納得のできる答え「超一流になるのは才能か努力か? 」

大抵のことは努力次第でなんとかなるというのを様々な研究結果から分かりやすく書いてあるのですが、なるほどと思う部分が多く、極めて勉強になる作品です。

数字を覚える研究、空軍のドッグファイト、バイオリン(グラッドウェルの有名な1万時間の話)や水泳の話、医療における習熟度の話、チェスなど、かなり具体的な話が多くストーリーとしても非常におもしろいです。

自らのコンフォート・ゾーンから飛び出すというのは、それまでできなかったことに挑戦するという意味だ。新しい挑戦で比較的簡単に結果が出ることもあり、その場合は努力を続けるだろう。しかしまったく歯が立たない、いつかできるようになるとも思えないこともあるだろう。そうした壁を乗り越える方法を見つけることが、実は目的のある練習の重要なポイントの一つなのだ。

結局のところ、コンフォート・ゾーンの外側で努力し続けることが重要なわけですが、これは本当に見に包まれる話で、自分自身も惰性になっている部分もあるなと多い、もっと海外に出るなど(プライベートにおいては水泳にコーチつけるなど)しないと反省しました。

<抜粋>
・『ニューヨーク・タイムズ』で音楽批評を担当するアンソニー・トマシーニは、コルトーの時代と比べて音楽能力の水準は大幅に向上したため、今日コルトーが生きていたらおそらくジュリアード音楽院にも入学を許されないだろうと述べている(3)。
・目的のある練習で一番大切なのは、長期的な目標を達成するためにたくさんの小さなステップを積み重ねていくことである。
自らのコンフォート・ゾーンから飛び出すというのは、それまでできなかったことに挑戦するという意味だ。新しい挑戦で比較的簡単に結果が出ることもあり、その場合は努力を続けるだろう。しかしまったく歯が立たない、いつかできるようになるとも思えないこともあるだろう。そうした壁を乗り越える方法を見つけることが、実は目的のある練習の重要なポイントの一つなのだ。
・前章の最後に「限界的練習によって具体的に脳の何が変わるのか」という質問を挙げたが、その答えの一番重要な部分がこれだ。エキスパートと凡人を隔てる最大の要素は、エキスパートは長年にわたる練習によって脳の神経回路が変わり、きわめて精緻な心的イメージが形成されていることで、ずば抜けた記憶、パターン認識、問題解決などそれぞれの専門分野で圧倒的技能を発揮するのに必要な高度な能力が実現するのだ。
・診断医学の心的イメージが未熟な医学生は、症状を自分が知っている疾患と結びつけ、拙速な結論を出そうとする傾向がある。複数の選択肢を思いつくことができないのだ。若手医師の多くも同じ過ちを犯す。くだんの警官が耳の痛みを訴えて救急医療センターに駆けこんだとき、そこの医師が何らかの感染症であろうと判断し(たいていの患者はそれで正解だ)、片目に異常があるという一見関連性のなさそうな事実を気にかけなかったのはこのためだ。
・これまでにさまざまな分野で実施されてきた多くの研究の結果を見れば、練習に膨大な時間を費やさずに並外れた能力を身につけられる者は一人もいない、と言い切って間違いないだろう。私の知るかぎり、まっとうな科学者でこの結論に異を唱える者は一人もいない。音楽、ダンス、スポーツ、対戦ゲームなどパフォーマンスを客観的に測れる分野なら例外なく、トッププレーヤーは能力開発に膨大な時間を捧げてきた。
・フェンはまず「00」から「99」までの一〇〇個の数字に対して、記憶に残るイメージを作った。次に頭の中に「地図」を描いた。そこには実在するたくさんの場所があり、特定の順序で巡っていくことができた。古代ギリシャ以来、大量の情報を記憶しようとする人々が使っていた「記憶の宮殿」の現代版と言える(14)。フェンは数字が読み上げられるのを聞くと、数字を四つずつくくり、最初の二つと次の二つをペアにしてそれぞれ二ケタの数字ととらえ、対応するイメージに変換し、頭の中の地図上の適切な場所に置く。たとえばあるテストで「6389」と聞くと、バナナ(63)と僧侶(89)として符号化し、両者を一つの壺に入れた。そしてこのイメージを覚えるため「壺の中にバナナがあり、僧侶がバナナを割いている」と自分に言い聞かせた。すべての数字が読み上げられると、頭の中で地図の順路をまわり、どのイメージをどの場所に置いたかを思い出しながら、それぞれのイメージを対応する数字に置き換えていくのだ。
