マネーの歴史を知る「21世紀の貨幣論」

物々交換社会は実は存在しなかった、『オデュッセイア』にはお金が出てこない、など衝撃的な話から繰り広げられるマネーの歴史で、非常にダイナミックでおもしろいです。タイトルは「21世紀の貨幣論」となっていますが、マネー史とした方がしっくりきます。

今となっては社会的な常識となっているお金が、昔から今のような信任を集めていたわけではなく、君主、民衆、商人、国家、銀行などの進化の過程でどのように成立してきたかが、見事に描かれています。

お金とは何かを知るにはその歴史を知る必要がある、という意味において、必読な作品だと思います。

<抜粋>
・取引は盛んに行われるが、取引から生まれる債務は取引の相手との間で相殺されるのがふつうだった。相殺後に残った分は繰り越されて、次の交換に使うことができた。未払い分を精算しなければならないようなときでも、フェイそのものが交換されることはめったになかった。
・(注:ジョージ・ドルトン)「われわれが信頼できる情報を持っている過去の、あるいは現在の経済制度で、貨幣を使わない市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であったりしたことは一度もない」
通貨そのものはマネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのだ。
・『オデュッセイア』では、暗黒時代の社会の驚くほど多彩な光景が次々に繰り広げられるのだが、あることが目を引く、マネーが出てこないのだ。
・国がペソを使うことを義務づけていない領域で、代替貨幣が自然発生的に生まれたのである。州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始めた。借用書はまたたく間に通過として流通するようになった。ペソを支えるために流動性供給を絞ろうとする政府の対応に、国民は公然と反旗を翻した。
・中世の君主には、みずから治める領地からの収入以外に歳入を増やす方法はほとんどなかった。封建領土に直接税や間接税を課すことは実際問題として不可能だったため、貨幣鋳造益はこのうえなく魅力的で、このうえなく確実な収入源だった。
たとえば1299年には、フランス国王の総収入は200万ポンド弱あった。このうち優に半分を、悪鋳と改鋳による造幣局の鋳造益が占めている。
・オレームはまったくちがう貨幣感を示した。マネーは君主の所有物ではなく、マネーを使用する共同体全体の所有物としたのである。
銀行の屋台骨を支えているのは、資金を融通し、決済する能力のほうだ。銀行はマネーシステムの中で銀行にしかできない役割を果たしているから、特別な存在なのである。
銀行業務の真髄は、銀行の資産と負債から発生する資金の支払いと受け取りを全体として一致させることにほかならない。銀行の資産と負債とは、もちろん、すべての借り手と債権者のすべての負債と資産である。これこそが、中世時代の大国際商会が再発見していた技術だった。
・今度はマネー権力が君主に圧力をかける側に回った。マネー権力者の利益に沿ってソブリンマネーが管理されなければ、ソブリンマネーを放棄すると威嚇したのである。形勢は完全に逆転した。
・(モンテスキュー)為替相場が確立されたため、君公が貨幣を突然、大きく操作すること、少なくともそうした強権の発動を成功させることはできなくなった。
・キャッシュは国に対する信用の表象として揺るぎない地位を保っているが、流通しているマネーの圧倒的多数は、民間企業の口座にある預金だ。1694年に政治の妥協が成立して、ソブリンマネーとプライベートマネーが統合されたことが、いまも現代のマネー世界を支える基礎になっている。
理想の国家であるスパルタに、このイノベーションは必要ない。スパルタは自国の伝統的な社会構造は完璧だとして、貨幣を使用しなかった。
・(ロー)「貨幣の価値に対して財貨が好感されるのではなく、その価値によって財貨が交換されるのである」
5月には500ルーブルだったインド会社の株価は、12月には1万ルーブルを突破した。株価が上がるほど、公的債務が新株に置き換えられていった。この取引が完了すると、ローはついに、政府債務と政府株式の交換という、空前絶後の偉業を成し遂げることになった。
・おそらく、オーバレント・ガーニー商会の提供担保に対して貸し付けた債権者のうち、その担保に頼らざるを得なくなることを予想した人や、その担保に本当に注意を払った人は、1000人に1人もいなかっただろう。
・「なぜだれも危機が来ることをわからなかったのでしょうか」という女王の質問に対する答えは単純明快である。マクロ経済を理解するための大きな枠組みに、マネーが組み込まれていなかったからだ。
・9月15日月曜日、国が信用支援を拒否し、リーマン・ブラザーズは破産申請する。それをきっかけに始まったパニックの大きさを見ても、リーマンは救済されるとだれもが固く信じていたことがうかがわれる。
・ソロモン王は聖書でこう戒める。「かならずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また、賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また、知識ある者が恵みを得るものでもない」(中略)「しかし、時と機会はだれにでも与えられている」
シラーは何年も前から、市払いがGDPに連動する国債を発行することを提唱している。経済成長の不確実性がもたらす財政リスクを、国と投資家が共有するようにするのである。