800年間の金融の歴史から学ぶ「国家は破綻する」

一般的には国家がデフォルトを起こすことなど非常に稀にように思えますが、実際はかなり多く起こっているということが豊富なデータから指し示されています。

さらに、国外債務より国内債務の方がはるかにデフォルトされやすいとか、国家がデフォルトするかどうかは、その国家の「意思」によって決まるとして、債権者の権利が非常に乏しいことが描かれています(例えば、ロシアが破綻したとき国家の財産であるルーブル美術館の美術品を放出せよとは誰も言わなかったし、実際不可能であった)。

日本も破綻するかしないか議論されていますが、本書を読む限りだと破綻する可能性はあると言わざるを得ません。起きないに越したことはないですが、その際に何が起こるのかを知っておくことは生き方の知恵だなと思います。

<抜粋>
・本書では、「めったに起きない」としてとかく忘れがちな現象にスポットライトを当てるべく、注意を払った。実際にはそうした現象は一般に考えられているよりはるかにひんぱんに起きているし、お互いに似通ってもいる。ところがアナリスト、政策担当者、さらには経済学者までもが、新たに起きた聞きをごく狭い視界で捉えるという好ましからぬ傾向を示す。すなわち、限られた国、限られた時期の狭い範囲から抽出した標準的なデータセットに基づいて、判断を下そうとする。債務やデフォルトを扱った学術文献や政策研究の大半が、1980年以降に収集されたデータに基づいて結論を出しているのは、こうしたデータなら入手が容易だという理由によるところが大きい。
「今回はちがう」シンドロームの本質は、ごく単純である。この症状は、金融危機はいつかどこかで誰かに起きるもので、いまここで自分の身に降りかかるものではない、という強固な思い込みに根ざしている。われわれは前よりうまくやれる、われわれは賢くなった、われわれは過去の誤りから学んだ。それに、昔のルールはもう当てはまらない、という具合である。
・貸し手は主権国家の返済能力だけでなく返済の意思にも依存しているのであり、この事実がすでに、主権国家の破産が企業の破産とはまったくちがうことを示している。企業や個人が破産した場合、債権者には明確に規定された権利があり、債務者の資産の多くを取り上げ、将来の所得に相応の先取特権を設置することが認められている。だが国家の破産の場合には、たとえ書類上はそうできることになっていても、実際に債権者がそれを執行する力は相当に制限される。
なぜ政府は、インフレで問題が解決できるときに、わざわざ国内債務の返済を拒否するのだろうか。言うまでもなく一つの答えは、インフレがとくに銀行システムと金融部門に歪みを生じさせるから、というものである。インフレという選択肢があっても、支払い拒絶の方がましであり、少なくともコストは小さいと政府が判断することもある。
・2007年に五大投資銀行の幹部が手にしたボーナスは、総額360億ドルを上回った。金融業界の大物たちは、この業界の高い収益率を金融イノベーションと正真正銘の高付加価値商品の賜物だとみなし、自分たちの会社がとっている潜在的リスクをひどく過小評価する傾向があった。
・こうした中、国際通貨基金(IMF)は2007年4月に「世界経済見通し」(年2回発表)の中で、グローバル経済を脅かすリスクはきわめて小さくなり、当面は何も懸念すべき材料はないとノベル。世界の金融のお目付役である国際機関が何も心配はいらないと請け合ったのだから、「今回はちがう」ことのこれほど確かな表明はなかった。

「MAKERS」で21世紀型のコミュニティを知る

『フリー』『ロングテール』のクリス・アンダーソンが、3Dプリンタを中心として誰でも製造業=メイカーになれる「メイカーズ」時代の到来について紹介する衝撃的な著作。

僕は前々からこの分野にすごく興味があって、2007年からCerevoでインターネット×ハードウェアのようなこともやろうとしてきたりもしました。

しかし、本書で一番衝撃を受けたのは、そのコミュニティでした。結局のところ3Dプリンタが身近になったから、メイカーズ・ムーブメントが来ているわけではなくて、出力するデジタルデータやソフトウェアを共有するようなコミュニティがあるからこそ、ムーブメントになってきているのだと思いました。

最近では、Etsyのようなウェブサービスでも、コミュニティをうまく形成し、エコシステムを作っているサービスが増えてきています。個人的には、こちらの流れに非常に注目しています。

<抜粋>
・メイカーボットはもっともシンプルな3Dプリンタのひとつだ。モーターは四個だけ。X軸、Y軸、Z軸を動かすモーターに加えて四個目のモーターはABS樹脂を熱で溶かし、作業用トレーまで運ぶためのものだ。メイカーボットの外枠は、レーザーカッターで切った合板を合わせたもので、プラスチック製の歯車の一部は別のメイカーボットのプリンターで作られている。内部の電子機器には、アルドゥイーノ基板が使われている。
・メイカーボットの哲学は奥が深い。レップラップの3Dプリンタ(スマートで華奢なデザイン)、アルドゥイーノのマイコン基板、CADファイルを指示に転換して3Dプリンタの三個のモーターを制御する一連のソフトウェアなど、歴代のオープンソースのプロジェクトの上にこれが築かれているからだ。ここでいう「オープンソース」とは、なんでもオープンにすることだ。電子部品、ソフトウェア、商品デザイン、製品仕様やマニュアル、それからロゴまでも。メイカーボットのほぼすべてが、コミュニティによって開発されたか、その中のだれかが自主的に作ったものだ。それは知的財産権を放棄することで、コミュニティの指示と善意による強力な保護が得られる。輝かしい実例だ。
・その違いーーひとりが発信するブログ形式のニュースや情報ではなく、コミュニティが作るサイトであることーーは、天と地ほどの大きさだった。
・確かに、ラリーファイターはバギーカーとそれほど変わらない。しかし、ローカルモーターズの電気自動車は、これまでとまったく違うものになる。そして世界的な自動車メーカーは、コミュニティによる開発モデルの力に気付くだけでなく、それを羨むことになるだろう。
・スペースXの基本的なロケット技術はNASAとそう変わらないが、生産工程のおかげで打ち上げコストは比べものにならないほど低い。請負業者、下請け、孫請けが絡んだ、航空宇宙業界の複雑な(しかも政治的な)ネットワークのかわりに、スペースXはデジタル工作ツールを使ってほとんどなんでも内製する。テクノロジーが製造業の複雑さとお役所的な構造を簡略化し、コストを10分の1にまで削減しながら、信頼性はあげている。NASAのモデルを改善するために宇宙工学の仕組みからやり直す必要はない。ほとんどのイノベーションは工場で生まれるからだ。
・いまもアメリカで作られているものは? 国内で販売される大型製品(たとえば自動車)や、価格に比べて人件費の割合が小さい高付加価値製品(たとえば飛行機)、そして価格競争にさらされれにくい特殊品(たとえば医療機器)などだ。
・スパークファンは、コミュニティを核とする典型的な企業だ。ウェブサイトの最初のページには製品ではなくブログが載り、人気のチュートリアルや社員の動画が掲載されている。掲示板では大勢のファンがお互いに助け合っている。
・チェンとストリックラーは、キックスターターがもの作りの資金調達源として注目されることに、いまも少し違和感がある。もともとは、大手レコード会社やハリウッドがなかなか売り出してくれない音楽や映画に加えて、アート、舞台芸術、コミック本、ファッションなどのプロジェクトのためのプラットフォームとして、キックスターターを立ち上げたのだ。
・ある日、喫茶店のオーナーのマルシア・ドーシーが、コンピューター好きの息子がアルバイトを探していると言ってきた。そこで、その息子にミラノ事務所に来てもらうことにした。(中略)「ああ、ちょっと終わるまで待ってもらえるかな」と言って仕事に戻った。 30分後、まっケルビーは男の子のことを完全に忘れていたことに気づいた。顔を上げると、驚いたことに、ドーシーはまださっきとまったく同じ場所に、両手をまっすぐにぶら下げて立っていた。

ゲームの可能性と限界を探る「幸せな未来は「ゲーム」が創る」

著者は、現在、膨大なひとがゲームをしているが、それは現実世界がゲームに比べて没頭しにくく、ゲーム的に言えばクソゲーだからだと言います。確かに現実は誰にとっても共通の明確な目標設定などないし、ルールもなければ、何かをしたところで必ずしも成功のフィードバックがあるわけではありません。だから、もっとゲームの仕組みを使えば現実をよりよくできる=幸せな未来を創れる、というわけです。

確かにものすごい説得力があって、一部はまさにそうだろうと思います。僕もかつてゲームを創っていた人間として、ゲーム的な要素を取り入れたインターネット・サービスを創って行きたいと思っています。

ただ、ひとの作ったゲームのルールには限界があります。ゲームによって世の中がよくなることは確かだと思うけれども、本質的には誰もが共通の目標があるわけでもないので、ひとりひとりが幸せになるためには、自らのゲームを設計しなければならないと思います。

それには多くの事例を知るのは重要であり、そして本書の事例はすごく役に立つと思うので、強くオススメします。

<抜粋>
現実世界は、仮想世界が提供するような周到にデザインされた楽しさや、スリルのある挑戦、社会との強い絆を容易に提供することはできません。現実は効果的にやる気を引き出したりはしませんし、私たちが持つ能力を最大限に引き出して何かに取り組ませることもありません。現実は私たちを幸せにするためにデザインされていません。 そのため、ゲーマーコミュニティにはある認識が広がってきています。 つまり、ゲームに比べて、現実は不完全だという認識です。
・この大脱出を引き戻すような何か劇的な変化が起きないかぎり、かなりの人口の割合が何よりもゲームに打ち込むようになります。最高の思い出も、成功の経験もすべてゲームの世界で起こるという社会への変容は急速に進んでいくでしょう。
ゲームを特徴づけているのは、ゴールとルールとフィードバックシステム、それに自発的参加なのです。これ以外のあらゆる努力は、これら四つのコアと鳴る要素を補強し、強化しているのです。
・(哲学者のバーナード・スーツ)ゲームをプレイするとは、取り組む必要のない障壁を、自発的に越えようとする取り組みである
・チクセントミハイは、ゲームが私たちの生活に楽しい活動をもたらすもっとも効率的で安定的な源とするなら、なぜ現実生活はこのようにゲームと似ていない面が多いのかと疑問に思いました。学校やオフィス、工場などでの日常の生活環境がフローを提供できないのは深刻な倫理問題であり、人類が緊急に対処スべき問題のひとつであると彼は論じています。(中略)その解決策はチクセントミハイには明白なようです。つまり、現実の仕事の仕組みをゲームのように変えていくことで、より多くの幸福を生み出すのです。ゲームは各自が自由に選び、能力を極限に活用できるようなハードな仕事の作り方を私たちに教えてくれますし、ゲームで得た教訓は現実世界に応用することができます。
・(アンドリュー・カリー)学者たちは長いあいだ、人類は定住した土地で農耕生活の仕方を学び、寺院を建てて複雑な社会構造を支えていくために時間や組織や資源を用いるようになったと考えていた。だが、(おそらく)これはまったく逆のようだ。まず大規模な集団的努力で石柱を建てることで、複雑な社会発達のための基盤を整備したのだ。
ゲームに比べると、現実は没入しにくい。ゲームは私たちに、自分のしていることにもっと深く参加しようという意欲を起こさせる。
・現実から逃避するためにプレイするゲームに対して、ARGは現実の生活からもっと多くのものを得るためにプレイするゲームだということです。
・(注:フォースクウエアで)真の報酬は、発見や冒険のような、プレイヤーが感じるポジティブな感情であり、もっと頻繁にライブ演奏を聴きに行くとか、もっと興味をそそる食べ物を食べるというような、プレイヤーが得る新しい経験です。さらに、自分の好きな人たちともっと頻繁に会うことでプレイヤーが強化する社会的つながりです。「フォースクウエア」はこうした報酬に取って代わるのではなく、こうした報酬にプレイヤーの関心を引きつけるのです。
・仮定の話としては、参加者に適切な動機を与えれば、ウィキベディア並みの規模のプロジェクトを毎日100件完了させられることになります。もっとも、17億人のインターネットユーザー全員に、暇な時間のほとんどをクラウドソースプロジェクトに自主的に投入しようと思わせることができれば、ですが。
・まだ地図に載っていない除細動器を見つけられれば、そして写真をとってその場所を報告すれば、ファーストエイド・コーが命を救う手助けができるわけです。
・アメリカの普通の若者が21歳になるまでに読書に使う時間は大体2000〜3000時間、コンピュータゲームやビデオゲームに使う時間は1万時間以上です。
・(注:トマセロ)彼の研究は、複雑なゲームを他者と一緒にプレイし、他者がゲームのルールを覚える手助けをする能力が、人間を人間たらしめているものの本質ーー彼が「志向性の共有」と呼ぶものーーであることを示しています。
・「スポア」のプレイヤーたちは、自分の作成したコンテンツを生態系コンテンツの巨大データベース、スポアペディアに提供しています。あなたが「スポア」をオンラインでプレイするとき、あなたのコンピュータはスポアペディアから新しい魅力的なコンテンツを探しだして、それをあなたの「スポア」の生態系にダウンロードします。

ソーシャルネットワークとは何なのかを知る「ウェブはグループで進化する」

FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアを主にマーケティングとして、どのように使うかについて、様々な研究結果を元に、かなり深い考察を加えています。

