元祖技術ベンチャーに学ぶ「本田宗一郎 夢を力に―私の履歴書」

インターネット関連の日本企業で世界で大成功した例というのはないわけなのですが、過去を振り返れば、自動車、電機、ゲームなどで世界的ブランドとなった日本企業は多々あります。最近はそういった会社がどのように海外で成功してきたかに興味があります。

ホンダはその一例であり、トヨタに比べれば会社が小さな時代から東南アジアでなくアメリカに進出し成功した点や、強力な創業者に率いられた技術ベンチャーである点などから非常に参考になるのではないかと思っています。

抜粋コメント形式で、勉強になった部分をあげておきます。

二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。

若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。

本田宗一郎は藤沢武夫と組んでホンダを世界的企業に育てたのですが、実はその前から東海精機という会社はかなりの成功を収めており経営者としての素地はありました。戦後にトヨタに売りしばらくフラフラした後に作ったのがホンダでした。当時39歳。僕は二社目作ったのが35歳なのでまだまだ時間はありそうです。

二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。

どのように経営していたのか結構謎ですが、この後4人の後継者にあっさりと後を譲りかつそれが成功していることから、早い段階から世界的に相当な分業体制ができあがっていたのだろうと推測します。世界的な企業になるにはこれくらいの分業体制でないといけないのかもしれません。

技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。

技術があるという前提では、確かに「気づく」の重要さは軽視されているように思います。逆に優れた技術者とは「気づく」のがうまいとも言えると思います。

ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

インターネット・サービスでも使ってみて「おお!」と意表をつく体験があるサービスこそが広まってきたと思います。意表をつくサービスを作っていきたいです。

<抜粋>
・二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。
・若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。
・事業主としてのこの間の生活は遊びどころでなく、非常に苦しい日々が続いた。だがピストンリングの製作に成功すればどうにかなるという前途に期待をかけ、みんな励まし合ってこの苦しさと戦った。 どうにか物になるピストンリングの製作に成功したのは昭和十二年(1937年)十一月二十日だった。製作にとりかかってからすでに九か月すぎていた。大勢の工員をかかえ製品なしの辛苦の九か月間だった。
・戦時中トヨタの資本が四十%はいり資本金百二十万円の会社に成長してピストンリングの生産は本格化した。そのときトヨタから取締役としてはいって来たのが石田退三さん(トヨタ自工会長)だった。
東海精機の株主であるトヨタからはトヨタの部品を作ったらという話があったが、私は断然断って私の持ち株全部をトヨタに売り渡し身を引いてしまった。戦時中だったから小じゅうと的なトヨタの言うことを聞いていたが、戦争が終わったのだからこんどは自分の個性をのばした好き勝手なことをやりたいと思ったからである。
私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか一%にすぎないということも言っておきたい。九九%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。
・「どうにも納得できないということで、僕も暴れたわけで。特振法とは何事だ。おれにはやる権利がある。既存のメーカーだけで自動車をつくって、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を永久に大きいと誰が断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え、と怒ったのです。うちは株主の会社であり、政府の命令で、おれは動かない
・「強力な創業者がいて、しかもその人が技術的にトップに立っている。加えて、過去にどえらい成功体験を持っている。そういうリーダーがいるということは、行く所まで行ってしまわないと、途中で止めるということはとてもできない企業体質だった」(注:技術研究所所長杉浦英男)
・二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。
「資本主義の牙城、世界経済の中心であるアメリカで成功すれば、これは世界に広がる。逆にアメリカで成功しないような商品では、国際商品になりえない。やっぱりアメリカをやろう」
「実はシビックが発売四年目で大ヒットしたので、鈴鹿製作所に増産のための第二ラインを新設することを一度取締役会で決定した。しかし、社長だった僕はどうにも乗り気になれない。この計画を実行すると、トヨタと全面戦争になる。それは得策じゃない。当時のホンダとトヨタでは、十両にも上がっていない力士が横綱に挑むようなものだった」と決断した河島は「それならいっそ、アメリカに工場を造ろうじゃないか」と川島、西田の両副社長に提案した。
・技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。
・ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

Google文化がいかにしてできたか「How Google Works」

グーグル前CEOのエリック・シュミットと、前プロダクト担当SVPジョナサン・ローゼンバーグによるGoogleの仕事の進め方。今はGoogle出身者も増えてきてGoogle的経営を取り入れたりその話も表に出てきていますが、それでもどのようにGoogleという特異なベンチャーが生まれ育ってきたかをまとめた本書はすごく刺激的で勉強になりました。

ただ、これらは創業者の二人含めた経営陣が(に限らずGoogleのひとびとも)時に失敗もしながらいろいろと試行錯誤して見つけてきた新しいやり方であって一朝一夕にできたものではありません。僕も経営者として、参考にしながらも、自分たち独自のやり方を見つけていかなければならないなと思いました。

最近思っているのは、普通のやり方をしていたら普通の結果しか出ないということです。

本当にスゴいことをやりたければ、常識に逆らったやり方をしなければならない。これを肝に銘じて「最高のプロダクト」を作ることを目指していきたいと思います。

<抜粋>
・競合の脅威に対抗するための先述もいくつか挙げていたが、基本的にマイクロソフトに立ち向かうには最高のプロダクトを作るしかない。
・「企業は何か価値のあることをするために存在する。社会に寄与する存在だ。(中略)まわりを見ると、いまだにカネ以外に興味のない人間もいるが、根本的な意欲というのはもっと別のこと、すなわちプロダクトをつくり、サービスを提供するなど、一般的に何か価値のあることをしたいという欲求から生まれるものなのだ」(注:デビッド・パッカード)
(注:上場時)創業者たちは短期利益の最大化や自社株に対する市場の評価などは一切気にしなかったのだ。会社のユニークな価値観を未来の従業員やパートナーに示すことのほうが、長期的成功にははるかに重要であることを知っていたからだ。いまでは10年も前の株式公開の難解な仕組みなど忘却の彼方だが、「長期的目標に集中する」「エンドユーザの役に立つ」「邪悪にならない」「世界をより良い場所にする」といったフレーズは、いまも会社のあり方をよく言い表している。
私たちがオフィスに投資するのは、社員に自宅からではなく、オフィスで働いてもらおうと考えているからだ。通常の勤務時間内に自宅から遠隔勤務をすることは、先進的経営の証であるかのように思われることも多いが、問題もある。ジョナサンがよく言うことだが、会社全体に広がると職場から生気が失われるリスクがあるのだ。
・彼らにとって「異議を唱える義務」を重んじる文化は、背中を押してくれるものだ。だが、反対意見を述べること、とくに人前でそうすることが苦手な人もいる。だから異議を唱えることを「任意」ではなく「義務」にする必要があるのだ。
目安として、CEOがスタッフ・ミーティングを開くときには出席者の少なくとも50%を、プロダクトやサービスのエキスパートとしてプロダクト開発に責任を負っている人たちにしたい。
ではなぜ、採用を担当者だけに任せるのだろう? 全員がそのスゴイ知り合いを連れてくるべきではないか? 常にずばぬけて優秀な人材が集まってくる、優れた採用文化を醸成する第一歩は、候補者を発掘するうえで採用担当者が果たす役割を正しく理解することだ。ポイントは、候補者の発掘は採用担当者の独占的業務ではない、ということだ。(中略)人材を探すのは全社員の仕事であり、この認識を会社に浸透させる必要がある。採用担当には採用プロセスの管理を任せるが、採用活動には全員を動員すべきだ。
・面接の上限を「五」という魅惑的な素数(少なくともコンピュータ科学者にとっては)に設定した。
・だからといって新規採用者に言い値を払ってはいけない。報酬カーブは低いところから始めるべきだ。(中略)ただし、彼らが入社後、抜群の働きをするようになったら、それにふさわしい報酬を払おう。インパクトが大きい人材ほど、報酬は大きくすべきだ。
インターネットの世紀で最も重要なのは、プロダクトの優位性だ。だから当然、最も手厚い報酬を受け取るべきは、最高のプロダクトやイノベーションの近くにいる人々だ。つまり画期的なプロダクトや機能の開発に貢献した人材には、たとえ駆け出しの平社員であっても莫大な見返りで報いる必要がある。職位や入社年次にかかわらず、ずばぬけた人材にはずばぬけた報酬を払おう。重要なのは、どれだけのインパクトを生み出すかだ。
・大多数は、中国の現体制は持続不可能なのでいずれ政府の行動は変わり、グーグルに再参入のチャンスが来るはずだというセルゲイの意見に賛成した。
すべての社員が四半期ごとに、自らのOKRを更新してイントラネットで公開することになっており、他の同僚がどんな仕事をしているかが簡単にわかる。
・アイデアを思いつくのは割と簡単で、それより何人かの同僚にプロジェクトに賛同してもらい、自分だけでなく彼らの勤務時間の20%を投じてもらうほうがずっと難しい。

PayPal創業者による起業講義「ゼロ・トゥ・ワン」

PayPal創業者であり、Facebook、LinkedIn、Yelpなどの初期投資家でもあるピーター・ティールの主に起業についての著作。非常に深く、示唆に富んでいて面白かったです。正直言って、まだ咀嚼できてない部分もありますが、いくつか抜粋コメントしてみます。

ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ

これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。

これは本当にそうで、グローバリゼーションは不可避なのは確か。しかし、その結果がどうなるかについてはテクノロジーの進歩によって決まると。これを忘れないでテクノロジーをどう進化させて、何をするかを考えていく必要があります。

未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。

彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。

ここでいう計画とは、こうなるはずだという強い意思のもとに物事を推進することです。確かに成功者は計画をもって「分からない」人には見えなかった未来を築いてきています。僕もこうなるであろう未来に計画的に近づいていっているつもりです。

時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。

過去の経験からしてもある瞬間の決断がそれ前後の数年間で一番重要です。しかし、今がその瞬間なのかは分からないことが多い。だから常に今がどれだけ重要な瞬間かを考えて緩急をつけながらも、基本的にはベストを尽くすしかないと思ってます。

自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?

人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?

はっとしたのですが、自然についての真実を探すのは天才の仕事ですが、人間についての真実はむしろ普通のひとの方が気付くことが多い(なぜなら普通の感覚を持っているから)。自然の真実、人間の真実と考えることで、普通のひとにもチャンスがあるという意味で世の中はなんて公平なんだと思いました。

<抜粋>
・ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ
・これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。
経済理論が完全競争の均衡状態を理想とするのは、モデル化が簡単だからであって、それがビジネスにとって最善だからじゃない。
競争は価値の証しではなく破壊的な力だとわかるだけでも、君はほとんどの人よりまともになれる。
・彼らの謙虚さはおそらく戦略的なものだ。連続起業家が世に存在するということは、成功が単なる運とも言い切れない。(中略)成功がほぼ運によるものだとしたら、こうした連続起業家はおそらく存在しないはずだ。
・未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。
・彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。
・盤石な計画を持つ意思の固い創業者にとってはどんな価格でも低すぎるので、会社を売却することはない。
未来をランダムだと見る世界では、明確な計画のある企業はかならず過小評価されるのだ。
起業は、君が確実にコントロールできる、何よりも大きな試みだ。起業家は人生の手綱を握るだけでなく、小さくても大切な世界の一部を支配することができる。それは、「偶然」という不公平な暴君を拒絶することから始まる。人生は宝クジじゃない。
・重要なのは「何をするか」だ。自分の得意なことにあくまでも集中するべきだし、その前に、それが将来価値を持つかどうかを真剣に考えた方がいい。
べき乗則のもとでは、企業間の違いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。
・あえて起業するなら、かならずべき乗則を心にとめて経営しなければならない。いちばん大切なのは、「ひとつもことが他のすべてに勝る」ということだ。
・時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。
・隠れた真実の存在を信じ、それを探さなければ、目の前にあるチャンスに気づくことはできない。フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過小評価されるのは、それがあまりに単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏づけている。振り返ればごく当たり前に見える洞察が、重要で価値ある企業を支えているのだとすれば、偉大な企業が生まれる余地はまだたくさんある。
・自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?
・人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?
・競争は資本主義の対極にある。
優秀な起業家は、外の人が知らない真実の周りに偉大な企業が築かれることを知っている。偉大な企業とは世界を変える陰謀だーー隠れた真実を打ち明ける相手は、陰謀の共謀者になる。
・コンサルタントを雇っても無駄だ。パートタイムの社員もうまくいかない。遠隔地勤務も避けるべきだ。仲間が毎日同じ場所で四六時中一緒に働いていなければ、不一致が生まれやすくなる。君が誰かを雇うなら、フルタイムか、雇わないかの二者択一でなければならない。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(下)」

上巻から続きます

本書の収奪的・包括的という定義が曖昧なのは確かだと思います。江戸時代は収奪的政治制度ではあったが、後の維新を起こす程度には経済的繁栄をしていたのも確かであるし、二元論的な部分は否めないと思います。

この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。

とはいえ、全体として収奪的政治制度の腐敗がエスカレートしやすいというのも事実だし、包括的政治制度がさまざまなステークスホルダーがいることで、一方的な収奪的経済制度になりにくいのは確かで、政治と経済の関係に新しい視点を持ち込んだという点で非常に意義深い著作だと思います。

僕は長年リバタリアンなのですが、本書を読むと、政治制度が経済的繁栄に非常に大きな影響力を持っていることがよく分かって、少し考えなければならないなと思いました。

日本は現在、包括的な政治制度を持ち、それにより包括的な経済制度を持っているため、あまり政治の重要性について考えてきませんでした。世の中では財産権や下手すると法の下の平等すら持っていない国もたくさん存在します。そしてそれが決定的に経済的繁栄を阻んでいるということがよく分かりました。

1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。

では日本はどうでしょうか。民主主義では多くのことが決められなくなっているし、国家が機能しなくなっているのは先進国全般でよく言われています。しかし、この収奪的政治制度と包括的政治制度という関係性で言えば、確かに日本では高齢層が若年層を収奪したり、特定の利益団体が収奪している部分は多少あるにせよ、どこかが権力を掌握し一方的に収奪しているわけではなく、また今後もそうなる可能性は低そうです。

現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。

しかし成長戦略を描くという意味で言うと、様々な利益団体のロビイングから来る足の引っ張り合いからなかなか方向性を保ちづらい。一方で、この状態は戦前の日本やナチス時代のドイツを考えると、揺り戻しがあって特定グループが収奪的制度を打ち立てるよりはましと考えることができそうです。

大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。

よって、個人的には依然としてリバタリアンで構わないが、政治の決定的な岐路に立たされた場合は政治に関与すること、もしくは国外に出ることを検討する必要がありそうです。

<抜粋>
・こうした奴隷貿易が行われていたため、あらゆる刑罰が奴隷にされることに変わっている。こうした断罪には利点があった。犯罪者を売って利益を手にしようと、人々が鵜の目鷹の目で犯罪を見つけようとするからだ。
アフリカが産業革命の入り口にいないことは確かだったが、真の変化は進行していた。土地の私的所有によって部族長の力は弱まり、新しい人々が土地を買って富を築けるようになった。ほんの数十年前には考えられなかったことだ。このことからわかるのは、収奪的制度と絶対主義的な支配体制が弱体化すれば、あっというまに新たな経済的活力が湧いてくるということだ。
フランス革命の指導者とその後に続いたナポレオンは、こうした地域に革命を輸出することによって、絶対主義を破壊し、封建的な土地関係を終わらせ、ギルドを廃止し、法の下の平等を強いた。(中略)フランス革命はこうして、フランスだけでなくヨーロッパのほかの地域に、包括的制度とそれが促進する経済成長に向けて準備をさせたのだ。
・当初に何度か敗北を喫したあとで、新フランス共和国軍は初期の防衛戦で勝利を収めた。軍の組織について克服しなければならない深刻な問題はあったものの、フランスはある重要なイノヴェーションで他国に先んじていた。すなわち、徴兵制である。1793年8月に導入されたこの制度のおかげで、フランスは大規模な軍隊を編成できたし、ナポレオンの名高い軍術が登場する前においてさえ、最強と言ってもよいような軍事的優位性を確立できたのだ。
・19世紀半ばには、フランスの支配下にあったほぼあらゆる地域で工業化が急速に進展したのに対し、フランスに征服されなかったオーストリア・ハンガリー帝国やロシア、フランスの支配が一時的で限定的だったポーランドやスペインなどでは、概して停滞したのである。
・歴史的視点から考えてみると、法の支配はかなり奇妙な概念である。法がすべての人に等しく適用されねばならないのは、なぜだろうか? 王や貴族が政治権力を持ち、それ以外の人が持たないのであれば、何であれ王や貴族にとって許されることが、それ以外の人には禁止され処罰の対象となるのは至極当然だ。実際、絶対主義的な政治制度のもとでは法の支配など考えられない。それは、多元的な政治制度とそうした多元性を支える広範な連合から生み出されるものなのだ。
包括的な政治制度のおかげで自由なメディアが栄えると、今度は自由なメディアのおかげで包括的な経済制度や政治制度に対する脅威が広く知らしめられ、阻止されるケースが多くなる。
・国際社会は、植民地独立後のアフリカが、国家計画の推進と民間セクターの開拓によって経済成長を実現するものと思っていた。しかしそこには民間セクターなどなかったーー農村地域を除いては。農村地域は新しい政府に代表を派遣できなかったため、真っ先に餌食となったのだ。いちばん大事なことは、こうした例の大半で、権力にしがみついていれば莫大な利益が得られたということだろう。
・この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。
・現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。
・2001年12月1日、政府はあらゆる銀行預金口座をまずは90日間、凍結した。週単位で少額の現金の引き出しが許されただけだった。引出限度額は当初、まだ250ドルに相当した250ペソで、後に300ペソになった。だが、引き出しが許されたのはペソ預金だけだった。ドル預金口座からの引き出しは、ドルのペソへの交換に同意しない限り誰にも許されなかった。
・翌年1月、ついに切り下げが実施され、もはや1ペソは1ドルではなく、まもなく4ペソが1ドルとなった。ドルで預金するべきだと考えた人の正しさが、これで証明されるはずだった。ところが、そうはならなかった。政府が銀行のドル預金をすべて強制的にペソに換えたものの、交換レートを旧来の一対一としたからだ。(中略)政府が国民の預金の4分の3を取り上げたのだ。
2009年11月、北朝鮮政府は経済学者が言うところの通貨改革を実施した。何人も10万ウォンを超える金額の交換はできないと、政府が発表した。ただし、上限額はその後、50万ウォンに緩和された。10万ウォンは闇市場の為替レートではおよそ40ドルだった。北朝鮮政府は国民の私有資産のかなりの部分を一気に消し去った。
・肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。
いくつかの歴史的転換点がなければ、西欧諸国がいち早く台頭して世界を征服することはありえなかった。こうした転換点となったのは以下のような要因だった。封建制度が独自の道筋をたどって奴隷制度に取って代わり、やがて君主の権力を弱めるに至ったこと、西暦1000年代に入ってから数世紀間に、ヨーロッパで商業上の自治を保つ独立した都市が発展したこと。明朝の中国皇帝とは異なり、ヨーロッパの君主が海外貿易を脅威と受け取らず、その結果、妨げようとしなかったこと、封建秩序の基礎を揺るがしたペストの到来。そうした出来事が違う展開をしていれば、私達がこんにち住むのは現在の世界とはかけ離れた世界、ペルーが西欧や合衆国より豊かな世界だったかもしれない。
・1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。
・ドイツも日本も、20世紀前半には世界でも指折りの豊かな工業国であり、国民の教育水準は比較的高かった。それでも、国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の台頭や、日本の軍国主義体制が戦争を通じたろう度拡大に熱中するのを妨げず、政治面でも経済面でも、収奪的制度に急転回することになった。
市場の失敗を減らし経済成長を促す政策を採択するうえでの最大の障害は政治家の無知ではなく、その社会の政治・経済制度から生じるインセンティヴと規制だという事実だ。それにもかかわらず、無知説は欧米の政策立案者のあいだで幅を利かせ、彼らはほかの方法はそっちのけで繁栄をいかに設計するかにもっぱら関心を寄せている。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(上)」

