媚びない人生/ジョン・キム

慶応大学准教授キム先生の新作。若いひとに向けてのメッセージになっているのですが、本当に若いひとが大好きなんだろうなぁという愛に満ち溢れていて素晴らしかったです。

そして、メッセージのひとつひとつが非常に深い。もしかしたら若いひとが読んでも「どういうことだろう、これは」と思うところも多いかもしれません。苦しくて、不安を覚えて、もがいているときに、即効性がある対処方法を教えているわけではないから。

でも、僕も同じくもがき苦しんだ一人として、この本に書いてあることは本当だと断言できます。悩みぬいて、自分なりの哲学にたどり着き、懸命に努力した後に、成果と、さらに高みに挑戦していこうという強い動機まで得られます。

だから、少しでもこういった哲学があるということを頭の片隅で覚えておけば、必ずどこかで力になってくれると思います。そして、僕もこの本を読んで覚醒した若いひとに負けないように、改めて夢を目指して行こうと思いました。

本書は献本いただきましたが、掛け値なしに素晴らしい本だと思いますので、若いひとだけでなく、より多くの方に推薦したいです。

<抜粋コメント>
印象的な文章が多かったので、抜粋コメントもつけておきます。

むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。

僕もものすごく漠然とした不安に苛まれました。哲学的な折り合いをつけて行動できるようになったものの、不安が消えることなどないし、それをなんとかしようと日々もがいています。

自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。

が、その姿を見せることに価値は感じません。僕も「自分の内なる力が削がれてしまう」のを恐れています。だから、黙々と自分の道を進む方を好みます。

もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。

周りを見わたしても、負けたのに自分と向き合えないひとは想像以上に多いように思います。そこで徹底的に向き合えるひとと向き合えないひとでその後の成功度合いが大幅に変わってきているのを実感しています。むしろそこで向き合わない場合はそれ以上の成長と成功はありえません。最後には負けたこと、負け続けていることにさえ気づかなくなってしまいます。僕もいつでも向き合えるひとでありたいと思います。

「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。

本当にこういう時期というのはつらい。僕は小さい成功を積み重ねることが重要だと思います。そしてそれを心の糧にしながら、次の成功へ向かっていく。いくら成功しても、不安が消えることはありませんが、それでも少しは自分へ自信を持てるようになっていきます。失敗してもすべてが否定されるわけではないのだから。

<抜粋>
・(結果が出ない時)こういうときは、若さの特権を使えばいいと私は思っている。根拠のない自信を持つことだ。
・むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。
・不安というものは、上昇志向が強ければ強いほど大きくなるものだ。自分でコントロールできないことばかりが目についてしまう。本当は自分の内面をうまくコントロールすれば、そういうものも見えなくなるということにも、なかなか気づくことができない。 ただ、漠然とした不安があったからこそ、私は必死になった。その意味では、不安は成長の原動力にもできると改めて実感している。
もし、一生懸命に努力しているのに結果が出ないと感じたときは、今こそ踏ん張るときだと思うことだ。もうギリギリのところまで来ているということを、自分に言い聞かせながらやっていくことである。
・自己主張をあまりにもし過ぎると、人間に軽さが生まれてしまう。言葉にも重みは出ない。存在としての希少性も薄れる。逆に、希少性や重みを演出するためにも、むしろ普段は静かにしている、というのが私の考え方である。本当に自己主張をしたときに、まわりが聞き耳を持つために、むやみな自己主張をしないのである。 だからこそ、重要になってくるのが、自分は何を主張したいか、という優先順位をしっかり考えておくことだ。これを考えていないと、あれやこれやと主張してしまうことになりかねない。実際のところ、どうでもいいことを主張する人たちが、あまりにも多い。
・話したいことがはっきりしていないときには、人間は沈黙すべきである。
・自分は明らかに未熟なのだ。自分が思うような仕事がもらえるほど、成熟していないのである。それを認めなければならない。そして未熟だからこそ、未熟なりにできることを最大限するのだ。
・自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。
苦労話を好む人の多くは、結果を伴わない人たちである。自分は努力をしたが、不可抗力の要素が発生して結果を出せなかった、という言い訳のために苦労話は存在している。しかし、苦労話をしない、という決意のある人は、結果だけで勝負する。だからこそ、努力の濃度が変わる。退路を断っているので、結果に対してストイックになる。必ず成功するようにマネジメントもする。目標に向かう際の気概がまったく違うのだ。
・もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。
・成功にたどりついた人は、まわりから見れば一直線で進んで行ったように見える。ところが、微妙な軌道修正を無数に繰り返して進んでいるのだ。そしてこの軌道修正のサイクルの頻度と精度こそが、実は大きな結果の違いを生むと私は考えている。
・良いタイミングで潔くやめること。スマートに、戦略的にやめること。人生を自分のものにするにはこれは極めて重要だが、これを実践することは案外難しい。日本のような社会では、途中でやめることは良くないとされている。学校でもそう教わるのだが、私はそれは陰謀だと思う。誰の陰謀かというと、途中で辞められては困る組織(学校とか会社とか)の陰謀なのだ。
・「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。
・学生たちに伝えたい。皆に好かれる必要などないということを。嫌われても自分らしい表情をし、自分で考えた言葉を発することを心がけることこそが重要であると。そもそもまわりは自分が思うほど、自分のことを気にしてはくれないものだ。自分の人生のすべての権限と責任は自分自身にあることを認識し、どんな状況でも自分を貫くことを忘れないでほしい。 そしてもうひとつが、そうやってもがいている自分は正しい、ということである。それこそが、何よりの正解だ、と。自身が自分の成長に対して、一番真摯にできることは、自分の未熟さ、あるいは自分にできていないことと向き合うことだからである。だから、君の涙というのは、自分と、自分の人生と真剣に向き合っている証拠だ。そういう自分を褒めてやりなさい。誇りを持ち、称えてやりなさい、と。

