ギネスビールからビールの歴史を紐解く「ギネスの哲学」

ギネスビールがどのように発祥し、代々発展してきたかを中心にビール全体の歴史を紐解いた非常に奥深い作品です。

ギネス社は、おどろくべきことに1900年代初めから現在のGoogleなんかよりも手厚い福利厚生を提供しており、また公共に対しての責任を果たしてきました。

1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス

そして、代々に渡って有能な経営者を輩出することで、数々の革新を起こし、世界最大のビール会社にのしあがっていきます。成功物語として非常におもしろいです。

一方で、古代においてはビールは水よりも安全なことから宗教とも密接に関わりあいがあり生活に密着しており、エジプトのファラオの墓には必ずビール桶がおかれ、ピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際にはほとんど裸のインディアンが「ビールは無いか?」と英語で訊ねられた、というようなエピソードも描かれています。

本当に知らなかったことばかりで、非常におもしろかったです。おすすめ。

<抜粋>
・世界中で毎日消費されるギネスは1000万杯以上。年間約20億パイント
・1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス
・(ほとんど裸のインディアンがピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際に)「ようこそ!」 きれいで、完璧な英語だった。さらに驚くべきことに、男は、またまたピルグリム・ファーザーズたち自身の言葉で流暢に訊ねた。 「ビールは無いか?」 そう、ビールである。 これは事実である。
・ピルグリム・ファーザーズが最初に建設した恒久的な建物が醸造所だったことは、その物語におけるビールの重要性を証明している。
・エジプト人から見れば健康と福祉にとってビールは不可欠であったから、紀元前3000年にはすでに『死者の書』の中で、死後の世界への旅の必需品としてビールがあげられている。エジプトのファラオの墓に必ずビールの桶を考古学者たちが発見するのは、このためだ。
・(注:ルター)「私は木曜日に結婚することになった。……カタリナと私は貴殿にトルガウ産最高のビールを一樽送ってくれるよう、お願いする。贈られたビールが旨くない場合には、貴殿に全部飲んでいただくことになろう」
・(注:建築家レンの墓の銘板)「これを読む人よ、かれの記念碑を求めるならば、周囲を見回されよ」
・ダブリンに進出した時、アーサーは34歳である。ドクター・プライスの秘書兼助手として八年間働いていた。継母の旅籠で三年間ビールを造っていた。さらにリーシュリップの自分の醸造所を五年近く経営している。
・しかしながら、前任者が夢にも思わなかった規模にまで会社を拡大するのに、エドワード・セシルがいかにその天才を発揮したとしても、こんにちまでその名が残っているのは、それが理由ではない。そうではなく、偉大な企業家のご多分に漏れず、エドワード・セシルが後世に残す遺産となったのは富を生みだしたことではなく、生みだした富による慈善事業なのだ。
・かの言いふるされたことが真実ならば、企業というものはそれが生み出す文化によって評価されなければならない。そう、文化だ。文化とは「成長を促進するもの」であり、「そこから触発されるふるまいと考え方」を意味する。
・19世紀の後期、ダブリンは不浄の街だった。病と悪徳にまみれた不潔な沼だった。ダブリンの伝染病の罹患率はヨーロッパ諸都市の中で最悪だっただけでなく、死亡率もまた最高だった。
・世界最大のチョコレート会社の創設者ジョン・カドベイリィは1801年イングランドのバーミンガムに生まれた。(中略)カドベイリィはアルコールこそが自分たちの世代にとって神の苔であると信じた。クェーカーであるカドベリィはアルコールの摂取は道徳に反すると主張していたが、泥酔が時代の疫病神であり、後には貧困と悪徳しか残さないことを見て、ますますこのことを確信した。(中略)ジンやウィスキーを飲むことであれほどたくさんの人間の一生がめちゃめちゃになっているのだから、「チョコレートを飲む」ことは代わりになるはずだとカドベリィは信じたのだ。
・禁酒法は後世、アメリカの歴史史上最も愚かしい製作の一つであり、これに続く何世代にもわたって道徳と法律をめぐる議論の的とされることになる。世間での支持も小さかった。1926年に行われたある投票ではアメリカ人のうち禁酒政策とその法的根拠となった憲法修正18条を支持する者はわずか19パーセントにすぎないことが明らかとなった。
・最初のきっかけは1951年、アイルランドのウェクスフォド州に狩猟に出かけた時だった。サー・ヒューはイングランドの猟鳥で一番速く飛ぶ鳥は何かをめぐって友人の一人と議論になった。胸黒か、はたまた雷鳥だろうか。ところがこの問題の答えを教えてくれる本はどこにも無かった。
・ビーヴァーははじめ、この本をアイルランドと連合王国のパブ向けのプロモーションに使うつもりだった。経費はビールの売上でまかなえるだろうから、タダで配る計画だったのだ。 本は『ギネス・ブック・オブ・レコード』と名付けられた。1954年に単なる宣材として発行されたこの本は、翌年、英国のベストセラーのトップに踊りでた。(中略)より重要なことは、この本によってギネスの名前が、その伝説的なビールの評判だけでは浸透しなかった国々や世代にまで知られるようになったことだろう。
・1986年、まだ50歳にもなっていなかったベンジャミンは会長職を辞し、社長のタイトルを受けることにした。かくてギネス社の歴史上初めて、会長職が一族以外の人間に任されることになった。(中略)1983年、ギネスの純資産は2億5000万ポンドだった。わずか四年後、この数字は四倍の10億ポンドを超えていた。ギネス社は世界最大の企業の一つとなり、会長職の責任の大きさは、それを天職と心得たわけではなく、単に家業として受け継いだだけの人間には重すぎるものになっていた。

「当事者」の時代/佐々木俊尚

佐々木俊尚氏が日本の言論社会の構造に鋭い論考で切り込んでいます。新書で文章も平易なのですが、かなり骨太でいろいろと考えさせられます。

普通の人が知らないマスメディアと政府や警察、市民団体などの構図の裏側や、それがなぜそうなっているのかが非常に明快に描かれています。そして最後に、高度経済成長の終焉やインターネットの登場により、今後どのように言論空間が形成されていくのか考察されています。

明確な結論はないのですが、確かに、すべてのひとが「当事者」になる世の中で、どのように「当事者」として生きるかはすごく難しい問題です。結局のところ自分が「当事者」としてできることをやっていくしかない、ということなのですが、そこにはやはり自分がこうあるべきという哲学や世界観を込めていくことが重要なのかなと思います。

それにはいろいろな反発もあるでしょうけれども、よいものは徐々に受け入れられていくはずですし、そうやって選択されたもので形成される世の中が未来のよりよい世界になるということだと思っています。

<抜粋>
・「公」である<記者会見共同体>では、警察と記者の関係は対立構造にあることになっている。なぜなら新聞社やテレビ局は、警察当局という権力をチェックする機関であるというのが、建前であり、そこにはズブズブのなれ合いなどいっさい存在せず、つねに緊張関係にあるというのが公的な建前になっているからである。だから記者会見では、建前に沿ったかたちで警察は追求され、厳しい質問も多く飛ぶ。
・警察や検察、政府、自治体などの「当局」に確認を取っていない記事は、そうたやすくは新聞には掲載できない。なぜなら「誤報だ」「捏造だ」「取材がひどい」といったクレームが当事者から飛んできたときに、新聞社だけで全責任を負わなければならないからだ。
・これは実に便利なレトリックである。(中略)実際に大衆がどう考え、どう投票行動しているのかというリアルとはまったく無縁に、自分たちの好む「大衆」を主張してしまえるからだ。「大衆はそんな風に思っていないのでは?」と反論されたら、こう答えればいい。 「彼らはまだ覚醒していないんだ!」 無敵である。
・知識人は知識をつけて知的レベルを上げていけばいくほどに、もといた大衆社会とのつながりをなくしてしまい、自分の拠って立つ基盤を失ってしまうということなのだ。かといって大衆と同じレベルにそのまま居つづければ、革命を起こしていくような知性を持つことができない。これは宿命的な矛盾だ、と吉本(注:隆明)は指摘したのだった。
・ただ「路面電車の廃止が決まる」というだけの記事ではあまりにも素っ気ないし、鉄道会社の言い分をそのまま報じているようにしか思われない。新聞社としてはそこでバランスを取るべく、しかもそれを手っ取り早い方法で行うために、「市民から異論の声が」と運動体の抗議活動を取り上げて、とりあえず紙面的には一件落着とさせるのである。
・新聞記者が市民運動を嫌うのは、先ほども書いたように、マイノリティでしかない市民運動をまるでマジョリティであるかのように描き、単純構図に記事を押し込めてしまっているというジレンマがあるからだ。そしてこのジレンマに内心辟易しているところに、市民運動家が対等な目線で、時には上から目線で記者を見下ろしてくる。 これは記者にとっては、不快以外の何ものでもない。
・「この戦争は、イスラム教徒にとっての聖戦です。アメリカの支配に負けるわけにはいきません」 私はこのコメントをそのまま原稿に起こして、デスクに渡した。デスクは原稿を読んで「うー」とひとことうなり、そうしてこう言ったのだった。 「こういうのじゃなくてさあ、バグダッドの子どもが可哀想だとかそういうイラク人の声はないの?」
・神社のような永続的な建物はもともと日本の神道には存在せず、まつりのたびに人々はその場に神に降りてきてもらい、そこでさまざまな儀式を行なっていたのだ。今のような立派な神社の建物は、後世のものだ。仏教を納める巨大な寺院を建立するようになったことが神道に影響を与え、立派な社を生み出す結果になったのではないかとも言われている。
・幻想としての弱者の視点に立ち、「今の政治はダメだ」「自民党の一党独裁を打破すべし」と総中流社会のアウトサイドから、自民党や官僚という権力のインナーサークルを撃つ。その<マイノリティ憑依>ジャーナリズムはアウトサイドの視点を持っているがゆえに、総中流社会の内側にいる読者にとっては格好のエンターテインメントになる。 しかしウラの実態では、マスメディアはフィード型の隠れた関係性によって、自民党や官僚や警察当局と濃密な共同体を構築している。
・このような二重構造。そしてこの砂上の楼閣のような二重構造は、高度経済成長という右肩上がりに伸びていく社会で富がふんだんに増えつづけていたからこそ、持続を許されていた。
・マルクス主義に取って代わるような「皆が幸せになれるかもしれない」という幻想を支える政治思想など、もはや存在しない。いま語られているさまざまな政治思想ーーリバタリアニズムやコミュニタリアニズム、リベラリズムなどーーはずっとリアルで身も蓋もなく、すべての人が幸せになれるというような幻想は提供していないのだ。
・私があなたに「当事者であれ」と求めることはできない。なぜならそれは傍観者としての要求であるからだ。 だから私にできることは、私自身が本書で論考してきたことを実践し、私自身が当事者であることを求めていくということしかない。
・これは堂々めぐりのパラドックスにも聞こえる。しかしこの壁を乗り越えていかない限り、その先の道は用意されない。しかしその壁を乗り越える人は限られているし、乗り越えない人や乗り越えられない人に対して、誰も手を差し伸べることはできない。 なぜなら、誰にも他者に対して道筋を用意することはできないからだ。自分自身で当事者としての道を切り開けるものにのみ、道は拓かれる。
・だから私が今ここで言えるのは、ごくシンプルなことだけである。 ーーそれでも闘いつづけるしかない。そこに当事者としての立ち位置を取り戻した者がきっと、つぎの時代をつくるのだ。これは負け戦必至だが、負け戦であっても闘うことにのみ意味がある。 これは誰にも勧めない。しかし、私はそう信じているし、そう信じるしかないと考えている。
・その年の春に東日本大震災が起き、問題意識は「なぜマスメディア言論が時代に追いつけないのか」ということから大きくシフトし、「なぜ日本人社会の言論がこのような状況になってしまっているのか」という方向へと展開した。だから本書で描かれていることはマスメディア論ではなく、マスメディアもネットメディアも、さらには共同体における世話話メディアなども含めて日本人全体がつくり出しているメディア空間についての論考である。

起業GAME/ジェフリー・バスギャング

起業家としての成功経験もあり、その後ベンチャー・キャピタリストに転身したジェフリー・バスギャングが、起業家と投資家について豊富な経験から、実話を中心に重要ポイントについて語られています。両方の経験のある方は少ないので非常に貴重です。

僕自身、起業家としてすごく身に包まされるものもあったし、いま趣味でやっているエンジェル投資についてもすごく参考になる部分もあり、さらにVCとの関係においては、自分が恵まれていたがゆえに知らずにいた行動原理がすごく勉強になりました。

本書はタイトルがいまいちなためか、(アマゾンにレビューもなく)あまり知られていないようですが、本当にもったいないです。スタートアップの起業家はもちろん、投資家や関係者すべてにオススメです。

