弟/石原慎太郎

現都知事、石原慎太郎氏による弟の俳優、石原裕次郎についての回想録。96年発売当時ベストセラーというので軽い内容かと思ってましたが、内容は重厚で多岐に渡っていて、幼少時代の思い出から始まって、なぜ自らが作家になったのか、その映画化で石原裕次郎が世に出た裏話、石原裕次郎が常に肉体的な業苦に苦しめられていたこと、などが赤裸々に綴られています。やはり芥川賞作家だけあって文章もすごく読みやすくて、その時代や場所の空気感が伝わってきて、すばらしいエッセーだと思います。

また、抜粋を読んでいただいても分かりますが、自分たちが世の中に出たのはお互いがあってこそだし、あくまで偶然の積み重ねで自分たちは運が良かった、という話が常に出されており、個人的にはこの人生観は非常に好きだなと思いました。

<抜粋>
・弟とてももともと大いに期するところがあって役者になった訳ではなし、まして会社側の人間にスカウトとしてのたいした目があるものでもないだろう。まあ要するに、本物のスターの誕生なぞ不条理ともいえるきっかけがもたらすものでしかなく、その時代、その当人の性格、そしてなんといっても運が揃わなくてはどうなるものでもない、という公理を、逆に弟の出現は証していたはずだ。
・番頭の小林にせよ、弟がもし呆けて元に戻らぬなら自分の命と引き換えにでも弟の名声を非常の手段で保ってみせると告白した渡(注:哲也)にせよ、誰のためでもなく弟の記録を綴った金宇にせよ、ただ仲間という縁だけで弟に没入してくれた男たちと弟との関わりというのはいったい何だったのだろうかと改めて思う。 人間の関わりについて「絆」などという言葉が空疎にしか感じられなくなったこの頃に、他人は果たしてそれを何と呼ぶのだろうか。ただ友情か、あるいは無類の献身か、いずれにせよああした男たちに囲まれていた男たちに囲まれていた弟が、あの若い医師がいっていたように男としての至福を味わったことを私は疑わない。
・今改めて思えば、結局、私たち兄弟の人生は超現実的としかいえない素晴らしい偶然の積み重ねの上にあったのだった。 時代の恩寵ということ一つにしても、とてもそうとしかいいようがない。 私がいなければ彼はありはしなかったし、同じように、いやそれ以上に彼がいなければ私はありはしなかったのだ。(中略)人間というのは所詮何か大きな力の仕組みの中で生かされ、その罰も報償もその何かによって自在に与えられるものだということを感じさせる。