今まで数々の人々が何が国家の繁栄と没落を決めるのかという説を唱えてきています。

暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。

(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。

マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。

本書は、ジェフリー・サックスやジャレド・ダイアモンド、マックス・ウェーバーなどの説を真っ向から否定し、収奪的社会と包括的社会という観点から、すべてを捉え直す意欲作です。

大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である

要するに、「ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度」ということになり、またその収奪的制度と包括的制度、それぞれの強いフィードバック効果から双方への移行が非常に難しいとしています。

肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。

一方で、第二次世界大戦後のソ連など一時的に急速な経済的成長をしたとしても収奪的制度下では持続的成長ができないとし、例えば現在の中国がまさにそれに当たるとして、包括的政治制度に移行しなければ成長は持続できないと主張しています。

紹介だけで長くなってしまったので、下巻の方でこれらについて考えてみたいと思います。

<抜粋>
・カルロス・スリムを現在の姿にした経済制度は、合衆国のそれとは大きく異なっている。あなたがメキシコの起業家だとすれば、キャリアのあらゆるステージで参入障壁がきわめて重要な役割を演じるはずだ。
・スリムがメキシコ経済において財を築いたのは、もっぱら政治的なコネのおかげだった。彼が合衆国に進出して成功したことはないのだ。1999年、スリム参加のグルポ・コルソはコンピューター小売企業のコンプUSAを買収した。(中略)「この評決のメッセージは、このグローバル経済において、企業が合衆国に来たければ合衆国のルールを尊重しなければならないということです」
こうした起業家は最初から、自分たちの夢のプロジェクトが実行可能であることを確信していた。制度とそれが生み出す法の支配を信頼していたし、財産権の安全を心配していなかった。最後に、政治制度によって安定性と継続性が保証されていた。
・本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。
・暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。
・気候や病気、あるいはなんらかの地理説によって、世界の不平等を説明することはできない。ノガレスを考えてみるといい。二つのノガレスを分かつのは、気候、地理、病気などにかかわる環境ではない。そうではなく、合衆国とメキシコの国境なのだ。
・(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。
・ダイヤモンド自身も指摘するように、中国とインドはきわめて豊富な動植物群に恵まれていたし、ユーラシア大陸の指向性も大いなる味方だった。ところがこんにち、世界の貧しい人々の大半がこの二つの国で暮らしているのである。
・二つのノガレスを、あるいは北朝鮮と韓国を分断する文化的相違は、反映の違いの原因ではなく、むしろ帰結なのである。
・マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。
われわれはこう主張する。世界の不平等を理解するには、一部の社会がきわめて非効率かつ望ましくない仕方で構築されるのはなぜかを理解しなければならない、と。
・大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である。
政治とは、社会がみずからを統治するルールを運ぶプロセスである。
・絶頂期のソ連のように、中国は急成長を遂げているが、依然として収奪的な制度、国家の支配のもとでの成長であり、包括的な政治制度への移行の兆しはほとんど見られない。
・収奪的な制度がなんらかの成長を生み出せるとしても、持続的な経済成長を生み出すことは通常ないし、創造的破壊を伴うような成長を生み出すことは決してない。
産業革命が名誉革命の数十年後にイングランドで始まったのは偶然ではない。(中略)偉大な発明家は、自分のアイデアから生じた経済的機会をとらえることができたし、自分の財産権が守られることを確信していた。また、自分のイノヴェーションの成果を売ったり使わせたりすることで利益をあげられる市場を利用できた。
こうした決定的な岐路が重要なのは、収奪的な政治制度と経済制度が協働し、相互に支え合う結果、着実な改革を強く阻害するからだ。このフィードバック・ループのしつこさが悪循環を引き起こす。
・(ソ連において)1928年から1960年にかけて、国民所得は年に6パーセント成長した。これは、それまでの歴史においておそらく最もめざましい経済成長だったはずだ。この急速な経済成長を実現したのは、技術的変化ではなかった。そうではなく、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の親切による資本蓄積だったのだ。
成長はきわめて早かったため、リンカーン・ステフェンズのみならず、数世代にわたる欧米人がだまされた。合衆国のCIAもだまされた。ソ連自身の指導者すらだまされた。
・1940年代までに、ソ連の指導者たちはこれらの無意味なインセンティヴをはっきりと認識していたーー彼らはを賛美する西側の人々は別として、ソ連の指導者たちは、そうしたインセンティヴが生じる原因は技術的問題であり、解決可能であるかのように行動した。
・成長は政府の指揮によるものであり、おかげで一部の基本的な経済問題は解決された。しかし、持続的な経済成長を促すには、個々人が才能やアイデアを活用する必要があったのに、ソ連式の経済制度を捨てなければならなかったはずだが、そんなことをすれば自分たちの政治権力を危険にさらすことになっただろう。実際、1987年以降にミハイル・ゴルバチョフが収奪的な経済制度からの脱却をはじめると、共産党は力を失い、それと同時にソ連は崩壊したのである。
・大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。
・ローマは共和国期に堂々たる帝国を築き上げ、遠距離の貿易や輸送を盛んに行なったにもかかわらず、ローマ経済の大半は収奪を基盤としていた。共和国から帝国への移行は収奪の比重を増し、最終的には、マヤ族の都市国家に見られたような内紛、政情不安、崩壊を招いたのである。
ローマの成長が持続する可能性はなかった。包括的な面と収奪的な面を併せもつ制度のもとで起こったからだ。ローマ市民は政治的・経済的権利を手にしていたが、奴隷制は広く普及し、きわめて収奪的だった。そして、元老院議員階級のエリートが政治と経済を牛耳っていた。
・きわめて絶対主義的なオスマン帝国の制度を考えれば、スルタンが印刷機に敵意を抱いていたのも理解できる。書物を通じてさまざまな考え方が広まれば、民衆を支配するのがずっと難しくなる。
・第二に、(オーストラリア・ハンガリー帝国の)フランツは鉄道の敷設に反対した。鉄道は産業革命とともに出現した重要な新技術の一つだった。北部鉄道の建設計画を提示されたとき、彼はこう言った。「いかん、いかん、鉄道などごめんだ。革命がこの国に入り込んでくるかもしれないではないか」
・(中国では)この禁止令は18世紀になっても定期的に出され、海外交易の芽を効果的に摘み取った。なかには交易を発展させた者もいた。だが、皇帝の気がいつなんどき変わって交易を禁じられるかわからず、船、設備、交易関係に投資したところで無駄どころかもっとひどいことになるかもしれないというのに、わざわざ投資しようという者はほとんどいなかった。

与えるひとが成功する理由「GIVE & TAKE」

全米No.1のビジネススクール「ペンシルベニア大学ウォートン校」の史上最年少終身教授著。

ひとを「ギバー(人に惜しみなく与える人)」「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」「マッチャー(損得のバランスを考える人)」に分けて、もっとも成功するのはどれかという議論を展開しています。

販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。

結論、意外なことにギバーなのだが、逆にギバーは「与えすぎてしまい」成功できないことも多く、その違いなどについて詳細な解説を加えています。

着眼点は非常におもしろいのですが、それらを分ける定義がまずはっきりしないし、挙げられている事例も後付け感が否めません。

ではなぜ取り上げたのかという話なのですが、本質的にはネットの時代にギバーのよい評判がより広まりやすくなり、テイカーはその逆となるため、今後ギバーの考え方や行動が非常に重要になってくるだろうという直感はおそらく正しいと思ったためです。

数々のストーリーは非常におもしろくて、身に包まされることもあり、僕は普段何気なくしていると特に交渉などの際テイカー的側面がもたげてしまうので、もっともっと相手の立場にたって何かできることはないかと常に与えることを意識していきたいと思いました。

<抜粋>
・販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。
・電話もなければ、インターネットも高速の交通機関もない時代には、マラソンにはかなりの時間がかかった。人間関係と個人の評判を築くのは気の長い話だった。「昔は、手紙は出せても、そのことに誰も気づかなかった」とコンリーはいう。今日のような密接に結びついた社会では、人間関係や個人の評判は人目につきやすく、ギバーはペースを加速することができるとコンリーは考えている。
・ベンチャーキャピタルはそれまで、中身の見えないブラックボックスだった。そこでホーニックは、起業家たちをなかに招き入れることにしたのだ。情報をウェブ上に公開して共有し、ベンチャーキャピタリストの考えをより深く理解してもらうことで、起業家がもっとうまく売り込めるよう手助けをはじめた。
・告発によれば、レイはエンロンが破綻する直前に7000万ドル(約70億円)以上の株式を売却し、沈みかけた船から財宝を盗みとったという。
テイカーは部下に対しては支配的になるが、上司に対しては驚くほど従順で、うやうやしい態度をとる。有力者と接するとき、テイカーはまさにペテン師になる。
・年をとればとるほど、休眠状態のつながりはますます増えていき、また、さらに貴重なものになっていく。
テイカーはユニークなアイデアを生み出し、反論をものともせず、それらを擁護するコツを心得ている。自分の意見に絶対的な自信をもっているため、普通の人なら想像力を抑え込まれてしまう「社会的な承認」に縛られることがないからである。
・ある調査で、ミネソタ大学の研究者ユージーン・キムとテリーザ・グラムは、非常に才能のある人は他人に嫉妬されやすく、嫌われたり、うらまれたり、仲間はずれにされたり、陰で中傷されたりすることを発見した。ただし、これがギバーであれば、もはや攻撃されることはない。それよりむしろ、ギバーはグループに貢献するので感謝される。同僚が嫌がる仕事を引き受けることで、マイヤーは妬みを買うことなく、そのウェットとユーモアで仲間をアッといわせることができたのだ。
・実際、それぞれのカップルに夫婦関係への具体的な貢献度合いをあげてもらうと、自分がしたことは11個思いつけたのに、相手のしてくれたことは8個しか思いつかなかった。
・成績のよくない生徒や、差別を受けているマイノリティグループの生徒の成績と知能検査のスコアを向上させるには、教師が生徒に対し期待を抱くことがとりわけ重要だということなのだ。
・すべての業種において、マネジャーが無作為に従業員をブルーマーに指定すると、その従業員は才能を開花させた。これを利用すれば「仕事の成果にかなり大きな影響をおよぼすことができる」とマクナットは考えている。そこで、マネジャーたちにこうすすめている。 「従業員の可能性を心から信じ、支援の手を差し伸べ、可能性を信じていることを常日頃から伝えていれば、やる気が出ていっそう努力するようになり、その可能性を発揮できるようになるのです」
ギバーは同僚と会社を守ることを第一に考えるので、進んで失敗を認め、柔軟に意思決定しようとする。ほかの研究によれば、人は自分よりも他人のために選択するとき、より的確で創造的な決断が下せるという。自分を中心に考えると、エゴを守ろうとすることによって決断が歪められるだけでなく、考えうるあらゆる局面に適した選択をしようと悩むことになる。
・調査では、私が「新しいコンピュータを買うご予定がありますか」と尋ねると、その人が六ヶ月以内に新しいコンピュータを買う可能性が、18パーセント高まることがわかっている。
・ギバーはゆるい話し方をすることで、相手に「あなたの利益を一番に考えていますよ」というメッセージを伝えている。だが、控えめに話さないほうがいい立場が一つだけある。それは、リーダーシップを担っている場合だ。
・(注:ハンツマン)「これまでの人生で、経済的にもっとも満足のいく瞬間は、大きな契約を結んで舞い上がったことでも、そこから利益をものにしたことでもない。それは、困っている人を助けられたことである。与えれば与えるほど、ますます気分がよくなる。気分がよくなればなるほど、ますます与えることが容易になっていくのだ」
・ほかの人の代理人として振る舞うことは、ギバーとしての自己イメージと社会的イメージを保つための効果的な方法なのだ。
・クレイグズリストのようなシステムは、多くの人間がマッチャーだという事実を利用して、人びとに価値を交換させている。しかし一部の研究者は、むしろフリーサイクルのようなシステムこそ、今後急速に成長するだろうと考えている。

超格差時代を生き抜くヒント「グローバル・スーパーリッチ」

タイトルから受ける印象とは違い、プルトクラート(上位0.1%の超富裕層)やその周辺への綿密なインタビューや豊富な統計データなどを用いて、今世界で何が起こっているかを鮮やかに描き出した良作。

今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。

この流れは止められないのがいたいほど分かったので、どのように生きていくかを考えさせられました。結局、自分が好きで得意なことをやって世の中に価値を生み出していくしかない。先進国においては、誰でもできることはボーダレス化により、どんどん下方圧力がかかってしまいます。

(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」

しかし、いかに成功するかを考えると、実際のところ結構難しい。世の中のランダム性が強くなっているので、ある世界では成功したひとが、ある平行世界では成功しないということがありえてしまう。しかし、一度、強者の世界に突入すれば、ほとんどすべてを勝つ方向に持ってくことができる。だから、まずはひとと違うことをして目立った成果をあげることが重要だと思っています。

経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
(中略)
一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。

とはいえ、僕はあまりこの考えには賛同してなくて、いつでも(何歳でも)チャンスはありえると思っています。だから、常にチャンスを掴むための努力をしていなければならないと思っています。努力をしていなくても運良く成功することはありますが、努力が成功につながらないと僕自身は納得できないので、努力そのものを楽しめるような分野でやっていきたいと思ってます。

P.S.

