マッキンゼーの飽くなき優秀な人材獲得法から学ぶ「採用基準」

マッキンゼー日本で初の人事採用マネージャーとなり長年勤めた著者が、マッキンゼーがどのような人を(自社にとって)優秀と定義付け、どんな方法で採用をしており、かつそれはなぜなのかを書いています。

さすが世界最高峰のコンサルティング会社だけあって、極めてロジカルかつ洗練された「採用基準」で非常に勉強になりました(特に今、採用に力を入れていることもあり)。

いくつか特に考えさせられたところをあげます。

なによりも面接担当者が知りたいのは、「その候補者がどれほど考えることが好きか」、そして「どんな考え方をする人なのか」という点です。考えることが好きな人なら、どんな課題についても熱心に考えようとするでしょう。「考えることが楽しくて楽しくて」という人でないと、毎日何時間も考える仕事に就くのは不可能です。

僕は初めて知りましたが、コンサルティング会社では一部にケース面接という手段が取られており、さまざまなケースにどのように対応するか答えさせるそうです。それは回答を求めているわけではなく、どれだけ「考えるのが好きか」を見るためで、それこそがマッキンゼーにおける優秀な人材の定義の一つだと言います。しかしこれは今のうちのような考え抜くことが必要なネットベンチャーにも当てはまることであり、これから気をつけて見て行こうと思いました。

どんな分野にせよ、既存のやり方を変えるには、強力なリーダーシップが必要とされます。現実に問題を解決するのは、問題解決スキルではなくリーダーシップなのです。(中略)自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。

一般に言われるリーダーは組織にひとりでよいのではなく、すべてのひとがリーダーシップを持つ組織の方が成果を出せると言います。ここで言うリーダーとは「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」であり「リーダーとは和を尊ぶ人ではなく、成果を出してくれる人だ」。

僕も成果を出せるようになると急に求心力が高まるという経験をしています。それは自分の問題解決スキルが向上したからだと思っていたのですが、実はそうではなく自分なりのリーダーシップの取り方が分かるようになり、周りのひとの力を引き出し、組織としての成果が出せるようになったからだったんだなととても腑に落ちました(こう書くと非常に傲慢に聞こえるかもしれませんが、僕は自分のリーダーシップにはまったく満足がいってません。昔に比べればよくなったかなという程度でどうやったらもっとよくなるかと反省の毎日です)。

そして、そうやってチームの成果になりふり構わず貢献できるリーダーシップを持った人ばかりの組織というのは非常に強い。うちは手前味噌ながら、素晴らしいリーダーたちによる組織になっていると思います。しかし、それでもまだ貪欲に強力なリーダーシップを持つ人材を求めていこうと改めて思いました。

日本では、管理職以外は個人の成果に基づいてしか評価を受けていないのではないでしょうか。グループの成果を問われるのは管理職だけです。マッキンゼーにおいて、新人からパートナーまで、ほぼすべての評価が「チームの成果はどのようなものか」+「あなた個人は、その成果にどう貢献したのか」という形で成果が問われるのとは対照的です。

前の会社(ウノウ)では四半期ごとにレビューをしていて、チームワークはかなり重要視していたのですが、それは結局のところチームの成果とその成果への貢献を聞きたかったのだなと思いました。この辺りの仕組みは社内でもうまく取り入れて行きたいところです。

