世界一周その50ーカジュラーホーでセクシーな寺院を観る

タージマハルを後にして、セクシーな寺院があることで有名なカジュラーホーに向かいます。

昔はだいぶ行きにくかったようですが、いまは列車が通っています。が、距離があるので、寝台列車。インド初の寝台列車ということで若干緊張しながら駅に入ると、もうとにかくひとがひたすらホームで寝てます。それに物売りや犬もいたりして、とにかく雑然としてます。

列車が運良く予定通りに滑りこんでくると、寝台ではない席もあり、そちらはものすごい混雑してました。早速、ベッドを確保してさっさと就寝。最初、物が盗まれそうでなかなか寝付けませんでしたが、シーツの端でしばるというテクを思いついてからはぐっすりと睡眠。

カジュラーホーには予定通り朝6時半に到着。わらわらと案内人が寄ってくるので、彼らの何人かを連れて街へ行き、ホテルを何軒かみて、チェックインし、朝の涼しいうちに寺院に向かいます。

カジュラーホーの街。非常に小さい。500m四方位?
カジュラーホーの街。非常に小さい。500m四方位? posted by (C)suadd

カジュラーホーの寺院は街の西側の一角に集まって建っており、入場料を払って入場。セクシャルな彫り物が壁一面に彫り込まれています。ちょっとやり過ぎなのもありますが、まぁ子どもに見せなければ大丈夫でしょう。個人的には、こういう宗教のセクシャルな一面って嫌いではないし、ヒンドゥー教も割りと仏教に近いところがあるのかなと思いましたが、現在インドでは売春などは完全違法らしく、厳しいのか厳しくないのかよく分かりません。

ラクシュマナ寺院。保存状態はよい
ラクシュマナ寺院。保存状態はよい posted by (C)suadd

一番大きいカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院(左)
一番大きいカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院(左) posted by (C)suadd

寺院内部はお祈りのスペース
寺院内部はお祈りのスペース posted by (C)suadd

ヴィシュヴァナータ寺院。周辺は整備されていて綺麗
ヴィシュヴァナータ寺院。周辺は整備されていて綺麗 posted by (C)suadd

ヴィシュヴァナータ寺院。よく観るといけない彫り物が
ヴィシュヴァナータ寺院。よく観るといけない彫り物が posted by (C)suadd

ヴィシュヴァナータ寺院のセクシャルな彫り物
ヴィシュヴァナータ寺院のセクシャルな彫り物 posted by (C)suadd

カジュラーホーはデリーやアーグラーに比べると非常に小さい街なので、少しのんびりとした雰囲気。少し外れると、ほんとに何もないという感じ。寺院群も街のいたるところから見られるので、少しほっとできる場所でした。

カジュラーホーの夕焼け。幻想的
カジュラーホーの夕焼け。幻想的 posted by (C)suadd

東群寺院。西側と同じような感じ
東群寺院。西側と同じような感じ posted by (C)suadd

東群寺院内部。ブッダが残っている(西群にはなかった)
東群寺院内部。ブッダが残っている(西群にはなかった) posted by (C)suadd

次は、ガンジス川を観にバラナシに向かいます。

<TIPS>
・インドの寝台列車の乗り方
 ・チケットは、クラスがいろいろあるが長距離ならできるだけよいものを選んだ方がよいと思います。高いといってもたかだか数百円差しかないし、エアコン無しで(暑かったり寒かったりして)インド人に囲まれて常に緊張しているよりはいいので。ファーストクラスはない寝台列車も多いようです。
 ・セカンドクラスには、2段(2A)か3段(3A)があり、できれば一番下の寝台を選ぶ。ちなみにアーグラーからカジュラーホーはファーストクラスはないようでした(たぶん)。値段は2Aで541ルピー(797円)。7時間乗っていてこの値段なので安いですが、エアコンなしのクラスや、座席もありもっと安い。
 ・囲いはカーテン一枚なので盗難の危険性あり。なので、2枚もらえるシーツの端をバックパックとリュックサックに結びつけるとよいです。バックパックは寝台の下に置くことができますが、掛けシーツに結びつけておけば何かあればすぐに分かります。
 ・寝台は結構硬いので、同じく備え付けの毛布を下に引いてその上にシーツをかけるとよいです
 ・下の寝台は電源あり(機能するか未確認)ですが、ライトは天井にしかないので下の段にはありません
 ・特にアナウンスなどないので、目覚まし時計が必須です
・カジュラーホーの安宿は非常に安く、言い値が150ルピーで、50ルピーまで下がりました。僕はネットが使いたかったのでもう少し高めのところにしましたが、WiFiはあるが利用が有料だったという残念な感じに。。すべて確認する必要がある、という教訓を得ました。ちなみに駅から街中までは100ルピーとか言ってましたが、20ルピーと言ってたら、乗り合いになりました
・カジュラーホーでは基本的にホテルにはネットはなく(恐らく従量課金制のため?)、ネットカフェに行く必要があります。原則的には、1時間20〜30ルピー/プリントアウト1枚10ルピーが相場のようです
・一応、東にある寺院群にも行ったのですが、西と同じような感じを規模を小さくした感じ。時間に余裕がなければ飛ばしても構わないと思います。

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世界一周その49ー対称を極めたタージマハル

デリーでの体調不良も復活してきたので、タージマハルのあるアーグラーに移動。

電車だと3時間ほどなので、デリーからなら日帰りも十分可能です。しかし、僕は電車の運行曜日の関係でこの日の夜には次の目的地へ移動することに。恐らくかなり時間があるので、電話して、ホテルをデイユース用に確保しておきました。

タージマハルには夕方に行った方が涼しいだろうと思い、朝のうちにもう一つの名所であるアーグラー城などを周ります。アーグラー城は后の墓としてタージマハルを作ったシャー・ジャハーンが住んでいた城ですが、あまりにもタージマハルにお金を使いすぎたため息子に幽閉されたという曰くつきの城です。

ミニタージマハル。ビービー・カ・マクバラー
ミニタージマハル。ビービー・カ・マクバラー posted by (C)suadd

アーグラー城は、かなり大きな城で赤い城壁が印象的。まぁしかし幽閉されていたという搭からはタージマハルも見えるほど近い。むしろ自分が贅を尽くして作ったタージマハルが見えてしまうというのがなんともです。

アーグラー城の入口。赤い城壁
アーグラー城の入口。赤い城壁 posted by (C)suadd

アーグラー城からタージマハル。右側が幽閉されていた搭
アーグラー城からタージマハル。右側が幽閉されていた搭 posted by (C)suadd

アーグラー城内
アーグラー城内 posted by (C)suadd

夕方までホテルで休んだ後、いよいよタージマハルへ。アーグラー城やホテルの屋上からも見えていたのですが、やっぱり近くで観ると本当にシンメトリー(左右対称)で、白い大理石も荘厳で、すごく美しい建築物です。しかも、その周辺の門や建物、庭までシンメトリーに作られているので非日常的な不思議な感じで素晴らしかったです。

いよいよタージマハルに入場
いよいよタージマハルに入場 posted by (C)suadd

夕方のタージマハル。水面に映って幻想的
夕方のタージマハル。水面に映って幻想的 posted by (C)suadd

タージマハルの左右対称にある建物。徹底っぷりがすごい
タージマハルの左右対称にある建物。徹底っぷりがすごい posted by (C)suadd

タージマハルをつまむ
タージマハルをつまむ posted by (C)suadd

タージマハルの裏手は川になっている。右側のところでガネーシャの祭りをやっているようであった
タージマハルの裏手は川になっている。右側のところでガネーシャの祭りをやっているようであった posted by (C)suadd

夕方に行ったので、そこまで暑くもなく日陰で涼んでいると他にも同じようなひとがたくさんいて、のんびりとできました。

その後、近くのレストランでオムライスを食べて、また休んでから、寝台列車に乗り込みカジュラーホーへ向かいます。

たまたまガネーシャを川に流すという祭りが行われていた
たまたまガネーシャを川に流すという祭りが行われていた posted by (C)suadd

アーグラーカント駅で寝台列車を待つ。ホームで寝ているひとが多い
アーグラーカント駅で寝台列車を待つ。ホームで寝ているひとが多い posted by (C)suadd

