しばらくサンフランシスコのZynga本社に

10日ほど前から、サンフランシスコのZynga本社に来ています。こちらには1ヶ月ほどいる予定で、結構長いです。今回の主な目的は、本社でいろいろと見て、Zynga Japanに持ち帰ること。

個人的に、シリコンバレーのベンチャー(正確に言うと、Zyngaはサンフランシスコにあるのでシリコンバレーではないのですが)がどのように経営・運営されているか、ものすごい興味があったので、すごくいい機会だと思っています。そして、もちろんソーシャルゲーム制作のノウハウも。

こちらでは、とりあえず先日MAU(月間利用者)が1億人を超えたことで話題になっているCityVilleチームにいて、GMのMark Skaggsをシャドウイングしてます(ついて回ってるってことです。ちなみに、Mark SkaggsはFarmVilleやTresure Isleを作ったひとでもあります)。その他、かなり重要な上層部のミーティングにも参加を許されていて、見るもの聞くもの新鮮で非常に勉強になって、楽しいです。

できればもう少し英語ができるといいんですが。。とりあえずこっちにいる間にもっと英語が話せるようになる、というのが裏テーマです。

という、久しぶりに日記っぽいエントリ。

ザッポス伝説/トニー・シェイ

(本書は献本いただきました。献本、ありがとうございます)

ものすごいリアルなシリコンバレーでの起業物語で、すごく楽しめました。著者はリンクエクスチェンジを起業し、MSに2億6500万ドルで売却。その後、ザッポスを含めて30社近くにエンジェル投資をしましたが、結局ほとんどうまく行かず、そして当時上手くいっていなかったザッポスに賭ける決断をしました。その際、全財産のほとんどをつぎ込んだそうです。

その後、CEOとして、ザッポスの立て直しと成功を導きました。この辺りの決断のディティールの一つ一つが非常におもしろく、勉強になります。アマゾンへの売却話も生々しく、セコイアなどのVCからのEXIT圧力が大きな要因のひとつであったと書いています。

投資を受けたベンチャーというのは、過酷なもので、EXITするか、IPOするか、どちらかを5年くらいのスパンで求められます。ウノウは幸いにして、非常に投資家に恵まれ、長い目で見守っていただきましたが、僕としては人生をかけて必ずリターンを提供したいと思っていたので、一定のEXITとなったのは本当に僕にとってすごくうれしいことであったし、非常に幸運であったと思います。とはいえ依然僕としてはZyngaに対して、恩義を感じていますし、引き続きZynga Japanの成功に全力を尽くしていきたいと思っています。

本書は、いいところも悪いところも含めて、生々しいベンチャーの現場を知ることができる良書だと思います。

P.S.本日は以前にご紹介した日経エンタテインメント!さん主催の映画『ソーシャル・ネットワーク』試写会でした。ご来場いただいた方、前説で私のお話を聞いていただき、ありがとうございました。

強さと脆さ/ナシーム・ニコラス・タレブ

ブラック・スワン」のタレブ新作。「ブラック・スワン」では、ブラック・スワンという現象そのものに焦点を当てていましたが、本作では「ではどうしたらいいか」に踏み込んでいます。

「ブラック・スワン」から1年半で金融危機が起き、それから2年。タレブは反省として、無駄の重要さについて語っています。あまりにも最適化されていると、予想外のことが起こったときに対応ができなくなる、と。

これによって、タレブの主張(哲学?)には磨きがかかりましたが、「ではどうしたらいいか」というと、いろいろな悪い可能性に備えて一見無駄なこともキープしつつ、できるだけ多くの良い可能性に賭ける、と結構実行するのが大変な戦略になってしまっています。

しかし、それでもそれが唯一の戦略である、と僕は思います。個人的には、前にも書きましたが、もっと自分の好きなことややりたいことに重点を置いてもいいのではないかと思います。そうすれば、人生を楽しみつつ、良い可能性に賭け、稀に良い可能性が起こればより人生を楽しむことができるからです。

「ブラック・スワン」に比べるとインパクトは欠けますが、これからの不確実な時代を生きて行くためには、セットで必読と思います。

<抜粋>
・グローバリゼーションは一見効率がいいように見えるかもしれない。でも、レバレッジを大きく利かせている点や要素同士の相互作用が多岐にわたる点を考えると、一ヶ所で不具合が生じれば、それがシステム全体に伝播するのがわかる。その結果、たくさんの細胞がいっぺんに発火し、癇癪の発作を起こした脳みたいな症状に陥る。すばらしく機能している複雑なシステムである私たちの脳みそが、「グローバリゼーション」なんかしていないのをよく考えてみてほしい。少なくとも浅はかな「グローバリゼーション」はしていない。
・知識の限界の下で、つまり将来が不透明である中で、進歩を遂げる(そして生き残る)ためには、こうした無駄のどれかがないといけない。この三年間、私はそういう考えに取り憑かれてきた。明日何が必要になるか、今日のうちにはわからない。
・物には二次的な使い道があり、そんな使い方がタダでついてくるものなら何だって、今まで知られていなかった使い道が出てきたり、新しい環境が現れたりする可能性がある。そういう二次的な使い道が多い組織ほど、環境のランダム性や認識の不透明から多くを得られるのだ!
・私は大事なことを見落としていた。生きた組織(人間の身体でも経済でも)には変動性とランダム性が必要なのだ。それだけじゃない。組織に必要なのは果ての国に属する種類の変動性であり、ある種の極端なストレス要因だ。そういうのがないと組織は脆くなる。私はそれにまったく気づいていなかった。
・受けた教育と文化的環境に洗脳された私は、規則的に運動して規則的に食事をするのが健康にいいと思い込んでいた。邪悪な、理にかなった議論というやつに自分が陥っているのに気づかなかった。世界がこうあってほしいという理想にもとづくプラトン的な思い込みだ。そればかりでなく、私は必要な事実は全部知っていたのに、洗脳されてしまったのだ。
・私がモデルを激しく罵っているとき、社会科学者が繰り返し言っていたのはこんなことだった。お前の言ってることなんか前から知ってるよ、こう言うじゃないか、「モデルは全部間違っているものだ、でも中には役に立つものもある」って。 彼らには本当の問題が見えていない。本当の問題は、「中には害をなすものもある」ってことだ。で、そういうモデルは大変な害をなす。
・私にとっての問題は、みんな稀な事象の果たす役割を認め、私の言うことに頷いてくれて、それなのにみんなああいう指標を使い続けることだ。ひょっとして頭の病気なのかと思ってしまう。