P.S.コウゾウに興味ある方(特にエンジニアの方)はぜひ採用ページをご覧ください。

<抜粋>
・なによりも面接担当者が知りたいのは、「その候補者がどれほど考えることが好きか」、そして「どんな考え方をする人なのか」という点です。考えることが好きな人なら、どんな課題についても熱心に考えようとするでしょう。「考えることが楽しくて楽しくて」という人でないと、毎日何時間も考える仕事に就くのは不可能です。
・ケース面接の対策をほとんどせずに受けにくるような人は、たいてい自信過剰です。彼らは「マッキンゼーが自分を落とすなんてあり得ない」と考えています。「どうやったらマッキンゼーに選んでもらえるか」などとは考えていません。なかには「マッキンゼーが、はたして自分が選ぶべき価値のある企業かどうか見にきました」といった態度の人さえいます。
・たかだか数時間の議論で疲れてしまうような軟な思考体力では実用に耐えません。現実の仕事では、高い緊張感の中で何時間も議論を続け、体力的に消耗する飛行機移動を繰り返し、時には十分な睡眠時間を確保することもままならない中で、それでも明晰な思考や判断が可能になるだけの体力が必要なのです。
・採用面接において重要なことは、思考スキルの高い人と低い人を見分けることではなく、「ものすごくよく考えてきた人と、あまり考えてきていない人」を見分けることです。思考力の高い人とは、考えることが好きで(=思考意欲が高く)、かつ、粘り強く考える思考体力があるため、結果として「いくらでも考え続けることができる人」のことを言うのです。そして、そういう人は過去においても、ものすごくいろんなことを深く考えてきています。
・(マッキンゼーの採用基準)(1)リーダーシップがあること (2)地頭がいいこと (3)英語ができること の三つです。 このうち、日本の”優秀な人”がもっているのは(2)だけであり、残りのふたつは絶望的に欠けています。
・どんな分野にせよ、既存のやり方を変えるには、強力なリーダーシップが必要とされます。現実に問題を解決するのは、問題解決スキルではなくリーダーシップなのです。
・自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。
・本来のリーダーとは、それとは180度異なり、「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」です。
・私には、自らリーダーシップを発揮して、彼らから寄せられるアドバイスのうちどれを採用し、どれを採用しないか、自分で決めることが求められていたのです。もちろん採用しないと決めた意見に対しては、後から「なぜあの意見を取り入れなかったのか?」と問われるでしょう。しかし、その問いにきちんと返答することができれば、それでよいのです。私に求められているのは、「自分で決め、その結果に伴うリスクを引き受け、その決断の理由をきちんと説明する」ことであって、上司の指示をすべて聞き入れることではなかったのです。
・特に深刻な問題は、学生の頃には自由かつ大胆に思考できていた人が、保守的な大企業で最初の職業訓練を受け、仕事のスピードや成果へのこだわり、ヒエラルキーにとらわれずに自己主張することや、柔軟にゼロから思考する姿勢を失ってしまう場合があることです。
・リーダーとはどんな人なのか、定義として言葉では明確にできなくても、日本人もそのことはよくわかっています。「リーダーとは和を尊ぶ人ではなく、成果を出してくれる人だ」と、実はみんな、理解しているんです。
・大海で自分が乗る救命ボートを選ぶ際は、命さえ助けてくれるなら、漕ぎ手の性格が強引で人当たりが悪くても、無口で自分とは合わない性格であっても、私たちはそんなことを気にはしないはずです。 そうではなく、「救助が得られるまで、乗客を無事に生かしてくれる、導いてくれる」という成果が達成できる人かどうか、という点のみを基準に漕ぎ手を選ぶでしょう。海の上を漂流して助けを待つ間には、数多くの状況判断や、乗員の統率が必要になります。時には厳しい判断やリスクをとった決断もできる、真のリーダーを選ばないと命が助かりません。