個人的には、ウェブサービスを作る側という逆の視点から、非常に興味深く読ませていただきました。

文章は非常に読みやすく、おもしろいので、インターネット・ビジネスに興味のある方になら誰にでもオススメできると思います。

<抜粋>
・(エッツィー)このページにアクセスすると、まずフェイスブックのアカウントと連動させることを求められる。連動させるとフェイスブックの友人が表示されるので、そこからプレゼントを贈る相手を選ぶ。するとその相手がどんなものに「いいね!」ボタンを押しているのかを分析して、エッツィー上の商品を並べ替えてくれるのである。あっという間に、友人に気に入ってもらえそうなプレゼントを選ぶのが楽になった。
・「インフルエンサー」の発想を離れ、仲の良い友人たちが形成する小規模なグループに注目し、マーケティング活動を行う時代が始まろうとしている。この変化こそ企業のマーケティング担当者が注目しなければならないものであり、次の10年の中心的テーマとなるだろう。
・多くの場合、近況アップデートには社会的なジェスチャーの意味が含まれ、それに対して「いいね!」ボタンを押したりコメントを投稿したりするのは、内容が本当に気に入ったからというよりも、相手との関係を築くための社会的シグナルを送りたいからなのである。近況アップデートを基点として始まる会話のほうが、近況の内容そのものよりも重要になる場合も多い。従ってマーケティングキャンペーンでは、コンテンツをシェアしてもらうこと以上に、そこから始まる会話を支援することにも注目しなければならない。
・共有されやすいコンテンツは、内容が肯定的なものや有益な情報を含むもの、驚きを与えるものや面白いもの、もしくは目立つ形で取り上げられているものである。しかしこうした要素よりももっと重要なのが、どれほど感情を刺激する内容であるか、という点なのだ。
研究によれば、人々がソーシャルネットワーキングサービスを使う第1の目的は、すでに強い絆で結ばれている人々とさらに強く結びつくためであり、弱い絆の人々との関係を構築するというのは二次的な目的である。フェイスブック上でユーザーが週に何人くらいの人々とコミュニケーション(カッコ内略)をしているのか調べてみたところ、平均してたった4人という結果が出た。そこで期間を1週間ではなく1ヶ月間に延ばしてみたのだが、それでも平均して6人という結果に終わった。
・人は平均で4から6のグループに属しており、それぞれのメンバーは10人に満たないことが多い(メンバー数の平均は4人である)。同じグループに属するメンバー同士はお互いに顔見知りだが、他のグループに属する人々とは面識がない。
・マーケティングキャンペーンを計画する際には、あなたのメッセージが友人グループの中でシェアされるように、さらにグループ外の友人との間でシェアされるように注意しなければならない。しかし情報が伝わることができる範囲は、起点となった人物から2人の仲介者を介して到達できる人物までであることを理解しておこう。それを理解していれば、最初にできるだけ多くのグループにメッセージを渡しておく必要があると分かるはずだ。
・一般的にソーシャルネットワークには、次のような特徴がある。
 ・最も親しい人々のグループには、5人くらいの人物が存在する
 ・次に親しい人々のグループには、15人くらいの人物が存在する
 ・定期的に会う機会のある人々は50人くらいであり、彼らの近況もほぼわかっている
 ・安定的な関係を築くことができるのは150人くらいが限度である
 ・何となく知っていて名前もわかる、というような「弱い絆」でつながっている人物は500人くらいである
・人は自分が属するグループ(家族や友人グループ、職場、スポーツチームなど)の期待や考え方、行動に添うために、しばしば自分自身の行動を変化させる。そしてそれは無意識のうちに起きることが多い。
私たちはパターンを探し、見いだされたパターンが過去に蓄積されたパターンと一致するかを確認する。そして一致するパターンが見つかると、脳はそれを深く追求するようになり、先入観がさらに強化されてしまうのだ。もし一致するパターンがなければ、それが新しいパターンとして脳に記録される。
・(続き)脳は予想するようにつくられている。予想を立てる能力は、問題解決の基礎になるものだ。記憶は脳の新皮質に蓄積され、次に何が起こるかを予測するために使われる。そして脳は実際に起きたことを観察して、予測との違いを把握し、記録する。何らかの問題を解決しようとするとき、脳は答えを計算して求めているのではなく、単に記憶の中から答えを引き出しているに過ぎない。人の感情が安定せず、常に変化しているのは、脳に刻まれた本能がそうさせているからではなく、感情は無意識からのシグナルだからだ。脳が行う予想の大部分は、私たちの意識の外側で行われている。
私たちは意識できる情報のほうを重視しているが、実は無意識脳には意識脳の20万倍にも達する処理能力がある。(中略)無意識脳は過去の経験や、失敗から学ぼうとし、膨大な過去の記憶に基づいて結論を下す。そして意識脳は、無意識脳が下した結論というインプットを得た上で、直近の短期記憶に基づいて働くのである。
・(続き)社会から受ける影響の大部分は、無意識脳によって処理される。私たちは他人の行動を観察し、そこからかすかな合図を読みとって、何が適切な行動なのかを判断する。しかしこうした判断によって自らの行動を変えたのだと認識することはないだろう。
・自動車を購入する際に人々がどのような判断を行うのか調査したところ、意識脳が使われた場合には全体の25パーセントしか最も良い自動車を選べなかったのに対し、無意識脳が使われた場合には、その割合が60パーセントへと上昇した。
・「いま行なっている行動は誤りだ」などという説得を行なってはならない。行動を変えたくなるモチベーションを提供すれば、意識の変化はあとからついてくる。(中略)ユーザーが投稿に「いいね!」やコメントをつけたり、アンケートに答えたりするのにかかる時間はごくわずかだ。そしてその行動は彼らの友人にも見られるため、過去の行動に合わせたいという欲求が働き、新たな行動を将来も繰り返す確率が高まる。

爆発的ヒットの意外な源を知る「ザ・ディマンド」

ビジネスが飛躍する際には顧客からの強いディマンド(需要)を引き出す必要があると主張し、その実例をいくつも取り上げています。実例は非常に興味深く、ディマンドを掴んだ際の考え方や手法には非常に勉強になるものがあります。

ただ、ではそれをどうやったら再現できるのか、というのはよく分かりません。そもそもその事例自体が単なる後付けかもしれないわけで。

この原動力となった製品がノキア1100だ。先進国の人々は、この携帯電話に対する巨大な需要を知って驚愕するだろう。この10年に登場した最も印象的なハイテク製品を挙げてみよう。任天堂のゲーム機Wiiは、発売五年で4500万台を売り上げた。やはり五年で、モトローラのRAZR(レーザー)は5000万台、ゲーム機のプレイステーション2は1億2500万台、iPodは1億7400万台だった。ノキア1100は、最初の五年で2億5000万台、その大半は世界でも最も貧しいといわれる国々での売上だった。ノキア1100は世界一売れた家電製品となった。

(ノキア1100には)欧米人には思いもつかないようなオプションを提供している。たとえば、何人ものユーザーの連絡先リストを保存することができる。これは、村人たちが共有する携帯電話には必須の機能だ。また、ユーザーは個々の通話に対して料金の上限を設定することができる。これも共有する場合には必要な機能だ。電力供給が不安定な場所で役に立つ懐中電灯、ラジオ、目覚まし時計なども内蔵されている。さらには、画面表示言語数は80を超え、読み書きができない人のためにアイコン表示も選択することができる。

本書は2011年に書かれたようですが、これだけ成功していると書かれたノキアはその後、まったくディマンドを読み違え大赤字になっています。

ディマンドは驚くほど繊細で壊れやすい。ディマンド・クリエーターたちはこの点を心得ている。たったひとつの重要な変数が欠落しただけで、あるいは決定的な細部にたったひとつの欠陥があっただけで、何千時間にもおよぶ努力と想像力と忍耐がムダになってしまう。だから、偉大なディマンド・クリエーターは常に試行錯誤を繰り返し、製品と組織作りにおいて考えられる限りの弱点を正そうとしている。 彼らは直感的に知っているーーディマンドの世界では真に不可避なものはないと。

これは事実なのだけれども、ではどうしたらいいかという回答にはまったくなっていません。

ただ、本書はこういったディマンドを掴むための試行錯誤を常識をとらわれずにやりつづけるべきだ、と思い出すためと、その事例のストーリーから新たな発想を得るために有効だと思います。ストーリーはどれも非常にエキサイティングでおもしろいです。

<抜粋>
・こんにち携帯電話の出現でこうした状況は変わりつつある。いまや北のウタルブラデシュ州から南のタミルナドゥ州にいたるインドの40パーセント以上の農民が、携帯電話を使った農業情報サービスを利用している。特定の地方市場における、ある作物の最高値と最安値、その日の入荷量など、必要に応じた市況情報を音声や文字データで受け取れる。また、水田の雑草の防除策、バナナの栽培方法といったノウハウも提供してくれる。 この種の情報はアメリカの農民なら当たり前のことだろうが、発展途上の国々での影響は計り知れない。
・この原動力となった製品がノキア1100だ。先進国の人々は、この携帯電話に対する巨大な需要を知って驚愕するだろう。この10年に登場した最も印象的なハイテク製品を挙げてみよう。任天堂のゲーム機Wiiは、発売五年で4500万台を売り上げた。やはり五年で、モトローラのRAZR(レーザー)は5000万台、ゲーム機のプレイステーション2は1億2500万台、iPodは1億7400万台だった。ノキア1100は、最初の五年で2億5000万台、その大半は世界でも最も貧しいといわれる国々での売上だった。ノキア1100は世界一売れた家電製品となった。
・(ノキア1100には)欧米人には思いもつかないようなオプションを提供している。たとえば、何人ものユーザーの連絡先リストを保存することができる。これは、村人たちが共有する携帯電話には必須の機能だ。また、ユーザーは個々の通話に対して料金の上限を設定することができる。これも共有する場合には必要な機能だ。電力供給が不安定な場所で役に立つ懐中電灯、ラジオ、目覚まし時計なども内蔵されている。さらには、画面表示言語数は80を超え、読み書きができない人のためにアイコン表示も選択することができる。
普通のMP3を持っている人が「役に立つよ」とか「いいよ」と言うのに対して、iPodを持っている人は10人中10人が「気に入ってる!」と言うのはこのためだ。(中略)ようするに、マグネティックとは、「優れた機能性」×「優れた感情的訴求力」である。
・ディマンドは驚くほど繊細で壊れやすい。ディマンド・クリエーターたちはこの点を心得ている。たったひとつの重要な変数が欠落しただけで、あるいは決定的な細部にたったひとつの欠陥があっただけで、何千時間にもおよぶ努力と想像力と忍耐がムダになってしまう。だから、偉大なディマンド・クリエーターは常に試行錯誤を繰り返し、製品と組織作りにおいて考えられる限りの弱点を正そうとしている。 彼らは直感的に知っているーーディマンドの世界では真に不可避なものはないと。
・ケアモアの背後にある経済論理は型破りだ。医師たちは従来なら意思が思いつかないような仕事や責任を引き受け、スタッフたちも普通の医療関係者よりずっと長い時間、患者やその家族とすごす。だが、ケアモアが費やす経費は、やがてその何倍もの節約となって戻ってくる。その結果、加入者の医療費総額は業界平均の18%も低い。費用曲線を逆転させることによって、ケアモアは持続可能な民間医療機関市場へと続く経済モデルを構築した。
(アマゾンのシニア・バイス・プレジデント曰く)最も注目すべき点は、キンドル所有者の書店購入回数が印刷された書籍を郵送で受け取っていたときの2.7倍に上がったことだ。
・ジップカーの人気の鍵が「密度」だったこと、キンドルに不可欠だった違いは「書籍への瞬間的なアクセス」だったことを思い出してほしい。これがディマンドの蛇口をひねるトリガーだった。同様に、ネットフリックスのディマンドを一気に加熱させたトリガーは「配達速度」だった。
・リード・ヘイスティングスとネットフリックスのチームが2001年に翌日配送に思い当たったころには、すでに三年がかかりで偉大なディマンドが飛躍するトリガー探しに大きな労力を注いでいた。
優れた教師の資質に「人生の満足度」が関係するなどと誰が思っただろう? ここが重要な点だ。ディマンド・クリエーターは憶測や直感や「常識」には頼らない。ひたすら証拠を探し、追求する。その結果、ディマンドなど無関係な、思いもよらない場所へ導かれたとしてもだ。
・(オーケストラにて)では、なにが違いを生んだのか? リストの第一位は「駐車場」だった。最低限の手間で自宅とコンサート・ホールを往復するという単純なことが、唯一最も強力な「再訪の原動力」だった。トライアリストの重要なトリガーはこれだった。
・(ユーロスターの)年間総利用者数は、1995年の300万人から2000年の710万人に増えた。(中略)2010年には950万人に達した。
・「リスクの高いプロジェクトの成果を予想するとき、エグゼクティブたちは誰もがじつに簡単に、心理学で言う『計画錯誤』の犠牲者となる。これに捕まると、彼らは収益、損失、可能性を理性的に評価するのではなく、妄想的楽観主義に基づいた意思決定を行うことになる」

中央銀行は本当に必要なのかを考える「ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ」

前にご紹介したアメリカの下院議員であり、生粋のリバタリアンのロン・ポール「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」の連邦準備銀行の廃止に絞っている著作。

著者が言うように、確かに中央銀行が金利を操作して景気をコントロールするその根拠は非常に脆弱です。社会主義の経済コントロールがうまくいかないのと同様に、中央銀行が自由市場をコントロールするため、金利をうまく操作できるわけがないというのはすごく的を得ています。

また、その施策が自由市場に間違ったシグナルを与えて、逆に景気の波を大きくしているというのもすごく納得感があります。

おもしろかったのは、

本当は、ゴールドマン・サックスやAIGが破綻したところで、一般国民にはたいして悪影響は及ばないのである。リーマン・ブラザーズが破綻処理されたのと同じにすべきだった。もちろん痛みは伴う。だがそれは短期的な痛みだ。

と言っているところ。実際リーマン・ブラザーズが破綻してもほとんど個人レベルでは差を感じなかったように、金融機関が破綻しても実はほとんどのひとはあまり困らないのだと思います。

逆に政府が救済することで、本書にあるような「リスクをとれるだけ取って、儲けているうちはお金をポケットに入れ、失敗したら救済してもらう」という戦略が金融機関にとって有効になってしまいます。

金融は社会にとってすごく重要な機能だと僕も理解してますが、だからといって幹部が何十億も報酬をもらい、普通の社員であっても何千万ももらっているというのは生み出している社会価値からして妥当なのでしょうか。この戦略が有効だからこそ可能になっているのでしょう。

だから、破綻するなら破綻させた方がいいと思います。

もちろん決済銀行が潰れたらお金を預けていたひとは困るでしょうけども、もしそういうことがあればより堅実な銀行を選ぶことになるだろうし、そうであれば銀行はより堅実になろうとします。

これを人為的に自由市場を操作して回避することで、金融機関のモラルハザードも起きるし、それによって不景気の底も深くなる。まさに悪循環になっています。

一方で、著者の言う中央銀行の廃止が本当に可能なのかはよく分かりませんでした。確かに、各国の中央銀行が権力を持ち過ぎているのは確かだと思うのですが、それに代わるものが金本位制だと言い切るにはもう少し何かが必要だと思いました。