以下は印象に残ったパートを抜粋コメントにて。

CEOは、取締役会とかわした約束を守らず、大金を失い、納期の遅れを公表し、優秀な人材も容易に採用できない。あれこれと主張するも、結局はどれも現実に即していない。布石を打ってもピントがずれている。予算超過。取締役会なり金曜の午後に送るメールなりで、厄介な思いつきを提案する(にしても、なぜCEOが悪いニュースを伝えるのは決まって金曜の午後なのだろう?)。取締役の面々は少しずつ、不信感を募らせ、CEOへの信頼を失っていく。CEOが提供する情報はどれも、本当に正確なのかと疑いはじめる。 (中略)同時にCEOは、どんどん自分に非難が集中してくるように感じる。蜜月期間のときには、明確なビジョンをもった素晴らしい人物とほめたたえてくれていた取締役たちが、どうして四六時中自分を非難し続けるようになったのか、彼にはまるで理解できない。

これは本当にありがちで、起業家が思っている以上に投資家は約束に対しては敏感です。投資家は起業家が言ったことを覚えていて、もし約束通りに達成できなかったり、報告がなかったりすると、信頼感を失っていきます。お互いが不信感を持ってしまっては終わりです。しかし、実際のところほとんどの場合、約束を守れない起業家が悪いのであって、何かを変えなければいけないのは確かです。

多くの起業家は、助けを求めることを恐れ、実際に助けを求めているにもかかわらず、それを認めることをよしとしない。結局のところそういった面々が起業家になったのは、自分で自分のボスになるのが楽しいからであり、熱意はあるものの、自分たちのビジョン追求に固執しすぎるきらいがある。そんな彼らにとって、自分たちが助けを必要としている、そしてときには、たとえどんな状況であれ、自分たちが陥っているところから救い出してもらうために救命用具まで必要としている、ということを認めるのは容易ではない。

しかし、それは誇り高き多くの起業家にとっては非常に困難なことです。そのプライドこそが、成功のさまたげになってしまうことが多い気がします。しかし、プライドは絶対に必要です。プライドが高くなければ折れてしまうこともあり、このバランスがいいのが成功する起業家の条件になります。

(注:デイヴ)わたしが学ばなければならなかったのは、そういったことに対処するための、今までとは違うやり方でした。幸いわたしは、スポンジさながらなんでもどん欲に吸収していきましたから、最も聡明な人を引っ張ってきては、もろもろのやり方を教えてもらい、それを片っ端から実践していったのです。そうしているうちに、なにもかも自分ひとりで答えを出さなければいけないという思い込みを捨てられました。悟ったのです。自分が最も聡明な人間になる必要などない、と。

ここで成功する起業家は助けを求め、自らを変革する方向に動きます。これができるかが僕は最も重要なキーだと思っています。結局、会社というのはCEOの器の大きさまでしか大きくなりません。だから常にきついストレッチをしていく必要があります(それが自らの望む方向性と違う場合、CEOを連れてくるのが最良の道かもしれません)。

しかし、それでもスタートアップというのが世の中に変革をもたらすためにある以上、また、会社というのは、起業家だけのものではなく、投資家や従業員、そして顧客という関係者がいる以上、よりよいサービスを提供できる器にしていくことが求められています。

それらを理解した上で、それぞれの立場でスタートアップに関わっていく必要があるのです。

<抜粋>
・起業家は自信に満ちていなければならない。それは当然だが、当人だけが自信に満ちていても駄目なのである。起業家たるもの、他者にも自信を抱かせなければならず、それはまったく別種の挑戦なのだ。
・(注:リード・ホフマン)「ペイパルのおかげで、この先の人生をつつがなく暮らせるんです。子育てをはじめ、なにも心配はありません。つまりわたしは、“この先なにを悩むことがあるんだろう”といった状態だったのです。まあ、そんなことを言って結局は、いかにして世の中を大きく動かせるような影響力をもつかと頭を悩ませているだけですが。それと、思いたったんです。“いいか、おれには新たに巨大非営利団体をつくりあげられるほどの大金はない。あくまでも自分には充分な額を持っているだけだ。だったら、営利を追求しつつ、本当に世のため人のためになることをしたらだどうだ”ってね」
・リードは決して、儲けたかったわけでも目立ちたかったわけでもない。2008年の夏まで、彼が妻と住んでいたのは、寝室がふたつの小さなマンションだった。そしてリードは、洋服よりも書物を好む人物だ。「お金は大事ですよ、でしょう?」と彼も認めている。「お金があればいいものが手に入るし、他のことだって好きにできるんですから。でも、お金そのものが人生の意義じゃないんです。お金は確かに“きっかけ”ですが、わたしは別に、お金がほしいと思って朝起きるわけでもないし、お金がほしいから家に帰るわけでもありません。それは、もっと他のいろいろなことをさせてくれるものなのです。リンクトインそのものは、とてつもなく大きな影響をおよぼせますし、わたしに大金をもたらしてもくれるでしょう、なにか他のことに使えるお金を。そのなにかこそ、『自分がここにいるから、世の中はもっとよくなる』と胸を張って言えるものなのです」
・わたしは悟ったのだが、VCになるのと起業家精神を抱くのとでは、まったく異なる魅力があった。VCになれば、思いもかけなかった知的な経験をしたり、優れた新しいアイデアをもった素晴らしい人々を広く世に知らしめ、世界中にプラスの影響をおよぼす機会も得られる。また起業家に比べ、VCの方がはるかに浮き沈みもない。起業家だと、感情の起伏もジェットコースター並に激しく、ハイなときはとてつもなくハイだが(『天下をとるぞ!』)、落ち込むとどん底までいってしまう(『給料も払えず、倒産するぞ!』)。ところがVCは、とにかく仕事に感情をもち込まないーーわたしも、それに慣れるまでにはかなり時間を要した。
・「わたしが本当の意味でのベンチャー・ビジネス(注:投資側として)をはじめるまでには、少し時間がかかりました。最初の10年間は、自分のしていることがわかっていなかったような気がします」(中略)リード投資家として、ジャック・ドーシーのツイッターに最大の投資をおこなったのも彼だ。フレッドほど頭脳明晰にして有能な人物が、ものになるまでに10年を要したというのだから、凡人はどれくらいの時間がかかることか。
・わたしとしては、起業家にぜひおすすめしたいのだが、話し合いの席についてくれたVCには、パートナー間でのキャリーの配分がどうなっているのかをきいてみるといい。妥当な質問であり、パートナーシップのあり方や、だれがどの程度政策決定権を有しているのか、といったことに対するそのVCの本音が浮き彫りになってくるだろう。VCとていつも起業家に、創立チームの価値とプライオリティを理解する手段として、創立資産の分割法についてきいてくるではないか。つまりはお互いさま、というわけだ。
・VCへの売り込みの過程は、デートの約束をとりつけることに似ている。そんな意見を耳にしたことがあるが、わたしに言わせれば、むしろ自動車購入に近いと思う。たいていの人が、ひとりの相手と何度もデートを重ねてから、結婚にいたるだろう(少なくとも昔はそうだったし、わたしもそうだった)。しかし、車を購入する場合は同時進行だーー複数のディーラーと複数のブランドをチェックしてのち、購入にいたる。
・スタートアップ企業の取締役会には、公式および非公式の義務がある。取締役会の主要任務は、株主のためにエクイティ(株式)の価値をあげることであるのは明らかだ。要するに取締役会は、株主のエージェントだ。この役割において、かられが果たすべき重要な要因はふたつ。(情報に基づき、熱心かつ良識的におこなう)注意義務と(企業およびその株主の利益に貢献する)忠実義務だ。取締役会は、企業を経営するわけではない。経営するのはCEOだ。そして最上の起業家は、取締役会の面々が演じる、重要にして価値ある役割を認識したうえで、彼らが効率的に仕事をしていくうえで欠かせない透明性を提供する。
・CEOは、取締役会とかわした約束を守らず、大金を失い、納期の遅れを公表し、優秀な人材も容易に採用できない。あれこれと主張するも、結局はどれも現実に即していない。布石を打ってもピントがずれている。予算超過。取締役会なり金曜の午後に送るメールなりで、厄介な思いつきを提案する(にしても、なぜCEOが悪いニュースを伝えるのは決まって金曜の午後なのだろう?)。取締役の面々は少しずつ、不信感を募らせ、CEOへの信頼を失っていく。CEOが提供する情報はどれも、本当に正確なのかと疑いはじめる。 (中略)同時にCEOは、どんどん自分に非難が集中してくるように感じる。蜜月期間のときには、明確なビジョンをもった素晴らしい人物とほめたたえてくれていた取締役たちが、どうして四六時中自分を非難し続けるようになったのか、彼にはまるで理解できない。
・起業家がこうしたメロドラマを避ける最上の方法は、VCに素直かつ正直に向き合うことだ。同様にVCは、起業家の信頼を勝ち得ること。そうすればだれもが、この胸襟を開いた会話から同様に利益を得られるのだ。
・デイヴは、取締役会によってCEOを解任されるのではないかとの不安に苛まれだす。「『なにか問題が発生して、きっと仕事がうまくいかなくなるんだ。四半期の業績もよくないだろう。これをミスったら、あれがうまくできなかったら、ぼくはきっとお払い箱だ』朝から晩までそんなことばかり考えていたら、落ち込むのは容易ですから」デイヴの言葉は続く。「成功するには、そうした不安をとり除かなければなりません。『どうやったらこの仕事はうまくいくだろう?』その一点にのみ、考えを集中させなければならないのです」
・(注:デイヴ)わたしが学ばなければならなかったのは、そういったことに対処するための、今までとは違うやり方でした。幸いわたしは、スポンジさながらなんでもどん欲に吸収していきましたから、最も聡明な人を引っ張ってきては、もろもろのやり方を教えてもらい、それを片っ端から実践していったのです。そうしているうちに、なにもかも自分ひとりで答えを出さなければいけないという思い込みを捨てられました。悟ったのです。自分が最も聡明な人間になる必要などない、と。
・それが如実にわかるのは、起業家が、“自分こそ最も聡明だ”と証明すべくひとりで空回りしているときだ。起業家のそんな態度を目の当たりにしたVCや他の経営メンバーたちは、起業家が自分たちの率直なフィードバックに素直に耳を傾けようとしているとは決して思わない。むしろ、自分たちの頼りなさを必至に隠そうとしていると考えるだろう。
・多くの起業家は、助けを求めることを恐れ、実際に助けを求めているにもかかわらず、それを認めることをよしとしない。結局のところそういった面々が起業家になったのは、自分で自分のボスになるのが楽しいからであり、熱意はあるものの、自分たちのビジョン追求に固執しすぎるきらいがある。そんな彼らにとって、自分たちが助けを必要としている、そしてときには、たとえどんな状況であれ、自分たちが陥っているところから救い出してもらうために救命用具まで必要としている、ということを認めるのは用意ではない。
・(注:デイヴ)取締役会で突然新たな問題が浮上するというのはよくないことなので、あらかじめ取締役メンバーに連絡をして、正直に言うことが大切です。『こういう問題が発生しています。理由はこうです。お知恵を拝借したいのです。助けてください』と。そうすれば、取締役会の席上で『いったいなんの話をしているんだね?』などと言われることもないでしょう。
・時間というものに対する考え方が、VCと起業家では大きく異なるのだ。VCにとって、時間は友だちである。断をくださなければならないとき、時間をかければかけるほど、たくさんの情報も得られ、より質の高い判断ができると考えている。かたや起業家にとっては、時間は敵だ。起業家は、とてつもない切迫感を抱いているーーライバルに先んじなければ、一刻も早く顧客との約束を果たさなければ、資金が底をつくなか、なんとしても給料を工面しなければ、というわけだ。一方、投資先起業がどんな困った状況に陥ろうと、VCは、次の月曜には自分たちの快適なオフィスに戻って、マネジメント・フィーを徴収するのが常だ。たとえそれが企業活動を停止させたあとでも。
・ベンチャーの支援を受けたスタートアップ企業には、なにかしら魔法のようなものがある。外部の投資家が課してくる規律ゆえなのか、VCが取締役会にもたらす価値や経験のせいなのか、とにかくベンチャーの支援を受けたスタートアップ企業は、支援を受けていないベンチャーに比して、あらゆる点で勝っているのだ。「ベンチャー・キャピタルが投資をおこなって40〜50年になりますが、支援を受けている企業は依然として、民間セクターのほかの企業に比べ、2倍の事業成長率を示しています。これはどうしてなのでしょうか?」

ウィルゲート 逆境から生まれたチーム/小島 梨揮

ウィルゲートというインターネット系の会社を社長の小島氏が振り返った内容。起業から最悪の状況に陥って、劇的に回復するまでが描かれています。

僕の場合は金銭的にはここまできつくなかったのですが、危機においてどのようなミスや間違いを犯し、そしてどうやってそれに対応していったかという部分は非常に身につまされる部分があって、とても共感できました。

