シリコンバレーの日常「サルたちの狂宴」

著者は、ゴールドマン・サックスからスタートアップに転職し、その後スタートアップ(Y Combinator参加)をTwitterに売却し、Facebookで広告プロダクトを作っていた方なのですが、とにかくプライベートから仕事のことまでぶっちゃけすぎてて非常におもしろかったです。

シリコンバレーのイケてないスタートアップの内情から、起業の仲間集め・プロダクト開発・投資(エンジェルからVC)・売却(アクハイア)、Facebookの社内政治・文化(恋愛含む)・IPO・広告プロダクト、そして成功と失敗についての講釈の誤りなどなど、身も蓋もない話がすごいスピード感で描かれています。

著者はまったく鼻持ちならない人間なのですが、最後まで読み終えるとなんとなく愛着が出てくるし、言ってることは身も蓋もないだけで本質をついているところも多く、実際のところすごく人間らしいだけなのかもしれないとも思えてきます。

少なくともこれだけのリアルをぶっちゃけてくれるのは本当に世の中にとって意味があることであるのは間違いないです。スタートアップに関わる人は必読です。

最後に引用されていて大変共感した言葉を紹介しておきます。

スピードが肝心 すべてコントロールできているように思えるときは、出すべきスピードを出していないだけだ。 ――マリオ・アンドレッティ、F1ドライバー

最近5年間のこと「メルカリ 希代のスタートアップ、野心と焦りと挑戦の5年間」

日経奥平さんにメルカリのことを書いていただきました。私も何度かインタビューしてもらいましたし、関係者への膨大かつ綿密な取材を元に描かれています。

読んでいると、その時々のギリギリな感覚、その中で辛かったり、悔しかったり、うれしかったり(こっちは稀)を克明に思い出しました。それもわずか5年強くらいの出来事なのがまったく信じられない思いです。

個人的には、私の物語というわけではなく、関わってくれている方々の群像劇になっているのがすごくうれしかったです。私も知らないことがたくさんありましたし(忘れていることも、、、)、そうやってみんなでメルカリを創ってきたのだなと、改めて関わってくれている方々への感謝しかありません。

赤裸々に描かれていておもしろいかと思いますので、ぜひどうぞ。

ホモ・サピエンスの行く末「ホモ・デウス」

イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの新作。前作「サピエンス全史」は人類の歴史のすべてを描こうとした意欲作でしたが、「ホモ・デウス」は、サピエンス(人類)がデウス(神)になるときなにが起こるのかという、今後の人類の行く末を描こうとしており、哲学とテクノロジーが合体したようなさらなる意欲作となっています。

前半は「サピエンス全史」とかぶる部分もあるのですが、後半はテクノロジーの進歩によって、ひとの判断をアルゴリズム(AIのような)に委ねるようになり、また圧倒的な豊かさによりもはや何もしなくてよい世の中になった時、何が起こるか、というような壮大なテーマに挑んでいます。

実際は荒削りな部分も多く、また自分としても消化できてない部分が多いのですが、最近ひとと話していると本書の話になることが多く、様々な議論を呼ぶ非常に興味深い作品であることは間違いないです。

以下抜粋コメントでいきます

やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか? 人は何かする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。彼らは一日中、何をすればいいのか? 薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかもしれない。必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティの世界でしだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない。その世界は外の単調な現実の世界よりもよほど刺激的で、そこでははるかに強い感情を持って物事にかかわれるだろう。とはいえ、そのような展開は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に致命的な一撃を見舞うことになる。夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖だというのか?

人類は薬物とコンピューターゲームに明け暮れると。しかし本当にありえそう。現実はクソゲーでがんばっても成功するとは限らないが、ゲームはそうではない。しかし個人的には現実の方がゼロサムでなく再現性がないからこそのおもしろさがあるのではと思う。

当然ながら、グーグルはいつも正しい判断を下すとはかぎらない。なにしろ、万事はただの確率だからだ。だが、もしグーグルが正しい判断を十分積み重ねていけば、人々はしだいにグーグルに権限を与えるようになるだろう。時がたつにつれ、データベースが充実し、統計が精度を増し、アルゴリズムが向上し、決定がなおさら的確になる。グーグルのシステムはけっして私を完璧に知ることはないし、絶対確実にはならない。だが、そうなる必要はない。自由主義は、システムが私自身よりも私のことをよく知るようになった日に崩壊する。たいていの人は自分のことをあまりよく知らないのだから、本人よりもシステムのほうがその人のことをよく知るのは、見かけほど難しくはない。

たいていの人は自分のことをあまりよく知らないってのはほんとそうで、確かに自分よりもグーグルやフェイスブックが自分のことを知りつつあるというのは納得感がある。ティッピング・ポイントに到達した時に何が起こるかは非常に興味深い。

ヨーロッパの帝国主義の全盛期には、征服者や商人は、色のついたガラス玉と引き換えに、島や国をまるごと手に入れた。二一世紀には、おそらく個人データこそが、人間が依然として提供できる最も貴重な資源であり、私たちはそれを電子メールのサービスや面白おかしいネコの動画と引き換えに、巨大なテクノロジー企業に差し出しているのだ。

これからは、データの時代に突入する

自由主義に対する第三の脅威は、一部の人は絶対不可欠でしかも解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の、少数の特権エリート階級となることだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するシステムのために不可欠な仕事を行なうが、システムは彼らを理解することも管理することもできない。ところが、ほとんどの人はアップグレードされず、その結果、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。

そうなりつつある世界で、超人=価値を生み出せる人間というのはどういうひとたちだろうか?

したがって、より大胆なテクノ宗教は、人間至上主義の 臍の緒 をすぱっと切断しようとする。そういうテクノ宗教は、何であれ人間のような存在の欲望や経験を中心に回ったりはしない世界を予見している。あらゆる意味と権威の源泉として、欲望と経験に何が取って代わりうるのか? 二〇一六年の時点では、歴史の待合室でこの任務の採用面接を待っている候補が一つある。その候補とは、情報だ。最も興味深い新興宗教はデータ至上主義で、この宗教は神も人間も崇めることはなく、データを崇拝する。

しかし欲望がなくなるということはないのでは。それこそ神の手みたいな話で実際は人間は合理的な判断をしていないし、したくもない、のではないだろうか?