<TIPS>
・アーグラーカント駅からタージマハルのある市街までは50ルピー(73円)が相場のようです(夜間だと1.5倍位)が、100ルピーでカルテルしてるので駅の外までいかないとなかなか下げづらい。面倒ならば誰かとシェアするというのもありだと思います。僕はホテルに迎えにきてもらって50でした。
・南門は16時半に閉まってしまうので注意しなければなりませんが、東西の門から入ることができます。タージマハルでは靴を脱がないといけないので、ビニール袋を持っていった方がよいです(うまくやれば、靴をすっぽりと覆える靴袋をもらえるかもしれません)。
・アーグラーの街はこじんまりとして雑然としていますが、美味しいレストランも多いようで過ごしやすそうでした。

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世界一周その48ーデリーでインドの洗礼を受ける

イスラエルからアンマンに戻り一泊した後、インドのデリーへ。

デリーはインドの首都であり最大の都市。区画整備されて洗練されたエリアがあると思いきや、ごちゃごちゃなエリアもあり対照的です。

僕はせっかくなので、ごちゃごちゃな方に滞在。牛や犬が闊歩し、怪しげなおじさんが英語や時には日本語で話しかけてき、リキシャやタクシーに轢かれそうになるニューデリー駅近くのパハール・ガンジ(メイン・バザール)。安宿が集まり、安レストランも集結しています。夜遅くでもクラクションがうるさいのがイマイチ。だけど、気温も少し暑いくらいで割りに快適に過ごしてました。

パハール・ガンジ。朝から深夜まで賑わう
パハール・ガンジ。朝から深夜まで賑わう posted by (C)suadd

デリーでは知人も二人おり、オフィスに訪問したり、ご飯食べたり、日本人会の夏祭りに連れていってもらったり(ありがとうございました)。さらに知人の運転手さんにお願いしてひと通り観光。詳細は写真で。

日本人会夏祭り。盆踊り、子どもは楽しそう
日本人会夏祭り。盆踊り、子どもは楽しそう posted by (C)suadd

ジャマー・マスジット。インド最大のモスク、搭からの眺めもよい
ジャマー・マスジット。インド最大のモスク、搭からの眺めもよい posted by (C)suadd

ジャマー・マスジット周り。ローカルでごちゃごちゃしてる
ジャマー・マスジット周り。ローカルでごちゃごちゃしてる posted by (C)suadd

インド門。凱旋門的な位置づけ?
インド門。凱旋門的な位置づけ? posted by (C)suadd

クトゥブ・ミナール。右側はインド最古のモスク
クトゥブ・ミナール。右側はインド最古のモスク posted by (C)suadd

クトゥブ・ミナールの錆びない鉄塔、って錆びとるがな
クトゥブ・ミナールの錆びない鉄塔、って錆びとるがな posted by (C)suadd

しかし、3日目。見事に腹を壊しました。だいぶ気をつけていたのだけど、何が原因かまったく分からず。。朝起きたらヤバい体調だったので、薬局に行って60ルピー(87円)で購入。翌日の移動は無理と判断してずっと休んでました。結局、翌日の昼くらいまで体調が優れず、ホテルでほとんど寝てました。

夕方だいぶよくなったので、列車のチケットを買いにニューデリー駅へ。「地球の歩き方」にはニューデリー駅で騙されて旅行会社に連れて行かれ高額ツアーを買わされた体験談がたくさんありますが、まったく話しかけず外国人専用窓口まで到達。30分ほど座って並んで買えました。

ニューデリー駅。インドではとにかく駅で休んでるひとが多い
ニューデリー駅。インドではとにかく駅で休んでるひとが多い posted by (C)suadd

デリーではいろいろ騙された話を聞くので、相当警戒していったのですが、レストランとかお店、ホテルのひとは親切だし、駅の窓口のひともいろいろ相談に乗ってくれて助かりました。英語が訛りでだいぶ聞き取りにくいのが難点だけども、しつこく聞けばなんでも分かるというのは結構安心感があります。

まぁこういうこと言ってると騙されたりするので引き続き要注意ですが。

次はタージマハルのあるアーグラーに行きます。

<TIPS>
・インドの時差は日本からだと3時間半。最初、「半」ってありえるのかと思って何度も確認しました。インド人によると「インド人は何でも特別にしたがる」だそうです。
・空港でAirtelのSIMカード(SIMロックフリーiPhone用)を購入。1000ルピー(1451円)で1GBまでのネットと通話付き。一応、書類に名前など書いて、15分ほどで完了。非常に簡単。1GBなんですが、結構普通にがんがん使ってもなかなか残り容量が減っていきません。たぶん3Gと言っても速度が違うからというのもあると思います。ちなみに郊外やマイナーな都市だと3Gはないことが多いです。
・空港からの地下鉄が鳴り物入りでオープンしたらしいのですがなぜか現在運行しておらず、バスを利用。75ルピー(108円)。ちなみに地球の歩き方にはニューデリー駅には行かないと書いてありますが、普通に泊まってくれました。ただし、パハールガンジとは逆側なので注意が必要です。
・日本人はGurgaon(グルガオン)という車で30分ほど離れたエリアにオフィスがあり、その辺りに住んでいる方が多いようです。最近は日本人も増えているようで、日本人学校は校舎を増設したりしているようです。

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世界一周その47ーパレスチナ自治区、死海、テルアビブへ行く

イスラエルではエルサレムを拠点に、パレスチナ自治区、死海、テルアビブに行きました。

■パレスチナ自治区
パレスチナ自治区とはイスラエルに住むイスラム教のアラブ人のことを指すパレスチナ人による自治区を指し、僕が行ったベツレヘムはいたって普通の活気ある街で、バスで30分程度。普通に行き来することができます。

パレスチナ自治区ベツレヘム。賑わっている普通の街に見える
パレスチナ自治区ベツレヘム。賑わっている普通の街に見える posted by (C)suadd

ただし、途中のチェックポイントではパスポートチェックが行われ、パレスチナ人がエルサレムに来るにはかなり制限があるようです。

イスラエル政府は、パレスチナ人のテロを恐れて、アパルトヘイト壁(ベルリンの壁のような分離壁)を作るなどして完全隔離を狙っているようですが、当然ながら反対運動もあり、パレスチナ自治区の一部(特にガザ地区)では戦闘も行われています。

ベツレヘムのアパルトヘイト壁。手前のバルーンはバンクシー作「balloon girl」
ベツレヘムのアパルトヘイト壁。手前のバルーンはバンクシー作「balloon girl」 posted by (C)suadd

反対運動というか平和運動として有名なのが、アパルトヘイト壁や街中の壁にゲリラ的に描かれたイギリス人アーティスト、バンクシーの絵。この絵をタクシーをチャーターして周りました。ガソリンスタンドの壁とか本当に何気ないところにあるのがおもしろかったです。

アパルトヘイト壁にはそれ以外にもたくさんのメッセージ性を持った絵が描かれていて、非常に興味深かったです。

ガソリンスタンドの壁に描かれた爆弾ではなく花を投げる「flower thrower」
ガソリンスタンドの壁に描かれた爆弾ではなく花を投げる「flower thrower」 posted by (C)suadd

個人的には、パレスチナ自治区がいたって普通の街として存在することに驚きました。よく考えれば昔はイスラム圏の支配であったし、当たり前なのですが(もちろん、そうでない戦火にまみれている街もあります)。

今までの歴史的経緯を考えると、この問題を解決するのは非常に難しいと思わざるを得ませんが、なんとか血を流さずによい方向になって欲しいです。

■死海
標高約ー400メートルと地表でもっとも低い場所であり、塩分濃度が30%にもなる巨大な湖です。周辺はリゾート開発されており、よく整備されたホテルやビーチがあります。

死海のビーチ。向こう岸はヨルダン側
死海のビーチ。向こう岸はヨルダン側 posted by (C)suadd

ただ、死海自体は塩分濃度のため30分と浸かってられないので、本当にビーチで日差しを楽しむといった感じですが。

死海は泥パックが有名なのですが、僕たちが行ったビーチは泥がものすごい豊富でみんな塗りたくってました。場所によってはほとんど泥がなくて、有料で泥パックしてくれるところもあるようです。

