元祖技術ベンチャーに学ぶ「本田宗一郎 夢を力に―私の履歴書」

インターネット関連の日本企業で世界で大成功した例というのはないわけなのですが、過去を振り返れば、自動車、電機、ゲームなどで世界的ブランドとなった日本企業は多々あります。最近はそういった会社がどのように海外で成功してきたかに興味があります。

ホンダはその一例であり、トヨタに比べれば会社が小さな時代から東南アジアでなくアメリカに進出し成功した点や、強力な創業者に率いられた技術ベンチャーである点などから非常に参考になるのではないかと思っています。

抜粋コメント形式で、勉強になった部分をあげておきます。

二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。

若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。

本田宗一郎は藤沢武夫と組んでホンダを世界的企業に育てたのですが、実はその前から東海精機という会社はかなりの成功を収めており経営者としての素地はありました。戦後にトヨタに売りしばらくフラフラした後に作ったのがホンダでした。当時39歳。僕は二社目作ったのが35歳なのでまだまだ時間はありそうです。

二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。

どのように経営していたのか結構謎ですが、この後4人の後継者にあっさりと後を譲りかつそれが成功していることから、早い段階から世界的に相当な分業体制ができあがっていたのだろうと推測します。世界的な企業になるにはこれくらいの分業体制でないといけないのかもしれません。

技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。

技術があるという前提では、確かに「気づく」の重要さは軽視されているように思います。逆に優れた技術者とは「気づく」のがうまいとも言えると思います。

ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

インターネット・サービスでも使ってみて「おお!」と意表をつく体験があるサービスこそが広まってきたと思います。意表をつくサービスを作っていきたいです。

<抜粋>
・二十五歳のときには、もう月々千円もうけるのは軽かった。二十二歳のとき一生かかって千円ためようと思ったことが、わずか数年で毎月千円以上もうかるようになったのだ。工員は五十人ぐらいにふえ、向上もどんどん拡張した。そして収入がふえてくるとそれだけに遊びも激しくなり、金をためようという気などはどこかへ行ってしまった。
・若さとカネにものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊び回った。
・事業主としてのこの間の生活は遊びどころでなく、非常に苦しい日々が続いた。だがピストンリングの製作に成功すればどうにかなるという前途に期待をかけ、みんな励まし合ってこの苦しさと戦った。 どうにか物になるピストンリングの製作に成功したのは昭和十二年(1937年)十一月二十日だった。製作にとりかかってからすでに九か月すぎていた。大勢の工員をかかえ製品なしの辛苦の九か月間だった。
・戦時中トヨタの資本が四十%はいり資本金百二十万円の会社に成長してピストンリングの生産は本格化した。そのときトヨタから取締役としてはいって来たのが石田退三さん(トヨタ自工会長)だった。
東海精機の株主であるトヨタからはトヨタの部品を作ったらという話があったが、私は断然断って私の持ち株全部をトヨタに売り渡し身を引いてしまった。戦時中だったから小じゅうと的なトヨタの言うことを聞いていたが、戦争が終わったのだからこんどは自分の個性をのばした好き勝手なことをやりたいと思ったからである。
私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか一%にすぎないということも言っておきたい。九九%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。
・「どうにも納得できないということで、僕も暴れたわけで。特振法とは何事だ。おれにはやる権利がある。既存のメーカーだけで自動車をつくって、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を永久に大きいと誰が断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え、と怒ったのです。うちは株主の会社であり、政府の命令で、おれは動かない
・「強力な創業者がいて、しかもその人が技術的にトップに立っている。加えて、過去にどえらい成功体験を持っている。そういうリーダーがいるということは、行く所まで行ってしまわないと、途中で止めるということはとてもできない企業体質だった」(注:技術研究所所長杉浦英男)
・二人の創業者は八重洲の本社から離れて、文字通りの分業体制に入った。以降、二人が引退するまで顔を合わせるのは料理屋で年に数回程度というから、我が道を行くスタイルは徹底している。
「資本主義の牙城、世界経済の中心であるアメリカで成功すれば、これは世界に広がる。逆にアメリカで成功しないような商品では、国際商品になりえない。やっぱりアメリカをやろう」
「実はシビックが発売四年目で大ヒットしたので、鈴鹿製作所に増産のための第二ラインを新設することを一度取締役会で決定した。しかし、社長だった僕はどうにも乗り気になれない。この計画を実行すると、トヨタと全面戦争になる。それは得策じゃない。当時のホンダとトヨタでは、十両にも上がっていない力士が横綱に挑むようなものだった」と決断した河島は「それならいっそ、アメリカに工場を造ろうじゃないか」と川島、西田の両副社長に提案した。
・技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれを半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。 そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。
・ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、これは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。 大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。 つまり職人になっちゃう。

Google文化がいかにしてできたか「How Google Works」

グーグル前CEOのエリック・シュミットと、前プロダクト担当SVPジョナサン・ローゼンバーグによるGoogleの仕事の進め方。今はGoogle出身者も増えてきてGoogle的経営を取り入れたりその話も表に出てきていますが、それでもどのようにGoogleという特異なベンチャーが生まれ育ってきたかをまとめた本書はすごく刺激的で勉強になりました。

ただ、これらは創業者の二人含めた経営陣が(に限らずGoogleのひとびとも)時に失敗もしながらいろいろと試行錯誤して見つけてきた新しいやり方であって一朝一夕にできたものではありません。僕も経営者として、参考にしながらも、自分たち独自のやり方を見つけていかなければならないなと思いました。

最近思っているのは、普通のやり方をしていたら普通の結果しか出ないということです。

本当にスゴいことをやりたければ、常識に逆らったやり方をしなければならない。これを肝に銘じて「最高のプロダクト」を作ることを目指していきたいと思います。

<抜粋>
・競合の脅威に対抗するための先述もいくつか挙げていたが、基本的にマイクロソフトに立ち向かうには最高のプロダクトを作るしかない。
・「企業は何か価値のあることをするために存在する。社会に寄与する存在だ。(中略)まわりを見ると、いまだにカネ以外に興味のない人間もいるが、根本的な意欲というのはもっと別のこと、すなわちプロダクトをつくり、サービスを提供するなど、一般的に何か価値のあることをしたいという欲求から生まれるものなのだ」(注:デビッド・パッカード)
(注:上場時)創業者たちは短期利益の最大化や自社株に対する市場の評価などは一切気にしなかったのだ。会社のユニークな価値観を未来の従業員やパートナーに示すことのほうが、長期的成功にははるかに重要であることを知っていたからだ。いまでは10年も前の株式公開の難解な仕組みなど忘却の彼方だが、「長期的目標に集中する」「エンドユーザの役に立つ」「邪悪にならない」「世界をより良い場所にする」といったフレーズは、いまも会社のあり方をよく言い表している。
私たちがオフィスに投資するのは、社員に自宅からではなく、オフィスで働いてもらおうと考えているからだ。通常の勤務時間内に自宅から遠隔勤務をすることは、先進的経営の証であるかのように思われることも多いが、問題もある。ジョナサンがよく言うことだが、会社全体に広がると職場から生気が失われるリスクがあるのだ。
・彼らにとって「異議を唱える義務」を重んじる文化は、背中を押してくれるものだ。だが、反対意見を述べること、とくに人前でそうすることが苦手な人もいる。だから異議を唱えることを「任意」ではなく「義務」にする必要があるのだ。
目安として、CEOがスタッフ・ミーティングを開くときには出席者の少なくとも50%を、プロダクトやサービスのエキスパートとしてプロダクト開発に責任を負っている人たちにしたい。
ではなぜ、採用を担当者だけに任せるのだろう? 全員がそのスゴイ知り合いを連れてくるべきではないか? 常にずばぬけて優秀な人材が集まってくる、優れた採用文化を醸成する第一歩は、候補者を発掘するうえで採用担当者が果たす役割を正しく理解することだ。ポイントは、候補者の発掘は採用担当者の独占的業務ではない、ということだ。(中略)人材を探すのは全社員の仕事であり、この認識を会社に浸透させる必要がある。採用担当には採用プロセスの管理を任せるが、採用活動には全員を動員すべきだ。
・面接の上限を「五」という魅惑的な素数(少なくともコンピュータ科学者にとっては)に設定した。
・だからといって新規採用者に言い値を払ってはいけない。報酬カーブは低いところから始めるべきだ。(中略)ただし、彼らが入社後、抜群の働きをするようになったら、それにふさわしい報酬を払おう。インパクトが大きい人材ほど、報酬は大きくすべきだ。
インターネットの世紀で最も重要なのは、プロダクトの優位性だ。だから当然、最も手厚い報酬を受け取るべきは、最高のプロダクトやイノベーションの近くにいる人々だ。つまり画期的なプロダクトや機能の開発に貢献した人材には、たとえ駆け出しの平社員であっても莫大な見返りで報いる必要がある。職位や入社年次にかかわらず、ずばぬけた人材にはずばぬけた報酬を払おう。重要なのは、どれだけのインパクトを生み出すかだ。
・大多数は、中国の現体制は持続不可能なのでいずれ政府の行動は変わり、グーグルに再参入のチャンスが来るはずだというセルゲイの意見に賛成した。
すべての社員が四半期ごとに、自らのOKRを更新してイントラネットで公開することになっており、他の同僚がどんな仕事をしているかが簡単にわかる。
・アイデアを思いつくのは割と簡単で、それより何人かの同僚にプロジェクトに賛同してもらい、自分だけでなく彼らの勤務時間の20%を投じてもらうほうがずっと難しい。