一九世紀と二〇世紀には、産業革命がゆっくりと進展したので、政治家と有権者はつねに一歩先行し、テクノロジーのたどる道筋を統制し、操作することができた。ところが、政治の動きが蒸気機関の時代からあまり変わっていないのに対して、テクノロジーはギアをファーストからトップに切り替えた。今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。

民主主義がうまく機能していないのではという疑念はテクノロジーの進化が早いからだと。

私たちは、情報の自由と、昔ながらの自由主義の理想である表現の自由を混同してはならない。表現の自由は人間に与えられ、人間が好きなことを考えて言葉にする権利を保護した。これには、口を閉ざして自分の考えを人に言わない権利も含まれていた。それに対して、情報の自由は人間に与えられるのではない。 情報 に与えられるのだ。しかもこの新しい価値は、人間に与えられている従来の表現の自由を侵害するかもしれない。人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、情報が自由に拡がる権利を優先するからだ。

情報の権利の話。「人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、情報が自由に拡がる権利を優先」こんな世の中が来るのかもしれない。今のところGDPRなどみてると逆だが。

ところが二一世紀の今、もはや感情は世界で最高のアルゴリズムではない。私たちはかつてない演算能力と巨大なデータベースを利用する優れたアルゴリズムを開発している。グーグルとフェイスブックのアルゴリズムは、あなたがどのように感じているかを正確に知っているだけでなく、あなたに関して、あなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。したがって、あなたは自分の感情に耳を傾けるのをやめて、代わりにこうした外部のアルゴリズムに耳を傾け始めるべきだ。一人ひとりが誰に投票するかだけでなく、ある人が民主党の候補者に投票し、別の人が共和党の候補者に投票するときに、その根底にある神経学的な理由もアルゴリズムが知っているのなら、民主的な選挙をすることにどんな意味があるのだろうか? 人間至上主義が「汝の感情に耳を傾けよ!」と命じたのに対して、データ至上主義は今や「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令する。  あなたが、誰と結婚するべきかや、どんなキャリアを積むべきかや、戦争を始める

合理的な選択をするだけなら本当にこれでいいと思うのだが、そもそも欲望自体はどうするのか。しかしその欲望自体もAIの方が分かるのかもしれない。ただ最後の最後まで結局AIには限界がある気はしている。ひとの気分はいつでも代わりうるし、まったくそれは合理的ではないから

1 科学は一つの包括的な教義に 収斂 しつつある。それは、生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。  
2 知能は意識から分離しつつある。  
3 意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。  

この三つの動きは、次の三つの重要な問いを提起する。本書を読み終わった後もずっと、それがみなさんの頭に残り続けることを願っている。

1 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?  
2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?  
3 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

意識の方が価値があるというよりは、結局のところ人間は意識でしか無いということなのかなと。なので意識のことをAIが分かるようになったと言っても、結局最後の最後では意識が合理的な判断をしないで欲望に流されることになる。しかしそれすらもアルゴリズムは予想するのかもしれない。ただ複雑性的な考え方では予測できないのではないだろうか。と考えたら、アルゴリズムではないと言える気がする。今僕がこの文章を書いているということは僕の意識がしっかりと認識している。AIにはその目的すら分からない。何を目指しているのか分からないというか欲望のないAIというのはどこに向かうのだろうか。生存本能だけ? しかしAIは永遠に生存している。人間は死ぬ。だからこそ欲望があるのかもしれない。限らえた時間の中で自分なりのやりたいことをやりつくそうとして死んでいく。だからこそ人生に価値がある。AIはずっと存在する。終わりがないということは欲望も持たない。子孫を残したいとも思わないように。この辺りはおもしろいテーマだなと。

エイベックス松浦氏の頭を覗く「破壊者」

エイベックス株式会社代表取締役会長CEO松浦勝人氏の「GOETHE[ゲーテ]」の連載をまとめたエッセー集。2009年からはじまって2018年5月まで、時々のトレンドへの言及もあり、すごくおもしろい。例えば、アーティストのCD中心のビジネスからマネジメント・ビジネスへの移行、EDM、定額制音楽配信などはかなり昔から言及して手を打ってきているのが見て取れます。

また、会社への想いや、仕事のやり方、お金について、若さについてなどなど、松浦氏の(その時々の)思考がぶっちゃけられていて、頭の中を覗き込んでいるような不思議な感覚になります。個人的には、共感する部分も多く、大変勉強にもなりました。

起業家なら分野は違っても読んでおくべき一冊かと思います。

「エンジェル投資家」の実情を知る

シリコンバレーで成功したエンジェル投資家として有名なジェイソン・カラカニス氏が、エンジェル投資とは何なのか、どうやってやるのか、その周辺のエコシステム(主にシリコンバレーの)についてなどを書いてるのですが、あまり表に出てきてない情報が多く非常に貴重な一冊になってます。

私もエンジェル投資は30件くらいやってきているのですが(ここ数年はやっていません)、本書に書いてあることはかなり実情に近いことがあるのは間違いがないです。押さえなければいけないポイントも網羅されていると思いますし、エンジェル投資をやってみたいという方には必読かと思います。

一方で、起業に絶対に成功する方法などないように、投資も同様です。本書は筆者のスタイルが強い部分もあるので、すべてを参考にしたり真似したりする必要はまったくなく、むしろこれを参考に自分なりのスタイルを確立できたひとこそ、エンジェル投資で成功できるのだと思います。

また、本書はエンジェル投資についてですが、上場株や不動産など他の投資をする方にも(投資という意味では同一の)こういう世界があるんだなということを知るためにもすごく役に立つかなと思います。

日本インターネット・メディアの歴史「ソーシャルメディア四半世紀」

東京経済大学教授の佐々木裕一氏が日本の各インターネット・メディアやその周辺ビジネスがどのように誕生し、成長し、そして衰退していったのかを追っています。もはや個人的には日本インターネット・メディアの歴史書といっても良いのではないかと思われる大作です。

豊富なインタビューを元にしており、ある時点でどういう意図でどういった判断がありどういう結果が出たのかなど詳細に書かれています。私も継続的にインタビューしていただいてまして、映画生活、フォト蔵、まちつく!、メルカリも取り上げていただいているのですが、他サービスがどういう状態だったのかは知らないことも多く、ものすごい興味深かったし、勉強になりました。

2000年、2005年、2010年、2015年、そして現在といったように時代背景も丁寧に書かれていて、その時代をまさにプレイヤーとしてもがき続けてきた一員として、懐かしさと同時に苦しい思いも蘇えりました。

これからどんなインターネット・ビジネスをする上でもこの歴史を知っているのと、知らないのでは大きな差が出ると思います。そういった意味で、この業界のひとは必読かと。

※本書はインタビュー協力したため献本いただいてますが、Kindleで購入し読んでいます

ローマへと続く「ギリシア人の物語」

「ローマ人の物語」の塩野七生氏がギリシア勃興の歴史を全三巻で描いています。一巻づつレビューしていきます

■ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

なぜなら、古代のアテネの「デモクラシー」は、「国政の行方を市民(デモス)の手にゆだねた」のではなく、「国政の行方はエリートたちが考えて提案し、市民(デモス)にはその賛否をゆだねた」からである。  クレイステネスは、自らが属す特権階級をぶっ壊したのではない。それどころか、温存を謀ったのだ。ただしそれは、当時のアテネ社会の中での力の移行を考慮したうえでのことであり、ゆえに特権階級のマイナスの部分はきっぱりと切り捨てて、ではあったのだが。  アテネの民主政は、高邁なイデオロギーから生れたのではない。必要性から生れた、冷徹な選択の結果である。このように考える人が率いていた時代のアテネで、民主主義は力を持ち、機能したのだった。

