四面楚歌からの成功「野茂英雄 日米の野球をどう変えたか」

野茂英雄氏のメジャー挑戦を中心に比較文化論まで踏み込んでおり、非常に興味深いです。野茂氏がメジャーで成功した後の熱狂はなんとなく覚えてるのですが、その前の雰囲気はよく知らなかったので、こんな困難な状況で挑戦し、成功したのかと思い尊敬の念を新たにしました。

その後二、三週間、批判と侮蔑的な言葉が、野茂に激しく降り注いだ。誰もが彼に背を向けた。スポーツ紙、球界首脳陣、ファングループ、王、長嶋、星野仙一などの重鎮さえもが、彼を非難した。日本の球界ばかりでなく日本社会でもっとも強い力を持つ読売のオーナー渡邉恒雄は、野茂と野村を「ワル」と決めつけた。実父さえ、この移籍に反対した。 「近鉄の人たちを、こんな形で困らせることはないだろう。そんなに行きたければ、もっといい方法を探せ」
(中略)
「これよりいい方法なんかないさ」と野茂。「チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない。メジャーリーグでぼくの力がどこまで通用するのか、試してみたいんだ」
(中略)
大変な勇気を要する行動だった。重圧がひどくなるにつれ、エージェントの野村でさえ、自分たちの行為に疑問を持ち始めた――本当に正しい選択だったのだろうか、と。  しかし野茂本人は揺るがなかった。一度として。 「心配ないですよ」と野茂。「ぼくらは正しいことをしているんですから」

私もなんとか世界でと思いやっているわけですが、相当に厳しいチャレンジであり、途方に暮れることも少なくありません。しかし、これを乗り越えなければ成功はないわけで、ダメだったら違った方法でといった感じで一進一退しながらやってます。もっと厳しい四面楚歌の中でここまでの成功を収めた先人がいることに勇気をもらいました。

<抜粋>
野茂のアメリカ進出物語は、はるか故郷を離れ〝野良犬〟からスタートした一人のマイノリティが、死に物狂いで働いて成功を勝ち取った、アメリカン・ドリームそのものだという気がする。アメリカという国は、そんな理念のもとに建国されたのだ。  野茂はさらに人種や民族の壁を打ち破り、日本人のアメリカ社会進出を促し、アメリカ人の前で日本人が胸を張れるよう手助けをした。その点で、彼は現代史における社会的な重要人物になったといえよう。
・奇妙なフォームと、うなぎのぼりの奪三振数のせいで、野茂は遠征先でも大人気。彼がアメリカ全土で観客を惹きつけたために、メジャーリーグ全体の観客数も、以前の活況を取り戻した。前年のメジャーリーグは、選手たちによるストライキとロックアウトのせいで、一九九四年のシーズン後半の三分の一がキャンセルを強いられ、プレーオフ、ワールドシリーズも中止という、前代未聞の事態になっていたのだ。
近鉄を去る決断をした直後に、どれほど笑いものにされたかを思い出したに違いない。これ以上近づくなという野茂の警告を、NHKのスタッフがうっかり忘れて近づいたとき、野茂はその後三年間もNHKの取材を拒否した。野茂がボイコットしたマスコミは、他にも枚挙にいとまがない。短時間のインタビューに法外な金を要求し、インタビューの中で、日本のシステムを「奴隷野球」と罵倒してみせた。
アメリカの議会議員の一部が、州議会の議事堂の芝生で日本車を叩き壊したこともある。しかしメジャーリーグのファンが野茂に夢中になったおかげで、両国間のとげとげしい関係は氷解したといっても過言ではない。『タイム』や『スポーツ・イラストレイテッド』の表紙を飾り、テレビのドキュメンタリー番組にも何度か取り上げられた。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、日本国内のムードが確かに変わった、と指摘。その有力紙はこう書いた。 〈野茂がメジャーリーグ入りしたせいで、日本の鎖国癖は消えつつある〉