死海で泥パック。塩分30%でものすごいしみました
死海で泥パック。塩分30%でものすごいしみました posted by (C)suadd

僕はアトピーがあるので、ものすごいしみて数分が限界でした。まぁでも少ない時間で写真撮ったりして、結構楽しかったです。

死海でビール飲みながら浮かぶ編。塩分30%なので自然に浮きます
死海でビール飲みながら浮かぶ編。塩分30%なので自然に浮きます posted by (C)suadd

■テルアビブ
エルサレムから車で40分ほどで行けるイスラエル最大の都市。地中海に面した都市で海沿いは一面ビーチになっています。南側には十字軍の歴史などでよく出てくるヤッフォがありますが、テルアビブ自体は新しい街です。

しかし、行ったのがちょうど新年明けの日だったこともあって、街の機能が完全に停止中。運良くバスが動いていたので、ビーチに直行してほとんどビーチにいましたが、街中はほとんどの店が閉まっており、両替屋すら開いてません。

テルアビブの世界遺産「白い都市」。いまいち。。
テルアビブの世界遺産「白い都市」。いまいち。。 posted by (C)suadd

しかし、ビーチはよく整備されていて、レストランにある席でのんびりしながら、たまに泳ぎに行ったりできて非常に素晴らしかったです。海はものすごい遠浅でしたが、透明度は高く魚もちらほらいました。

テルアビブの地中海ビーチ。ユダヤ教の新年でもここだけはやっていた
テルアビブの地中海ビーチ。ユダヤ教の新年でもここだけはやっていた posted by (C)suadd

ヤッフォの方まで行ってみたかったのですが、日帰りなので断念。

次は、アンマンに戻りいよいよインドへ入国します。

<TIPS>
・ベツレヘムのタクシーチャーターのバンクシーツアーは60シュケル(約1202円)が相場の模様
・死海には無料ビーチもありますが、泥を探すのが大変だそうです。後、バスの本数が少ないので、ヒッチハイクで帰ってきたというひとが何人かいましたが、あまりオススメできません。
・テルアビブまではシェルート(乗合バス)だと35シュケルで40分で着きます。まぁ新年でバスがやってなかったのでやむなしだったのですが、速いです。
・テルアビブのビーチではWiFiがありました。もしなくてもオペラタワーでWiFiが飛んでます。

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世界一周その46ー三宗教の聖地エルサレムで歴史を感じる

ペトラ遺跡のワディムーサからアンマン経由でイスラエルのエルサレムへ。

アンマンからは、ヨルダンとイスラエルの国境キングフセイン橋まで行き、国境を超えてからエルサレムまでミニバスで向かいます。しかし、着いたところはエルサレム郊外。よく分からないままさらにバスに乗り継ぎなんとかエルサレムへ到着しました。

エルサレムは、ユダヤ教の嘆きの壁、キリスト教の聖墳墓教会、イスラム教の岩のドームがあり、三宗教の聖地という特異な街です。

聖墳墓教会。イエスが磔にされたゴルゴダの丘とされる場所に建つキリスト教の聖地
聖墳墓教会。イエスが磔にされたゴルゴダの丘とされる場所に建つキリスト教の聖地 posted by (C)suadd

聖墳墓教会のイエスの墓。参拝客が行列をなす
聖墳墓教会のイエスの墓。参拝客が行列をなす posted by (C)suadd

聖墳墓教会にある「世界の中心」。手をかざす
聖墳墓教会にある「世界の中心」。手をかざす posted by (C)suadd

聖墳墓教会のイエスの亡骸に香油を塗ったとされる大理石版
聖墳墓教会のイエスの亡骸に香油を塗ったとされる大理石版 posted by (C)suadd

岩のドーム。エルサレムで一番目立つ
岩のドーム。エルサレムで一番目立つ posted by (C)suadd

エルサレム旧市街の嘆きの壁。ユダヤ教の聖地
エルサレム旧市街の嘆きの壁。ユダヤ教の聖地 posted by (C)suadd

ダビデの塔。搭というか要塞でヤッフォ門の隣で景観がよい
ダビデの塔。搭というか要塞でヤッフォ門の隣で景観がよい posted by (C)suadd

完全に城壁に囲まれた旧市街は、アルメニア人も含めて大きく四区画に分かれていますが、街を歩いていても様々な歴史的な建築物、家、お店が混在し、かつ観光客も多いため、ごちゃごちゃな感じです。

オリーブ山から旧市街を望む。完全に城壁に囲まれている
オリーブ山から旧市街を望む。完全に城壁に囲まれている posted by (C)suadd

旧市街のダマスカス門。もっとも大きい
旧市街のダマスカス門。もっとも大きい posted by (C)suadd

建築物はもはやすべてが有機的に繋がっていて、どこで区切れているのかよく分かりません。エルサレムが、国や宗教にとって最も重要な都市だからゆえに、何千年も数々の戦火に巻き込まれたことを考えると、ものすごい感慨深いものがあります。

エルサレム旧市街ダマスカス門の少し内側。賑わっている
エルサレム旧市街ダマスカス門の少し内側。賑わっている posted by (C)suadd

僕が滞在した時は、たまたまユダヤ教の新年前後だったのですが、現在イスラエルがユダヤ教のため新市街はトラムも動いておらずほとんどの機能が停止していましたが、旧市街は嘆きの壁に参拝するユダヤ人も含めて活気がありました。が、新市街はマーケット以外のほとんどの店が休みで機能停止状態。

ちょっと観光には不便なところもありましたが、歴史的に非常に興味深い街で訪れてよかったです。

新市街のマーケット。ユダヤ教の大晦日でもここだけは賑わっていた
新市街のマーケット。ユダヤ教の大晦日でもここだけは賑わっていた posted by (C)suadd

オリーブ山から旧市街。中央が岩のドーム
オリーブ山から旧市街。中央が岩のドーム posted by (C)suadd

次は、エルサレム拠点にパレスチナ自治区、死海、テルアビブへ行きます。

<TIPS>
・9月のエルサレムは日中は強烈な日差しで暑いですが、日陰は割りと涼しく、夜は少し冷えて長袖が必要な時もありました。
・イスラエルの入出国履歴があると、アラブ諸国で入れない国が出てきてしまいます。が、キングフセイン橋を使えば、入出国印を別紙に押してもらうことで出入国履歴をなしにすることできます。
・キングフセイン橋からイスラエルに入国した地点の両替所がやっていませんでした。恐らくヨルダン通貨でもミニバスに乗れると思いますが、ヨルダンで両替していった方がいいかもしれません。
・イスラエルの物価は非常に高いです。日本と同等かそれ以上。まぁエルサレムは観光の街だからかもしれませんが。
・金曜午後から土曜はユダヤ教の安息日で、ユダヤ教国家であるイスラエルでは、ほとんどのお店やなんと交通機関までも停止します。できるだけ避けた方がよいです。土曜21時くらいからお店は復活してきます。

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世界一周その45ー「インディージョーンズ」のペトラ遺跡へ

引き続きヨルダン内、アカバからはペトラ遺跡のあるワディムーサという街に向かいます。バスで2時間半ほど。ただこのバスが10人以上集まったら出発しますという極めて曖昧なシステムをとっているためバスが出発するまでに1時間ほど待たされました。

アカバからイスラエルのエイラット。かなり発展してます
アカバからイスラエルのエイラット。かなり発展してます posted by (C)suadd

が、その後はいたって快適でスムーズにワディムーサ到着。すると目星をつけていたホテルが客引きに来ていたので、そのまま流れでチェックイン。この日は街にちょっと出かけてランチしたくらいで、のんびりと。

宿からは眺めがよく夕日が感動的に綺麗でした
宿からは眺めがよく夕日が感動的に綺麗でした posted by (C)suadd

ペトラ遺跡は朝6時に起きて、7時には出発。ペトラ遺跡は非常に広大だということで、涼しいうちに奥まで行ってしまおうという計画を立てます。

途中スークという岩の谷間のようなところを抜けて行くと、「インディー・ジョーンズ」のクライマックスに登場することで有名なエルハズネという岩をくり抜いた神殿のような宝物庫(と言われている)が出てきます。これがとにかくものすごい大きさで、圧倒されました。