もちろん中央銀行は権力を持ち過ぎであると思いますが、であればそれをうまいこと規制する方法もある気がします。では何なのだというとすぐに出てこないですが。

とはいえ、こういったドラスティックな意見はすごくおもしろいし、「お金とは何なのか」「経済とは何なのか」ということについても深く考えさせられました。

オススメです。

<抜粋>
なぜ中央銀行は存在しているのか? その答えは連銀に関する経済書には載っていない。大学の抗議を聴いても、連銀のウェブサイトや連銀が発行する冊子を読んでも同じことである。
・連銀は「何も無いところからお金を生み出す」特異な権力を持っているのである。連銀は、一度に膨大なお金を生み出すこともできるし、通貨量を絞り新しいお金を作らないようにすることもできる。生み出されたお金はさまざまな形態でさまざまなルートを通り、金融システムに流されるのである。例えば公開市場操作、銀行の預金準備率の変更、金利の操作を通じて、連銀は「お金を創造」している。
金本位制の下では、銀行は一般の企業と同じように自らのリスクを背負って商売をしなくてはならない。銀行はある程度まで自分の信用を拡大して、リスクの高い融資案件に貸出をすることはできた。だが、その投資先の経営破綻の際に、その損失を社会全体に押しつけることはできなかった。銀行は金融なるものの重圧に従って、貸出や契約を行わなければならなかった。 自らリスクを引き受けなければならないのであれば、意思決定はどうしても慎重になる。それが貸出に節度を与え、堅実なビジネス文化を生むのである。
・「利益は自分たちの懐に入れ、損失は社会(世の中)に押しつける」。これこそが大手銀行の望んでいることだ。銀行は好景気のときにはローンを山ほど貸し付けて利益を出す。だが景気が冷え込むと、銀行は自分が抱えてしまう損失を第三者に押しつける。銀行が臨むように通貨量を膨張させておいて、生まれた損失を補填してもらうのである。こんなことが許されるのは銀行業界だけである。こんな都合のいい商売ができるならだれでもやりたいと思うだろう。普通の企業は自由市場でビジネスをしており、自由市場ではそのような狡猾な行為はとうてい許されない。
・現在の連銀議長バーナンキだけに言えることではないが、今までさんざん連銀はその権力を乱用してきたのだ。議会は今もほとんど理解していないが、現在の連銀は驚くべき権力を有している。だれにも監督、監査、統制されていないのである。その上、連銀は連邦準備法によってしっかりと保護されている。そのために連銀議長は、連邦公開市場委員会や海外の中央銀行との協定についての議会での質問に回答する義務がない。連銀が何兆ドルというお金を金融市場に注入しても、そこでどこのだれが利益を上げたのかを連銀は報告する義務がないのである。
・ワシントンの政財界の連中が読むべき本をひとつだけ挙げるとすれば、それはロスバードの『アメリカの大恐慌』である。ロスバードはこの本で、1920年代後半のバブルが連銀によって作られ、バブル崩壊後にフーバーが経済介入したため大恐慌を長引かせたと論証した。
中央銀行ができたために総力戦が戦われるようになったのは偶然の一致ではない。お金を刷りたいだけ刷れる印刷機を持たないで戦争をすると、政府は自国の限られた税収の範囲内で戦争をしなければならない。そのため戦争を起こさないよう、外交的な努力をしなければならなくなる。戦争が始まってしまっても、できるだけ早く収拾させようという誘因となる。 19世紀の終わりのヨーロッパ諸国では戦費の財政的な歯止めがなくなった。それは各国に中央銀行が設立され、政府は必要なだけお金を刷れるようになったからだ。
お金の製造機が政治家にいつでも資金を用意してくれるから、政府は危機に対して場当たり的な対応しかしなくなったのだ。このような散財を続けるとアメリカ人はもっと高額の税金を納めなくてはならないはずだ。だがアメリカ人は高い税金を許さない。増税を偽るために政府は通貨を膨張させるのだ。そして政府の支出を世の中全体に払わせているのである。
・連銀こそが大恐慌の原因であったという意見に、すべてのオーストリア学派の経済学者は賛同している。
・市場が決めた金利よりも連銀が金利をさらに低く引き下げた場合、何が起きるだろうか。人為的な低金利は、投資を持続可能なペースを超えて拡大させる。低金利というのは本来、消費者が充分な貯蓄をしているという合図なのである。だから低金利になれば、それを当てにして事業への投資が始まる。しかし連銀が人為的に金利を引き下げた場合、そこに充分な富はない。だから新しい事業を成功させ投資を回収するに見合う分の、新しい富は最初から無いのである。連銀が金利を引き下げたからといって、新たな資本は生まれないのである。単に借り手がリスクを判断する市場の合図を歪めているだけなのだ。
市場が決める金利こそは、経済が円滑に回るために必要不可欠な情報なのである。中央銀行が決めた金利は統制そのものであり、中央計画経済の一形態である。中央銀行、政治家、官僚たちに、どれくらいが適切な金利であるのかなど分かりようがない。そのことを無視して、自分たちの権益拡大のために人々を惑わしているだけだ。
・本当は、ゴールドマン・サックスやAIGが破綻したところで、一般国民にはたいして悪影響は及ばないのである。リーマン・ブラザーズが破綻処理されたのと同じにすべきだった。もちろん痛みは伴う。だがそれは短期的な痛みだ。
・憲法は明確に政府による紙幣の発行を禁止している。「金と銀だけが法定通貨である」としている。(中略)憲法第一条十節は「どの州も金や銀以外での国債の支払いを認めてはいけない」、このように単純明快だ。政府紙幣は憲法違反なのである。
・憲法は中央銀行については言及していない。では、この問題をどのように考えたらいいのだろうか。それは憲法修正十条をみれば答えは明らかだ。「憲法で連邦政府に与えられていない権力」を、連邦政府はもたない。
・自分の頭で考えてみてほしい。お金の価値をめいっぱい高く見積もる(弾力的に運用する)という発想は、お金が必要ならもう少し印刷すればいいと言っているのと同じである。
19世紀のアメリカの銀行業が酷かったという言い伝えは大半が作り話である。何世紀にもわたる銀行の問題はむしろ政府によって作られたものだ。繰り返し起きた政府の支払い停止、戦争によるインフレ、金と銀の交換比率を政府が固定した複本位制、国債の大量発行などである。これらは政府の問題であって、自由市場の問題ではない。むしろ自由市場での銀行業はうまく機能していたのである。ミネアポリス連銀から発表された研究がこのことを証明している。
・実に興味深いことだが、連銀を廃止しても、私たちが現在知っている金融制度が終わるわけではない。
・一般の家庭と同じで、経済的に困難なときは何でもすべて好きなことをやるわけにはいかないと、議員は気づくことになる。議会は選択を迫られる。歳入が充分でなければ、予算を削減しなくてはならなくなる。現実社会と同じように、この家計の法則が議会の野心を制御するようになる。

今だからこそ大前氏の政治思想を確認する「訣別」

大前氏の政治上の主張をまとめた作品。2011年末出版。

毎回大前氏の著作を読んで思うのは、すごく筋の通ったまともな主張だと思うのだけど、なかなか受け入れらないもどかしさ。ほんと政治は難しいのだなぁと実感させられます。橋下氏が大前氏と比較的近い政治思想のようなので密かに期待してます。

もちろんすべての意見に賛同するわけではないのですが、実現していく過程で間違っていたら直していけばよいので。少しでも前に進んで欲しいと思います。

以下は特に印象的なところ

21世紀に入ってからはロシアのプーチン政権による所得税のフラット化が絶大な効果を上げている。12%、20%、30%の累進性だった所得税を2001年にオール13%のフラットタックスにした途端、所得税収が25%以上増えて、以後もしばらくは税収の大幅増が続いた。所得の87%が手元に残ることになり、所得を隠す者がいなくなって巨大な地下経済が表に出てきたのである。

日本では地下経済がどのくらいあるのか分からないのでなんとも言えませんが、もし税収増が期待できるのであれば、ぜひ実現して欲しい。国としての競争力も大幅にあがるだろうし。

(ロシア)ある日突然、ジェフリー・サックスのリコメンデーション(推薦)で国営企業が株式会社になった。株式は従業員にも配られたが、生まれてからずっと「資本主義は悪いことだ」「株式は悪だ」と教え込まれてきたから、急に資本家にされても顔を見合わせて株の扱いに戸惑うばかり。そんな人たちに「その株式、買ってあげましょう」と声をかけてきたのが、後に株式会社の会長になる男だった。

なぜ現代でいきなり大富豪が生まれうるのか不思議だったのですが、これには納得がいきました。

<抜粋>
政権と首相のたらい回しをやめさせるにはどうするべきか。 私は「一回の選挙から選ぶことのできる首相は二人まで」というルールを作るべきだと考える。一国の首相になるということは非常に重いことだ。健康問題など、何らかの理由で交代せざるを得ない場合もあるから、一回だけは首相交代を認めるが、二回目以降は認めない。二回目の内閣が倒れたら解散総選挙を行って、新しい政権に移行する。
・日本では大臣や実力派の政治家には「◯◯番」と呼ばれる、ぶら下がりの記者がつく、日本の新聞やテレビの政治部記者というのは政策を国民目線で評価するような能力がないから、とにかく担当の政治家にぶら下がって情報を拾おうとする。 政治家とぶら下がりの記者、両社の間にはぶら下がった政治家が出世をすれば記者も出世するという関係性が生じる。ゆえに新大臣が誕生すれば、善人っ者との違いをアピールしたい新大臣と前任者を否定して新大臣を持ち上げる記者という構造になりがちだ。
・日本人にもう一つ特徴的なのは、子どもの教育にお金をかけすぎることだ。(中略)百歩譲って「投資ではなく、子どもの将来のため」だとしても、今の日本の教育を受けさせれば受けさせるほど、これからの時代にも、世界的にも通用しない人材に育つだけだ。 むしろ子どもにかける教育費の半分でもいいから、自分や配偶者に投資すべきだと私は考える。そうすることで世帯としての「稼ぐ力」が上がれば、結果的によりよい教育を子どもに授けることができるようになるからだ。
・自分の稼ぐ力をアップする。そのために計画的に行動している日本人というのは非常に少ない。日本ぐらい自分に投資することに無関心な国はないが、自分の配偶者に投資するという発想はさらに乏しい。
・国土交通省が発表した2008年度の国内線利用実績によると、全国98空港で需要予測に対して実績値が100%を上回ったのは(中略)8港しかない。実績が比較可能な空港の九割が需要予測を下回り、三割以上の空港が予測値の半分にも達してなかった。
・デンマークなどでは、嫡出子だろうが非嫡出子だろうが、病院で生まれ落ちた瞬間にデンマーク国籍とID(識別番号)が与えられる。生まれた瞬間に親とは関係なく個人が国家と契約を結び、個人としての権利義務が発生し、一国民として尊重されるのである。出生届の父親の名前を記入する必要はない。それくらいやらなければ子どもは増えないのである。
・(ロシア)ある日突然、ジェフリー・サックスのリコメンデーション(推薦)で国営企業が株式会社になった。株式は従業員にも配られたが、生まれてからずっと「資本主義は悪いことだ」「株式は悪だ」と教え込まれてきたから、急に資本家にされても顔を見合わせて株の扱いに戸惑うばかり。そんな人たちに「その株式、買ってあげましょう」と声をかけてきたのが、後に株式会社の会長になる男だった。
・(中国)共産党一党独裁という政治体制については教義的にもまったく妥協していないし、地方政治の人事権も中央は手放していない。ただし、経済運営に関しては、1998年に首相に就任した朱鎔基の改革で地方に権限が大幅に移譲された。朱鎔基は「8%以上の経済成長をすること」「暴動など社会不安を起こさないこと」「腐敗しないこと」という「三つの約束」を果たす限り、経済運営に関する全権限を市長に移譲する、としたのだ。
・「答えがある」ことが前提の日本の教育では「答えがない」時代には対応できない。だから世界から後れを取っている。政治家も識者も教師もそういう現状認識ができていないから、「教育再生」などという懐古主義的なコンセプトにすがりつくのである。
・新卒の就職率が低下しているのは不況だけが理由ではない。日本にとどまっていては未来がないと、日本の企業が見切りをつけたからだ。世界、特に新興経済国に打って出ない限り、企業は生き残れない。そこで勝負すると決めたからには、新興国で通用する人材を求めるのは当然である。
究極的には大選挙区制にして、各道州から十数人の国会議員を選出する。天下国家を論じることに専念する国会議員は100人もいれば十分。国民DBの項目でも触れたように、道州から選出した国会議員で運営する下院と直接投票で民意を問う上院の二院制に移行すべきだろう。コミュニティーレベルの議員は首長以外は無報酬で、平素は仕事を持っている人々がその任にあたる。このようにすれば、行政コストも議会運営費用も大幅に下がる。
・21世紀に入ってからはロシアのプーチン政権による所得税のフラット化が絶大な効果を上げている。12%、20%、30%の累進性だった所得税を2001年にオール13%のフラットタックスにした途端、所得税収が25%以上増えて、以後もしばらくは税収の大幅増が続いた。所得の87%が手元に残ることになり、所得を隠す者がいなくなって巨大な地下経済が表に出てきたのである。
2008年に「今後きちんと納税するなら、過去の脱税は罪に問わない」という刀狩り政策を打ち出して税収を倍増させたインドネシアのような例もある。そのあたりの「納税心理」というものを日本の政治家や経済学者、税制調査会のメンバーはもっと勉強するべきだ。

これからの生き方について考えさせる「ワーク・シフト」

ロンドン・ビジネススクール教授リンダ・グラットンが、これから世界がどのように変わっていくか、それに対してどのように考え方や行動を変えていくべきなのか、を鋭く考察しています。

本書が特に素晴らしいのは、お金だけではなく自分が本当に大好きなことが何かを内省した上で選択していくべきというというところだけでなく、それに対しての不安や代償や結果も受け入れるべきだ、と主張しているところです。

あなたがバランスの取れた生活を重んじ、やりがいのある仕事を重んじ、専門技能を段階的に高めていくことを重んじるのであれば、それを可能にするための<シフト>を実践し、自分の働き方の未来に責任をもたなくてはならない。 そのためには、不安の感情に対する考え方を変える必要がある。自分が直面しているジレンマを否定するのではなく、強靭な精神をはぐくんで、ジレンマが生み出す不安の感情を受け入れなくてはならない。自分の選択に不安を感じるのは、健全なことだ。深く内省し、自分の感情にフタをしない人にとって、それはごく自然な心理状態なのだ。不安から逃れたり、不安を無視したりする必要はない。 そのジレンマのなかにこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている。

結局のところ会社や社会が自分の代わりに選択してくれる世界は終わりを迎えてしまったので、それぞれが意識的にやりたいことを追求していくしかない。それはすごく厳しいことなのだけど、だからこそ自ら選び行動し、得られた人生の満足感はこれまでになかったほど高いものになる、というわけです。