PayPal創業者による起業講義「ゼロ・トゥ・ワン」

PayPal創業者であり、Facebook、LinkedIn、Yelpなどの初期投資家でもあるピーター・ティールの主に起業についての著作。非常に深く、示唆に富んでいて面白かったです。正直言って、まだ咀嚼できてない部分もありますが、いくつか抜粋コメントしてみます。

ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ

これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。

これは本当にそうで、グローバリゼーションは不可避なのは確か。しかし、その結果がどうなるかについてはテクノロジーの進歩によって決まると。これを忘れないでテクノロジーをどう進化させて、何をするかを考えていく必要があります。

未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。

彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。

ここでいう計画とは、こうなるはずだという強い意思のもとに物事を推進することです。確かに成功者は計画をもって「分からない」人には見えなかった未来を築いてきています。僕もこうなるであろう未来に計画的に近づいていっているつもりです。

時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。

過去の経験からしてもある瞬間の決断がそれ前後の数年間で一番重要です。しかし、今がその瞬間なのかは分からないことが多い。だから常に今がどれだけ重要な瞬間かを考えて緩急をつけながらも、基本的にはベストを尽くすしかないと思ってます。

自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?

人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?

はっとしたのですが、自然についての真実を探すのは天才の仕事ですが、人間についての真実はむしろ普通のひとの方が気付くことが多い(なぜなら普通の感覚を持っているから)。自然の真実、人間の真実と考えることで、普通のひとにもチャンスがあるという意味で世の中はなんて公平なんだと思いました。

<抜粋>
・ほとんどの人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジーの方がはるかに重要だ
・これまで富を創造してきた古い手法を世界に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られたこの世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。
経済理論が完全競争の均衡状態を理想とするのは、モデル化が簡単だからであって、それがビジネスにとって最善だからじゃない。
競争は価値の証しではなく破壊的な力だとわかるだけでも、君はほとんどの人よりまともになれる。
・彼らの謙虚さはおそらく戦略的なものだ。連続起業家が世に存在するということは、成功が単なる運とも言い切れない。(中略)成功がほぼ運によるものだとしたら、こうした連続起業家はおそらく存在しないはずだ。
・未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従ってさまざまな選択肢を寄り集めたポートフォリオを作る。
・彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価するよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。
・盤石な計画を持つ意思の固い創業者にとってはどんな価格でも低すぎるので、会社を売却することはない。
未来をランダムだと見る世界では、明確な計画のある企業はかならず過小評価されるのだ。
起業は、君が確実にコントロールできる、何よりも大きな試みだ。起業家は人生の手綱を握るだけでなく、小さくても大切な世界の一部を支配することができる。それは、「偶然」という不公平な暴君を拒絶することから始まる。人生は宝クジじゃない。
・重要なのは「何をするか」だ。自分の得意なことにあくまでも集中するべきだし、その前に、それが将来価値を持つかどうかを真剣に考えた方がいい。
べき乗則のもとでは、企業間の違いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。
・あえて起業するなら、かならずべき乗則を心にとめて経営しなければならない。いちばん大切なのは、「ひとつもことが他のすべてに勝る」ということだ。
・時間と意思決定もまたべき乗則に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れていることもある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に考えないわけにはいかなくなる。
・隠れた真実の存在を信じ、それを探さなければ、目の前にあるチャンスに気づくことはできない。フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過小評価されるのは、それがあまりに単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏づけている。振り返ればごく当たり前に見える洞察が、重要で価値ある企業を支えているのだとすれば、偉大な企業が生まれる余地はまだたくさんある。
・自然が語らない真実は何か? 人が語らない真実は何か?
・人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。人の秘密を明かすのに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌やタブーはなんだろう?
・競争は資本主義の対極にある。
優秀な起業家は、外の人が知らない真実の周りに偉大な企業が築かれることを知っている。偉大な企業とは世界を変える陰謀だーー隠れた真実を打ち明ける相手は、陰謀の共謀者になる。
・コンサルタントを雇っても無駄だ。パートタイムの社員もうまくいかない。遠隔地勤務も避けるべきだ。仲間が毎日同じ場所で四六時中一緒に働いていなければ、不一致が生まれやすくなる。君が誰かを雇うなら、フルタイムか、雇わないかの二者択一でなければならない。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(下)」

上巻から続きます

本書の収奪的・包括的という定義が曖昧なのは確かだと思います。江戸時代は収奪的政治制度ではあったが、後の維新を起こす程度には経済的繁栄をしていたのも確かであるし、二元論的な部分は否めないと思います。

この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。

とはいえ、全体として収奪的政治制度の腐敗がエスカレートしやすいというのも事実だし、包括的政治制度がさまざまなステークスホルダーがいることで、一方的な収奪的経済制度になりにくいのは確かで、政治と経済の関係に新しい視点を持ち込んだという点で非常に意義深い著作だと思います。

僕は長年リバタリアンなのですが、本書を読むと、政治制度が経済的繁栄に非常に大きな影響力を持っていることがよく分かって、少し考えなければならないなと思いました。

日本は現在、包括的な政治制度を持ち、それにより包括的な経済制度を持っているため、あまり政治の重要性について考えてきませんでした。世の中では財産権や下手すると法の下の平等すら持っていない国もたくさん存在します。そしてそれが決定的に経済的繁栄を阻んでいるということがよく分かりました。

1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。

では日本はどうでしょうか。民主主義では多くのことが決められなくなっているし、国家が機能しなくなっているのは先進国全般でよく言われています。しかし、この収奪的政治制度と包括的政治制度という関係性で言えば、確かに日本では高齢層が若年層を収奪したり、特定の利益団体が収奪している部分は多少あるにせよ、どこかが権力を掌握し一方的に収奪しているわけではなく、また今後もそうなる可能性は低そうです。

現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。

しかし成長戦略を描くという意味で言うと、様々な利益団体のロビイングから来る足の引っ張り合いからなかなか方向性を保ちづらい。一方で、この状態は戦前の日本やナチス時代のドイツを考えると、揺り戻しがあって特定グループが収奪的制度を打ち立てるよりはましと考えることができそうです。

大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。

よって、個人的には依然としてリバタリアンで構わないが、政治の決定的な岐路に立たされた場合は政治に関与すること、もしくは国外に出ることを検討する必要がありそうです。

