自らを見つめ直す機会になる「残酷すぎる成功法則」

成功した人々がなぜ成功したのかをエビデンスベースで様々に検証しているのですが、結果として「残酷すぎる」真実が明らかになってしまうという恐ろしい本です。

カリフォルニア大心理学教授のディーン・キース・サイモントンによれば、「創造性に富んだ天才が性格検査を受けると、精神病質(サイコパシー)の数値が中間域を示す。つまり、創造的天才たちは通常の人よりサイコパス的な傾向を示すが、その度合いは精神障害者よりは軽度である。彼らは適度な変人度を持つようだ」という。

要するに、適度な変人度が必要なわけですが、

私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。卓越した人になるには、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度に従っていてはいけない。世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知らないからだ。むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を意味する。

普通のひとは世間並みを目指しているから、その天才性が発揮できない、と。アインシュタインは、妻を解雇できない雇い人として扱い、モーツァルトは出産時に別室で作曲をしていたという事例も紹介されています。

ただやみくもに、例の一万時間の計画的な訓練に励んでも、明るい未来につながらない恐れがある。ハーバード教育学大学院教授のハワード・ガードナーは、ピカソ、フロイトといった、創造的な功績で名高い人びとについて調べた。  研究の結果わかったことは、創造的天才たちはその類まれな才能の維持に万全を期するために、何らかのファウスト的な契約に組み込まれていたことだ。一般的に、並はずれて創造的な人びとは、自分の使命の追求に没頭するあまり、ほかのすべて、とりわけ、個人としての円熟した人生の可能性を犠牲にしていた。

つまり、「個人としての円熟した人生の可能性を犠牲にして」いると。

僕も自分の凡人性にがっかりすることが多くて、それは「世間並み」を意識しすぎているからなんだろうなと思っています。それをなんとか変えようと努力をしていたこともあるのですが、本書にもありましたが、ひとの性質というのはなかなか変えられるものではないのので、最近はあまり意識せずに、自分の納得の行くようなスタイルを探すようにしています(「何言ってるの? 相当変わってるよ」という声は甘んじて受けます…)。

また、本書では最近よく言われるグリットについては、ときには、見切りをつけることこそ最善の選択であることも示しています。

見切りをつけることは、グリットの反対を意味するとはかぎらない。「戦略的放棄」というものもある。あなたがひとたび夢中になれることを見つけたら、二番目のものを諦めることは、利益をもたらす。一番のものにまわせる時間が増えるからだ。もっと時間があったら、もっとお金があったらと願うなら、これが解決法だ。とくにあなたが多忙な場合には、唯一の打開策だ。

僕自身は昔から自らの基礎的な身体・頭脳能力の低さから、「戦略的放棄」を意図的に行ってきました。20代は多動なところもあったのですが、それはこの「戦略的放棄」を早く行うためのひとつの手段だったような気がします。最近は、エンジェル投資など結構好きでそこそこ得意と思わるものも止めているし、今は英語学習のために遅くまで飲むこともしてません。

あのピーター・ドラッカーからもらった返事にいたっては、次のようなものだった。 「おこがましく、無作法と受け取られないことを願いたいが、ここで生産性を向上させる秘訣の一つを申しあげたい……それは、こうした招待状すべてを捨てる大きなゴミ箱を持つことです」  チクセントミハイはこのような返事がくることを予期すべきだったかもしれない。ドラッカーに調査への参加が依頼された理由は、同氏が効率的にものごとをこなすという面での世界的権威だったからだ。

苦手なのが断ることなのですが、ドラッガーもこう言っているし、バフェットも「成功した人と大成功した人の違いは何かと言えば、大成功した人は、ほとんどすべてのことに『ノー』と言うことだ」と言ったそうですから、私もメルカリのミッションの実現のために心を鬼にしようと思います。

他にもハッとするような事実がたくさん紹介されていて非常におもしろいだけでなく、自分を見つめ直すよい機会になるのではと思います。