それを円滑にするためのアイデアが詰まっています。素晴らしい作品なのでぜひ多くのひとに読んでいただきたいです。

<抜粋>
現在、経済発展から取り残されている貧困層は、サハラ砂漠以南のアフリカなど一部の地域に集中しているが、グローバル化が進み、世界がますます一体化すれば、先進国も含めて世界中のあらゆる地域に貧困層が出現する。グローバルな市場で求められる高度な専門技能をもたず、そうかといって、高齢化が進む都市住民向けサービスのニーズにこたえる技能と意思もない人たちが、グローバルな下層階級になる。
・どれくらいの時間をつぎ込めば、技能を自分のものにできるのか。レヴィティンの研究によれば、おおむね、10000時間を費やせるかどうかが試金石だとわかった。一日に三時間割くとしても、10年はかかる。
・はっきり言えるのは、人々の健康と幸福感を大きく左右するのが所得の金額の絶対値ではなく、ほかの人との所得の格差だという点だ。
・人々がせめて一日一時間テレビを見る時間を減らせば、メディア専門家のクレイ・シャーキーが言う「思考の余剰」が世界全体で一日90億時間以上生み出される。(中略)100万人がテレビを一時間見ても、一人ひとりの活動は分断されたままだが、インターネットでコミュニケーションを取り合いながらその時間を過ごせば集積効果が生まれる。
「自分」に関する本が読まれるようになたのは、比較的最近の現象だ。昔の人は、いまほど自己分析をしなかった。(中略)私の二人の祖母は、ビートン婦人の『家政術』はともかく、自己啓発書はもっていなかった。自分について内省することをあまりしない世代だったのである。私は自分について内省する世代の一人だ。Y世代やZ世代は、そういう傾向がいっそう強まるだろう。
・ただし、自分に合ったオーダーメードのキャリアを実践するためには、主体的に選択を重ね、その選択の結果を受け入れる覚悟が必要だ。ときには、ある選択をすれば、必然的になんらかの代償を受け入れなければならない場合もあるだろう。これまでの企業と社員の関係には、親子の関係のような安心感があった。私たちは、自分の職業生活に関する重要な決定を会社任せにしておけばよかった。それに対して、新たに生まれつつあるのは、大人と大人の関係だ。このほうが健全だし、仕事にやりがいを感じやすいが、私たちはこれまでより熟慮して、強い決意と情熱をもって自分の働き方を選択しなくてはならなくなる。そのために必要なのは、どのような人生を送りたいかを深く考え決断する能力だ。
・連続スペシャリストへの道(中略)1 まず、ある技能がほかの技能より高い価値をもつのはどういう場合なのかをよく考える。未来を予測するうえで、この点はきわめて重要なカギを握る。 2 次に、未来の世界で具体的にどういう技能が価値をもつかという予測を立てる。未来を正確に言い当てることは不可能だが、働き方の未来を形づくる五つの要因に関する知識をもとに、根拠のある推測はできるはずだ。 3 未来に価値をもちそうな技能を念頭に置きつつ、自分の好きなことを職業に選ぶ。 4 その分野で専門技能に徹底的に磨きをかける 5 ある分野に習熟した後も、移行と脱皮を繰り返してほかの分野に転進する覚悟をもち続ける。
未来の世界では、知識と創造性とイノベーションに土台を置く仕事に就く人が多くなる。そういう職種で成功できるかどうかは、仕事が好きかどうかによって決まる面が大きい。自分の仕事が嫌いだったり、あまり意義がないと感じていたりすれば、生後とで創造性を発揮できない可能性が高い。仕事を単調で退屈だと感じている人は、質の高いケアやコーチの仕事などできないだろう。日々の仕事はさしあたり無難にこなせるかもしれないが、大好きなことに取り組むときのようなエネルギーはつぎ込めないはずだ。
これまで企業は、合理性と一貫性を確保するために「管理」の要素を重んじてきた。遊びと喜びの要素が完全に排除されていたとまでは言わないが、これらはあくまでも脇役でしかなかった。しかし未来の世界では、単なる模倣にとどまらない高度な専門技能を身につけたければ、遊びと創造性がこれまで以上に重要になる。
・未来の世界で個人ブランドを築くためには、「私って、こんなにすごいんです!」と大声で叫んで歩くだけでは十分でない。(中略)業績や能力を誇大宣伝したり、虚偽宣伝をしたりする人もいるだろう。そこで、魅力的な個人ブランドを築いて大勢の人たちとの差別化を図り、その個人ブランドに信憑性をもたせることが欠かせない。職人にせよ、プログラマーや物理学者にせよ、まずは質の高い仕事をし、そのうえで自分の資質を世界に向けてアピールする必要があるのである。
・アメリカの複雑系研究者スコット・ペイジが売り上げ予測の精度を比較したところ、個人の予測より、不特定多数の人たちの予測のほうが概して正確だった。個人がきわめて高度な知識の持ち主の場合も結果は同様で、集団のメンバーが多様なほど、予測の精度が高かった。こうした傾向は、予測の対象が複雑な現象の場合にことのほか顕著だった。
・意識的に普段と違う場に身を置いたり、自分と違うタイプのグループに適応して仲間に加えてもらったりすることは、ビッグアイデア・クラウドを築くうえで重要な戦略だ。しかし、そうした「プッシュ」の戦略に加えて、「プル」の戦略も実践できたほうがいい。自分の魅力を高めて、ほかの人たちがあなたのグループに自分を適応させたり、あなたと偶然出くわすことを期待したりするよう促すことも目指すべきだ。
・活力の源となる友人関係を築き、維持するためには、時間的余裕が欠かせない。時間に追われ、他人の要求に対応することに忙殺されると、深い友情のためにつぎ込むエネルギーと意欲がすり減ってしまう。
・業績をあげた人物に高給で報いることができない組織は、代わりにどのような「報酬」を提供できるのでしょうか? 私の場合、リーダーシップを振るい、責任を与えられ、意思決定をくだす経験がとても大きな報酬になっています。そのおかげで、仕事を通じて幸せを感じられています。このような機会が得られるとわかっていれば、物質的な要素はもっと早く捨てていたのに。
話を聞くうちにわかったのは、子どもを持たない人生を意識的に選択した女性がごく少数にすぎないということだ。現在の生き方を選択した時点では、自分がどういう選択をしようとしているのかを正しく理解していないケースが多かったのだ。その選択をすることにより、どういう結果が待っていて、なにをあきらめなくてはならないのかを正確に計算できていなかったのだ。 私たちは人生における仕事の位置づけを選択するとき、こういう落とし穴に陥りやすい。選択の結果が現実になるまでに時間がかかったり、結果が予期しないものだったりするケースが多いからだ。
・どうして、お金が増えても幸福感が高まらないのか。(中略)ここで注目すべきことがある。お金と消費には限界効用逓減の法則が当てはまるが、それ以外の経験にはこの法則が当てはまらないという点である。たとえば、高度な専門技能を磨けば磨くほど、あるいは友達の輪を広げれば広げるほど、私たちが新たに得る効用が減る、などということはない。むしろ、私たちが手にする効用は増える。所得が増えるほど所得増の喜びは薄まるが、技能や友達は増えれば増えるほど新たな喜びが増す。
・「親代わりに子どもの相手をしているテレビという機会は、さまざまな品物をカネで買うことが人生そのものであるかのように描く。私たちは、子どもをポルノに触れさせないように細心の注意を払う半面で、きわめて不用意に、物質主義の魅力を生々しく教え込むメディアに子どもたちをさらしている」
・しまいには、「私はお金が好きに違いない。なぜなら、お金を稼ぐために、こんなに頑張って働いているのだから」と考えはじめる。
・コーステンバウムらに言わせれば、選択にともなう不安を避ける必要はない。そういう感情を味わう経験こそが私たちの職業生活に意味や個性、現実感を与える。選択から逃げ、不安や罪悪感と向き合うことを避け、選択につきもののジレンマについて考えることを拒めば、職業生活の豊かさのかなりの部分を手放すことになる。仕事に関する古い約束事のもとでは、誰かが代わりに選択してくれたが、未来の新しい約束事のもとでは、自分自身で選択する意思をもたなくてはならない。
・あなたがバランスの取れた生活を重んじ、やりがいのある仕事を重んじ、専門技能を段階的に高めていくことを重んじるのであれば、それを可能にするための<シフト>を実践し、自分の働き方の未来に責任をもたなくてはならない。 そのためには、不安の感情に対する考え方を変える必要がある。自分が直面しているジレンマを否定するのではなく、強靭な精神をはぐくんで、ジレンマが生み出す不安の感情を受け入れなくてはならない。自分の選択に不安を感じるのは、健全なことだ。深く内省し、自分の感情にフタをしない人にとって、それはごく自然な心理状態なのだ。不安から逃れたり、不安を無視したりする必要はない。 そのジレンマのなかにこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている。
議論は哲学的な領域に入っていく。未来の世界で、私たちは自分にとって大切な価値や自己像を追求できる可能性と、そのための選択と行動をおこなう自由を手にする。そういう時代には、社会や組織からどのような制約を課されているかを認識し、その制約にどう向き合うかを決めるのが自分自身なのだと理解し、同時に、自分の選択と行動がもたらす結果からは逃れられないのだと覚悟する必要がある。

生粋のリバタリアン、ロン・ポールを知る「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」

著者のロン・ポールは、アメリカの下院議員であり、生粋のリバタリアンです。共和党として大統領選挙にも出馬していますが、主流派からはまったく支持を得られず破れています。しかし、近年その主張には徐々に注目を集めており、特に若者を中心に支持を集め始めているそうです。

僕自身、リバタリアンだと言いながら、ロン・ポールについてはよく知らなかったのですが、本書を読むとその一貫性のある主張は非常に魅力的でおもしろかったですし、非常に勉強になりました。

本書では、税金から医療制度、麻薬禁止、海外援助、経済政策と連銀、外交と戦争、徴兵まで、様々な論点について論じてありますが、多くは納得できるものでした。連銀は廃止せよ、というのはものすごく革新的なアイデアのように思えますが、この点については別に著作があるようなので、そちらを読んでみたいと思います。

個人的に、長期に渡り一貫して、リバタリアン的主張を押し通してきた政治家がいたことに衝撃を受けました。もっとこの辺りは深堀りしていきたいなと思います。

※本書は副島隆彦氏が監修しており扇動的な序文がついていますが個人的にはこの辺りは態度保留したいと思います

<抜粋>
・政府は誰かから税金でお金を集めて来なければ、誰かのために一セントも使うことは出来ない。そして政府が集めてくるお金は、人々が一生懸命に働き蓄えてきたものだ。税金とは国家による泥棒なのである。
・市場を背景にした企業家は、市民に自社製品を自由に選んで買ってもらうことで利益を得る。ところが政治を背景にした企業家は、政府から独占を与えられたり、政府が競争相手を抑制することで利益を得る。
・つまり、所得税を導入できれば、関税を下げることができ、消費者への負担が軽くなると。「所得税は、あなたにとっては減税。金持ちたちには増税」と喧伝された。所得税の対象は、金持ちの中でも大富豪級の金持ちであるから心配は要らないと、説明されたのだ。 しかし、この約束は長続きせず、二、三年のうちに所得税は大増税された。そして、自分は金持ちではないので所得税を払う必要はないと考えていた庶民も、結局、所得税を払うはめになった。
・私たちは、不法移民に無料の医療診療や、行政サービスを行い、後にアメリカ国民になれる特典を認めている。だから、ますます多くの不法移民がアメリカに密入国してくる。そうしている間に、州政府や地方自治体が医療費を払いきれなくなり、何と病院が閉鎖されるという事態まで起きている。本末転倒だ。
・高齢者向けの医療保険制度や低所得者向け医療費補助制度が、まだ存在しなかった時代を例に考えてみよう。その次代の高齢者や低所得者は、今とほとんど変わらない負担で、実は病院で治療を受けられた。しかも、現在より質の高い治療を受けていたのである。 私は医師として一度も、高齢者向けの医療保険や低所得者向け医療費補助の政府からのお金を受け取ったことはない。その代わりに、治療代を払えない患者には費用を割り引いたり、無料で治療してきた。政府による医療制度ができる前は、すべての医者が、自分たちが経済的に恵まれない人々に対して責任を持っているということをちゃんと理解していた。そして低所得者に無料の医療行為をすることは、当たり前のことであった。今ではこのことを理解している医師は残念ながら、ほとんどいない。
・国民から税金という名目で財産を強制的に没収し、海外の政府に再配分するなど、私にはとても道義的に正当化できない。そして援助金というものは、援助先の国民を貧困な目に遭わせている無責任な指導者の懐に入るのが一般的である。海外援助は、いわばアメリカ人を他国の政権のために強制労働させることであり、私はもちろん賛同できない。しかし政府による海外援助は、このことと同じ意味なのである。
・過去五十年にわたる数々の経済的支援の成功は、海外援助によるものではなく、自由市場の大いなる働きによって生まれてきた。自由市場こそが、人間の健康や幸福の源なのだ。
・(注:大麻の)この禁止令は、少しも科学的でも医学的でもなかった。単にメキシコ人への悪意、連邦麻薬局の権益拡大の意識、低俗で先導的な報道による間違った情報やプロパガンダによって生み出されたものである。連邦議会でのこの重要な問題についての公聴会は、たったの二時間であった。大麻を禁止すべき理由として証拠もなく挙げられた健康被害は、ほとんど扱われなかった。
・その報告書には「すべてのアメリカの幼稚園児以上の子供に、精神疾患の検査を義務づけるべきだ」と提案されていた。(中略)この政策を導入することで誰が利益を得るだろうか。もちろんそれは製薬会社である。このような検査を全米で行えば、何百万人という子供が、新たに向精神薬が必要だと診断されるのは間違いない。
・インフレを明らかにする上で、もっと優れた方法がある。経済学者のミーゼスは、「インフレになると政府は、常に国民に物価に注目するように仕向ける」と書き残している。物価の上昇はインフレの結果であって、インフレ自体ではない。インフレとは通貨供給量の増加のことだ。もし私たちがこのことを理解すれば、インフレをどのように解決すればよいか、即座に解るだろう。単純なことだが、連銀に通貨供給量を増やさないように要求すればよいだけである。私たちは物価ばかりに注目することで、問題の本質を見誤ってしまう。そして賃金や物価の統制のような政府のインチキなインフレ解決策に賛同するようになってしまうのである。
・連銀が人為的に市場に介入して金利を下げた場合は、構造的に投資家を間違った方法に導くことになり、持続性のない好景気を誘発する。フリードリッヒ・ハイエクが1974年にノーベル経済学賞を受賞したのは、実はこのことを学問的に明らかにしたからだ。ハイエクの研究は「中央銀行が金利を操作すると経済全体に混乱を引き起こし、結果的に不況をもたらす」というものであった。
・しかし、いくら国民が自由市場を素晴らしいと思っていても、同時に私たちは経済の根幹である通貨制度を中央銀行に決めさせている。国民は、アラン・グリーンスパンやベン・バーナンキといった連銀総裁だけが、適切な金利や通貨の供給量を知り得るのだという馬鹿げた考え方を、きっぱりと捨て去らなくてはならない。適切な金利や通貨供給量は、市場だけが決定できるのである。
・(注:ショワー)「オサマ・ビン・ラディンがイスラム社会で支持を集め、人々の連帯感を保てる理由はたった一つである。それはイスラム社会に、アメリカの外交方針に対する共通の憎しみが存在しているからである。全イスラム世界が、アメリカの外交方針を嫌っているということでは、意見が一致する。我々がアメリカの国益のために外交方針を転換すれば、イスラム社会の人々の関心は、自分たちが抱えている自国の問題に移っていくことになる」
・(注:モーリー)言い方を換えれば、帝国建設の問題は基本的に曖昧なものなのである。自分の国が偉大だから自分も偉大であるという考えを、人々に植えつけ育てなければならないのである。(中略)個人としての名声や器量を持たない人々は、喜々としてこのような馬鹿げた話に飛びつくのである。それは本人が努力をしないで、自分に対する自信を与えてくれるからである。
・海外援助を受けた国は、援助金でアメリカ製品を買うことを求められる。つまりこれは、間接的なアメリカ企業への福祉なのである。このような政策は、私には絶対に受け入れられない。
・イスラエルのハージリア国際関係研究所によれば、イラクにアメリカと闘うためにやって来た海外の戦闘員たちは、その多くがこれまで一度もテロ活動に参加したことがなかった。しかし、アメリカが、イスラム教で二番目に聖なる場所とされているイラクに軍事侵攻したため、居ても立ってもいられず急進的になったという研究を発表している。
・(続き)つまりテロリストは、アメリカに対抗する正義の味方に自分を変えたのである。必要もなく正当性もないイラク侵攻によって、一般人が自ら望んでテロリストになる状況を、アメリカ政府は与えてしまったのである。
・(注:ウェブスター)私は、この忌まわしい徴兵制度がまったく我が国の憲法の土台に乗っていないと、今日こうしてわざわざ引用や資料を使ってまで説明しなければならないことを恥じるべきだと考えます。我々の憲法は自由な政府を基本に書かれているのです。ですから徴兵制のような権限は、どうしようと個人の自由の概念と両立するものではないのです。難しい説明をしなくても、この簡単な原則を知るだけで十分であります。憲法の条項の上に、この徴兵のような主張を押しつけることは、自由な政府の中身から奴隷制を抽出するような、道理に反した、巧妙ないかさまであります。

ソーシャルファイナンスについて俯瞰する「ソーシャルファイナンス革命」

グラミン銀行のマイクロファイナンスからクラウドファンディング、P2Pファイナンスなどのソーシャルファイナンスの歴史と現状についてまとめてあり、非常に勉強になりました。

実は昔からマイクロファイナンス的なものはあったことや、なぜいまソーシャルファイナンスが勃興しているのかを、多面的に解説してあります。また、いい面だけではなく、マイクロファイナンスの厳しい取り立てによる自殺者の問題や貧困削減効果への疑念など負の側面にも触れられていて好感がもてました。