アテネにおける民主主義の誕生と、対抗軸としてのスパルタの成り立ち。そして、ペルシアとの攻防。特に、マラトンの戦い、サラミスの海戦でのギリシア側勝利をダイナミックに描いています。こういった歴史をみると、本当にひとりの人の判断が歴史を変えることがあり得るということを改めて感じさせられます。一方で、繰り返し出てくる大衆の愚かしさも。。

■ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

ペルシアとの戦いに勝利したギリシアが繁栄を謳歌するところから始まります。アテネではペリクレスという天才政治家が現れ「デロス同盟」や民主政を確固たるものとしていきます。一方で、スパルタとの長期にわたるペロポネソス戦争に突入していきます。紆余曲折あった後、アテネの敗北に終わるわけですが、この辺りの戦局(場所も)の移り変わりがすごく興味深い。何が重要かということすら、刻一刻とダイナミックに変化する好例かと思いました。また一度の敗退が決定的にすべてを変えてしまう残酷さも。

■ギリシア人の物語III 新しき力

アテネ敗北後の世界のカオスぶりが、ソクラテスの自死事件なども含めて、描かれています。しかし、その後、マケドニアにフィリッポス、次いでその息子であるアレクサンドロス(いわゆるアレキサンダー大王)が登場し、一転ギリシア文明が、ペルシアを征服する側にまわります。

常に劣勢かつ相手の選んだ戦場で戦いながら連戦連勝なのはまさに天才。ローマの英雄ユリウス・カエサルは40を過ぎてから頭角を表しますが、アレクサンドロスは20歳で即位してから無敗でペルシア帝国を滅すまでする。

また戦争だけでなく、占領した地域の統治も滞りなく行っている。でなければ広大なペルシアを滅ぼしながら、インドまで行けるはずがありません。

アリストテレスが家庭教師だったり、フィリッポスの帝王学を一心に受けて育ったとは言え、どうやったら経験がほとんどない中でほぼノーミスで直実な打ち手をしながら、東征をやりとげることができたのか、本当に不思議です。

著者もなぜ後継者を指名しなかったのかというところで、

 「決定的な何か」とは、言い換えれば洞察力である。これを辞書は、見通す力であり見抜く力、と説明している。イタリアでは、この種の能力に欠ける人を、自分の鼻の先までしか見る力がない人、という。だから、洞察力のある人とは、その先まで見る力がある人、のことである。  だが、洞察力とは、自分の頭で考える力がなくてはホンモノにはならない。  私には、アレクサンドロスは配下の将たちに、考える時間を与えなかったのではないか、とさえ思えるのである。

と述べています。天才すぎたが故に部下が育たなかったというのが唯一の難点だったのかもしれません。ただ彼が生きた時代は、紀元前330年前後のほとんどギリシアとペルシアくらいしか文明がなかった(東洋除く)時点でまとめられる力量を持った人材がいなかったとして責められるのかというと疑問は残ります。

その後帝国は数十年かけて瓦解しましたが、それでもヘレニズム文化は残り、その後のローマ帝国などに繋がっていきました。まさに歴史を変えるとはこういうことなんだろうなと。

ビジネスモデルの最前線「プラットフォーム革命」

Apple、Facebook、Google、Alibaba、Tencent、Airbnb、Uberなどなど近年大成功するインターネット・カンパニーはプラットフォームであることが多い。本書は、そういったプラットフォーム・ビジネスとは何なのか、どうやって作るのか、失敗するのか、拡張するのか、などを豊富な事例を紹介しながら、理論にまでしようという意欲作です。

メルカリもプラットフォーム・ビジネスなわけですが、いまどういった立ち位置にいるのか、どうやって改善していくべきなのか、どういった場合に脅威が生じるのか、どうやって拡張していくべきなのか、などを考えるのにすごく参考になりました。

正直理論的なものは荒削りと感じたのですが、それでも整理されていてすごく勉強になりましたし、インターネット・ビジネスをするなら必読だと思います。

最後に、プラットフォームは作るのが一番大変なわけですが、最初に重要なことは

「重要なのは、あれこれ付け加えることじゃない。そぎ落とすことだ」
──マーク・ザッカーバーグ、フェイスブック創業者・CEO

最強の目標管理フレームワーク「OKR」

OKR(Objectives and Key Results)はGoogleはじめシリコンバレーで主流の目標管理フレームワークで、メルカリでも割りと初期から取り入れています。僕自身もZyngaではじめて経験したのですが、著者のクリスティーナ・ウォドキー氏もZyngaで学んだと言及してます。

途中物語になっていたりして、サクサク読めるのですが、概念を理解するのに非常に有益だと思います。

本書でも繰り返し言及されていますが、OKRがよいのは重要なことにフォーカスできるようになることだと思っています。特にスタートアップでは、日々緊急だったり重要そうな出来事が起こったりして、誘惑が山ほどあります。OKRでは、重要なことをObjectiveで定義すること、それを達成するとはどういう意味かということをKR(Key Results)で明確に数値化することで、全員の意識をフォーカスさせられるのが非常にすばらしいと思います。KRにプライオリティをつけることで判断を迷わなくてもよくなるし、何をやらないかを決めることが容易になります。

とはいえ、OKRの設定と運用はすごく難しいです。適切に設定してきちんと運用しないと推進力にならない。メルカリでもいろいろな失敗をしてきました。本書を読んで、Objective設定をもっと重視した方がよいなど気付かされることもたくさんあったので、うまく取り入れていこうと思います。

勇気がもらえる「問題児 三木谷浩史の育ち方」

楽天創業者の三木谷さんを生まれから追ったドキュメンタリー。最近日本で兆クラスの企業を一から作り上げた例はほとんどなく、新経連などでの影響力も考えると稀有な起業家です。綿密な取材により、プライベートまでかなり踏み込んで書かれていて、どのように三木谷さんが育ち、なぜ楽天が成功してきたかが描かれています。

本書読むと、三木谷さんが明確な意見を持ち、自信を持って事業を推進してきていることがよく分かります。楽天市場にしても野球にしても必ず成功すると考えて始めています。一方で、TBSのようにうまく行かなかったケースもあるわけですが、それでも前向きに考えています。

全般的に礼賛な部分もあるのですが、それでもこの「楽天さ」によりやりたいことをどんどんやっていく姿は、すごく勇気づけられたし、もっと自由にやっていいんだなと改めて思いました。日本の起業家にはオススメの一冊です。

※私は1999年に楽天内定者として半年ほど働かせていただき、社会人としての基礎は楽天で学びましたし、まだ数十人のスタートアップだった当時の雰囲気を自社でも生み出せているかをひとつのベンチマークにしています

UberとAirbnbの成り立ち「UPSTARTS」

最近生まれたUberとAirbnbという数兆クラスのメガベンチャーの歴史に迫ったドキュメンタリー。広範囲な取材により若干拡散気味ではあるが、それも含めてまだ歴史が固まっていない今ではすごく意味があると思います。