<抜粋>
・こうした奴隷貿易が行われていたため、あらゆる刑罰が奴隷にされることに変わっている。こうした断罪には利点があった。犯罪者を売って利益を手にしようと、人々が鵜の目鷹の目で犯罪を見つけようとするからだ。
アフリカが産業革命の入り口にいないことは確かだったが、真の変化は進行していた。土地の私的所有によって部族長の力は弱まり、新しい人々が土地を買って富を築けるようになった。ほんの数十年前には考えられなかったことだ。このことからわかるのは、収奪的制度と絶対主義的な支配体制が弱体化すれば、あっというまに新たな経済的活力が湧いてくるということだ。
フランス革命の指導者とその後に続いたナポレオンは、こうした地域に革命を輸出することによって、絶対主義を破壊し、封建的な土地関係を終わらせ、ギルドを廃止し、法の下の平等を強いた。(中略)フランス革命はこうして、フランスだけでなくヨーロッパのほかの地域に、包括的制度とそれが促進する経済成長に向けて準備をさせたのだ。
・当初に何度か敗北を喫したあとで、新フランス共和国軍は初期の防衛戦で勝利を収めた。軍の組織について克服しなければならない深刻な問題はあったものの、フランスはある重要なイノヴェーションで他国に先んじていた。すなわち、徴兵制である。1793年8月に導入されたこの制度のおかげで、フランスは大規模な軍隊を編成できたし、ナポレオンの名高い軍術が登場する前においてさえ、最強と言ってもよいような軍事的優位性を確立できたのだ。
・19世紀半ばには、フランスの支配下にあったほぼあらゆる地域で工業化が急速に進展したのに対し、フランスに征服されなかったオーストリア・ハンガリー帝国やロシア、フランスの支配が一時的で限定的だったポーランドやスペインなどでは、概して停滞したのである。
・歴史的視点から考えてみると、法の支配はかなり奇妙な概念である。法がすべての人に等しく適用されねばならないのは、なぜだろうか? 王や貴族が政治権力を持ち、それ以外の人が持たないのであれば、何であれ王や貴族にとって許されることが、それ以外の人には禁止され処罰の対象となるのは至極当然だ。実際、絶対主義的な政治制度のもとでは法の支配など考えられない。それは、多元的な政治制度とそうした多元性を支える広範な連合から生み出されるものなのだ。
包括的な政治制度のおかげで自由なメディアが栄えると、今度は自由なメディアのおかげで包括的な経済制度や政治制度に対する脅威が広く知らしめられ、阻止されるケースが多くなる。
・国際社会は、植民地独立後のアフリカが、国家計画の推進と民間セクターの開拓によって経済成長を実現するものと思っていた。しかしそこには民間セクターなどなかったーー農村地域を除いては。農村地域は新しい政府に代表を派遣できなかったため、真っ先に餌食となったのだ。いちばん大事なことは、こうした例の大半で、権力にしがみついていれば莫大な利益が得られたということだろう。
・この種の悪循環の論理は、あとから考えるとわかりやすい。収奪的な政治制度のもとでは権力の行使に対する抑制がほとんどないため、前の独裁者を打倒し、国家の統治を引き継いだ人々による権力の行使と乱用を抑える制度は事実上皆無だ。また収奪的な経済制度のもとでは、権力を掌握し、他人の資産を搾取し、独占事業を設立するだけで、莫大な利益と富が得られることになる。
・現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的経済制度のせいで生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受けるものの力を強固にすることで、そうした経済制度を支える。
・2001年12月1日、政府はあらゆる銀行預金口座をまずは90日間、凍結した。週単位で少額の現金の引き出しが許されただけだった。引出限度額は当初、まだ250ドルに相当した250ペソで、後に300ペソになった。だが、引き出しが許されたのはペソ預金だけだった。ドル預金口座からの引き出しは、ドルのペソへの交換に同意しない限り誰にも許されなかった。
・翌年1月、ついに切り下げが実施され、もはや1ペソは1ドルではなく、まもなく4ペソが1ドルとなった。ドルで預金するべきだと考えた人の正しさが、これで証明されるはずだった。ところが、そうはならなかった。政府が銀行のドル預金をすべて強制的にペソに換えたものの、交換レートを旧来の一対一としたからだ。(中略)政府が国民の預金の4分の3を取り上げたのだ。
2009年11月、北朝鮮政府は経済学者が言うところの通貨改革を実施した。何人も10万ウォンを超える金額の交換はできないと、政府が発表した。ただし、上限額はその後、50万ウォンに緩和された。10万ウォンは闇市場の為替レートではおよそ40ドルだった。北朝鮮政府は国民の私有資産のかなりの部分を一気に消し去った。
・肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。
いくつかの歴史的転換点がなければ、西欧諸国がいち早く台頭して世界を征服することはありえなかった。こうした転換点となったのは以下のような要因だった。封建制度が独自の道筋をたどって奴隷制度に取って代わり、やがて君主の権力を弱めるに至ったこと、西暦1000年代に入ってから数世紀間に、ヨーロッパで商業上の自治を保つ独立した都市が発展したこと。明朝の中国皇帝とは異なり、ヨーロッパの君主が海外貿易を脅威と受け取らず、その結果、妨げようとしなかったこと、封建秩序の基礎を揺るがしたペストの到来。そうした出来事が違う展開をしていれば、私達がこんにち住むのは現在の世界とはかけ離れた世界、ペルーが西欧や合衆国より豊かな世界だったかもしれない。
・1990年代を通じて、外国からの投資が中国に流れ込み、国営企業の拡大が促進されてもなお、民間企業は疑いの目で見られ、多数の起業家が資産を没収され、投獄さえされた。
・ドイツも日本も、20世紀前半には世界でも指折りの豊かな工業国であり、国民の教育水準は比較的高かった。それでも、国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の台頭や、日本の軍国主義体制が戦争を通じたろう度拡大に熱中するのを妨げず、政治面でも経済面でも、収奪的制度に急転回することになった。
市場の失敗を減らし経済成長を促す政策を採択するうえでの最大の障害は政治家の無知ではなく、その社会の政治・経済制度から生じるインセンティヴと規制だという事実だ。それにもかかわらず、無知説は欧米の政策立案者のあいだで幅を利かせ、彼らはほかの方法はそっちのけで繁栄をいかに設計するかにもっぱら関心を寄せている。

政治と経済の関係に新しい視点を持ち込む「国家はなぜ衰退するのか(上)」

今まで数々の人々が何が国家の繁栄と没落を決めるのかという説を唱えてきています。

暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。

(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。

マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。

本書は、ジェフリー・サックスやジャレド・ダイアモンド、マックス・ウェーバーなどの説を真っ向から否定し、収奪的社会と包括的社会という観点から、すべてを捉え直す意欲作です。

大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である

要するに、「ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度」ということになり、またその収奪的制度と包括的制度、それぞれの強いフィードバック効果から双方への移行が非常に難しいとしています。

肝心なのは収奪的制度下の成長が持続しないことで、それには主な理由が二つある。一つ目は、持続的経済成長にはイノヴェーションが必要で、イノヴェーションは創造的破壊と切り離せないことだ。創造的破壊は経済界に新旧交代を引き起こすとともに、正解の確立された力関係を不安定にする。収奪的制度を支配するエリートたちは創造的破壊を恐れて抵抗するため、収奪的制度化で芽生えるどんな成長も、結局は短命におわる。二つ目の理由は、収奪的制度を支配する層が社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得ることが可能であれば、収奪的制度化の政治権力は垂涎の的となり、それを手に入れようとして多くの集団や個人が闘うことだ。その結果、強い力が働いて、収奪的制度下の社会は政治的に不安定になっていく。

一方で、第二次世界大戦後のソ連など一時的に急速な経済的成長をしたとしても収奪的制度下では持続的成長ができないとし、例えば現在の中国がまさにそれに当たるとして、包括的政治制度に移行しなければ成長は持続できないと主張しています。