まさに僕も陥った罠が描かれていたので、そのいくつかを、抜粋コメント形式でご紹介します。

「うちの経営層は人の使い方も物事の伝え方も下手です。今回の制作部解散も伝え方が悪すぎるので、かなり社内に波紋を呼んでいます。はっきりいってマネジメントとしてはマイナス100点ですね。たぶん、今多くの社員間での社長・経営陣の人望は0点だと思います。」 <0点……ですか?>  日々会社のために忙しく動き回っている役員陣。 半日ゴルフに熱中したり、飲み歩いている経営者が世の中にいるなかで、愚直にそして必死にやっていた自分達の想いは、少なからずメンバーのみんなに伝わっているはずだと安直に思っていた私は、その言葉に思わず動揺を隠し切れませんでした。

がんばっていれば後ろ姿を見てくれるだろうという罠
もちろん見てくれているひともいるものですが、会社の雰囲気やモチベーションを形成するには自分が思っている以上に、真摯かつ丁寧に伝えていく必要があります。はっきりいって、どれだけの時間、自分や経営陣が仕事しているとか、周りの社長がどれだけ遊んでるか、はまったく関係ありません。起業は、がんばるだけでなんとかなるほど甘くないのです。

「だから言っただろ、合併とか資本政策とかテクニカルなこと、身の丈に合わないことをやるなって。経営はそんなに甘くないんだよ」 株主の方が聞いた噂のなかには、Aが流したと思われる事実無根のものもありました。しかし、それすらも自らの未熟さが招いた結果だとすれば、私は頭を下げることしか出来ませんでした。

自分で腹に落ちていないことをやる罠
会社というのは自分がよく分かってないのにうまく行くことはありえないです(ごく短期的にはありえます)。だから、尊敬するひとの素晴らしいアイデアによるアドバイスだとしても、そのひとなら経験豊富なためできても、自分には経験や能力不足でできない可能性もあります。僕もいろいろな方のアドバイスを取り入れたりしましたが、「そういうものかな」と思いながらやったことはすべて失敗しています。自分として完全に腹に落ちていない限りはやらない、というのが鉄則です。
※ただし、スタートアップの時期を過ぎてリソースも増えてきたら別かもしれません

<私は悪くない>と自分自身を守ってきた結果、私を救ってくれた2人や私や会社を本気で支えてくれた人達、強いてはお客様に多大な迷惑をかけてしまいました。 自分をかばうことに必死で、背負っている責任の重さに気付けなかったのです。 自分を守ることや自分の不幸に何の価値もなく、自分を守る暇があるのなら一刻も早く支えてくれた人達に恩を返さないといけない。危機的状況を脱して責任に応えないといけなかったのです。

自分は悪くないと思う罠
経営者というのは往々にして自分に自信があるから起業という成功率の低いことをやるわけですが、だからなかなか自分が悪かったことを認められません。しかし、会社がうまく行っていないならそれは100%社長が全部悪いです。この事実に真摯に向き合い、自分のダメな部分を徹底的に自己反省し、言動を変えていくこと。これができる社長だけが成功し、支えてくれた関係者の方に恩返しすることができます。

まとめると
・がんばっていれば後ろ姿を見てくれるだろうという罠
・自分で腹に落ちていないことをやる罠
・自分は悪くないと思う罠
これらは本当によく陥りやすいので、次に起業するときも気をつけようと思います。

それをお金で買いますか――市場主義の限界/マイケル・サンデル

「ハーバード白熱教室」などで有名なマイケル・サンデル氏の新作。実は、サンデルの書籍ははじめて読んだのですが、コミュニタリアンの思想がよく分かってすごく勉強になりました(ちなみに本人は否定しているらしいですが)。

確かに、サンデルのいうように過去30年間の行き過ぎた市場主義を何とかするために、市場主義ではなんともならない「善」や「腐敗」について徹底的に議論しなければならないというのは一理あると思います。

一方で、コミュニタリズムな解決が唯一の道なのか、という疑念は残ります。「善」というものは、時代によっても、場所によっても変わるものなわけで、その線引きに結局のところどのくらい妥当性があるのか、どうやっても正解に辿りつけないのではないか、という気もします。

例えば、学校がお金を得るために企業スポンサーの広告で溢れかえっているという話。広告がなく、よい教育を施す学校があれば、そちらを選びたいのが親だと思います。だから、日本でもアメリカでもいい学校のある学区に引っ越すというのが頻繁に起きてます。そういった地域は土地の値段もあがるし、所得が高いひとが移り住むのでますます教育へ回せる税金も増えます。

それでは貧しい人の子どもはいつまでたっても広告まみれの学校で学ばなければならないのか、それは「道徳的によくない」ので、禁止すべき、というのがサンデルの主張です。しかし、僕としては、確かに「道徳的によくない」かもしれないが、それでもそのお金でその他の部分の教育予算が増えるのであれば、うまく活用して、次の世代をより富ませられればいいのではないか、と思うのです。もし「道徳的によくない」からといって禁止してしまったら、教育にお金をかけられないことで、貧しい人の子どもも貧しいままになってしまいます。

そうすれば、全体として豊かになっていき、次の世代では企業スポンサーをつけなくてもよくなるかもしれません。

これは一例ですが、本書に出ている議論を呼ぶ事例も、本当にそうなんだろうか、と思うことがたびたびありました。僕は本質的にはリバタリアンで、将来に対して楽観的な方なので、そう感じるのかもしれませんが、もし間違っていたのならやめればいいと思うし、サンデルのいうような「後戻り不可能な」ケースというのは意外に少ないのではないかと思っています。また、本書には取り上げられない当時の道徳に照らしあわせて実験的な試みで、やってみたらすごくうまく行ったこともあるはずです。

人の道徳感というのはものすごく変わるので(例えば、「風と共に去りぬ」を読むと奴隷が当時どれだけ当たり前だったか分かります)、その時々の選択はコミュニティで徹底的に議論して決める、というのはすごくいいと思います。またその際に、市場的側面だけではなくて、「善」など市場に現れない側面を重視するのも、そのコミュニティが大切にするもので、合意が取れるならいいのではないでしょうか(しかし、個人的には「善」は最終的には市場的価値もあげると考えますが)。

しかし、本書で取り上げられているような新しい議論を呼ぶような実験的事例については、受けいられる可能性もあるだけに、自身の道徳観念で否定すべきではないのではないでしょうか。そういった中で失敗するものも多いと思いますが、であれば市場原理から退場させられるわけで、それで決定的に何かが失われるということはほとんどないのではないでしょうか(短期的に困ったことになるというのはありそうですが)。

もちろんやる時にも徹底的に考える前提ですが、後で徹底的に検証して、やめるならやめるし、間違ったところは正して行く。そしてそれを全世界各地でやっていく。それができるならば、よりよい世の中になっていくと思うのです。

正直言って、サンデルの思想には疑問も感じますが、多様な問題提起はすごく刺激になりましたし、問題の切り分けについては、思考整理法としてすごく勉強になりました。他の著作も読んでみようと思います。

<抜粋>
・すべてが売り物となる社会に向かっていることを心配するのはなぜだろうか。 理由は二つある。一つは不平等にかかわるもの、もう一つは腐敗にかかわるものだ。
・経済学者はよく、史上は自力では動けないし、取引の対象に影響を与えることもないと決めつける。だが、それは間違いだ。市場はその足跡を残す。ときとして、大切にすべき非市場的価値が、市場価値に押しのけられてしまうこともあるのだ。
・もちろん、大切にすべき価値とは何か、またそれはなぜかという点について、人々の意見は分かれる。したがって、お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。この問題をいかに考え抜くかが、本書のテーマである。
・経済学者にとって、財やサービスを手に入れるために長い行列をつくるのは無駄にして非効率であり、価格システムが需要と供給を調整しそこなった証拠である。空港、遊園地、高速道路で、お金を払ってよりはやいサービスを受けられるようにすれば、人々は自分の時間に値をつけられるので、経済効率が向上するのだ。
・HIVに感染している女性に40ドルを支払い、一種の長期避妊となる子宮内器具を装着してもらっているのだ。ケニヤと、次に進出予定の南アフリカでは、保護当局者と人権擁護者から怒りと反対の声があがっている。 市場の論理の観点からは、このプログラムが怒りを買う理由ははっきりしない。
・199年代、イヌイットの指導者たちは、カナダ政府にある提案を持ちかけた。イヌイットに割り当てられたセイウチを殺す権利の一部を、大物ハンターに売らせて欲しいというのだ。殺されるセイウチの数は変わらない。イヌイットはハンティング料を取り、トロフィーハンターのガイドを務め、獲物をしとめるのを監督し、従来どおり肉と皮を保存する。このシステムを使えば、現在の割当頭数はそのままで、貧しいコミュニティーの経済的福祉が改善されるはずだ。カナダ政府はそれを了承した。
・こうした経済学者的美観は、市場信仰をあおり、本来ふさわしくない場所にまで市場を広げてしまう。しかし、その比喩は誤解を招くおそれがある。利他心、寛容、連帯、市場精神は、使うと減るようなものではない。鍛えることによって発達し、強靭になる筋肉のようなものなのだ。市場主導の社会の欠点の一つは、こうした美徳を衰弱させてしまうことだ。公共生活を再建するために、われわれはもっと精力的に美徳を鍛える必要がある。
・「金融市場は信じがたいほど強力な情報収集装置であり、従来の手法よりもすぐれた予測をすることが多い」。彼らはアイオワ電子市場を例に挙げた。これはオンラインの先物市場で、数度の大統領選挙の結果を世論調査よりも正確に予測したのだ。別の例としてはオレンジジュースの先物市場があった。「濃縮オレンジジュースの先物市場は、気象局よりも正確にフロリダの天気を予測する」
・テロの先物市場が道徳的に複雑なものとなるのは、デスプールとは違い、それが善をなすとされているからだ。この先物市場がうまく機能するなら、そこから貴重な情報がもたらされる。
・(マネーボールについて)アスレチックスがプレーオフに進出したのは2006年が最後で、それ以降は一シーズンも優勝していない。公平を期すために言うと、これはマネーボールの失敗ではなく拡大のせいだ。
・さまざまな財や活動に関して、私が本書で一貫して言おうとしてきたポイントが、ここに表れている。つまり、市場の効率性を増すこと自体は美徳ではないということだ。真の問題は、あれやこれやの市場メカニズムを導入することによって、野球の善が増すのか減じるのかにある。これは野球だけでなく、われわれが生きる社会についても問うに値する問題なのだ。
・広告にふさわしい場所とふさわしくない場所を決めるのは、一方で所有権について、他方で公正さについて論じるだけでは不十分なのだ。われわれはまた、社会的慣行の意味と、それらが体現する善について論じなければならない。そして、その慣行が商業化によって堕落するかどうかを、それぞれのケースごとに問わなければならない。
・学校にはびこる商業化は、二つの面で腐敗を招く。第一に、企業が提供する教材の大半は偏見と歪曲だらけで、内容が浅薄だ。消費者同盟の調査によれば、驚くまでもないが、スポンサー提供の教材の80パーセント近くが、スポンサーの製品や観点に好意的だ。しかし、たとえ企業スポンサーが客観的で非の打ちどころのない品質の教育ツールを提供したとしても、教室の商業広告は有害な存在だ。なぜなら、学校の目的と相容れないからである。広告は、物をほしがり、欲望を満たすよう人を促す。教育は、欲望について批判的に考えたうえで、それを抑えたり強めたりするよう促す。広告の目的が消費者を惹きつけることであるのに対し、公立学校の目的は市民を育成することだ。
・市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない。
・そのような熟議は、良き生をめぐって対立する考え方に触れざるをえない。それは、われわれがときに踏み込むのを恐れる領域だ。われわれは不一致を恐れるあまり、みずからの道徳的・精神的信念を公の場に持ち出すのをためらう。だが、こうした問いに尻込みしたからといって、答えが出ないまま問いが放置されるわけではない。市場がわれわれの代わりに答えを出すだけだ。それが、過去30年の教訓である。

媚びない人生/ジョン・キム

慶応大学准教授キム先生の新作。若いひとに向けてのメッセージになっているのですが、本当に若いひとが大好きなんだろうなぁという愛に満ち溢れていて素晴らしかったです。

そして、メッセージのひとつひとつが非常に深い。もしかしたら若いひとが読んでも「どういうことだろう、これは」と思うところも多いかもしれません。苦しくて、不安を覚えて、もがいているときに、即効性がある対処方法を教えているわけではないから。

でも、僕も同じくもがき苦しんだ一人として、この本に書いてあることは本当だと断言できます。悩みぬいて、自分なりの哲学にたどり着き、懸命に努力した後に、成果と、さらに高みに挑戦していこうという強い動機まで得られます。