本書では、投資を見送ったベンチャーキャピタリストや参画を見送ったり辞めたひとびとへの大量のインタビュー、カウチサーフィン、ウィムドゥ(ヨーロッパ版Airbnb)やヘイロー、ディディ、リフト、サイドカーなどの内情や関係性、各国やUS州の政府との激しいロビイングの推移などが、ライブに描かれています。結局Uber CEOのカラニックは退任という結論になったわけですが、現在進行系のものも多い。

これだけ急激に成長するとなると、本当にあらゆるところで軋みが産まれるものですね。それらひとつひとつに向き合って真摯に対応していかなければならないのがスタートアップの宿命なのかなと。逆に言えば、それだけ世の中に求められているとも言えます。ともかく起業家としては非常に勉強になる必読本です。

幅広い知識で迫る「貨幣の「新」世界史」

元JPモルガンのアナリストでアリババのIPOなども担当した著者が、様々なアプローチでお金の本質について迫った本。幅広い知識で、お金の起源からビットコインのような最新の事例まで迫っており非常に勉強になりました。一方で、お金が、ここ2年で仮想通貨の普及も含めて、ものすごい勢いで再定義されつつあると感じており、また最新の見解を聞いてみたいと思わせました。

以下、抜粋コメントで

広い視野を持つためには広い定義が欠かせない。そこで私は、お金は価値のシンボルだという定義にたどり着いた。シンボルとは何かほかのものの象徴であり、抽象的な形で表現される。一方、価値とは何かの重要性や値打ちを意味する。このふたつをまとめれば、お金は何か価値のあるものや大切なものの象徴ということになる。

お金に関してカーツワイルは、その普遍性を確信してつぎのように述べる。「たとえばアメリカ政府とアルカイダのように、一部の事柄に関して見解が大きく異なっていても、お金を尊重する気持ちはどちらも変わらない。お金という難解で仮想的な複合概念に対する尊敬の念が、ここまで普遍的であることには驚かされる(98)」。誰もがお金を利用し尊重している現実を考慮すれば、大きな変化が生じたときには人類に甚大な影響がおよぶだろう。

確かにこの普遍性は非常に興味深いし、「お金は何か価値のあるものや大切なものの象徴」という定義もおもしろい。

現代のポートフォリオ理論は理に適っているような印象を受ける。しかし意外にもマーコウィッツ自身、自分の退職後に備えた投資の方法については簡単に決めかねている。   私はアセットクラス〔投資対象となる資産の種類や分類〕の過去の共分散を算定してから、有効フロンティア〔ポートフォリオ期待収益の分散において、期待収益を最大にあげられる個別資産の組み合わせの集合〕を引き出すべきだった。ところが、自分の関与しないところで株価が上昇したと言っては狼狽し、逆に自分が深く関与しているところで株価が下落したと言っては絶望に打ちひしがれる場面を思い浮かべた。将来悔やむような展開を最小限に抑えることが、頭から離れなかった。そこで、資産を債券と株式と半分ずつに分けて投資することにした(18)。  現代のポートフォリオ理論の発明家は、自分の発明品を使わなかった。合理的だとされる行動を理解していながら、一見すると不合理な行動を選んでしまった(19)。ノーベル賞を受賞するほどの経済学者がこのような行動をとるのは、人間が合理的だという前提に問題があることの証拠ではないか。日本では、東京の高級住宅街の四四六人の住民を対象に調査が行なわれた。住民は合理的に自己利益を追求するものと予想されたが、ホモ・エコノミクスの行動モデルに忠実だったのは僅か三一人、全体の七パーセントにすぎなかった(20)。「経済学者のモデルはまったく当てにならない。人間的な要素の大切さをすっかり忘れている」と、数量ファイナンスの専門家であり教育者であるポール・ウィルモットは語る(21)。

現代ポートフォリオ理論の考案者のひとりであるマーコウィッツすら、老後の投資に現代ポートフォリオ理論を使わなかったという事実。経済は合理的なひとの行動の集合であるという前提が崩れているのは明らかなのだが。

何世紀ものあいだ経済学者は、物々交換がお金の前身だと主張してきた。しかし実際には、ほかの金融商品が広く普及していた。債務である。

金属主義者と表券主義者のあいだでは、お金の起源についての考え方が異なり、たとえばアダム・スミスとアルフレッド・ミッチェルイネスの見解にも違いが見られる。金属主義者は、物々交換に代わってお金が登場したという前提に立っている。そしてお金は個人の取引から生まれたもので、市場が創り出したものを国家は勝手に神聖化したと見なす。一方、表券主義者は、債務や信用供与の制度がお金よりも先行していたと主張する。古代メソポタミアで利子付きの融資が行なわれていた証拠は残っているが、これはリディア王国で紀元前六三〇年頃に硬貨が登場したよりも何千年も古い。金属主義と表券主義というふたつの学説は、言うなれば断層線で区別されているように大きく異なるが、同様に、金属を介する取引と信用取引も、市場と国家も、ハードとソフトも大きく異なる。

物々交換はなく表券主義であることは定説になりつつあるが、金属主義にはまだ根強い指示もあります。

アメリカは途方もない特権を持ち続けたい。世界の準備通貨としてのドルの地位を守り抜くため、あるいは、それが無理でもせめてシェアの低下を遅らせるため、大勢の人たちが解決策を提案している。そのひとつが、ドルの量を減らして質を高めることで、金本位制の復活も考えられる。しかし、お金を創造することには誰もが抗えない魅力が備わっており、それは歴史によっても証明されている。

いまでは中央銀行が船の舵を握っている。今日、貨幣の世界では様々な機関が密接に関わり合いながら錬金術を駆使しているが、その網の目状のシステムは中央銀行によって統括されている。ドルが銀行家に操られるべきでないと信じていたヘンリー・フォードは、一九二二年に発表した自伝にこう書いている。「[通貨]制度は人びとの生活を左右するが、その制度が主導者である銀行家にどれだけの権限を付与しているか理解したら、[人びとは]これをどう評価するだろうか。実に深刻な問題だ(134)」。現代の通貨制度の仕組みについては正しい理解が必要だ。この制度は非常に複雑だが、ソフトマネーに付き物の悪魔との取引が確実に存在している。

個人的には、仮想通貨がこの歯止めになるのではないかと期待してます。

しかし、ビットコインが通貨として永続的な力を持つのか、あるいはほかの代替通貨のように消滅するのか、現時点では判断できない。価格変動はすでに経験している。二〇一三年には二〇ドルから二六六ドル、そして一三〇ドルへと僅か数カ月の間に揺れ動いた。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンはこの不安定性に注目し、ビットコインは価値貯蔵手段としての信頼性に欠け、貨幣の本来あるべき姿からはかけ離れていると指摘している(38)。

現在の10,000ドルを超えている状況をみても、価値貯蔵手段としての信頼性を欠くというのだろうか?