紹介だけで長くなってしまったので、下巻の方でこれらについて考えてみたいと思います。

<抜粋>
・カルロス・スリムを現在の姿にした経済制度は、合衆国のそれとは大きく異なっている。あなたがメキシコの起業家だとすれば、キャリアのあらゆるステージで参入障壁がきわめて重要な役割を演じるはずだ。
・スリムがメキシコ経済において財を築いたのは、もっぱら政治的なコネのおかげだった。彼が合衆国に進出して成功したことはないのだ。1999年、スリム参加のグルポ・コルソはコンピューター小売企業のコンプUSAを買収した。(中略)「この評決のメッセージは、このグローバル経済において、企業が合衆国に来たければ合衆国のルールを尊重しなければならないということです」
こうした起業家は最初から、自分たちの夢のプロジェクトが実行可能であることを確信していた。制度とそれが生み出す法の支配を信頼していたし、財産権の安全を心配していなかった。最後に、政治制度によって安定性と継続性が保証されていた。
・本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。
・暑い国は本質的に貧しいのだという理論は、シンガポール、マレーシア、ボツアナといった国々の最近の急速な経済発展と矛盾するものにもかかわらず、依然として一部の人々によって強く提唱されている。経済学者のジェフリー・サックスもその一人だ。
・気候や病気、あるいはなんらかの地理説によって、世界の不平等を説明することはできない。ノガレスを考えてみるといい。二つのノガレスを分かつのは、気候、地理、病気などにかかわる環境ではない。そうではなく、合衆国とメキシコの国境なのだ。
・(ジャレド・)ダイアモンドの見解に従うと、インカ人があらゆる動植物種と、結果として生じる自力では発展させられなかったテクノロジーにいったん触れたあとは、あっというまにスペイン人に並ぶ生活水準を獲得しなければおかしい。
・ダイヤモンド自身も指摘するように、中国とインドはきわめて豊富な動植物群に恵まれていたし、ユーラシア大陸の指向性も大いなる味方だった。ところがこんにち、世界の貧しい人々の大半がこの二つの国で暮らしているのである。
・二つのノガレスを、あるいは北朝鮮と韓国を分断する文化的相違は、反映の違いの原因ではなく、むしろ帰結なのである。
・マックス・ウェーバーのプロテスタントの論理はどうだろうか。オランダやイングランドのようにプロテスタントを主とする国家が、近代において最初の経済的成功を収めたことは事実かもしれない。(中略)東に目を向ければ、東アジアで経済的成功を収めた国々は、どんなキリスト教とも無関係だとわかるだろう。
われわれはこう主張する。世界の不平等を理解するには、一部の社会がきわめて非効率かつ望ましくない仕方で構築されるのはなぜかを理解しなければならない、と。
・大半の経済学者や政策立案者は「正しく行う」ことに焦点を合わせてきたが、本当に必要なのは貧しい国が「間違いを犯す」理由を説明することである。間違いを犯すことは、無知や文化とはほとんど関係がない。のちほど述べるように、貧しい国が貧しいのは、権力を握っている人々が貧困を生み出す選択をするからなのだ。彼らが間違いを犯すのは、誤解や無知のせいではなく、故意なのである。これを理解するには、経済学や、最善策に関する専門家の助言を乗り越え、代わりに、現実に決定がいかにされるのか、決定に携わるのは誰か、その人たちがそうすると決めるのはなぜかを研究しなければならない。これは、政治と政治的プロセスの研究である。伝統的に、経済学は政治を無視してきたが、政治を理解することは、世界の不平等を説明するのにきわめて重要である。
政治とは、社会がみずからを統治するルールを運ぶプロセスである。
・絶頂期のソ連のように、中国は急成長を遂げているが、依然として収奪的な制度、国家の支配のもとでの成長であり、包括的な政治制度への移行の兆しはほとんど見られない。
・収奪的な制度がなんらかの成長を生み出せるとしても、持続的な経済成長を生み出すことは通常ないし、創造的破壊を伴うような成長を生み出すことは決してない。
産業革命が名誉革命の数十年後にイングランドで始まったのは偶然ではない。(中略)偉大な発明家は、自分のアイデアから生じた経済的機会をとらえることができたし、自分の財産権が守られることを確信していた。また、自分のイノヴェーションの成果を売ったり使わせたりすることで利益をあげられる市場を利用できた。
こうした決定的な岐路が重要なのは、収奪的な政治制度と経済制度が協働し、相互に支え合う結果、着実な改革を強く阻害するからだ。このフィードバック・ループのしつこさが悪循環を引き起こす。
・(ソ連において)1928年から1960年にかけて、国民所得は年に6パーセント成長した。これは、それまでの歴史においておそらく最もめざましい経済成長だったはずだ。この急速な経済成長を実現したのは、技術的変化ではなかった。そうではなく、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の親切による資本蓄積だったのだ。
成長はきわめて早かったため、リンカーン・ステフェンズのみならず、数世代にわたる欧米人がだまされた。合衆国のCIAもだまされた。ソ連自身の指導者すらだまされた。
・1940年代までに、ソ連の指導者たちはこれらの無意味なインセンティヴをはっきりと認識していたーー彼らはを賛美する西側の人々は別として、ソ連の指導者たちは、そうしたインセンティヴが生じる原因は技術的問題であり、解決可能であるかのように行動した。
・成長は政府の指揮によるものであり、おかげで一部の基本的な経済問題は解決された。しかし、持続的な経済成長を促すには、個々人が才能やアイデアを活用する必要があったのに、ソ連式の経済制度を捨てなければならなかったはずだが、そんなことをすれば自分たちの政治権力を危険にさらすことになっただろう。実際、1987年以降にミハイル・ゴルバチョフが収奪的な経済制度からの脱却をはじめると、共産党は力を失い、それと同時にソ連は崩壊したのである。
・大評議会は政治の閉鎖を実行すると、続いて経済の閉鎖に取りかかった。収奪的な政治制度への転換に続き、今度は収奪的な経済制度への移行が始まろうとしていた。最も重要なのは、ヴェネツィアを裕福にした偉大な制度的イノヴェーションの一つ、コメンダ契約が利用を禁じられたことだ。それは意外なことではない。コメンダは新興商人に有利に働いたが、いまや既存のエリートが彼らを締め出そうとしていたのだ。
・ローマは共和国期に堂々たる帝国を築き上げ、遠距離の貿易や輸送を盛んに行なったにもかかわらず、ローマ経済の大半は収奪を基盤としていた。共和国から帝国への移行は収奪の比重を増し、最終的には、マヤ族の都市国家に見られたような内紛、政情不安、崩壊を招いたのである。
ローマの成長が持続する可能性はなかった。包括的な面と収奪的な面を併せもつ制度のもとで起こったからだ。ローマ市民は政治的・経済的権利を手にしていたが、奴隷制は広く普及し、きわめて収奪的だった。そして、元老院議員階級のエリートが政治と経済を牛耳っていた。
・きわめて絶対主義的なオスマン帝国の制度を考えれば、スルタンが印刷機に敵意を抱いていたのも理解できる。書物を通じてさまざまな考え方が広まれば、民衆を支配するのがずっと難しくなる。
・第二に、(オーストラリア・ハンガリー帝国の)フランツは鉄道の敷設に反対した。鉄道は産業革命とともに出現した重要な新技術の一つだった。北部鉄道の建設計画を提示されたとき、彼はこう言った。「いかん、いかん、鉄道などごめんだ。革命がこの国に入り込んでくるかもしれないではないか」
・(中国では)この禁止令は18世紀になっても定期的に出され、海外交易の芽を効果的に摘み取った。なかには交易を発展させた者もいた。だが、皇帝の気がいつなんどき変わって交易を禁じられるかわからず、船、設備、交易関係に投資したところで無駄どころかもっとひどいことになるかもしれないというのに、わざわざ投資しようという者はほとんどいなかった。

与えるひとが成功する理由「GIVE & TAKE」

全米No.1のビジネススクール「ペンシルベニア大学ウォートン校」の史上最年少終身教授著。

ひとを「ギバー(人に惜しみなく与える人)」「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」「マッチャー(損得のバランスを考える人)」に分けて、もっとも成功するのはどれかという議論を展開しています。

販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。

結論、意外なことにギバーなのだが、逆にギバーは「与えすぎてしまい」成功できないことも多く、その違いなどについて詳細な解説を加えています。

着眼点は非常におもしろいのですが、それらを分ける定義がまずはっきりしないし、挙げられている事例も後付け感が否めません。

ではなぜ取り上げたのかという話なのですが、本質的にはネットの時代にギバーのよい評判がより広まりやすくなり、テイカーはその逆となるため、今後ギバーの考え方や行動が非常に重要になってくるだろうという直感はおそらく正しいと思ったためです。