だから、少しでもこういった哲学があるということを頭の片隅で覚えておけば、必ずどこかで力になってくれると思います。そして、僕もこの本を読んで覚醒した若いひとに負けないように、改めて夢を目指して行こうと思いました。

本書は献本いただきましたが、掛け値なしに素晴らしい本だと思いますので、若いひとだけでなく、より多くの方に推薦したいです。

<抜粋コメント>
印象的な文章が多かったので、抜粋コメントもつけておきます。

むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。

僕もものすごく漠然とした不安に苛まれました。哲学的な折り合いをつけて行動できるようになったものの、不安が消えることなどないし、それをなんとかしようと日々もがいています。

自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。

が、その姿を見せることに価値は感じません。僕も「自分の内なる力が削がれてしまう」のを恐れています。だから、黙々と自分の道を進む方を好みます。

もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。

周りを見わたしても、負けたのに自分と向き合えないひとは想像以上に多いように思います。そこで徹底的に向き合えるひとと向き合えないひとでその後の成功度合いが大幅に変わってきているのを実感しています。むしろそこで向き合わない場合はそれ以上の成長と成功はありえません。最後には負けたこと、負け続けていることにさえ気づかなくなってしまいます。僕もいつでも向き合えるひとでありたいと思います。

「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。

本当にこういう時期というのはつらい。僕は小さい成功を積み重ねることが重要だと思います。そしてそれを心の糧にしながら、次の成功へ向かっていく。いくら成功しても、不安が消えることはありませんが、それでも少しは自分へ自信を持てるようになっていきます。失敗してもすべてが否定されるわけではないのだから。

<抜粋>
・(結果が出ない時)こういうときは、若さの特権を使えばいいと私は思っている。根拠のない自信を持つことだ。
・むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。
・不安というものは、上昇志向が強ければ強いほど大きくなるものだ。自分でコントロールできないことばかりが目についてしまう。本当は自分の内面をうまくコントロールすれば、そういうものも見えなくなるということにも、なかなか気づくことができない。 ただ、漠然とした不安があったからこそ、私は必死になった。その意味では、不安は成長の原動力にもできると改めて実感している。
もし、一生懸命に努力しているのに結果が出ないと感じたときは、今こそ踏ん張るときだと思うことだ。もうギリギリのところまで来ているということを、自分に言い聞かせながらやっていくことである。
・自己主張をあまりにもし過ぎると、人間に軽さが生まれてしまう。言葉にも重みは出ない。存在としての希少性も薄れる。逆に、希少性や重みを演出するためにも、むしろ普段は静かにしている、というのが私の考え方である。本当に自己主張をしたときに、まわりが聞き耳を持つために、むやみな自己主張をしないのである。 だからこそ、重要になってくるのが、自分は何を主張したいか、という優先順位をしっかり考えておくことだ。これを考えていないと、あれやこれやと主張してしまうことになりかねない。実際のところ、どうでもいいことを主張する人たちが、あまりにも多い。
・話したいことがはっきりしていないときには、人間は沈黙すべきである。
・自分は明らかに未熟なのだ。自分が思うような仕事がもらえるほど、成熟していないのである。それを認めなければならない。そして未熟だからこそ、未熟なりにできることを最大限するのだ。
・自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。
苦労話を好む人の多くは、結果を伴わない人たちである。自分は努力をしたが、不可抗力の要素が発生して結果を出せなかった、という言い訳のために苦労話は存在している。しかし、苦労話をしない、という決意のある人は、結果だけで勝負する。だからこそ、努力の濃度が変わる。退路を断っているので、結果に対してストイックになる。必ず成功するようにマネジメントもする。目標に向かう際の気概がまったく違うのだ。
・もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。
・成功にたどりついた人は、まわりから見れば一直線で進んで行ったように見える。ところが、微妙な軌道修正を無数に繰り返して進んでいるのだ。そしてこの軌道修正のサイクルの頻度と精度こそが、実は大きな結果の違いを生むと私は考えている。
・良いタイミングで潔くやめること。スマートに、戦略的にやめること。人生を自分のものにするにはこれは極めて重要だが、これを実践することは案外難しい。日本のような社会では、途中でやめることは良くないとされている。学校でもそう教わるのだが、私はそれは陰謀だと思う。誰の陰謀かというと、途中で辞められては困る組織(学校とか会社とか)の陰謀なのだ。
・「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。
・学生たちに伝えたい。皆に好かれる必要などないということを。嫌われても自分らしい表情をし、自分で考えた言葉を発することを心がけることこそが重要であると。そもそもまわりは自分が思うほど、自分のことを気にしてはくれないものだ。自分の人生のすべての権限と責任は自分自身にあることを認識し、どんな状況でも自分を貫くことを忘れないでほしい。 そしてもうひとつが、そうやってもがいている自分は正しい、ということである。それこそが、何よりの正解だ、と。自身が自分の成長に対して、一番真摯にできることは、自分の未熟さ、あるいは自分にできていないことと向き合うことだからである。だから、君の涙というのは、自分と、自分の人生と真剣に向き合っている証拠だ。そういう自分を褒めてやりなさい。誇りを持ち、称えてやりなさい、と。

(日本人)/橘玲

橘玲氏による「日本人」というものに対して、様々な出典を元に、新しい考察を加えていく良書。

著者の幅広い知識に圧倒されながらも、知的好奇心を刺激されてものすごくおもしろいです。非常に斬新なアイデアがたくさん書かれていますが、個人的にはかなり賛同できるものが多いです。

恐らく僕がリバタリアンだからだと思いますが、個人的には今後はなるべく早くリバタリアンになった方が楽に生きられる世の中になると思います。

本書では、そこまでいかなくとも昔から一貫して日本人が非常に世俗的な性質を持っていることも明らかにしています。

読みやすいですし、自分のルーツを知る上でも一読するとよいと思います。

<抜粋>
・「交易によってすべての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。
・(マッカーサーの)昭和天皇との会見が報じられてから、GHQ宛に「拝啓マッカーサー元帥様」と書き出された手紙が続々と送られてきて、その数はなんと50万通にも達した。(中略)その内容は「世界の主様」「吾等の偉大なる解放者」とマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものが大半だった。
・戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。(中略)戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。 しかしその結果は、あまりにも悲惨なものだった。大東亜戦争(日中戦争から太平洋戦争まで)の日本人の死者は300万人に達し、広島と長崎に原爆を落とされ、日本じゅうの都市が焼け野原になってしまった。 これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。(中略)日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。
・最澄や空海など平安初期の留学僧は、そもそも中国語(シナ語)をまったく話せなかったという。(中略)翻訳者(僧侶)たちは、漢語を原文のまま訳すのではなく、自分たちの都合のいいように(すなわち民衆にわかりやすいように)意訳することを当然と考えていた。これはそもそも漢文に文法がないためで、分の区切りや返り点の位置を変えるだけで正反対の意味にしてしまうことも可能だったからだ。
・貧しい国に独裁国家が多いのは、ゆたかな国々の政府や国民が、貧しいひとたちが国境を超えて流入してこないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。
・ユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族のためだけの神でもある。それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルな神のままだ。 この矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教がはじめて誕生した。
・グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない
・日本企業の終身雇用・年功序列の人事制度は、年齢と性別によって社員を選別する仕組みだ。この“差別的な”雇用慣行は日本というローカル空間のなかでなら維持できるかもしれないが、起業が海外に進出したり、外国人の社員を雇用するようになるとたちまち矛盾が露呈する。「なぜ日本人の社員と待遇がちがうのか」という外国人社員からの道徳的な問いに、こたえることができないからだ。
・アメリカ社会では、すべての制度が(理念的には)グローバルスタンダードでつくられている。それが世界に広がっていくのは、アメリカの陰謀ではなく、世界のグローバル化の必然的な結果なのだ。
・「中華」は中国が世界の中心だという思想で、その価値観が周辺国へグローバルに拡張していくことはない。
・このように考えれば、人類がいまだにリベラルデモクラシーに変わる普遍的な価値観を持っていないことは明らかだ。今世紀が「中国の時代」になるとするならば、それは中国が共産党の一党独裁からリベラルデモクラシーの国に変わることが前提となるだろう。
・東京電力は原発事故に対する“無限の”責任を負っているにもかかわらず、その法律上の所有者である株主も、応分の負担をすべき債権者も“有限”の責任すら「免責」されている。
・福祉や援助に携わるひとたちは、グラミン銀行のデフォルト率が低いのは、借金を返さないと地域社会での借り手の面目がつぶれるからだと暗に批判した。 しかしユヌスは、こうした見方に反論し、マイクロクレジットがなぜ機能するのかを明快に説明する。 貧しいひとたちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ。
・原子力損害賠償法は、事業会社に原発事故に対する「無限責任」を負わせている。だが近代的責任とは有限責任のことなのだから、この法律はそもそも近代の理念に反している。
・ブキャナンは、「民主政国家は債務の膨張を止めることができない」という論理的な帰結を導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡張するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。
・アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特別法は一般法に優先する」といった概念のもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせずに法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。
・ネオリベは経済学者など知的エリートの思想で、大衆からは忌諱されるのがふつうだ。しかし、橋下思想は、自らの生い立ちによって、どのような言動も「上から目線」にならない。「真面目に努力する貧しいひとたちを全力で支えたい」という言葉にウソはなく、社会的弱者のなかにも熱狂的な支持者が多い。
・加えて日本には、こうした「超個人主義」を受け入れられやすい土壌がある。これは、もちろん、日本人が地縁や血縁を捨て去った世俗的な国民で、「自分のことは自分でやる」のが当然だと考えているからだ。(中略)日本人はもともと、ネオリベ的な個人主義にきわめて親和性が高い国民だ。小泉と橋下という、この10年で圧倒的な人気を博した政治家が共通の匂いを発しているのはけっして偶然ではない。
・リバタリアンから見れば、ネオリベは不徹底な自由主義だ。なぜならそれは、国家を前提にしてはじめて成立する思想だからだ。
・ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うことが得になるような設計をしたことなる。(中略)正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを“道徳的に”振る舞わせることができるのだ。
・超越者のいない日本は、「私の価値は最大限に実現されるべきだ」という社会でもある。 『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。“クール・ジャパン”は、後期近代の普遍性に真っ先に到達したからこそ、世界じゅうの若者たちを虜にするのだ。

小さく賭けろ!―世界を変えた人と組織の成功の秘密/ピーター・シムズ

大きな成功をするためには小さく賭けることを繰り返すことが有効である、ということを様々な実験結果やストーリーから導き出しています。これは直感的には、自明なことのように思いますが、一方で実践するのは非常に難しいです。

だから、本書にあるようなストーリーを見ていくことで、小さな失敗を恐れないようにしたり、点と点を繋ぐことを意識したり、運のいいひとの行動様式を真似ることができればよいと思います。

改めて、いろいろと種を蒔いて、小さく賭けて行こうと思いました。

<抜粋>
・固定的なマインドセットを取りがちな人々の場合、知能や才能は生まれながら決まっている、いわば石に刻まれたようなものだと信じる傾向がある。こういう人々は自分の能力をどうしても繰り返し見せつけなければ収まらない。彼らにとって失敗は、自らの重要性、アイデンティティーを脅かすものに映る。(中略)逆に、成長志向のマインドセットの人々は、知性や能力は努力することによって伸びると信じ、失敗や挫折を成長のための機会と考える。彼らは常に新たな挑戦によって自らの限界を広げていこうとする。
・(ジョブズ)「創造とはものごとをつなぎ合わせることだけ。何かを成し遂げた創造的な人に、どうやったのかを尋ねると、彼らは少し後ろめたさを感じる。なぜなら、実際何かをしたわけではなく、何かを見ただけだからだ。しばらくすると、彼らにはそれが当然に思えてくる。それは、彼らが自分の経験をつなぎ合わせ、新しいものへと合成する能力を持っているからだ。そして、それができる理由は、彼らが人よりも多くの経験をしているか、自分たちの経験について人よりも多く考えているからだ。残念ながら誰もが持てる才能ではない。われわれの業界にいる者の多くが、あまり幅広い経験をしていない。だから彼らはつなぎ合わせるべき『点』を十分に持っていないために、答えがきわめて直線的になり、問題を大局的な視点で見ることができない」
・「4歳児を見ていると、彼らは常に質問し、ものごとの仕組みを知りたがっている」 とグレガーゼンは言う。 「しかし、6歳半を過ぎると質問をしなくなる。それは、面倒な質問より正しい答えのほうが、先生に高く評価されることを素早く学びとるからだ」
・運のいい人のほうが運の悪い人よりも、自分の周囲で起きていることに注意を向けていることだ。(中略)運のいい人たちは、自然にやってくるチャンス(あるいは知識)を受け入れやすく、一方、運の悪い人たちは、「習慣の生き物」であり、決められた結末に固着されている。
・運のいい人達は、多くの人たちと交流することで偶然の出会いや体験の確率を高めている。「外向性」が機会と知識という報酬を払っていることを、ワイズマンは発見した。そしてそれは完璧に理にかなっている。偶然の出会いは数のゲームなのだ。自分の参照空間中にいる人や視点が多ければ多いほど、優れた知識と機会が結合する可能性が高くなる。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか/増田俊也

