今後の参考になる「お金の流れでわかる世界の歴史」

「徴税がうまくいっている間は富み栄えるが、やがて役人たちが腐敗していくと国家財政が傾く」とまで言い切る元国税調査官が世界の歴史をお金の流れ、特に税金から解説している。かなり幅広いトピックを取り上げながらも、軽いわけではなく本質的な部分をうまく解説しており、勉強になりました。

またひとというのは常にお金に振り回されてきたのだなぁと思ったのと、今の半分くらいという税率はやはり異常だなと。シンガポールなんかが極めて低い税率でもやれていけてるわけなので、大国家ができない理由もなさそう。そのうち落ち着いていくのでしょうね、何十年かかかるか分かりませんが。

<抜粋>
・本書では、世界史上の様々な国が富み栄え、やがて衰えていく様子を経済面から見ていくのだが、国の栄枯盛衰には一定のパターンがある。徴税がうまくいっている間は富み栄えるが、やがて役人たちが腐敗していくと国家財政が傾く。それを立て直すために重税を課し、領民の不満が渦巻くようになる。
・ローマは、征服した土地を一旦、ローマの領土に組み込み、被征服地住民たちに貸し出すという形で、税が課せられた。ローマには各地から税として、貴金属や収穫物などが集まり、それだけで国を維持できるようになったのである。  中でも、スペインから送られてくる金、銀は、ローマの国庫を潤した。紀元前206年から紀元前197年までの10年間だけで、金約1・8トン、銀約60トンがスペインからローマに献納されたのだ。このスペインの金銀のおかげで、ローマは貨幣制度を整えることができた。
重い鉄銭は持ち歩くのが大変であり、高額取引には不便でもあった。  そのうち鉄銭を預かる「交子舗」という金融業者が現れた。 「交子舗」というのは、鉄銭を客から預かり、預かり証を発行するのである。客はその預かり証を「交子舗」に持っていけば、いつでも鉄銭を受け取ることができる。
・イスラム帝国は、占領地から撤退するときには、税の還付まで行っている。  636年、イスラム帝国はパレスチナをほぼ占領し、ユダヤ教徒、キリスト教徒から人頭税を徴収していた。が、ローマ帝国がこの地を奪還するために大軍を派遣し、イスラム帝国軍は撤退を余儀なくされた。その際、イスラム帝国軍は、パレスチナの領民に対し、「わが軍は、諸君の安全に責任を持てなくなったので、保護の代償である人頭税を還付する」として、すでに納められた人頭税の全額が還付されたのである。  当然、この地のユダヤ教徒、キリスト教徒は感激し、攻め込んでくる旧主君のローマ軍に敵意を抱いた。  イスラム帝国が急激に勢力を伸ばした背景には、こういう温かい税務行政があるのだ。
・西欧諸国が危険を顧みず、大航海に乗り出したのは、地中海をオスマン・トルコに支配されているため、オスマン・トルコを避けて、アジアと交易できるルートを開拓しようとしたのが、そもそもの始まりなのである。
・アメリカに渡ったスペイン人たちは、「キリスト教布教」を隠れ蓑にして、収奪と殺戮を繰り返した。ポトシ銀山の開発でも、多くのインディオたちが奴隷労働を強いられたのである。  その結果、1492年からの200年間で、インディオの人口の90%が死滅したという。
・マグナカルタというのは、1215年、時のイギリス国王ジョン王が、国民に対して、「国王が勝手に税金を決めてはならない」「国民は法によらずして罰せられたり、財産を侵されたりしてはならない」というような約束をしたものである。  ジョン王というのは、戦争好きな王で、フランスとたびたび戦争をし、しかも負けてばかりいた。それで、度重なる戦費徴収に業を煮やしたイギリスの市民や貴族たちが、国王に廃位を求めた。ジョン王は、それに対して「もう二度と勝手な税徴収はしません」と国民に約束したというわけである。
・これを機に、ヘンリー8世は、イギリス国教会をローマ教会から離脱させた。そして、1534年、「国王至上法」により自分がイギリス国教会の最高位者であると宣言した。  これにより、ヘンリー8世はイギリスのキリスト教会の財産をすべて手中にすることができた。「十分の一税」も、自分の金庫に納めさせるようにしたのだ。
・16世紀半ば、イギリス海峡には約400隻の海賊船が横行していたという。その海賊船は、イギリス人だけではなく、フランス人のものも多数あった。またスペインも、ユダヤ人の商船などを襲い、積み荷の略奪を頻繁に行っていた。  イギリスの場合、それを国家プロジェクトとして行ったということなのである。
・ナポレオンは軍事的には天才だと言われているが、財政面ではまったくの素人だったのだ。
・蒸気船「シャーロット・ダンダス」は、フォース・クライド運河において「逆風」の中を70トンの荷船2隻を曳いて、19・5マイル運航した。帆船では逆風の中で真っすぐ進行することはできないので、船の歴史における快挙だったといえる。「シャーロット・ダンダス」は3~4カ月の間、故障もせずに荷船の曳船として活躍したという。しかしその後、運河会社や船頭たちの抗議で、運航を中止させられた。いつの世も、新しいものに対する風当たりは強いのだ。