一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

ちょっと本題と外れますが、まさにFacebookなどに巨額投資したDSTのような新興財閥の動きは非常に注目だと思いました。

<抜粋>
・今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。
・「テクノロジーが変化する速度はかつてないほど速く、それがセクターからセクターへと波及している」と、モーカーは私に語った。「どうやら、これからも指数関数的な速度で広がりつづけるようだ。われわれ一人一人は賢くなりつつあるわけではないが、社会全体は知識をどんどん蓄積している。もみ殻の山をかき分け、小麦の実にたどり着くために、われわれは情報やテクノロジーの助けを借りることができるーー過去のどの社会にもなかったことだ。この点はきわめて大きい
・西洋の第一次金ぴか時代のさなかには、本当にその経済システムがうまくいくかどうか、明確にわかっていたわけではなかった。そのころ、産業革命という「暗い、悪魔のような工場」に触発された急進主義者たちは資本主義に反旗をひるがえした。そして革命に成功すると、血なまぐさい手段によって経済と政治のしくみを再構築することになったのだ。だが今日では、共産主義の実験の果てを見なくとも、資本主義が機能することは明確に証明されている。
・スーパーエリートに含められる人びとは、データギークの台頭はまだ始まったばかりだと考えている。エリオット・シュレイジは、テクノロジー分野において、いわば貴族階級に属している。彼は、シリコンヴァレーでもっとも注目を集めていたころのグーグル社で広報担当重役を務めたあと、巨大企業になりつつあったフェイスブック社に移って同じ業務をこなした。2009年、教育及び出版担当重役を集めた社内会議でシュレイジは、子供たちに勧めるべき学問の分野は何かと質問され、統計学であると即答した。データを理解する能力こそ、21世紀にもっとも大きな力になるという理由だった。
ドルー・フォーストは、ハーヴァード大学の学長として三度目の卒業式のスピーチで、卒業生に「人生の駐車スペース理論」を実行するよう説いた。「目的地の近くには駐車スペースがないだろうと予想して、10ブロックも離れた場所に車をとめてはいけない。まずは行きたい場所に行きなさい。必要があればUターンはいつでもできる」
・経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
・一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。
・(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」
・カッツェンバーグが1991年の覚書で披露したアイデアは、その後の学術研究によって広く裏づけられている。驚いたことに、1999年にエイブラハム・ラヴィードが実施した映画作品200本の経済的側面に関する調査の結果、スターの出演は興行収入にまったく関係ないとわかった。
・(ジョージ・ソロスがホロコーストから逃げ回った経験から)「ときには、生き残るために積極的な努力をすることが必要になる。それは少年時代に体験したことだ。人から教わった部分もあれば、経験してわかった部分もある……。父の経験から知ったのは、通常のルールが通用しなくなったとき、そのルールをかたくなに守りつづければ死ぬということだ。生き残れるかどうかは、通常のルールが通用したいことに気づくかどうかにかかっている……。行動しないことがもっとも危険である場合もある」
ノーベル賞受賞者について調査したロバート・マートンは、適切な仕事を選びとる能力の存在を発見した。その能力は、選んだ仕事をこなす能力そのものと同じほど重要だった。マートンは1968年にこう記している。「彼らのはほとんどは、問題を解決することではなく発見することの重要性に目を向けている。彼らが一様に示しているのは、根本的重要性を有する問題を把握するにあたっての鑑識力、判断力の向上こそが各自の仕事にもっとも大切であるという強い信念である」
・ザッポスでは、多くの部分で「ワオ」が重視されている。コアバリューの一つ目は、サービスを通じて「ワオ」を届けることなのだ。その第一歩としてザッポスは、従業員に、この会社で働くことは特権だと思ってもらえるよう努力している。私は、ヘンダーソンで過ごした二日間のあいだに十数回も、「ハーヴァード大学に入るより、この会社に入るほうが難しい」と聞かされた。社内には「ワオ!」の壁ーーもちろん、どんどん落書きしていいことになっているーーというものがあって、誰かが「大勢の人が私の仕事を見学したいと思ってくれることに、『ワオ』といいたくなる」と書いていた。
・2010年4月、世界一の金持ちであるのはどんな気分かとMITの学生たちに質問されたビル・ゲイツは、たいしたことはないというような意味の返事をした。「いや、限界収益はしだいに少なくなる。私は、ハンバーガーの室と価格の点で、マクドナルド以上の店をまだ知らない」彼はこれまでに、たとえば自家用ジェットでの移動など、すばらしい役得はあったことを認めた。「しかし、数百万ドルを稼いだあとは、それをどう還元するかが大事になる」
・長い目で見れば、この都市の寡頭制にとっても、もっと広範囲なヴェネツィアの繁栄にとっても、<ラ・セッラータ>は終わりの始まりを意味した。1500年、ヴェネツィアの人口は1330年の時点に比べて減っていた。17世紀から18世紀、ヨーロッパの他の国々が発展するにつれ、かつてヨーロッパ一豊かだったこの都市はいっそう衰退していった。
・それを誰に明確にしてもらうかは、きわめて難しい問題だ。政府が、これはいい事業、これは悪い事業というふうに分け隔てし、悪い事業には、たとえば特別に課税するなどの方法で罰を与えれば、違和感を覚える人は多いだろう。それに強力なロビー団体の存在もある……。『これはいい事業、これは悪い事業』と区別するのは、経済学者にすら難しい。進行中の事業であれば、なおさらだ
この200年でもっとも驚くべき政治的事実といえば、マルクスの言うような事態が起こっていなかったことである。ヴェネツィアのエリートとは異なって、西洋の資本家は破壊的想像や新しい参入者との競争を甘んじて受け入れ、より包括的な経済秩序と政治秩序をつくりあげた。その結果、人類史上もっともさかんな経済進歩の時代が出現している。
・一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

20世紀の隠れた大発明を知る「コンテナ物語」

今でこそ当たり前のコンテナ輸送ですが、当然ながら港は昔から一大産業であり(NYだけで10万人以上が携わっていたという)、波止場で港の労働者が荷物の運ぶシーンからコンテナ輸送になるまでには本当に紆余曲折がありました。

海運業者、鉄道、トラック、国家、都市および港間で興味深い事件がたくさん起こっており、最終的に60年代後半〜70年代にかけて劇的に切り替って、それぞれの勢力図が塗り替わっていく様が丁寧に描かれています。

日本のエレクトロニクス・メーカーが躍進したのもまさにコンテナのおかげでした。グローバリゼーションとは何かも考えさせられ、知的好奇心が刺激される良作です。

<抜粋>
・輸送コストが高かった頃は、港や消費者に近い立地が有利であり、そのため製造業は長年にわたりやむなくコストの高い都市周辺に工場を設置していた。だが輸送費が下がると、彼らはさっさと地方に移転する。
・パンアトランティック海運のような内航海運会社は規制でがんじがらめの状況に置かれ、起業家精神を発揮する余地などすこしもない。また、アメリカ船籍の外航船を運航するウォーターマンのような船会社は、海運同盟すなわち運賃カルテルへの加盟を認められている。さらにアメリカ人船員が乗り組むアメリカ船は、軍用船やら貨物船やら政府の払い下げ船を運航する独占的な権利を持つ。おまけに政府から補助金も潤沢に出る。こんなぬくぬくとした環境で保護されているから、ウォーターマン海運はあんな立派な本社を構えていられるのだ。
ニューヨーク市にとって、港は雇用の一大供給源である。1951年、港が戦時体制から正常な状態に戻ったとき、海運業・トラック運送業・倉庫業で働く市民の数は10万人に達していた。ここには鉄道と市営フェリーの職員は含まれていない。
・だが規格戦争はこれで終わりではない。むしろこれはほんの始まりにすぎなかった。今度は、アメリカにせかされた国際標準化機構(ISO)がコンテナの規格統一に乗り出したのである。ISOには当時三七カ国が加盟していた。その頃はまだ国境を超えたコンテナ輸送はほとんど行われていなかったが、いずれそうなることは目に見えており、各国企業が大規模な投資を始める前に国際規格を決めてしまうのがISOの目標である。
これだけでも、コンテナ輸送の威力がわかる。ニューヨーク港で暑かったコンテナ貨物の量は、1965年には195万トンだった。それが翌66年の最初の10週間だけで、260万トンに急増している。この現象を目の当たりにしたアメリカの海運各社、さらにイギリスの二社、大陸欧州のコンソーシアムがどっと参入してきた。「船会社も港もコンテナ輸送に本腰を入れ、もはや後戻りできない状況になったのはこの66年である」と、あるコンサルティング会社は分析している。
・1967年〜68年の鉄道はそんな助言に耳も貸そうとしなかった。ベトナム戦争による好景気を受け、ピギーバック輸送は絶好調で3年で30%も伸びている。伝統に支えられ規制に守られてきた鉄道会社には、新しいビジネスに向かう気概が欠けていた。そして、コンテナ輸送という未開の領域がみすみすトラックにさらわれるのを見過ごしたのだった。
・シンガポールの躍進ぶりはあらゆる予想を超えていた。新ターミナル開業前の1971年の時点では、シンガポール港湾局が予想した10年後のコンテナ取扱量は19万TEUだった。しかし82年の取扱量は100万TEUを軽く超え、同港はコンテナ港として世界六位にランクされている。(中略)ついに2005年には、原油を除く一般貨物で香港を抜いて世界最大となった。いまや5000以上のグローバル企業がシンガポールをハブ港として利用する。輸送の力が貿易の流れを変えることを、シンガポールは実証したのである。
コンテナのメリットを最初に実感したのは、エレクトロニクス・メーカーだった。電子製品は壊れやすいうえ盗難にも遭いやすく、まさにコンテナにぴったりの商品である。エレクトロニクス製品の輸出は1960年代前半から伸びていたが、コンテナ化で海上運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、保険料が安くなると、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を制覇した。
新しい港の地理学は、従来とは異なる貿易パターンを生み出す。地中海に面した南フランスのメーカーが輸出するには、英仏海峡に面したルアーヴルを使うのがいちばん安上がりだった。(中略)日本からサンフランシスコ向けのか持ちは、ごく近くのオークランドではなくシアトルに送られた。シアトルからサンフランシスコまで鉄道輸送しても、寄港先を減らす方が安上がりだからである。
・20世紀末に起きたグローバリゼーションは、だいぶ性質がちがう。国際貿易の主役は、もはや原料でもなければ完成品でもなかった。1998年のカリフォルニアに運ばれてきたコンテナの中身をもし見ることができたら、完成品が三分の一足らずしか入っていないのに驚かされるだろう。残りはグローバル・サプライチェーンに乗って運ばれる、いわゆる「中間財」である。
・60年代を通じ、コンテナリゼーションの降盛を予測する論文は次々に書かれているが、どれも輸出入の流れは基本的には変わらないと見込んでおり、貨物は徐々にコンテナに切り替わるとみている。コンテナ輸送が世界経済を再編し貿易を一気に拡大するという予想があっても、まじめには受け取られなかった。

無印マニュアルに学ぶ「無印良品は、仕組みが9割」

無印良品は38億円赤字を出し、その後V字回復しているがその中興を築いた元社長松井氏による無印良品の話。多くはマニュアル(無印ではMUJIGRAMという)について割かれているのですが、単純なマニュアル化というよりも、タイトルにもあるように仕組み作りについて概念から細かいところまで書かれています。

メルカリは、今までは経営陣から現場までその場の判断でどんどん進めてきたものの、仕組み化していかないと回って行かないフェーズになってきているので、非常に勉強になりました。MUJIGRAMならぬMERUGRAM(仮)を作っていきたいと思ってます。

P.S.ちなみに良品計画、中国など海外が好調で収益を伸ばし続けており、2017年には海外店舗が国内を超える計画だそうです。

<抜粋>
リーダーに必要なのは徹底力であり、組織の向かうベクトルをまとめる。それをできるまでやる、やり遂げるしかないのだが、私は社長になった時に覚悟を決めたのです。
・今の時代のリーダーに必要なのはカリスマ性ではなく、現場でも自由にものを言えるような風土をつくり、その意見を仕組みにしていくことです。
・マニュアルを使うと、決められたこと以外のしごとをできなくなる、受け身の人間を生み出す、とよく指摘されています。無味乾燥なロボットを動かすような、画一的なイメージがあるようです。しかし、そういう人をつくるのが無印良品の目的ではありません。 むしろ、マニュアルをつくれる人になるのが、無印良品で目指すところなのです。
・マニュアルをつくり上げるプロセスが重要で、全社員・全スタッフで問題点を見つけて改善していく姿勢を持ってもらうのが目的なのです。
・たとえば、時間が足りないからと毎日のように残業をしているのなら……本当に時間が足りないのか。もしかしたら、自分では必要だと思っている作業に、ムダがあるのではないか。そうやって自分の仕事を改めて考えるうちに、「どのように働くべきか」「何のために働くべきなのか」という仕事の本質に近づけるようになるのです。
・マニュアルは、それを使う人が、つくるべきなのです。 また、特定の部署だけがつくるのではなく、必ずすべての部署に参加してもらうこと。さらにいうなら、すべての社員が参加できる道筋を整えておくのがコツです。
・誰でもわかるようにするためには、いい例と悪い例を紹介するのも一つの手です。
・一例として、MUJIGRAMの「売り場の基礎知識」にはこう書いてあります。
 「売り場」とは
 何:商品を売る場所のことです
 なぜ:お客様に見やすく、買いやすい場所を提供するため
 いつ:随時
 誰が:全スタッフ
 このように、冒頭で「何」「なぜ」「いつ」「誰が」の四つの目的を説明してから、ノウハウの説明に入っていくというフォーマットになっているのです。 「これくらいのこと、言わなくてもわかるのでは」と思うかもしれませんが、その一方的な思い込みこそ、個人の経験や勘に頼りがちな風土をつくってしまうのです。
・“一見、必要な努力”に目を奪われ、がむしゃらに頑張ってしまう前に、「本当に、この努力の方法でいいのか」を自問するわけです。
・退社時には、私物や進行中の仕事の書類などを残してはいけないことになっており、机の上に載っているのはパソコンと電話ぐらいです。
・ハサミやホチキス、のりなどの文房具は、部門ごとで共有するようにしています。個人で文房具を所有していると、際限なく所有物が増えていくものです。
無印良品では会議の時に使う提案書はA4一枚(両面)と決めてあります。新規出店のような大型の案件でも、提案書はA4一枚です。
・「部下に注意をする」とは
 何:部下のミスやトラブルを是正する行為
 なぜ:部下にミスやトラブルの原因を認識させ、反省してもらうことで成長を即す
 いつ:部下がミスやトラブルを起こした時
 誰が:自分

iPhone vs Androidの歴史「アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか」

iPhone vs Androidつまり、スマートフォン分野でのApple vs Googleの歴史。ものすごい丁寧に追いかけてあり、iPhoneもぎりぎりの選択から生まれてきたことが分かるし、Androidにいたってはほとんど奇跡のようなタイミングと戦略により生き残ってきたことがよく分かります。

ベゾス(アマゾン創業者)が言うように、AppleはiPhoneで儲け過ぎたがゆえにGoogleのAndroidに付け入る隙を与えられてしまいます。しかし、Googleもなんだかよく分からなかったAndroidに紆余曲折ありながらも賭け続けたのは素晴らしい。僕はAndroidが出てきた時になんでこんなことやってるんだろうと思っていた口なので、本当に尊敬します。

ビジネスというのは最先端に行けば行くほど、誰も見えていない可能性に気づくことができます。それに対して社内外から批判されようが、ベットし続けることが重要なんだなと思いました。自分も早く勝負できるだけの先端に行きたいものです。

<抜粋>
モトローラと提携するのは、キャリアと直接交渉せずに音楽携帯を作って他社に対抗しようという、防御措置とリスク回避のためだったが、2004年がひと月、またひと月とすぎていくにしたがって、iTunesとiPodについてはなんら防御措置など必要ないことがわかってきたのだ。iTunesをより広く普及させるのに<ロッカー>の手助けはいらず、iPodの売上がロケットさながら急上昇するのを、ただ待てばよかった。2003年夏の四半期にわずか30万台ほどだったiPodの売上は、2004年に入っても四半期でまだ80万台だったが、同年夏に爆発的に伸びる。2004年9月締めの四半期では200万台、年の最後の四半期では450万台になった。
・アップルは初代iPhoneを作るのに1億5000万ドル以上の費用をかけたらしい。
・iPhoneは、見た目がクールなだけでなく、そのクールさを利用して、まったく新しい携帯電話の使い方を生み出していたーーアンドロイドのエンジニアたちが可能だと思っていなかったか、可能だとしても危険すぎると思っていた方法だ。
ルービンは「ボス」でなくなったことにも慣れなければならなかった。グーグルのアンドロイド部門を率いていたが、2005年の末でも、従業員5700人の会社で10人ほどの部下しかいなかった。ただグーグルは、明らかにアンドロイドをほかのあまたの小さな買収企業より優遇していた。
・立案に半年を費やしたあと、マーケティングそのものを放棄し、ジーマンを解雇した。ペイジもブリンも、グーグルの検索エンジンが自動的に広まると信じていてーーその読みは正しかったーーその後もグーグルは、2001年までマーケティング担当役員を置かなかったほどだった。
アップルはそのあと残りの30%を取るが、ルービンは、アンドロイドの取り分にもできるその30パーセントをキャリアに渡すことにした。差し出されるものを受け取らないのはおかしいという意見もあったが、ルービンは<ドロイド>成功のチャンスが少しでも広がるなら安い買物だと思った。
・携帯電話一台からあがる広告収入はデスクトップ一台より少ないが、保有者の数を考えると、全体としての収入は爆発的に伸びそうだった。消費者が一年で買う携帯電話の数はPCの五倍にのぼるーー18億台と4億台のちがいだ。グーグルはまだその市場にほとんど浸透していなかった。
2010年になると、アメリカの多くの消費者が、たんにキャリアがAT&T社でないという理由からアンドロイド携帯を買っていた。ジョブズは2007年のiPhone発売以来、ネットワークの性能を早く上げろとAT&T経営陣に圧力をかけていたが、独占契約が終了してベライゾンでもiPhoneを提供できるようになる2011年のはじめまでは、AT&Tに行使できる影響力にも限界があった。
(ペイジ)グーグルに関する記事を読むと、どれもこれも、グーグル対ほかの会社、グーグル対くだらない何かといった内容ばかりだ。興味が沸かない。われわれは、いまここにない偉大なものを作るべきだろう? ネガティブな態度では進歩できない。それに、本当に重要なことはゼロサムではない。チャンスはたくさん転がっている。みんなの暮らしをよりよくするために、テクノロジーを使って、斬新で本当に重要なものを作り出すことができるんだ。
(ジョブズ)2010年、なぜiPadが重要なのかと尋ねられて、こう答えた。「アメリカが農業国だったとき、車はすべてトラックだった。農場で必要とされたからだ。でも、都市部で乗られるようになると、沓間の人気ががぜん高まった。オートマティック・トランスミッションやパワーステアリングなど、トラックにはあまり関係のなかったイノベーションが、乗用車では何より重要な機能になった……PCはトラックのようになる。まだ出回っているし、価値も大いにあるが、やがて一部の人しか使わないものになるだろう」

アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか

アマゾンの作り方「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」

綿密な取材によりアマゾン創業者ジェフ・ベゾスを追った力作。

とにかく丁寧に、幼少時代からはじまり、アマゾンがどのように立ち上がり、最初はバーンズ&ノーブルなどの大手書店、続いてトイザらスやウォールマートのような巨人たちから、ザッポスやクイッドシーのようなベンチャーと対抗してきたのか、その間に打ってきたロジスティクス、カスタマーレビュー、アマゾンプライム、マーケットプレイス、AWS、キンドルなどの戦略の裏側から、人事や企業文化まで事細かに描かれています。

思ったのは、今では当たり前になっている上記の施策ですが、当時は本当に手探りで、様々な手法が試され、星の数ほどの失敗の中からビッグヒットが生まれてきたということです。本書によるとアマゾンも膨大な数の失敗を繰り返しており、ほんの少し正解の数が多かっただけなことが分かります。しかし、それが決定的な差になっています。

なので、ビジネスをする上ではとにかく正しいと思われる施策を大胆に考えて、試行回数を増やしてすばやく正解か間違いかを判断していくことがとにかく重要なんだと再認識できました。

ベゾスのやり方には極端なところもありますが、非常に合理的なのに夢もあって、個人的にモバイル・コマースのビジネスをしていることもありものすごい勉強になりました。何度か読み返そうと思ってます。