(日本人)/橘玲

橘玲氏による「日本人」というものに対して、様々な出典を元に、新しい考察を加えていく良書。

著者の幅広い知識に圧倒されながらも、知的好奇心を刺激されてものすごくおもしろいです。非常に斬新なアイデアがたくさん書かれていますが、個人的にはかなり賛同できるものが多いです。

恐らく僕がリバタリアンだからだと思いますが、個人的には今後はなるべく早くリバタリアンになった方が楽に生きられる世の中になると思います。

本書では、そこまでいかなくとも昔から一貫して日本人が非常に世俗的な性質を持っていることも明らかにしています。

読みやすいですし、自分のルーツを知る上でも一読するとよいと思います。

<抜粋>
・「交易によってすべての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。
・(マッカーサーの)昭和天皇との会見が報じられてから、GHQ宛に「拝啓マッカーサー元帥様」と書き出された手紙が続々と送られてきて、その数はなんと50万通にも達した。(中略)その内容は「世界の主様」「吾等の偉大なる解放者」とマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものが大半だった。
・戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。(中略)戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。 しかしその結果は、あまりにも悲惨なものだった。大東亜戦争(日中戦争から太平洋戦争まで)の日本人の死者は300万人に達し、広島と長崎に原爆を落とされ、日本じゅうの都市が焼け野原になってしまった。 これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。(中略)日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。
・最澄や空海など平安初期の留学僧は、そもそも中国語(シナ語)をまったく話せなかったという。(中略)翻訳者(僧侶)たちは、漢語を原文のまま訳すのではなく、自分たちの都合のいいように(すなわち民衆にわかりやすいように)意訳することを当然と考えていた。これはそもそも漢文に文法がないためで、分の区切りや返り点の位置を変えるだけで正反対の意味にしてしまうことも可能だったからだ。
・貧しい国に独裁国家が多いのは、ゆたかな国々の政府や国民が、貧しいひとたちが国境を超えて流入してこないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。
・ユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族のためだけの神でもある。それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルな神のままだ。 この矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教がはじめて誕生した。
・グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない
・日本企業の終身雇用・年功序列の人事制度は、年齢と性別によって社員を選別する仕組みだ。この“差別的な”雇用慣行は日本というローカル空間のなかでなら維持できるかもしれないが、起業が海外に進出したり、外国人の社員を雇用するようになるとたちまち矛盾が露呈する。「なぜ日本人の社員と待遇がちがうのか」という外国人社員からの道徳的な問いに、こたえることができないからだ。
・アメリカ社会では、すべての制度が(理念的には)グローバルスタンダードでつくられている。それが世界に広がっていくのは、アメリカの陰謀ではなく、世界のグローバル化の必然的な結果なのだ。
・「中華」は中国が世界の中心だという思想で、その価値観が周辺国へグローバルに拡張していくことはない。
・このように考えれば、人類がいまだにリベラルデモクラシーに変わる普遍的な価値観を持っていないことは明らかだ。今世紀が「中国の時代」になるとするならば、それは中国が共産党の一党独裁からリベラルデモクラシーの国に変わることが前提となるだろう。
・東京電力は原発事故に対する“無限の”責任を負っているにもかかわらず、その法律上の所有者である株主も、応分の負担をすべき債権者も“有限”の責任すら「免責」されている。
・福祉や援助に携わるひとたちは、グラミン銀行のデフォルト率が低いのは、借金を返さないと地域社会での借り手の面目がつぶれるからだと暗に批判した。 しかしユヌスは、こうした見方に反論し、マイクロクレジットがなぜ機能するのかを明快に説明する。 貧しいひとたちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ。
・原子力損害賠償法は、事業会社に原発事故に対する「無限責任」を負わせている。だが近代的責任とは有限責任のことなのだから、この法律はそもそも近代の理念に反している。
・ブキャナンは、「民主政国家は債務の膨張を止めることができない」という論理的な帰結を導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡張するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。
・アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特別法は一般法に優先する」といった概念のもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせずに法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。
・ネオリベは経済学者など知的エリートの思想で、大衆からは忌諱されるのがふつうだ。しかし、橋下思想は、自らの生い立ちによって、どのような言動も「上から目線」にならない。「真面目に努力する貧しいひとたちを全力で支えたい」という言葉にウソはなく、社会的弱者のなかにも熱狂的な支持者が多い。
・加えて日本には、こうした「超個人主義」を受け入れられやすい土壌がある。これは、もちろん、日本人が地縁や血縁を捨て去った世俗的な国民で、「自分のことは自分でやる」のが当然だと考えているからだ。(中略)日本人はもともと、ネオリベ的な個人主義にきわめて親和性が高い国民だ。小泉と橋下という、この10年で圧倒的な人気を博した政治家が共通の匂いを発しているのはけっして偶然ではない。
・リバタリアンから見れば、ネオリベは不徹底な自由主義だ。なぜならそれは、国家を前提にしてはじめて成立する思想だからだ。
・ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うことが得になるような設計をしたことなる。(中略)正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを“道徳的に”振る舞わせることができるのだ。
・超越者のいない日本は、「私の価値は最大限に実現されるべきだ」という社会でもある。 『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。“クール・ジャパン”は、後期近代の普遍性に真っ先に到達したからこそ、世界じゅうの若者たちを虜にするのだ。