・野球のグローバル化にも少なからず貢献した。日本野球に詳しいメジャーリーグの重鎮はこう語る。 「野茂には勇気がある。現行のシステムに反旗を翻すほど勇気のある日本人選手は、私の知る限り野茂しかいない。彼が行動を起こさなかったら、たぶん今ごろメジャーリーグに日本人選手は一人もいなかっただろう。伊良部が先陣を切っていたら、どうなったと思う?」
王はこう語る。 「本当はメジャーリーグで腕試しをしたかった。しかし、たとえ読売にアメリカ行きを許されたとしても、ファンは絶対に許してくれなかったでしょう。当時はそういう風潮でしたから」
・野茂はオフシーズンに近鉄首脳陣との契約交渉に臨んだ。当時の彼のサラリーは一億四〇〇〇万円だったが、二〇億円の六年契約を申し出た。そして野茂の予想通り、フロントはこれを却下――そんな法外な契約金をとるには若すぎるし、今年の成績はひどかった。おまけに肩を壊しているではないか、と。  野茂は、はい、わかりました、と答えた。日本野球からの任意引退を表明したのは、その直後だ。
・その後二、三週間、批判と侮蔑的な言葉が、野茂に激しく降り注いだ。誰もが彼に背を向けた。スポーツ紙、球界首脳陣、ファングループ、王、長嶋、星野仙一などの重鎮さえもが、彼を非難した。日本の球界ばかりでなく日本社会でもっとも強い力を持つ読売のオーナー渡邉恒雄は、野茂と野村を「ワル」と決めつけた。実父さえ、この移籍に反対した。 「近鉄の人たちを、こんな形で困らせることはないだろう。そんなに行きたければ、もっといい方法を探せ」
・「これよりいい方法なんかないさ」と野茂。「チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない。メジャーリーグでぼくの力がどこまで通用するのか、試してみたいんだ」
・大変な勇気を要する行動だった。重圧がひどくなるにつれ、エージェントの野村でさえ、自分たちの行為に疑問を持ち始めた――本当に正しい選択だったのだろうか、と。  しかし野茂本人は揺るがなかった。一度として。 「心配ないですよ」と野茂。「ぼくらは正しいことをしているんですから」
・『ニューヨーク・タイムズ』紙は野茂を、〈野球に本当の興味を起こさせる新鮮な息吹〉と評した。『タイム』や『スポーツ・イラストレイテッド』の表紙を飾ったばかりではない。スポーツ専用チャンネルESPNは野茂の特集を組んだ。まもなく野茂を「メジャーリーグの救世主」と呼ぶ声も出始める。まさにそのとおりだった。
日本の社会事情を研究しているアメリカ人レポーターに言わせれば、野茂がこれほど短期間に悪人からヒーローに変わってしまうことが、どうしても理解できない。野茂の通訳、マイケル奥村は、このおかしな現象を、次のように解説した。 「日本では誰も、先陣を切って波風を立てる役をやりたがらない。しかし、誰かが殻を破って成功すれば、みんな我も我もと追随する。開拓者になるのはとても難しいんだ」
・アメリカの考え方とは正反対だ。アメリカでは誰もが先頭に立ちたがるし、波風を立てるのは国民的娯楽である。  日本で野茂報道が増えれば増えるほど、彼の投球を一目見ようと太平洋を渡る日本人ツーリストの数も激増した。その数があまりにも多いので、ドジャースタジアム関係者は、和食レストランを開設して対処したほどだ。どちらを向いても、日本のマスコミだらけ。カメラクルーが駐車場のそこかしこをうろついた。グラウンドキーパーにインタビューを試みる日本人レポーター。アメリカ人ファンにインタビューする日本人レポーター。アメリカ人レポーターにインタビューする日本人レポーター。偉大なる野茂英雄を、アメリカ人がどう思っているのかを知りたがった。
・相手の機嫌を損なうのが苦手な吉井は、読売の要求に従おうとした。その矢先、心変わりのきっかけとなる電話が鳴った。野茂英雄からだ。野茂は人生でもっとも重要なことを言った。 「自分の気持ちに正直になった方がいいですよ。吉井さん、もしも日本に残って、ジャイアンツやほかのチームと契約したら、一生後悔しますよ。立ち止まって、自分が何をやっているのか考えるんです。自分自身をよく見つめるんです」