<抜粋>
・「あなた方は物理的な店舗を持っていませんよね。そのうち、この問題が原因で伸び悩む日が来ると思いますよ」 細身のスターバックス創業者が、ふたりのためにコーヒーを入れつつこう切り出すと、ベゾスが正面から反論する。 「いや、月まででも行けると思っていますよ」
チェーン展開しているバーンズ&ノーブルがオンライン事業を本気で進めるのは難しいはずだとベゾスは読んでいたし、この読みは正しかった。ごく一部にすぎないオンライン事業で損失を出すのはいやだと考えたリッジオ兄弟は、優秀な社員の投入をためらった。利益率の高いリアル書店での販売が低下する恐れがあるからだ。
・立ち上げ期のアマゾンで働いた人々のなかには、ここまで強烈ではないかもしれないが、同じような想いを抱く人が多い。皆、説得力のある教義を説いたベゾスを信じ、金銭的には十分に報われた。だがそのあと、冷たい目の創業者に捨てられ、経験豊かな人々に交代させられた。
・「そうかもしれないね。でも一点だけ指摘しておこう。新しい販路に注目してすばやく開拓するといったことは、リアル店舗を持つ既存の小売業者にとって以外なほどやりにくいことなんだ。いや、企業というのはそれぞれに手慣れたやり方というものがあって、みんなそうなのかもしれない。ともかく、そのあたりのことをみなさんは過小評価している気がする。本当のところどうなのかは、そのうちわかるんじゃないかな
このとき、誰よりも大きくインターネットに賭けたのがジェフ・ベゾスである。ウェブの登場で会社にとっても消費者にとっても世界が大きく変わると信じたベゾスは、迷うことなく前に突きすすんだ。このころ、ベゾスはこうくり返していた。 「ウチの会社は評価が低すぎると思います。アマゾンの将来像を世界が理解できていないのでしょう」
・当時は、多くの人が使うほど製品やサービスの価値があがるというネットワーク効果をハイテク業界が学んでいく時代だった。オンラインの市場はネットワーク効果に支配されており、売り手は十分な数の買い手が集まるのを待ち、逆に買い手は十分な数の売り手が集まるのを待つ。つまり、オークション分野でイーベイの優位は覆せないものとなっていたのだ。アマゾンにとっては大きな失敗で板でではあったが、意外なほどにへこまなかったとブラックバーンは言う。
・キャンベルが出した結論は、「ガリは報酬の問題やプライベートジェットなどの役得ばかりを気にしている。社員の気持ちはベゾスのほうを向いている。創業者を選んだほうが賢明だ」であった。
・投資家の目が厳しくなったこと、また、経営幹部がこぞって意見したことから、ベゾスも方針を転換する。スローガンも「早くでかくなる」から「社内をまともにする」となり、「規律、効率、無駄の排除」が合言葉となった。会社は1998年の1500人から2000年になるころには7600人と爆発的な勢いで成長したおり、このあたりで一息つく必要があるとベゾスでさえも感じる状況になっていた。
・「まあ、いつものことなのですが、あのときもジェフ対世界という構図でした」
・「小売店は2種類に分けることができます。どうしたら値段を高くできるのかを考えるお店と、どうしたら値段を下げられるのかと考えるお店です。我々がめざすのは後者です」
・調査後、アマゾンはテレビ広告をすべてやめただけでなく、マーケティング部門を解体してしまう。
・自分の時間をうまく割り振る努力の一環として、一対一の面談をやめると宣言。一対一で部下と面談すると、問題解決やブレインストーミングにならず、どうでもいいような報告と社内政治の雑音を聞かされることが多いからだ。いまも、ベゾスが社員と個別面談することはめったにない。
ベゾスはこの方法をさらに一歩進めた。新しい機能や製品を提案する場合は、プレスリリース形式の意見書にすべしとしたのだ。目的は、うりのポイントをぎりぎりまで洗練させること、顧客が目にするリリースからスタートし、そこからさかのぼる形で仕事をするようになることだ。新しい機能や商品が世間にどのように伝えられるのかを知らず、神様である顧客がそれをどう受け取るのかを知らずに優れた意思決定はできないーーそうベゾスは考えたのだ。
宝飾品担当となったふたりは、その少し前、アパレルへ参入したときと同じように、慎重に進めようと考えた。経験豊富な小売業者にマーケットプレイス経由で商品を販売させ、アマゾンは手数料を受けとると同時に彼らのやり方を見て学ぶのだ。ランディ・ミラーはこう証言している。 「アマゾンはこれが得意なんですよ。よくわかっていない事業に参入する場合、マーケットプレイスでスタートして小売業者を誘致し、彼らのやり方や品ぞろえを観察して学んでから参入するのです」
・アンストアであるとは、また、顧客にとってなにが一番いいのかさえ考えればいいことを意味する。宝飾品事業では100%から200%の利ざやが慣例だが、アマゾンがそれに従う必要はない。 この会議でベゾスは、アマゾンは小売企業ではない、よって、小売業界に頭を下げる必要はないと宣言したのだ。
・物流ネットワークのソフトウェアを根本的に改めた結果、大きな成果が得られた。(中略)ウィルケがアマゾンに来たころはクリックから出荷まで3日かかる場合が少なくなかったが、それが、ファーンリー会議から1年でほとんどの商品について4時間以内と短くなったのだ。ちなみに、電子商取引業界の一般的な値は12時間である。
・プライムには価値があると、最終的には確認される。Amazonプライムに登録した顧客は、注文の翌々日に必ず商品が届くのが便利だとアマゾン中毒になるのだ。
・ジャシーとベゾス、ダルゼルが新しいAWSの構想を取締役会に提出すると、組織的ノートがその鎌首ともたげようとした。「まっとうな疑問」だったとのちに述懐しているが、ジョン・ドーアが当然の質問をしたのだーー海外展開を加速しなければならないのにエンジニアの採用が滞っているいま、なぜ、この事業をはじめなければならないのか、と。 「この事業も必要だからだ」ーーそれがベゾスの回答だったアマゾンは市場ニーズを繁栄する形でそのようなサービスを必要としている、というのだ。ジャシーは、取締役会後、これほど大胆な投資をする会社で仕事ができるお前は幸せ者だとドーアに言われたらしい。
ビル・ミラーからAWSの収益予想を尋ねられたとき、ベゾスは、長期的には収益が上げられるようになるが、「スティーブ・ジョブズの失敗」をくり返したくないと回答した。iPhoneをびっくりするほど利益があがる価格にして、競争相手をスマートフォン市場に引き寄せた愚は避けたいというわけだ。
・アマゾンの弾み車が加速しているころ、イーベイの弾み車はばらばらに壊れつつあった。安値で入札したコブラのゴルフクラブセットが落札できるかどうか7日間も待つのはつらいと考え、消費者は、さっと買い物ができる確実性と利便性を求めるようになった。オンラインオークションの魅力は薄れてしまったのだ。
時間がたつにつれ、消費者はアマゾンでのショッピングを楽しいと思い、イーベイで品物を探したり高すぎる配送料を請求してくる売り手に対応したりするのはめんどうだと思うようになった。アマゾンは混乱と戦って克服したのに対し、イーベイは混乱に飲まれたのだ。
・(ダルセル)「いろいろな人のもとで仕事をしましたが、ジェフには何点か、ほかの人より優れているところがあります。ひとつは、現実を受け入れること、現実について語る人は多いのですが、現実に一番近いと思われることを前提に意思決定をする人はまずいません。 もうひとつ、彼は因習的な考え方にとらわれることがありません。なんと、物理法則以外に縛られるものがないのです。物理法則はさすがの彼にも変えられませんが、それ以外はすべて応談だと考えているのです」
・自分たちが知る配送料金とP&Gの卸価格からクイッドシーが試算したところによると、アマゾンは、3ヶ月で1億ドル以上の赤字を紙おむつだけで出す計算になったらしい。
・危害を持てーー反論し、コミットしろ リーダーには、賛同できないとき、まっとうなやり方で決定に異を唱えることが求められる。そうするのは気が進まない場合や大変だと思われる場合も、である。リーダーは、信念を持ってねばり強く行動しなければならない。社会的結束を優先して妥協するなどもってのほかだ。そして、リーダーたる者、最終決定が下されたら、それに全力でコミットしなければならない。
・50人以上の部署をたばねるマネージャーは、一定のカーブで部下を並べ、成果を一番挙げられていない社員をクビにしなければならない。アマゾン社員は常に評価され、処分の恐怖にさらされているのだ。
・倹約 顧客にとって意味のないお金は使わないようにする。倹約からは、臨機応変、自立、工夫が生まれる。人員や予算規模、固定費が高く評価されることはない。
グーグルのような無料食堂や無料送迎バスなどの福利厚生はほとんどない。

ジェフ・ベゾス 果てなき野望

創造とは何か?を知る「ロスト・インタビュー スティーブ・ジョブズ 1995」

スティーブ・ジョブズの1995年のインタビュー。映画を観て、素晴らしかったので本(Kindle版)も購入してみました。

1995年というのはジョブズがアップルを追い出されて10年ほど、そしてこの翌年NeXTをアップルに売却し、アップルに返り咲きます。

ジョブズは自分の作った会社を追い出されることで、深い内省により成熟したのではないかなと思います。このインタビューでは創造すること、マイクロソフトやスカリー、インターネットの可能性(95年に)など様々なことについて深い洞察を語っています。それで、アップルに返り咲いた後、自らのそれまでの体験や才能を駆使できたのではないかと。

僕がもっとも感動した部分は以下です。

問題は、すばらしいアイデアとすばらしい製品の間には、とてつもない職人技の積み重ねが必要だということなんだ。それに、アイデアを発展させていく過程で、そのアイデアは変貌し、成長する。とりかかった時点で考えていたものと同じものができあがることなんて絶対にない。細部を詰めていくに従って多くのものを学ぶし、妥協しなければならない点も無数に出てくるからだ。電子にはできないことが必ずある。プラスチックにはできないこと、ガラスにはできないこと、工場やロボットにはできないことがね。こういったことすべてが絡んでくるから、製品を設計するというのは、5000のことを頭の中で考えるのと同じなんだ。そうしたコンセプトを一つにまとめて、それまでとは異なる新しいやり方で組み合わせたりして、自分がほしいものを生み出す。問題であれチャンスであれ、毎日何かしら新しいものが現れるたびに、全体をまた少し違った形で組み直すことになるわけだ。その過程がマジックなんだよ。

何かを創造しているときの躍動感を見事に表わしていると思います。

けっして一人で成し遂げるわけではない。人というのはシンボルが好きだから、私はある種のシンボルにされている。しかし、Macを作り上げたのは、まさにチームの努力なんだ。
(中略)
ソフトウェアの場合ーーかつてはハードウェアもそうだったけど、平均と最高の差は50対1、ひょっとしたら100対1かもしれない。人生でこれほど差がつくものはめったにないけれど、私は幸運にも、こういう世界に身を置くことができた。だから真に才能ある人材をみつけることによって、成功を築き上げることができたんだ。BクラスやCクラスの人材でよしとせずに、Aクラスの人材を本気で求めたんだ。
(中略)
真に優秀な人たちは自分たちが優秀だということを知っているから、その人たちのエゴを甘やかしてやる必要はほとんどない。いちばん大事なのは仕事だし、みんなそれをわかっている。肝心なのは仕事。
(中略)
真に優秀で頼りになる人たちにしてやれることのなかで、何が一番重要かというと、仕事の出来が満足のいくものではない時には、それを指摘してあげることだ。はっきり指摘し、その理由をきちんと説明して、彼らが軌道修正できるようにすることなんだ。 その際、自分たちの能力を疑っているんじゃないかと思わせないようにしながら、同時に、その特定の仕事に関しては、チームの目的に貢献していないとわからせるようにしなければならない。

しかもそれは一人で成し遂げられるものではなくて、Aクラスの人間を集めて、チームとなってぶつかり合いながらプロダクトを生み出していく。この過程こそが創造であることが表現されています。

(正しい方向かどうか、どうすれば分かるんです?)究極的には美意識の問題だね。美意識だ。人類がこれまでに生み出してきたもっとも優れたものに触れ、それをいま自分が進めていることに取り入れていけるかどうかだ。ピカソがこう言ってる。「優れた芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」とね。私たちはすばらしいアイデアをいつも臆面もなく盗んできた。

アップルやグーグル、フェイスブックがすごいと思うのは、「そういうことだったのか」と後で正しい方向性だったことに気づくことがたくさんあるからです。僕は、それは何歩も先に行っている創造の過程では周りには見えていない正しい、というか、あるべき方向性が見えてくるからだと思っています。

上ではジョブズはそれを美意識だと言っていますが、原文は”It comes down to taste”です。tasteには美意識だけではなくて経験や好み、味わうの意味もあり、僕は先に行った自らの経験とそれまでの人類の生み出してきた優れたものを組み合わせて醸成することと解釈しました。

アップルやグーグル、フェイスブックの創業者も最初からすごかったわけではない。グーグルの創業者たちがGoogleを続けるか大学院に戻るか迷っていた話は有名です。自らを創造の場におくことで、徐々に正しい方向が分かるようになっていったというのが正解だと思います。

