大人げない大人になれ!/成毛眞

元マイクロソフト日本法人社長の成毛氏によるエッセー。大人げない大人を自称するだけあって、あまのじゃくな主張がものすごく新鮮で、おもしろいです。えー、そこ否定しちゃうの?って感じで。しかし、実際のところ圧倒的な業績をあげるひとというのはこういう考え方をするひとなのだろうなとも思います。本書にはたくさん注目すべき主張がありますが、そのうち特に気になったものをいくつか。

(目標をもってはいけない)試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れることを知っているからだ。 それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり違和感を覚える。

確かにこれは不思議なことですね。僕も経営者という立場上、事業計画を立てたりもしますが、基本的に業績はかなり外部状況に影響されるので予測は非常に難しいです。それでも事業計画が必要だと思うのは、いつどのくらいヒトモノカネが必要になるのかを明らかにするためで、採用や資金調達などはすぐにできるというわけではないので目の前の課題だけでなくロングスパンで物事を考えるには役に立つと思います。

一方でベンチャーであれば、ビジネスモデルが強固ではないことも多いため、計画には織り込まずに、常に非連続な成長を目指して違うことをやってみることも必要だと思います。この際に気をつけなければいけないのは、小さいビジネスをいくら生み出してもあまり意味はないということで、ビックビジネスを生み出すために何を仕込んでいけるかが重要なのかなと。

(キャリアプランはもたない)キャリアプランニングのカウンターとなる考え方に、「Planned Happened Stance」というものがある。日本語では「計画された偶然性」とされている。これは、目標を定めた計画性を志向するキャリアプランニングに対して、世界を不確実なものと捉え柔軟性を重視する考え方である。(中略)ビジネスの世界に身を投じるのであれば、どこで自分を活かすことができるか、どういったところで最も面白く働けそうかを常に考えなければならない。そして一度チャンスを見つけたら、思い切って飛びつくことが必要である。おそらくこれ以外に成功の秘訣と呼べるものはないはずだ。

キャリアプランニングというのに確かに違和感を感じていたのですよね。状況なんてどんどん変わるし、10年、20年も見据えてキャリアプランニングしていくのなんて、本当にできるのかと。

チャンスに飛びつく以外に「成功の秘訣と呼べるものはないはずだ」と言い切ってしまう辺りがおもしろいのですが、肌感覚としては非常に近いかなと。キャリアがとか言ってないで、もっと自分を信じて、自分が面白いと思ったことに身を投じる方がいいんだろうなと思いました。

