頑健とは違う新しい概念「反脆弱性(下)」

上巻から続く

しかしながら、そこから導き出されているタレブ自身が実行していることは若干納得感は薄いと思いました。

学生(よりにもよって経済学専攻)のひとりが、本選びのコツを訊ねてきた。「20年以内のものはできるだけ読むな。ただし50年以上前のことを書いている歴史書は別だ」と私はイライラしながら口走った。というのも、私は「今までに読んだ最高の本は?」とか「お勧めの本のベスト10は?」と訊かれるのが大嫌いなのだ。私の「ベスト10」は毎年の夏の終わりには変わるからだ。

例えば、本は20年以内のものは読むなと諭す一方で、

ソフト・ドリンク会社のマーケティングの目的は、消費者を最大限に混乱させることだという話をした。過剰なマーケティングが必要な商品は、必然的に劣悪商品か悪徳商品のどちらかだ。そして、何かを実際よりもよく見せるのは、とても非倫理的だ。たとえば、新発売のベリー・ダンス・ベルトのように、ある商品の存在をみんなに知らせるのはいい。だが、マーケティングされている商品というのは、その定義によって必然的に劣悪なのだ。そうでなければ広告は不要のはずだ。なぜ誰もこんなことに気づかないのか、不思議でしかたがない。

100年以上、生き延びているソフト・ドリンク会社には否定的である。またタレブは自分が生まれた地域にはなかったからという理由でオレンジジュースは飲まないし、人類は大昔はランダムに食事をしてきたから朝ご飯は食べず、曜日で肉を食べたり食べなかったりするという。しかし、何か証明されているものがあるわけではない。

結局のところ何をもって超保守的・超積極的な戦略というのは定義がすごく難しく、恣意的にならざるを得ないのではないかと。だからこそ、個人的には、価値を生みだすことについては疑いようのないビジネスを人生の中心に置きたいと思っているわけですが。

私が唱える認識論の中心的信条とは次のようなものだ。私たちは、何が正しいかよりも何が間違っているかをずっと多く知っている。脆さと頑健さの分類を使って言い換えれば、否定的な知識(何が間違っているか、何がうまくいかないか)のほうが、肯定的な知識(何が正しいか、何がうまくいくか)よりも、間違いに対して頑健だ。つまり、知識は足し算よりも引き算で増えていくのだ。今、正しいと思われているものは、あとになって間違いとわかる場合もあるが、間違いだとわかりきっているものが、あとになってやっぱり正しかったとわかる、なんてことはありえない。少なくともそう簡単には。

しかし半脆弱性があるかどうかを中心に戦略を考えるべきというのはまったくその通りです。またそれ以外にもハッとする概念がいくつも提示されており、本書の価値は極めて高いと思います。

次作もそろそろ出るようなので楽しみです。