自分ももっとひたすらもの作りをしなければいけない、と改めて思いました。

素晴らしい作品なので、映画、書籍どちらでもいいのでより多くの方に観て/読んでいただきたいです。

P.S.ギズモードで映画の一部が公開されています。

<抜粋>
・ビジネスの経験を通して気づいたのは、「どうしてこんなやり方をするんだ?」と訊くと、「そういうふうにやるものと決まっているんだ」という答えが必ず返ってくるということ。どうしてそうするのか、その理由を知っている人間は誰もいない。誰もビジネスについて深い思索を巡らせていないんだ。それがわかったよ。
・そんなわけで、ビジネスにおいては多くのものが、私にしてみれば言い伝えにすぎない。どうしてそういうやり方をするかといえば、昨日も、その前もそうしていたからというわけだ。つまり、どんどん質問して、いろんなことを考えて、一生懸命働こうという気があれば、ビジネスはそれほど時間をかけずに学べるんだ。世界一難しいことではない。
アメリカ人は全員コンピュータのプログラミングを学ぶべきだと思うね。なぜなら、コンピュータ言語を学ぶことによって、考え方を学べるからだ。
(お金持ちになったことを問われて)でも、あの当時の私にとっては、いちばん大切なものではなかった。 いちばん大事なのは会社であり、人であり、私たちが作っていた製品であり、その製品を使って人々が何をできるようになるかということだったから、お金のことはあまり考えなかったよ。きみも知ってのとおり、私は一度も株を売らなかった。長期的に見れば、会社は絶対に成功すると確信していたんだ。
・市場を独占していれば、それ以上の成功なんてありえない。だから会社をさらに成功させるのは営業やマーケティング部門の人間であり、結局、彼らが会社の舵を取ることになって、製造部門の人間は意思決定のプロセスから弾き出されてしまうんだ。そして企業は優れた製品を作ることの意味を忘れる。市場を独占するまでに会社を押し上げてくれた、製品に対する感性や先進的な製品を生み出す才能が、製品の良し悪しという概念がない経営陣によって無下にされてしまうんだ。
優れたアイデアを優れた製品にするのに必要な職人芸という概念が彼らにはないし、たいていの場合、顧客をほんとうに助けたいという真摯な思いに欠けている。これがゼロックスで起きたことだよ。
・大きくなり始めると、誰もが最初の成功を再現したいと思う。そして、成功したのはプロセスに何か魔法が潜んでいると考える人間が多い。だから全社的にプロセスを統一しようとするんだ。 ほどなくして、プロセスこそがコンテンツだと、みんな勘違いするようになる。これこそIBMが転落した究極の原因だよ。
私はこれまでのキャリアのなかで、もっとも優れた人材はコンテンツを理解できる人間だということ、同時に彼らはうんざりするほど扱いにくい人間だということを知ったよ。わかるだろう。それでも大目に見て受け入れるしかない。彼らはコンテンツに関してはきわめて優秀だからだ。だからこそ、優れた製品ができあがるんだ。プロセスじゃない。コンテツなんだ。
・その病とは、すばらしいアイデアが仕事の9割を占めていて、そのアイデアをスタッフに示せば、スタッフは当然作業にとりかかってアイデアが実現すると考えてしまうこと。
・問題は、すばらしいアイデアとすばらしい製品の間には、とてつもない職人技の積み重ねが必要だということなんだ。それに、アイデアを発展させていく過程で、そのアイデアは変貌し、成長する。とりかかった時点で考えていたものと同じものができあがることなんて絶対にない。細部を詰めていくに従って多くのものを学ぶし、妥協しなければならない点も無数に出てくるからだ。電子にはできないことが必ずある。プラスチックにはできないこと、ガラスにはできないこと、工場やロボットにはできないことがね。こういったことすべてが絡んでくるから、製品を設計するというのは、5000のことを頭の中で考えるのと同じなんだ。そうしたコンセプトを一つにまとめて、それまでとは異なる新しいやり方で組み合わせたりして、自分がほしいものを生み出す。問題であれチャンスであれ、毎日何かしら新しいものが現れるたびに、全体をまた少し違った形で組み直すことになるわけだ。その過程がマジックなんだよ。
・けっして一人で成し遂げるわけではない。人というのはシンボルが好きだから、私はある種のシンボルにされている。しかし、Macを作り上げたのは、まさにチームの努力なんだ。初期のアップルで私が目の当たりにしたことについて、当時はどう説明すればいいのかわからなくてずっと考え続けてきた。
・でもソフトウェアの場合ーーかつてはハードウェアもそうだったけど、平均と最高の差は50対1、ひょっとしたら100対1かもしれない。人生でこれほど差がつくものはめったにないけれど、私は幸運にも、こういう世界に身を置くことができた。だから真に才能ある人材をみつけることによって、成功を築き上げることができたんだ。BクラスやCクラスの人材でよしとせずに、Aクラスの人材を本気で求めたんだ。
十分な数のAクラスの人材を集めると、たとえば苦労してAクラスの人材を5人集めると、その5人は一緒に働くのがすごく楽しくなる。なぜなら、そんなチャンスはそれまではなかったからだ。そしてその5人は、もはやBクラスやCクラスの人間とは働きたくないと思う。だから彼らは自主的にAクラスの人間ばかりを雇うことになり、こうした精鋭部隊が作られてAクラスの人材がどんどん増えていく。 Macのチームはそんなふうだったんだ。みんなAクラスだったんだよ。ずば抜けて優秀な連中だった。
・Macチームにいた連中に話を聞けば、あんなにハードに働いたのは始めてだったと言うだろう。あれは人生でもっとも幸せな時間だったと話す者もいるだろう。それでも全員が、人生でめったにないほど密度が濃くて大切な経験だったと、口を揃えると思うね。
・真に優秀な人たちは自分たちが優秀だということを知っているから、その人たちのエゴを甘やかしてやる必要はほとんどない。いちばん大事なのは仕事だし、みんなそれをわかっている。肝心なのは仕事。
・真に優秀で頼りになる人たちにしてやれることのなかで、何が一番重要かというと、仕事の出来が満足のいくものではない時には、それを指摘してあげることだ。はっきり指摘し、その理由をきちんと説明して、彼らが軌道修正できるようにすることなんだ。 その際、自分たちの能力を疑っているんじゃないかと思わせないようにしながら、同時に、その特定の仕事に関しては、チームの目的に貢献していないとわからせるようにしなければならない。
・ジョン(・スカリー)のビジョンは、アップルのCEOに留まること。そのためにはどんなことだってしただろう。1985年の初期、アップルは麻痺状態にあり、会社全体を指揮していく能力は当時の私にはなかったと思う。私は30歳だったし、20億ドルの企業を経営できるだけの経験はなかった。残念ながら、ジョンにもね。私の仕事はないと、はっきり言われたよ。きわめて悲劇的だった。
・唯一の問題は、マイクロソフトが美意識に欠けていることだ。完全に欠けている。細かい点を言っているわけではないんだよ。大きな視点で見てだ。マイクロソフトが独自のアイデアを生み出さず、製品にはほとんど文化がないという意味でだ。
・私はマイクロソフトが成功したことが悲しいわけではないんだ。彼らが成功したのはかまわない。大半が彼ら自身の努力の結果なんだしね。私が気に入らないのは、マイクロソフトが作っている製品が三流品だという事実なんだ。マイクロソフトの製品には魂がない。人にひらめきを与えるスピリットがない。実に凡庸だと思う。 悲しいことに、顧客のほとんどもまた、そのような魂をあまり持ち合わせていない。人類が着実に向上するためには、最高のものを手に入れて、それを広めることだ。そうすれば、より良いものに触れてみんなが成長し、眼識を養えるようになる。マイクロソフトはいうなればマクドナルド。私にはそれが悲しいんだよ。マイクロソフトが勝ったからではなく、マイクロソフトの製品が洞察力や創造力を示してくれないことが悲しいんだ。
・ソフトウェアとコンピュータの世界ではいま、ワクワクすることが二つ起きている。一つはオブジェクトだが、もう一つはウェブだ。ウェブはとても刺激的だよ。私たちが抱いてきた夢の多くがこれによって実現するからね。コンピュータが計算中心の装置に留まるのではなく、究極的にはコミュニケーションのための装置へと変化するんだ。ウェブによって、ついにこの変化が起きている。 それに加えて刺激的のあのは、ウェブはマイクロソフトが所有するわけではないから、革新的なアイデアがどんどん生まれていることだ。だから、ウェブは社会に多大な影響を与えるだろうと思う。
・将来、人類の歴史を振り返った時、人類が発明してきたあらゆるもののなかで、コンピュータがもしトップでなかったとしても、トップにきわめて近いところに位置づけられることになると心から確信している。人類の発明品のなかでこれほどすごいものはないし、シリコンバレーという最高の場所に、この発明が登場した絶好の時期に存在している自分は、なんて幸運なんだろうと思うよ。
・知ってのとおり、軌道を定めてロケットを打ち上げる際に、最初に方向をほんのすこし変えるだけで数マイルも飛ぶと、その方向には劇的な違いが生まれるんだ。 私たちはいま、その軌道設定の初期段階にいると感じるんだ。正しい方向へほんの少し動かしてやれば、進んでいくにつれてどんどんよくなっていくだろう。
・(正しい方向かどうか、どうすれば分かるんです?)究極的には美意識の問題だね。美意識だ。人類がこれまでに生み出してきたもっとも優れたものに触れ、それをいま自分が進めていることに取り入れていけるかどうかだ。ピカソがこう言ってる。「優れた芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」とね。私たちはすばらしいアイデアをいつも臆面もなく盗んできた。
・マッキントッシュがすごい製品になった理由の一つは、マッキントッシュを作ったチームのメンバーが音楽や詩、芸術、動物学、歴史学の知識を持ち合わせていると同時に、世界有数のコンピュータ科学者でもあったことだ。
・それと同じものが、銀行員ではなくて詩人になりたいという願いを、人に抱かせるんだ。すばらしいことだと思うし、同じ精神を製品に注ぎ込んで製造し、人々に与えれば、手にした人はその精神を感じとれるだろう。

題名通りの自伝「中卒の組立工、NYの億万長者になる」

その名の通り中卒の組立工が、NYの億万長者になるまでを語った自伝。ちなみに、水村美苗『本格小説』に出てくる東太郎という人物のモデルだそうです。

著者は中卒ながらオリンパスに入社し、英語を死ぬ気で覚えて、ニューヨークに赴任。それから独立して成功し、億万長者になっていきます。しかし、自慢めいたものはまったくなくて、とにかく苦労しながら歯を食いしばって自らの道を切り開いていくのを読みながら、だからこそ成功できたんだなぁと思いました。

本当にまだ戦後間もない時期で、オリンパスという当時はまだ小さな会社が自らの製品でもって、アメリカ市場を切り開いていくのに感動も覚えたし、その後、著者がアメリカで何社も医療機器の企業を設立し、上場やM&Aを成功させていくのは、まさにこれから自分たちがインターネットの分野でやっていくことだとも思いました。

すでにこんなにすばらしい事例があることに勇気づけられる一冊です。おすすめ。

<抜粋>
・(NYから妻へ)私は時間を見つけては毎日必ず手紙を書くようにした。これはものの喩えではない。私はニューヨークについたその日から、文字通り1日も欠かさず手紙を出し続けていた。
・(オリンパスのセールスレップを辞めるにあたり)言い方を換えれば、人間というものは本当に追い詰められない限り、思い切った決断を下すことができない。その意味で「チャンスの神様」は、逆境に陥った時にこそ顔を覗かせ始めるのである。ましてや自分は裸一貫、中卒入社からここまで這い上がってきた。既に退社も経験しているし、恐れるものなどなにもない。チャンスの神様の前髪をつかめるかどうかは、勇気を持って前に進めるかどうかっだけだった。
・当時のアメリカでは、ひどい人種差別がまかり通っていた。スーパーで列に並んでいても、レジの女性は「はい、後ろの人」と言って白人を優先する。
・人とのつきあいは半分ギャンブルでもある。 仕事にせよプライベートにせよ100%確実な判断はないし、これはと見込んだ相手に裏切られたり、肩透かしを喰わされたりすることは往々にしてある。 しかしよく言われるように、一人の人間ができることには限界があるのも事実だ。
・私とベルは、各方面から1300万ドルもの出資金を募り、「ハート・テクノロジー」という名の会社が発足することになった。(中略)やがて会社が上場されると株価はぐんぐんと上昇。私とベルは適当なタイミングで持ち株を売却し、バーサフレックス社に関わった時以上に、大きな利益を稼ぎ出すことに成功した。
・私は「バイオセンス」という会社の企業サポートではかなりの資産を築くことができた。これは不整脈の部位を特定する装置を製造・販売するために作られた企業で、私は会社の立ち上げにあたって25万ドルを出資していた。 後にバイオセンス社は「ジョンソン&ジョンソン」社に合併吸収される。(中略)私は3500万ドルもの利益を手にした。
・また淑に元気になってもらうためには、自分が健康でいなければならない。ビジネスの世界で鎬を削っていれば、当然のようにストレスはたまる。これまでは食事の前にスコッチを呷り、食事の際にはワインを1本あけるような生活をしてきたが、淑のサポート役に回ったのを機に一切の酒を断った。
・誰かを批判してやろうというような気持ちは毛頭ない。むしろ自分の人生を振り返れば振り返るほど、私が関わった企業や出会った方々への感謝の気持ちがふつふつと湧き上がってくる。 オリンパス社とは不幸な形で二度も袂を分かつことになったが、もともとアメリカに渡る機会を与えてくれたのはオリンパス社であったし、私を内視鏡の世界に導いてくれたのもオリンパス社である。またガストロカメラや内視鏡の開発を通し、世界中の数多くの人たちの命を救ったという功績は、我々日本人が後世に長く語り継いでいかなければならない。

中卒の組立工、NYの億万長者になる。

マッキンゼーの飽くなき優秀な人材獲得法から学ぶ「採用基準」

マッキンゼー日本で初の人事採用マネージャーとなり長年勤めた著者が、マッキンゼーがどのような人を(自社にとって)優秀と定義付け、どんな方法で採用をしており、かつそれはなぜなのかを書いています。

さすが世界最高峰のコンサルティング会社だけあって、極めてロジカルかつ洗練された「採用基準」で非常に勉強になりました(特に今、採用に力を入れていることもあり)。

いくつか特に考えさせられたところをあげます。

なによりも面接担当者が知りたいのは、「その候補者がどれほど考えることが好きか」、そして「どんな考え方をする人なのか」という点です。考えることが好きな人なら、どんな課題についても熱心に考えようとするでしょう。「考えることが楽しくて楽しくて」という人でないと、毎日何時間も考える仕事に就くのは不可能です。

僕は初めて知りましたが、コンサルティング会社では一部にケース面接という手段が取られており、さまざまなケースにどのように対応するか答えさせるそうです。それは回答を求めているわけではなく、どれだけ「考えるのが好きか」を見るためで、それこそがマッキンゼーにおける優秀な人材の定義の一つだと言います。しかしこれは今のうちのような考え抜くことが必要なネットベンチャーにも当てはまることであり、これから気をつけて見て行こうと思いました。

どんな分野にせよ、既存のやり方を変えるには、強力なリーダーシップが必要とされます。現実に問題を解決するのは、問題解決スキルではなくリーダーシップなのです。(中略)自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。

一般に言われるリーダーは組織にひとりでよいのではなく、すべてのひとがリーダーシップを持つ組織の方が成果を出せると言います。ここで言うリーダーとは「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」であり「リーダーとは和を尊ぶ人ではなく、成果を出してくれる人だ」。

僕も成果を出せるようになると急に求心力が高まるという経験をしています。それは自分の問題解決スキルが向上したからだと思っていたのですが、実はそうではなく自分なりのリーダーシップの取り方が分かるようになり、周りのひとの力を引き出し、組織としての成果が出せるようになったからだったんだなととても腑に落ちました(こう書くと非常に傲慢に聞こえるかもしれませんが、僕は自分のリーダーシップにはまったく満足がいってません。昔に比べればよくなったかなという程度でどうやったらもっとよくなるかと反省の毎日です)。

そして、そうやってチームの成果になりふり構わず貢献できるリーダーシップを持った人ばかりの組織というのは非常に強い。うちは手前味噌ながら、素晴らしいリーダーたちによる組織になっていると思います。しかし、それでもまだ貪欲に強力なリーダーシップを持つ人材を求めていこうと改めて思いました。

日本では、管理職以外は個人の成果に基づいてしか評価を受けていないのではないでしょうか。グループの成果を問われるのは管理職だけです。マッキンゼーにおいて、新人からパートナーまで、ほぼすべての評価が「チームの成果はどのようなものか」+「あなた個人は、その成果にどう貢献したのか」という形で成果が問われるのとは対照的です。

前の会社(ウノウ)では四半期ごとにレビューをしていて、チームワークはかなり重要視していたのですが、それは結局のところチームの成果とその成果への貢献を聞きたかったのだなと思いました。この辺りの仕組みは社内でもうまく取り入れて行きたいところです。

P.S.コウゾウに興味ある方(特にエンジニアの方)はぜひ採用ページをご覧ください。

<抜粋>
・なによりも面接担当者が知りたいのは、「その候補者がどれほど考えることが好きか」、そして「どんな考え方をする人なのか」という点です。考えることが好きな人なら、どんな課題についても熱心に考えようとするでしょう。「考えることが楽しくて楽しくて」という人でないと、毎日何時間も考える仕事に就くのは不可能です。
・ケース面接の対策をほとんどせずに受けにくるような人は、たいてい自信過剰です。彼らは「マッキンゼーが自分を落とすなんてあり得ない」と考えています。「どうやったらマッキンゼーに選んでもらえるか」などとは考えていません。なかには「マッキンゼーが、はたして自分が選ぶべき価値のある企業かどうか見にきました」といった態度の人さえいます。
・たかだか数時間の議論で疲れてしまうような軟な思考体力では実用に耐えません。現実の仕事では、高い緊張感の中で何時間も議論を続け、体力的に消耗する飛行機移動を繰り返し、時には十分な睡眠時間を確保することもままならない中で、それでも明晰な思考や判断が可能になるだけの体力が必要なのです。
・採用面接において重要なことは、思考スキルの高い人と低い人を見分けることではなく、「ものすごくよく考えてきた人と、あまり考えてきていない人」を見分けることです。思考力の高い人とは、考えることが好きで(=思考意欲が高く)、かつ、粘り強く考える思考体力があるため、結果として「いくらでも考え続けることができる人」のことを言うのです。そして、そういう人は過去においても、ものすごくいろんなことを深く考えてきています。
・(マッキンゼーの採用基準)(1)リーダーシップがあること (2)地頭がいいこと (3)英語ができること の三つです。 このうち、日本の”優秀な人”がもっているのは(2)だけであり、残りのふたつは絶望的に欠けています。
・どんな分野にせよ、既存のやり方を変えるには、強力なリーダーシップが必要とされます。現実に問題を解決するのは、問題解決スキルではなくリーダーシップなのです。
・自分の言動を変えるのは自分一人でできるけれど、自分以外の人の言動は、リーダーシップなくしては変えられないのです。
・本来のリーダーとは、それとは180度異なり、「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」です。
・私には、自らリーダーシップを発揮して、彼らから寄せられるアドバイスのうちどれを採用し、どれを採用しないか、自分で決めることが求められていたのです。もちろん採用しないと決めた意見に対しては、後から「なぜあの意見を取り入れなかったのか?」と問われるでしょう。しかし、その問いにきちんと返答することができれば、それでよいのです。私に求められているのは、「自分で決め、その結果に伴うリスクを引き受け、その決断の理由をきちんと説明する」ことであって、上司の指示をすべて聞き入れることではなかったのです。
・特に深刻な問題は、学生の頃には自由かつ大胆に思考できていた人が、保守的な大企業で最初の職業訓練を受け、仕事のスピードや成果へのこだわり、ヒエラルキーにとらわれずに自己主張することや、柔軟にゼロから思考する姿勢を失ってしまう場合があることです。
・リーダーとはどんな人なのか、定義として言葉では明確にできなくても、日本人もそのことはよくわかっています。「リーダーとは和を尊ぶ人ではなく、成果を出してくれる人だ」と、実はみんな、理解しているんです。
・大海で自分が乗る救命ボートを選ぶ際は、命さえ助けてくれるなら、漕ぎ手の性格が強引で人当たりが悪くても、無口で自分とは合わない性格であっても、私たちはそんなことを気にはしないはずです。 そうではなく、「救助が得られるまで、乗客を無事に生かしてくれる、導いてくれる」という成果が達成できる人かどうか、という点のみを基準に漕ぎ手を選ぶでしょう。海の上を漂流して助けを待つ間には、数多くの状況判断や、乗員の統率が必要になります。時には厳しい判断やリスクをとった決断もできる、真のリーダーを選ばないと命が助かりません。
こういった大きな成果がかかっている時、いざという時に選ばれるリーダーとは、成果目標のない時に選ばれる「あいつはいい奴」とか「いつも一生懸命で好感がもてる人」、「一緒にいると楽しい人」、「すべてを完璧に処理してくれるよくできた人」などとはまったく違う概念なのです。
・伝記では偉業が称えられるリーダーでも、その人の身近で働いた人にとっては、「極めて独善的な人だった」という場合もよくあります。だからこそ、時代的・空間的に自分から離れた場所にいるリーダーは尊敬や称賛もできるけれど、自分と同じ場所・時代に生きているリーダーは必ずしも好ましい存在ではない、という現象が起こるのです。 この構造も、「リーダーは成果を出すことにこだわる」という原則から説明できます。時代的・空間的に遠いところにいる人からみれば、リーダーが出した成果だけが目に入ります。その成果を出すために、リーダーの周りで苦労した人や、嫌な思いをした名も無き人の情報は伝わりません。成果だけを見れば、リーダーは称賛の対象です。
どこで働く人も、自分の成長スピードが鈍ってきたと感じたら、できるだけ早く働く環境を変えることです。もちろんそれは転職できある必要はなく、社内での異動や、働き方、責任分野の変更でも十分です。「ここ数年、成長が止まってしまっている」と自分自身で感じ始めてから数年もの間、同じ環境に甘んじてしまった後に転職活動をしても、よい結果を得るのは難しいということを、よく理解しておきましょう。
・先頭を走るということは、自らの最終的な勝利を犠牲にせざるを得ないほど大変なことなのです。反対に言えば、人の後をついていく、誰かの背中を見ながら走ることは、相対的に非常に楽なことなのです。
・それぞれの人は異なる感受性や思考回路をもっているのですから、新たな情報に触れたり、思考にふけるたび、ほかの人とは異なるアウトプットが生成されます。それが積み重なると、同じゴールを見ているはずだったのに、いつのまにか少しずつ違った場所を目指しているということが起こります。 だからリーダーのポジションにある人は、何度も繰り返して粘り強く同じことを語り続ける必要があります(全員がリーダーの意識をもっていれば、全員が自分の考えを積極的に声にするでしょう)。わかってくれているはずの人も、その多くが、わかった気になっているだけであったり、わかったような顔をしているだけだったりします。伝わっているかどうかも確認せず、「伝わっているはず」という前提をおくのは、怠慢以外のなにものでもありません。
・たとえば新人コンサルタントが調査分析を行い、マネージャーやパートナーも出席する会議で説明するとしましょう。通常の企業では、これは「下の人がつくった資料を上司に報告し、上司がチェックする」会議です。しかし自分が中心の組織図が示すのは、資料をつくった本人が、自分自身の結論(顧客企業への提案内容)をよりよいものにするために、上司や他のメンバーからのインプットを獲得し、利用するための場として会議を活用する、というコンセプトです。
・日本人はよく「アメリカは個人主義、日本は組織力」などと言いますが、これはむしろ反対です。日本では、高校、大学、大学院の進学は、ほぼ100%個人の成果によって決まりますが、アメリカの学校の大半は、入学時に提出させる資料において、過去のチーム体験、チームで出した成果、そのチームの中で自分が果たした役割や発揮したリーダーシップについて、詳細に問うてきます。 働き始めてからの人事評価も同じです。日本では、管理職以外は個人の成果に基づいてしか評価を受けていないのではないでしょうか。グループの成果を問われるのは管理職だけです。マッキンゼーにおいて、新人からパートナーまで、ほぼすべての評価が「チームの成果はどのようなものか」+「あなた個人は、その成果にどう貢献したのか」という形で成果が問われるのとは対照的です。
・マッキンゼーに入社した人を見ていると、数年も働くいつにほぼ全員が、リーダーとして、もっと力をつけたいと考えるようになります。リーダーシップをとることが責務でも負担なことでもなく、できるようになりたいこと、やりたいこと、さらには、楽しいこと、ワクワクできること、として認識されるようになるのです。(中略)最初に人がその意義を理解するのは、「リーダーシップにより、自分が気になっていた問題が解決できる」と実感した時です。

