800年間の金融の歴史から学ぶ「国家は破綻する」

一般的には国家がデフォルトを起こすことなど非常に稀にように思えますが、実際はかなり多く起こっているということが豊富なデータから指し示されています。

さらに、国外債務より国内債務の方がはるかにデフォルトされやすいとか、国家がデフォルトするかどうかは、その国家の「意思」によって決まるとして、債権者の権利が非常に乏しいことが描かれています(例えば、ロシアが破綻したとき国家の財産であるルーブル美術館の美術品を放出せよとは誰も言わなかったし、実際不可能であった)。

日本も破綻するかしないか議論されていますが、本書を読む限りだと破綻する可能性はあると言わざるを得ません。起きないに越したことはないですが、その際に何が起こるのかを知っておくことは生き方の知恵だなと思います。

<抜粋>
・本書では、「めったに起きない」としてとかく忘れがちな現象にスポットライトを当てるべく、注意を払った。実際にはそうした現象は一般に考えられているよりはるかにひんぱんに起きているし、お互いに似通ってもいる。ところがアナリスト、政策担当者、さらには経済学者までもが、新たに起きた聞きをごく狭い視界で捉えるという好ましからぬ傾向を示す。すなわち、限られた国、限られた時期の狭い範囲から抽出した標準的なデータセットに基づいて、判断を下そうとする。債務やデフォルトを扱った学術文献や政策研究の大半が、1980年以降に収集されたデータに基づいて結論を出しているのは、こうしたデータなら入手が容易だという理由によるところが大きい。
「今回はちがう」シンドロームの本質は、ごく単純である。この症状は、金融危機はいつかどこかで誰かに起きるもので、いまここで自分の身に降りかかるものではない、という強固な思い込みに根ざしている。われわれは前よりうまくやれる、われわれは賢くなった、われわれは過去の誤りから学んだ。それに、昔のルールはもう当てはまらない、という具合である。
・貸し手は主権国家の返済能力だけでなく返済の意思にも依存しているのであり、この事実がすでに、主権国家の破産が企業の破産とはまったくちがうことを示している。企業や個人が破産した場合、債権者には明確に規定された権利があり、債務者の資産の多くを取り上げ、将来の所得に相応の先取特権を設置することが認められている。だが国家の破産の場合には、たとえ書類上はそうできることになっていても、実際に債権者がそれを執行する力は相当に制限される。
なぜ政府は、インフレで問題が解決できるときに、わざわざ国内債務の返済を拒否するのだろうか。言うまでもなく一つの答えは、インフレがとくに銀行システムと金融部門に歪みを生じさせるから、というものである。インフレという選択肢があっても、支払い拒絶の方がましであり、少なくともコストは小さいと政府が判断することもある。
・2007年に五大投資銀行の幹部が手にしたボーナスは、総額360億ドルを上回った。金融業界の大物たちは、この業界の高い収益率を金融イノベーションと正真正銘の高付加価値商品の賜物だとみなし、自分たちの会社がとっている潜在的リスクをひどく過小評価する傾向があった。
・こうした中、国際通貨基金(IMF)は2007年4月に「世界経済見通し」(年2回発表)の中で、グローバル経済を脅かすリスクはきわめて小さくなり、当面は何も懸念すべき材料はないとノベル。世界の金融のお目付役である国際機関が何も心配はいらないと請け合ったのだから、「今回はちがう」ことのこれほど確かな表明はなかった。