人類学者のデイヴィッド・グレーバーは、ピタゴラス、ブッダ、孔子など影響力の大きな宗教指導者が、紀元前六世紀に硬貨が発明された地域──ギリシア、インド、中国──に暮らしていた事実を指摘する(15)。そして、お金も永続的な宗教も、どちらも紀元前八〇〇年から紀元六〇〇年にかけて誕生したのは、決して偶然ではないという。市場の重要性が高まるにつれ、組織的な宗教が広がったのではないかと考えている。たとえば、イエス・キリストの初期の弟子たちの多くは貧しかったので、物質的な富に関して逆説的かつ解放的な見識を素直に受け入れたのかもしれない。

お金により富が可視化されたことで、金持ちではないひとを紡ぐある種の幻想が必要になったのではと考えています。大多数がギリギリの生活をしなければならなかったがその心理的な安定、支配者層にとってはそこから来る社会的な安定という意味で利害が一致したのかなと。今は生産性の向上から話が違ってきています。

複雑な人物「江副浩正」

リクルート創業者江副浩正氏の人生を元リクルート社員が追ったすばらしいノンフィクションです。

極めて複雑な人物で、リクルートという未だに成長し続けるすばらしい企業を作った一方で、家族や社会(例えば、野村證券や稲盛和夫氏)への確執もすごかったらしい。若い頃のエピソードはどれもエキサイティングで江副氏の天才性が垣間見れて非常に勉強になりおもしろかったし、後半のもがき続ける姿はもの悲しくもありましたが、ものすごいパッションを感じました。

優れた起業家としての評価も確立していたのだから、それで満足して作品としてのリクルートという会社を残せばよかったのでは、とも思ったのですが、実際は遅くはなくリクルート事件による強制退場があったために、リクルートという会社が解き放たれたのかもしれません。

以下、抜粋コメント形式でいきます。

ここずっと考えてきたことを、江副は初めて口に出して言った。 「広告だけの本」  ぼんやり考えてきたことが、言葉にしたことで実像となった。とたんに反対の声が次々に上がった。 「広告だけの本をだれが買う?」 「いや、売らないんだ。無料で配る」 「なにそれ」 「無茶だよ、そんなの」  反対が多いということは、それだけ関心があるということだ。 「得意先からの広告費で、すべてをまかなう」 「できるわけないよ」 「できるさ。出版経費、配送費をすべて足してわれわれの利益を乗せて、それを広告掲載社数で割れば、一社当たりの広告費がでてくる」 「いいね、広告だけの本なんて、どこを探してもないものな」

最初の頃のエピソードでは、江副氏が極めてすぐれたアイデアマンであることが分かる。もうダメだというシチュエーションを何度も乗り越えてきている。

手描きで制作している「リクルートブック」の地図も、いつかコンピュータ処理ができる時代が来る。そうすれば、一度作った情報は効率よく再利用でき、制作原価が一段と下がる。いま携わる、自分たちのすべての情報をコンピュータのもとに集約できれば、日本で一番進んだ情報産業になれる。そう信じていたのだ。IBMのセールスエンジニアが言う。 「それなら、最新の事務処理能力をもつのはIBM1130となります」 「わかりました。十台入れましょう」  リクルート創業七年目。売上高四億二千万円。利益二千四百万円、社員数八十人の会社が、まだ日本にコンピュータが全部で三百台しかないという時代に、その利益をすべて吐き出しても、最新機器を十台も導入するという。位田とセールスエンジニアは驚くしかない。

導入を決めたはいいが、社内にコンピュータの専門家は一人もいない。江副自身が東大の芝の研究室に出向き、情報理論の講義を直接受けた。その難解さをかみしめながらも江副は、コンピュータの本質を直感でつかみ取っていた。 「わが社はどんな産業に属するか? という問いには『情報産業である』と答えることができます。また電子計算機をいいかえて、情報処理機器とよぶこともできるでしょう。これからのわが社にとって、電子計算機はなくてはならないものになるはずです」(「週刊リクルート」六八年二二五号)

リクルートを情報ビジネスだと認識していたからこそコンピュータビジネスにも乗り出した。

「とらばーゆ」は女性の熱い支持を受け、発売翌日にほぼ完売。新聞は一面で「女性の転職時代の到来」と大々的に報じた。結婚すれば寿退社して女性は家に籠もるものという社会通念は、この年を境に、日本から徐々に崩れていく。「とらばーゆ」の創刊は、戦前戦後に築かれてきた日本の社会構造を変える、一つの要因となったのである。 「住宅情報」に次ぐ「とらばーゆ」の成功で、江副はますます時代を演出し、時代と並走する経営者として注目を集めるようになった。

土地臨調、税調特別委と国の要職にかかわってみると、いち早くさまざまな土地や金融情報が手に入ることがわかった。それで、コスモスやFFの仕事は先手、先手が打てた。サービス精神あふれる江副のことだけに、マスコミが与えた「民間のあばれ馬」にふさわしい態度も多々取ることになった。

成功に次ぐ成功、そして国の要職にかかわるようになり、この辺りから変わっていったらしい。

しかし不動産やノンバンク事業に傾斜し、ニューメディア事業で疾走する江副のなりふり構わないワンマンぶりに対して、社内ではひそかにこう言い交わされ始めていた。 「江副二号」  敬愛の念を込めて「江副さん」と言っていた社員たちが、絶対君主のようにふるまう江副にとまどい、その変容ぶりを嘆くかのようにそう呼んだのである。「住宅情報」を開発したころの江副が「江副一号」だとすると、いまの江副は「江副二号」だというわけだ。 「江副一号」が徐々に「江副二号」に変容していった契機は、父、良之の死にあったといえるだろう。かつて「リクルートのマネジャーに贈る十章」の最後に書いた言葉は、父にたたき込まれた「謙虚であれ、己を殺して公につくせ」という葉隠精神からきていたといっていい。

内なる父からの解放と重なるように、経団連、経済同友会入りを果たした江副の口から、一つの言葉がたびたびこぼれるようになっていった。 「リクルートは実業ではない。実業をしたい」  その言葉を江副から聞くたびに、江副が掲げた「誰もしていないことをする主義」を信じ、新たなサービスを開発することにまい進してきた多くのリクルート社員はとまどった。ならば、いまやっている、かつて誰もしたことのなかった仕事は、虚業だったということか。

絶対君主化していったと。

取締役会は江副の独壇場になった。江副の成功体験に引きずられ、誰も反対意見を言い出せないまま、取締役会は江副の思い通りに動いていった。そしてリクルートは「誰もしていないことをする主義」からはほど遠い、デジタル回線、コンピュータレンタルの下請け事業、そして不動産業へと急激に傾斜していく。  次々と新規事業を開設していった「江副一号」。それとは対照的に、「江副二号」は何一つ新しい事業を開発し、軌道に乗せられずに、リクルート王国の国王として君臨した。