採用基準

良質な起業ストーリー「GILT(ギルト)」

NY発のフラッシュセールサイト「GILT(ギルト)」を運営するGilt Groupeの創業物語。素晴らしいチームがものすごいスピードでスタートアップを立ち上げ、成功していく様子を丁寧に追った良質なドキュメンタリーです。

一方で、一見完璧そうな経営メンバーであっても、数々の失敗をし、しかしそれからすばやく学び、激務や激しいストレスにさらされ一時休養する姿なども描かれていて、起業家として共感を覚えました。

外からはうまく行ってるように見えても、日々何かしらが足りなくて、焦りながら、とにかく自分たちにできることをできる限りの猛スピードでやっていくしかないというスタートアップの現実が見事に描かれていると思います。

後、個人的にやろうとしているのがコマース分野ということもあって非常に勉強になりました。これくらいのスピード感でやっていきたいものです。

<抜粋>
・ウェブサイトで男性消費者を惹きつけるためには、ブランディングとサイトのデザインははっきりと男性を意識したものにしなくてはならない、そのためには名称も男性的であるべきだ、とアレクシスは信じていた。
・「どの名前が一番好きか?」と「それぞれの名前からどんなことを連想するか?」の二つの質問を出した。また回答者には候補サイト名が書いてあるページを見ないで記憶に残った名前をつづってもらい(あとで名前をどれくらい覚えているか、また正確につづれるかを確かめるため)、一番好きなものから順位をつけてもらった。
・私たちはさんざん話し合った結果、ギルト・グループで紹介する服(ファッション業界では既製服と呼ぶ)はすべて、モデルに着せて撮影する、と決めた。直感でそのほうがいいと決め、やめたほうがいい合理的理由を無視した。それがどれほどたいへんなことか、わかっていなかった。
・投資家の力を借りることを先延ばしにして、自分の力で収益を100万ドルから300万ドルに上げる、もしくはせめて収支がとんとんになるまで持っていこうと四苦八苦しているうちに行き詰まった起業家を、私たちは数多く見てきた。
・私たちは、ギルトを知った顧客が友人たちにどんどん話したくなるはずだ、と期待していた。なぜなら、人に教えることでいわゆる「利他的報酬」が生じるからだ。利他的報酬とはこの場合、友人にバーゲン情報を教えるという利他的で新設な行動が、教えた人にももたらす満足感を指す。
・友達の誕生日ディナーやブランチに招待されると、私たちは紙に印刷したギルト・グループの招待状をひと束抱えていった。また誰に宛てたメールでも、必ず会員登録サイトへのURLを張り、招待メールを周囲の人たちに担送してほしいと依頼した。
・こういった会員たちと直接交流した後、さらに購買額が伸びることに再び私たちは気づいた。お気に入りのデザイナーの商品を買いまくるファッショニスタから、私たちの成功に個人的に関心を持っている「友人」へと変わることで、顧客の購買行動にも変化が見られる。
・マイクとフォンは、技術開発部門での志望者に1時間の筆記試験を受けさせる(試験内容は、Gilt.com/techに掲載されていた)。面接をより効率よく進めるためだ。志望者はオフィスに面接に来る前に試験を終えておく。筆記試験の目的は、仕事のスピード、経験と技術スキルを判断するためだが、「思わず『え、何これ? この試験で何が見たいんだかさっぱりわからない』とポロリと本音をもらす人がいる。試験をするのは、スキルよりむしろそういうところで人柄を見るほうが大きいかもしれない」とマイクは言う。
・「そのためには、業界で評価の高い会議のスポンサーになり、そこで講演することが必要だった:とマイクは説明する。ギルトの技術部門は「ギルト・テクノロジー」というブログまで開設し、エンジニアとして働いているギルトの従業員の質の高さを示し、取り組んでいる仕事がどれだけやりがいがあるかを紹介している。マイクは言う。「そうやってアピールするうちに、ギルトで働きたいと言ってくる人のタイプが変わってきた。私たちがやっている仕事に興味がある、一緒にその仕事をしたい、と言う人が増えたんだよ。ギルトで働く人たちがかっこよく見えて、自分も仲間入りしたいと思うようになった」
・「最高のエンジニアは職探しなんかしない。人生で1回も採用面接に行ったことない人が大半なんだ」
・自分たちが採用した人たちが、創業チームと似たようなタイプばかりであることを私たちは発見した。おっと、これは問題だ。これでは組織としてバランスが悪くなる。その上、アレクシス、マイクとアレクサンドラ、そしてケビンはマイヤーズブリッグスの性格テストで、全員同じタイプと診断された。
・ブランドパートナー以外の第三者との取引は、ブランドから書類で同意書をもらえたときだけにする。たしかにこの決断によって、私たちのような急成長企業はもっとむずかしい立場に追い込まれるだろう。しかし、この決断を悔やんだことは一度もない。
・CEOになってからも、アレクシスは好んで10センチヒールを履き、女らしい服装を貫いた。だが、彼女は伝統的に男性的とされてきた特徴も持っている。それが彼女のリーダーシップのスタイルをユニークなものにしている。
・アレクシスはみんなから好かれなくても気にしない。人に嫌われても決断を通す勇気は、真のリーダーにとって重要な資質だ、と彼女は信じている。アレクシスが事業の成功のためなら、どれほど反対が多くても自分の意見をタフに押し通す姿に、アレクサンドラはいまだに感嘆する。
・ギルトのチームを築いていく中で、自分が決めた採用のミスも躊躇なく認めた。たとえスキルがある人でも、企業文化に合わない(もっと悪いことに、周囲に悪影響を及ぼしかねない)と見ると、チームから「取り除いた」。急成長を遂げる会社にあることだが、ギルトも採用に関してよくミスを犯した。
・いい意味で、私たち全員が驚いた発見がある。それは、面と向かって率直に意見を言っても、案外人は平気なのだ、ということだ。そして人は誰もが、真剣に他人の話に耳を傾けるのだ、ということも発見した。たとえ「自分を変えろ」という手厳しい意見を言われても、人には真摯に受け止める用意がある。
・アレクシスが悩んでいることは、アレクサンドラでさえほとんど気づかなかった。従業員に自分が抱えているストレスを見せないように彼女は気を配っていた。リーダーの態度はチームにもろに影響する。リーダーが他人を批判的に見る傾向があったり、仲間に過剰な競争意識を持ったりすると、社員も同じように振る舞うようになる。アレクシスは、リーダーとしての最高の資質は、冷静さ以上に首尾一貫していることだと信じている。
・(スーザン・リンからのトップに立つ人へのアドバイス)怒りを感じたときには絶対に人と話さない 「大きく深呼吸して、むずかしい話ができる準備が整うまで気持ちを落ちつけなさい」とスーザンはアドバイスする。「『明日お話しましょう』と言って、話をいったん打ち切ること。そして準備する。誰かと厳しい話をしなくてはならないとわかったら、私は必ずメモを用意することにしている」
・(続)「私はこれまでの人生で、いったい何回、『とんでもないことをしでかしてしまった。もう終わりだ』と思ったかわからない。でも、一生懸命働き、かなり能力もある人が下す決断は、いいことが悪いほうを上回るもの。1回のミスが致命的になることはない。そう思うようになってからは、失敗を悔やんで眠れない夜はなくなった」。失敗から立ち直るためには、いさぎよく失敗を認め、どうすれば取り戻せるかをすばやく説明し、そして行動することだ、とスーザンは言う。
・ミッキーはいきなり受話器をつかみ、内線で社内に呼びかけた。J・クルーのオフィス中に聞こえる車内放送で、ミッキーがそんなふうにしょっちゅう呼びかけているのはあきらかだった。(中略)「ヘイ、今、俺はギルトとかいう会社の人と話をしているんだが、何か知っているか? そうだ、ギルト・グループだ。聞いたことがあるやつは俺まで電話しろ」
・ギルトのニュースは数時間のうちに数百万の日本人に伝えられ、5万2000人が会員登録した。記者会見の模様はその夜と翌朝の5つのニュース番組で取り上げられ、新聞6紙が報じた。

GILT(ギルト)――ITとファッションで世界を変える私たちの起業ストーリー

才能vs努力に真正面から取り組む「非才!」

傑出した成功はどこからくるのか、に取り組んだ力作。取り組んだというより才能を否定し、成功するには、正しい気構えで目的性を持って対象に辛抱強く取り組むこと「のみ」が必要である、と豊富な事例をもとに繰り返し主張しています。

著者自身が卓球の元イギリスチャンピョンであり、その体験から環境や優れたコーチがすべてであり、才能は関係なかったと言います。また、子ども3人をすべて世界チャンピョンに育てた事例なども紹介され、確かに才能よりも努力の方が重要であるというのは確からしさを持っていると思いました。

本書には様々な事例がでてきますが、しかしそれで才能がまったく関係ないのかと言われると、そこまでの説得材料はないというのが本書の感想です。

さらに言えば、ダンカン・ワッツは「偶然の科学」で、成功の予測不可能性の実証を示しており、これによれば、傑出したものが成功するのではなく、成功したからこそより傑出していると世界から捉えられます。努力で成功確率をあげることはできるが、成功するかどうかは時の運に相当部分が左右されます。

と考えていくと、努力のみが成功の必要十分条件だという著者の主張はかなり危ういと思わざるをえません。

しかし、現実には、才能も運もコントロールできないわけなので、正しく努力する他ないわけです。だからこそ自分が好きで寝食忘れて取り組める対象を探すのが大切だと思うし、成功には努力だけでは必要十分でないと分かっていてもやり続けるしかない

アーセン・ベンゲルはこう語っている。「できるかぎりのパフォーマンスをするには、論理的な正当化をはるかにこえる強さで信じることを自分に教えてやらなければならない。この非合理的な楽観能力を欠く一流選手はいない。そして合理的な疑いを心から取り払う能力なしに、最大限の力を発揮できたスポーツマンもいないのだ」。

この言葉は非常に正しいし、そうありたいと思います。

しかし、それではすべてのひとが自らを信じ切って最高のパフォーマンスを発揮して、成功をおさめることができるかといえば、それはあり得ない。成功するには才能も努力も運も必要で、本来あり得ないほどすごいことであり、だからこそ尊い、これが一般的な見方であるし、真実であると思います。

どうも著者は自らが非合理的に信じ、努力し続け、かつ結果を出すことに成功した傑出した卓球プレイヤーであったからこそ、だれでもできると考えて(信じて)しまっているのではないかなと思いました。一流選手としての経験が、眼を曇らせているのではないかと。

全体としてはおもしろい事例もたくさんあり、視点としては非常に勉強になるのですが、個人的にはダンカン・ワッツや「ブラック・スワン」のタレブのような身も蓋もない世界観の方が好きだし、真実を捉えてると思います。

そして、自分としてはその非情な世界の中でもがくことをやっていきたいと思ってます。

<抜粋>
・スポーツの世界は実力主義だと思いたがる人が多いーー成功するのは才能と努力のおかげだと。でも、じつは全然そんなことはない。
・20歳になるまでに、最高のバイオリニストたちは平均一万時間の練習を積んでいた。これは良いバイオリニストたちより2000時間も多く、音楽教師になりたいバイオリニストたちより6000時間も多い。この差は統計的に有意どころか、すさまじいちがいだ。最高の演奏家たちは、最高の演奏家になるための作業に、何千時間もよけいに費やしていたわけだ。 だが、それだけではない。エリクソンはまた、このパターンに例外はないことを発見した。辛抱強い練習なしにエリート集団に入れた生徒は一人もいなかったし、死ぬほど練習してトップ集団に入れなかった生徒もまったくなし。最高の生徒とそのほかの生徒を分かつ要因は、目的性のある練習だけなのだ。
・しばしばそれは、ものの二、三週間ほど、あるいは二、三か月ほど、あまり身を入れずにやってみた結果にもとづいた発言だったりする。科学の示すところでは、傑出性の域に突入するには何千時間もの練習が必要なのだ。
・不思議なことに、トップクラスの意思決定者たちーー医療でも消火活動でも軍指揮官等々でもーーは、予想外の要因にもとづいて意思決定をしているわけではなかった。彼らはそもそも選択などしていないようだった。そのときの状況をちょっと考えて、代替案などいっさい検討せず、パッと決断してしまうのだ。自分がじっさいにおこなった行動をどういう理由でとったのか、説明すらできない人もいた。
・一流スポーツ分野を見てまわって、トレーニング法のはてしないかのように見受けられるトレーニング法の多様さに圧倒されるのは簡単だ。だが一皮むけば、すべての成功しているシステムには一つの共通点があることに気づかされる。目的性訓練の原理を制度化しているのだ。最大の卓球王国である中国にはマルチボール・トレーニングがあるし、もっとも成功しているサッカー王国ブラジルにはフットサルがある。
だが念入りな研究の結果、創造的なイノベーションは一貫したパターンをたどることがわかった。傑出性と同じで、目的性訓練の苦難から生まれるのだ。エキスパートは、自分の選んだ分野にとても長いことひたっているために、創造的なエネルギーが充満するとでも言ったらいいだろうか。べつの言い方をすれば、ひらめきの瞬間は晴天の霹靂ではなく、専門分野に深く没頭したあとに湧きおこった高潮なのだ。
・創造性の10年ルールは人間のあらゆる取り組みにおいて見受けられる。131人の詩人を対象としたカーネギーメロン大学のジョン・ヘイズの研究によると、全体の80パーセントが、もっとも創造的な作品の執筆に取りかかる前に10年以上の持続的な準備を要していた。著名な科学者たちを徹底的に研究したアリゾナ大学の心理学者アン・ローは、科学的創造性とは「勤勉な取り組みによる機能」であると結論づけている。
・やはり創造性のひらめき理論の見本とされることの多い芸術家、ミケランジェロが述べているとおりだ。「これほど熟達するまでにどれほど熱心に取り組まなければならなかったか、人びとが知ったなら、さほどすばらしいとは思ってくれまい」。
・十三世紀には、数学を習得するには30〜40年かかると考えられていた。現在ではほぼすべての学生が解析学を習得している。だが、それは人類がかしこくなかったからではない。数学の手法と教育が洗練されたからだ。
・ジャクソンと同じ誕生日の学生たちの動機水準は少々上がったり、はね上がったりしたどころではない。激増したのだ。誕生日が同じ学生たちは、そうでない学生たちに比べて65パーセントも長く解けない難問に取り組み続けた。
マイケル・ジョーダンがこう言うコマーシャルだ。「9000回以上シュートをミスした。300回くらい負けた。勝利を決めるシュートをまかされて、26回はずした」。 このメッセージに困惑した人は多かったが、ジョーダンーー成長の気がまえの生きた証拠ーーにとっては、深みのある断固とした事実だ。史上最高のバスケットボールプレーヤーになるには、失敗を受け入れなければならない。「精神的なタフさと佑樹は、身体的な強みをはるかにまさる」と、ジョーダン。「ぼくはずっとそう言ってきたし、そう信じてきたよ」。
・ポロティエリーは努力をほめ、けっして才能をほめない。機会があるたび練習がもつ変化の力に賛辞をおくり、プレイが途切れるたびに苦労が肝要であることを説く。そして生徒の失敗を良いとも悪いともみなさず、ただ向上の機会ととらえる。「それでいい」と、フォアハンドを大きめに打ってしまった生徒に彼は言った。「いい方向に向かってる。失敗じゃない。そうやって返すんだ」
・エンロンの戦略には二つの異なる理由から不備があった。一つはマッキンゼーが積極的に推奨したまちがった前提をもとにしていたこと。つまり、才能が知識よりも重要だという発想だ。これはでたらめだ。第一章で見たように、複雑性を特徴とするあらゆる状況ーースポーツだろうとビジネスだろうとなんだろうとーーでは、うまい意思決定を推進してくれるのは、生得的な能力ではなく、豊富な経験でしか構築できない知識なのだ。 だがエンロンの戦略は、さらにたちの悪い欠陥をもっていた。エンロンの中心的哲学は生産性をそこなっただけでなかった。とても特殊な文化をつくりあげることにつながった。個人の発達より才能をたたえる文化。学習は能力をつくり変えられるとする考え方をあざける文化だ。固定した気がまえを推奨し、育て、最終的には定着させた文化である。
・アーセン・ベンゲルはこう語っている。「できるかぎりのパフォーマンスをするには、論理的な正当化をはるかにこえる強さで信じることを自分に教えてやらなければならない。この非合理的な楽観能力を欠く一流選手はいない。そして合理的な疑いを心から取り払う能力なしに、最大限の力を発揮できたスポーツマンもいないのだ」。
・顕在記憶システムから潜在記憶システムへの遷移には、大きな利点が二つある。第一に、熟練者は、複雑なわざを構成する各部分を滑らかな一つのかたまりにまとめあげられる(中略)。これは意識的にやるのは不可能だ。意識が処理しなければならない関連し合った変数が多すぎるからだ。そして第二に、そちらに気を取られずに済むために、技能のより高度な側面、つまり作戦や戦術に集中させてくれる点だ。
・問題は注意が足りないことではなく、注意しすぎることにあった。意識的な監視が潜在的システムの滑らかなはたらきを台なしにしていたのだ。異なる運動反応の順序づけとタイミングが、初心者並みにばらばらになっていた。事実上ふたたび新米になってしまったのだ。
・(外国語を聞く時)聞こえてくるのは支離滅裂で理解できないノイズの洪水で、切れ目も構造もわからない。視力を回復したばかりの人間が顔を見ようと試みるのは、ちょうどこんなものだ。友人を見つめていても、見えるのは混乱ともやだけ。なぜなら、意味のある知覚を生み出すトップダウン知識が欠けているからだ。 ここで重要なのは、知識はたんに知覚を理解するためには使われていないということだ。知識は知覚に組み込まれている。偉大なイギリス人哲学者ピーター・ストローソン卿は語っている。「知覚には概念が浸透しているのだ」
・アリの政治的、文化的な影響はリングのなかで獲得したものではない。リングを超越できたことから獲得されたのだ。彼のこぶしは基盤を提供したが、黒人過激主義を述べることで白人多数派に恐怖を植えつけたことが、20世紀アメリカ史の方向を変えるのに役立ったのだ。(中略)つまるところ、黒人は知的に不足しているというステレオタイプをたたきつぶす力をアリが示したために、世界は震撼したのであり、彼が白人のあごをくだく能力をもっていたためではない。