・ただで球場を使用できるようになったメジャーリーグ球団は、その余剰金を、選手不足の解決にあてることができた。日本や韓国、ラテンアメリカなど、ほかの国から選手を獲得する資金として活用したのだ。二〇〇〇年までには、メジャーリーガーの四分の一以上、そしてマイナーリーガーの四〇%以上が、外国籍となっていた。
・球団担当重役を見れば、このシステムがよくわかる。彼らは本社から短期間だけ派遣され、ほとんど野球を知らないケースが多い。二〇〇七年にオリックス・バファローズ球団社長に就任した人物は、うちのチームで名前を知っている選手はベテランスターの清原和博ぐらいだ、とレポーターに白状した。  メジャーリーグ球団が独立採算制をとっているアメリカでは、こんなことは考えられない。GMはチームを改善する方法を、寝ずに考える。日本では一球団が、ファームに三五人から四〇人程度の選手しか抱えていないが、アメリカではどのメジャー球団も、数層にわたるファームシステムに一五〇人以上の選手を抱えていて、GMは全員の名前を把握している。アメリカではチームの改善方法はないものかと、つねに頭をひねっているが、日本ではチームそのものを、単なる親会社の製品のPR手段としか考えていない。  こんな発想では、日本のプロ野球が赤字の海に溺れるのも無理はない。
・特筆すべきは、日本プロ野球が比較的不利な状況でプレーしなければならなかった事実だ。メジャーリーグでは、納税者が建てた新しい数百万ドルの〝レトロ〟な球場でプレーできるというありがたい契約が普通だが、日本プロ野球の場合は、独自の球場を持つケースがほとんどなく、アメリカではごく当たり前のさまざまな特権なしに、莫大な賃貸料を払って球場を借りなければならない。ボルチモア・オリオールズは、壮大なカムデン・ヤーズを無料で使っているし、シカゴ・ホワイトソックスはセルラーフィールドを年間たったの一ドルで借りている。  それにひきかえ福岡ソフトバンクホークスは、九州の福岡ドーム(福岡Yahoo! JAPANドームと名前を変えた)に、コンサートなど野球以外のイベントに使う独占権を含めて、年間五〇億円ほどの賃料を払っている。読売ジャイアンツは、ホーム球場の東京ドームの賃料として、1試合につき二五〇〇万円を支払わなければならない。日本ハムは、辺鄙な北海道の札幌ドームの賃貸料として、1試合に六三〇万円支払っている(埼玉西武ライオンズは独自のスタジアムを持っているが、それでも赤字はまぬかれない)。
広島から楽天に移籍したブラウンは、わずか1シーズンで解雇された。春季キャンプでアメリカ方式を採用したことが、ひんしゅくを買ったらしい。コントロールを良くするために投げ込みをして体で覚えさせる伝統的な日本方式ではなく、投球数を減らして肩の消耗を抑えるという方針だったという。後釜として、日本プロ野球界で指折りの封建的な監督、星野仙一が就任した。星野は「死ぬまで練習」や「愛の鞭」などを基本理念とする監督で、ときには選手を殴ることもいとわない。
・しかし二〇〇六年、日本も春季キャンプの妨げになるとして最初は参加を渋っていた第一回WBCで日本代表チームが優勝すると、日本とアメリカの均衡は破れた。周囲をあっといわせた優勝のあと、日本人のあいだで、日本野球はアメリカ野球にけっして劣らない、という声が盛んに聞かれるようになってきた。トレイ・ヒルマンもその意見に賛成だ。 「日本野球を見下すのをやめて、選手たちを正当に評価すべきだよ。日本のプロ野球は今やメジャーリーグ並みだ」
