現在全国に約三十万店の取次店があるが、会社の支払う手数料は百円×荷受け個数で、総枠は決まっているから、取次店は多ければ多いほど有効なのである。  取次店手数料とお客様の割引料の合計二百円は、販売促進費用として考えれば、決して高くはない。私はそう確信した。
初日の全体の出荷個数は、十一個であった。
車体に「翌日配達」と書いて走り回ったことは、宣伝のためでもあったが、むしろヤマト運輸の社員に、必ず翌日配達してみせるという、決意表明をうながすものであった。
・宅急便のサービスエリアが順次拡大し、面積で全国の九八・八%、人口で九九・七%をカバーするようになった平成元(一九八九)年三月末におけるサービスレベルは、全配達個数四億一千万個の中、翌日配達が九〇・三%、三日目配達が九・七%であった。
・サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。どちらを優先するかの判断の問題なのである。
企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。
「サービスが先、利益は後」というのは、社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのである。
宅急便を始めて気がついたのは、これまでは、荷主の輸送担当者にあごで使われていたという感じだったのが、集荷に行っても配達に行っても、家庭の主婦から必ず「ありがとう」「ご苦労様」という言葉をかけられることであった。これまで聞いたことのない感謝の言葉を聞いて、現場を回るドライバーたちは感激してしまった。
・社員の中には、両方やって何が悪い、宅急便も頑張ってやるけれど、従来のせっかく築いた商業貨物の取引先を切る必要はないではないか、と言う者も多かった。しかし宅急便は正に社運を賭けた仕事であり、成功するかどうかわからないが、始めた以上成功させなかったら会社がつぶれることは間違いなかった。宅急便を成功させる道は徹底した業態化しかないのである。
・だが、周囲が驚く以上にこちらが驚くことがあった。宅急便をそっくり真似して宅配事業を始めた会社が続々と出てきたのだ。それもいきなり三十五社である。
・人が成功したらすぐ真似をするのは日本人の通弊である。誰がやっても儲からないと言われていた宅配事業でヤマト運輸が成功したと聞いたら、その理由を調べるのが普通であろう。単にクロネコのマークが主婦に受けたなどという単純なものではないことぐらいわかるはずである。
・名称は社内から公募し、千八百三十三通の応募から女子社員の出した「ダントツ三ヵ年計画」に決まった。
・道路運送法では、免許は輸送力の需給を考慮して付与する建前になっていた。だが運輸省には輸送力の需給をつかむ資料は一つもなかったから、担当者の恣意的な判断に任されていたのが実態であった。
・ヤマト運輸は、監督官庁に楯突いてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである。不当な処置を受けたら裁判所に申し出て是正を求めるのは当然で、変わったことをした意識はまったくない。
・この機をとらえ、ヤマト運輸は、運賃改定申請書の表紙を提出するのを拒否した。大手の申請が一社でも欠けると作業が進まないから、運輸省はトラック協会を通じて頭を下げてきた。それならばと、宅急便の独自運賃の申請を認めるなら路線トラックの申請書を提出するという妥協案を出したところ、運輸省からは承知したという返答があった。そこで路線運賃の申請書と、宅急便運賃の申請書を両方とも出した。
・運輸省はヤマト運輸の申請を無視し、審査しようとはしなかった。そこで、五月三十一日の朝刊に、同じ一頁三段の広告を出した。今度は、Pサイズの発売は、運輸省が未だに認可しないため、六月一日の開始予定を延期せざるを得なくなりました、というものであった。
・「全員経営」とは、経営の目的や目標を明確にしたうえで、仕事のやり方を細かく規定せずに社員に任せ、自分の仕事を責任を持って遂行してもらうことである。
・ところで組織が大きくなると、社員のやる気を阻害する者が社内にいることが多い。注意しなければならない点である。それは往々にして直属の上司であることが多い。とくに社歴の長い者が要注意である。