学費支援プラットフォーム「studygift」をムーブメントにするために

家入さんが率いるLivertyがリリースした学費支援プラットフォーム「studygift(スタディ・ギフト)」が賛否両論で波紋を呼んでいます。

まず僕の立場を明らかにしておくとLivertyには世界一周中にグループ追加されていたものの特に何かにコミットしているわけではなく、今のところ先日リリース時に行われた初顔合わせ「超会議」に参加したのが唯一です。

正直、studygiftは確かに荒削りな部分はあったと思います。しかし、その反応においてはネガティブなものも多く、第一弾の対象となった坂口さんや主催である家入さんへの誹謗中傷まで頻発しています。

しかし、一方で現時点で191人もの方が賛同し、95万円以上が集まり、当初目標の87万強を超えて資金調達に成功しています。さらに、大口の10万円支援も20社も問い合わせがあるそうです。

なぜこの新しい試みにこれだけの賛否両論な意見が集中しているのでしょうか?

それは、この試みが「新しい試み」であるからに他なりません。今までの常識に逆らい、世界を変えようとしている確かな証拠です。

新しい試みは有望であればあるほど、批判を超えた誹謗中傷がつきものです。そしてそういった声は大きく聞こえ、主催者の心を蝕みます。

だからこそ、僕はこの試みを僕なりのやり方で全面的に支援したいと思います。Livertyの中のひとは若いひとが多いから、戸惑っているひともいると思います。でも、もっと自分に胸を張っていいと心から言いたい。

すでに、200人近く支援してくれている人々がいて、ということは、その何倍もの賛同してくれている人々がいると言うことであり、このムーブメントが広がっていく可能性は高くなっています。

ほとんどの試み(ベンチャー含め)が議論も呼ばず、賛同者を(批判者も)集められないことを考えれば、まず最初の難関をクリアしています。批判には、誠心誠意対応していく必要がありますが、それに挫ける必要まったくありません。

ここからstudygiftをいかに大きなムーブメントにしていくか、については、「バイラル・マーケティング」などで有名なセス・ゴーディンはTEDのスピーチ「我々がリードする部族」が役に立つと思うので、ご紹介します。

<セス・ゴーディン「我々がリードする部族」>
※日本語字幕付き動画、約17分半です

セス・ゴーディンの第一の質問は「あなたは、正確にはだれの心を乱してますか?」。誰かの心を乱していないなら、あなたは現状を変えていない、と言います。ここはすでにクリアしているでしょう。