非才!―あなたの子どもを勝者にする成功の科学

人生のジレンマを考える「イノベーション・オブ・ライフ」

「イノベーションのジレンマ」のクリステンセン教授の最終講義。ビジネスでの豊富な事例からライフ、すなわち人生に対する戦略を考えるという意欲作。それぞれのストーリーは非常におもしろくて、それを人生論に転換する著者の持論も勉強になりました。

ただ、書かれている結論は割りと普通ではあり、かつ人生というのはすべての人にとって違うものなので最終的には自分で判断する他ない。ストーリーはあくまでストーリーと割りきって頭の片隅においておくくらいがちょうどいいなと改めて思いました。

<抜粋>
・戦略は一度限りの分析会議で決定されるようなものではない。たとえば上層部の会議で、その時点で得られる最良のデータや分析をもとに決定されるのではない。むしろそれは持続的で、多様で、無秩序なプロセスなのだ。このプロセスを適切に進めることは、本当に難しい。意図的戦略と新たな創発的機会は、資源をめぐって互いと争うからだ。一方では、成功している戦略があれば、それに意図的に集中して、全員の取り組みを正しい方向に向けなくてはならない。だが反面この集中のせいで、次の大きな潮流になるかもしれないものを、妨げになるとして、却下してしまうおそれがある。
・企業が戦略を立てる方法を見ていてわかるのは、始めのうちは有効な戦略を見つけるのは難しいが、だからと言って成功できないわけではないということだ。むしろ企業が成功できるかどうかは、有効な手法を見つけるまで、試行錯誤を続けられるかにかかっている。
・人生のなかの家族という領域に資源を投資したほうが、長い目で見ればはるかに大きな見返りが得られることを、いつも肝に銘じなくてはならない。仕事をすればたしかに充実感は得られる。だが家族や親しい友人と育む親密な関係が与えてくれる、ゆるぎない幸せに比べれば、何とも色あせて見えるのだ。
・皮肉にもホンダが成功したのは、当初の台所事情があまりにも厳しく、利益モデルが見つかるまでの間、気長に成長を待つほかなかったからだ。もしアメリカ事業により多くの資源を配分する余裕があったなら、たとえ儲かる見こみはなくても、さらに多額の資金をつぎこんで大型バイク戦略を追求していたかもしれない。これは投資という観点から言えば、「悪い金」にあたる。だが実際のホンダには、スーパーカブに注力する以外、ほとんど打つ手がなかった。生き延びるには、小型バイクのもたらす利益がどうしても必要だった。これが、ホンダが最終的にアメリカで大成功を遂げた、一番の理由だ。ホンダはやむを得ない事情から、理論に忠実な方法で投資をするしかなかったのだ。
・リズリーとハートの研究では、子どもたちが学校にあがってからも追跡調査をした。子どもたちに語りかけられた言葉の数は、彼らが生後30ヶ月に聞いた言葉の数とも、成長してからの語彙と読解力の試験の成績とも、強い相関関係があった。
・意外に聞こえるかもしれないが、人間関係に幸せを求めることは、自分を幸せにしてくれそうな人を探すだけではないと、わたしは深く信じている。その逆も同じくらい大切なのだ。つまり幸せを求めることは、幸せにしてあげたいと思える人、自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探すことである。わたしたちを深い愛情に駆り立てるものが、お互いを理解し合い、お互いの用事を片付けようとする努力だとすれば、その献身を不動のものにできるかどうかは、わたしの経験から言えば、伴侶の成功を助け、伴侶を幸せにするために、自分をどれだけ犠牲にできるかにかかっている。
・相手のために一方的に何かを犠牲にすれば、相手との関係を疎ましく感じるようになると思うかもしれない。だがわたしの経験から言うと、その逆だ。相手のために価値あるものを犠牲にすることでこそ、相手への献身が一層深まるのだ。
・企業が生き残るには、企業戦略を支えるものごとを、従業員に優先させなくてはならない。そうでなければ、従業員は企業の基盤をゆるがすような決定を下してしまうことがある。
・優先事項は、子どもが何を最も優先させるかを決定づける。実際、これはわたしたちが子どもに授けられる能力のなかで、最も重要なものかもしれない。
・従業員が選択した方法が、問題解決に役立っているとき(完璧である必要はなく、十分な成果をあげればよい)、文化が醸成される。文化は社内の規則や指針という形をとり、従業員はこれをもとに選択を下すようになる。(中略)このことの何がよいかと言えば、組織が自己管理型になることだ。従業員に規則を守らせるために、管理職が逐一監視する必要はなくなる。全員がなすべきことを直感的に進めていく。
・家族に思いやりが含まれる問題に初めてぶつかったとき、その解決策を選ぶように手助けし、それから思いやりを通じて成功できるよう手を貸してやろう。また子どもが思いやりの選択肢を選ばなかった場合は、そのことをたしなめ、なぜ選ぶべきだったかを説明する。
・わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られるときには、どんなに忙しいときであろうと、またどんな結果が待っていようと、必ず赤いネオンサインが点滅して、注意を即してくれると思っている人が多い(中略)問題は、人生がそんなふうにはできていないことだ。
・「ぼくがほしかったのは……成功だ」と彼はBBCに語っている。彼の動機は金持ちになることではなく、いつまでも成功者と見られたいという願望だった。リーソンは最初の損失がこのイメージをゆるがしたときから、シンガポールの刑務所の独房に直結する道を歩み始めた。
・ほとんどの人が「この一度だけ」なら、自分で決めたルールを破っても許されると、自分に言い聞かせたことがあるだろう。心のなかで、その小さな選択を正当化する。こういった選択は、最初に下したときには、人生を変えてしまうような決定には思われない。限界費用はほぼ必ず低いと決まっている。しかしその小さな決定も積み重なると、ずっと大きな事態に発展し、その結果として、自分が絶対になりたくなかった人間になってしまうことがある。わたしたちは無意識のうちに限界費用だけを考え、自分の行動がもたらす本当のコストが見えなくなってしまうのだ。
・あなたも本書の助言を最大限に活かすには、人生に目的をもたなくてはいけない。

純粋な起業家とは何かを知る「起業家」

サイバーエージェント社長藤田さんの新作。僕がちょうどウノウで会社をやっていた時期とほぼ重なる時期ですごくリアルタイム感があっておもしろかったです。全体的に苦境から成功への物語にも関わらず暗いトーン。藤田さんが愕然としたり、孤独感を告白したり、嫉妬に駆られたりしている姿が正直に告白されています。

僕は起業家である自分を一つの自分というように捉えていますが、藤田さんは起業家であることがすべてというのがよく分かって印象的でした。起業家だけであろうとすると、やはり数字が重要であるし、他社と比べたり、孤独感も感じるだろうと思います。

僕も起業家としては感じます。が、そうでない自分の部分も大きいので、そこまで強く孤独感に苛まれたり、嫉妬したりしないんだろうなと思いました。

そういう意味で、藤田さん=起業家なので、「起業家」というタイトルはまさにぴったりだなと思いました。純粋な起業家というのはどういうひとなのかを知りたい方にオススメです。

<抜粋>
・しかし、赤字企業の経営者で、株価を低迷させ、社会的な評価も落としていたこの時期、将来を語ろうにも、誰一人として私の話に耳を傾けてくれないというのが現実だったのです。 何を言ってもそれは泣き言にすぎませんでした。 将来への道を探し続ける時、私はいつでも一人きりでした。
・メディア事業をやると言っても、自分のキャリア上、メディア事業の実績がない。実績がないのに自分でやらず人任せ、人任せだから自信を持って周囲を説得することもできない。「何かがおかしい」と思いながら手を打てない。 なにもかもが中途半端でした。
・未知の分野で経験者がいないにもかかわらず、その頃多くの人が信じていた、 「既存の業種での経験が、未熟なネット業界で活きる」 という考えは、先行きが見えず、不安な世界ではもっともらしく聞こえました。 しかし、現実はむしろ逆でした。
・孫社長や三木谷社長は、大先輩だし焼き餅を焼く気にもなりません。でも堀江さんは違う。同世代だし実績も同じようなものなのに。 しかし、嫉妬してみたところでなんの足しにもなりません。 私は起業してから初めて、同世代のライバル経営者に引き離され、置いていかれるような感覚を味わいました。
・会話の中で、その女性社員がプライベートのブログはアメーバではなく、他社のブログを使っていたことが判明しました。 この事実が分かった瞬間に私は愕然としました。 いえ、腹が立ったのです。 アメーバのサービスを担当している人間が、アメーバを使っていなくて、ユーザーにとって良いものを作れるはずがありません。
・その頃の私は、なるべく社内でイライラした姿を見せないようにしていたつもりなのですが、そのストレスからか、夜は浴びるように酒を飲み、眠りにつく直前まで自宅で葉巻を吸い続ける毎日でした。 どんなに遅く帰宅してもそこから酒を葉巻をやり始め、頭が朦朧としてくるのを待ちました。仕事のことを考えると怒りや焦りで頭が冴えてしまい、まさに気絶するように頭のスイッチが切れないと眠れなかったのです。
・黒字化した時、私の胸に去来した想いはただ安堵感だけでした。 何か達成感のようなものが湧き上がるのだろうか、とも思っていましたが、特別な感情はなく、その時にはもう次の目標のことが頭の中の大半を占めていました。

お金のことだけではない「お金が教えてくれること」

家入さんが金持ちになって激しく使って、それでお金が教えてくれたことのまとめ。僕もお金って「選択肢の違い」なのかなと思います。時間とか快適さとかが買える。でも僕は身体が弱いのでそれだけでもとてもうれしい。無理しなくて済むから。

ただこの本で改めて一番思ったのは、家入さんがとにかく常にいろいろ考えて、チャレンジしているんだなぁということです。普通自分のスタイルを見つけたらずっとそのやり方を続けたくなるものだと思います。僕もそれじゃいけないと思って、世界一周とか意識的にまったく違うことをしてるつもりですが、なかなか家入さんほど変わるのは難しい。

しかもそれで、LivertyのBASEみたいに結果が出始めてるからすごい。僕も周りに刺激を与えられるようにがんばろうと思いました。とりあえず今作ってるアプリを出すとこから。

<抜粋>
・時間がないと、何かに追われるばかりで立ち止まって考えることができない。思考停止して、よくないループに入ってしまう。どこかで断ち切らないと、ずっと思考停止のまま、何かに追われるだけの人生になってしまう。じゃあ、どこかで断ち切るっていっても、それを考える時間もなくて、もう本当に負のループ。
・お金の「ある・ない」の違いって、人生における取り得る選択肢の違いかもしれない、と改めて思う。「何かをやりたい」とか「何かが欲しい」と考えた時に、その取り得る選択肢が違うだけ。 例えば、お金があることで「時間を買える」 移動する時に「タクシー」という選択肢ができる。
・飲み代がとにかくすごかった。その時、毎月の飲み代が2000万円。今から考えるとすごいよね。その時はもう単純に、毎日毎日経営者の友人をたくさん集めて、女の子を呼んで、高いお酒をガンガン頼んで、音楽をバンバンかけて、毎日がパーティーだった。
・だけど、僕はフォロワーや世間的な評価を、何もせずに手に入れたわけではない。いろいろ僕が前のめりで活動してきた結果、応援してくれる人たちを見つけてきたし、そうやって評価につなげてきた。これは僕が自分の力で勝ち得た、大切な財産だ。
・まだ構想中だけど、Livertyでは学校を作りたい。従来の高校とか大学とかで学べなかったような、発想のところから一緒に考える授業。ウェブデザインの技術的なことやビジネスだけを教えるのじゃなくて、発想法やモノづくりの考え方から教える。
・勝者になると天狗になって、変なプライドができそうなものだけど、会社のことでいくら自信が持てても、さっきも言ったようにコンプレックスがあるせいで、僕は僕自身のことにずっと自信がないままだ。そういう意味では、おかげで勘違いせずに、いいバランスを持ててるのかもしれない。
・カフェを始めてお金があった当時、飲みに行ってポンポンお金を使うと、周りが僕のことを「金持ち」として見てくれるのが気持ちよかった。お金のなかった小さい頃の僕が、満たされるような気がした。友人を呼んで支払いは全部僕が出す。知らない人の分まで払った。もう、ただ「金持ち」の優越感に浸りたいためにやっていた。

元物理学者が社会学の限界に挑む「偶然の科学」

著者ダンカン・ワッツは物理学者から社会学者に転身したという変わり種のコロンビア大学教授。物理学が一つの体系を築いているのに対して社会学はそうなっていないという話から始まり、様々な事例で、それはなぜで著者はどのように考え、解決しようとしているのかを書いています。

文章そのものは難しくないのですが、元物理学者ならではの厳密な論理により組み立てられていて哲学書を読んでいるようです。通常この手の本は、新たにこんなことが分かった、証明された、という論調なのに加えて、何が分かっていないかまで踏み込んであり、論理に奥行きがあるのが素晴らしいです。

個人的にものすごい多くの気づきがあって、まだぜんぜん消化しきれてないのですが、ひとつだけ。

ロールズは、自分が社会経済上のどの階層に属するかを前もって知らないとき、どのような社会で生きていくのを選ぶかと問うた。非常に裕福な人々にはいれる見こみはきわめて少ないので、合理的な人間ならわずかな人々が非常に裕福で多くの人々が非常に貧しい社会よりも、平等主義の社会、つまり最も貧しい者でもなるべく豊かになれる社会を選ぶはずだとロールズは推論した。

ノージックはロールズの主張を大いに問題視したが、その大きな理由は、ロールズが個人の成果の少なくとも一部をその人物の努力ではなく社会に帰していることだった。もし個人が自分の才能や努力の産物を所持しつづけられないのであれば、自由意志に反して他人のために働かされるのと同じであり、自分自身を完全には「所有」できないとノージックは論を進めた。だから課税も、そのほかの富の再配分の試みも、道徳にかなった奴隷制に等しく、それゆえいかなる恩恵を他人に与えようとも認められない。

確かにロールズが言うように生まれ、才能、機会にせよ不平等が本質的に偶然によるのならば、社会はリバタリアン的なものではなく平等主義的であるべきなのかもしれません。

が、ここには人類の進歩を推し進めるために努力し、結果を出した人間への評価が考えられていません。もし成功しても名声はともかくとして、平等社会の名のもとに、富も平準化されてしまうのだとしたら、人類の進歩へ貢献したひとへのリスペクトが足りていないと思います。

しかも、国家という仕組みがある以上、能力のあるひとがより税金が安く能力を発揮しやすい国への移住するのは防げません。だから結局完全なる平等社会は実現できず、より世の中はリバタリアリズムな社会になっていくはずです。

もちろん最低限の生活の保障は得られるべきだと思うけれども、それ以上の税金での搾取はやはりリバタリアンからすると受け入れ難い。ましてや国家予算における不正を防ぐ手立てがない現状では。

われわれの個人としての行動が、社会的関係のネットワークに逃れようもなく埋めこまれているとするサンデルの主張は、公正と正義に関する議論だけでなく、道徳と美徳に関する議論にも影響を及ぼす。実際、サンデルは対立する主張を道徳面から評価せずに何が公正かを決めることはできないと論じている。そしてそのためには、社会制度の道徳的な目的を明らかにしなければならない。

ただ、よく分かったのは、サンデルが一世を風靡して、なぜ受け入れられたのかというと、能力や努力だけではどうにもならないことがある、という事実を世の中の多くのひとが感じているからだということです。

