人類の歴史に、気候がかなり密接に関わってきたことを明らかにしています。気候変動によって陸地が繋がってひとが移動できるようになった、という程度ではなく、国家の勃興と衰退などの多くが気候変動期と不思議と重なっています。もちろんそれだけですべてが説明できるとは著者は言っていないし、むしろ否定していますが、気候変動からみた文明史は非常に新鮮でおもしろかったです。
※原著は2010年で今のような温暖化への注目が集まっていない時期に書かれており、だからこそ温暖化や寒冷化で何が起こるのかが冷静に描かれているように思います
下記に抜粋で事例をあげておきます。
「恐竜は二億年近く地上で繁栄していたのに、なぜ知性を発達させなかったのか?」という問いかけがある。答えは知性を発達させる必要がなかったからだ。恐竜は知性を獲得せずとも生き延びることができた。人類が直面したような、生き延びるために知性を必要とする気候激変の連続という環境的な圧力は、中生代に存在しなかったの だ。
気候変動の連続が人間の進化を即した。
南米大陸の場合、家畜化できたのはラマとその近縁種のアルパカだけだった。両者の野生種は、高地の草原に棲息する動物である。家畜は荷物の運搬だけでなく、農業が不作の際の生きた食糧備蓄として貴重であり、南米大陸の先住民は生活圏を選ぶ際に家畜の都合を優先して高地に住みついた。現在の南米大陸の太平洋側での主要都市の多くが標高三〇〇〇メートル以上に位置する理由は、ここにある。
家畜によって居住地域まで規定される例。
こうした古気候研究から、エルニーニョ現象の発生頻度は温暖な時代に減少し、寒冷な時代に増加する傾向があるとの推測が成り立つ。エルニーニョ現象に注目が集まったのが一九七〇年代半ば以降であり、同じ時期に地球全体の気温が上昇したことで温暖化と結びつける発想が生まれたもので、過去一五〇〇年間の発生頻度を振り返ると実際には温暖化で増加するという相関関係はみられない。
実はエルニーニョ現象は温暖化とは相関がない。
ローマ人による地中海的な生活様式がヨーロッパ全土に広がったのは、紀元前二世紀から紀元四世紀にかけてである。この五〇〇年から六〇〇年間の温暖期に、今日に至る西欧社会の枠組みが形作られたといっても過言ではない。ローマは、気候の温暖化という恩恵を受けてパックス・ロマーナと称される大帝国を築き上げ、やがて寒冷期の到来とともに混乱していった。
ローマの勃興に温暖化という恩恵があり、寒冷化と共に混乱していった。
日本の政権が交代する推移をみると、中世温暖期には鎌倉幕府が築かれ、一方で気候が寒冷化する十四世紀以降には北関東を拠点としていた足利氏が幕府を京都へと移す。そして十六世紀後半から十七世紀前半の寒さが小休止した時代に江戸幕府が開かれ、再び厳寒期となる十八世紀後半以降に東日本の経済力が低下し、西日本の薩摩や長州による倒幕が果たされる。
日本も同様に気候変動と共に大きな政権交代が行われている。