・研究では、多くの分野の「エキスパート」は、評価の低い同業者やときにはまったく訓練を受けていない素人と比べて安定的に優れた成果を出すとは限らないことが示されている。心理学者のロビン・ドーズは名著『House of Cards: Psychology and Psychotherapy Built on Myth(「ハウス・オブ・カーズ──まやかしが支える心理学と精神療法」、未邦訳)』で、精神科医や臨床心理士の資格を得ている人のセラピーの力量は、最小限の訓練しか受けていない素人とまったく変わらないことを示す研究を挙げている(18)。
同じように金融の「エキスパート」が選んだ株式銘柄のパフォーマンスは、新米アナリストの選択や場当たり的に選んだものと比べて少しも優れていないことを示す研究も多い(19)。さらにすでに指摘したとおり、何十年も経験のある一般診療医と数年しか経験のない医師を客観的指標で比較すると、前者の評価のほうが低いこともある。若手医師のほうがつい最近までメディカルスクールにいたので最新の医学知識を学んでいるうえに、学んだ内容を覚えている可能性が高いのが主な要因だ。大方の予想に反して、医師や看護師の仕事の多くでは経験を積むことが技能の向上につながらないのだ(20)。
・心理学に興味がある人なら、傑出した技能を持つ人をつかまえて、作業への取り組み方とその理由を尋ねてみるとおもしろいかもしれない。だが相手が自分の手法を語ってくれたとしても、彼らが秀でている理由のほんの一端しかうかがえないだろう。というのも、彼ら自身にもそれがわかっていないからだ。
ここで重要なポイントをまとめよう。エキスパートを見つけたら、優れたパフォーマンスの理由と言えそうな、他の人とは違う部分を探そう。おそらく優れたパフォーマンスとは無関係の違いもたくさん見つかるだろうが、少なくともそれが第一歩となる。
グラッドウェルはバイオリン科のトップクラスの学生たちが一八歳までに注ぎ込んだ練習時間(約七四〇〇時間)を挙げてもよかったはずだが、あえて二〇歳になるまでに蓄積した練習時間を選んだのは、それが区切りのよい数字だったからだ。しかも一八歳と二〇歳のどちらをとるにしても、学生たちはバイオリンの達人には程遠かった。とびきり優秀で、将来はその道のトップに立つ可能性が高いと思われていたが、私が研究した時点ではまだ到底その域には達していなかった。国際的なピアノコンクールで優勝するピアニストは、三〇歳前後であることが多い。ということはおそらくそれまでに二万から二万五〇〇〇時間の練習を積んでおり、一万時間というのはその半分に過ぎない。
・ただ、それでまったく構わない。というのも本当の戦いは、パイロットが空から降りてきたあと、海軍のいう「事後レポート」と呼ばれるセッションで行われるからだ(2)。このセッションでは教官が訓練生を容赦なく詰問する。飛んでいるとき何に気づいたか。そのときどんな行動をとったか。なぜその行動を選択したのか。どこで誤ったのか。他にどんな選択肢があったか。必要があれば教官は戦闘機同士が遭遇したときのフィルムやレーダー部隊が記録したデータを取り出し、ドッグファイトの最中に具体的に何が起きたか指摘する。そして詰問の途中あるいは終了後に、どこを変えればよいか、何に目を光らせるべきか、さまざまな状況でどんなことを考えるべきかといったアドバイスを与える。そして翌日、教官と訓練生は再び飛び立ち、また訓練を繰り返す。
・すると、次第に訓練生はそうした問いを自らに投げかけるようになる。そのほうが教官から言われるよりずっとましだからで、毎日前日のセッションで言われたことを頭に叩き込んで離陸する。徐々に教えられたことが身につき、あれこれ悩まず、自然に状況に反応できるようになり、レッドフォースとの戦績も次第に改善していく。訓練期間が終了すると、他のパイロットとは比較にならないほどドッグファイトの経験を積んだブルーフォースのパイロットは所属部隊に戻り、飛行隊の訓練担当官として学んできたことを周囲のパイロットに教える。
たとえばふつうの企業の会議では、一人が前に出てパワーポイントを使ったプレゼンをして、管理職や同僚は照明を落としたスペースで眠気と戦う、という構図が一般的だ。こうしたプレゼンは何らかの業務上の役割を果たしているはずだが、アートはやり方を見直すことで会議に集まった全員にとってのトレーニング・セッションとしても役立つと説く。こんなやり方はどうか。話し手はプレゼンの間、特定のスキルに意識を集中する。聞き手を引き込むようなストーリーを語ること、あるいはなるべくパワーポイントのスライドに頼らず臨機応変に話を進めるといったことで、プレゼンを通じてこの点を改善するよう努力する。一方、聞き手のほうは話し手のプレゼンを見ながらメモをとり、終了後はフィードバックを与える練習をする。これが一回限りの試みで終わると、話し手は有益なアドバイスを得られるかもしれないが、一度の練習による上達などたかが知れているので、どれだけ効果があったかはよくわからないだろう。しかし会社がこれをすべての社内会議で行うようルール化すれば、従業員はさまざまなスキルを着実に伸ばしていくことができる。