ひさしぶりに超弩級のドキュメンタリーを読みました。

戦前から戦後にかけて、木村政彦という史上最強の柔道家がいました。しかし、木村はプロレスに力道山に敗れて世間から忘れ去られ、その屈辱を一生背負うことになります。

なぜ木村が史上最強と言われているのか。なぜ力道山に敗れたのか。戦前と戦後の柔道の違い(戦前の柔道では打撃は当たり前にあった)。戦前の柔道が、木村がブラジルで破ったエリオ・グレイシーからグレイシー柔術となって日本に再上陸するまでの経緯。などなど、柔道やプロレス、総合格闘技に対する見方が一変する骨太ドキュメンタリーです。

二段組で文量は相当に多いのですが、それだけの価値があります。こういう本に出会うと本当に幸せだなぁと思います。

<抜粋>
・嘉納がイメージしていた柔道は、まさに現在の総合格闘技を柔道衣を着てやるものだった。まず離れた間合いから殴ったり蹴ったりという当て身で攻め、あるいは相手の当て身を捌いて相手を捕まえ、それから投げ、そして寝技に行くのが嘉納の理想とする柔道だった。街中での実戦、つまり護身性の高いものを求めていたのである。
・いまオリンピックスポーツとして世界中で行われている柔道とは、すなわち明治十五年(1882)に嘉納治五郎が開いた講道館という名の新興柔術流派のひとつの町道場にすぎない。
・講道館は巨大化するうちに、組織として歴史に勝ったのだ。活字としてさまざまなものを残すうち、歴史に勝ったのだ。
・モミジの巨木への打ち込み。(中略)打ちこむたびに予想以上の痛みが脳天まで突き抜け、百回でその場にへたり込んだ。次の日は二百回、さらに次の日は三百回と増やしていき、最終的には一本背負いを千回と釣り込み腰を千回、合わせて二千回の打ち込みを毎日やるようになった。 そのうちに幹に巻いてあった座布団も外した。打ち込むたびにガツンッという音が響き、樹上の小枝が騒ぐ。あまりの衝撃で木村は失神し、その場で朝まで目覚めなかったこともある。
・戦前の柔道界は、講道館柔道、武徳会の柔道、高専柔道の三つの勢力が、今われわれが考えるよりも小差でしのぎを削っていた。
・講道館柔道の感覚からいえば、上の者が絶対的に有利である。だから相手を投げて上から攻めたいのだ。しかし、本当に上からの者だけが有利ならば、講道館はルールを変えてまで高専柔道の下からの寝技の封じ込めをはかる必要はなかったはずである。下からの寝技に対抗できなかったからこそ引き込みを禁止したのだ。
・木村の稽古は毎日九時間以上という信じられないものになっていく。この伝説の九時間の練習量を「それは座禅やウェイトトレーニングなどの時間も入れているのではないか」と思っている者が多いと思う。 だが違うのだ。 木村は乱取り(スパーリング)だけで毎日百本はこなした。一本五分としても、これだけで九時間近くになる。ウェイトトレーニングなども含めると十三時間から十四時間はこなしていることになる。
・(ボクシングで負けて)すぐに黒人ボクサーに週に二回のボクシング指導を頼んだ。 こういうところが木村の凄いところだ。普通、ひとつの格闘技で頂点に立った人間が頭を下げてこんなことはできない。しかも木村の場合、トップ中のトップなのだ。
・講道館=全柔連がGHQにその場を取り繕うような形で「柔道は武道ではなくスポーツである」と断言してまで柔道を復活させた経緯を検証・総括できていないことが、実に六十年たった今でも柔道界を混乱させているのだ。
・嘉納先生が仰ったことを紐解いてみると、ほとんど柔道を総合格闘技のように捉えているんです。『ボクサーを連れてきて実践的な訓練をしなくてはいけない』と言ってみたり、実際、空手が沖縄から日本本土に紹介された時、嘉納先生はかなり音頭をとられた。
・(木村と組み合ったことのある遠藤幸吉氏)「巨大な岩です。岩と組み合ってるみたいなもんなんだからまったく動きませんよ。柔道では相手を崩してから技をかけろっていうでしょう。でも動かないんだから。一センチも動かないんだから。どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられないでしょう」(中略)「遠藤さんは戦後の柔道家をたくさん見てこられた歴史の生き証人だと思うんですが、木村先生と、その後の日本の一流選手、それから外国人のヘーシングとかルスカとか、そういった人とやったらどうなると思われますか」 「お話にならない」 「そんなに違いますか……」 「違う」
・(ブラジルにて戦後)日系人二十五万人は、日本の敗戦を絶対に信じない者たちと負けた事実を受け入れて屈辱に耐える者たちに、真っ二つに別れてしまった。(中略)そのうち、勝ち組が負け組に対して天誅と称した攻撃を加えるようになり、三月には溝辺幾太バストス産業組合専務理事を暗殺する。 すぐに血で血を洗う報復合戦が始まった。
・戦後、「軍国主義的である」としてGHQによって大日本武徳会が潰され、さらに学校柔道が禁止されるにいたり、焦った講道館が「柔道は武道ではなくスポーツである」として復活させたのはいいが、柔道がもともと持っていた実戦性も忘れ去られていった。(中略)しかし、ここブラジルの地には遠く離れた本国日本の柔道の変質はいまだ伝わらず、武道としての実践的な柔道が、伝わったときのままの形で化石のように残されていった。それがグレイシー柔術である。
・九十五歳まで生きて大往生を遂げたエリオは、最晩年にこう言っている。 「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」

小説 盛田昭夫学校(下)/江波戸哲夫

上巻からの続き

76年 4686億円(14%増)
77年 5128億円(9%増)
78年 5423億円(6%増)
絶対額こそ77年には442億円、78年には295億円と着実にふえていたが、伸び率は68年にトリニトロンが登場してからの数年間の30%〜50%を大きく割り込んでいた。(中略)そこで盛田はいくつもの大きな戦争を戦いながら、たえず目を光らせて次のヒット商品を探していた。(中略)浅井は改良型プレスマンを盛田に渡した。 「どれどれ」盛田はデスクの前のソファーに座り、大きなヘッドフォンを、輝く銀髪の頭に被った。すぐに目をつぶり音楽に聞き入った。浅井の視線の先でテープの交響曲に合わせるように盛田の上半身がかすかに揺れた。やがて目を開け、ヘッドフォンを外して盛田が勢いよくいった。 「これは、いいね」 浅井の心臓がぴくんと跳ねた。 「250万台はいけるぞ」

ソニーは常にヒット商品を狙い続けていました。

「初回の3万台はもし売れなかったら、私が責任をとって会長を辞めます。君らは成果のことは何も心配しないで、思い切り売ることにだけ精力を傾けてください」 出席者は一瞬どよめき唖然とした顔で盛田を見た。その視線を盛田は穏やかに受け止めていた。

ウォークマン発売前は「誰かがイヤフォンをつけていると、耳が遠いのだろうと思われかねない時代」で、販売会社のソニー商事含め懐疑論が非常に多く盛田氏はこう言って反対を押し切きりました。

(USにおけるユニバーサルからのベータマックス訴訟で)いくつかの公開討論会には、盛田もパネラーとして出席した。 盛田はアメリカの市民にも高い人気があり、彼がパネラーとなった会場は、いつも溢れんばかりの人が集まった。盛田は決して流暢とはいえない、しかし誰にもはっきりと聞き取れ、説得力のある英語をしゃべった。 「USAは自由の国です。USAはイノベーションを先端で引っ張ってきた国です。それは世界中の国がよく知っています。そのUSAが、自由も技術革新も否定しては、USAではなくなってしまう」

盛田氏は英語が堪能ではなかったが、中身のあるスピーチでアメリカ人を魅了していました。

(ヨーロッパのソニー従業員の懇親会にて)「私がいまどういう気持ちでソニーという会社のことを考えているか、皆さんにお話しておきましょう」 前例のないことである。会場がいっぺんに静まり返った。 「まず、どんなことであれ、ソニーと関係を持ったすべての人が、そのことによってそれまで以上に幸福になって、ソニー商品を買った人はそのことで生活が豊かになって幸福になり、ソニー商品を売る人は利益を得ることで幸せになる。といったように、ソニーとなんらかの関係を持った人はすべていままで以上に幸せになる。これが私の願いであります」

盛田氏の企業観が分かるスピーチです。

ソニーではすでに64年に国内売上高を海外売上高が上回り、その後も着実にその差は開き、岩城が帰国した76年には国内売上げ1911億円に対して海外売上げが2725億円と1.43倍にもなっていた。

設立から18年で海外売上高が国内を逆転しています。

日本はバブル経済の真っ最中で、どこにもここにも金がうなっていた。ソニーも例外ではなかった。この時期、連結の売上げは左記のようにわずか2年で1兆3500億円も伸ばしてほぼ倍増した。
87年 1兆5948億2600万円
88年 2兆2036億100万円(38%増)
89年 2兆9475億9700万円(34%増)

凄まじい伸び。そして、ソニーはコロンビア買収に乗り出します。

日本語のスピーチを行なうときの盛田は、構成とその論点だけを確認すれば、原稿を作ることなどめったになかった。しかし英語の講演の場合は盛田はいつも丁寧に原稿を準備し、実際に声に出して練習もした。あんなに軽やかで絶妙な盛田のスピーチも、大きなエネルギーと緊張感に支えられていた。まれに盛田は緊張のあまり重要な講演を引き受けたことを後悔し、身近なものに愚痴ることさえあった。「なんだってこんな講演を引き受けてしまったのだ」

スピーチが得意だったが、その裏には必死の努力があったという。

<まとめ>
ソニーも昔はいちベンチャーとして始まり、数々のヒット商品を出し、そのたびに猛烈に業容を拡大していきました。特に戦後10年、設立9年で上場、上場後4年間で売上を10倍にしているのは本当に素晴らしいです。一方で、その裏には数々の苦闘があったんだなというのがよく分かって、すごく共感できます。全般ものすごくおもしろいので、特にベンチャーに関わる人にはオススメです。

上巻はこちら

小説 盛田昭夫学校(上)/江波戸哲夫

一応、小説とあるのですが、ソニーの歴史には忠実に、様々な主人公の視点で生き生きと描かれています。経営という視点で見ると、他社をベンチマークするだけではなく、過去の偉大なベンチャーから学ぶことも重要なのではないかと思います。個人的に非常に勉強になることばかりだったので、抜粋コメント方式で行きたいと思います。

東京通信工業の前身「東京通信研究所」は、45年10月1日、終戦からわずか2ヶ月後に、井深大を中心とした数人の仲間によって設立された。最初の拠点は日本橋の百貨店「白木屋」の三階。井深の知人が使わなくなった配電室を貸してくれたのだ。 当初、彼らは会社の存続のために、電気炊飯器の製造やラジオの修理・改造などを行なっていた。ラジオの修理・改造は戦争中、短波放送を聴くことのできないラジオを強要された多くの人に喜ばれた。

終戦からわずか2ヶ月後に開始。この会社の記事を見て、23歳の盛田は、36歳の井深に手紙を書いて、翌年、東京通信工業が設立されました。

発足したばっかりの東通工は、NHKとは第一スタジオの調整卓などいくつもの取引があった。その関係で井深も盛田もしばしばNHKに出入りしていた。(中略)ある日、井深はCIEの職員からテープレコーダーを見せられ、音を聞かされた。 井深はたちまちその音質のよさに魅了させられ、会社に戻るやいなや盛田にいった。  「テープレコーダーだよ、われわれのやるべきものは。ワイヤーではなく、テープで行こう」

テープレコーダーを発売する前はそこまで傑出していたわけではなかったようで、いろいろな仕事をしていました。

テープレコーダーは東通工の規模を急速に大きくした。 G型の試作機が開発された49年には従業員数87名、売上高3200万だったものが、G型が発売された50年には従業員115人、売上高9700万円、H型が発売された51年には従業員159人、売上高1億5500万円、H型よりさらに小型のP型(ポータブル用)が発売された52年には従業員214人、売上高3億4300万円となった。 つまり従業員は2.5倍、売上高は10倍となった。数字の表面だけをたどればかなり順調に見えるが、製品の開発・製造・改良のために雇った従業員はそれが終われば当面の仕事はなくなるし、開発・改良費を惜しみなく使ったので、東通工の財政にはいつも厳しいものがあった。