数々のストーリーは非常におもしろくて、身に包まされることもあり、僕は普段何気なくしていると特に交渉などの際テイカー的側面がもたげてしまうので、もっともっと相手の立場にたって何かできることはないかと常に与えることを意識していきたいと思いました。

<抜粋>
・販売業でも、一番売上の低い販売員は平均的な販売員よりギバーを示す得点が25%高いがもっとも売上の多い販売員もやはりそうだった。売上トップはギバーで、テイカーやマッチャーより平均50%年収が多かった。
・電話もなければ、インターネットも高速の交通機関もない時代には、マラソンにはかなりの時間がかかった。人間関係と個人の評判を築くのは気の長い話だった。「昔は、手紙は出せても、そのことに誰も気づかなかった」とコンリーはいう。今日のような密接に結びついた社会では、人間関係や個人の評判は人目につきやすく、ギバーはペースを加速することができるとコンリーは考えている。
・ベンチャーキャピタルはそれまで、中身の見えないブラックボックスだった。そこでホーニックは、起業家たちをなかに招き入れることにしたのだ。情報をウェブ上に公開して共有し、ベンチャーキャピタリストの考えをより深く理解してもらうことで、起業家がもっとうまく売り込めるよう手助けをはじめた。
・告発によれば、レイはエンロンが破綻する直前に7000万ドル(約70億円)以上の株式を売却し、沈みかけた船から財宝を盗みとったという。
テイカーは部下に対しては支配的になるが、上司に対しては驚くほど従順で、うやうやしい態度をとる。有力者と接するとき、テイカーはまさにペテン師になる。
・年をとればとるほど、休眠状態のつながりはますます増えていき、また、さらに貴重なものになっていく。
テイカーはユニークなアイデアを生み出し、反論をものともせず、それらを擁護するコツを心得ている。自分の意見に絶対的な自信をもっているため、普通の人なら想像力を抑え込まれてしまう「社会的な承認」に縛られることがないからである。
・ある調査で、ミネソタ大学の研究者ユージーン・キムとテリーザ・グラムは、非常に才能のある人は他人に嫉妬されやすく、嫌われたり、うらまれたり、仲間はずれにされたり、陰で中傷されたりすることを発見した。ただし、これがギバーであれば、もはや攻撃されることはない。それよりむしろ、ギバーはグループに貢献するので感謝される。同僚が嫌がる仕事を引き受けることで、マイヤーは妬みを買うことなく、そのウェットとユーモアで仲間をアッといわせることができたのだ。
・実際、それぞれのカップルに夫婦関係への具体的な貢献度合いをあげてもらうと、自分がしたことは11個思いつけたのに、相手のしてくれたことは8個しか思いつかなかった。
・成績のよくない生徒や、差別を受けているマイノリティグループの生徒の成績と知能検査のスコアを向上させるには、教師が生徒に対し期待を抱くことがとりわけ重要だということなのだ。
・すべての業種において、マネジャーが無作為に従業員をブルーマーに指定すると、その従業員は才能を開花させた。これを利用すれば「仕事の成果にかなり大きな影響をおよぼすことができる」とマクナットは考えている。そこで、マネジャーたちにこうすすめている。 「従業員の可能性を心から信じ、支援の手を差し伸べ、可能性を信じていることを常日頃から伝えていれば、やる気が出ていっそう努力するようになり、その可能性を発揮できるようになるのです」
ギバーは同僚と会社を守ることを第一に考えるので、進んで失敗を認め、柔軟に意思決定しようとする。ほかの研究によれば、人は自分よりも他人のために選択するとき、より的確で創造的な決断が下せるという。自分を中心に考えると、エゴを守ろうとすることによって決断が歪められるだけでなく、考えうるあらゆる局面に適した選択をしようと悩むことになる。
・調査では、私が「新しいコンピュータを買うご予定がありますか」と尋ねると、その人が六ヶ月以内に新しいコンピュータを買う可能性が、18パーセント高まることがわかっている。
・ギバーはゆるい話し方をすることで、相手に「あなたの利益を一番に考えていますよ」というメッセージを伝えている。だが、控えめに話さないほうがいい立場が一つだけある。それは、リーダーシップを担っている場合だ。
・(注:ハンツマン)「これまでの人生で、経済的にもっとも満足のいく瞬間は、大きな契約を結んで舞い上がったことでも、そこから利益をものにしたことでもない。それは、困っている人を助けられたことである。与えれば与えるほど、ますます気分がよくなる。気分がよくなればなるほど、ますます与えることが容易になっていくのだ」
・ほかの人の代理人として振る舞うことは、ギバーとしての自己イメージと社会的イメージを保つための効果的な方法なのだ。
・クレイグズリストのようなシステムは、多くの人間がマッチャーだという事実を利用して、人びとに価値を交換させている。しかし一部の研究者は、むしろフリーサイクルのようなシステムこそ、今後急速に成長するだろうと考えている。

超格差時代を生き抜くヒント「グローバル・スーパーリッチ」

タイトルから受ける印象とは違い、プルトクラート(上位0.1%の超富裕層)やその周辺への綿密なインタビューや豊富な統計データなどを用いて、今世界で何が起こっているかを鮮やかに描き出した良作。

今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。

この流れは止められないのがいたいほど分かったので、どのように生きていくかを考えさせられました。結局、自分が好きで得意なことをやって世の中に価値を生み出していくしかない。先進国においては、誰でもできることはボーダレス化により、どんどん下方圧力がかかってしまいます。

(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」

しかし、いかに成功するかを考えると、実際のところ結構難しい。世の中のランダム性が強くなっているので、ある世界では成功したひとが、ある平行世界では成功しないということがありえてしまう。しかし、一度、強者の世界に突入すれば、ほとんどすべてを勝つ方向に持ってくことができる。だから、まずはひとと違うことをして目立った成果をあげることが重要だと思っています。

経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
(中略)
一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。

とはいえ、僕はあまりこの考えには賛同してなくて、いつでも(何歳でも)チャンスはありえると思っています。だから、常にチャンスを掴むための努力をしていなければならないと思っています。努力をしていなくても運良く成功することはありますが、努力が成功につながらないと僕自身は納得できないので、努力そのものを楽しめるような分野でやっていきたいと思ってます。

P.S.