しかし、後半に手掛けた事業はほぼすべて失敗した。そして、リクルートを辞めてからも失敗し続け資産を失い続ける。

同時期、同じように「江副の黒い芽」を警告する財界人がいた。  リクルート調べ大学生人気企業ランキングで技術系トップの座に就くことをNECの関本忠弘社長は長年めざしていた。そしてようやくその座を射止め、喜んだ関本は江副を築地の吉兆に招待する。お互い囲碁好きのふたりは、食後和気あいあいと碁を打ち別れた。  翌朝、リクルートのNEC担当営業部長が、相手方の人事部長に呼ばれた。 「うちの関本が昨夜の江副さんに危惧をいだいたとのこと、老婆心ですがお伝えします」  何が起きたのだろう。営業部長は青ざめながら聞いた。 「江副さんは吉兆のなじみらしく、出された料理を、僕はこれが嫌いだからほかのものにしてよと代えさせた。あの席は自分の招待した席だから非常に気分を害された。ちょっと傲慢になっていないか、これじゃ先行きが危ないよと、関本から私に、朝一番の電話でした」

数々の警告はあった。自信から来る傲慢さがそれを助長させたのだろうか。

会長辞任翌日の夜、赤坂の料亭で会食をする中江を電話でつかまえ、江副は念を押した。 「本当に、撃ち方、止めにしてもらえるのですね。ならば、編集長お一人とだけ会いましょう」  江副は約束した場所に単独で赴いた。  江副が『リクルート事件・江副浩正の真実』で記すところによれば、そこで待ち受けていたのは六人の記者だった。彼らが繰り出す執拗な質問攻めに、江副は錯乱した。 「アエラ」七月二十三日号には、事件報道以来、初めてマスコミの前に姿を現した江副の顔写真が大きく載っていた。  痩せ細った体を紺の背広に包み、眉間に皺をよせ、顔をゆがませる江副浩正の顔写真。  それは「撃ち方、止め」どころか「撃ち方、始め」になり、炎はますます勢いを増した。  眠れず、食欲もなく、汗だけが限りなく流れる日々に、江副の心身は急激に疲弊していく。七月二十六日、毎年人間ドックを受診してきた半蔵門病院に、倒れるように担ぎ込まれた。

逮捕から、百十三日目の六月六日、江副は、NTT、労働省(現・厚生労働省)、文部省(現・文部科学省)、政界四ルートの供述書のすべてに署名して保釈金二億円を払い、大勢のカメラマンが取り囲むなか小菅拘置所を出た。  そのニュースを見た精神科医の井上博士は、すぐに半蔵門病院に駆けつけた。  ベッドに横たわる江副は、逮捕前よりも症状が重く、拘禁反応からくる深い鬱状態が顕著だった。井上はルジオミール、ワイパックスといった抗鬱剤を投与し、体ではなく心が目覚めるまで江副が眠られるよう、睡眠薬のネルボン、ベンザリンなどを処方する。しかし深く内向し、激しい鬱状態に落ち込んだ江副は、自死願望にとりつかれ、何度も病室の開かぬ窓に体当たりを繰り返した。秘書のだれかが交代で四六時中看病しなければならない状態が長く続いた。  このままでは本当に虫けら百二十六番になってしまう。この混沌とした意識の毎日から抜け出すのだ。まず自分を信じてついてきてくれた社員たちへ、いまの気持ちを正直に伝えよう。「リクルートの社員への手紙」を書くことで自分を取り戻すのだ。

マスコミと取り調べにより人格を破壊された。

一度新聞で報じられ活字になった事実は、いつか受け入れざるを得ない既定事項となっていく。社員は憤りをもちつつも、「江副、株売却」の事実を早急に受け入れ、自ら生き残る道を模索しだした。  しかし、江副だけは、まだリクルートは自分を必要としていると信じた。  この混乱する事態にもかかわらず、なぜだれも相談に来ない。江副の心のなかに、大きな寂寥感と喪失感が満ちる。「待ち」ができない江副は、中内と交わした「経営は位田尚隆以下現経営陣に一任す」の一条を忘れたように、中内のもとに次々とファクスで手紙を送り続けた。 「今回のことは中内㓛様に新しいリクルートを再構築していただきたい、との思いから発したものですが、リクルートの現執行部には、私がダイエーにリクルートを売る行為であるとの批判もあり、社長の位田も執行部の一部にあるダイエーと対峙していきたいとの声に対してじっと止まったままでございます(もともと待ちの経営者です)。この局面にどう対応していいのかがよく見えないのが今の位田執行部の現状ですので、中内様の思いでお進め頂くのがよろしいかと存じます」

ダイエーへの株式売却後の経営陣とのすれ違いが悲しい。

今治から帰ったころから、江副の認知症は急速に進行した。スペースデザインの決算が悪いと次々に社長を解任、ついには自ら社長に就き、落ち続ける業績にヒステリックな声をあげた。株はますます投機的になり、資産運用の意識は欠落した。破たん株にしか手を出さないのである。安比高原も今年中に倒産する、芋を植えて飢えをしのがなくてはと、芝生を剥がし芋畑の開墾を始める始末だ。迫りくる食糧危機には米の確保が大切と、江副は突然、三千万円分の米を契約し、保管場所もなく周りを困惑させた。幼少期に体験した食糧難が、強迫観念となって江副に襲いかかり、江副の混乱に拍車をかけているかのようだった。

リクルート事件がなかったらどうなっていただろうか。

ビットコインの歴史と今後の展望「アフター・ビットコイン」

ビットコインやブロックチェーン周りの最近の動きと今後の展望が整理されてまとめてあり非常に勉強になりました。特に金融業界がなぜブロックチェーンでこれだけの実証実験を行っていて、何に期待しているのかはすごく勉強になりました。その中で中央銀行が仮想通貨を出す意義などもかなりクリアになりました。この流れにメルカリがどう乗っていくか、無視はできないので中長期的に取り組んで行こうと改めて思いました。

これからの世界「量子コンピュータが人工知能を加速する」

量子コンピュータ周りの歴史から原理、現状が幅広く書かれており非常に勉強になりました。

長年、研究が続けられていた量子コンピュータが「量子ゲート方式」と呼ばれるのに対して、ここ数年で突然商用化された量子コンピュータは「量子アニーリング方式」と呼ばれている

これがカナダのD-Waveのことなのですが、そもそも量子アニーリングの理論は本書の筆者でもある西森氏らが東京工業大学で提案したものであったらしい。

量子アニーリングについては、ハード面では北米がはるかに進んでいる。カナダのD‐Waveに加え、グーグル、そしてアメリカ政府のIARPAが、さらなる高性能化に向けて、すでに壮大なレースを繰り広げている。日本が同じような路線で量子アニーリングマシンを今から開発しても、蜃気楼のように目標が遠ざかっていく、長く険しい道になるだろう。度肝を抜くような発想をもとに、まったく違うことをやるしかない。