・医者としての活動年数が長いほど能力が高まるのであれば、治療の質も経験が豊富になるほど高まるはずである。しかし結果はまさにその逆だった。論考の対象となった六〇あまりの研究のほぼすべてにおいて、医師の技能は時間とともに劣化するか、良くても同じレベルにとどまっていた。年長の医師のほうがはるかに経験年数の少ない医師と比べて知識も乏しく、適切な治療の提供能力も低く、研究チームは年長の医師の患者はこのために不利益を被っている可能性が高いと結論づけている。経験を積むほど医師の能力が高まっているという結果が出たのは、六二本の研究のうちわずか二本だった。医師を対象に意思決定の正確さを調べた別の研究も、経験年数が増える恩恵はごくわずかであることを示している(23)。  特に意外ではないが、看護師についても状況はよく似ている。詳細な研究の結果、きわめて経験豊富な看護師でも平均してみると看護学校を出てほんの数年の看護師と治療の質はまったく変わらないことが示されている(24)。
・それではアマチュアのテニスプレーヤーがテニス雑誌を読んだりときどきユーチューブの動画を見てうまくなろうとするのと変わらない。それで何かを学んだ気になるかもしれないが、腕が上がることはほとんどない。しかもネット上のインタラクティブな継続医療教育では、医師や看護師が日々の診療現場で直面するような複雑な状況を再現するのはきわめて難しい。
よく言われるとおり、正しい問いが見つかれば、問題は半分解けたようなものだ。プロフェッショナルあるいはビジネスの世界で技能を高めるというテーマにおいて正しい問いは何かと言えば、それは「適切な知識をいかに教えるか」ではなく「適切な技能をいかに向上させるか」である。
・では、どうすれば優れた教師が見つかるのか。このプロセスには多少の試行錯誤がつきものだが、成功の確率を高められる方法はいくつかある。まず優れた教師は必ずしも世界トップクラスである必要はないが、その分野で成功を収めた人でなければならない。一般的に教師は、自分あるいはそれまでの教え子が到達したレベルまでしか指導することはできない。あなたがまだ完全な初心者なら、それなりに能力のある教師なら誰でも構わないが、数年練習を積んだらもっとレベルの高い教師が必要になる。
・コールは博士論文に、ある高校生ゴルファーが自らの練習への向き合い方がいつ、どのように変化したか語った言葉を引用している(10)。  二年生のときのある出来事はよく覚えている。コーチが練習場にいた僕のところにやってきて「ジャスティン、何をしているんだ?」と聞いてきた。僕はボールを打っていたので「試合に向けて練習しているんです」と答えた。すると先生は「いや、していない。しばらく君を見ていたが、単にボールを打っているだけだ。ルーチン(決まった所作)も何もやってないじゃないか」。そこで僕らは話し合い、練習のルーチンを決めた。僕が単にボールを打ったりパッティングをするのではなく、具体的目標に向けた意識的行動として本気で練習を始めたのはそれからだ。
・だがカリフォルニア大学バークレー校で選手として活躍していたとき、コーグリンはプールで過ごす何時間もの間、自分が大きな機会をムダにしていることにはたと気づいた。ぼんやり他のことを考えるのではなく、自分の技術に集中し、一つひとつのストロークをできるだけ完璧に近づけようとすればいいのだ。特に自らのストロークの心的イメージを磨きあげること、つまり「完璧な」ストロークをしたときの具体的な身体感覚がどんなものか突きとめることに集中すればいい。理想的なストロークの感覚がどのようなものかはっきりわかれば、疲れたりターンが近づいたりしたときにその理想から外れてしまったらそうとわかる。逸脱をできるだけ抑え、ストロークを理想に近い状態に維持するよう努めるのだ。  そう気づいてからコーグリンは意識して自分がやっていることに没頭するようになり、プールにいる時間をフォーム改善に使うようになった。
目的のある練習あるいは限界的練習の最大の特徴は、できないこと、すなわちコンフォート・ゾーンの外側で努力することであり、しかも自分が具体的にどうやっているか、どこが弱点なのか、どうすれば上達できるかに意識を集中しながら何度も何度も練習を繰り返すことだ。職場、学校、趣味など日常の生活の中ではなかなかこのような意識的反復訓練をする機会がないので、上達するには自分で機会を作らなければならない。