一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

ちょっと本題と外れますが、まさにFacebookなどに巨額投資したDSTのような新興財閥の動きは非常に注目だと思いました。

<抜粋>
・今日、とてつもなく強力な二つの勢力が経済変化の原動力になっている。テクノロジー革命とグローバル化である。これら双子の革命は、けっして目新しいものではない。世界で初めてパーソナルコンピューターが発売されたのはいまから40年前のことだが、われわれはそれを使い慣れたさまざまな道具と同じように考え、その登場によってもたらされた衝撃を過小評価しがちである。
・「テクノロジーが変化する速度はかつてないほど速く、それがセクターからセクターへと波及している」と、モーカーは私に語った。「どうやら、これからも指数関数的な速度で広がりつづけるようだ。われわれ一人一人は賢くなりつつあるわけではないが、社会全体は知識をどんどん蓄積している。もみ殻の山をかき分け、小麦の実にたどり着くために、われわれは情報やテクノロジーの助けを借りることができるーー過去のどの社会にもなかったことだ。この点はきわめて大きい
・西洋の第一次金ぴか時代のさなかには、本当にその経済システムがうまくいくかどうか、明確にわかっていたわけではなかった。そのころ、産業革命という「暗い、悪魔のような工場」に触発された急進主義者たちは資本主義に反旗をひるがえした。そして革命に成功すると、血なまぐさい手段によって経済と政治のしくみを再構築することになったのだ。だが今日では、共産主義の実験の果てを見なくとも、資本主義が機能することは明確に証明されている。
・スーパーエリートに含められる人びとは、データギークの台頭はまだ始まったばかりだと考えている。エリオット・シュレイジは、テクノロジー分野において、いわば貴族階級に属している。彼は、シリコンヴァレーでもっとも注目を集めていたころのグーグル社で広報担当重役を務めたあと、巨大企業になりつつあったフェイスブック社に移って同じ業務をこなした。2009年、教育及び出版担当重役を集めた社内会議でシュレイジは、子供たちに勧めるべき学問の分野は何かと質問され、統計学であると即答した。データを理解する能力こそ、21世紀にもっとも大きな力になるという理由だった。
ドルー・フォーストは、ハーヴァード大学の学長として三度目の卒業式のスピーチで、卒業生に「人生の駐車スペース理論」を実行するよう説いた。「目的地の近くには駐車スペースがないだろうと予想して、10ブロックも離れた場所に車をとめてはいけない。まずは行きたい場所に行きなさい。必要があればUターンはいつでもできる」
・経済変化が急速の進みつつある現代、スタート直後に全力疾走しなかった者や、スタート後のほんのわずかなあいだだけ誤った方向に走った者には、セカンドチャンスがほぼなくなっているのだ。
・一方、若いうちに大きな成功をつかんでおけば、経済の予測のつかない動向に対する、便利な防護手段を得ることになる。今日のプルトクラートの多くは、だいたい10年か20年前に現在の職業に就いている。だが、その前にすでに何かしらの偉業を達成し、さらに大きいチャンスをつかむに値する人間になっていた。
・(あるノーベル物理学賞受賞者)「注意していないと、他人がした発見まで私の手柄にされるかもしれない。私が著名人であるからだ。私が何かいえば、世間はこう考える。『なるほど、彼がこれを考案したのだな』いや、私としては、他の誰かが以前に考案したことについて話しているだけなのだ」
・カッツェンバーグが1991年の覚書で披露したアイデアは、その後の学術研究によって広く裏づけられている。驚いたことに、1999年にエイブラハム・ラヴィードが実施した映画作品200本の経済的側面に関する調査の結果、スターの出演は興行収入にまったく関係ないとわかった。
・(ジョージ・ソロスがホロコーストから逃げ回った経験から)「ときには、生き残るために積極的な努力をすることが必要になる。それは少年時代に体験したことだ。人から教わった部分もあれば、経験してわかった部分もある……。父の経験から知ったのは、通常のルールが通用しなくなったとき、そのルールをかたくなに守りつづければ死ぬということだ。生き残れるかどうかは、通常のルールが通用したいことに気づくかどうかにかかっている……。行動しないことがもっとも危険である場合もある」
ノーベル賞受賞者について調査したロバート・マートンは、適切な仕事を選びとる能力の存在を発見した。その能力は、選んだ仕事をこなす能力そのものと同じほど重要だった。マートンは1968年にこう記している。「彼らのはほとんどは、問題を解決することではなく発見することの重要性に目を向けている。彼らが一様に示しているのは、根本的重要性を有する問題を把握するにあたっての鑑識力、判断力の向上こそが各自の仕事にもっとも大切であるという強い信念である」
・ザッポスでは、多くの部分で「ワオ」が重視されている。コアバリューの一つ目は、サービスを通じて「ワオ」を届けることなのだ。その第一歩としてザッポスは、従業員に、この会社で働くことは特権だと思ってもらえるよう努力している。私は、ヘンダーソンで過ごした二日間のあいだに十数回も、「ハーヴァード大学に入るより、この会社に入るほうが難しい」と聞かされた。社内には「ワオ!」の壁ーーもちろん、どんどん落書きしていいことになっているーーというものがあって、誰かが「大勢の人が私の仕事を見学したいと思ってくれることに、『ワオ』といいたくなる」と書いていた。
・2010年4月、世界一の金持ちであるのはどんな気分かとMITの学生たちに質問されたビル・ゲイツは、たいしたことはないというような意味の返事をした。「いや、限界収益はしだいに少なくなる。私は、ハンバーガーの室と価格の点で、マクドナルド以上の店をまだ知らない」彼はこれまでに、たとえば自家用ジェットでの移動など、すばらしい役得はあったことを認めた。「しかし、数百万ドルを稼いだあとは、それをどう還元するかが大事になる」
・長い目で見れば、この都市の寡頭制にとっても、もっと広範囲なヴェネツィアの繁栄にとっても、<ラ・セッラータ>は終わりの始まりを意味した。1500年、ヴェネツィアの人口は1330年の時点に比べて減っていた。17世紀から18世紀、ヨーロッパの他の国々が発展するにつれ、かつてヨーロッパ一豊かだったこの都市はいっそう衰退していった。
・それを誰に明確にしてもらうかは、きわめて難しい問題だ。政府が、これはいい事業、これは悪い事業というふうに分け隔てし、悪い事業には、たとえば特別に課税するなどの方法で罰を与えれば、違和感を覚える人は多いだろう。それに強力なロビー団体の存在もある……。『これはいい事業、これは悪い事業』と区別するのは、経済学者にすら難しい。進行中の事業であれば、なおさらだ
この200年でもっとも驚くべき政治的事実といえば、マルクスの言うような事態が起こっていなかったことである。ヴェネツィアのエリートとは異なって、西洋の資本家は破壊的想像や新しい参入者との競争を甘んじて受け入れ、より包括的な経済秩序と政治秩序をつくりあげた。その結果、人類史上もっともさかんな経済進歩の時代が出現している。
・一方、新興国の収奪的な体制のもとで繁栄を謳歌する新興財閥は、国内を抑えこむことでイノベーションが生まれなくなっても、それほど心配する必要がない。共産国の中国の少君主は西洋からテクノロジーを輸入できる。ロシアのオリガルヒは世間の話題をさらっているシリコンヴァレーのスタートアップ企業に直接に投資できる。さらに、どこであれ新興国の新興財閥ならば誰でも、マンハッタン、ケンジントン、コートダジュールにセカンドハウスを持ったり、わが子をイギリスの寄宿学校やアメリカの名門大学に入れたりできる。

20世紀の隠れた大発明を知る「コンテナ物語」

今でこそ当たり前のコンテナ輸送ですが、当然ながら港は昔から一大産業であり(NYだけで10万人以上が携わっていたという)、波止場で港の労働者が荷物の運ぶシーンからコンテナ輸送になるまでには本当に紆余曲折がありました。

海運業者、鉄道、トラック、国家、都市および港間で興味深い事件がたくさん起こっており、最終的に60年代後半〜70年代にかけて劇的に切り替って、それぞれの勢力図が塗り替わっていく様が丁寧に描かれています。