続く、第二の質問は「あなたは誰と繋がっていますか?」です。賛同してくれているひとは誰か、と。その人々はその想いをシェアしたがっています。彼らを繋げることが二番目に必要なことです。

第三の質問は「あなたは誰をリードしていますか?」。そしてその人々のさらに先導部分にフォーカスをして、リードします。それにより、その人々がまず変わり、次にリーダーとなって、その周りの人々を変えてきます。

そして、すべてが変わるのです。

P.S.Livertyそのものや、事前にリリースされた「うつっぽ」などにも批判的な意見もありますが、これらも同様に世の中を変えていくことができると信じています。

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小さく賭けろ!―世界を変えた人と組織の成功の秘密/ピーター・シムズ

大きな成功をするためには小さく賭けることを繰り返すことが有効である、ということを様々な実験結果やストーリーから導き出しています。これは直感的には、自明なことのように思いますが、一方で実践するのは非常に難しいです。

だから、本書にあるようなストーリーを見ていくことで、小さな失敗を恐れないようにしたり、点と点を繋ぐことを意識したり、運のいいひとの行動様式を真似ることができればよいと思います。

改めて、いろいろと種を蒔いて、小さく賭けて行こうと思いました。

<抜粋>
・固定的なマインドセットを取りがちな人々の場合、知能や才能は生まれながら決まっている、いわば石に刻まれたようなものだと信じる傾向がある。こういう人々は自分の能力をどうしても繰り返し見せつけなければ収まらない。彼らにとって失敗は、自らの重要性、アイデンティティーを脅かすものに映る。(中略)逆に、成長志向のマインドセットの人々は、知性や能力は努力することによって伸びると信じ、失敗や挫折を成長のための機会と考える。彼らは常に新たな挑戦によって自らの限界を広げていこうとする。
・(ジョブズ)「創造とはものごとをつなぎ合わせることだけ。何かを成し遂げた創造的な人に、どうやったのかを尋ねると、彼らは少し後ろめたさを感じる。なぜなら、実際何かをしたわけではなく、何かを見ただけだからだ。しばらくすると、彼らにはそれが当然に思えてくる。それは、彼らが自分の経験をつなぎ合わせ、新しいものへと合成する能力を持っているからだ。そして、それができる理由は、彼らが人よりも多くの経験をしているか、自分たちの経験について人よりも多く考えているからだ。残念ながら誰もが持てる才能ではない。われわれの業界にいる者の多くが、あまり幅広い経験をしていない。だから彼らはつなぎ合わせるべき『点』を十分に持っていないために、答えがきわめて直線的になり、問題を大局的な視点で見ることができない」
・「4歳児を見ていると、彼らは常に質問し、ものごとの仕組みを知りたがっている」 とグレガーゼンは言う。 「しかし、6歳半を過ぎると質問をしなくなる。それは、面倒な質問より正しい答えのほうが、先生に高く評価されることを素早く学びとるからだ」
・運のいい人のほうが運の悪い人よりも、自分の周囲で起きていることに注意を向けていることだ。(中略)運のいい人たちは、自然にやってくるチャンス(あるいは知識)を受け入れやすく、一方、運の悪い人たちは、「習慣の生き物」であり、決められた結末に固着されている。
・運のいい人達は、多くの人たちと交流することで偶然の出会いや体験の確率を高めている。「外向性」が機会と知識という報酬を払っていることを、ワイズマンは発見した。そしてそれは完璧に理にかなっている。偶然の出会いは数のゲームなのだ。自分の参照空間中にいる人や視点が多ければ多いほど、優れた知識と機会が結合する可能性が高くなる。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか/増田俊也

ひさしぶりに超弩級のドキュメンタリーを読みました。

戦前から戦後にかけて、木村政彦という史上最強の柔道家がいました。しかし、木村はプロレスに力道山に敗れて世間から忘れ去られ、その屈辱を一生背負うことになります。

なぜ木村が史上最強と言われているのか。なぜ力道山に敗れたのか。戦前と戦後の柔道の違い(戦前の柔道では打撃は当たり前にあった)。戦前の柔道が、木村がブラジルで破ったエリオ・グレイシーからグレイシー柔術となって日本に再上陸するまでの経緯。などなど、柔道やプロレス、総合格闘技に対する見方が一変する骨太ドキュメンタリーです。

