「ローマ人の物語」の塩野七生氏がギリシア勃興の歴史を全三巻で描いています。一巻づつレビューしていきます
■ギリシア人の物語I 民主政のはじまり
なぜなら、古代のアテネの「デモクラシー」は、「国政の行方を市民(デモス)の手にゆだねた」のではなく、「国政の行方はエリートたちが考えて提案し、市民(デモス)にはその賛否をゆだねた」からである。 クレイステネスは、自らが属す特権階級をぶっ壊したのではない。それどころか、温存を謀ったのだ。ただしそれは、当時のアテネ社会の中での力の移行を考慮したうえでのことであり、ゆえに特権階級のマイナスの部分はきっぱりと切り捨てて、ではあったのだが。 アテネの民主政は、高邁なイデオロギーから生れたのではない。必要性から生れた、冷徹な選択の結果である。このように考える人が率いていた時代のアテネで、民主主義は力を持ち、機能したのだった。
アテネにおける民主主義の誕生と、対抗軸としてのスパルタの成り立ち。そして、ペルシアとの攻防。特に、マラトンの戦い、サラミスの海戦でのギリシア側勝利をダイナミックに描いています。こういった歴史をみると、本当にひとりの人の判断が歴史を変えることがあり得るということを改めて感じさせられます。一方で、繰り返し出てくる大衆の愚かしさも。。
■ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊
ペルシアとの戦いに勝利したギリシアが繁栄を謳歌するところから始まります。アテネではペリクレスという天才政治家が現れ「デロス同盟」や民主政を確固たるものとしていきます。一方で、スパルタとの長期にわたるペロポネソス戦争に突入していきます。紆余曲折あった後、アテネの敗北に終わるわけですが、この辺りの戦局(場所も)の移り変わりがすごく興味深い。何が重要かということすら、刻一刻とダイナミックに変化する好例かと思いました。また一度の敗退が決定的にすべてを変えてしまう残酷さも。
■ギリシア人の物語III 新しき力
アテネ敗北後の世界のカオスぶりが、ソクラテスの自死事件なども含めて、描かれています。しかし、その後、マケドニアにフィリッポス、次いでその息子であるアレクサンドロス(いわゆるアレキサンダー大王)が登場し、一転ギリシア文明が、ペルシアを征服する側にまわります。
常に劣勢かつ相手の選んだ戦場で戦いながら連戦連勝なのはまさに天才。ローマの英雄ユリウス・カエサルは40を過ぎてから頭角を表しますが、アレクサンドロスは20歳で即位してから無敗でペルシア帝国を滅すまでする。
また戦争だけでなく、占領した地域の統治も滞りなく行っている。でなければ広大なペルシアを滅ぼしながら、インドまで行けるはずがありません。
アリストテレスが家庭教師だったり、フィリッポスの帝王学を一心に受けて育ったとは言え、どうやったら経験がほとんどない中でほぼノーミスで直実な打ち手をしながら、東征をやりとげることができたのか、本当に不思議です。
著者もなぜ後継者を指名しなかったのかというところで、
「決定的な何か」とは、言い換えれば洞察力である。これを辞書は、見通す力であり見抜く力、と説明している。イタリアでは、この種の能力に欠ける人を、自分の鼻の先までしか見る力がない人、という。だから、洞察力のある人とは、その先まで見る力がある人、のことである。 だが、洞察力とは、自分の頭で考える力がなくてはホンモノにはならない。 私には、アレクサンドロスは配下の将たちに、考える時間を与えなかったのではないか、とさえ思えるのである。
と述べています。天才すぎたが故に部下が育たなかったというのが唯一の難点だったのかもしれません。ただ彼が生きた時代は、紀元前330年前後のほとんどギリシアとペルシアくらいしか文明がなかった(東洋除く)時点でまとめられる力量を持った人材がいなかったとして責められるのかというと疑問は残ります。
その後帝国は数十年かけて瓦解しましたが、それでもヘレニズム文化は残り、その後のローマ帝国などに繋がっていきました。まさに歴史を変えるとはこういうことなんだろうなと。