ペトラ遺跡のシーク。この隙間を抜けるとエルハズネが登場します
ペトラ遺跡のシーク。この隙間を抜けるとエルハズネが登場します posted by (C)suadd

エルハズネ。「インディージョーンズ」で有名
エルハズネ。「インディージョーンズ」で有名 posted by (C)suadd

その後は、岩をくり抜いた家や墓が点在し、ローマが併合してから作ったローマ劇場やローマ街道などもあります。しかし、その後大地震で壊滅的な打撃を受け、1812年に発掘されるまで忘れさられていたらしい。

ローマ街道。真ん中の二人とコスプレ写真を撮れます
ローマ街道。真ん中の二人とコスプレ写真を撮れます posted by (C)suadd

ローマ街道辺り。ちょうど真ん中辺りで日除けがなくかなりキツいエリア
ローマ街道辺り。ちょうど真ん中辺りで日除けがなくかなりキツいエリア posted by (C)suadd

最後の方はかなり急勾配の坂で汗ダクになりましたが、2時間かからずしてほぼ頂上にあるエドディルまで到達。エドディルは、エルハズネよりも更に大きい宝物庫。エドディルに比べると、作りは大雑把な感はありますが、エドディルが修復されているのに比べるとナチュラルで、他にほとんどひとがいなかったこともあって、スケールを堪能できました。

頂上にあるエドディル。エルハズネよりも大きくナチュラル
頂上にあるエドディル。エルハズネよりも大きくナチュラル posted by (C)suadd

まぁしかしエルハズネにしてもエドディルにしても紀元前後に作られたというのが本当に考えられない精巧さとスケールで、文明の登場というのは人にとっても地球にとってもすごいインパクトだったんだなぁと思いました。

ビューポイントからエドディルを一望
ビューポイントからエドディルを一望 posted by (C)suadd

その後は、ビューポイントに行ってみたりしながら引き返していきます。途中やはりかなり気温が高くなり日差しも強くなってきて登っているひとはつらそうでした。とはいえ、ロバとか馬もいるので、体力に自信がなくても大丈夫です。ただ料金は交渉になって面倒ですが。

急勾配な頂上付近。ロバや馬で行く事もできます
急勾配な頂上付近。ロバや馬で行く事もできます posted by (C)suadd

この日はペトラナイトという夜にも入れるようになりライトアップされるという日だったのですが、全行程を歩いたので合計5時間以上は歩き回っていたことになり、もはやホテルに着く頃にはヘトヘトで無理でした。

次は以前にも訪れたアンマン経由でイスラエルに入ります

<TIPS>
・ワディムーサからワディラムへのツアーへ参加しているひとがたくさんいました。
・ペトラ遺跡の入場料はなんと50JOD(約5500円)もします。ディズニーランド並w
・中の売店は、ジュース1JOD、アイス2JODでそこまでべらぼうという感じはないです。まぁ2倍くらいはしますが。
・ロバ、ラクダ、馬は本当に交渉次第です。が、地球の歩き方に書いてあるほど高くもないようです。1区間なら3JODくらいでいけそうです。また歩いても、地球の歩き方ほど時間もかかりません。
・宿は「バレンタインイン」。夕食朝食がついていて夕食はビュッフェ形式でかなり美味いです。ペトラ遺跡までの送迎ありでかなり便利。宿の親父はジョークばかり言っていてかなりおもしろい。時に何か作業してくるときも絡んできたりしますが悪気はないので。。総合的に悪くない宿だと思います。

バレンタインインのマスター。客のサングラスをかけてご満悦
バレンタインインのマスター。客のサングラスをかけてご満悦 posted by (C)suadd

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生粋のリバタリアン、ロン・ポールを知る「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」

著者のロン・ポールは、アメリカの下院議員であり、生粋のリバタリアンです。共和党として大統領選挙にも出馬していますが、主流派からはまったく支持を得られず破れています。しかし、近年その主張には徐々に注目を集めており、特に若者を中心に支持を集め始めているそうです。

僕自身、リバタリアンだと言いながら、ロン・ポールについてはよく知らなかったのですが、本書を読むとその一貫性のある主張は非常に魅力的でおもしろかったですし、非常に勉強になりました。

本書では、税金から医療制度、麻薬禁止、海外援助、経済政策と連銀、外交と戦争、徴兵まで、様々な論点について論じてありますが、多くは納得できるものでした。連銀は廃止せよ、というのはものすごく革新的なアイデアのように思えますが、この点については別に著作があるようなので、そちらを読んでみたいと思います。

個人的に、長期に渡り一貫して、リバタリアン的主張を押し通してきた政治家がいたことに衝撃を受けました。もっとこの辺りは深堀りしていきたいなと思います。

※本書は副島隆彦氏が監修しており扇動的な序文がついていますが個人的にはこの辺りは態度保留したいと思います

<抜粋>
・政府は誰かから税金でお金を集めて来なければ、誰かのために一セントも使うことは出来ない。そして政府が集めてくるお金は、人々が一生懸命に働き蓄えてきたものだ。税金とは国家による泥棒なのである。
・市場を背景にした企業家は、市民に自社製品を自由に選んで買ってもらうことで利益を得る。ところが政治を背景にした企業家は、政府から独占を与えられたり、政府が競争相手を抑制することで利益を得る。
・つまり、所得税を導入できれば、関税を下げることができ、消費者への負担が軽くなると。「所得税は、あなたにとっては減税。金持ちたちには増税」と喧伝された。所得税の対象は、金持ちの中でも大富豪級の金持ちであるから心配は要らないと、説明されたのだ。 しかし、この約束は長続きせず、二、三年のうちに所得税は大増税された。そして、自分は金持ちではないので所得税を払う必要はないと考えていた庶民も、結局、所得税を払うはめになった。
・私たちは、不法移民に無料の医療診療や、行政サービスを行い、後にアメリカ国民になれる特典を認めている。だから、ますます多くの不法移民がアメリカに密入国してくる。そうしている間に、州政府や地方自治体が医療費を払いきれなくなり、何と病院が閉鎖されるという事態まで起きている。本末転倒だ。
・高齢者向けの医療保険制度や低所得者向け医療費補助制度が、まだ存在しなかった時代を例に考えてみよう。その次代の高齢者や低所得者は、今とほとんど変わらない負担で、実は病院で治療を受けられた。しかも、現在より質の高い治療を受けていたのである。 私は医師として一度も、高齢者向けの医療保険や低所得者向け医療費補助の政府からのお金を受け取ったことはない。その代わりに、治療代を払えない患者には費用を割り引いたり、無料で治療してきた。政府による医療制度ができる前は、すべての医者が、自分たちが経済的に恵まれない人々に対して責任を持っているということをちゃんと理解していた。そして低所得者に無料の医療行為をすることは、当たり前のことであった。今ではこのことを理解している医師は残念ながら、ほとんどいない。
・国民から税金という名目で財産を強制的に没収し、海外の政府に再配分するなど、私にはとても道義的に正当化できない。そして援助金というものは、援助先の国民を貧困な目に遭わせている無責任な指導者の懐に入るのが一般的である。海外援助は、いわばアメリカ人を他国の政権のために強制労働させることであり、私はもちろん賛同できない。しかし政府による海外援助は、このことと同じ意味なのである。
・過去五十年にわたる数々の経済的支援の成功は、海外援助によるものではなく、自由市場の大いなる働きによって生まれてきた。自由市場こそが、人間の健康や幸福の源なのだ。
・(注:大麻の)この禁止令は、少しも科学的でも医学的でもなかった。単にメキシコ人への悪意、連邦麻薬局の権益拡大の意識、低俗で先導的な報道による間違った情報やプロパガンダによって生み出されたものである。連邦議会でのこの重要な問題についての公聴会は、たったの二時間であった。大麻を禁止すべき理由として証拠もなく挙げられた健康被害は、ほとんど扱われなかった。
・その報告書には「すべてのアメリカの幼稚園児以上の子供に、精神疾患の検査を義務づけるべきだ」と提案されていた。(中略)この政策を導入することで誰が利益を得るだろうか。もちろんそれは製薬会社である。このような検査を全米で行えば、何百万人という子供が、新たに向精神薬が必要だと診断されるのは間違いない。
・インフレを明らかにする上で、もっと優れた方法がある。経済学者のミーゼスは、「インフレになると政府は、常に国民に物価に注目するように仕向ける」と書き残している。物価の上昇はインフレの結果であって、インフレ自体ではない。インフレとは通貨供給量の増加のことだ。もし私たちがこのことを理解すれば、インフレをどのように解決すればよいか、即座に解るだろう。単純なことだが、連銀に通貨供給量を増やさないように要求すればよいだけである。私たちは物価ばかりに注目することで、問題の本質を見誤ってしまう。そして賃金や物価の統制のような政府のインチキなインフレ解決策に賛同するようになってしまうのである。
・連銀が人為的に市場に介入して金利を下げた場合は、構造的に投資家を間違った方法に導くことになり、持続性のない好景気を誘発する。フリードリッヒ・ハイエクが1974年にノーベル経済学賞を受賞したのは、実はこのことを学問的に明らかにしたからだ。ハイエクの研究は「中央銀行が金利を操作すると経済全体に混乱を引き起こし、結果的に不況をもたらす」というものであった。
・しかし、いくら国民が自由市場を素晴らしいと思っていても、同時に私たちは経済の根幹である通貨制度を中央銀行に決めさせている。国民は、アラン・グリーンスパンやベン・バーナンキといった連銀総裁だけが、適切な金利や通貨の供給量を知り得るのだという馬鹿げた考え方を、きっぱりと捨て去らなくてはならない。適切な金利や通貨供給量は、市場だけが決定できるのである。
・(注:ショワー)「オサマ・ビン・ラディンがイスラム社会で支持を集め、人々の連帯感を保てる理由はたった一つである。それはイスラム社会に、アメリカの外交方針に対する共通の憎しみが存在しているからである。全イスラム世界が、アメリカの外交方針を嫌っているということでは、意見が一致する。我々がアメリカの国益のために外交方針を転換すれば、イスラム社会の人々の関心は、自分たちが抱えている自国の問題に移っていくことになる」
・(注:モーリー)言い方を換えれば、帝国建設の問題は基本的に曖昧なものなのである。自分の国が偉大だから自分も偉大であるという考えを、人々に植えつけ育てなければならないのである。(中略)個人としての名声や器量を持たない人々は、喜々としてこのような馬鹿げた話に飛びつくのである。それは本人が努力をしないで、自分に対する自信を与えてくれるからである。
・海外援助を受けた国は、援助金でアメリカ製品を買うことを求められる。つまりこれは、間接的なアメリカ企業への福祉なのである。このような政策は、私には絶対に受け入れられない。
・イスラエルのハージリア国際関係研究所によれば、イラクにアメリカと闘うためにやって来た海外の戦闘員たちは、その多くがこれまで一度もテロ活動に参加したことがなかった。しかし、アメリカが、イスラム教で二番目に聖なる場所とされているイラクに軍事侵攻したため、居ても立ってもいられず急進的になったという研究を発表している。
・(続き)つまりテロリストは、アメリカに対抗する正義の味方に自分を変えたのである。必要もなく正当性もないイラク侵攻によって、一般人が自ら望んでテロリストになる状況を、アメリカ政府は与えてしまったのである。
・(注:ウェブスター)私は、この忌まわしい徴兵制度がまったく我が国の憲法の土台に乗っていないと、今日こうしてわざわざ引用や資料を使ってまで説明しなければならないことを恥じるべきだと考えます。我々の憲法は自由な政府を基本に書かれているのです。ですから徴兵制のような権限は、どうしようと個人の自由の概念と両立するものではないのです。難しい説明をしなくても、この簡単な原則を知るだけで十分であります。憲法の条項の上に、この徴兵のような主張を押しつけることは、自由な政府の中身から奴隷制を抽出するような、道理に反した、巧妙ないかさまであります。

