脱「ひとり勝ち」文明論/清水浩

エリーカという電気自動車を開発したり、太陽電池の慶応大学教授の清水氏が自らの業績を振り返りながら、未来は明るい、と言い切るエッセー。

不勉強でエリーカを知らなかったのですが、電気自動車ながらフェラーリより速く、100kmをわずか100円の電気代で移動できるらしい。Wikipediaによると研究開発中ながら3000万円程度で販売もされるそうです。本書によると日本で発生する二酸化炭素のうち20%が排気ガスらしいので、もし電気自動車が普及すればかなりの二酸化炭素排出量が減ることになりそうです。どの程度技術的な壁があるのか分かりませんが、少し前に書いたシャープの液晶テレビのごとく、意外に数年〜十数年くらいで自動車が置き換わるというのはありうるシナリオな感じがします。そして、それを阻むのが既存の自動車会社というのも納得感があります(本書では明言されていませんが)。

著者は、電気自動車や太陽電池について、もっと多くの人に知ってもらいたいと言います。僕もテクノロジーの力を信じているし、これから先の未来ももっともっとよい世の中になると確信していますが、こうやって科学技術の側からこういった方が説いているのを見るとすごくうれしくなります。タイトルはちょっと大げさな感じだと思いますが、今技術がどうなっているのかを知って希望を持つことができる良書だと思います。

<抜粋>
・これまでの電気自動車、あるいは、これまでの環境対策の技術というのは、 「何かを犠牲にしなきゃ、環境問題は解決できない」 「何かをあきらめなければ、環境対策なんでできっこない」 と、引き算の発想で考えられていました。(中略)でも、そうじゃない、とずっと思っていました。 新しい技術というのは、「社会によろこばれるもの」で、しかも、「これまでの問題を解決するもの」でなければ普及しない。
・商品の普及は、製造するほうではなくて、使用するほうが決定している(中略)初期のクルマやエアコンなどのような、社会になかったタイプの技術は、「使用の方法」「便利であること」を使う人々が理解していなかったために、普及に時間がかかったわけですね。 しかし・・・固定電話から携帯電話が生まれたというような、もう普及している技術の「置き換え」であるならば、使用するほう、つまり、消費者が技術のすばらしさをすでに理解しているので、さらに便利な技術さえできたら、すぐに簡単に価値を理解できることになる。