日本のエレクトロニクス・メーカーが躍進したのもまさにコンテナのおかげでした。グローバリゼーションとは何かも考えさせられ、知的好奇心が刺激される良作です。

<抜粋>
・輸送コストが高かった頃は、港や消費者に近い立地が有利であり、そのため製造業は長年にわたりやむなくコストの高い都市周辺に工場を設置していた。だが輸送費が下がると、彼らはさっさと地方に移転する。
・パンアトランティック海運のような内航海運会社は規制でがんじがらめの状況に置かれ、起業家精神を発揮する余地などすこしもない。また、アメリカ船籍の外航船を運航するウォーターマンのような船会社は、海運同盟すなわち運賃カルテルへの加盟を認められている。さらにアメリカ人船員が乗り組むアメリカ船は、軍用船やら貨物船やら政府の払い下げ船を運航する独占的な権利を持つ。おまけに政府から補助金も潤沢に出る。こんなぬくぬくとした環境で保護されているから、ウォーターマン海運はあんな立派な本社を構えていられるのだ。
ニューヨーク市にとって、港は雇用の一大供給源である。1951年、港が戦時体制から正常な状態に戻ったとき、海運業・トラック運送業・倉庫業で働く市民の数は10万人に達していた。ここには鉄道と市営フェリーの職員は含まれていない。
・だが規格戦争はこれで終わりではない。むしろこれはほんの始まりにすぎなかった。今度は、アメリカにせかされた国際標準化機構(ISO)がコンテナの規格統一に乗り出したのである。ISOには当時三七カ国が加盟していた。その頃はまだ国境を超えたコンテナ輸送はほとんど行われていなかったが、いずれそうなることは目に見えており、各国企業が大規模な投資を始める前に国際規格を決めてしまうのがISOの目標である。
これだけでも、コンテナ輸送の威力がわかる。ニューヨーク港で暑かったコンテナ貨物の量は、1965年には195万トンだった。それが翌66年の最初の10週間だけで、260万トンに急増している。この現象を目の当たりにしたアメリカの海運各社、さらにイギリスの二社、大陸欧州のコンソーシアムがどっと参入してきた。「船会社も港もコンテナ輸送に本腰を入れ、もはや後戻りできない状況になったのはこの66年である」と、あるコンサルティング会社は分析している。
・1967年〜68年の鉄道はそんな助言に耳も貸そうとしなかった。ベトナム戦争による好景気を受け、ピギーバック輸送は絶好調で3年で30%も伸びている。伝統に支えられ規制に守られてきた鉄道会社には、新しいビジネスに向かう気概が欠けていた。そして、コンテナ輸送という未開の領域がみすみすトラックにさらわれるのを見過ごしたのだった。
・シンガポールの躍進ぶりはあらゆる予想を超えていた。新ターミナル開業前の1971年の時点では、シンガポール港湾局が予想した10年後のコンテナ取扱量は19万TEUだった。しかし82年の取扱量は100万TEUを軽く超え、同港はコンテナ港として世界六位にランクされている。(中略)ついに2005年には、原油を除く一般貨物で香港を抜いて世界最大となった。いまや5000以上のグローバル企業がシンガポールをハブ港として利用する。輸送の力が貿易の流れを変えることを、シンガポールは実証したのである。
コンテナのメリットを最初に実感したのは、エレクトロニクス・メーカーだった。電子製品は壊れやすいうえ盗難にも遭いやすく、まさにコンテナにぴったりの商品である。エレクトロニクス製品の輸出は1960年代前半から伸びていたが、コンテナ化で海上運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、保険料が安くなると、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を制覇した。
新しい港の地理学は、従来とは異なる貿易パターンを生み出す。地中海に面した南フランスのメーカーが輸出するには、英仏海峡に面したルアーヴルを使うのがいちばん安上がりだった。(中略)日本からサンフランシスコ向けのか持ちは、ごく近くのオークランドではなくシアトルに送られた。シアトルからサンフランシスコまで鉄道輸送しても、寄港先を減らす方が安上がりだからである。
・20世紀末に起きたグローバリゼーションは、だいぶ性質がちがう。国際貿易の主役は、もはや原料でもなければ完成品でもなかった。1998年のカリフォルニアに運ばれてきたコンテナの中身をもし見ることができたら、完成品が三分の一足らずしか入っていないのに驚かされるだろう。残りはグローバル・サプライチェーンに乗って運ばれる、いわゆる「中間財」である。
・60年代を通じ、コンテナリゼーションの降盛を予測する論文は次々に書かれているが、どれも輸出入の流れは基本的には変わらないと見込んでおり、貨物は徐々にコンテナに切り替わるとみている。コンテナ輸送が世界経済を再編し貿易を一気に拡大するという予想があっても、まじめには受け取られなかった。

無印マニュアルに学ぶ「無印良品は、仕組みが9割」

無印良品は38億円赤字を出し、その後V字回復しているがその中興を築いた元社長松井氏による無印良品の話。多くはマニュアル(無印ではMUJIGRAMという)について割かれているのですが、単純なマニュアル化というよりも、タイトルにもあるように仕組み作りについて概念から細かいところまで書かれています。

メルカリは、今までは経営陣から現場までその場の判断でどんどん進めてきたものの、仕組み化していかないと回って行かないフェーズになってきているので、非常に勉強になりました。MUJIGRAMならぬMERUGRAM(仮)を作っていきたいと思ってます。

P.S.ちなみに良品計画、中国など海外が好調で収益を伸ばし続けており、2017年には海外店舗が国内を超える計画だそうです。

<抜粋>
リーダーに必要なのは徹底力であり、組織の向かうベクトルをまとめる。それをできるまでやる、やり遂げるしかないのだが、私は社長になった時に覚悟を決めたのです。
・今の時代のリーダーに必要なのはカリスマ性ではなく、現場でも自由にものを言えるような風土をつくり、その意見を仕組みにしていくことです。
・マニュアルを使うと、決められたこと以外のしごとをできなくなる、受け身の人間を生み出す、とよく指摘されています。無味乾燥なロボットを動かすような、画一的なイメージがあるようです。しかし、そういう人をつくるのが無印良品の目的ではありません。 むしろ、マニュアルをつくれる人になるのが、無印良品で目指すところなのです。
・マニュアルをつくり上げるプロセスが重要で、全社員・全スタッフで問題点を見つけて改善していく姿勢を持ってもらうのが目的なのです。
・たとえば、時間が足りないからと毎日のように残業をしているのなら……本当に時間が足りないのか。もしかしたら、自分では必要だと思っている作業に、ムダがあるのではないか。そうやって自分の仕事を改めて考えるうちに、「どのように働くべきか」「何のために働くべきなのか」という仕事の本質に近づけるようになるのです。
・マニュアルは、それを使う人が、つくるべきなのです。 また、特定の部署だけがつくるのではなく、必ずすべての部署に参加してもらうこと。さらにいうなら、すべての社員が参加できる道筋を整えておくのがコツです。
・誰でもわかるようにするためには、いい例と悪い例を紹介するのも一つの手です。
・一例として、MUJIGRAMの「売り場の基礎知識」にはこう書いてあります。
 「売り場」とは
 何:商品を売る場所のことです
 なぜ:お客様に見やすく、買いやすい場所を提供するため
 いつ:随時
 誰が:全スタッフ
 このように、冒頭で「何」「なぜ」「いつ」「誰が」の四つの目的を説明してから、ノウハウの説明に入っていくというフォーマットになっているのです。 「これくらいのこと、言わなくてもわかるのでは」と思うかもしれませんが、その一方的な思い込みこそ、個人の経験や勘に頼りがちな風土をつくってしまうのです。
・“一見、必要な努力”に目を奪われ、がむしゃらに頑張ってしまう前に、「本当に、この努力の方法でいいのか」を自問するわけです。
・退社時には、私物や進行中の仕事の書類などを残してはいけないことになっており、机の上に載っているのはパソコンと電話ぐらいです。
・ハサミやホチキス、のりなどの文房具は、部門ごとで共有するようにしています。個人で文房具を所有していると、際限なく所有物が増えていくものです。
無印良品では会議の時に使う提案書はA4一枚(両面)と決めてあります。新規出店のような大型の案件でも、提案書はA4一枚です。
・「部下に注意をする」とは
 何:部下のミスやトラブルを是正する行為
 なぜ:部下にミスやトラブルの原因を認識させ、反省してもらうことで成長を即す
 いつ:部下がミスやトラブルを起こした時
 誰が:自分

iPhone vs Androidの歴史「アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか」

iPhone vs Androidつまり、スマートフォン分野でのApple vs Googleの歴史。ものすごい丁寧に追いかけてあり、iPhoneもぎりぎりの選択から生まれてきたことが分かるし、Androidにいたってはほとんど奇跡のようなタイミングと戦略により生き残ってきたことがよく分かります。

ベゾス(アマゾン創業者)が言うように、AppleはiPhoneで儲け過ぎたがゆえにGoogleのAndroidに付け入る隙を与えられてしまいます。しかし、Googleもなんだかよく分からなかったAndroidに紆余曲折ありながらも賭け続けたのは素晴らしい。僕はAndroidが出てきた時になんでこんなことやってるんだろうと思っていた口なので、本当に尊敬します。

ビジネスというのは最先端に行けば行くほど、誰も見えていない可能性に気づくことができます。それに対して社内外から批判されようが、ベットし続けることが重要なんだなと思いました。自分も早く勝負できるだけの先端に行きたいものです。