個人的にはそれでもすごく可能性があるし、解決可能な問題だと思うので、この分野における今後の発展に期待したいなと思いました。

硬いテーマながら豊富な事例もあり、読みやすいですし、ソーシャルファイナンスについて俯瞰するには最適な一冊だと思います。

<抜粋>
・私はお金を受け取る大学生たちと次のことを約束した。
 ・私の目の前で親と親しい友人数名に事情を説明すること
 ・うまくいかなかった場合には、親と友人にその事実を伝えること
 ・一週間に一度の状況説明をすること。報告メールは、仕事の状況、生活の状況などについての、200字程度の短いものでよい。もし報告メールが遅れたりしたら約束は帳消しとする。こういった報告をする代わり、利子や配当は一切いらない。
 ・少ない金額であっても毎月返すこと
 そして、お金は返ってきた。お金が返ってきたのは、私にとっては初めてのことだった。それと同時に、お金を借りた彼らと私との関係はより良いものに変わった。
・日本には「講」や「無尽」といった金融の仕組みが江戸時代から存在していた。二宮尊徳も、農村に住む人々の経済生活の向上のために、「五常講」という名のコミュニティファイナンスを行なっていた。韓国にも「契」という仕組みが同様に存在していた。マイクロファイナンスの仕組みは、別に現代のイノベーションではなくて、経済の一定の段階で生まれてくる仕組みなのだ。
・近年において、金融のイノベーションには数多くの批判が寄せられている。アメリカ連邦準備理事会の議長を務め、世界経済における賢人として尊敬を集めるポール・ボルカーは、「銀行業において、有用なイノベーションはATMの発案しかなかった」と説いている。
・借り手ミーティングのイメージは、借り手たちが集まって行われる自治会のようなものだ。この、一見すると何の変哲もない借り手ミーティングに、現代におけるマイクロファイナンスのオペレーションの鍵がある。
・(注:二宮尊徳の)五条講の開始当初(1818年)に300両だった報徳金は、彼が日光復興に着手した時(1853年)には1万両になっていたという。ここから計算すると(インフレ率を無視)、報徳金は年率12%で増加していたと考えられる。このファイナンスの仕組みにかかる諸経費は報徳金から差し引かれていたであろうこと、貸し倒れが一定程度存在したであろうことを考えると、実質金利は年率30%程度だったのではないかと思われる。
・貧困削減をミッションとして掲げるMFIが上場することに対して批判する人も多い。批判者の一人が、グラミン銀行の総裁であるムハマド・ユヌス氏だ。彼は、このIPOにショックを受けたといい、MFIは「貧しい人々を高利貸しから守るためのものであり、新しい高利貸しをつくるためではない」とコンパルタモスを批判した。
・SKSのCEOのアクラ氏は、SKSと債務者の自殺の因果関係を否定していた。(中略)しかし、その後のアソシエイテッド・プレスのレポートで、SKSは過酷な取り立ての実態を認識していたことが暴露された。ある自殺者は、ローンを免除されたければ池に入って自殺しろと言われていたという。
・一方で忘れてはならないのは、SKSらが借り手に要求していた金利水準や、延滞者に対する取り立ては既存の「町の金貸し」よりは顧客の側に立ったものであり、SKSのビジネス拡大により恩恵を受けた人々は少なくないという点だ。マイクロファイナンスが浸透する以前には、多重債務に基づいた自殺者はさらに多かったとされている。
・Financial Access Initiativeの2009年10月のレポートによると、25億人の成人が金融サービスへのアクセスを持たず、お金を借りたり預けたりすることができていないという。世界の成人のうち、半分の人が金融サービスを利用できていないことになる。
・実際にはマイクロファイナンスの貧困削減効果は思ったより平凡であると説く人々がいる。MITのアビジット・バナジーとエスター・デュフロ教授らは、マイクロファイナンスの貧困削減効果を学問的に誠実な方法で測定したが、その効果は周囲の人々が考えているほど劇的なものでもなく、またマイクロファイナンス機関ごとに異なるという。
・少なくとも、マイクロファイナンスを通じてお金を借りることができると、消費は平準化される、すなたち人々の日々の消費が安定して大きくブレなくなる効果があることがいくつかの研究で示されている。
・P2Pファイナンスの成長は著しい。2007年から2011年の間に全世界の銀行株価が10%下落している一方で、アメリカやイギリスを中心としたP2Pファイナンスの市場規模は今後も年率66%で成長し、2013年までにはその規模が50億ドルに達するといわれている。
・キバからMFIに対して行われる融資は無利子だ。というのも、キバのサービスを成立させているのは、現地の様子が詳細に分かるレポートにあり、これを作成するMFIの負担はかなり大きいからだ。
・(注:林文夫教授が推薦状を書くに渡って)私の強い推薦状により入学した学生がカスだとわかれば、私の推薦状はそれ以降一切信用されません。そういうことになれば、私の推薦状によって正当な評価を受け、本人にふさわしい大学院に留学しようとする将来の学生に重大な不利益が生じます。
・金融機関が非対称なリスクを負っていることは問題視されており、その解決のために様々な報酬設計が考えられている。ある年の運用成績が悪ければ3年前に遡って報酬を返却する仕組みや、金融機関のCEOらのボーナスが長期的な報酬に連動する仕組みなどが、これまで以上に取り入れられている。

台湾自転車メーカーの劇的成功ストーリー「銀輪の巨人」

台湾にある世界的な高級自転車メーカー「ジャイアント」の劇的な発展を追ったドキュメンタリー。初めは平凡な自転車メーカーが、大手へのOEM提携により技術力をつけ、オリジナルブランドを立ち上げていく成功物語で、非常にドラマチックでおもしろいです。

一方で、一時期は世界を席巻した日本の自転車メーカーがママチャリ文化から抜けだせず衰退していく様も描かれていて、日本の電機メーカーなんかを連想させて少し悲しくなりました。

それでも、この物語からは、今後日本の製造業がどのように発展していくべきかへの指針が示されていると思います。ぜひその辺りの業界の方に読んでいただきたい作品です。

<抜粋>
・台湾の自転車輸出額はここ10年、一貫して右肩上がりを続けている。 輸出額は2002年の5億米ドルから、2011年には16億米ドルと3倍以上になった。輸出台数のほうは2002年と2010年との間はともに400〜500万台程度で、ほとんど変わっていない。 これは、自転車1台当たりの平均輸出単価が大きく跳ね上がったためで、2002年は124米ドルだったのが、2011年には380米ドルに達している。
・ジャイアント自身の業績の伸び方はもっと激しい。 1999年に319万台を売って総売上高は118億台湾ドルだったが、2011年には577万台を販売し、総売上高は474億台湾ドル(注:約1250億円)にふくれあがっている。営業利益からみた地域別の貢献度では、ヨーロッパが27%、北米が23%、中国や日本、台湾などのアジアが40%と世界すべての土地で売れており、特にロード車やマウンテンバイクなど中・高級車の自転車業界において、ジャイアントは紛れもなく世界トップの完成車メーカーとして君臨している。
・「うちの自転車はどの国に行っても、マスマーケット(量販店など)では買えません。マスマーケットはどうしても販売オンリー、販売優先になってしまう。アフターケア、アフターサービスをやってくださらない。しかし、自転車は乗ったら必ず修理が必要な乗り物であり、自転車産業にはアフターサービスがなくてはならない。だから、専門店以外ではジャイアントは買えないし、ジャイアントの自転車にはアフターサービスが必ずついてくる、という大前提を一度も崩しておりません」
・(注:ブリジストンサイクル社長が、1996年に語った)「現地メーカー品の中心価格が600元(1元=13円)なのに対し、当社の中国向け製品は800元程度で高い。東南アジアには中国製品が浸透しており、市場開拓は不可能に近い」 現地メーカーの作っている製品との価格差が10倍あるならともかく、800元に対して200元の差しかないのならば、品質が良いものを作って差別化していくことは可能ではないだろうか。その気概もなければ、長期的に中国という巨大人口を持っている潜勢的なマーケットを開拓していくという戦略もまた感じられないコメントである。

ギネスビールからビールの歴史を紐解く「ギネスの哲学」

ギネスビールがどのように発祥し、代々発展してきたかを中心にビール全体の歴史を紐解いた非常に奥深い作品です。

ギネス社は、おどろくべきことに1900年代初めから現在のGoogleなんかよりも手厚い福利厚生を提供しており、また公共に対しての責任を果たしてきました。

1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス

そして、代々に渡って有能な経営者を輩出することで、数々の革新を起こし、世界最大のビール会社にのしあがっていきます。成功物語として非常におもしろいです。

一方で、古代においてはビールは水よりも安全なことから宗教とも密接に関わりあいがあり生活に密着しており、エジプトのファラオの墓には必ずビール桶がおかれ、ピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際にはほとんど裸のインディアンが「ビールは無いか?」と英語で訊ねられた、というようなエピソードも描かれています。

本当に知らなかったことばかりで、非常におもしろかったです。おすすめ。

<抜粋>
・世界中で毎日消費されるギネスは1000万杯以上。年間約20億パイント
・1920年台のギネスの従業員が保証されていたもの。歯科を含む医療サービス、マッサージ、読書室、一部会社負担の食事、全額会社負担の年金、葬儀費用の補助、教育補助、スポーツ施設、無料のコンサート・講演・娯楽、それに1日2パイントまでの無料のギネス
・(ほとんど裸のインディアンがピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した際に)「ようこそ!」 きれいで、完璧な英語だった。さらに驚くべきことに、男は、またまたピルグリム・ファーザーズたち自身の言葉で流暢に訊ねた。 「ビールは無いか?」 そう、ビールである。 これは事実である。
・ピルグリム・ファーザーズが最初に建設した恒久的な建物が醸造所だったことは、その物語におけるビールの重要性を証明している。
・エジプト人から見れば健康と福祉にとってビールは不可欠であったから、紀元前3000年にはすでに『死者の書』の中で、死後の世界への旅の必需品としてビールがあげられている。エジプトのファラオの墓に必ずビールの桶を考古学者たちが発見するのは、このためだ。
・(注:ルター)「私は木曜日に結婚することになった。……カタリナと私は貴殿にトルガウ産最高のビールを一樽送ってくれるよう、お願いする。贈られたビールが旨くない場合には、貴殿に全部飲んでいただくことになろう」
・(注:建築家レンの墓の銘板)「これを読む人よ、かれの記念碑を求めるならば、周囲を見回されよ」
・ダブリンに進出した時、アーサーは34歳である。ドクター・プライスの秘書兼助手として八年間働いていた。継母の旅籠で三年間ビールを造っていた。さらにリーシュリップの自分の醸造所を五年近く経営している。
・しかしながら、前任者が夢にも思わなかった規模にまで会社を拡大するのに、エドワード・セシルがいかにその天才を発揮したとしても、こんにちまでその名が残っているのは、それが理由ではない。そうではなく、偉大な企業家のご多分に漏れず、エドワード・セシルが後世に残す遺産となったのは富を生みだしたことではなく、生みだした富による慈善事業なのだ。
・かの言いふるされたことが真実ならば、企業というものはそれが生み出す文化によって評価されなければならない。そう、文化だ。文化とは「成長を促進するもの」であり、「そこから触発されるふるまいと考え方」を意味する。
・19世紀の後期、ダブリンは不浄の街だった。病と悪徳にまみれた不潔な沼だった。ダブリンの伝染病の罹患率はヨーロッパ諸都市の中で最悪だっただけでなく、死亡率もまた最高だった。
・世界最大のチョコレート会社の創設者ジョン・カドベイリィは1801年イングランドのバーミンガムに生まれた。(中略)カドベイリィはアルコールこそが自分たちの世代にとって神の苔であると信じた。クェーカーであるカドベリィはアルコールの摂取は道徳に反すると主張していたが、泥酔が時代の疫病神であり、後には貧困と悪徳しか残さないことを見て、ますますこのことを確信した。(中略)ジンやウィスキーを飲むことであれほどたくさんの人間の一生がめちゃめちゃになっているのだから、「チョコレートを飲む」ことは代わりになるはずだとカドベリィは信じたのだ。
・禁酒法は後世、アメリカの歴史史上最も愚かしい製作の一つであり、これに続く何世代にもわたって道徳と法律をめぐる議論の的とされることになる。世間での支持も小さかった。1926年に行われたある投票ではアメリカ人のうち禁酒政策とその法的根拠となった憲法修正18条を支持する者はわずか19パーセントにすぎないことが明らかとなった。
・最初のきっかけは1951年、アイルランドのウェクスフォド州に狩猟に出かけた時だった。サー・ヒューはイングランドの猟鳥で一番速く飛ぶ鳥は何かをめぐって友人の一人と議論になった。胸黒か、はたまた雷鳥だろうか。ところがこの問題の答えを教えてくれる本はどこにも無かった。
・ビーヴァーははじめ、この本をアイルランドと連合王国のパブ向けのプロモーションに使うつもりだった。経費はビールの売上でまかなえるだろうから、タダで配る計画だったのだ。 本は『ギネス・ブック・オブ・レコード』と名付けられた。1954年に単なる宣材として発行されたこの本は、翌年、英国のベストセラーのトップに踊りでた。(中略)より重要なことは、この本によってギネスの名前が、その伝説的なビールの評判だけでは浸透しなかった国々や世代にまで知られるようになったことだろう。
・1986年、まだ50歳にもなっていなかったベンジャミンは会長職を辞し、社長のタイトルを受けることにした。かくてギネス社の歴史上初めて、会長職が一族以外の人間に任されることになった。(中略)1983年、ギネスの純資産は2億5000万ポンドだった。わずか四年後、この数字は四倍の10億ポンドを超えていた。ギネス社は世界最大の企業の一つとなり、会長職の責任の大きさは、それを天職と心得たわけではなく、単に家業として受け継いだだけの人間には重すぎるものになっていた。

「当事者」の時代/佐々木俊尚

佐々木俊尚氏が日本の言論社会の構造に鋭い論考で切り込んでいます。新書で文章も平易なのですが、かなり骨太でいろいろと考えさせられます。

普通の人が知らないマスメディアと政府や警察、市民団体などの構図の裏側や、それがなぜそうなっているのかが非常に明快に描かれています。そして最後に、高度経済成長の終焉やインターネットの登場により、今後どのように言論空間が形成されていくのか考察されています。

明確な結論はないのですが、確かに、すべてのひとが「当事者」になる世の中で、どのように「当事者」として生きるかはすごく難しい問題です。結局のところ自分が「当事者」としてできることをやっていくしかない、ということなのですが、そこにはやはり自分がこうあるべきという哲学や世界観を込めていくことが重要なのかなと思います。

それにはいろいろな反発もあるでしょうけれども、よいものは徐々に受け入れられていくはずですし、そうやって選択されたもので形成される世の中が未来のよりよい世界になるということだと思っています。

<抜粋>
・「公」である<記者会見共同体>では、警察と記者の関係は対立構造にあることになっている。なぜなら新聞社やテレビ局は、警察当局という権力をチェックする機関であるというのが、建前であり、そこにはズブズブのなれ合いなどいっさい存在せず、つねに緊張関係にあるというのが公的な建前になっているからである。だから記者会見では、建前に沿ったかたちで警察は追求され、厳しい質問も多く飛ぶ。
・警察や検察、政府、自治体などの「当局」に確認を取っていない記事は、そうたやすくは新聞には掲載できない。なぜなら「誤報だ」「捏造だ」「取材がひどい」といったクレームが当事者から飛んできたときに、新聞社だけで全責任を負わなければならないからだ。
・これは実に便利なレトリックである。(中略)実際に大衆がどう考え、どう投票行動しているのかというリアルとはまったく無縁に、自分たちの好む「大衆」を主張してしまえるからだ。「大衆はそんな風に思っていないのでは?」と反論されたら、こう答えればいい。 「彼らはまだ覚醒していないんだ!」 無敵である。
・知識人は知識をつけて知的レベルを上げていけばいくほどに、もといた大衆社会とのつながりをなくしてしまい、自分の拠って立つ基盤を失ってしまうということなのだ。かといって大衆と同じレベルにそのまま居つづければ、革命を起こしていくような知性を持つことができない。これは宿命的な矛盾だ、と吉本(注:隆明)は指摘したのだった。
・ただ「路面電車の廃止が決まる」というだけの記事ではあまりにも素っ気ないし、鉄道会社の言い分をそのまま報じているようにしか思われない。新聞社としてはそこでバランスを取るべく、しかもそれを手っ取り早い方法で行うために、「市民から異論の声が」と運動体の抗議活動を取り上げて、とりあえず紙面的には一件落着とさせるのである。
・新聞記者が市民運動を嫌うのは、先ほども書いたように、マイノリティでしかない市民運動をまるでマジョリティであるかのように描き、単純構図に記事を押し込めてしまっているというジレンマがあるからだ。そしてこのジレンマに内心辟易しているところに、市民運動家が対等な目線で、時には上から目線で記者を見下ろしてくる。 これは記者にとっては、不快以外の何ものでもない。
・「この戦争は、イスラム教徒にとっての聖戦です。アメリカの支配に負けるわけにはいきません」 私はこのコメントをそのまま原稿に起こして、デスクに渡した。デスクは原稿を読んで「うー」とひとことうなり、そうしてこう言ったのだった。 「こういうのじゃなくてさあ、バグダッドの子どもが可哀想だとかそういうイラク人の声はないの?」
・神社のような永続的な建物はもともと日本の神道には存在せず、まつりのたびに人々はその場に神に降りてきてもらい、そこでさまざまな儀式を行なっていたのだ。今のような立派な神社の建物は、後世のものだ。仏教を納める巨大な寺院を建立するようになったことが神道に影響を与え、立派な社を生み出す結果になったのではないかとも言われている。
・幻想としての弱者の視点に立ち、「今の政治はダメだ」「自民党の一党独裁を打破すべし」と総中流社会のアウトサイドから、自民党や官僚という権力のインナーサークルを撃つ。その<マイノリティ憑依>ジャーナリズムはアウトサイドの視点を持っているがゆえに、総中流社会の内側にいる読者にとっては格好のエンターテインメントになる。 しかしウラの実態では、マスメディアはフィード型の隠れた関係性によって、自民党や官僚や警察当局と濃密な共同体を構築している。
・このような二重構造。そしてこの砂上の楼閣のような二重構造は、高度経済成長という右肩上がりに伸びていく社会で富がふんだんに増えつづけていたからこそ、持続を許されていた。
・マルクス主義に取って代わるような「皆が幸せになれるかもしれない」という幻想を支える政治思想など、もはや存在しない。いま語られているさまざまな政治思想ーーリバタリアニズムやコミュニタリアニズム、リベラリズムなどーーはずっとリアルで身も蓋もなく、すべての人が幸せになれるというような幻想は提供していないのだ。
・私があなたに「当事者であれ」と求めることはできない。なぜならそれは傍観者としての要求であるからだ。 だから私にできることは、私自身が本書で論考してきたことを実践し、私自身が当事者であることを求めていくということしかない。
・これは堂々めぐりのパラドックスにも聞こえる。しかしこの壁を乗り越えていかない限り、その先の道は用意されない。しかしその壁を乗り越える人は限られているし、乗り越えない人や乗り越えられない人に対して、誰も手を差し伸べることはできない。 なぜなら、誰にも他者に対して道筋を用意することはできないからだ。自分自身で当事者としての道を切り開けるものにのみ、道は拓かれる。
・だから私が今ここで言えるのは、ごくシンプルなことだけである。 ーーそれでも闘いつづけるしかない。そこに当事者としての立ち位置を取り戻した者がきっと、つぎの時代をつくるのだ。これは負け戦必至だが、負け戦であっても闘うことにのみ意味がある。 これは誰にも勧めない。しかし、私はそう信じているし、そう信じるしかないと考えている。
・その年の春に東日本大震災が起き、問題意識は「なぜマスメディア言論が時代に追いつけないのか」ということから大きくシフトし、「なぜ日本人社会の言論がこのような状況になってしまっているのか」という方向へと展開した。だから本書で描かれていることはマスメディア論ではなく、マスメディアもネットメディアも、さらには共同体における世話話メディアなども含めて日本人全体がつくり出しているメディア空間についての論考である。