世界一周その44ーヨルダンの港町アカバで英気を養う

2週間近く滞在したダハブからついに出発。目的地はヨルダンのアカバ。そのためにはまずシナイ半島を北上しヌエバアという街まで行き、そこからフェリーでアカバに渡ります。

しかし、この移動では、待ち時間が異常に長く、特にフェリーではフェリー乗場入口、出国審査、フェリー入口、入国審査、税関それぞれで長蛇の列ができ、フェリーは予定時刻になっても3時間以上出ないしで、とにかく消耗しました。結果、朝10時に出たのにホテルにチェックインしたのは23時過ぎ。。

あまりにも疲れたのでアカバに2泊し、英気を養うことに。

アカバの街はこじんまりとしていますが、街の雰囲気は開放的でのんびりしていてとてもよいです。街のひとの感じもいいし、ご飯も美味しいし、名物のナッツもうまい。夜もたくさん人が歩いていて、特に危ない感じはありません。

アカバ市内。小さいが結構栄えている
アカバ市内。小さいが結構栄えている posted by (C)suadd

アカバ市内のモスク。白が美しい
アカバ市内のモスク。白が美しい posted by (C)suadd

「アラビアのロレンス」で有名なアカバ要塞は観に行ったら壁が崩壊したとかで空いてませんでしたが、上部から見られたのでいいかなと。

アカバ要塞。
アカバ要塞。 posted by (C)suadd

海には入りませんでしたが、透明度がたかく結構たくさんのひとが泳いでました。唯一ホテルでネットが使えず、ネットができるようなカフェも見当たらなかったのがイマイチでしたが、マクドナルドでできたので特に問題なし。

海で泳いでいるひともたくさん
海で泳いでいるひともたくさん posted by (C)suadd

なんと刺身が醤油で食べられる。値段は1匹1000円前後と高いが
なんと刺身が醤油で食べられる。値段は1匹1000円前後と高いが posted by (C)suadd

次はペトラ遺跡に行くためワディムーサという街に向かいます

<TIPS>
・出入国では恐らく外国人は特別な高い運賃を払っているので優先的に入れてくれるようです。しかし、長蛇の列でみんな疲れてるのか割りと殺伐しています。ヌエバアからアカバ(逆も)はものすごい消耗するので、個人的にはヌエバアから直接イスラエルのエイラットに陸路で入る方が楽でいいと思います。その場合、エジプトの出国スタンプが押されてしまうので、アラブ諸国で入れない国が出てきてしまいますが。
・疲れを考えなければ、アカバ港の出口でワディムーサ(ペトラ)行きのミニバスが出てました。あの時間から行くと確実に12時回りますけど。
・アカバは免税地域らしく、ものは全般的に安いです。とはいえヨルダンなので、エジプトに比べればだいぶ高いですが。

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ソーシャルファイナンスについて俯瞰する「ソーシャルファイナンス革命」

グラミン銀行のマイクロファイナンスからクラウドファンディング、P2Pファイナンスなどのソーシャルファイナンスの歴史と現状についてまとめてあり、非常に勉強になりました。

実は昔からマイクロファイナンス的なものはあったことや、なぜいまソーシャルファイナンスが勃興しているのかを、多面的に解説してあります。また、いい面だけではなく、マイクロファイナンスの厳しい取り立てによる自殺者の問題や貧困削減効果への疑念など負の側面にも触れられていて好感がもてました。