二段組で文量は相当に多いのですが、それだけの価値があります。こういう本に出会うと本当に幸せだなぁと思います。

<抜粋>
・嘉納がイメージしていた柔道は、まさに現在の総合格闘技を柔道衣を着てやるものだった。まず離れた間合いから殴ったり蹴ったりという当て身で攻め、あるいは相手の当て身を捌いて相手を捕まえ、それから投げ、そして寝技に行くのが嘉納の理想とする柔道だった。街中での実戦、つまり護身性の高いものを求めていたのである。
・いまオリンピックスポーツとして世界中で行われている柔道とは、すなわち明治十五年(1882)に嘉納治五郎が開いた講道館という名の新興柔術流派のひとつの町道場にすぎない。
・講道館は巨大化するうちに、組織として歴史に勝ったのだ。活字としてさまざまなものを残すうち、歴史に勝ったのだ。
・モミジの巨木への打ち込み。(中略)打ちこむたびに予想以上の痛みが脳天まで突き抜け、百回でその場にへたり込んだ。次の日は二百回、さらに次の日は三百回と増やしていき、最終的には一本背負いを千回と釣り込み腰を千回、合わせて二千回の打ち込みを毎日やるようになった。 そのうちに幹に巻いてあった座布団も外した。打ち込むたびにガツンッという音が響き、樹上の小枝が騒ぐ。あまりの衝撃で木村は失神し、その場で朝まで目覚めなかったこともある。
・戦前の柔道界は、講道館柔道、武徳会の柔道、高専柔道の三つの勢力が、今われわれが考えるよりも小差でしのぎを削っていた。
・講道館柔道の感覚からいえば、上の者が絶対的に有利である。だから相手を投げて上から攻めたいのだ。しかし、本当に上からの者だけが有利ならば、講道館はルールを変えてまで高専柔道の下からの寝技の封じ込めをはかる必要はなかったはずである。下からの寝技に対抗できなかったからこそ引き込みを禁止したのだ。
・木村の稽古は毎日九時間以上という信じられないものになっていく。この伝説の九時間の練習量を「それは座禅やウェイトトレーニングなどの時間も入れているのではないか」と思っている者が多いと思う。 だが違うのだ。 木村は乱取り(スパーリング)だけで毎日百本はこなした。一本五分としても、これだけで九時間近くになる。ウェイトトレーニングなども含めると十三時間から十四時間はこなしていることになる。
・(ボクシングで負けて)すぐに黒人ボクサーに週に二回のボクシング指導を頼んだ。 こういうところが木村の凄いところだ。普通、ひとつの格闘技で頂点に立った人間が頭を下げてこんなことはできない。しかも木村の場合、トップ中のトップなのだ。
・講道館=全柔連がGHQにその場を取り繕うような形で「柔道は武道ではなくスポーツである」と断言してまで柔道を復活させた経緯を検証・総括できていないことが、実に六十年たった今でも柔道界を混乱させているのだ。
・嘉納先生が仰ったことを紐解いてみると、ほとんど柔道を総合格闘技のように捉えているんです。『ボクサーを連れてきて実践的な訓練をしなくてはいけない』と言ってみたり、実際、空手が沖縄から日本本土に紹介された時、嘉納先生はかなり音頭をとられた。
・(木村と組み合ったことのある遠藤幸吉氏)「巨大な岩です。岩と組み合ってるみたいなもんなんだからまったく動きませんよ。柔道では相手を崩してから技をかけろっていうでしょう。でも動かないんだから。一センチも動かないんだから。どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられないでしょう」(中略)「遠藤さんは戦後の柔道家をたくさん見てこられた歴史の生き証人だと思うんですが、木村先生と、その後の日本の一流選手、それから外国人のヘーシングとかルスカとか、そういった人とやったらどうなると思われますか」 「お話にならない」 「そんなに違いますか……」 「違う」
・(ブラジルにて戦後)日系人二十五万人は、日本の敗戦を絶対に信じない者たちと負けた事実を受け入れて屈辱に耐える者たちに、真っ二つに別れてしまった。(中略)そのうち、勝ち組が負け組に対して天誅と称した攻撃を加えるようになり、三月には溝辺幾太バストス産業組合専務理事を暗殺する。 すぐに血で血を洗う報復合戦が始まった。
・戦後、「軍国主義的である」としてGHQによって大日本武徳会が潰され、さらに学校柔道が禁止されるにいたり、焦った講道館が「柔道は武道ではなくスポーツである」として復活させたのはいいが、柔道がもともと持っていた実戦性も忘れ去られていった。(中略)しかし、ここブラジルの地には遠く離れた本国日本の柔道の変質はいまだ伝わらず、武道としての実践的な柔道が、伝わったときのままの形で化石のように残されていった。それがグレイシー柔術である。
・九十五歳まで生きて大往生を遂げたエリオは、最晩年にこう言っている。 「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」