北米でD‐Waveマシンを使い始めている企業は、4、5年後あるいはそれ以上の時間スケールで圧倒的な優位性を確保するために、基本ソフトやアプリケーションを含めた基盤技術を自ら開発して独占しようとしているのである。すぐに役に立てようとは思ってないし、すぐには役立たないことは先刻承知である。グーグルにいたっては、検索や広告などの自社製品の品質改良と環境負担の軽減(つまりコスト削減)を目指して、量子コンピュータをハードウェアのレベルから自社開発しようとしているのである。このような中長期にわたる大胆な投資をするダイナミズムを、かつてのように日本企業に取り戻してほしいと願っている。

しかし現状は量子アニーリングマシンでは北米で圧倒的に差をつけられつつあると。しかし日本企業にもやりようはあるという。

量子アニーリングと機械学習の最先端同士が結びつくためには、量子ビット数の向上のみならず、機械学習の分野で発展したアルゴリズムとの親和性も求められる。現在の機械学習の研究では、D‐Waveマシンなど、量子アニーリングとの親和性を意識した研究は少ない。ここにフロンティアが隠されている。日本は「ものづくり」を得意としてきたが、単によりよいハードウェアを作るための技術競争の面では、一部を除いて行き詰まりを見せている。それが社会を覆う停滞感の一因にもなっている。突破口のヒントは、ソフトとハード双方を踏まえた多角的視点、基礎と応用の融合、分野の垣根を超えた交流、過去の慣習からの決別などにあるだろう。停滞感のある今こそチャンスだという逆転の発想が、新たな日本を生み出すのだ。

「量子アニーリング+機械学習」または「ハード+ソフト」ならキャッチアップできるのではという方向性は自分もすごく思っているところで、この辺りで何かしていきたいなと思ってます。

世界を変える「デジタル・ゴールド」

ビットコインの誕生から現在までの様々なストーリーを群像劇のように描いていて、非常に読みやすくおもしろいとともに、暗号通貨とは何かということを本質的に捉えることができる素晴らしい作品だと思います。

特にそれぞれの登場人物がビットコインとの出会いや関わるモチベーションなども描いており、通貨の歴史(「21世紀の貨幣論」もオススメ)やリバタリアニズムなどの思想にまで踏み込んでいます。断片的に知っていた内容もありますが、まったく知らなかったことも多かったです。例えば、サトシ・ナカモトがどのようにビットコインを作っていったのか、最初はサトシだけが採掘するような状態だったこと、マウントゴックスはマルク・カルプレスが作ったものではないこと、不正販売闇市シルクロードとその崩壊(逮捕)までの物語、中国でのビットコインや採掘の話、アメリカ政府や銀行とビットコインスタートアップとの関係性、どのようにシリコンバレーの大物たちが支持派に転向していったか、など。

こうしてみると、ビットコインが生まれてここまで普及したのは奇跡でありながら今となっては必然とも考えることもできるし、以後(ビットコインでないにしても)暗号通貨がさらに力を増していくことは確実と思います。国家の一つの力の源泉が通貨であることを考えると、暗号通貨が世界をどのように変えていくか非常に楽しみです。

最近もハードフォークによるビットコイン分裂、各種ICO(トークンセールス)、暗号通貨に対する法制化などかつてないことが行われていて、ほとんど社会実験のようになっています。どんどん新しいことが起こり誰も事前には何が起こるか分からず、後付けではそれで当然だったと思えてしまう。ブラックスワンが起こりまくっているエキサイティングな時代に生まれて極めて幸運だなと思います。

P.S.「ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ」でロン・ポールがFRB(連邦準備銀行)を廃止して金本位制に戻れと主張していましたが、暗号通貨がその受け皿になるのだろうなと。

頑健とは違う新しい概念「反脆弱性(下)」

上巻から続く

しかしながら、そこから導き出されているタレブ自身が実行していることは若干納得感は薄いと思いました。

学生(よりにもよって経済学専攻)のひとりが、本選びのコツを訊ねてきた。「20年以内のものはできるだけ読むな。ただし50年以上前のことを書いている歴史書は別だ」と私はイライラしながら口走った。というのも、私は「今までに読んだ最高の本は?」とか「お勧めの本のベスト10は?」と訊かれるのが大嫌いなのだ。私の「ベスト10」は毎年の夏の終わりには変わるからだ。

例えば、本は20年以内のものは読むなと諭す一方で、

ソフト・ドリンク会社のマーケティングの目的は、消費者を最大限に混乱させることだという話をした。過剰なマーケティングが必要な商品は、必然的に劣悪商品か悪徳商品のどちらかだ。そして、何かを実際よりもよく見せるのは、とても非倫理的だ。たとえば、新発売のベリー・ダンス・ベルトのように、ある商品の存在をみんなに知らせるのはいい。だが、マーケティングされている商品というのは、その定義によって必然的に劣悪なのだ。そうでなければ広告は不要のはずだ。なぜ誰もこんなことに気づかないのか、不思議でしかたがない。

100年以上、生き延びているソフト・ドリンク会社には否定的である。またタレブは自分が生まれた地域にはなかったからという理由でオレンジジュースは飲まないし、人類は大昔はランダムに食事をしてきたから朝ご飯は食べず、曜日で肉を食べたり食べなかったりするという。しかし、何か証明されているものがあるわけではない。

結局のところ何をもって超保守的・超積極的な戦略というのは定義がすごく難しく、恣意的にならざるを得ないのではないかと。だからこそ、個人的には、価値を生みだすことについては疑いようのないビジネスを人生の中心に置きたいと思っているわけですが。

私が唱える認識論の中心的信条とは次のようなものだ。私たちは、何が正しいかよりも何が間違っているかをずっと多く知っている。脆さと頑健さの分類を使って言い換えれば、否定的な知識(何が間違っているか、何がうまくいかないか)のほうが、肯定的な知識(何が正しいか、何がうまくいくか)よりも、間違いに対して頑健だ。つまり、知識は足し算よりも引き算で増えていくのだ。今、正しいと思われているものは、あとになって間違いとわかる場合もあるが、間違いだとわかりきっているものが、あとになってやっぱり正しかったとわかる、なんてことはありえない。少なくともそう簡単には。

しかし半脆弱性があるかどうかを中心に戦略を考えるべきというのはまったくその通りです。またそれ以外にもハッとする概念がいくつも提示されており、本書の価値は極めて高いと思います。

次作もそろそろ出るようなので楽しみです。

頑健とは違う新しい概念「反脆弱性(上)」

ブラック・スワン」のナシーム・ニコラス・タレブの新作。相変わらずの姿勢で世の中の欺瞞をバッサバッサと切っていくスタイルは健在。ものすごい長いかつ濃いので今回も消化に時間がかかりました。まだ全部消化できたとはまったく言えないですが、紹介してみたいと思います。