・1692年、イギリスで国債に関する法律が制定された。  厳密な意味での「国債」は、これが最初だとされている。  これまでも、国王が借金をすることは多々あったが、国債という正式な債券を発行したのは、これが世界で初めてだったのだ。  そして、その2年後、イングランド銀行が設立された。  イングランド銀行というのは、イギリスの中央銀行である。イギリスの国債を引き受ける代わりに、通貨発行権を得るという仕組みになっていた。具体的に言えば、政府は8%の利率で国債を発行し、イングランド銀行がそれを引き受ける。イングランド銀行は通貨を発行し、それを民間業者に貸し付けるのだ。
・19世紀のアメリカ大陸には、植民地経営に行き詰まっていた地域がたくさんあった。  アメリカはそれらを片っ端から買い漁ったわけである。  1803年、独立から20年後、アメリカはフランスからルイジアナを購入した。214万平方キロメートル、1500万ドルである。これで、アメリカの面積は約2倍になったのである。  そして1819年には、スペインからフロリダを購入した。
・このようなロスチャイルド家の犠牲について、陰謀論者が言及することはない。もし、このような犠牲を払うことをも想定した巨大な陰謀を彼らが企んでいたというのなら、筆者は抗弁するすべを持たないが。
・ドイツは、ヨーロッパの中では「後れてきた列強」という存在だった。  19世紀後半までドイツは、いくつかの州に分かれていたので、国家的な規模での発展は後れていた。ドイツの中の一つプロイセンが、普仏戦争でフランスを破り、ドイツの中心的地位を確立、1871年にようやく統一されたのだ。  日本の明治維新が1868年なので、ドイツと日本はほぼ同じころに統一国家として国際デビューしていることになる。  そして1888年に即位したヴィルヘルム2世が、帝国主義を積極的に推進し、ドイツはアメリカとともに、世界の工業生産をリードしていくことになる。  1870年の時点で、世界の工業生産のシェアは、イギリス32%に対しドイツ13%だった。しかし1910年にはイギリス15%に対してドイツは16%と逆転している。フランスにいたっては、6%に過ぎない。  ドイツは第一次大戦前から、ヨーロッパ大陸で最大の工業国になっていたのだ。
・イギリスは実は石炭によって栄えていた国である。イギリスは世界有数の石炭産出国であり、17世紀後半には世界の石炭産出量の85%を占めていたこともある。  南ウェールズ産の石炭は、燃えてもあまり煙が出ない「無煙炭」と呼ばれ、軍艦には欠かせない燃料だった。そのため、世界中の国がイギリスから石炭を購入していたのだ。石炭はイギリスに多くの富をもたらすとともに、戦争の際には戦略物資として重要な外交カードにもなった。  しかしその座が石油に取って代わられたために、大英帝国も、国際的地位が低下することになるのだ。
・前述したようにドイツは、第一次大戦の敗戦で、国土の13・5%、人口の10%を失った。植民地もすべて委任統治という名目で連合国諸国に分捕られた。  もちろん、植民地の没収、国土の割譲は、ドイツの国力を大きく削ぐことになった。しかも、多額の賠償金を課せられたのである。  ドイツとしては、賠償金を払わなければならないのなら、植民地と、旧国土を返してほしいという気持ちがずっとあったのだ。
このミュンヘン会議で、ヒトラーが「これ以上の領土は求めない」という確約をし、英仏はズデーテン地方のドイツ割譲を認めた。  このとき、世界中の人々が、「世界大戦が回避された」として歓喜した。英仏の代表や、ヒトラーは「世界に平和をもたらした」として、賞賛されたのだ。イギリス代表のチェンバレン首相などは、帰国したときには凱旋将軍のようにイギリス国民に迎えられた。  このとき、なぜヒトラーが賞賛されたかというと、ドイツの周辺には、まだ回復していない旧領土や、ドイツ系住民が居住する地域が多々あったからだ。「ヒトラーはそれを放棄した」として、世界中から評価されたのである。  そして、ヒトラーがノーベル平和賞候補に挙がったのも、これが主な理由なのだ。
・東アジア全体を日本が支配することになれば、アメリカは大きな市場、資源を失ってしまうことになる。また日本が、東アジア全体を支配することで石油などの重要な資源を獲得すれば、アメリカへの依存度が弱まってしまう。そうなれば、日本はアメリカの言うことをまったく聞かなくなるだろう。
戦争というものは、単にどちらが降伏したかで勝敗を問えるものではない。どちらが多くのものを得たかを分析する必要がある。
そもそも、東南アジア地域が、簡単に日本軍の手に落ちたのは、欧米諸国の植民地政策に対する現地の反発があったからなのだ。  第二次大戦後、東南アジアの各地で、独立戦争の火の手があがる。
・第二次世界大戦というのは、日独英米のいずれの国も、多くのものを失った戦いである。「自由主義対全体主義の戦い」ではなく、「帝国主義経済崩壊への戦い」だったのだ。  が、この戦争で多くのものを得た勢力があった。  それは、ソ連を中心とした共産主義勢力である。
(注:共産主義について)必要だと思った仕事も、事前に、計画と予算を組んでいなければ、実行に移すことはできない。また不必要だと思われる仕事でも、計画が組んであれば、必ず実行しなければならない。現場の創意工夫がまったく反映されないシステムなのである。