100%わかっていることに賭け続ける「ぼくらの仮説が世界をつくる」

著者は『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などを出してきた編集者で、現在は漫画家・小説家のエージェントをするコルクという会社を起業しています。

編集者が何をしているのかあまりよく知らなかったのですが、作家が作品を生み出すことに全精力を使っているからそれ以外のことをする、というのはすごく理解ができるし、ビジネスモデルがどんどん変わっている今、さらに必要とされていくのだろうなと思いました。

また「100%わかっていること」に賭けるというのは起業家も同じであるわけですが、これはすごく難しい。何年も芽が出なくてもやり続けるというのは相当な強さが必要だと思うし、それだけの確信を得るための観察力や洞察力が優れているからこそできる技なんだろうなと思いました。

下記、抜粋みてもらえればと思いますが、いろいろハッとすることがあっておもしろかったです。

<抜粋>
・作家は、「異能の人」です。人口の1%どころではなく、0・1%か、0・01%くらいしか存在しません。一緒に仕事をしていて感じるのは、彼らは物語を作っているのではなく、頭の中にもう一つ別の世界を持っていて、そこへトリップしているのです。 だから、本という形だけだと、作家が創造したものの10%くらいしか使用していないことになります。それを、30%、40%に高めていくのが、これからの時代の編集者の役目だとぼくは考えているのです。
・同じように作家も、本というプロダクト一つではなく、そのまわりに付随するすべてを、誠実にパブリッシュしていくことが、求められていくのです。ただ、作家は、作品を生み出すことに全精力を使っていて、それ以外のことをする余裕なんか残っていません。そこで、それをサポートするのが、コルクの役割です。
・たとえば1日中、何もすることがなかったとします。ひと昔前までは、そんなとき「今日はヒマだから映画を観に行こう」と思ったものです。しかし、最近では「ヒマだから映画を観に行こう」という感覚は、あまり一般的ではありません。 映画はヒマだからふらっと観に行くものではなく、「予定を立ててわざわざ観に行くもの」になっているからです。2000円近い料金を払って、2時間くらい劇場に座り続ける。もはや映画はヒマつぶしではなく、立派な「イベント」になっているのです。
本質的なものを作れば、強いコンテンツができて、ちゃんと売れていく。ぼくはそういう信念で本作りをしています。
「どちらの欲望のほうが、より本質的なのか」を見極めると、どちらが残るかがわかります。
・ぼくの行動原理も、恐怖から来ているので、「100%わかってること」しか、ぼくとしてはやっていないつもりです。 CDショップや書店をぶらぶらして、出会いたかった作品と出会うのではなく、「SNSを通じて作品と出会うようになる」というのは、100%起きる変化です。その変化に対応する方法はまだわからないけれど、変化することはわかっている。だから、ぼくの行動は、「100%わかっているほう」へ懸けているだけなんです。
誰も読んだことがない物語を作る人も、誰も想像できない社会を実現する経営者も、優れているのは「想像力」というよりも「観察力」です。
観察力がある人は、努力すれば必ず表現力を身につけることができます。でも、その逆に、いい観察ができない人は、継続していい表現をすることはできません。
・ぼくらは普段、ちゃんと見ているように思っても、ほとんど何も見えていないのです。あとで「さっき、何があった?」などと聞いてみても、漠然としか記憶していないでしょう。そのことを意識することから、観察は始まります。 私たちのほとんどは、「見たいものしか見ていない」のです。「現実をほとんど見ていない」ということを理解できたとき、観察力は上がっていくでしょう。
多くの人は、だいたい1年ほど結果が出ないと、そこで諦めてしまいます。2年頑張れる人もかなり少ない。3年、自分を信じて、努力し続けることができる人はほとんどいません。
・最終的には、時間消費としての買い物のほうが大きくなってくるはずです。 ただ、時間消費はコミュニケーションが鍵になります。今は、ネット上のお店とお客のコミュニケーションは、リアルと比べるとずっと不便です。コミュニケーションの問題が解決されたら、ネット上の売買は爆発的に増えるとぼくは予想しています。
・嫉妬は、たいてい自分が目立ちたい、評価されたいという気持ちから起きます。でも、「自分が目指しているのはそこではない」と冷静に分析できれば、そのような気持ちは自然となくなります。 仮説がないと、未来は変えられない。でも、仮説だけじゃ何も起きません。それを実行する人が必要で、そのほうが、仮説を立てるよりもずっとずっと難しい。
・実は、自分が「おもしろい」と思うことは、自分にとって新鮮なだけなのです。自分がおもしろいと思っても、世間には「よくわからない」と思われて終わりです。それよりも、自分では飽きていておもしろくないと思っていること。そういうことは、自分の中で何度も考えられ、熟成されたことなので、世間にとっては発見であることが多いのです。
・だから、「ぼくは楽しめなかったけれど、描いていて、どこが一番ワクワクしたのですか?」と質問します。説明を聞けば、ただ演出がうまくいっていなくて、おもしろさが伝わっていないだけだ、とわかるので、どのような演出がいいのかを話し合えばいいのです。 相手と信頼関係を築き、一緒に同じ目標に向かっていることを確認し合っていれば、正直な感想は、相手が自分を客観視する手助けとなり、感謝されるはずです。
・葬式に出ながら、ぼくは仕事について、自問していました。 そして、彼がどれだけ望んでも手に入れられない「仕事をする」という機会をもらっているのだから、もっともっと仕事を楽しまなければ!そう考えました。