起業GAME/ジェフリー・バスギャング

起業家としての成功経験もあり、その後ベンチャー・キャピタリストに転身したジェフリー・バスギャングが、起業家と投資家について豊富な経験から、実話を中心に重要ポイントについて語られています。両方の経験のある方は少ないので非常に貴重です。

僕自身、起業家としてすごく身に包まされるものもあったし、いま趣味でやっているエンジェル投資についてもすごく参考になる部分もあり、さらにVCとの関係においては、自分が恵まれていたがゆえに知らずにいた行動原理がすごく勉強になりました。

本書はタイトルがいまいちなためか、(アマゾンにレビューもなく)あまり知られていないようですが、本当にもったいないです。スタートアップの起業家はもちろん、投資家や関係者すべてにオススメです。

以下は印象に残ったパートを抜粋コメントにて。

CEOは、取締役会とかわした約束を守らず、大金を失い、納期の遅れを公表し、優秀な人材も容易に採用できない。あれこれと主張するも、結局はどれも現実に即していない。布石を打ってもピントがずれている。予算超過。取締役会なり金曜の午後に送るメールなりで、厄介な思いつきを提案する(にしても、なぜCEOが悪いニュースを伝えるのは決まって金曜の午後なのだろう?)。取締役の面々は少しずつ、不信感を募らせ、CEOへの信頼を失っていく。CEOが提供する情報はどれも、本当に正確なのかと疑いはじめる。 (中略)同時にCEOは、どんどん自分に非難が集中してくるように感じる。蜜月期間のときには、明確なビジョンをもった素晴らしい人物とほめたたえてくれていた取締役たちが、どうして四六時中自分を非難し続けるようになったのか、彼にはまるで理解できない。

これは本当にありがちで、起業家が思っている以上に投資家は約束に対しては敏感です。投資家は起業家が言ったことを覚えていて、もし約束通りに達成できなかったり、報告がなかったりすると、信頼感を失っていきます。お互いが不信感を持ってしまっては終わりです。しかし、実際のところほとんどの場合、約束を守れない起業家が悪いのであって、何かを変えなければいけないのは確かです。

多くの起業家は、助けを求めることを恐れ、実際に助けを求めているにもかかわらず、それを認めることをよしとしない。結局のところそういった面々が起業家になったのは、自分で自分のボスになるのが楽しいからであり、熱意はあるものの、自分たちのビジョン追求に固執しすぎるきらいがある。そんな彼らにとって、自分たちが助けを必要としている、そしてときには、たとえどんな状況であれ、自分たちが陥っているところから救い出してもらうために救命用具まで必要としている、ということを認めるのは容易ではない。

しかし、それは誇り高き多くの起業家にとっては非常に困難なことです。そのプライドこそが、成功のさまたげになってしまうことが多い気がします。しかし、プライドは絶対に必要です。プライドが高くなければ折れてしまうこともあり、このバランスがいいのが成功する起業家の条件になります。

(注:デイヴ)わたしが学ばなければならなかったのは、そういったことに対処するための、今までとは違うやり方でした。幸いわたしは、スポンジさながらなんでもどん欲に吸収していきましたから、最も聡明な人を引っ張ってきては、もろもろのやり方を教えてもらい、それを片っ端から実践していったのです。そうしているうちに、なにもかも自分ひとりで答えを出さなければいけないという思い込みを捨てられました。悟ったのです。自分が最も聡明な人間になる必要などない、と。

ここで成功する起業家は助けを求め、自らを変革する方向に動きます。これができるかが僕は最も重要なキーだと思っています。結局、会社というのはCEOの器の大きさまでしか大きくなりません。だから常にきついストレッチをしていく必要があります(それが自らの望む方向性と違う場合、CEOを連れてくるのが最良の道かもしれません)。

しかし、それでもスタートアップというのが世の中に変革をもたらすためにある以上、また、会社というのは、起業家だけのものではなく、投資家や従業員、そして顧客という関係者がいる以上、よりよいサービスを提供できる器にしていくことが求められています。

それらを理解した上で、それぞれの立場でスタートアップに関わっていく必要があるのです。

<抜粋>
・起業家は自信に満ちていなければならない。それは当然だが、当人だけが自信に満ちていても駄目なのである。起業家たるもの、他者にも自信を抱かせなければならず、それはまったく別種の挑戦なのだ。
・(注:リード・ホフマン)「ペイパルのおかげで、この先の人生をつつがなく暮らせるんです。子育てをはじめ、なにも心配はありません。つまりわたしは、“この先なにを悩むことがあるんだろう”といった状態だったのです。まあ、そんなことを言って結局は、いかにして世の中を大きく動かせるような影響力をもつかと頭を悩ませているだけですが。それと、思いたったんです。“いいか、おれには新たに巨大非営利団体をつくりあげられるほどの大金はない。あくまでも自分には充分な額を持っているだけだ。だったら、営利を追求しつつ、本当に世のため人のためになることをしたらだどうだ”ってね」
・リードは決して、儲けたかったわけでも目立ちたかったわけでもない。2008年の夏まで、彼が妻と住んでいたのは、寝室がふたつの小さなマンションだった。そしてリードは、洋服よりも書物を好む人物だ。「お金は大事ですよ、でしょう?」と彼も認めている。「お金があればいいものが手に入るし、他のことだって好きにできるんですから。でも、お金そのものが人生の意義じゃないんです。お金は確かに“きっかけ”ですが、わたしは別に、お金がほしいと思って朝起きるわけでもないし、お金がほしいから家に帰るわけでもありません。それは、もっと他のいろいろなことをさせてくれるものなのです。リンクトインそのものは、とてつもなく大きな影響をおよぼせますし、わたしに大金をもたらしてもくれるでしょう、なにか他のことに使えるお金を。そのなにかこそ、『自分がここにいるから、世の中はもっとよくなる』と胸を張って言えるものなのです」
・わたしは悟ったのだが、VCになるのと起業家精神を抱くのとでは、まったく異なる魅力があった。VCになれば、思いもかけなかった知的な経験をしたり、優れた新しいアイデアをもった素晴らしい人々を広く世に知らしめ、世界中にプラスの影響をおよぼす機会も得られる。また起業家に比べ、VCの方がはるかに浮き沈みもない。起業家だと、感情の起伏もジェットコースター並に激しく、ハイなときはとてつもなくハイだが(『天下をとるぞ!』)、落ち込むとどん底までいってしまう(『給料も払えず、倒産するぞ!』)。ところがVCは、とにかく仕事に感情をもち込まないーーわたしも、それに慣れるまでにはかなり時間を要した。
・「わたしが本当の意味でのベンチャー・ビジネス(注:投資側として)をはじめるまでには、少し時間がかかりました。最初の10年間は、自分のしていることがわかっていなかったような気がします」(中略)リード投資家として、ジャック・ドーシーのツイッターに最大の投資をおこなったのも彼だ。フレッドほど頭脳明晰にして有能な人物が、ものになるまでに10年を要したというのだから、凡人はどれくらいの時間がかかることか。
・わたしとしては、起業家にぜひおすすめしたいのだが、話し合いの席についてくれたVCには、パートナー間でのキャリーの配分がどうなっているのかをきいてみるといい。妥当な質問であり、パートナーシップのあり方や、だれがどの程度政策決定権を有しているのか、といったことに対するそのVCの本音が浮き彫りになってくるだろう。VCとていつも起業家に、創立チームの価値とプライオリティを理解する手段として、創立資産の分割法についてきいてくるではないか。つまりはお互いさま、というわけだ。
・VCへの売り込みの過程は、デートの約束をとりつけることに似ている。そんな意見を耳にしたことがあるが、わたしに言わせれば、むしろ自動車購入に近いと思う。たいていの人が、ひとりの相手と何度もデートを重ねてから、結婚にいたるだろう(少なくとも昔はそうだったし、わたしもそうだった)。しかし、車を購入する場合は同時進行だーー複数のディーラーと複数のブランドをチェックしてのち、購入にいたる。
・スタートアップ企業の取締役会には、公式および非公式の義務がある。取締役会の主要任務は、株主のためにエクイティ(株式)の価値をあげることであるのは明らかだ。要するに取締役会は、株主のエージェントだ。この役割において、かられが果たすべき重要な要因はふたつ。(情報に基づき、熱心かつ良識的におこなう)注意義務と(企業およびその株主の利益に貢献する)忠実義務だ。取締役会は、企業を経営するわけではない。経営するのはCEOだ。そして最上の起業家は、取締役会の面々が演じる、重要にして価値ある役割を認識したうえで、彼らが効率的に仕事をしていくうえで欠かせない透明性を提供する。
・CEOは、取締役会とかわした約束を守らず、大金を失い、納期の遅れを公表し、優秀な人材も容易に採用できない。あれこれと主張するも、結局はどれも現実に即していない。布石を打ってもピントがずれている。予算超過。取締役会なり金曜の午後に送るメールなりで、厄介な思いつきを提案する(にしても、なぜCEOが悪いニュースを伝えるのは決まって金曜の午後なのだろう?)。取締役の面々は少しずつ、不信感を募らせ、CEOへの信頼を失っていく。CEOが提供する情報はどれも、本当に正確なのかと疑いはじめる。 (中略)同時にCEOは、どんどん自分に非難が集中してくるように感じる。蜜月期間のときには、明確なビジョンをもった素晴らしい人物とほめたたえてくれていた取締役たちが、どうして四六時中自分を非難し続けるようになったのか、彼にはまるで理解できない。
・起業家がこうしたメロドラマを避ける最上の方法は、VCに素直かつ正直に向き合うことだ。同様にVCは、起業家の信頼を勝ち得ること。そうすればだれもが、この胸襟を開いた会話から同様に利益を得られるのだ。
・デイヴは、取締役会によってCEOを解任されるのではないかとの不安に苛まれだす。「『なにか問題が発生して、きっと仕事がうまくいかなくなるんだ。四半期の業績もよくないだろう。これをミスったら、あれがうまくできなかったら、ぼくはきっとお払い箱だ』朝から晩までそんなことばかり考えていたら、落ち込むのは容易ですから」デイヴの言葉は続く。「成功するには、そうした不安をとり除かなければなりません。『どうやったらこの仕事はうまくいくだろう?』その一点にのみ、考えを集中させなければならないのです」
・(注:デイヴ)わたしが学ばなければならなかったのは、そういったことに対処するための、今までとは違うやり方でした。幸いわたしは、スポンジさながらなんでもどん欲に吸収していきましたから、最も聡明な人を引っ張ってきては、もろもろのやり方を教えてもらい、それを片っ端から実践していったのです。そうしているうちに、なにもかも自分ひとりで答えを出さなければいけないという思い込みを捨てられました。悟ったのです。自分が最も聡明な人間になる必要などない、と。
・それが如実にわかるのは、起業家が、“自分こそ最も聡明だ”と証明すべくひとりで空回りしているときだ。起業家のそんな態度を目の当たりにしたVCや他の経営メンバーたちは、起業家が自分たちの率直なフィードバックに素直に耳を傾けようとしているとは決して思わない。むしろ、自分たちの頼りなさを必至に隠そうとしていると考えるだろう。
・多くの起業家は、助けを求めることを恐れ、実際に助けを求めているにもかかわらず、それを認めることをよしとしない。結局のところそういった面々が起業家になったのは、自分で自分のボスになるのが楽しいからであり、熱意はあるものの、自分たちのビジョン追求に固執しすぎるきらいがある。そんな彼らにとって、自分たちが助けを必要としている、そしてときには、たとえどんな状況であれ、自分たちが陥っているところから救い出してもらうために救命用具まで必要としている、ということを認めるのは用意ではない。
・(注:デイヴ)取締役会で突然新たな問題が浮上するというのはよくないことなので、あらかじめ取締役メンバーに連絡をして、正直に言うことが大切です。『こういう問題が発生しています。理由はこうです。お知恵を拝借したいのです。助けてください』と。そうすれば、取締役会の席上で『いったいなんの話をしているんだね?』などと言われることもないでしょう。
・時間というものに対する考え方が、VCと起業家では大きく異なるのだ。VCにとって、時間は友だちである。断をくださなければならないとき、時間をかければかけるほど、たくさんの情報も得られ、より質の高い判断ができると考えている。かたや起業家にとっては、時間は敵だ。起業家は、とてつもない切迫感を抱いているーーライバルに先んじなければ、一刻も早く顧客との約束を果たさなければ、資金が底をつくなか、なんとしても給料を工面しなければ、というわけだ。一方、投資先起業がどんな困った状況に陥ろうと、VCは、次の月曜には自分たちの快適なオフィスに戻って、マネジメント・フィーを徴収するのが常だ。たとえそれが企業活動を停止させたあとでも。
・ベンチャーの支援を受けたスタートアップ企業には、なにかしら魔法のようなものがある。外部の投資家が課してくる規律ゆえなのか、VCが取締役会にもたらす価値や経験のせいなのか、とにかくベンチャーの支援を受けたスタートアップ企業は、支援を受けていないベンチャーに比して、あらゆる点で勝っているのだ。「ベンチャー・キャピタルが投資をおこなって40〜50年になりますが、支援を受けている企業は依然として、民間セクターのほかの企業に比べ、2倍の事業成長率を示しています。これはどうしてなのでしょうか?」

ウィルゲート 逆境から生まれたチーム/小島 梨揮

ウィルゲートというインターネット系の会社を社長の小島氏が振り返った内容。起業から最悪の状況に陥って、劇的に回復するまでが描かれています。

僕の場合は金銭的にはここまできつくなかったのですが、危機においてどのようなミスや間違いを犯し、そしてどうやってそれに対応していったかという部分は非常に身につまされる部分があって、とても共感できました。