個人的にはそれでもすごく可能性があるし、解決可能な問題だと思うので、この分野における今後の発展に期待したいなと思いました。

硬いテーマながら豊富な事例もあり、読みやすいですし、ソーシャルファイナンスについて俯瞰するには最適な一冊だと思います。

<抜粋>
・私はお金を受け取る大学生たちと次のことを約束した。
 ・私の目の前で親と親しい友人数名に事情を説明すること
 ・うまくいかなかった場合には、親と友人にその事実を伝えること
 ・一週間に一度の状況説明をすること。報告メールは、仕事の状況、生活の状況などについての、200字程度の短いものでよい。もし報告メールが遅れたりしたら約束は帳消しとする。こういった報告をする代わり、利子や配当は一切いらない。
 ・少ない金額であっても毎月返すこと
 そして、お金は返ってきた。お金が返ってきたのは、私にとっては初めてのことだった。それと同時に、お金を借りた彼らと私との関係はより良いものに変わった。
・日本には「講」や「無尽」といった金融の仕組みが江戸時代から存在していた。二宮尊徳も、農村に住む人々の経済生活の向上のために、「五常講」という名のコミュニティファイナンスを行なっていた。韓国にも「契」という仕組みが同様に存在していた。マイクロファイナンスの仕組みは、別に現代のイノベーションではなくて、経済の一定の段階で生まれてくる仕組みなのだ。
・近年において、金融のイノベーションには数多くの批判が寄せられている。アメリカ連邦準備理事会の議長を務め、世界経済における賢人として尊敬を集めるポール・ボルカーは、「銀行業において、有用なイノベーションはATMの発案しかなかった」と説いている。
・借り手ミーティングのイメージは、借り手たちが集まって行われる自治会のようなものだ。この、一見すると何の変哲もない借り手ミーティングに、現代におけるマイクロファイナンスのオペレーションの鍵がある。
・(注:二宮尊徳の)五条講の開始当初(1818年)に300両だった報徳金は、彼が日光復興に着手した時(1853年)には1万両になっていたという。ここから計算すると(インフレ率を無視)、報徳金は年率12%で増加していたと考えられる。このファイナンスの仕組みにかかる諸経費は報徳金から差し引かれていたであろうこと、貸し倒れが一定程度存在したであろうことを考えると、実質金利は年率30%程度だったのではないかと思われる。
・貧困削減をミッションとして掲げるMFIが上場することに対して批判する人も多い。批判者の一人が、グラミン銀行の総裁であるムハマド・ユヌス氏だ。彼は、このIPOにショックを受けたといい、MFIは「貧しい人々を高利貸しから守るためのものであり、新しい高利貸しをつくるためではない」とコンパルタモスを批判した。
・SKSのCEOのアクラ氏は、SKSと債務者の自殺の因果関係を否定していた。(中略)しかし、その後のアソシエイテッド・プレスのレポートで、SKSは過酷な取り立ての実態を認識していたことが暴露された。ある自殺者は、ローンを免除されたければ池に入って自殺しろと言われていたという。
・一方で忘れてはならないのは、SKSらが借り手に要求していた金利水準や、延滞者に対する取り立ては既存の「町の金貸し」よりは顧客の側に立ったものであり、SKSのビジネス拡大により恩恵を受けた人々は少なくないという点だ。マイクロファイナンスが浸透する以前には、多重債務に基づいた自殺者はさらに多かったとされている。
・Financial Access Initiativeの2009年10月のレポートによると、25億人の成人が金融サービスへのアクセスを持たず、お金を借りたり預けたりすることができていないという。世界の成人のうち、半分の人が金融サービスを利用できていないことになる。
・実際にはマイクロファイナンスの貧困削減効果は思ったより平凡であると説く人々がいる。MITのアビジット・バナジーとエスター・デュフロ教授らは、マイクロファイナンスの貧困削減効果を学問的に誠実な方法で測定したが、その効果は周囲の人々が考えているほど劇的なものでもなく、またマイクロファイナンス機関ごとに異なるという。
・少なくとも、マイクロファイナンスを通じてお金を借りることができると、消費は平準化される、すなたち人々の日々の消費が安定して大きくブレなくなる効果があることがいくつかの研究で示されている。
・P2Pファイナンスの成長は著しい。2007年から2011年の間に全世界の銀行株価が10%下落している一方で、アメリカやイギリスを中心としたP2Pファイナンスの市場規模は今後も年率66%で成長し、2013年までにはその規模が50億ドルに達するといわれている。
・キバからMFIに対して行われる融資は無利子だ。というのも、キバのサービスを成立させているのは、現地の様子が詳細に分かるレポートにあり、これを作成するMFIの負担はかなり大きいからだ。
・(注:林文夫教授が推薦状を書くに渡って)私の強い推薦状により入学した学生がカスだとわかれば、私の推薦状はそれ以降一切信用されません。そういうことになれば、私の推薦状によって正当な評価を受け、本人にふさわしい大学院に留学しようとする将来の学生に重大な不利益が生じます。
・金融機関が非対称なリスクを負っていることは問題視されており、その解決のために様々な報酬設計が考えられている。ある年の運用成績が悪ければ3年前に遡って報酬を返却する仕組みや、金融機関のCEOらのボーナスが長期的な報酬に連動する仕組みなどが、これまで以上に取り入れられている。

世界一周その43ーエジプトでダハブの海とシナイ山を堪能する

ケニア/ナイロビからは結構迷ったのだけど、治安の不安があったのと、日程的なものも考慮して、カイロは飛ばして、シャルム・エル・シェイクへ。まぁピラミッドは逃げませんからね。

そこからタクシーとミニバスを乗り継いでシナイ半島の南部にあるダハブまで直行しました。現在シナイ半島北部は戦闘もあり今でも危険なのですが、紅海沿いの治安は比較的安定しています。ちなみにカイロもつい先日、外務省の出している危険レベルが下がってました。

ダハブでは、ダイビング・ライセンスが安く取れることもあってセブンヘブンという安宿へ。ドミなら1泊200円以下。ここには日本人もたくさんいて、結構楽しくやってました。

海沿いはレストランになっていて、気持ちいい
海沿いはレストランになっていて、気持ちいい posted by (C)suadd

ダハブの夜。夜でもたくさんひとが歩いてます
ダハブの夜。夜でもたくさんひとが歩いてます posted by (C)suadd

ダイビング講習は5日でアドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバーのライセンスまで取るというもので、体力的にも結構キツいのですが、個人的にはどちらかというと筆記の勉強が辛かったです。大学を卒業して以来、こういう座学的なものをまったくやっていなかったので。。

また、運動神経もいいわけでもないので、結構怒られてました。これまた怒られるというのも、非常に新鮮で中学高校時代を思い出しました。まぁはっきりいって、新しいことなので、その通りにできなくて当たり前なんですが、そういった理不尽さを含めて、懐かしかったです。

ライセンス取得後は、4本潜りに行って大体基本はひと通りできるようになりました。慣れてしまえば当たり前のようにできるという意味では、運転免許に近いですね。最初の頃は必至で周りの景色も見えていなかったのが、だんだん余裕が出てきて、ある時こんなにもたくさんの海の生き物に囲まれていたんだと思えたのが一番刺激的な瞬間でした。

ダハブの名物ダイビングスポット、ブルーホール
ダハブの名物ダイビングスポット、ブルーホール posted by (C)suadd

海はかなり綺麗。シュノーケルでもたくさんの魚が観られます
海はかなり綺麗。シュノーケルでもたくさんの魚が観られます posted by (C)suadd

それからダハブに来たもう一つの目的であるシナイ山。モーセが十戒を授かったという伝説のある山です。ここは真夜中に出て3時間くらいかけて登るのですが、これが結構キツい。真っ暗にも関わらず石がごろごろしていて足場が悪くて登るのが大変です。

シナイ山登山前。深夜1時くらいかな
シナイ山登山前。深夜1時くらいかな posted by (C)suadd

最後に800段の階段があり、追い打ちをかけます。山頂は岩場になっているのですが、行くのが早かったため頂上近くの結構いい場所を確保。最初は暗かったのですが、徐々に明るくなって日が出て、周辺の山々が日に照らされて素晴らしい景色が明らかになります。その様子は本当に素晴らしく荘厳で、モーセが十戒を授かったのもよく分かると言うものです。

シナイ山からの日の出
シナイ山からの日の出 posted by (C)suadd

シナイ山の頂上から周辺。とにかく荘厳
シナイ山の頂上から周辺。とにかく荘厳 posted by (C)suadd

シナイ山からの帰りに聖カトリーナ修道院へ寄ります
シナイ山からの帰りに聖カトリーナ修道院へ寄ります posted by (C)suadd

ダハブには結局2週間近くいて割りと時間にも余裕があったので、特に大学生といろいろ話せたのがおもしろかったです。

僕が大学生のときは将来何の仕事をするのかなんてまったく考えないで遊び回っていたし、仕事についてはまったく知らないこともあって割りと前向きな気持ちだったのですが、今は暗い世相だからか、下手に社会人と触れる機会があるからか、仕事に対してすでに希望を失っているのが印象的でした。