しかし、サンデルの哲学では結局のところどこまでを保障するかは道徳による社会的な合意によることになりますが、道徳というのは確かなようで、実はすごく移ろい易い。だから、結局のところシステムの抜け穴を見つけて甘い汁を吸う不正な輩が出てくることになります。

現状では世界は全体で見れば貧しいし、止む負えない部分もあります。ただ世の中が豊かになりグローバルになればなるほど、国家が税金に頼る部分も少なくなり、リバタリアン国家が台頭してくるのではないか、というのが僕の今の考えです。

本書ではその他、成功の不確実性の証明やそれに対する対抗手段など素晴らしい考察もあり、非常におもしろいです。内容は先も書いたようにかなり重厚なのですが、今後の世界を生き抜く上で非常に示唆に富んでいるのですべての方におすすめしたいと思います。

参考)「それをお金で買いますか――市場主義の限界」マイケル・サンデル

<抜粋>
・こうした物語は冷静な説明の形をとっているため、われわれはそれに予測の力があるかのように扱う。このようにして、われわれは自分自身を欺き、不可能なはずの予測ができるかのように信じこむ。 したがって、常識に基づく推論はただひとつの決定的な限界ではなく、複数の限界が組み合わさったものに悩まされている。そしてそれらはすべて補完関係にあり、さらにはお互いを覆い隠している。その結果、常識に基づく推論は世界に意味づけをするのは得意だが、世界を理解するのは必ずしも得意ではない。
・(続き)しかし、われわれは常識がまさに神話のような働きをするとは思っていない。常識に基づく解釈は、人々が置かれた状況に対して都合のいい説明を与えることで、日々の営みをつづけていくための自信を与え、自分が知っていると思っていることは果たしてほんとうに真実なのか、それともただの思いこみなのかと逐一悩むことから解放してくれる。 だがその代償として、われわれは物事を理解していると自分では思いながらも、実際はもっともらしい物語でごまかしているだけだ。そしてこの錯覚のせいでわれわれは、医学や工学や科学の問題を扱うように社会の問題も扱おうとは考えず、結果として、常識が実は世界の理解を妨げてしまっている。
・人々がなんらかの形で金銭的な報酬に反応することにはほぼ異論の余地がないものの、望ましい結果を引き出すために実際にそれをどう用いるべきなのかはわかっていない。数十年にわたる研究のすえ、金銭的インセンティブは仕事ぶりにはほとんど関係ないと結論した経営学者もいる。 しかしながら、この教訓を何度指摘しようとも、経営者や経済学者や政治家はインセンティブを利用すれば人間の行動を左右できるかのような顔をしつづけている。
・われわれは芸術作品をその特質に基いて評価しているように思えるが、実は反対のことをしている。つまり、まずどの絵が最高かを決めたうえで、その特質から評価基準を導き出している。こうすれば、すでに知っている結果を一見すると合理的かつ客観的な形で正当化するのに、この評価基準を引き合いに出せる。しかし、これがもたらすのは循環論法である。われわれは<モナ・リザ>が世界で最も有名であるのはXとかYとかZとかの特質を備えているからだと言い張る。だがほんとうのところは、<モナ・リザ>が有名なのはそれがほかの何よりも<モナ・リザ>的だからだと言っているにすぎない。
・常識は、「ハリー・ポッター」シリーズは3億5000万人以上が買ったくらいなのだから、特別にちがいないと教えている。たとえ、出版を見送った半ダースばかりの児童書の出版社が、当時はそう思わなかったにせよ。そしてどんなモデルも、あらゆる形で単純化した仮定をせざるをえないので、常識を疑うかモデルを疑うかの選択を迫られたとき、われわれはいつも後者を選ぶ傾向がある。
どの曲が最も人気を集めたか、つまりヒット曲になったのかは世界によって違っていた。言い換えれば、社会的影響を人間の意思決定に持ちこむと、不均衡性だけでなく予測不可能性も増していた。この予測不可能性は、サイコロの表面を仔細に眺めてもどの目が出るかを予測する役には立たないのと同じで、曲の情報をもっと増やしても解消されなかった。予測不可能性は市場そのもののダイナミクスにもとから備わっていたのだ。
・「ハリー・ポッター」シリーズや<モナ・リザ>が独自の特徴を備えているのとまったく同じで、フェイスブックも独自の特徴を備えており、それらはみな独自の結果をともなっている。とはいえ、こうした特徴が何か有意な形でその結果の原因になったとは言えない。
・シミュレーションで大きな連鎖が起こったときはいつも、だれかそれを起こす人物がいなければならなかったのは当然の事実だ。そういう人物はなんら特別でないと思っていても、やはり少数者の法則にまさしくあてはまるように思える。「仕事の大半をこなすわずかな割合の人々」という考え方である。しかしながら、われわれがシミュレーションから知ったのは、こうした個人に特別なことなどほんとうはまったくないということだった。われわれがそのように設定したからである。
われわれの結論を言うと、エネルギーや人脈によって本をベストセラーにしたり製品をヒットさせたりできるほどの影響力の強い人物は、十中八九タイミングと状況の偶然によって生まれる。いわば「偶然の重要人物」なのである。
・その世界のキム・カーダシアンにあたる人物たちはたしかに平均より影響力があったが、非常に高くつき、買い得ではなかった。情報を広めるうえで最も費用対効果が高かったのは、影響力が平均かそれより小さい、われわれが一般のインフルエンサーと呼んだ個人の場合が多かったのである。
・イラク戦争がヴェトナム戦争やアフガニスタン紛争とそのまま比較できるとはだれも思わないし、だから一方の教訓を他方にあてはめようとするのは用心しなければならない。同様に、<モナ・リザ>の成功を研究すれば現代の芸術家が成功するかしないかも判断できるとはだれも思わない。にもかかわらず、われわれは歴史から教訓を学べるとたしかに思っているし、実際よりも多くを学んだかのように思いこみがちだ。
われわれは結果の原因をひとりの特別な人間に求める誘惑に駆られるが、この誘惑はわれわれがそのような世界の仕組みを好むからであって、実際にそのような仕組みになっているわけではないことに留意しなければならない。
・歴史の説明は、起こったことを公平かつ客観的に述べている「だけ」だとよく言われるからだ。しかし、バーリンとダントがともに論じるとおり、起こったことをありのままに述べるのは不可能である。これはおそらくもっと大切なのだが、起こったことをありのままに述べても、歴史の説明が目的とするのは過去の出来事を再現するというより、なぜそれが重要なのかを明らかにすることなのだから、その目的にかなわない。そして何が重要で、なぜ重要なのかを知るには、結果として何が起こったかをたしかめるしかない。
・物語と理論の混同は、常識によって世界を理解しようとするときの問題の核心を突いている。すでに起こったことを理解しようとしているだけであるかのようにわれわれは言う。だがその舌の根も乾かぬうちに、自分が学んだと思っている「教訓」を未来に実行するつもりの計画や政策に応用する。物語を作ることから理論を組み立てることへの切り替えは、非常にたやすく直観的にできるので、われわれはほとんどの場合、切り替えていることを自覚さえしない。だがこの切り替えは、ふたつが根本からちがうもので、目的も異なれば証拠の基準も異なることを見落としている。だから、物語としての出来に基いて選ばれた説明が、未来の傾向や趨勢を予測する役には立たなくても、驚くにはあたらない。
・過去に目を向けるとき、われわれは起こったことしか見ない、つまり起こったかもしれないことが起こらなかったことには目が行き届かない。そのため常識に基づく説明は、実際は単に出来事が連続しているだけなのに、因果関係があるかのように誤解する。これと同じで、未来を考えるときも、われわれは未来が出来事の連なる一本の糸をなしていて、またそれが明らかになっていないだけであるかのようについ想像しがちである。現実には、そのような糸など存在しない。むしろ未来は可能性のある糸の束のようなもので、それについてたぐり寄せられる確率があり、われわれはいろいろな糸の確率を見積もることくらいしかできない。しかし、未来のどこかの時点でこうした確率のすべてが一本の糸に収斂するのを知っているので、重要になってくる一本の糸におのずと注目したがる。
・(注:常識からすれば立てられそうな予測が立てられない理由)第一に、常識はたったひとつの未来だけが起こると教えるので、それについての明確な予測を立てたくなっても無理はない。しかしながら、われわれの社会生活と経済生活の大部分を構成する複雑なシステムでは、ある種の出来事が起こる確率をなるべく正しく見積もることくらいしか望めない。 第二に、われわれはいつでも予測を立てられるが、常識は興味を引かない予測や重要でない予測の多くを無視し、重要な結果に注目するよう求める。だが現実には、どの事件が未来に重要になるかを予測するのは原理的にも不可能である。
複雑なシステムについての予測は、収穫逓減の法則に大きく左右される。最初の情報は大いに役立つが、いかなる改善の見込みもすぐさま使い果たされてしまう。 もちろん、予測の精確さをわずかに改善することがおざなりにできない状況もある。たとえば、オンライン広告や商いが盛んな証券取引では、日々何万何億という予測が立てられており、巨額の金がかかっている。こうした状況では、きわめてとらえがたいパターンを利用する精緻な方法に労力と時間をつぎこむ価値はある。しかし、映画製作や本の出版や新しいテクノロジーの開発といったほかの分野のほとんどでは、年に数十か多くても数百の予測しか立てられず、その予測もたいていは意思決定の過程全体の一部分にすぎないので、わりあい単純な方法を使うだけで、限界近くまで正確な予測ができるだろう。
・(注:MDプレイヤーvs iPodについて)唯一の重要なちがいは、ソニーの選択がたまたま誤っていたことであり、アップルの選択がたまたま正しかったことだった。 これが戦略のパラドックスである。戦略上の失敗のおもな原因は劣悪な戦略にあるのではなく、優秀な戦略がたまたま誤ることにあるとレイナーは論じる。(中略)優秀な戦略は完全な成功をもたらしうるが、完全な失敗ももたらしうる。 このように、優秀な戦略が成功するか失敗するかは、すべて最初の展望がたまたま正しいかどうかにかかっている。そしてそれを前もって知るのは困難というより、不可能である。
・レイナーによれば、ほとんどの企業がかかえる問題は、取締役会や経営トップなどの経営陣が、既存の戦略の管理と最適化ーーレイナーが運営管理と呼ぶものーーに時間を使いすぎ、戦略的不確実性をじゅうぶんに考えていないことだという。経営陣はむしろ経営的不確実性の管理にすべての時間をつぎこみ、運営計画は部署の長に任せるべきだとレイナーは論じ、こう述べている。 「組織の取締役会とCEOは短期業績ばかりを気にするのではなく、事業部署のために戦略上の選択肢を作り出すことに専念すべきである」
・結局のところ、計画法としての戦略的柔軟性がかかえるおもな問題は、それが解決しようとしている問題となんら変わらない。すなわち、ある産業を形作った動向は、あとから考えると決まって自明に見えるということである。
・(注:ハフィントン・ポストの話で)これを解決するのがマレット戦略である。記事を読む人がごく少ない後ろのページでは、1000もの(あるいは100万もの)花が咲き乱れるままにする。そのうえで、題材を慎重に選んで後ろのページから高価な広告スペースのある前のページヘと昇格させ、そこからは厳格な編集管理のもとに置くというわけだ。
・真の問題は、広告主が知りたがるのは、広告が売上の伸びの原因になっているのかどうかという点にある。だが、広告主が測定するのはほぼ決まって、両社の相関関係でしかない。 もちろん、理屈のうえでは、相関関係と因果関係がちがうことはだれしも「知っている」が、実際には両者は混同されやすく、現にしょっちゅう混同されている。
・最も重要なのは、ブライト・スポットとブートストラップどちらにおいても、計画者側が考え方を改めなければならないことである。第一に計画者は、どんな問題(中略)であれ、現場の人間が恐らくその解決策の一部を有していて、それを共有する気があることを認識しなければならない。そして第二に、あらゆる問題の解決策を自力で探す必要はないことを認識したら、分野にとらわれずに既存の解決策を探すことに資源を割りあて、その解決策をもっと広く実行することができる。
・すべてに共通しているのは(中略)計画者が直感と経験のみに基づいて計画を練りあげられるといううぬぼれを捨てなければならないことだ。言い換えれば、計画が失敗するのは計画者が常識を無視したときではなく、みずからの常識に頼って自分と異なる人々の行動を推論したときである。(中略。注:これはどうすることもできないが)常識にあまり頼らず、測定可能なものにもっと頼らなければならないと覚えておくことならできる。
一度きりしか計画を試せない場合、ハロー効果を避ける最善の方法は、行動の評価と改善をその行動の最中に全力でおこなうことである。これまでに論じたシナリオ分析や戦略的柔軟性などの計画技法は、組織がずさんな想定をあぶり出し、明白な誤りを避ける助けになるし、予測市場や意見調査は集団の知恵を利用して、結果がわかる前に計画の質を評価できる。また前章で論じたように、クラウドソーシングや現場実験やブートストラップは、何が役に立って、何が役に立たないかを組織が学び、ただちに修正する助けになる。
・これらの方法はどれも、計画の立て方や実行の仕方を改善することで、成功の可能性を高めるのが目的になっている。だが成功を保証することはできないし、保証するはずもない。したがってどういう場合でも、すぐれた計画が失敗して劣った計画が成功するときもあるのだと、つまりそれはただの偶然によって決まるのだということを心に留めておく必要があるし、だから既知の結果だけでなくそれ自体のすぐれた点からも計画を評価する必要がある。
保険会社のAIGでボーナスを受け取ったある人物もこう述べている。 「自分はそれだけのお金を稼いだし、AIGで起こった残念なこととはいっさい関係がありませんでした」(中略)われわれの知る限り、どちらの銀行員もまったく同じゲームをしている可能性がある。 つぎの思考実験を少し考えていただきたい。毎年あなたはコイン投げをする。表が出れば「よい」年になり、裏が出れば「悪い」年になる。(中略)AIGの社員は自分がコイン投げをしているとは思っていないだろうし、このたとえもまるで理解できないだろう。自分の成功は運ではなく実力と経験と努力のおかげであり、自分の避けてきた誤りを同僚が犯したと考えている。
・人生の多くの部分は、社会学者のロバート・マートンのいう「マタイ効果」に支配されている。この名は、マタイによる福音書の「持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでもとりあげられる」という一節にちなんでいる。マタイは明らかに富のことを言っていたのだが(中略)マートンは同じルールがもっと広い意味での成功にもあてはまると論じた。個人がキャリアの早いうちに成功をおさめると、一定の構造的優位を得られるので、本来の能力にかかわりなく、その後も成功する見こみがずっと大きくなるということだ。
・社会学者でハーヴァード・ビジネス・スクールの教授であるラケシュ・クラーナも、著者の『カリスマ幻想』で、一般に企業の実績はCEOの行動よりも、個々のリーダーにはどうすることもできない業界全般や経済全体の好不調のような外部の要因によって決まってくると論じている。4章で論じたハブやインフルエンサーとちょうど同じように、成功についての従来の説明が精神的指導者の力を持ち出すのは、そういう断定を支持する証拠があるからではなく、この種の人物がいなければ、複雑で大規模な組織体がどのように機能しているのかを直感的に理解できないからだとクラーナは結論している。
・ロールズは、自分が社会経済上のどの階層に属するかを前もって知らないとき、どのような社会で生きていくのを選ぶかと問うた。非常に裕福な人々にはいれる見こみはきわめて少ないので、合理的な人間ならわずかな人々が非常に裕福で多くの人々が非常に貧しい社会よりも、平等主義の社会、つまり最も貧しい者でもなるべく豊かになれる社会を選ぶはずだとロールズは推論した。
・ノージックはロールズの主張を大いに問題視したが、その大きな理由は、ロールズが個人の成果の少なくとも一部をその人物の努力ではなく社会に帰していることだった。もし個人が自分の才能や努力の産物を所持しつづけられないのであれば、自由意志に反して他人のために働かされるのと同じであり、自分自身を完全には「所有」できないとノージックは論を進めた。だから課税も、そのほかの富の再配分の試みも、道徳にかなった奴隷制に等しく、それゆえいかなる恩恵を他人に与えようとも認められない。
・自然状態では、ノージックは正しいのかもしれない。だがロールズの主張の肝心な点は、われわれはそのような世界に生きていないということだ。(中略)生まれにせよ、才能にせよ、機会にせよ、不平等が起こる仕組みは本質が偶然の産物であるのだから、公平な社会とはこうした偶然の不利な効果が最小化される社会だとロールズは主張した。
・肝心なのは、銀行がリバタリアンならば成功の重みも失敗の重みもすべて引き受けるべきであり、さもなければロールズ主義者として自分の面倒を見てくれるシステムに税を払うべきだという点である。みずからの都合しだいで哲学を切り替えるべきではない。
・われわれの個人としての行動が、社会的関係のネットワークに逃れようもなく埋めこまれているとするサンデルの主張は、公正と正義に関する議論だけでなく、道徳と美徳に関する議論にも影響を及ぼす。実際、サンデルは対立する主張を道徳面から評価せずに何が公正かを決めることはできないと論じている。そしてそのためには、社会制度の道徳的な目的を明らかにしなければならない。
公正の判断基準となる価値観は所与のものではなく社会の産物にほかならないというサンデルの主張は、1960年代に社会学者がはじめて唱えた、われわれが生きる社会の「現実」は当の社会によって「構築」されたものであり、なんらかの外部の世界からもたらされたのではないとする思想を映し出している。したがって、サンデルの主張は、政治哲学の根本にある問いは社会学の問いでもあるという重要な示唆を与えている。
・「おそらく」とマートンは嘆いている。「社会学は自分たちのアインシュタインを迎える準備がまだできていないのだろう。いまだに自分たちのケプラーを見いだしていないのだからーーニュートン、ラプラス、ギブズ、マックスウェル、ブランクは言うまでもなく」 したがって、社会学者は人間の行動の大理論や普遍法則を探求するのではなく、「中範囲の理論」を発展することに集中すべきだとマートンは説いた。