まさに僕も陥った罠が描かれていたので、そのいくつかを、抜粋コメント形式でご紹介します。

「うちの経営層は人の使い方も物事の伝え方も下手です。今回の制作部解散も伝え方が悪すぎるので、かなり社内に波紋を呼んでいます。はっきりいってマネジメントとしてはマイナス100点ですね。たぶん、今多くの社員間での社長・経営陣の人望は0点だと思います。」 <0点……ですか?>  日々会社のために忙しく動き回っている役員陣。 半日ゴルフに熱中したり、飲み歩いている経営者が世の中にいるなかで、愚直にそして必死にやっていた自分達の想いは、少なからずメンバーのみんなに伝わっているはずだと安直に思っていた私は、その言葉に思わず動揺を隠し切れませんでした。

がんばっていれば後ろ姿を見てくれるだろうという罠
もちろん見てくれているひともいるものですが、会社の雰囲気やモチベーションを形成するには自分が思っている以上に、真摯かつ丁寧に伝えていく必要があります。はっきりいって、どれだけの時間、自分や経営陣が仕事しているとか、周りの社長がどれだけ遊んでるか、はまったく関係ありません。起業は、がんばるだけでなんとかなるほど甘くないのです。

「だから言っただろ、合併とか資本政策とかテクニカルなこと、身の丈に合わないことをやるなって。経営はそんなに甘くないんだよ」 株主の方が聞いた噂のなかには、Aが流したと思われる事実無根のものもありました。しかし、それすらも自らの未熟さが招いた結果だとすれば、私は頭を下げることしか出来ませんでした。

自分で腹に落ちていないことをやる罠
会社というのは自分がよく分かってないのにうまく行くことはありえないです(ごく短期的にはありえます)。だから、尊敬するひとの素晴らしいアイデアによるアドバイスだとしても、そのひとなら経験豊富なためできても、自分には経験や能力不足でできない可能性もあります。僕もいろいろな方のアドバイスを取り入れたりしましたが、「そういうものかな」と思いながらやったことはすべて失敗しています。自分として完全に腹に落ちていない限りはやらない、というのが鉄則です。
※ただし、スタートアップの時期を過ぎてリソースも増えてきたら別かもしれません

<私は悪くない>と自分自身を守ってきた結果、私を救ってくれた2人や私や会社を本気で支えてくれた人達、強いてはお客様に多大な迷惑をかけてしまいました。 自分をかばうことに必死で、背負っている責任の重さに気付けなかったのです。 自分を守ることや自分の不幸に何の価値もなく、自分を守る暇があるのなら一刻も早く支えてくれた人達に恩を返さないといけない。危機的状況を脱して責任に応えないといけなかったのです。

自分は悪くないと思う罠
経営者というのは往々にして自分に自信があるから起業という成功率の低いことをやるわけですが、だからなかなか自分が悪かったことを認められません。しかし、会社がうまく行っていないならそれは100%社長が全部悪いです。この事実に真摯に向き合い、自分のダメな部分を徹底的に自己反省し、言動を変えていくこと。これができる社長だけが成功し、支えてくれた関係者の方に恩返しすることができます。

まとめると
・がんばっていれば後ろ姿を見てくれるだろうという罠
・自分で腹に落ちていないことをやる罠
・自分は悪くないと思う罠
これらは本当によく陥りやすいので、次に起業するときも気をつけようと思います。

それをお金で買いますか――市場主義の限界/マイケル・サンデル

「ハーバード白熱教室」などで有名なマイケル・サンデル氏の新作。実は、サンデルの書籍ははじめて読んだのですが、コミュニタリアンの思想がよく分かってすごく勉強になりました(ちなみに本人は否定しているらしいですが)。

確かに、サンデルのいうように過去30年間の行き過ぎた市場主義を何とかするために、市場主義ではなんともならない「善」や「腐敗」について徹底的に議論しなければならないというのは一理あると思います。

一方で、コミュニタリズムな解決が唯一の道なのか、という疑念は残ります。「善」というものは、時代によっても、場所によっても変わるものなわけで、その線引きに結局のところどのくらい妥当性があるのか、どうやっても正解に辿りつけないのではないか、という気もします。

例えば、学校がお金を得るために企業スポンサーの広告で溢れかえっているという話。広告がなく、よい教育を施す学校があれば、そちらを選びたいのが親だと思います。だから、日本でもアメリカでもいい学校のある学区に引っ越すというのが頻繁に起きてます。そういった地域は土地の値段もあがるし、所得が高いひとが移り住むのでますます教育へ回せる税金も増えます。

それでは貧しい人の子どもはいつまでたっても広告まみれの学校で学ばなければならないのか、それは「道徳的によくない」ので、禁止すべき、というのがサンデルの主張です。しかし、僕としては、確かに「道徳的によくない」かもしれないが、それでもそのお金でその他の部分の教育予算が増えるのであれば、うまく活用して、次の世代をより富ませられればいいのではないか、と思うのです。もし「道徳的によくない」からといって禁止してしまったら、教育にお金をかけられないことで、貧しい人の子どもも貧しいままになってしまいます。

そうすれば、全体として豊かになっていき、次の世代では企業スポンサーをつけなくてもよくなるかもしれません。

これは一例ですが、本書に出ている議論を呼ぶ事例も、本当にそうなんだろうか、と思うことがたびたびありました。僕は本質的にはリバタリアンで、将来に対して楽観的な方なので、そう感じるのかもしれませんが、もし間違っていたのならやめればいいと思うし、サンデルのいうような「後戻り不可能な」ケースというのは意外に少ないのではないかと思っています。また、本書には取り上げられない当時の道徳に照らしあわせて実験的な試みで、やってみたらすごくうまく行ったこともあるはずです。

人の道徳感というのはものすごく変わるので(例えば、「風と共に去りぬ」を読むと奴隷が当時どれだけ当たり前だったか分かります)、その時々の選択はコミュニティで徹底的に議論して決める、というのはすごくいいと思います。またその際に、市場的側面だけではなくて、「善」など市場に現れない側面を重視するのも、そのコミュニティが大切にするもので、合意が取れるならいいのではないでしょうか(しかし、個人的には「善」は最終的には市場的価値もあげると考えますが)。

しかし、本書で取り上げられているような新しい議論を呼ぶような実験的事例については、受けいられる可能性もあるだけに、自身の道徳観念で否定すべきではないのではないでしょうか。そういった中で失敗するものも多いと思いますが、であれば市場原理から退場させられるわけで、それで決定的に何かが失われるということはほとんどないのではないでしょうか(短期的に困ったことになるというのはありそうですが)。

もちろんやる時にも徹底的に考える前提ですが、後で徹底的に検証して、やめるならやめるし、間違ったところは正して行く。そしてそれを全世界各地でやっていく。それができるならば、よりよい世の中になっていくと思うのです。

正直言って、サンデルの思想には疑問も感じますが、多様な問題提起はすごく刺激になりましたし、問題の切り分けについては、思考整理法としてすごく勉強になりました。他の著作も読んでみようと思います。

<抜粋>
・すべてが売り物となる社会に向かっていることを心配するのはなぜだろうか。 理由は二つある。一つは不平等にかかわるもの、もう一つは腐敗にかかわるものだ。
・経済学者はよく、史上は自力では動けないし、取引の対象に影響を与えることもないと決めつける。だが、それは間違いだ。市場はその足跡を残す。ときとして、大切にすべき非市場的価値が、市場価値に押しのけられてしまうこともあるのだ。
・もちろん、大切にすべき価値とは何か、またそれはなぜかという点について、人々の意見は分かれる。したがって、お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。この問題をいかに考え抜くかが、本書のテーマである。
・経済学者にとって、財やサービスを手に入れるために長い行列をつくるのは無駄にして非効率であり、価格システムが需要と供給を調整しそこなった証拠である。空港、遊園地、高速道路で、お金を払ってよりはやいサービスを受けられるようにすれば、人々は自分の時間に値をつけられるので、経済効率が向上するのだ。
・HIVに感染している女性に40ドルを支払い、一種の長期避妊となる子宮内器具を装着してもらっているのだ。ケニヤと、次に進出予定の南アフリカでは、保護当局者と人権擁護者から怒りと反対の声があがっている。 市場の論理の観点からは、このプログラムが怒りを買う理由ははっきりしない。
・199年代、イヌイットの指導者たちは、カナダ政府にある提案を持ちかけた。イヌイットに割り当てられたセイウチを殺す権利の一部を、大物ハンターに売らせて欲しいというのだ。殺されるセイウチの数は変わらない。イヌイットはハンティング料を取り、トロフィーハンターのガイドを務め、獲物をしとめるのを監督し、従来どおり肉と皮を保存する。このシステムを使えば、現在の割当頭数はそのままで、貧しいコミュニティーの経済的福祉が改善されるはずだ。カナダ政府はそれを了承した。
・こうした経済学者的美観は、市場信仰をあおり、本来ふさわしくない場所にまで市場を広げてしまう。しかし、その比喩は誤解を招くおそれがある。利他心、寛容、連帯、市場精神は、使うと減るようなものではない。鍛えることによって発達し、強靭になる筋肉のようなものなのだ。市場主導の社会の欠点の一つは、こうした美徳を衰弱させてしまうことだ。公共生活を再建するために、われわれはもっと精力的に美徳を鍛える必要がある。
・「金融市場は信じがたいほど強力な情報収集装置であり、従来の手法よりもすぐれた予測をすることが多い」。彼らはアイオワ電子市場を例に挙げた。これはオンラインの先物市場で、数度の大統領選挙の結果を世論調査よりも正確に予測したのだ。別の例としてはオレンジジュースの先物市場があった。「濃縮オレンジジュースの先物市場は、気象局よりも正確にフロリダの天気を予測する」
・テロの先物市場が道徳的に複雑なものとなるのは、デスプールとは違い、それが善をなすとされているからだ。この先物市場がうまく機能するなら、そこから貴重な情報がもたらされる。
・(マネーボールについて)アスレチックスがプレーオフに進出したのは2006年が最後で、それ以降は一シーズンも優勝していない。公平を期すために言うと、これはマネーボールの失敗ではなく拡大のせいだ。
・さまざまな財や活動に関して、私が本書で一貫して言おうとしてきたポイントが、ここに表れている。つまり、市場の効率性を増すこと自体は美徳ではないということだ。真の問題は、あれやこれやの市場メカニズムを導入することによって、野球の善が増すのか減じるのかにある。これは野球だけでなく、われわれが生きる社会についても問うに値する問題なのだ。
・広告にふさわしい場所とふさわしくない場所を決めるのは、一方で所有権について、他方で公正さについて論じるだけでは不十分なのだ。われわれはまた、社会的慣行の意味と、それらが体現する善について論じなければならない。そして、その慣行が商業化によって堕落するかどうかを、それぞれのケースごとに問わなければならない。
・学校にはびこる商業化は、二つの面で腐敗を招く。第一に、企業が提供する教材の大半は偏見と歪曲だらけで、内容が浅薄だ。消費者同盟の調査によれば、驚くまでもないが、スポンサー提供の教材の80パーセント近くが、スポンサーの製品や観点に好意的だ。しかし、たとえ企業スポンサーが客観的で非の打ちどころのない品質の教育ツールを提供したとしても、教室の商業広告は有害な存在だ。なぜなら、学校の目的と相容れないからである。広告は、物をほしがり、欲望を満たすよう人を促す。教育は、欲望について批判的に考えたうえで、それを抑えたり強めたりするよう促す。広告の目的が消費者を惹きつけることであるのに対し、公立学校の目的は市民を育成することだ。
・市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない。
・そのような熟議は、良き生をめぐって対立する考え方に触れざるをえない。それは、われわれがときに踏み込むのを恐れる領域だ。われわれは不一致を恐れるあまり、みずからの道徳的・精神的信念を公の場に持ち出すのをためらう。だが、こうした問いに尻込みしたからといって、答えが出ないまま問いが放置されるわけではない。市場がわれわれの代わりに答えを出すだけだ。それが、過去30年の教訓である。

媚びない人生/ジョン・キム

慶応大学准教授キム先生の新作。若いひとに向けてのメッセージになっているのですが、本当に若いひとが大好きなんだろうなぁという愛に満ち溢れていて素晴らしかったです。

そして、メッセージのひとつひとつが非常に深い。もしかしたら若いひとが読んでも「どういうことだろう、これは」と思うところも多いかもしれません。苦しくて、不安を覚えて、もがいているときに、即効性がある対処方法を教えているわけではないから。

でも、僕も同じくもがき苦しんだ一人として、この本に書いてあることは本当だと断言できます。悩みぬいて、自分なりの哲学にたどり着き、懸命に努力した後に、成果と、さらに高みに挑戦していこうという強い動機まで得られます。

だから、少しでもこういった哲学があるということを頭の片隅で覚えておけば、必ずどこかで力になってくれると思います。そして、僕もこの本を読んで覚醒した若いひとに負けないように、改めて夢を目指して行こうと思いました。

本書は献本いただきましたが、掛け値なしに素晴らしい本だと思いますので、若いひとだけでなく、より多くの方に推薦したいです。

<抜粋コメント>
印象的な文章が多かったので、抜粋コメントもつけておきます。

むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。

僕もものすごく漠然とした不安に苛まれました。哲学的な折り合いをつけて行動できるようになったものの、不安が消えることなどないし、それをなんとかしようと日々もがいています。

自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。

が、その姿を見せることに価値は感じません。僕も「自分の内なる力が削がれてしまう」のを恐れています。だから、黙々と自分の道を進む方を好みます。

もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。

周りを見わたしても、負けたのに自分と向き合えないひとは想像以上に多いように思います。そこで徹底的に向き合えるひとと向き合えないひとでその後の成功度合いが大幅に変わってきているのを実感しています。むしろそこで向き合わない場合はそれ以上の成長と成功はありえません。最後には負けたこと、負け続けていることにさえ気づかなくなってしまいます。僕もいつでも向き合えるひとでありたいと思います。

「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。

本当にこういう時期というのはつらい。僕は小さい成功を積み重ねることが重要だと思います。そしてそれを心の糧にしながら、次の成功へ向かっていく。いくら成功しても、不安が消えることはありませんが、それでも少しは自分へ自信を持てるようになっていきます。失敗してもすべてが否定されるわけではないのだから。

