橘玲氏による「日本人」というものに対して、様々な出典を元に、新しい考察を加えていく良書。
著者の幅広い知識に圧倒されながらも、知的好奇心を刺激されてものすごくおもしろいです。非常に斬新なアイデアがたくさん書かれていますが、個人的にはかなり賛同できるものが多いです。
恐らく僕がリバタリアンだからだと思いますが、個人的には今後はなるべく早くリバタリアンになった方が楽に生きられる世の中になると思います。
本書では、そこまでいかなくとも昔から一貫して日本人が非常に世俗的な性質を持っていることも明らかにしています。
読みやすいですし、自分のルーツを知る上でも一読するとよいと思います。
<抜粋>
・「交易によってすべての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。
・(マッカーサーの)昭和天皇との会見が報じられてから、GHQ宛に「拝啓マッカーサー元帥様」と書き出された手紙が続々と送られてきて、その数はなんと50万通にも達した。(中略)その内容は「世界の主様」「吾等の偉大なる解放者」とマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものが大半だった。
・戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。(中略)戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。 しかしその結果は、あまりにも悲惨なものだった。大東亜戦争(日中戦争から太平洋戦争まで)の日本人の死者は300万人に達し、広島と長崎に原爆を落とされ、日本じゅうの都市が焼け野原になってしまった。 これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。(中略)日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。
・最澄や空海など平安初期の留学僧は、そもそも中国語(シナ語)をまったく話せなかったという。(中略)翻訳者(僧侶)たちは、漢語を原文のまま訳すのではなく、自分たちの都合のいいように(すなわち民衆にわかりやすいように)意訳することを当然と考えていた。これはそもそも漢文に文法がないためで、分の区切りや返り点の位置を変えるだけで正反対の意味にしてしまうことも可能だったからだ。
・貧しい国に独裁国家が多いのは、ゆたかな国々の政府や国民が、貧しいひとたちが国境を超えて流入してこないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。
・ユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族のためだけの神でもある。それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルな神のままだ。 この矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教がはじめて誕生した。
・グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない
・日本企業の終身雇用・年功序列の人事制度は、年齢と性別によって社員を選別する仕組みだ。この“差別的な”雇用慣行は日本というローカル空間のなかでなら維持できるかもしれないが、起業が海外に進出したり、外国人の社員を雇用するようになるとたちまち矛盾が露呈する。「なぜ日本人の社員と待遇がちがうのか」という外国人社員からの道徳的な問いに、こたえることができないからだ。
・アメリカ社会では、すべての制度が(理念的には)グローバルスタンダードでつくられている。それが世界に広がっていくのは、アメリカの陰謀ではなく、世界のグローバル化の必然的な結果なのだ。
・「中華」は中国が世界の中心だという思想で、その価値観が周辺国へグローバルに拡張していくことはない。
・このように考えれば、人類がいまだにリベラルデモクラシーに変わる普遍的な価値観を持っていないことは明らかだ。今世紀が「中国の時代」になるとするならば、それは中国が共産党の一党独裁からリベラルデモクラシーの国に変わることが前提となるだろう。
・東京電力は原発事故に対する“無限の”責任を負っているにもかかわらず、その法律上の所有者である株主も、応分の負担をすべき債権者も“有限”の責任すら「免責」されている。
・福祉や援助に携わるひとたちは、グラミン銀行のデフォルト率が低いのは、借金を返さないと地域社会での借り手の面目がつぶれるからだと暗に批判した。 しかしユヌスは、こうした見方に反論し、マイクロクレジットがなぜ機能するのかを明快に説明する。 貧しいひとたちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ。
・原子力損害賠償法は、事業会社に原発事故に対する「無限責任」を負わせている。だが近代的責任とは有限責任のことなのだから、この法律はそもそも近代の理念に反している。
・ブキャナンは、「民主政国家は債務の膨張を止めることができない」という論理的な帰結を導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡張するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。
・アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特別法は一般法に優先する」といった概念のもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせずに法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。
・ネオリベは経済学者など知的エリートの思想で、大衆からは忌諱されるのがふつうだ。しかし、橋下思想は、自らの生い立ちによって、どのような言動も「上から目線」にならない。「真面目に努力する貧しいひとたちを全力で支えたい」という言葉にウソはなく、社会的弱者のなかにも熱狂的な支持者が多い。
・加えて日本には、こうした「超個人主義」を受け入れられやすい土壌がある。これは、もちろん、日本人が地縁や血縁を捨て去った世俗的な国民で、「自分のことは自分でやる」のが当然だと考えているからだ。(中略)日本人はもともと、ネオリベ的な個人主義にきわめて親和性が高い国民だ。小泉と橋下という、この10年で圧倒的な人気を博した政治家が共通の匂いを発しているのはけっして偶然ではない。
・リバタリアンから見れば、ネオリベは不徹底な自由主義だ。なぜならそれは、国家を前提にしてはじめて成立する思想だからだ。
・ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うことが得になるような設計をしたことなる。(中略)正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを“道徳的に”振る舞わせることができるのだ。
・超越者のいない日本は、「私の価値は最大限に実現されるべきだ」という社会でもある。 『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。“クール・ジャパン”は、後期近代の普遍性に真っ先に到達したからこそ、世界じゅうの若者たちを虜にするのだ。