日本プロ野球の首脳たちは、システムを変える必要性を感じている。マーケティングや商品開発の方法を学ばなければならない。かなり本腰を入れて、金儲けの方法を研究すべきだし、自活の方法を学ばなければならない。  そうはいっても、彼らからは改革への熱意があまり感じられないし、一部の連中は、アメリカ方式を真似るのだけは嫌だ、と駄々をこねている。しかし、一九九二年以降、メジャーリーグの収入が五〇億ドル跳ね上がったことを考えれば、メジャーの経験が手ごろな手本になることは確かだ。  収入の三分の一は、チケット代だ。ぜいたくなスイート席を備えた〝レトロ〟な新スタジアムが、この二十年間で二〇も建った。しかも建設費は各市が負担し、メジャーリーグ球団はごくわずかの使用料、もしくは無料で使用を許可されている。  しかし残りの収入は、放映権の中央集権化、巧みな商品化とライセンス契約、さらにはメジャーリーグの驚異的なインターネットサイト、MLB.comの立ち上げによる収益だ。このサイトは二〇〇〇年に開設され、あらゆる試合をライブで中継するだけでなく、テープで収録したハイライトシーン、昔の名試合、ドキュメンタリー、トークショーなどを見ることができる。その収入は驚異的で、世界中の視聴者から、年間なんと五億ドルが転がり込んでくる。これに匹敵するものは、日本にはない。
・野茂はどうか。一九九五年にナ・リーグの新人王に輝き、一年目にナ・リーグのオールスター先発投手となり、二人目の日本人メジャーリーガーになり、メジャーリーグでホームランを放った初の日本人となり、両リーグでノーヒッターを達成したメジャーリーグ史上四人目の選手となった。さらに、一九九四年の選手会ストライキのあと、ファンが失っていた野球への興味と情熱を、野茂は単独で取り戻してみせた。もっとも重要な貢献は、後輩の日本人選手にとって、開拓者となったことだ。この重要性はあなどれない。
アメリカで初めて野茂のピッチングコーチになったデイブ・ウォレスによれば、 「彼は先陣を切った。なにもかも失い、得るものはなにもなかった。ほかの連中のために、お膳だてをしてやったのさ。今、みんながその恩恵をこうむっている。日本人選手はずっと恩に着るだろうな」
・「野茂英雄は野球殿堂に絶対入れるべきだと思う。両リーグでのノーヒッター達成、さまざまな賞の獲得、奪三振王――いずれも素晴らしいが、なにより、イチロー、松井秀喜、松坂大輔など、後進の日本人選手のために扉を開けたという業績だけで、殿堂入りに値するね。  メジャーリーグでプレーした最初の日本人というわけではないが、アメリカで成功したのは野茂が初めてだ。パイオニアになるためには、成功しなければならないが、彼はみごとに成功して、後進に道を切り開いた。日本のプロ野球関係者の中には、野茂は失敗する、いや、失敗すればいい、と思っていた人間が大勢いた。そんな中で、彼は選手生命をかけた。背水の陣となった以上、アメリカで成功しないわけにはいかなかった。そして、ちゃんと成功してみせた。
・ぼくにとって野茂の最高の思い出は、デンバーで達成したノーヒッターだな。彼にとってなにもかも逆風だった。高度はかなりあるし、空気は薄いし、ナ・リーグでもっとも手ごわい打撃陣だし、天候は悪いし、雨のせいで試合開始がかなり遅れていた。あんな状況でノーヒッターを成し遂げるのはとても難しいのに、やってのけた。何度もプロ根性を引き合いに出すけど、あれはメジャーリーグで培ったものではない。すでに日本で身に付けていたものだよ。アメリカに来て世界一の打者と対決したがっていた。で、それを実現し、成功した。しかもこんなに多くの後進のために扉を開けたんだ。どう考えても殿堂入りする人間だよ」  ――ピーター・オマリー(ロサンジェルス・ドジャース元オーナー)
・第一に、野茂の言語能力について。これは言いがかりというものだ。メジャーリーグを目指す大半の日本人選手と同様、野茂は移民ではない。彼は毎年ワーキング・ビザでアメリカに行っているが、野球をするためであって、文化に融合するためではない。アメリカの市民権どころか、グリーン・カードさえ要求していない。だいいち彼の場合、仕事をするのに英語はさほど必要ないのだ。彼はスポーツマンであり、外交官ではないのだから、住む気もないのにアメリカ社会への同化を求められる筋合いはない。