仕事ってすごくおもしろくて楽しいものなのになぁと思いながら、この閉塞感を打ち破るにはどうしたらいいんだろう、と考えるいい機会になりました。

次は、ヨルダンまでフェリーで渡ります。

<TIPS>
・シャルム・エル・シェイクの空港では荷物がなかなか出てこなくて焦りました。最後には別のレーンから登場。謎です。入国してみると、タクシーしかいなかったので、ミニバスを利用すべく次の便を待ってみましたが、なかなか到着せず。やむなくタクシーをタフネゴし、100エジプトポンド(EP)のところを、60EPにしてバスステーションまで行きました。そこからバスを予約しようとしたら、ミニバスがいてダハブまで60EPで交渉成立。割りと安く行けましたが、体力を消耗しました。
・ダハブでのダイビング講習はグループで行われるのですが、グループには必ず女性がいた方がいいです。それによって分からないところの質問もしやすくなるし、一体感が出るので。僕のグループはたまたま男性のみだったため、なんとなくみんなの迷惑かけるなよ的な雰囲気が漂い悪循環にはまってました。これだけは残念だったです。
・気温は夏ということもあって、連日35度前後。日中は街中を歩くのも億劫ですが、日陰は割りと快適です。水温も28度前後なのでダイビングしてても寒さを感じることはまったくありませんでした。
・ダハブには美味しいレストランが多いです。特にセブンヘブンでは日本人同士で情報交換が行われているので、安くて美味しい食物の情報もかなり蓄積されており、滞在中は今までで最高レベルの美味しい食事を堪能できました。
・シナイ山登山の前はとにかくよく寝ておくことをオススメします。また山頂でしばらく待つ間はかなり寒いので、防寒具があった方がよいと思います。また、降りた後、9時に聖カトリーナ修道院が開くまで1時間以上待つ必要があります。ここが疲れのマックスです。しかも、聖カトリーナ修道院自体は30分もかからず観られてしまうので、正直別になくてもいいんじゃないかと思いました。
・シナイ山のチケットは途中で25EPで手に入れるのですが、チェックまったくされませんでした。本当に必要だったのだろうか。。後、パスポートも持っていけと言われましたがノーチェックでした。

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台湾自転車メーカーの劇的成功ストーリー「銀輪の巨人」

台湾にある世界的な高級自転車メーカー「ジャイアント」の劇的な発展を追ったドキュメンタリー。初めは平凡な自転車メーカーが、大手へのOEM提携により技術力をつけ、オリジナルブランドを立ち上げていく成功物語で、非常にドラマチックでおもしろいです。

一方で、一時期は世界を席巻した日本の自転車メーカーがママチャリ文化から抜けだせず衰退していく様も描かれていて、日本の電機メーカーなんかを連想させて少し悲しくなりました。

それでも、この物語からは、今後日本の製造業がどのように発展していくべきかへの指針が示されていると思います。ぜひその辺りの業界の方に読んでいただきたい作品です。

<抜粋>
・台湾の自転車輸出額はここ10年、一貫して右肩上がりを続けている。 輸出額は2002年の5億米ドルから、2011年には16億米ドルと3倍以上になった。輸出台数のほうは2002年と2010年との間はともに400〜500万台程度で、ほとんど変わっていない。 これは、自転車1台当たりの平均輸出単価が大きく跳ね上がったためで、2002年は124米ドルだったのが、2011年には380米ドルに達している。
・ジャイアント自身の業績の伸び方はもっと激しい。 1999年に319万台を売って総売上高は118億台湾ドルだったが、2011年には577万台を販売し、総売上高は474億台湾ドル(注:約1250億円)にふくれあがっている。営業利益からみた地域別の貢献度では、ヨーロッパが27%、北米が23%、中国や日本、台湾などのアジアが40%と世界すべての土地で売れており、特にロード車やマウンテンバイクなど中・高級車の自転車業界において、ジャイアントは紛れもなく世界トップの完成車メーカーとして君臨している。
・「うちの自転車はどの国に行っても、マスマーケット(量販店など)では買えません。マスマーケットはどうしても販売オンリー、販売優先になってしまう。アフターケア、アフターサービスをやってくださらない。しかし、自転車は乗ったら必ず修理が必要な乗り物であり、自転車産業にはアフターサービスがなくてはならない。だから、専門店以外ではジャイアントは買えないし、ジャイアントの自転車にはアフターサービスが必ずついてくる、という大前提を一度も崩しておりません」
・(注:ブリジストンサイクル社長が、1996年に語った)「現地メーカー品の中心価格が600元(1元=13円)なのに対し、当社の中国向け製品は800元程度で高い。東南アジアには中国製品が浸透しており、市場開拓は不可能に近い」 現地メーカーの作っている製品との価格差が10倍あるならともかく、800元に対して200元の差しかないのならば、品質が良いものを作って差別化していくことは可能ではないだろうか。その気概もなければ、長期的に中国という巨大人口を持っている潜勢的なマーケットを開拓していくという戦略もまた感じられないコメントである。

ギネスビールからビールの歴史を紐解く「ギネスの哲学」

ギネスビールがどのように発祥し、代々発展してきたかを中心にビール全体の歴史を紐解いた非常に奥深い作品です。

ギネス社は、おどろくべきことに1900年代初めから現在のGoogleなんかよりも手厚い福利厚生を提供しており、また公共に対しての責任を果たしてきました。

1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス

そして、代々に渡って有能な経営者を輩出することで、数々の革新を起こし、世界最大のビール会社にのしあがっていきます。成功物語として非常におもしろいです。

一方で、古代においてはビールは水よりも安全なことから宗教とも密接に関わりあいがあり生活に密着しており、エジプトのファラオの墓には必ずビール桶がおかれ、ピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際にはほとんど裸のインディアンが「ビールは無いか?」と英語で訊ねられた、というようなエピソードも描かれています。

本当に知らなかったことばかりで、非常におもしろかったです。おすすめ。

<抜粋>
・世界中で毎日消費されるギネスは1000万杯以上。年間約20億パイント
・1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス
・(ほとんど裸のインディアンがピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際に)「ようこそ!」 きれいで、完璧な英語だった。さらに驚くべきことに、男は、またまたピルグリム・ファーザーズたち自身の言葉で流暢に訊ねた。 「ビールは無いか?」 そう、ビールである。 これは事実である。
・ピルグリム・ファーザーズが最初に建設した恒久的な建物が醸造所だったことは、その物語におけるビールの重要性を証明している。
・エジプト人から見れば健康と福祉にとってビールは不可欠であったから、紀元前3000年にはすでに『死者の書』の中で、死後の世界への旅の必需品としてビールがあげられている。エジプトのファラオの墓に必ずビールの桶を考古学者たちが発見するのは、このためだ。
・(注:ルター)「私は木曜日に結婚することになった。……カタリナと私は貴殿にトルガウ産最高のビールを一樽送ってくれるよう、お願いする。贈られたビールが旨くない場合には、貴殿に全部飲んでいただくことになろう」
・(注:建築家レンの墓の銘板)「これを読む人よ、かれの記念碑を求めるならば、周囲を見回されよ」
・ダブリンに進出した時、アーサーは34歳である。ドクター・プライスの秘書兼助手として八年間働いていた。継母の旅籠で三年間ビールを造っていた。さらにリーシュリップの自分の醸造所を五年近く経営している。
・しかしながら、前任者が夢にも思わなかった規模にまで会社を拡大するのに、エドワード・セシルがいかにその天才を発揮したとしても、こんにちまでその名が残っているのは、それが理由ではない。そうではなく、偉大な企業家のご多分に漏れず、エドワード・セシルが後世に残す遺産となったのは富を生みだしたことではなく、生みだした富による慈善事業なのだ。
・かの言いふるされたことが真実ならば、企業というものはそれが生み出す文化によって評価されなければならない。そう、文化だ。文化とは「成長を促進するもの」であり、「そこから触発されるふるまいと考え方」を意味する。
・19世紀の後期、ダブリンは不浄の街だった。病と悪徳にまみれた不潔な沼だった。ダブリンの伝染病の罹患率はヨーロッパ諸都市の中で最悪だっただけでなく、死亡率もまた最高だった。
・世界最大のチョコレート会社の創設者ジョン・カドベイリィは1801年イングランドのバーミンガムに生まれた。(中略)カドベイリィはアルコールこそが自分たちの世代にとって神の苔であると信じた。クェーカーであるカドベリィはアルコールの摂取は道徳に反すると主張していたが、泥酔が時代の疫病神であり、後には貧困と悪徳しか残さないことを見て、ますますこのことを確信した。(中略)ジンやウィスキーを飲むことであれほどたくさんの人間の一生がめちゃめちゃになっているのだから、「チョコレートを飲む」ことは代わりになるはずだとカドベリィは信じたのだ。
・禁酒法は後世、アメリカの歴史史上最も愚かしい製作の一つであり、これに続く何世代にもわたって道徳と法律をめぐる議論の的とされることになる。世間での支持も小さかった。1926年に行われたある投票ではアメリカ人のうち禁酒政策とその法的根拠となった憲法修正18条を支持する者はわずか19パーセントにすぎないことが明らかとなった。
・最初のきっかけは1951年、アイルランドのウェクスフォド州に狩猟に出かけた時だった。サー・ヒューはイングランドの猟鳥で一番速く飛ぶ鳥は何かをめぐって友人の一人と議論になった。胸黒か、はたまた雷鳥だろうか。ところがこの問題の答えを教えてくれる本はどこにも無かった。
・ビーヴァーははじめ、この本をアイルランドと連合王国のパブ向けのプロモーションに使うつもりだった。経費はビールの売上でまかなえるだろうから、タダで配る計画だったのだ。 本は『ギネス・ブック・オブ・レコード』と名付けられた。1954年に単なる宣材として発行されたこの本は、翌年、英国のベストセラーのトップに踊りでた。(中略)より重要なことは、この本によってギネスの名前が、その伝説的なビールの評判だけでは浸透しなかった国々や世代にまで知られるようになったことだろう。
・1986年、まだ50歳にもなっていなかったベンジャミンは会長職を辞し、社長のタイトルを受けることにした。かくてギネス社の歴史上初めて、会長職が一族以外の人間に任されることになった。(中略)1983年、ギネスの純資産は2億5000万ポンドだった。わずか四年後、この数字は四倍の10億ポンドを超えていた。ギネス社は世界最大の企業の一つとなり、会長職の責任の大きさは、それを天職と心得たわけではなく、単に家業として受け継いだだけの人間には重すぎるものになっていた。