<抜粋>
・(結果が出ない時)こういうときは、若さの特権を使えばいいと私は思っている。根拠のない自信を持つことだ。
・むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいいのだ。
・不安というものは、上昇志向が強ければ強いほど大きくなるものだ。自分でコントロールできないことばかりが目についてしまう。本当は自分の内面をうまくコントロールすれば、そういうものも見えなくなるということにも、なかなか気づくことができない。 ただ、漠然とした不安があったからこそ、私は必死になった。その意味では、不安は成長の原動力にもできると改めて実感している。
もし、一生懸命に努力しているのに結果が出ないと感じたときは、今こそ踏ん張るときだと思うことだ。もうギリギリのところまで来ているということを、自分に言い聞かせながらやっていくことである。
・自己主張をあまりにもし過ぎると、人間に軽さが生まれてしまう。言葉にも重みは出ない。存在としての希少性も薄れる。逆に、希少性や重みを演出するためにも、むしろ普段は静かにしている、というのが私の考え方である。本当に自己主張をしたときに、まわりが聞き耳を持つために、むやみな自己主張をしないのである。 だからこそ、重要になってくるのが、自分は何を主張したいか、という優先順位をしっかり考えておくことだ。これを考えていないと、あれやこれやと主張してしまうことになりかねない。実際のところ、どうでもいいことを主張する人たちが、あまりにも多い。
・話したいことがはっきりしていないときには、人間は沈黙すべきである。
・自分は明らかに未熟なのだ。自分が思うような仕事がもらえるほど、成熟していないのである。それを認めなければならない。そして未熟だからこそ、未熟なりにできることを最大限するのだ。
・自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。成果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。 ところがどういうわけだか、若い頃はがんばっていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の努力の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。
苦労話を好む人の多くは、結果を伴わない人たちである。自分は努力をしたが、不可抗力の要素が発生して結果を出せなかった、という言い訳のために苦労話は存在している。しかし、苦労話をしない、という決意のある人は、結果だけで勝負する。だからこそ、努力の濃度が変わる。退路を断っているので、結果に対してストイックになる。必ず成功するようにマネジメントもする。目標に向かう際の気概がまったく違うのだ。
・もし負けたのであれば、自分の頑張りを訴えたところで仕方がない。その結果と向き合うことである。 なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。
・成功にたどりついた人は、まわりから見れば一直線で進んで行ったように見える。ところが、微妙な軌道修正を無数に繰り返して進んでいるのだ。そしてこの軌道修正のサイクルの頻度と精度こそが、実は大きな結果の違いを生むと私は考えている。
・良いタイミングで潔くやめること。スマートに、戦略的にやめること。人生を自分のものにするにはこれは極めて重要だが、これを実践することは案外難しい。日本のような社会では、途中でやめることは良くないとされている。学校でもそう教わるのだが、私はそれは陰謀だと思う。誰の陰謀かというと、途中で辞められては困る組織(学校とか会社とか)の陰謀なのだ。
・「人間は確実に死ぬ。死んだ後に、君はどんなふうに人々に記憶されたい? 君の生きた証というものについて、君はどんなふうに今、語れるだろうか?」(中略)多くの学生が、この質問に対して言葉に詰まり、やがて大粒の涙をこぼし始めた。 なぜか。みんな一生懸命に生きているのだ。必死で目の前の物事と格闘しているのだ。しかし、思うような結果が出せない。自分がほしい何かが手に入らない。だから、不安にばかりさいなまれる。
・学生たちに伝えたい。皆に好かれる必要などないということを。嫌われても自分らしい表情をし、自分で考えた言葉を発することを心がけることこそが重要であると。そもそもまわりは自分が思うほど、自分のことを気にしてはくれないものだ。自分の人生のすべての権限と責任は自分自身にあることを認識し、どんな状況でも自分を貫くことを忘れないでほしい。 そしてもうひとつが、そうやってもがいている自分は正しい、ということである。それこそが、何よりの正解だ、と。自身が自分の成長に対して、一番真摯にできることは、自分の未熟さ、あるいは自分にできていないことと向き合うことだからである。だから、君の涙というのは、自分と、自分の人生と真剣に向き合っている証拠だ。そういう自分を褒めてやりなさい。誇りを持ち、称えてやりなさい、と。

(日本人)/橘玲

橘玲氏による「日本人」というものに対して、様々な出典を元に、新しい考察を加えていく良書。

著者の幅広い知識に圧倒されながらも、知的好奇心を刺激されてものすごくおもしろいです。非常に斬新なアイデアがたくさん書かれていますが、個人的にはかなり賛同できるものが多いです。

恐らく僕がリバタリアンだからだと思いますが、個人的には今後はなるべく早くリバタリアンになった方が楽に生きられる世の中になると思います。

本書では、そこまでいかなくとも昔から一貫して日本人が非常に世俗的な性質を持っていることも明らかにしています。

読みやすいですし、自分のルーツを知る上でも一読するとよいと思います。

<抜粋>
・「交易によってすべての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。
・(マッカーサーの)昭和天皇との会見が報じられてから、GHQ宛に「拝啓マッカーサー元帥様」と書き出された手紙が続々と送られてきて、その数はなんと50万通にも達した。(中略)その内容は「世界の主様」「吾等の偉大なる解放者」とマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものが大半だった。
・戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。(中略)戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。 しかしその結果は、あまりにも悲惨なものだった。大東亜戦争(日中戦争から太平洋戦争まで)の日本人の死者は300万人に達し、広島と長崎に原爆を落とされ、日本じゅうの都市が焼け野原になってしまった。 これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。(中略)日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。
・最澄や空海など平安初期の留学僧は、そもそも中国語(シナ語)をまったく話せなかったという。(中略)翻訳者(僧侶)たちは、漢語を原文のまま訳すのではなく、自分たちの都合のいいように(すなわち民衆にわかりやすいように)意訳することを当然と考えていた。これはそもそも漢文に文法がないためで、分の区切りや返り点の位置を変えるだけで正反対の意味にしてしまうことも可能だったからだ。
・貧しい国に独裁国家が多いのは、ゆたかな国々の政府や国民が、貧しいひとたちが国境を超えて流入してこないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。
・ユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族のためだけの神でもある。それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルな神のままだ。 この矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教がはじめて誕生した。
・グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない
・日本企業の終身雇用・年功序列の人事制度は、年齢と性別によって社員を選別する仕組みだ。この“差別的な”雇用慣行は日本というローカル空間のなかでなら維持できるかもしれないが、起業が海外に進出したり、外国人の社員を雇用するようになるとたちまち矛盾が露呈する。「なぜ日本人の社員と待遇がちがうのか」という外国人社員からの道徳的な問いに、こたえることができないからだ。
・アメリカ社会では、すべての制度が(理念的には)グローバルスタンダードでつくられている。それが世界に広がっていくのは、アメリカの陰謀ではなく、世界のグローバル化の必然的な結果なのだ。
・「中華」は中国が世界の中心だという思想で、その価値観が周辺国へグローバルに拡張していくことはない。
・このように考えれば、人類がいまだにリベラルデモクラシーに変わる普遍的な価値観を持っていないことは明らかだ。今世紀が「中国の時代」になるとするならば、それは中国が共産党の一党独裁からリベラルデモクラシーの国に変わることが前提となるだろう。
・東京電力は原発事故に対する“無限の”責任を負っているにもかかわらず、その法律上の所有者である株主も、応分の負担をすべき債権者も“有限”の責任すら「免責」されている。
・福祉や援助に携わるひとたちは、グラミン銀行のデフォルト率が低いのは、借金を返さないと地域社会での借り手の面目がつぶれるからだと暗に批判した。 しかしユヌスは、こうした見方に反論し、マイクロクレジットがなぜ機能するのかを明快に説明する。 貧しいひとたちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ。
・原子力損害賠償法は、事業会社に原発事故に対する「無限責任」を負わせている。だが近代的責任とは有限責任のことなのだから、この法律はそもそも近代の理念に反している。
・ブキャナンは、「民主政国家は債務の膨張を止めることができない」という論理的な帰結を導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡張するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。
・アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特別法は一般法に優先する」といった概念のもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせずに法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。
・ネオリベは経済学者など知的エリートの思想で、大衆からは忌諱されるのがふつうだ。しかし、橋下思想は、自らの生い立ちによって、どのような言動も「上から目線」にならない。「真面目に努力する貧しいひとたちを全力で支えたい」という言葉にウソはなく、社会的弱者のなかにも熱狂的な支持者が多い。
・加えて日本には、こうした「超個人主義」を受け入れられやすい土壌がある。これは、もちろん、日本人が地縁や血縁を捨て去った世俗的な国民で、「自分のことは自分でやる」のが当然だと考えているからだ。(中略)日本人はもともと、ネオリベ的な個人主義にきわめて親和性が高い国民だ。小泉と橋下という、この10年で圧倒的な人気を博した政治家が共通の匂いを発しているのはけっして偶然ではない。
・リバタリアンから見れば、ネオリベは不徹底な自由主義だ。なぜならそれは、国家を前提にしてはじめて成立する思想だからだ。
・ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うことが得になるような設計をしたことなる。(中略)正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを“道徳的に”振る舞わせることができるのだ。
・超越者のいない日本は、「私の価値は最大限に実現されるべきだ」という社会でもある。 『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。“クール・ジャパン”は、後期近代の普遍性に真っ先に到達したからこそ、世界じゅうの若者たちを虜にするのだ。

小さく賭けろ!―世界を変えた人と組織の成功の秘密/ピーター・シムズ

大きな成功をするためには小さく賭けることを繰り返すことが有効である、ということを様々な実験結果やストーリーから導き出しています。これは直感的には、自明なことのように思いますが、一方で実践するのは非常に難しいです。

だから、本書にあるようなストーリーを見ていくことで、小さな失敗を恐れないようにしたり、点と点を繋ぐことを意識したり、運のいいひとの行動様式を真似ることができればよいと思います。

改めて、いろいろと種を蒔いて、小さく賭けて行こうと思いました。

<抜粋>
・固定的なマインドセットを取りがちな人々の場合、知能や才能は生まれながら決まっている、いわば石に刻まれたようなものだと信じる傾向がある。こういう人々は自分の能力をどうしても繰り返し見せつけなければ収まらない。彼らにとって失敗は、自らの重要性、アイデンティティーを脅かすものに映る。(中略)逆に、成長志向のマインドセットの人々は、知性や能力は努力することによって伸びると信じ、失敗や挫折を成長のための機会と考える。彼らは常に新たな挑戦によって自らの限界を広げていこうとする。
・(ジョブズ)「創造とはものごとをつなぎ合わせることだけ。何かを成し遂げた創造的な人に、どうやったのかを尋ねると、彼らは少し後ろめたさを感じる。なぜなら、実際何かをしたわけではなく、何かを見ただけだからだ。しばらくすると、彼らにはそれが当然に思えてくる。それは、彼らが自分の経験をつなぎ合わせ、新しいものへと合成する能力を持っているからだ。そして、それができる理由は、彼らが人よりも多くの経験をしているか、自分たちの経験について人よりも多く考えているからだ。残念ながら誰もが持てる才能ではない。われわれの業界にいる者の多くが、あまり幅広い経験をしていない。だから彼らはつなぎ合わせるべき『点』を十分に持っていないために、答えがきわめて直線的になり、問題を大局的な視点で見ることができない」
・「4歳児を見ていると、彼らは常に質問し、ものごとの仕組みを知りたがっている」 とグレガーゼンは言う。 「しかし、6歳半を過ぎると質問をしなくなる。それは、面倒な質問より正しい答えのほうが、先生に高く評価されることを素早く学びとるからだ」
・運のいい人のほうが運の悪い人よりも、自分の周囲で起きていることに注意を向けていることだ。(中略)運のいい人たちは、自然にやってくるチャンス(あるいは知識)を受け入れやすく、一方、運の悪い人たちは、「習慣の生き物」であり、決められた結末に固着されている。
・運のいい人達は、多くの人たちと交流することで偶然の出会いや体験の確率を高めている。「外向性」が機会と知識という報酬を払っていることを、ワイズマンは発見した。そしてそれは完璧に理にかなっている。偶然の出会いは数のゲームなのだ。自分の参照空間中にいる人や視点が多ければ多いほど、優れた知識と機会が結合する可能性が高くなる。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか/増田俊也

ひさしぶりに超弩級のドキュメンタリーを読みました。

戦前から戦後にかけて、木村政彦という史上最強の柔道家がいました。しかし、木村はプロレスに力道山に敗れて世間から忘れ去られ、その屈辱を一生背負うことになります。

なぜ木村が史上最強と言われているのか。なぜ力道山に敗れたのか。戦前と戦後の柔道の違い(戦前の柔道では打撃は当たり前にあった)。戦前の柔道が、木村がブラジルで破ったエリオ・グレイシーからグレイシー柔術となって日本に再上陸するまでの経緯。などなど、柔道やプロレス、総合格闘技に対する見方が一変する骨太ドキュメンタリーです。

二段組で文量は相当に多いのですが、それだけの価値があります。こういう本に出会うと本当に幸せだなぁと思います。

<抜粋>
・嘉納がイメージしていた柔道は、まさに現在の総合格闘技を柔道衣を着てやるものだった。まず離れた間合いから殴ったり蹴ったりという当て身で攻め、あるいは相手の当て身を捌いて相手を捕まえ、それから投げ、そして寝技に行くのが嘉納の理想とする柔道だった。街中での実戦、つまり護身性の高いものを求めていたのである。
・いまオリンピックスポーツとして世界中で行われている柔道とは、すなわち明治十五年(1882)に嘉納治五郎が開いた講道館という名の新興柔術流派のひとつの町道場にすぎない。
・講道館は巨大化するうちに、組織として歴史に勝ったのだ。活字としてさまざまなものを残すうち、歴史に勝ったのだ。
・モミジの巨木への打ち込み。(中略)打ちこむたびに予想以上の痛みが脳天まで突き抜け、百回でその場にへたり込んだ。次の日は二百回、さらに次の日は三百回と増やしていき、最終的には一本背負いを千回と釣り込み腰を千回、合わせて二千回の打ち込みを毎日やるようになった。 そのうちに幹に巻いてあった座布団も外した。打ち込むたびにガツンッという音が響き、樹上の小枝が騒ぐ。あまりの衝撃で木村は失神し、その場で朝まで目覚めなかったこともある。
・戦前の柔道界は、講道館柔道、武徳会の柔道、高専柔道の三つの勢力が、今われわれが考えるよりも小差でしのぎを削っていた。
・講道館柔道の感覚からいえば、上の者が絶対的に有利である。だから相手を投げて上から攻めたいのだ。しかし、本当に上からの者だけが有利ならば、講道館はルールを変えてまで高専柔道の下からの寝技の封じ込めをはかる必要はなかったはずである。下からの寝技に対抗できなかったからこそ引き込みを禁止したのだ。
・木村の稽古は毎日九時間以上という信じられないものになっていく。この伝説の九時間の練習量を「それは座禅やウェイトトレーニングなどの時間も入れているのではないか」と思っている者が多いと思う。 だが違うのだ。 木村は乱取り(スパーリング)だけで毎日百本はこなした。一本五分としても、これだけで九時間近くになる。ウェイトトレーニングなども含めると十三時間から十四時間はこなしていることになる。
・(ボクシングで負けて)すぐに黒人ボクサーに週に二回のボクシング指導を頼んだ。 こういうところが木村の凄いところだ。普通、ひとつの格闘技で頂点に立った人間が頭を下げてこんなことはできない。しかも木村の場合、トップ中のトップなのだ。
・講道館=全柔連がGHQにその場を取り繕うような形で「柔道は武道ではなくスポーツである」と断言してまで柔道を復活させた経緯を検証・総括できていないことが、実に六十年たった今でも柔道界を混乱させているのだ。
・嘉納先生が仰ったことを紐解いてみると、ほとんど柔道を総合格闘技のように捉えているんです。『ボクサーを連れてきて実践的な訓練をしなくてはいけない』と言ってみたり、実際、空手が沖縄から日本本土に紹介された時、嘉納先生はかなり音頭をとられた。
・(木村と組み合ったことのある遠藤幸吉氏)「巨大な岩です。岩と組み合ってるみたいなもんなんだからまったく動きませんよ。柔道では相手を崩してから技をかけろっていうでしょう。でも動かないんだから。一センチも動かないんだから。どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられないでしょう」(中略)「遠藤さんは戦後の柔道家をたくさん見てこられた歴史の生き証人だと思うんですが、木村先生と、その後の日本の一流選手、それから外国人のヘーシングとかルスカとか、そういった人とやったらどうなると思われますか」 「お話にならない」 「そんなに違いますか……」 「違う」
・(ブラジルにて戦後)日系人二十五万人は、日本の敗戦を絶対に信じない者たちと負けた事実を受け入れて屈辱に耐える者たちに、真っ二つに別れてしまった。(中略)そのうち、勝ち組が負け組に対して天誅と称した攻撃を加えるようになり、三月には溝辺幾太バストス産業組合専務理事を暗殺する。 すぐに血で血を洗う報復合戦が始まった。
・戦後、「軍国主義的である」としてGHQによって大日本武徳会が潰され、さらに学校柔道が禁止されるにいたり、焦った講道館が「柔道は武道ではなくスポーツである」として復活させたのはいいが、柔道がもともと持っていた実戦性も忘れ去られていった。(中略)しかし、ここブラジルの地には遠く離れた本国日本の柔道の変質はいまだ伝わらず、武道としての実践的な柔道が、伝わったときのままの形で化石のように残されていった。それがグレイシー柔術である。
・九十五歳まで生きて大往生を遂げたエリオは、最晩年にこう言っている。 「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」