最初のブレイクスルーはテープレコーダー。

46年に二十数人で始めた東通工は、わずか六年間で300人近い従業員をかかえるようになっていた。テープレコーダーの開発のために多くの専門家も雇い入れている。その開発が一段落しかけているいま、彼らをどうやって食わせていったらいいのだろう? それができなければ彼らを首にしなければならない。しかし一生懸命に口説いて入社させた者ばかりだ、そんなひどいことはできない。 そう思いつめていたところへトランジスタの話が舞い込んだのだ。25000ドル(注:トランジスタ特許の使用料)という金額は当時の為替レートで900万円になる。サラリーマンの平均月給が1万円台の半ばだから、物価がおよそ20倍になっていると考えれば、現在の二億円に近い金額になる。

6年間で300人近い従業員、そして社運を賭けたこの特許の取得後、トランジスタラジオの開発には3年もかかっています。

この(注:トランジスタラジオTR-55)発売と軌を一にして東通工株の店頭公開が実現することとなり、それらを新聞記者など関係者に発表する一連の日程が決められた。55年7月下旬の暑い盛りだった。

なんと設立わずか9年で上場。トランジスタラジオの発売と同時。つまりほとんどテープレコーダーだけで上場。また上場時の従業員は400人程度。

TR-63(注:小型トランジスタラジオ)は東通工の売上げに大いに貢献した。輸出額の推移はこうである。
 55年 954万円
 56年 6408万円
 57年 3億2876年

海外売上も順調に拡大

トランジスタラジオの大成功に伴い東通工は凄まじい勢いで業容を拡大した。
 55年3月期には、
 売上高、3億5100万円
 利益、4700万円
 従業員、384名だったものが、
 4年後の59年3月期には、
 売上高、33億5000万円
 利益、3億9000万円
 従業員、2124名
 となっている。この4年間で売上高は10倍、利益は8倍、従業員数は5.5倍に急膨張した。

上場後の4年間で、売上10倍、利益8倍、従業員数5.5倍まで急拡大。

「海外要員を求む=SONY」59年秋、新聞にこんなキャッチフレーズの全面広告が掲載された。後世に語り継がれるのは「英語でタンカの切れる日本人を求む」というキャッチフレーズだが、それは翌年の求人広告だった。戦争で疲弊した日本経済は、50年から53年にかけての朝鮮戦争のお陰で急速に息を吹き返し、56年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言し、間もなく高度成長期に足を踏み入れようとしていた。 海外で活躍できる。それは日本中の志ある若者の気持ちを捉えた。そうした若者が一人また一人と品川御殿山のソニー本社を目指した。

こういう雰囲気の中での海外進出。

「ゴミレターを整理してくれっていわれたんだが、ゴミレターって何ですかね?」 大河内が笑みを浮かべた。 「ご承知の通り、トランジスタラジオが飛ぶように売れていましてね。いま世界中の代理店希望者からインクワイアリー「照会状)が着ているんです。欧米関係のものは次々とはけるんだけど、中近東、アフリカなんてところの分は後回しになってどんんどん溜まっている。それをみんなゴミレターと呼んでいるんだ」

トランジスタラジオはその性能から世界中(アフリカ、中近東含む)から注文が殺到していました。

下巻に続きます

人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ/米長邦雄

将棋棋士の米長邦雄氏による「勝負の研究」。すでに引退済みで、もう70近いはずなのですが、Twitterが話題になったりもしてますね。

ビジネスでは直接ライバルと対峙するということはあまりないわけですが、将棋では一対一の勝負しかありません。そういった中で長年、戦ってきた米長氏の勝負感が垣間見れて、非常に勉強になりました。

特にカンが、その人すべてを「しぼったエキス」であるという考え方や、勝負で勝つためには最善手のみを選択するのではなくて、相手にとって難しい手を打って泥沼に引きずり込む、というのはなるほどなぁと思いました。

30年くらい前の著作なんですが、まったく色褪せていなくて、おもしろかったです。

<抜粋>
・カンというのは自分が好きで必死で取り組んでいないと、働かないものです。嫌いな分野とか、やりたくないなと思っている仕事で、鋭いカンが働いたという話は聞いたことがありません。
・人間にとって大切なものは、努力とか根性とか教養とか、いろいろあります。しかし、一番大切なものはカンだ、と私は思っています。カンというのは、努力、知識、体験といった貴重なもののエキスだからです。その人の持っているすべてをしぼったエキスです。
・遊びが勝負のマイナスになるとは、私は信じません。ひと通りの遊びをしましたが、私の将棋にマイナスになったものはない。一歩ゆずって、最低の感想としても、自分が、それを罪悪感のようなものを抱きながらやった場合はマイナスになるかもしれないが、いわれのない罪悪感など持たなければ、マイナスになるはずがない、とだけは言えます。遊びこそ人生修行の課程の一つなのです。
・私は、難局になると、相手の側に立って考え、一番むずかしい手、一番結論の出しにくい手を指して、相手に手を渡すようにしています。手が広くて、わからなくなるような局面に導いていきます。いわば泥沼に引きずり込むわけです。 相手は困る。私だってわからない。そうすると、弱いほうは余計にわからないので、間違いやすくなる。そして、いっぺんに形勢を損なうのです。
・実戦では、必ずしも最善手ばかりを指せなくてもかまわないのだ、という「雑の精神」を言い換えますと、戦いというのは、相手にどこまでなら点数を与えても許されるのか、つまり許容範囲で捉えていく、という発想です。 要するに、決定的に負けになるとすればどこなのか、そういう感覚で、常に対局に臨めば、勝負はなんとかなる、という勝負感なのです。
・世の中に真実が一つしかない、人間のあるべき姿は一つしかないと考えるのはおかしい。将棋では「こう指しても一局」とよく言います。最善手は常に一手だけで、必ずそれを指すべきだと考えれば、誰も将棋は指せなくなる。世の中のことも、きっと同じでしょう。バランスが片一方に偏りすぎていると見た場合に、私は、少々極端に見えることを言うことがあるのは、何事にもバランスと許容範囲というものを大切にしたいからです。

P.S.昨夜、ZyngaはNasdaqに上場しました。私に関わりのあるすべての皆様に感謝いたします。

自分思考/山口絵理子

バングラディッシュなど途上国でブランドバッグなどを作っているマザーハウスの山口絵理子さんの新作エッセー。誰もやってこなかったことを切り開いてビジネスを作り、悩みながらも前に進んでいく姿がとても清々しいです。

前例のないことをやろうとするといつでも人から反対されたり、批判されたりします。しかし、それを乗り越えたところにこそ「創造」があります。

誰もが賛成することに新しさと価値はない。

普段忘れがちなので、しっかり胸に刻んでおこうと思います。

<抜粋>
・自分がこの国で生き残ってビジネスをしていくうちに、どんどん嫌な目に合って、どんどん嫌な自分になっていくようで、自分が壊れてしまいそうで……。自分のこと嫌いになるくらいだったらやめたほうがいいんじゃないかって正直思ったりする。だけど、私は自分が決めた道を歩いているんだから、やっぱりその分の代価は払わなければならない。
・すでにネパールで何年も過ごしている人からは、 「ネパールは難しすぎる」 「今はやめときなさい」 「絶対うまくいかないから」 そんなことを散々言われた。でも本当にそうなのかな? と自分に問う。前を歩いてきた先人たちが言うことが、いつも正しくて、それに従って歩いていたら、「創造」とか「新しいもの」っていう言葉は、この世には生まれてこない。絶対に例外は存在し、その例外が一本の道しかなかったところに、もう一つの小さな道をつくってきたんじゃないかなっていつも私は思っている。

P.S.以下もオススメです。

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繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史/マット・リドレー

世の中には悲観論が溢れています。例えば、石油がなくなりかけている、プリオンで死者が多数出る、地球が温暖化しつつあるなど。しかし、石油はなくならなかったし、プリオンでも死者はそんなに出ませんでした。地球温暖化についても、この地球にイノベーションが起こらなければの前提で、解決可能な可能性が非常に高いと本書は主張します。

また、懐古主義も根強く、昔のほうがよかった、と言うひとがいます。しかし、実際は100年前よりも圧倒的に豊かで安全に生活できるようになっているし、ひとが発展途上国で農場から都市の工場で働くのは、その方がいい暮らしができるからです。

もっと楽観的になって、人生を楽しもう、と思わせてくれる良書です。

<抜粋(上巻)>
・つまり、貧しいとはこういうことだ。自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で自分の時間を売れなければ貧しく、必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かだと言える。これまでずっと、繁栄や成長は、自給自足から相互依存への移行と同義語だった。
・近ごろ、「フードマイレージ」を非難するのがはやっている。食べ物があなたの皿の上にたどり着くまでに長い距離を移動すればするほど、多くの石油が燃やされ、その途上で多くの平穏が乱されたことになるというのだ。だが、なぜ食べ物だけを狙い撃ちにするのか? Tシャツマイレージやノートパソコンマイレージにも抗議の声を上げるべきではないのか?
・食品を農家から店頭までに運ぶあいだに排出される二酸化炭素は、その食品の生産・消費の過程で排出される総量のわずか四パーセントにしかならない。イギリスの食品を冷蔵するときには、外国から空輸するときの10倍、消費者が自動車で自宅と店を往復するときには50倍の二酸化炭素が排出される。
・最初のトラクターは優秀な馬に比べて優位なところはほとんどなかったが、地球のことを考えると、たしかに非常に大きなメリットが一つあった。エネルギー源となる餌を育てるための土地が必要なことだ。アメリカの馬の数は、1915年にピークの2100万頭に達しており、当時、全農地の約三分の一が馬の餌の栽培に充てられていた。そのため、役畜を機会に替えることで、広大な土地が人間の食糧を栽培するために放出される。
・「私のような農民は食糧を生産するのに1930年代の技術を使うべきだと言いながら、MRIではなく聴診器を使う医者の診察を受けようとしないような人たちにはうんざりだ」
・現代の遺伝子組み換えは、圧力団体に煽られた不合理な不安によって、生まれたとたんにあやうくもみ消されかけた技術だ。最初、その食品は安全ではないかもしれないと言われた。無数の遺伝子組み換え食品が食されたあとも、遺伝子組み換え食品による人間の病気の症例が一つも出なかったため、その議論は立ち消えになった。
・アフリカ各国政府は、欧米の活動家による強力な運動によって遺伝子組み換え食品を規制するように説得されたため、三カ国(南アフリカ、ブルキナファソ、エジプト)以外では商業生産ができなくなっている。なかでも有名なのが2002年のザンビアの事例だ。グリーンピース・インターナショナルやフレンズ・オブ・ジ・アースなどの団体による運動により、遺伝子組み換え食品だから危険かもしれないと説得された政府が、基金の真っただ中に食糧支援を断る事態にまでなった。
・帝国は、というより政府一般は、初めこそ民衆のためになることをするが、長く続くほど理不尽になる傾向がある。(中略)政府は次第にもっと野心的なエリートを雇うようになる。彼らは民衆の生活に対する干渉を強めることによって、社会が上げる収益からの自分の取り分を増やし、一方で強要する規則を増やし、最終的には金の卵を産むガチョウを殺してしまう。