こういった大きな成果がかかっている時、いざという時に選ばれるリーダーとは、成果目標のない時に選ばれる「あいつはいい奴」とか「いつも一生懸命で好感がもてる人」、「一緒にいると楽しい人」、「すべてを完璧に処理してくれるよくできた人」などとはまったく違う概念なのです。
・伝記では偉業が称えられるリーダーでも、その人の身近で働いた人にとっては、「極めて独善的な人だった」という場合もよくあります。だからこそ、時代的・空間的に自分から離れた場所にいるリーダーは尊敬や称賛もできるけれど、自分と同じ場所・時代に生きているリーダーは必ずしも好ましい存在ではない、という現象が起こるのです。 この構造も、「リーダーは成果を出すことにこだわる」という原則から説明できます。時代的・空間的に遠いところにいる人からみれば、リーダーが出した成果だけが目に入ります。その成果を出すために、リーダーの周りで苦労した人や、嫌な思いをした名も無き人の情報は伝わりません。成果だけを見れば、リーダーは称賛の対象です。
どこで働く人も、自分の成長スピードが鈍ってきたと感じたら、できるだけ早く働く環境を変えることです。もちろんそれは転職できある必要はなく、社内での異動や、働き方、責任分野の変更でも十分です。「ここ数年、成長が止まってしまっている」と自分自身で感じ始めてから数年もの間、同じ環境に甘んじてしまった後に転職活動をしても、よい結果を得るのは難しいということを、よく理解しておきましょう。
・先頭を走るということは、自らの最終的な勝利を犠牲にせざるを得ないほど大変なことなのです。反対に言えば、人の後をついていく、誰かの背中を見ながら走ることは、相対的に非常に楽なことなのです。
・それぞれの人は異なる感受性や思考回路をもっているのですから、新たな情報に触れたり、思考にふけるたび、ほかの人とは異なるアウトプットが生成されます。それが積み重なると、同じゴールを見ているはずだったのに、いつのまにか少しずつ違った場所を目指しているということが起こります。 だからリーダーのポジションにある人は、何度も繰り返して粘り強く同じことを語り続ける必要があります(全員がリーダーの意識をもっていれば、全員が自分の考えを積極的に声にするでしょう)。わかってくれているはずの人も、その多くが、わかった気になっているだけであったり、わかったような顔をしているだけだったりします。伝わっているかどうかも確認せず、「伝わっているはず」という前提をおくのは、怠慢以外のなにものでもありません。
・たとえば新人コンサルタントが調査分析を行い、マネージャーやパートナーも出席する会議で説明するとしましょう。通常の企業では、これは「下の人がつくった資料を上司に報告し、上司がチェックする」会議です。しかし自分が中心の組織図が示すのは、資料をつくった本人が、自分自身の結論(顧客企業への提案内容)をよりよいものにするために、上司や他のメンバーからのインプットを獲得し、利用するための場として会議を活用する、というコンセプトです。
・日本人はよく「アメリカは個人主義、日本は組織力」などと言いますが、これはむしろ反対です。日本では、高校、大学、大学院の進学は、ほぼ100%個人の成果によって決まりますが、アメリカの学校の大半は、入学時に提出させる資料において、過去のチーム体験、チームで出した成果、そのチームの中で自分が果たした役割や発揮したリーダーシップについて、詳細に問うてきます。 働き始めてからの人事評価も同じです。日本では、管理職以外は個人の成果に基づいてしか評価を受けていないのではないでしょうか。グループの成果を問われるのは管理職だけです。マッキンゼーにおいて、新人からパートナーまで、ほぼすべての評価が「チームの成果はどのようなものか」+「あなた個人は、その成果にどう貢献したのか」という形で成果が問われるのとは対照的です。
・マッキンゼーに入社した人を見ていると、数年も働くいつにほぼ全員が、リーダーとして、もっと力をつけたいと考えるようになります。リーダーシップをとることが責務でも負担なことでもなく、できるようになりたいこと、やりたいこと、さらには、楽しいこと、ワクワクできること、として認識されるようになるのです。(中略)最初に人がその意義を理解するのは、「リーダーシップにより、自分が気になっていた問題が解決できる」と実感した時です。

