歴史とはなにか/岡田英弘

歴史というのはその時の国の都合によいように書かれているということを理解すべきだ、という著者の主張はとても分かりやすく、その視点でいろいろな歴史を紐解いたのが本書です。個人的には、本書の解釈には過激な部分もあるように思いますが、それもまた割り引いて捉えよ、というのが著者の主張だと思います。

しかし、著者のように歴史学者でない場合は、そこまで深く歴史を調べることはできないわけで、いろいろな本を読みながら、多面的に歴史や世界を捉えていく必要があるのだろうなと思います。

そういった意味で、その理解の助けの一つになる良書だと思います。非常に刺激的でおもしろいです。

<抜粋>
・「イン・シャー・アッラー」は、非イスラム教徒には、よく誤解される。キリスト教徒は、この表現を「イスラム教徒は不誠実で無責任なやつらだ。気が変わったら約束は守らないんだ」というふうに受け取りやすい。しかし、イスラム教徒に言わせれば、全力を挙げて約束を守るつもりでいるけれども、自分が約束を守ることを神様がお望みにならなければ、守れないかもしれない。だからこの「イン・シャー・アッラー」をつけないで「ではあした、かならずここで会います」と言ったら、神の意思よりも自分の意思を優先させるという、重大なる不敬の罪になる・
・アメリカのアイデンティティの基礎は、歴史ではない。アメリカ合衆国は、純粋にイデオロギーに基づいて成り立った国家だ。だから、アメリカ文明では、歴史はあってもなくてもいいもので、重要な文化要素になり得ない。
・アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。
・たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題にはこういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、改善のためにには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げこむとは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言い逃れだ、大切なのは過去ではなくて現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。
・北宋時代の漢人、いわゆる中国人の大部分は、血統の面では、実は隋・唐時代の中国人の主流であった遊牧民の後裔だったが、意識の面では、自分たちは秦・漢時代の最初の中国人の直系の子孫であり、純粋の漢人だと、思いこむようになっていた。 こうした思いこみを、この時期にはじめて芽ばえた、いわゆる「中華思想」と言う。 中華思想の核心は、「夷狄(非中国人)は、軍事力では中華(中国人)より勝るが、文明度の高さにおいては、中華は夷狄にはるかに勝っている」という主張で、現代のことばで言えば、「中国人は世界でもっとも優秀な民族である」ということになる。
・七世紀になって、唐朝が中国を統一し、公海を渡って軍隊を韓半島南部に上陸させ、倭王の古くからの同盟相手だった百済王を滅ぼした。当時の倭のタカラ女王(皇極天皇、斉明天皇)は、倭軍を韓半島に派遣して百済の復興を試みたが、663年、倭軍は白村江で全滅した。これで倭人たちは、アジア大陸から追い出され、海の中で孤立した。 当時の情勢では、いまにも唐軍が日本列島に上陸して、そこの住民を征服し、中国領にする危険がさし迫っていた。これは現実の危険だった。その危険を防ぐために、日本列島に住んでいた倭人たちと、出自がいろいろ違う華僑たちが団結して、倭国王家のもとに結集した。
・歴史は文学だから、一つ一つの作品には、それに備わった機能というものがある。歴史を書く側の立場から言うと、その作品で歴史家が目ざした目標、狙った効果というものがある。
・世界はたしかに変化しているけれども、それは偶然の事件の積み重なりによって変化するのだ。しかしその変化を叙述する歴史のほうは、事件のあいだに一定の方向を立てて、それに沿って叙述する。そのために一見、歴史に方向があるように見えるのだ。
・フランス革命は、われこを正当な所有権者なり、と主張する各派のあいだの流血の争いになり、たくさんの犠牲者を出したあげく、最後にナポレオンが実権を握って1799年に第一総領になって、やっと「国民」が王の財産を相続するということで決着がついた。それで、かつての王の財産はぜんぶ、フランス人という国民の「国家」だ、ということになった。こうしてフランスでも国民国家が誕生した。
・国民国家という形態が復旧したおもな原因は、軍事だ。ナポレオンが軍事の天才だったことに加えて、国民国家は、戦争に強かった。 君主制だと、君主は自分の財布からお金をはたいて、兵隊を雇って、訓練して、だいじに使わなくちゃいけない。大規模の常備軍をかかえておくことは、あまり金がかりすぎて、ほとんど不可能に近い。これにくらべて、国民軍は、ほとんど無限に多数の兵士を徴兵でき、短期間で大軍を動員できる。
・アメリカ人は、君主制は、なにか邪悪なものだ、と思っている。なにか不自然なものだ、と思っている。アメリカ合衆国の建国によって、人類の長年の理想がはじめて実現した、と思っている。民主主義が全世界に広まるのが、歴史の必然であり、それを実現するのが、アメリカの神聖な使命だ、と信じている。こういう、反論を許さない、頭ごなしの割りきりかたは、イデオロギーそのもので、マルクス主義とおっつかっつの、非論理的な信仰なのだ。
・中国という国民国家は、20世紀のはじめの1912年に中華民国ができるまで、まだなかった。だから朝鮮の国王や、ヴェトナムの皇帝が、清朝皇帝に代々朝貢して、冊封を受けていたからといって、それで朝鮮国やヴェトナム国が、清朝の宗主権を承認して、新帝国の保護国だったことにはもちろんならない。国民国家というのものは、18世紀末のアメリカ独立とフランス革命をきっかけとして発生して、19世紀の帝国主義時代に世界じゅうに広まったものなので、19世紀以前の朝貢と冊封に基づく外交関係は、「宗主国」と「保護国」の関係などとは、ぜんぜん意味が違うのだ。