<抜粋(下巻)>
・ナイロビのスラムやサンパウロのバラック集落はたしかに、静かな田舎の村より暮らしにくい場所ではないのか? そこに移ってきた人びとにとってはそうではない。どんなに生活環境が悪くても、都市にある相対的な自由とチャンスのほうが良い、と彼らは機会があるごとに熱っぽく語る。
・どうやら、1700年から1800年のあいだに、日本人は集団で犂を捨てて鍬を選んだようだ。その理由は、役畜より人間のほうが安く使えたことにある。当時は人口急増の時代であり、それを実現したのは生産性の高い水田だった。(中略)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し、土地は不足したが労働力は安かったので、犂を引く牛馬に食べさせる牧草を育てるために貴重な農地を使うより、人間の労働力を使って土地を耕すほうが、文字どおり經濟的である状態に達した。そうして日本人は自給自足を強め、見事なまでに技術と交易から手を引き、商人を必要としなくなって、あらゆる技術の市場が衰退した。
・「農場からここに移って工場で働くようになったら、農業をしていたときよりもたくさんの服やいろんな種類の食べ物が手に入るようになったよ。それに家も良くなったし。だから、そう、工場に来てからのほうが生活は楽だね」
・もしアメリカ航空宇宙局(NASA)が存在しなかったなら、どこかの富豪がただ名誉のためだけに、月に人を立たせる計画にすでに身代をつぎ込んでいないと断言できるだろうか?
・経済協力開発機構(OECD)による大規模な調査によると、政府が研究開発に支出しても経済成長に目立った影響は見られないという。これは政府の思惑を裏切る結果だ。実際そうした支出は「私企業の研究開発費をはじめ、本来は民間が活用できる資源を占有してしまう」のだ。この少々驚くべき結論は各国政府にほぼ完璧に無視されている。
・どの10年を取っても新たな悲観主義者が続々と登場し、自分が生きる時代こそ歴史が大きくその方向を変える支点だと主張して譲らない。
・彼(注:ハーバード・マルクーゼ)は生活水準が下がり続けることによって起きる、マルクスの「プロレタリアートの貧困化」という概念を逆手に取り、労働者階級は資本主義によって過剰な消費を強いられたと論じた。この見解は学会のセミナーでは反応が良く、聴衆はさもありなんといった顔で頷く。しかし現実にはゴミも同然だ。地元のスーパーマーケットに行っても、選択肢が多すぎて何も選べず惨めな思いをしている人を目にした記憶は、私にはない。私の目に映るのは選択している人びとだ。
・彼(注:プラトン)は書き留めるという行為が記憶力を衰退させていると嘆じた。
・1970年代にイギリスのティーンエージャーだったころ、私が読んだどの新聞も、石油がなくなりかけている、化学物質によって癌が発生するようになる、食糧が不足している、氷河期が訪れようとしている、などと伝えていた。のみならず、イギリス経済の衰退は避けられず、ことによると全面的な破綻を迎えるなどとも報じていた。1980年代から90年代にかけて、イギリスが突如として繁栄をきわめて成長が加速し、健康や寿命、環境も好転したとき、私は大きな衝撃を受けた。
・これまでのところ、20世紀に二度にわたって訪れた温暖化の波にもかかわらず、地球規模の気候変化によって絶滅が確認された種は一つもない。
・世界はいまやネットワーク化されており、アイデアは過去に例を見ないほど盛んに生殖している。したがってイノベーションが起きる速度は倍増し、21世紀における生活水準は経済発展によって想像もつかないほどの高みまで向上するだろう。世界の最貧層までも、必需品はもとより贅沢品に至るまで入手できるようになると主張してきた。こうした楽観論はまちがいなく主流の思潮から外れているが、実際は人類滅亡を唱える悲観論より現実的であることを歴史が示しているとも述べた。

P.S.前エントリで紹介した福岡対談を記事にしてもらってます。我ながら結構おもしろいと思うのでどうぞ。
「起業は若いうちにやればやるほど得」『Zynga Japan』山田進太郎×『gumi』国光宏尚対談レポート

『なぜ経済予測は間違えるのか?』は必読

前からそうでしたが、2008年に金融危機が起き、明らかに今までの経済学が現実社会では成り立たず、エコノミストの予測にはまったく根拠がなかったということが分かっているにも関わらず、なぜ未だに正規分布から導きだされた金融理論を使い、エコノミストの経済予測がまことしやかに信じられているのか。

ものすごく疑問だったのですが、本書を読むとすごくすっきりとします。一言で言えば代わる理論がない、というだけなのですけど。もちろん本書で代わりとなる統一的な理論が提示されているわけではないですが、それぞれの分野で少しづつ新しい考え方が生まれてきているのだなと思って、安心しました。

個人の戦略として重要なのは、今まで正しいとされていたことすべてに疑問を持って、今までのやりかたが間違っていたなら捨てて、確実に意味のあることをやる、ということでしかないのかなと思いました。

そして、間違っていることには加担しない、ということでしょうか。むしろ、個人的には、明らかに間違っていることが進行している世の中ではアービトラージはすごく取りやすいなと前向きに捉えるようにしています。

<抜粋>
・金融業界のこれほど多くの人々が、自分たちが管理しているリスクを誤解して、危険について知らなかったとすると、それはなぜか。私が思うに、経済理論の基礎をなす根本前提が間違っているからだ。つまり、数理モデルだけではなく、経済についてエコノミストがとる、現行の思考様式が完全に間違っているのだ。
・経済が予測しがたい理由の一つは、創発する特性があって還元論的分析になじまないからだ。これと同じく予測する際に重要な問題は、正のフィードバックと負のフィードバックのからみ合いがあることで、どんな流れにも、間もなくそれに対抗する流れが育つらしい。
・クオンツたちの後ろ暗い秘密は、用いられる道具がたいてい非常に単純だということだーー数学や物理学の博士号はほとんど箔をつけるためのもので、実際のところを言うと、リスクのモデル化という分野は、パスカルとその三角形の時代以降さほど変化していない。
・「たいていの経済学の論考や教科書には『バブル』という言葉は出て来ない。(中略)バブルが存在するという考えが、経済学や金融の世界の大部分ではいかがわしいこととされるようになっていて、経済セミナーでそれを持ち出すのは、天文学者の集まりで占星術を持ち出すようなことになっている」
・ゴールドマン・サックスのような会社に、金融の話がよくわからない人向けの二段階金利サブプライム・ローンをまとめる自由を最大限に与え、ほとんど何もないところから何兆ドルもの信用バブルを作り、うまく行かなくなると政府から金を引き出すというのは、フリードマンの頭にはなかったことだろう。
・学会や政府にいる主流のエコノミストは、完全な経済というピュタゴラス教的な幻想にまだ目をくらまされていて、誤りから学習できていない。この神話を拡げ続けることによって、大学やビジネススクールは、未来の金融危機の種を蒔いている。誤ったリスクモデルが経済のリスクを上げるのと同じように、経済が本来安定して自己調整すると見て、そのように扱うーー規制を緩めることによってーー世界観は、いずれその逆になる。
・言いたいのは、ただ経済が再帰的で、したがって予測しにくいということだけでなく、私たちの考え方や神話が経済を特定の形にし、不安定になるように細工するということでもある。これはたぶん、経済学理論が世界に影響し、そのため客観的だとは言い張れなくなる最も明らかな例だろう。
・利益のために取引することが、必ず善だったり悪だったりすることはない。それは脈絡に左右される秤の上に乗っている。アデア・ターナーは、「市場はすべて初めから善であるか、すべての投機は悪であるか、いずれかの前提で生きていく方がよっぽど難しいでしょう。現実はもっと複雑で、私たちは差引勘定や決断をしなければなりません。けれどもこの複雑な世の中では、それ以外のことはできません」と言う。

ザ・ニューリッチ―アメリカ新富裕層の知られざる実態/ロバート・フランク

ニューリッチとは資産1000万ドル以上の新富裕層のことで、本書ではニューリッチは、どういうひとびとで、どういう生活をし、何をしようとしているのかを明らかにした良書。新しい動きをウォッチしたいひとは必読だと思います。

個人的に一番おもしろかったのは、ニューリッチが自らの財産を子孫に残す、のではなく、どのように使うか、に焦点を当てているというところでした。そういったお金の使い道として、新しいタイプのNGOやNPOが生まれており、特にニューリッチの多くを占める成功した起業家が社会問題の解決に自らの力と金を使うのであれば、もっと世の中はよくなっていくのではないかと希望が持てました。

<抜粋>
・1980年代に、流れが変わりはじめた。情報技術と資本市場、政府による規制緩和の進展により、富裕層が經濟的地歩を取り戻し始めたのだ。資産額上位1%の層が国全体の資産に占める割合は、1989年には30%に急上昇し、その後33%にまで上がっている。
・長年、「ミリオネア(百万長者)」という言葉は「富裕層」と同義語だった。だが今日では、100万ドルあったところで、マンハッタンに2LDKのアパートを買うのがやっとで、高級住宅地のハンプトンズに住むことなどかなわぬ夢だ。(中略)その結果、両者の考える「富裕層」の定義は大きく異なってきている。
・富は人間の最低の部分も、最良の部分も引き出す、とティムは言う。つまり、富は人間性を誇張するのだ。「金は自白剤のようなもので、人間の本質を引き出してしまう。だから、嫌なやつは金をもつとますます嫌なやつになる」
・エチオピア国民や慈善家仲間からは賞賛されているバーバーも、大手の非営利組織からの受けは悪い。実際、彼はこうした組織にとって悪夢のような存在である。バーバーは「一縷の望み」によって、ユナイテッド・ウェイや赤十字、CAREといっった既存の大手慈善団体に寄付する必要がないことを示した。(中略)「ほとんどのNGOは、民間企業だったら破産している。私たちが生きているうちに変革の風が吹き、寄付をする人々が寄付金の使途についてもっとよく知るようになるだろう。実際の援助に寄付金の19%しか使っていない団体もあると知ったら、誰でもショックなはずだ」
・リッチスタン人、特に短期間で富を築いた人々は、自分の能力を過信し、複雑化する社会問題も自分なら解決できると思いがちだと、マリーノは指摘する。「簡単に金を儲けると、財産がほのめかすほど自分は賢くないという事実を見失ってしまうのです。自己顕示欲が強く、世界を変えようとする人が多すぎる。最初の数年は私も同じ過ちを犯しました。でもいまは、この世界では傲慢は凶と出ることを知っています」
・バーバーは、どんな援助にも成果目標を取り入れている。エチオピアの小規模NGOに資金を提供する場合、最初は第1四半期分の援助金しか渡さない。そのNGOが一定数の井戸を掘るなり、学校を設立するなりして目標を達成したら、初めて第2四半期分の援助金を渡す。目標を達成できなければ、援助を打ち切る。

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門/森村進

リバタリアンはどのように考え、行動するかというのを(リバタリアニズムの中の)様々な説から検証している良書。2001年と少し前の新書なんですが、今読んでもぜんぜん色褪せてません。

僕は自分をリバタリアンだと考えているのですが、実際には今自分が当たり前と考えている考え方について、リバタリアニズムから検討すると、いつの間にか自分がリバタリアニズムと反していることがあることに驚きます。

リバタリアンであれば、国家による婚姻制度は認めるべきではないし、会社の賠償責任は無限であるべきだし、国民栄誉賞は認めるべきではないし、相続税は認めても累進課税は認めるべきではない(ただし、もちろんリバタリアニズムにもいろいろな説があります)。こういう思考実験というのはすごく刺激的でおもしろいです。

いまはまだ自分の中でもまとまっているわけではないけれども、折にふれて深く考えたり、ひとと議論したりしながら、自分の人生観を変えていきたいと思います。そのための入門として素晴らしい作品だと思います。

<抜粋>
・訴訟遅延は確かに重大な問題だが、法的サービスは国家しか提供できないものではない。アメリカのリバタリアンは、紛争の解決は民間でもできるという発想から、専門的な民間の第三者による仲裁や和解といった「代替的紛争解決」(ADR)のサービスを高く評価している。アメリカにはADRを行う大きな会社や非営利組織が多数活動していて、利用者の満足を得ている。
・興味深いことに、リバタリアンの中には、この点でアメリカよりも日本の刑事法制度の方が被害者の権利をよく保護していると主張する論者もいる。(中略)日本の刑事裁判ではアメリカと違って、被告人が悪い環境で育ったなどという言い訳が責任軽減事由としてはほとんど通用せず、また被告人と検察官との間のプリー・バーゲニング(有罪答弁取引)も存在しない一方、犯人が犯行を自白し、真摯に後悔して、被害者側に謝罪・賠償しその許しを得るということが基礎の有無や量刑において重要な役割を果たすといった事実を指摘する。
・国家の中立性というリバタリアニズムの原理は、政府が教育の場などで特定の歴史観(唯物史観、新自由主義史観、民衆史観など)やライフスタイル(核家族、一夫一妻制、禁煙運動など)を押しつけたり援助したりすることも排除する。一夫一妻制だけを法的な婚姻制度として認めたり、特定の近親者だけに遺留分として相続財産への特権を与えたりすることは、この見地からは弁護しがたい。また政府が人々をその功績によってーー官尊民卑の観点からーー格付けする叙勲制度も廃止すべきである。
・そもそも婚姻という制度を法的に定めなければならない理由は明らかでない。実際には多くの法制度は色々な点で既婚者を独身者よりも優遇しているが、この優遇も法の下の中立性と衝突するから、もっと根本的に、婚姻という制度を法的には廃止すべきである。
・相続制度が廃止され、親への扶養義務が法的には最小化された社会の家族は、確かに現在の家族とはかなり変わってくるに違いない。そこでは親の扶養義務をめぐる争いはずっと少なくなり、遺産相続をめぐる紛争はほぼ消滅するだろう。成人した子供と親の間の関係はもっとドライなものになるだろう。そして代々続く「家」という観念も薄くなるだろう。法的な絆がないと(事実上の)離婚も多くなるかもしれない。このような変化を耐え難いと感ずる人もいるだろう。しかし自由を愛する人は、むしろそれをどろどろした血のしがらみからの開放と考えるだろう。親族関係は自発的な友人関係に近くなるのである。
・これらの(注:リバタリアンの)要請をもっともよく満たすのは、何の例外も控除もない、一定率の所得税か消費税である。所得税の税率は、累進課税では、所得の少ない者のために所得が多い者を搾取することになり、不公正である。税金が市場制度の使用料のようなものだと考えれば、その額は市場で得られた所得に比例しているのが公正だろう。
・大気や水の汚染は、その空間や水面の利用者の人身と財産への侵害に他ならない。工場主をはじめとする汚染者たちは、自分の財産の領域を超えて他人の人身と財産に損害を与えているのに、その責任を問われない。したがって最善の公害対策は、私的所有権、特に不動産所有権の厳格な執行ーー侵害行為に対する事前的な差し止めと、事後的な損害賠償ーーである。そしてその際、伝統的な過失責任ではなくて無過失責任主義を取るべきである。