・ここでまた思い出すのがベンジャミン・フランクリンだ。若い頃のフランクリンは哲学、科学、発明、著述、芸術などありとあらゆる知的探求に関心があり、そのすべてにおいて自らの成長を促したいと考えた。そこで二一歳のとき、フィラデルフィアでもとびきり才気煥発な一一人を集めて、「ジャントー」という名の相互啓発クラブ(「秘密結社」の意味があり、のちに発展してアメリカ哲学協会となった)を作った(21)。メンバーは毎週金曜の晩に集まり、互いの知的探求を後押しした。それぞれが毎回倫理、政治、科学について興味深い話題を一つ、持ち寄ることになっていた。トピックは通常、質問の形態をとっており、「論争や勝利を求める気持ちなど抜きに、純粋に真実を探求する精神にのっとって」全員で議論した。議論を率直で協力的なものとするため、ジャントーの規則は他のメンバーに異を唱えたり、自らの意見を強硬に主張することを禁じていた。そして三カ月に一度、ジャントーのメンバーはそれぞれ好きなテーマについて論文を書いて会合の場で読み上げ、それをみなで議論するといったこともしていた。
・ただもっと肝心なことを言えば、モーツァルトが六歳や八歳で作曲していたというのは、ほぼ間違いなく誇張である。第一に、モーツァルトの初期の作品とされるものは実際にはレオポルトの筆跡で書かれている。息子の作品を清書しただけだというのが父の言い分だったが、どこまでがモーツァルトの作品でどこまでが父親のそれか、われわれに知る術はない(すでに指摘したとおりレオポルト自身も作曲家であり、しかも自分が思うような名声を得られなかったことにいつも不満を抱いていた)。
・スポーツの技能に確実に影響を与えることがわかっている遺伝的要素は、身長と体格の二つだけだ。
・サバン症候群の人の多くはコミュニケーションをとったり、それぞれの方法論について質問に答えたりするのが難しいため、彼らがどのように特異な能力を獲得しているか、正確なところはわからない。ただ私が一九八八年の論文(22)に書いたとおり、サバン症候群の能力に関するさまざまな研究は、それが基本的に後天的に獲得されたものであることを示している、すなわち彼らが他のエキスパートと同じような方法で傑出した能力を獲得したことを示唆している。
・こうしたデータをすべて分析した結果は、他の研究者が示したものと類似していた。子供のチェス能力を説明する最大の要因は練習量であり、練習時間が多いほどチェス能力を評価するさまざまな指標のスコアは良くなった。それより影響力は小さいが、もう一つ有意な要因だったのが知能で、IQが高いほどチェス能力は高くなった。意外なことに空間視覚能力は重要な要因ではなく、記憶力や情報処理速度のほうが影響があった。すべてのエビデンスを検討した結果、研究チームはこの年齢の子供の場合、生まれつきの知能(IQ)も影響はするものの、成功を左右する最大の要因は練習であると結論づけた。
・もちろんIQテストで測定される能力は初期段階には役に立つようで、最初のうちはIQが高い子供ほどチェスがうまい。だがビラリクらの研究では、チェスの競技会に参加する子供たち、すなわち真剣にチェスに取り組み、学校の親睦クラブで打つより上の段階に進んだ子供たちの間では、IQが低いほど練習量が多くなる傾向が見られた。その理由ははっきりとはわからないが、推測はできる。エリートプレーヤーは全員チェスに真剣に取り組んでおり、最初はIQの高い子供のほうが多少楽に能力を伸ばしていく。IQの低い子供たちは追いつくためにたくさん練習をする。たくさん練習する習慣を身につけた彼らはやがて、それほど頑張らなければならないプレッシャーを感じなかったIQの高い子供たちを追い抜いていくのだ。ここから学ぶべき教訓はこうだ。長期的に勝利するのは、知能など何らかの才能に恵まれて優位なスタートを切った者ではなく、より多く練習した者である。
・ただ最も大きな恩恵を享受できるのは、これからの世代だ。われわれが子供世代に与えられる一番大切な贈り物は、自分は何度でもやり直せるという自信、そしてそれを成し遂げるためのツールである。若者たちには絶対に手が届かないと思っていた能力を手に入れる経験を通じて、自分の能力は自らの意のままに伸ばすことができること、生まれつきの才能などという古臭い考えにとらわれる必要はないということを、身をもって学ばせる必要がある。そして好きな道で能力を伸ばしていけるように知識とサポートを与えよう。