世界一周その42ーケニアのサファリの動物たちはとてもキレイ

ヨハネスブルグからはケニアのナイロビに飛びます。ナイロビに来たのはサファリに行きたかったから。早速宿でいろいろ聞いてみるともう少し安くなりそうな予感。そしたら旅行会社に電話してくれて迎えに来てもらえることに。宿はナイロビのダウンタウンからは車で30分くらい離れていたので、いい機会だと思って行くことに。

交渉の末、少しだけ安くしてもらって契約。その後、旅行会社のひとに少し街中を案内してもらいます。ナイロビはヨハネスブルグほどではないものの超危険都市のひとつ。しかし、中心部はビジネス街になっており、スーツ姿のひとも多くあまり危険な感じはしません。まぁ少し離れるとだいぶヤバいらしいので、ランチと少し買物するくらいで日の明るいうちに宿まで送ってもらいました。

ナイロビ市内。結構普通な雰囲気なんだけども。。
ナイロビ市内。結構普通な雰囲気なんだけども。。 posted by (C)suadd

郊外にある安宿Jungle Junction。キャンプサイトもあって気持ちいい
郊外にある安宿Jungle Junction。キャンプサイトもあって気持ちいい posted by (C)suadd

翌日から早速、サファリツアーとして一番有名なマサイマラ国立保護区へ。しかし、いきなり車が故障したりして、キャンプ場までなかなかたどり着けません。まぁアフリカはそういうものなんだろうという諦め。とはいえぎりぎり日没までに到着して、サファリへ行くことができました。翌日は丸一日、3日目はナクル湖へ移動。4日目はナクル湖国立公園とナイバシャ湖へ行きました。

サファリへ行く最中、車が壊れた時に撮った一枚
サファリへ行く最中、車が壊れた時に撮った一枚 posted by (C)suadd

キャンプ場は、キャンプとはいえ温水シャワーやトイレもついている半固定式のテント。食事は皆でダイニングで食べる感じなのですが、いろんな旅行会社が相乗りしているようで、いろいろな国の人が集まってきていて、かなりおもしろかったです。

もっとプライベートだったり、快適なツアーもたくさんあるようですが、いろいろトラブルもありつつも、基本的には親身になってなんとか解決しようとしてくれて、悪くなかったと思います。

肝心の動物たちですが、いろいろなひとと話しても、結構運がよかったらしくほとんどメインの動物を観ることができたようで、ラッキーでした。サイだけが少し遠目にしか見ることができなかったのですが、他はほぼほぼ見ることができたので。

印象的だったのは、動物たちがすごくキレイなことです。動物園なんかで観ると薄汚れてたり匂いがしますが、野生の動物たちは水浴びもちゃんとしているのか清潔だし、毛並みも美しいのです。

ゾウ。大迫力、野生のゾウはキレイでした
ゾウ。大迫力、野生のゾウはキレイでした posted by (C)suadd

ハゲタカ。不気味です、漁ってました
ハゲタカ。不気味です、漁ってました posted by (C)suadd

後、保護区内では、当然狩る側と狩られる側がいたりするわけです。実際、ヌーやシマウマの死がいをハゲタカが漁っていたりするのは何度見たか分からないくらいです。だけれども、一方では、ヌーやシマウマたちは大量にいて悠然と草を食べたりしています。この不思議な調和を感じられたのが、すごくよかったです。

ちょっと写真が多いですがどうぞ。

ヒョウ。観られるのはラッキーらしい
ヒョウ。観られるのはラッキーらしい posted by (C)suadd

意外に可愛いハイエナ
意外に可愛いハイエナ posted by (C)suadd

シマウマと虹
シマウマと虹 posted by (C)suadd

チーター。これもレア動物
チーター。これもレア動物 posted by (C)suadd

ダチョウの求婚。ちなみに追いかけてる方がメス
ダチョウの求婚。ちなみに追いかけてる方がメス posted by (C)suadd

ヌーはもう山ほどいます
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バッファロー。こちらも山ほどいます
バッファロー。こちらも山ほどいます posted by (C)suadd

キリン。ナクル湖で
キリン。ナクル湖で posted by (C)suadd

イボイノシシ。キュート
イボイノシシ。キュート posted by (C)suadd

ナクル湖
ナクル湖 posted by (C)suadd

サイ。遠目にしか観られず
サイ。遠目にしか観られず posted by (C)suadd

ライオン。寝起きにギロって観られたとこ
ライオン。寝起きにギロって観られたとこ posted by (C)suadd

ライオン夫婦。最後の最後に出会えて感激しました
ライオン夫婦。最後の最後に出会えて感激しました posted by (C)suadd

次は、エジプトへ向かいます。

<TIPS>
・ケニアは赤道直下の国ですが、ナイロビやマサイマラは標高があるため割りと涼しいです。夜は長袖でないとかなり寒いです。逆に昼は半袖でも暑いくらいですが、カラッとしているので日陰ではそう暑くありません。
・アフリカと言えば、マラリアや黄熱病など風土病が気になりますが、マラリア以外は予防接種で大体防ぐことができます。マラリアは予防注射ができないので、飲み薬があります。僕は、予防接種はひと通りしていきましたが、マラリアについては、一応蚊に気をつければ大丈夫なのと(大体、宿には蚊帳があります)、ナイロビやマサイマラのような標高の高いエリアでは蚊の種類が違う場合が多く噛まれたとしてもマラリアに感染する恐れは低い、ということで飲み薬は持っていきませんでした。(が、この結果は潜伏期間を経ないと分かりません)
・サファリツアーはBigtime Safarisというところを利用しました。ネット上で評判が悪いPlanet Safarisの方が安かったのですが、結局、Planetのひとも一緒のキャンプ場を使い、同じグループになったりして結局同じだったのかもしれません。とはいえ、決定的なトラブル(車が完全に動かなくなった、とか)の時の対応の良し悪しもあるかと思うので分かりませんが。参考までに書くと3泊4日ツアー(宿泊、入園料、食事など全部込み)で430ドルでした。
・サファリツアーでどんな動物が見られるかは本当に運です。サファリで話した限りでは、結構メジャーな動物でも見てないひともいれば、ライオンを何度も見たひともいました。また、狩りや交尾は僕は一度も見ることができませんでした。よって、できる限り長くいて、辛抱強くドライバーに希望を伝える、くらいしかできません。

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