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フェイスブック 若き天才の野望/デビッド・カークパトリック

フェイスブックの立ち上げから今までを丁寧な取材から明らかにした良書。フェイスブックとザッカーバーグ(とその周辺の人物が)がどういうタイミングでどんな決断をし、発展を遂げてきたかが非常に鮮明に描かれています。

個人的に一番興味深かったのは、フェイスブックがヤフーへの10億ドル(約820億円)での売却の交渉の最中に、フェイスブックが社会人へのオープン登録制(それ以前は大学生と高校生のみ)の導入する辺り。

「もしオープン登録制にした後も、ユーザー数と滞在時間が安定して伸びないようなら、あの10億ドルだか10億1ドルだかが、ぼくたちの欲しいものなのかもしれない」

しかし、結果は

約1週間後、大人たちはフェイスブックに入るだけではなく、入った後に友だちを招待したり、写真を載せたりと、アクティブユーザーのすることすべてをやっているらしいことが分かった。彼らはハマったのだ。 オープン登録以前、新規ユーザーの登録は1日に約2万人だったが、10月の第2週には、その数が5万人になっていた。

となる。そして『まだ売り時じゃない』と。会社を経営していると、常に「ここが頂点なのではないか」という思いと、「まだまだこんなものじゃない」という思いが交錯しますが、フェイスブックでもどこでも同じなんだなと思いました。

また、全体として感じるのは、ザッカーバーグがものすごいアグレッシブにサービス自体にコミットしていること。時にそれは、ユーザーから強い反発を受けて、後戻りしたりしますが、それでもザッカーバーグは常に(彼の考える)あるべき未来を見据えて、既存サービスの大幅な変更(ニュースフィードは典型)を次々にしていきます。

それで、共同設立者のサベリンも含めて多くの敵を作ってしまうわけですが、それがゆえにフェイスブックが力強くここまで成長してきたのも事実です。ザッカーバーグの天才性や狂気性、そして成長を垣間見れるのも本書の魅力だと思います。

ベンチャーというのは、本当にスリリングな瞬間が多くて、しかしそれを乗り越えた時の達成感は代え難いものがあります。だから止められないわけですが、本書にはそういうストーリーが満載で、ベンチャーに関わる、もしくは関わりたい方であれば誰であってもオススメ、というか必読だと思います。

P.S.ちなみに、映画『ソーシャル・ネットワーク』と本書を読むとかなり違う部分がありますので、比べるとまた楽しいです。

<抜粋>
・学生たちは、全学の「フェイスブック」写真がオンラインで検索できるようなフレンドスター的サービスを強く求めていた。オンライン人名録をつくるのに、それほど難しいプログラミングが必要ないのは明らかだった。サンフランシスコの起業家がつくれたサービスをハーバードの管理者たちがいつまでもつくれないでいるのはどうしたわけなのだ?
・みんながレストランで食事をしている最中に、パーカーに彼の弁護士から電話が入った。悪いニュースだった。プラクソ社の取締役会はパーカーが保有していた50パーセント近くの持株を剥奪することを決定した。つまり今後、プラクソが買収されても上場されてもパーカーには1ドルも入ってこないのだ。
・サベリンはフロリダの銀行口座を凍結した。 ザ・フェイスブックは、運営費を支払うことができなくなった。(中略)サベリンはザ・フェイスブックの運営に関して、ザッカーバーグと自分の役割を定めた合意書を用意したと告げた。だがサベリンは、ザッカーバーグが弁護士にもほかの仲間たちにも見せずにサインすると約束するのでなければ、その合意書を見せることはできないと主張した。
・交渉が続く間、ザッカーバーグはパロアルト市ラジェニファーウェイ819番地の灯りを消さないために、自分の貯金をはたき続けた。(中略)ザッカーバーグと家族は結局この夏、総額で8万5000ドルをザ・フェイスブックのために支出した。
・トライブのピンカスは1994年にバージニア州アーリントンで「フリーローダー」(Free-loader)というベンチャー企業を起こしていたが、パーカーは15歳でその会社でアルバイトしたことがあった。
・「辞めるなんてとんでもない間違いだ。一生後悔するぞ。ザ・フェイスブックはすぐにものすごい会社になるんだ! ビデオサイトなんて掃いて捨てるほどあるじゃないか」 しかし、言うことを聞かずにチェンはザ・フェイスブックを去ってビデオ・サービスを立ち上げた。それがユーチューブだった(同社は2006年にグーグルに16億ドルで買収された)。
・ザッカーバーグとモスコヴィッツは徹底的に順序立てて仕事を進めた。ザ・フェイスブックが正式に運用を開始していない大学の学生で、ユーザー登録を試みようとする者も多かった。彼等は待機リストに登録され、その大学で運用が開始されると、メールで通知が送られた。待機リストに登録された学生の割合が20%を超えると、ザ・フェイスブックはその大学を運用の対象に加えた。
・アップルは1ユーザーあたり毎月1ドル払ってくれるので、アップル・グループが拡大するにつれてザ・フェイスブックに入る収入も増えた。すぐにアップルからの広告収入は月額数十万ドルに達した。2005年のフェイスブックにとってはこれが事実上唯一の収入源だった。
・写真はフェイスブックで最も人気のある機能になっただけではなく、フェイスブックはインターネットで最も人気ある写真サイトになった。リリース後わずかひと月で、85パーセントのユーザーが少なくとも一度は写真でタグ付けされた。
・(ヤフーとの買収交渉時、姉のランディの回想)「弟は本当に葛藤していた。彼はこう言った。『これは大変なお金なんだ。ぼくの下で働いているたくさんの人たちにとって、それこそ人生を変えるかもしれないお金だ。だけどぼくたちには、これ以上もっと大きく世界を変えるチャンスがある。誰かがこのお金を手にすることが、ぼくにとって正しい行動とは思えないんだ』」
・「2種類のアイデンティティを持つことは、不誠実さの見本だ」 ザッカーバーグが道徳家のように言う。(中略)自分が誰であるかを隠すことなく、どの友だちに対しても一貫性をもって行動すれば、健全な社会づくりに貢献できる。もっとオープンで透明な世界では、人々が社会的規範を尊重し、責任ある行動をするようになる。
・ザッカーバーグはかなり以前から、ほとんどのユーザーが時間を費やしてまで複数のソーシャルネットワークで複数のプロフィールを作ったりしないことに気づいていた。さらに彼は、ハーバードとパロアルトでの延々と続く雑談で「ネットワーク効果」の知識を得ていた。ひとたび、ひとつのコミュニケーションプラットフォームへの集約が始まると、加速がついて勝者による市場総取りが起きる。
・「ぼくたちにできる最善の策といえば、周りの世界と共にスムーズに動き、常に競争に励み、壁をつくらないことだ。いずれにせよぼくたちは、共有のほとんどがフェイスブックの外で起きるようになると考えているから、是非ともこれを進めていきたいと思っている。ぼくには成功を保証することはできない。ただ、今これをやらなければいずれわれわれは失敗すると思うだけだ」
・(続いて)「そんな大胆な考えが会社の財政を脅かすのではないかと心配しなかったのか」と、私は聞いてみた。 「何十年間も価値の続くものをつくろうとしているなら正しい方向に議論を進めるしかない」と彼は言った。

ザッポス伝説/トニー・シェイ

(本書は献本いただきました。献本、ありがとうございます)

ものすごいリアルなシリコンバレーでの起業物語で、すごく楽しめました。著者はリンクエクスチェンジを起業し、MSに2億6500万ドルで売却。その後、ザッポスを含めて30社近くにエンジェル投資をしましたが、結局ほとんどうまく行かず、そして当時上手くいっていなかったザッポスに賭ける決断をしました。その際、全財産のほとんどをつぎ込んだそうです。

その後、CEOとして、ザッポスの立て直しと成功を導きました。この辺りの決断のディティールの一つ一つが非常におもしろく、勉強になります。アマゾンへの売却話も生々しく、セコイアなどのVCからのEXIT圧力が大きな要因のひとつであったと書いています。

投資を受けたベンチャーというのは、過酷なもので、EXITするか、IPOするか、どちらかを5年くらいのスパンで求められます。ウノウは幸いにして、非常に投資家に恵まれ、長い目で見守っていただきましたが、僕としては人生をかけて必ずリターンを提供したいと思っていたので、一定のEXITとなったのは本当に僕にとってすごくうれしいことであったし、非常に幸運であったと思います。とはいえ依然僕としてはZyngaに対して、恩義を感じていますし、引き続きZynga Japanの成功に全力を尽くしていきたいと思っています。

本書は、いいところも悪いところも含めて、生々しいベンチャーの現場を知ることができる良書だと思います。

P.S.本日は以前にご紹介した日経エンタテインメント!さん主催の映画『ソーシャル・ネットワーク』試写会でした。ご来場いただいた方、前説で私のお話を聞いていただき、ありがとうございました。

強さと脆さ/ナシーム・ニコラス・タレブ

ブラック・スワン」のタレブ新作。「ブラック・スワン」では、ブラック・スワンという現象そのものに焦点を当てていましたが、本作では「ではどうしたらいいか」に踏み込んでいます。

「ブラック・スワン」から1年半で金融危機が起き、それから2年。タレブは反省として、無駄の重要さについて語っています。あまりにも最適化されていると、予想外のことが起こったときに対応ができなくなる、と。

これによって、タレブの主張(哲学?)には磨きがかかりましたが、「ではどうしたらいいか」というと、いろいろな悪い可能性に備えて一見無駄なこともキープしつつ、できるだけ多くの良い可能性に賭ける、と結構実行するのが大変な戦略になってしまっています。

しかし、それでもそれが唯一の戦略である、と僕は思います。個人的には、前にも書きましたが、もっと自分の好きなことややりたいことに重点を置いてもいいのではないかと思います。そうすれば、人生を楽しみつつ、良い可能性に賭け、稀に良い可能性が起こればより人生を楽しむことができるからです。

「ブラック・スワン」に比べるとインパクトは欠けますが、これからの不確実な時代を生きて行くためには、セットで必読と思います。

<抜粋>
・グローバリゼーションは一見効率がいいように見えるかもしれない。でも、レバレッジを大きく利かせている点や要素同士の相互作用が多岐にわたる点を考えると、一ヶ所で不具合が生じれば、それがシステム全体に伝播するのがわかる。その結果、たくさんの細胞がいっぺんに発火し、癇癪の発作を起こした脳みたいな症状に陥る。すばらしく機能している複雑なシステムである私たちの脳みそが、「グローバリゼーション」なんかしていないのをよく考えてみてほしい。少なくとも浅はかな「グローバリゼーション」はしていない。
・知識の限界の下で、つまり将来が不透明である中で、進歩を遂げる(そして生き残る)ためには、こうした無駄のどれかがないといけない。この三年間、私はそういう考えに取り憑かれてきた。明日何が必要になるか、今日のうちにはわからない。
・物には二次的な使い道があり、そんな使い方がタダでついてくるものなら何だって、今まで知られていなかった使い道が出てきたり、新しい環境が現れたりする可能性がある。そういう二次的な使い道が多い組織ほど、環境のランダム性や認識の不透明から多くを得られるのだ!
・私は大事なことを見落としていた。生きた組織(人間の身体でも経済でも)には変動性とランダム性が必要なのだ。それだけじゃない。組織に必要なのは果ての国に属する種類の変動性であり、ある種の極端なストレス要因だ。そういうのがないと組織は脆くなる。私はそれにまったく気づいていなかった。
・受けた教育と文化的環境に洗脳された私は、規則的に運動して規則的に食事をするのが健康にいいと思い込んでいた。邪悪な、理にかなった議論というやつに自分が陥っているのに気づかなかった。世界がこうあってほしいという理想にもとづくプラトン的な思い込みだ。そればかりでなく、私は必要な事実は全部知っていたのに、洗脳されてしまったのだ。
・私がモデルを激しく罵っているとき、社会科学者が繰り返し言っていたのはこんなことだった。お前の言ってることなんか前から知ってるよ、こう言うじゃないか、「モデルは全部間違っているものだ、でも中には役に立つものもある」って。 彼らには本当の問題が見えていない。本当の問題は、「中には害をなすものもある」ってことだ。で、そういうモデルは大変な害をなす。
・私にとっての問題は、みんな稀な事象の果たす役割を認め、私の言うことに頷いてくれて、それなのにみんなああいう指標を使い続けることだ。ひょっとして頭の病気なのかと思ってしまう。