そもそもブラック・スワンとは、リーマンショックや原発事故のようなほとんど稀にしか起こらないが影響力が極めて大きい現象のことを言っています(白鳥は白と思っていたのが、黒い白鳥が見つかったらそれは嘘だったことになる)。「ブラック・スワン」でタレブは、そういった事例をあげながら、後付けで俺は分かっていたと言ったり、リスクから逃れたりすることを痛烈に批判しています。

ではどうすればよいのか? という点について、タレブは大部分は超保守的な戦略をとりながら、一部を超積極的な戦略に賭けるバーベル戦略を採るべきとしているのですが、それは何かというのが、いまいち消化不良だったというのが私の感想でした。

しかし、本書では、「反脆弱性」(または「反脆さ」)というコンセプトを提唱し、その疑問に答えています。

反脆弱性というと、「脆い」の反対で「頑丈」のようなものかと一見思えますが、タレブはそうではないと言います。

頑健なものや耐久力のあるものは、変動性や無秩序から害をこうむることも利益を得ることもない。一方、反脆いものは利益を得る。だが、この概念を理解するまでには少し労力がいる。人々が頑健だとか耐久力があるとか呼んでいるものの多くは、単に頑健な(耐久力がある)だけだが、残りは反脆いのだ。

反脆弱性とは、逆に、変動性やランダム性から利益を得る性質のことです。この概念はかなり分かりにくいのですが、次のような事例をみると感覚的に分かってくると思います。

進化のいちばん面白い側面は、反脆さがあるからこそ進化は機能するという点だ。進化はストレス、ランダム性、不確実性、無秩序がお好きなのだ。個々の生物は比較的脆くても、遺伝子プールは衝撃を逆手に取り、適応度を高める。 そう考えると、母なる自然と個々の生物の間には対立関係が存在することがわかる。 生きとし生けるものは、限られた寿命があり、やがては死ぬ。

工学者であり工学の歴史家でもあるヘンリー・ペトロスキーは、見事な点を衝いている。タイタニック号があのような致命的な事故を起こさなければ、私たちはどんどん大きな客船を造りつづけ、次の災害はさらなる大惨事になっていただろう。つまり、あの事故で亡くなった人々は、より大きな善のために犠牲になったのだ。間違いなく、亡くなった人数よりも多くの人命を救っている。タイタニック号のエピソードは、システム全体の利と個々の害との違いを物語っている。

ここで重要なのは、ブラック・スワンを予測しようとしないこと。悪いブラック・スワンは徹底的に避ける=これが超保守的な戦略の部分。そして、よいブラック・スワンからは利益を得られるように賭けておく。なぜなら大体ブラック・スワンに対しては予測できないので確率を低く見積もられてしまい非対称性が発生しペイオフが非常に大きくなるからです。

例えば、起業について考えてみると、大抵の起業は失敗する。成功を予測することも難しい。成功するかもしれないと思ってやっても失敗することも多くあります。しかしやり続けているとブラック・スワンが起こることがあります。すると、とてつもなく社会的にも金銭的にも成功することができる。この万が一起こった場合のペイオフの大きさに注目することが重要だと言います。個人的には、起業という戦略はブラック・スワンを活かすには最適な戦略だと考えています。

こういった事例を様々な分野から選んできて反脆弱性という観点から論じるというのが本書の流れになっており、世の中の捉え直すのに極めて役に立つ本だと思います。

下巻に続く

日本企業が海外で成功する方法を知る「セガvs.任天堂」

ゲーム業界の歴史を主にセガ・オブ・アメリカの視点から描いており、いままさにUSでビジネスをしている身としては、非常に勉強になりました。

  1. 近年まれに見るアメリカ市場で日本企業が競合しあいながらどの会社も成功した事例であること。最後の方にソニー(プレイステーション)も出てきます。
  2. 任天堂が荒川さんという山内さんの娘婿をニンテンドー・オブ・アメリカの社長に据えて成功したわけですが、そこにセガは中山元社長が元々バービー人形を再建したカリンスキーをセガ・オブ・アメリカの社長に据えて一時期はシェアをひっくり返すほとの大成功を納めたという手法の違い。
  3. 全米規模のマーケティングがどうやって行われて何がうまくいって何がダメだったのか、特にTVCMやイベントについてかなり詳しく描かれており、かつそれを仕掛けたひとや広告代理店をどう探してきたかなどまで書かれています。
  4. セガ・オブ・アメリカとセガ本社とのものすごい確執。特にアメリカ側からみた時の日本企業の見え方やどういったことがブロッカーになったのかなど。もちろん一面的な見方であるのは確かですが、セガは結局シェアを失いゲーム機から撤退したのも真実なので。

若干文章が冗長な部分もあり上下巻あり読了までものすごい時間もかかるのですが、特に1の点を考えると、これから日本企業がどうやって世界で成功していくかという点で、資料的な価値も含めて極めて重要な作品だと思います。世界を目指す起業家には必読です。

世界で戦うとは?「直撃 本田圭佑」

プロサッカープレイヤーとして、海外でガチンコのチャレンジをして、どんだけ屈辱的なことがあって出口がまったくみえなくなっても、ひたすら世界一を目指す男、本田圭佑。正直言って本田氏の実力は、サッカーに詳しくない僕には分からないのですが、そのひたむきさはとにかくかっこいいと言わざるをえない。

──今は谷だから、次はこういう山にしようというイメージがあるということ? 「それがイメージできたらすごいけどね。大抵は自分が今から谷に向かっていますって受け入れられるものではない。トンネルをくぐっていて、それが山なのか谷なのか、いつ抜けられるかもわからない。でもなんとか、その真っ暗なトンネルを抜けたくて必死に進むわけですよ。大事なのは、その辛い時期を残念と思うのか、自分にしかできないチャンスだと思うのか、っていうところだと僕は思っている

本当にこういった必死のチャレンジの中からしか劇的な成功というのは生まれないと思います。メルカリももがきながら海外事業をやっているわけですが、すごく共感します。

──日本には職場や学校で壁に直面している人がたくさんいると思う。本田くんは苦しいとき、何を意識して行動しているんだろう? 「今、自分が意識していることはたくさんあるんだけど、そのうちの1つをあえて紹介するなら、『基本的なことを続ける』ということだね」 ──基本? 「うん。自分にできる基本を繰り返す。それが状況を打開するポイントになるから

『基本的なことを続ける』こと、メルカリで言えばプロダクトのことを考え抜き、よりよいものにしていくこと。

「まあ、やっていることはみんなとあまり変わらないんだけどね。結局、みんなが嫌がることを我慢してできるかどうかなんですよ。オレはスーパーマンでもなんでもない。ただみんなが嫌なこともやれるし、夢のためにやりたいことも我慢できる。それを本当に徹底していて、あとは人よりも思いがちょっと強いだけ。その差が結果に現れたりするんですよ

 「1年後の成功を想像すると、日々の地味な作業に取り組むことができる。僕はその味をしめてしまったんですよ

僕もこれからしばらく海外事業に専念していきたいと思います。