採用基準

良質な起業ストーリー「GILT(ギルト)」

NY発のフラッシュセールサイト「GILT(ギルト)」を運営するGilt Groupeの創業物語。素晴らしいチームがものすごいスピードでスタートアップを立ち上げ、成功していく様子を丁寧に追った良質なドキュメンタリーです。

一方で、一見完璧そうな経営メンバーであっても、数々の失敗をし、しかしそれからすばやく学び、激務や激しいストレスにさらされ一時休養する姿なども描かれていて、起業家として共感を覚えました。

外からはうまく行ってるように見えても、日々何かしらが足りなくて、焦りながら、とにかく自分たちにできることをできる限りの猛スピードでやっていくしかないというスタートアップの現実が見事に描かれていると思います。

後、個人的にやろうとしているのがコマース分野ということもあって非常に勉強になりました。これくらいのスピード感でやっていきたいものです。

<抜粋>
・ウェブサイトで男性消費者を惹きつけるためには、ブランディングとサイトのデザインははっきりと男性を意識したものにしなくてはならない、そのためには名称も男性的であるべきだ、とアレクシスは信じていた。
・「どの名前が一番好きか?」と「それぞれの名前からどんなことを連想するか?」の二つの質問を出した。また回答者には候補サイト名が書いてあるページを見ないで記憶に残った名前をつづってもらい(あとで名前をどれくらい覚えているか、また正確につづれるかを確かめるため)、一番好きなものから順位をつけてもらった。
・私たちはさんざん話し合った結果、ギルト・グループで紹介する服(ファッション業界では既製服と呼ぶ)はすべて、モデルに着せて撮影する、と決めた。直感でそのほうがいいと決め、やめたほうがいい合理的理由を無視した。それがどれほどたいへんなことか、わかっていなかった。
・投資家の力を借りることを先延ばしにして、自分の力で収益を100万ドルから300万ドルに上げる、もしくはせめて収支がとんとんになるまで持っていこうと四苦八苦しているうちに行き詰まった起業家を、私たちは数多く見てきた。
・私たちは、ギルトを知った顧客が友人たちにどんどん話したくなるはずだ、と期待していた。なぜなら、人に教えることでいわゆる「利他的報酬」が生じるからだ。利他的報酬とはこの場合、友人にバーゲン情報を教えるという利他的で新設な行動が、教えた人にももたらす満足感を指す。
・友達の誕生日ディナーやブランチに招待されると、私たちは紙に印刷したギルト・グループの招待状をひと束抱えていった。また誰に宛てたメールでも、必ず会員登録サイトへのURLを張り、招待メールを周囲の人たちに担送してほしいと依頼した。
・こういった会員たちと直接交流した後、さらに購買額が伸びることに再び私たちは気づいた。お気に入りのデザイナーの商品を買いまくるファッショニスタから、私たちの成功に個人的に関心を持っている「友人」へと変わることで、顧客の購買行動にも変化が見られる。
・マイクとフォンは、技術開発部門での志望者に1時間の筆記試験を受けさせる(試験内容は、Gilt.com/techに掲載されていた)。面接をより効率よく進めるためだ。志望者はオフィスに面接に来る前に試験を終えておく。筆記試験の目的は、仕事のスピード、経験と技術スキルを判断するためだが、「思わず『え、何これ? この試験で何が見たいんだかさっぱりわからない』とポロリと本音をもらす人がいる。試験をするのは、スキルよりむしろそういうところで人柄を見るほうが大きいかもしれない」とマイクは言う。
・「そのためには、業界で評価の高い会議のスポンサーになり、そこで講演することが必要だった:とマイクは説明する。ギルトの技術部門は「ギルト・テクノロジー」というブログまで開設し、エンジニアとして働いているギルトの従業員の質の高さを示し、取り組んでいる仕事がどれだけやりがいがあるかを紹介している。マイクは言う。「そうやってアピールするうちに、ギルトで働きたいと言ってくる人のタイプが変わってきた。私たちがやっている仕事に興味がある、一緒にその仕事をしたい、と言う人が増えたんだよ。ギルトで働く人たちがかっこよく見えて、自分も仲間入りしたいと思うようになった」