・こうした社員は、自分の経験をもとに仕事のやり方を部下に細かく指示したがる傾向がある一方で、会社の方針とか計画をなぜそうなのか説明することが苦手だったりする。しかしそうなると、社内のコミュニケーションがそこで途切れてしまうことが多い。  だからこそ、コミュニケーションの推進役として中間管理者が大事な役割を負っているのだ。彼らが任務を果たしてくれるかどうかが、やる気のある社員集団ができるかどうかの決め手であることを忘れてはならない。
・要するに管理職は、現場をあまり見ていないし、また都合の良い報告はするけれど悪い報告は社長に一切しないのである。よく言われる通り、社長は孤独である。その孤独とそこから派生する弊害を補ってくれるのが、労働組合なのである。だから極論すれば、労働組合がなければ責任をもった経営はできない。私はそう思う。
・今後、インターネットを利用した商品売買が普及すれば、宅急便事業を軸にさらなるビジネスチャンスも期待できるだろう。
・一方、クール宅急便の年間取扱個数は約九千七百万個強、収入で一千億円強に上るが、これは全宅急便の中で、個数で一二・五%、金額で一八%を占めている。
・利用料金は集金額が一万円未満の場合は三百円、一万円以上三万円未満は四百円、三万円以上十万円未満は六百円、十万円以上三十万までは千円である。  普通商店でクレジットカードを使用したときの店側の払う手数料はだいたい五%くらいだから、コレクトサービスの二~三%というのは割安だと思う。
・ヤマト運輸が通信販売業者を対象に品代金のコレクトサービスを展開できるのも、本業の宅急便が多額の現金収入を抱えているからといえる。
・トラックも、タクシー同様、単に個人の営業を認めればいい。運輸政策の問題だが、個人タクシーが認められているのだから、規制撤廃をしたらよいのではないか。私はそう思う。
・誠実であるか、裏表がないか、利己主義ではなく助け合いの気持ちがあるか、思いやりの気持ちがあるかなど、人柄に関する項目に点を付ける。体操の採点のように、複数の社員の採点を集め、最高の点と最低の点を外し、残りを足して平均点を出す。つまり多くの目で評価する。  日本では、客観的に通用する実績評価の方式は見当たらない。ならば、せめて次善の策として下からの評価を行ったらよいのではないかと思ったのである。もちろん単独ではなく、他の制度と併用するのであるが、私は、人柄の良い社員はお客様に喜ばれる良い社員になると信じている。
・そして、五年後に宅急便が黒字を出すと、今度はその理由も考えずにいきなり三十五社も新規参入してくるありさまである。だから今は一社のみ残し、すべて撤退してしまっている。  要するに、自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。論理の反対は情緒である。情緒的にものを考える人は経営者には向かない。  論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。また説明をしているうちに、考え方を論理的に整理することもある。他に対して説明する能力も、経営者にとって大事な資質である。
攻めの経営の神髄は、需要をつくり出すところにある。需要はあるものではなく、つくるものである。
・私は、役人とは国民の利便を増進するために仕事をするものだと思っている。だから宅急便のネットワークを広げるために免許申請をしたとき、既存業者の利権を守るために拒否されたのには、芯から腹が立った。需給を調整するため免許を与えるかどうかを決めるのは、役人の裁量権だという。では需給はどうかと聞いても資料も何も持っていない。行政指導するための手段にすぎない許認可の権限を持つことが目的と化し、それを手放さないことに汲々としている役人の存在は、矮小としか言いようがないのである。
・平成六(一九九四)年に行政手続法が制定された。この法律は、基本的に口頭による行政指導を禁止した法律である。ところが、役人の猛烈な巻き返しで、行政指導の文書化は受ける側が文書を要求したときにのみ限定されたのである。もちろん行政指導を受ける側、つまり民間企業が必ず文書に記すことを要求すれば問題はないのだが、実際には文書請求を言い出しかねて口頭の指導を受けている例がほとんどだという。役人にも問題があるが、民間企業の経営者の姿勢にも問題があると思う。