抜粋はすごく長くなってしまったのですが、ご興味があればどうぞ。

<抜粋メモ>
・どういうわけか日本では、我慢を美徳として考える傾向がある。そして、強い自制心を持つことが大人の証明になるとされる。しかし、私の周囲の成功者とされる人に、我慢強い人物は見当たらない。逆に、やりたいことがまったく我慢できない、子供のような人ばかりだ。そういう人は、好きでやっているのだから、時間を忘れていくらでもがんばるし、新しいアイデアも出てくる。我慢をして嫌々ながらやっている人が、こういう人達に勝てるはずがないではないか。
・(GoogleのYouTube買収について)M&Aの世界では、会社の買収を考えるとき、対象会社の抱える訴訟リスクを注意深く見積もって意思決定を行うものだが、これほど大規模な訴訟リスクを抱える事例も珍しかったのではないか。当時の報道によると、グーグルは、この訴訟対策として2億ドル以上の預託金を用意したという。こういった会社を買収するには、過剰な自信と勇気が必要だ。
・昨年頃から、爆発的に始まったように見えるこの「おバカタレント」ブームだが、実はこのようなキャラクターは、いつの時代にも存在していると言える。(中略)古くは狂言や歌舞伎のような日本の伝統芸能にも、おバカ・天然ボケとして描かれた役柄が多く存在する。
・日本を見回すと、こうした素人の発表の場が沢山ある。保険会社が主催するサラリーマン川柳や、新聞社による写真コンクール、近年話題になっているケータイ小説など、挙げればキリがない。日本人は発信したがりの民族なのである。
・多くの大人は、たとえ興味を引かれる物事を見つけても、自分で言い訳を並べ立てて手を出さないものだ。もう少し仕事が落ち着いたら、とか、何かきっかけがあればと考える。しかし、いつまでたっても仕事は落ち着くことはないし、そう都合よくきっかけが訪れることもない。
・自分より偉い人や強い人の意見をいったんはすべて否定していく(中略)なぜこのようにするのかといえば、権力を持った人の考えは、完璧な独裁者でもない限り、民主主義の論理に沿って部分最適に向かうからである。乱暴に言えば、自らの地位を守るために自然と大衆に迎合していくのだ。
・若者がラーメン屋やブティックを一軒だけ経営し始めたところで、ベンチャーとは呼ばない。ベンチャービジネスとは、権力や権威に反抗し、他人が無視しているようなものに己の人生を賭けることである。これに価値が付与され、人を追従させることができると、そこに差益が生まれ大きな儲けを手にすることができるのだ。
・仕方がないことだが、人間は年齢を重ねるに連れて保守的になりやすい生き物である。もし人が、どの程度保守的なのかを計ることができるのであれば、年齢に対して幾何級数的に上昇する様子が見て取れるように思う。これは知識や経験が蓄積すればするほど、自分の中での枠組みが固まってくるためであって、その枠組みを崩して新しいものを取り入れるコストが上昇していくのである。
・プロフェッショナルの定義は、ここまで触れたようにあいまいなものだ。しかし、人がプロフェッショナルを自任するようになると、どうも失敗や間違いを恐れるようになるのではないかと感じる。
・(目標をもってはいけない)試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れることを知っているからだ。 それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり違和感を覚える。
・もしどうしても目標を立てたいのであれば、ほとんど実現不可能なくらいの大きな目標を持つべきだろう。しかし、これ自体はその達成方法を考えるのには役には立たない。自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入し、何かしらの変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。
・何か新しいものが生まれるときは、たいていそのきっかけに偶然性をはらんでいる。アイデアを生み出すには、この偶然性をいかに自分の味方につけるかが重要になるのだ。
・(キャリアプランはもたない)キャリアプランニングとは、情報収集を重ねて計画的なステップアップを設計することなのだそうだが、こんなものが一体何の役に立つのだろうか。そもそもどんなに時間をかけて情報収集したところで、知ることができるのは今日現在のことだけである。ビジネスの世界で、今日現在のことにいくら詳しくなろうとも仕方ないのだ。かといって、数年後の見通しをつけようとすれば、それはこの上なく厄介なことである。もし、数年後のことがある程度でも予想できるのであれば、その人はキャリアプランナーになって他人の愚痴を聞くよりも、自分でビジネスを起こした方が比べ物にならないほど儲かるだろう。こういった人たちが、あなたの人生を保障することなどできないのは当然のことである。
・キャリアプランニングのカウンターとなる考え方に、「Planned Happened Stance」というものがある。日本語では「計画された偶然性」とされている。これは、目標を定めた計画性を志向するキャリアプランニングに対して、世界を不確実なものと捉え柔軟性を重視する考え方である。(中略)ビジネスの世界に身を投じるのであれば、どこで自分を活かすことができるか、どういったところで最も面白く働けそうかを常に考えなければならない。そして一度チャンスを見つけたら、思い切って飛びつくことが必要である。おそらくこれ以外に成功の秘訣と呼べるものはないはずだ。
・「こんな資格を持っている」ということばかりアピールする人間は、同時に「僕は同じ資格を持っている人間となら、いつでも交換可能です」と言っているようなものである。
・結局のところ、英会話も資格も、この勉強に躍起になる人が目指すところは一緒なのである。第三者にわかりやすく評価してもらうことで安心したいだけなのだ。しかし、わざわざ他人と同じ尺度で評価されるところに飛び込んで、どんないいことがあるのだろうかと私は思う。
・(神話をつくろう)個人でも会社でも、最も効果的なマーケティングの方法は、神話をつくることである。神話というと少し仰々しいかもしれないが、人が人に話したくなるような面白い話だと理解してくれればいい。
・自分自身が実際に体験できることは、本当にごくわずかのことだけだ。自分がいるその時間、その場所のことだけしかわからない。人間は常に時間と地理の制約を受けるのである。 しかし読書をすることで、この制約を超えた世界のことを疑似体験することができる。
・読書についてよくある勘違いが二つある。ひとつは、本は始めから最後まで全てよまなければならないということだ。そしてもう一つは、読んだ本の内容は覚えていなければならないということである。