・「最高のエンジニアは職探しなんかしない。人生で1回も採用面接に行ったことない人が大半なんだ」
・自分たちが採用した人たちが、創業チームと似たようなタイプばかりであることを私たちは発見した。おっと、これは問題だ。これでは組織としてバランスが悪くなる。その上、アレクシス、マイクとアレクサンドラ、そしてケビンはマイヤーズブリッグスの性格テストで、全員同じタイプと診断された。
・ブランドパートナー以外の第三者との取引は、ブランドから書類で同意書をもらえたときだけにする。たしかにこの決断によって、私たちのような急成長企業はもっとむずかしい立場に追い込まれるだろう。しかし、この決断を悔やんだことは一度もない。
・CEOになってからも、アレクシスは好んで10センチヒールを履き、女らしい服装を貫いた。だが、彼女は伝統的に男性的とされてきた特徴も持っている。それが彼女のリーダーシップのスタイルをユニークなものにしている。
・アレクシスはみんなから好かれなくても気にしない。人に嫌われても決断を通す勇気は、真のリーダーにとって重要な資質だ、と彼女は信じている。アレクシスが事業の成功のためなら、どれほど反対が多くても自分の意見をタフに押し通す姿に、アレクサンドラはいまだに感嘆する。
・ギルトのチームを築いていく中で、自分が決めた採用のミスも躊躇なく認めた。たとえスキルがある人でも、企業文化に合わない(もっと悪いことに、周囲に悪影響を及ぼしかねない)と見ると、チームから「取り除いた」。急成長を遂げる会社にあることだが、ギルトも採用に関してよくミスを犯した。
・いい意味で、私たち全員が驚いた発見がある。それは、面と向かって率直に意見を言っても、案外人は平気なのだ、ということだ。そして人は誰もが、真剣に他人の話に耳を傾けるのだ、ということも発見した。たとえ「自分を変えろ」という手厳しい意見を言われても、人には真摯に受け止める用意がある。
・アレクシスが悩んでいることは、アレクサンドラでさえほとんど気づかなかった。従業員に自分が抱えているストレスを見せないように彼女は気を配っていた。リーダーの態度はチームにもろに影響する。リーダーが他人を批判的に見る傾向があったり、仲間に過剰な競争意識を持ったりすると、社員も同じように振る舞うようになる。アレクシスは、リーダーとしての最高の資質は、冷静さ以上に首尾一貫していることだと信じている。
・(スーザン・リンからのトップに立つ人へのアドバイス)怒りを感じたときには絶対に人と話さない 「大きく深呼吸して、むずかしい話ができる準備が整うまで気持ちを落ちつけなさい」とスーザンはアドバイスする。「『明日お話しましょう』と言って、話をいったん打ち切ること。そして準備する。誰かと厳しい話をしなくてはならないとわかったら、私は必ずメモを用意することにしている」
・(続)「私はこれまでの人生で、いったい何回、『とんでもないことをしでかしてしまった。もう終わりだ』と思ったかわからない。でも、一生懸命働き、かなり能力もある人が下す決断は、いいことが悪いほうを上回るもの。1回のミスが致命的になることはない。そう思うようになってからは、失敗を悔やんで眠れない夜はなくなった」。失敗から立ち直るためには、いさぎよく失敗を認め、どうすれば取り戻せるかをすばやく説明し、そして行動することだ、とスーザンは言う。
・ミッキーはいきなり受話器をつかみ、内線で社内に呼びかけた。J・クルーのオフィス中に聞こえる車内放送で、ミッキーがそんなふうにしょっちゅう呼びかけているのはあきらかだった。(中略)「ヘイ、今、俺はギルトとかいう会社の人と話をしているんだが、何か知っているか? そうだ、ギルト・グループだ。聞いたことがあるやつは俺まで電話しろ」
・ギルトのニュースは数時間のうちに数百万の日本人に伝えられ、5万2000人が会員登録した。記者会見の模様はその夜と翌朝の5つのニュース番組で取り上げられ、新聞6紙が報じた。

GILT(ギルト)――ITとファッションで世界を変える私たちの起業ストーリー

才能vs努力に真正面から取り組む「非才!」

傑出した成功はどこからくるのか、に取り組んだ力作。取り組んだというより才能を否定し、成功するには、正しい気構えで目的性を持って対象に辛抱強く取り組むこと「のみ」が必要である、と豊富な事例をもとに繰り返し主張しています。

著者自身が卓球の元イギリスチャンピョンであり、その体験から環境や優れたコーチがすべてであり、才能は関係なかったと言います。また、子ども3人をすべて世界チャンピョンに育てた事例なども紹介され、確かに才能よりも努力の方が重要であるというのは確からしさを持っていると思いました。

本書には様々な事例がでてきますが、しかしそれで才能がまったく関係ないのかと言われると、そこまでの説得材料はないというのが本書の感想です。

さらに言えば、ダンカン・ワッツは「偶然の科学」で、成功の予測不可能性の実証を示しており、これによれば、傑出したものが成功するのではなく、成功したからこそより傑出していると世界から捉えられます。努力で成功確率をあげることはできるが、成功するかどうかは時の運に相当部分が左右されます。

と考えていくと、努力のみが成功の必要十分条件だという著者の主張はかなり危ういと思わざるをえません。

しかし、現実には、才能も運もコントロールできないわけなので、正しく努力する他ないわけです。だからこそ自分が好きで寝食忘れて取り組める対象を探すのが大切だと思うし、成功には努力だけでは必要十分でないと分かっていてもやり続けるしかない

アーセン・ベンゲルはこう語っている。「できるかぎりのパフォーマンスをするには、論理的な正当化をはるかにこえる強さで信じることを自分に教えてやらなければならない。この非合理的な楽観能力を欠く一流選手はいない。そして合理的な疑いを心から取り払う能力なしに、最大限の力を発揮できたスポーツマンもいないのだ」。

この言葉は非常に正しいし、そうありたいと思います。

しかし、それではすべてのひとが自らを信じ切って最高のパフォーマンスを発揮して、成功をおさめることができるかといえば、それはあり得ない。成功するには才能も努力も運も必要で、本来あり得ないほどすごいことであり、だからこそ尊い、これが一般的な見方であるし、真実であると思います。

どうも著者は自らが非合理的に信じ、努力し続け、かつ結果を出すことに成功した傑出した卓球プレイヤーであったからこそ、だれでもできると考えて(信じて)しまっているのではないかなと思いました。一流選手としての経験が、眼を曇らせているのではないかと。

全体としてはおもしろい事例もたくさんあり、視点としては非常に勉強になるのですが、個人的にはダンカン・ワッツや「ブラック・スワン」のタレブのような身も蓋もない世界観の方が好きだし、真実を捉えてると思います。

そして、自分としてはその非情な世界の中でもがくことをやっていきたいと思ってます。

<抜粋>
・スポーツの世界は実力主義だと思いたがる人が多いーー成功するのは才能と努力のおかげだと。でも、じつは全然そんなことはない。
・20歳になるまでに、最高のバイオリニストたちは平均一万時間の練習を積んでいた。これは良いバイオリニストたちより2000時間も多く、音楽教師になりたいバイオリニストたちより6000時間も多い。この差は統計的に有意どころか、すさまじいちがいだ。最高の演奏家たちは、最高の演奏家になるための作業に、何千時間もよけいに費やしていたわけだ。 だが、それだけではない。エリクソンはまた、このパターンに例外はないことを発見した。辛抱強い練習なしにエリート集団に入れた生徒は一人もいなかったし、死ぬほど練習してトップ集団に入れなかった生徒もまったくなし。最高の生徒とそのほかの生徒を分かつ要因は、目的性のある練習だけなのだ。
・しばしばそれは、ものの二、三週間ほど、あるいは二、三か月ほど、あまり身を入れずにやってみた結果にもとづいた発言だったりする。科学の示すところでは、傑出性の域に突入するには何千時間もの練習が必要なのだ。
・不思議なことに、トップクラスの意思決定者たちーー医療でも消火活動でも軍指揮官等々でもーーは、予想外の要因にもとづいて意思決定をしているわけではなかった。彼らはそもそも選択などしていないようだった。そのときの状況をちょっと考えて、代替案などいっさい検討せず、パッと決断してしまうのだ。自分がじっさいにおこなった行動をどういう理由でとったのか、説明すらできない人もいた。
・一流スポーツ分野を見てまわって、トレーニング法のはてしないかのように見受けられるトレーニング法の多様さに圧倒されるのは簡単だ。だが一皮むけば、すべての成功しているシステムには一つの共通点があることに気づかされる。目的性訓練の原理を制度化しているのだ。最大の卓球王国である中国にはマルチボール・トレーニングがあるし、もっとも成功しているサッカー王国ブラジルにはフットサルがある。
だが念入りな研究の結果、創造的なイノベーションは一貫したパターンをたどることがわかった。傑出性と同じで、目的性訓練の苦難から生まれるのだ。エキスパートは、自分の選んだ分野にとても長いことひたっているために、創造的なエネルギーが充満するとでも言ったらいいだろうか。べつの言い方をすれば、ひらめきの瞬間は晴天の霹靂ではなく、専門分野に深く没頭したあとに湧きおこった高潮なのだ。
・創造性の10年ルールは人間のあらゆる取り組みにおいて見受けられる。131人の詩人を対象としたカーネギーメロン大学のジョン・ヘイズの研究によると、全体の80パーセントが、もっとも創造的な作品の執筆に取りかかる前に10年以上の持続的な準備を要していた。著名な科学者たちを徹底的に研究したアリゾナ大学の心理学者アン・ローは、科学的創造性とは「勤勉な取り組みによる機能」であると結論づけている。
・やはり創造性のひらめき理論の見本とされることの多い芸術家、ミケランジェロが述べているとおりだ。「これほど熟達するまでにどれほど熱心に取り組まなければならなかったか、人びとが知ったなら、さほどすばらしいとは思ってくれまい」。
・十三世紀には、数学を習得するには30〜40年かかると考えられていた。現在ではほぼすべての学生が解析学を習得している。だが、それは人類がかしこくなかったからではない。数学の手法と教育が洗練されたからだ。
・ジャクソンと同じ誕生日の学生たちの動機水準は少々上がったり、はね上がったりしたどころではない。激増したのだ。誕生日が同じ学生たちは、そうでない学生たちに比べて65パーセントも長く解けない難問に取り組み続けた。
マイケル・ジョーダンがこう言うコマーシャルだ。「9000回以上シュートをミスした。300回くらい負けた。勝利を決めるシュートをまかされて、26回はずした」。 このメッセージに困惑した人は多かったが、ジョーダンーー成長の気がまえの生きた証拠ーーにとっては、深みのある断固とした事実だ。史上最高のバスケットボールプレーヤーになるには、失敗を受け入れなければならない。「精神的なタフさと佑樹は、身体的な強みをはるかにまさる」と、ジョーダン。「ぼくはずっとそう言ってきたし、そう信じてきたよ」。
・ポロティエリーは努力をほめ、けっして才能をほめない。機会があるたび練習がもつ変化の力に賛辞をおくり、プレイが途切れるたびに苦労が肝要であることを説く。そして生徒の失敗を良いとも悪いともみなさず、ただ向上の機会ととらえる。「それでいい」と、フォアハンドを大きめに打ってしまった生徒に彼は言った。「いい方向に向かってる。失敗じゃない。そうやって返すんだ」
・エンロンの戦略には二つの異なる理由から不備があった。一つはマッキンゼーが積極的に推奨したまちがった前提をもとにしていたこと。つまり、才能が知識よりも重要だという発想だ。これはでたらめだ。第一章で見たように、複雑性を特徴とするあらゆる状況ーースポーツだろうとビジネスだろうとなんだろうとーーでは、うまい意思決定を推進してくれるのは、生得的な能力ではなく、豊富な経験でしか構築できない知識なのだ。 だがエンロンの戦略は、さらにたちの悪い欠陥をもっていた。エンロンの中心的哲学は生産性をそこなっただけでなかった。とても特殊な文化をつくりあげることにつながった。個人の発達より才能をたたえる文化。学習は能力をつくり変えられるとする考え方をあざける文化だ。固定した気がまえを推奨し、育て、最終的には定着させた文化である。
・アーセン・ベンゲルはこう語っている。「できるかぎりのパフォーマンスをするには、論理的な正当化をはるかにこえる強さで信じることを自分に教えてやらなければならない。この非合理的な楽観能力を欠く一流選手はいない。そして合理的な疑いを心から取り払う能力なしに、最大限の力を発揮できたスポーツマンもいないのだ」。
・顕在記憶システムから潜在記憶システムへの遷移には、大きな利点が二つある。第一に、熟練者は、複雑なわざを構成する各部分を滑らかな一つのかたまりにまとめあげられる(中略)。これは意識的にやるのは不可能だ。意識が処理しなければならない関連し合った変数が多すぎるからだ。そして第二に、そちらに気を取られずに済むために、技能のより高度な側面、つまり作戦や戦術に集中させてくれる点だ。
・問題は注意が足りないことではなく、注意しすぎることにあった。意識的な監視が潜在的システムの滑らかなはたらきを台なしにしていたのだ。異なる運動反応の順序づけとタイミングが、初心者並みにばらばらになっていた。事実上ふたたび新米になってしまったのだ。
・(外国語を聞く時)聞こえてくるのは支離滅裂で理解できないノイズの洪水で、切れ目も構造もわからない。視力を回復したばかりの人間が顔を見ようと試みるのは、ちょうどこんなものだ。友人を見つめていても、見えるのは混乱ともやだけ。なぜなら、意味のある知覚を生み出すトップダウン知識が欠けているからだ。 ここで重要なのは、知識はたんに知覚を理解するためには使われていないということだ。知識は知覚に組み込まれている。偉大なイギリス人哲学者ピーター・ストローソン卿は語っている。「知覚には概念が浸透しているのだ」
・アリの政治的、文化的な影響はリングのなかで獲得したものではない。リングを超越できたことから獲得されたのだ。彼のこぶしは基盤を提供したが、黒人過激主義を述べることで白人多数派に恐怖を植えつけたことが、20世紀アメリカ史の方向を変えるのに役立ったのだ。(中略)つまるところ、黒人は知的に不足しているというステレオタイプをたたきつぶす力をアリが示したために、世界は震撼したのであり、彼が白人のあごをくだく能力をもっていたためではない。

非才!―あなたの子どもを勝者にする成功の科学

人生のジレンマを考える「イノベーション・オブ・ライフ」

「イノベーションのジレンマ」のクリステンセン教授の最終講義。ビジネスでの豊富な事例からライフ、すなわち人生に対する戦略を考えるという意欲作。それぞれのストーリーは非常におもしろくて、それを人生論に転換する著者の持論も勉強になりました。

ただ、書かれている結論は割りと普通ではあり、かつ人生というのはすべての人にとって違うものなので最終的には自分で判断する他ない。ストーリーはあくまでストーリーと割りきって頭の片隅においておくくらいがちょうどいいなと改めて思いました。

<抜粋>
・戦略は一度限りの分析会議で決定されるようなものではない。たとえば上層部の会議で、その時点で得られる最良のデータや分析をもとに決定されるのではない。むしろそれは持続的で、多様で、無秩序なプロセスなのだ。このプロセスを適切に進めることは、本当に難しい。意図的戦略と新たな創発的機会は、資源をめぐって互いと争うからだ。一方では、成功している戦略があれば、それに意図的に集中して、全員の取り組みを正しい方向に向けなくてはならない。だが反面この集中のせいで、次の大きな潮流になるかもしれないものを、妨げになるとして、却下してしまうおそれがある。
・企業が戦略を立てる方法を見ていてわかるのは、始めのうちは有効な戦略を見つけるのは難しいが、だからと言って成功できないわけではないということだ。むしろ企業が成功できるかどうかは、有効な手法を見つけるまで、試行錯誤を続けられるかにかかっている。
・人生のなかの家族という領域に資源を投資したほうが、長い目で見ればはるかに大きな見返りが得られることを、いつも肝に銘じなくてはならない。仕事をすればたしかに充実感は得られる。だが家族や親しい友人と育む親密な関係が与えてくれる、ゆるぎない幸せに比べれば、何とも色あせて見えるのだ。
・皮肉にもホンダが成功したのは、当初の台所事情があまりにも厳しく、利益モデルが見つかるまでの間、気長に成長を待つほかなかったからだ。もしアメリカ事業により多くの資源を配分する余裕があったなら、たとえ儲かる見こみはなくても、さらに多額の資金をつぎこんで大型バイク戦略を追求していたかもしれない。これは投資という観点から言えば、「悪い金」にあたる。だが実際のホンダには、スーパーカブに注力する以外、ほとんど打つ手がなかった。生き延びるには、小型バイクのもたらす利益がどうしても必要だった。これが、ホンダが最終的にアメリカで大成功を遂げた、一番の理由だ。ホンダはやむを得ない事情から、理論に忠実な方法で投資をするしかなかったのだ。
・リズリーとハートの研究では、子どもたちが学校にあがってからも追跡調査をした。子どもたちに語りかけられた言葉の数は、彼らが生後30ヶ月に聞いた言葉の数とも、成長してからの語彙と読解力の試験の成績とも、強い相関関係があった。
・意外に聞こえるかもしれないが、人間関係に幸せを求めることは、自分を幸せにしてくれそうな人を探すだけではないと、わたしは深く信じている。その逆も同じくらい大切なのだ。つまり幸せを求めることは、幸せにしてあげたいと思える人、自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探すことである。わたしたちを深い愛情に駆り立てるものが、お互いを理解し合い、お互いの用事を片付けようとする努力だとすれば、その献身を不動のものにできるかどうかは、わたしの経験から言えば、伴侶の成功を助け、伴侶を幸せにするために、自分をどれだけ犠牲にできるかにかかっている。
・相手のために一方的に何かを犠牲にすれば、相手との関係を疎ましく感じるようになると思うかもしれない。だがわたしの経験から言うと、その逆だ。相手のために価値あるものを犠牲にすることでこそ、相手への献身が一層深まるのだ。
・企業が生き残るには、企業戦略を支えるものごとを、従業員に優先させなくてはならない。そうでなければ、従業員は企業の基盤をゆるがすような決定を下してしまうことがある。
・優先事項は、子どもが何を最も優先させるかを決定づける。実際、これはわたしたちが子どもに授けられる能力のなかで、最も重要なものかもしれない。
・従業員が選択した方法が、問題解決に役立っているとき(完璧である必要はなく、十分な成果をあげればよい)、文化が醸成される。文化は社内の規則や指針という形をとり、従業員はこれをもとに選択を下すようになる。(中略)このことの何がよいかと言えば、組織が自己管理型になることだ。従業員に規則を守らせるために、管理職が逐一監視する必要はなくなる。全員がなすべきことを直感的に進めていく。
・家族に思いやりが含まれる問題に初めてぶつかったとき、その解決策を選ぶように手助けし、それから思いやりを通じて成功できるよう手を貸してやろう。また子どもが思いやりの選択肢を選ばなかった場合は、そのことをたしなめ、なぜ選ぶべきだったかを説明する。
・わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られるときには、どんなに忙しいときであろうと、またどんな結果が待っていようと、必ず赤いネオンサインが点滅して、注意を即してくれると思っている人が多い(中略)問題は、人生がそんなふうにはできていないことだ。
・「ぼくがほしかったのは……成功だ」と彼はBBCに語っている。彼の動機は金持ちになることではなく、いつまでも成功者と見られたいという願望だった。リーソンは最初の損失がこのイメージをゆるがしたときから、シンガポールの刑務所の独房に直結する道を歩み始めた。
・ほとんどの人が「この一度だけ」なら、自分で決めたルールを破っても許されると、自分に言い聞かせたことがあるだろう。心のなかで、その小さな選択を正当化する。こういった選択は、最初に下したときには、人生を変えてしまうような決定には思われない。限界費用はほぼ必ず低いと決まっている。しかしその小さな決定も積み重なると、ずっと大きな事態に発展し、その結果として、自分が絶対になりたくなかった人間になってしまうことがある。わたしたちは無意識のうちに限界費用だけを考え、自分の行動がもたらす本当のコストが見えなくなってしまうのだ。
・あなたも本書の助言を最大限に活かすには、人生に目的をもたなくてはいけない。