<抜粋>
モトローラと提携するのは、キャリアと直接交渉せずに音楽携帯を作って他社に対抗しようという、防御措置とリスク回避のためだったが、2004年がひと月、またひと月とすぎていくにしたがって、iTunesとiPodについてはなんら防御措置など必要ないことがわかってきたのだ。iTunesをより広く普及させるのに<ロッカー>の手助けはいらず、iPodの売上がロケットさながら急上昇するのを、ただ待てばよかった。2003年夏の四半期にわずか30万台ほどだったiPodの売上は、2004年に入っても四半期でまだ80万台だったが、同年夏に爆発的に伸びる。2004年9月締めの四半期では200万台、年の最後の四半期では450万台になった。
・アップルは初代iPhoneを作るのに1億5000万ドル以上の費用をかけたらしい。
・iPhoneは、見た目がクールなだけでなく、そのクールさを利用して、まったく新しい携帯電話の使い方を生み出していたーーアンドロイドのエンジニアたちが可能だと思っていなかったか、可能だとしても危険すぎると思っていた方法だ。
ルービンは「ボス」でなくなったことにも慣れなければならなかった。グーグルのアンドロイド部門を率いていたが、2005年の末でも、従業員5700人の会社で10人ほどの部下しかいなかった。ただグーグルは、明らかにアンドロイドをほかのあまたの小さな買収企業より優遇していた。
・立案に半年を費やしたあと、マーケティングそのものを放棄し、ジーマンを解雇した。ペイジもブリンも、グーグルの検索エンジンが自動的に広まると信じていてーーその読みは正しかったーーその後もグーグルは、2001年までマーケティング担当役員を置かなかったほどだった。
アップルはそのあと残りの30%を取るが、ルービンは、アンドロイドの取り分にもできるその30パーセントをキャリアに渡すことにした。差し出されるものを受け取らないのはおかしいという意見もあったが、ルービンは<ドロイド>成功のチャンスが少しでも広がるなら安い買物だと思った。
・携帯電話一台からあがる広告収入はデスクトップ一台より少ないが、保有者の数を考えると、全体としての収入は爆発的に伸びそうだった。消費者が一年で買う携帯電話の数はPCの五倍にのぼるーー18億台と4億台のちがいだ。グーグルはまだその市場にほとんど浸透していなかった。
2010年になると、アメリカの多くの消費者が、たんにキャリアがAT&T社でないという理由からアンドロイド携帯を買っていた。ジョブズは2007年のiPhone発売以来、ネットワークの性能を早く上げろとAT&T経営陣に圧力をかけていたが、独占契約が終了してベライゾンでもiPhoneを提供できるようになる2011年のはじめまでは、AT&Tに行使できる影響力にも限界があった。
(ペイジ)グーグルに関する記事を読むと、どれもこれも、グーグル対ほかの会社、グーグル対くだらない何かといった内容ばかりだ。興味が沸かない。われわれは、いまここにない偉大なものを作るべきだろう? ネガティブな態度では進歩できない。それに、本当に重要なことはゼロサムではない。チャンスはたくさん転がっている。みんなの暮らしをよりよくするために、テクノロジーを使って、斬新で本当に重要なものを作り出すことができるんだ。
(ジョブズ)2010年、なぜiPadが重要なのかと尋ねられて、こう答えた。「アメリカが農業国だったとき、車はすべてトラックだった。農場で必要とされたからだ。でも、都市部で乗られるようになると、沓間の人気ががぜん高まった。オートマティック・トランスミッションやパワーステアリングなど、トラックにはあまり関係のなかったイノベーションが、乗用車では何より重要な機能になった……PCはトラックのようになる。まだ出回っているし、価値も大いにあるが、やがて一部の人しか使わないものになるだろう」

アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか

アマゾンの作り方「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」

綿密な取材によりアマゾン創業者ジェフ・ベゾスを追った力作。

とにかく丁寧に、幼少時代からはじまり、アマゾンがどのように立ち上がり、最初はバーンズ&ノーブルなどの大手書店、続いてトイザらスやウォールマートのような巨人たちから、ザッポスやクイッドシーのようなベンチャーと対抗してきたのか、その間に打ってきたロジスティクス、カスタマーレビュー、アマゾンプライム、マーケットプレイス、AWS、キンドルなどの戦略の裏側から、人事や企業文化まで事細かに描かれています。

思ったのは、今では当たり前になっている上記の施策ですが、当時は本当に手探りで、様々な手法が試され、星の数ほどの失敗の中からビッグヒットが生まれてきたということです。本書によるとアマゾンも膨大な数の失敗を繰り返しており、ほんの少し正解の数が多かっただけなことが分かります。しかし、それが決定的な差になっています。

なので、ビジネスをする上ではとにかく正しいと思われる施策を大胆に考えて、試行回数を増やしてすばやく正解か間違いかを判断していくことがとにかく重要なんだと再認識できました。

ベゾスのやり方には極端なところもありますが、非常に合理的なのに夢もあって、個人的にモバイル・コマースのビジネスをしていることもありものすごい勉強になりました。何度か読み返そうと思ってます。

<抜粋>
・「あなた方は物理的な店舗を持っていませんよね。そのうち、この問題が原因で伸び悩む日が来ると思いますよ」 細身のスターバックス創業者が、ふたりのためにコーヒーを入れつつこう切り出すと、ベゾスが正面から反論する。 「いや、月まででも行けると思っていますよ」
チェーン展開しているバーンズ&ノーブルがオンライン事業を本気で進めるのは難しいはずだとベゾスは読んでいたし、この読みは正しかった。ごく一部にすぎないオンライン事業で損失を出すのはいやだと考えたリッジオ兄弟は、優秀な社員の投入をためらった。利益率の高いリアル書店での販売が低下する恐れがあるからだ。
・立ち上げ期のアマゾンで働いた人々のなかには、ここまで強烈ではないかもしれないが、同じような想いを抱く人が多い。皆、説得力のある教義を説いたベゾスを信じ、金銭的には十分に報われた。だがそのあと、冷たい目の創業者に捨てられ、経験豊かな人々に交代させられた。
・「そうかもしれないね。でも一点だけ指摘しておこう。新しい販路に注目してすばやく開拓するといったことは、リアル店舗を持つ既存の小売業者にとって以外なほどやりにくいことなんだ。いや、企業というのはそれぞれに手慣れたやり方というものがあって、みんなそうなのかもしれない。ともかく、そのあたりのことをみなさんは過小評価している気がする。本当のところどうなのかは、そのうちわかるんじゃないかな
このとき、誰よりも大きくインターネットに賭けたのがジェフ・ベゾスである。ウェブの登場で会社にとっても消費者にとっても世界が大きく変わると信じたベゾスは、迷うことなく前に突きすすんだ。このころ、ベゾスはこうくり返していた。 「ウチの会社は評価が低すぎると思います。アマゾンの将来像を世界が理解できていないのでしょう」
・当時は、多くの人が使うほど製品やサービスの価値があがるというネットワーク効果をハイテク業界が学んでいく時代だった。オンラインの市場はネットワーク効果に支配されており、売り手は十分な数の買い手が集まるのを待ち、逆に買い手は十分な数の売り手が集まるのを待つ。つまり、オークション分野でイーベイの優位は覆せないものとなっていたのだ。アマゾンにとっては大きな失敗で板でではあったが、意外なほどにへこまなかったとブラックバーンは言う。
・キャンベルが出した結論は、「ガリは報酬の問題やプライベートジェットなどの役得ばかりを気にしている。社員の気持ちはベゾスのほうを向いている。創業者を選んだほうが賢明だ」であった。
・投資家の目が厳しくなったこと、また、経営幹部がこぞって意見したことから、ベゾスも方針を転換する。スローガンも「早くでかくなる」から「社内をまともにする」となり、「規律、効率、無駄の排除」が合言葉となった。会社は1998年の1500人から2000年になるころには7600人と爆発的な勢いで成長したおり、このあたりで一息つく必要があるとベゾスでさえも感じる状況になっていた。
・「まあ、いつものことなのですが、あのときもジェフ対世界という構図でした」
・「小売店は2種類に分けることができます。どうしたら値段を高くできるのかを考えるお店と、どうしたら値段を下げられるのかと考えるお店です。我々がめざすのは後者です」
・調査後、アマゾンはテレビ広告をすべてやめただけでなく、マーケティング部門を解体してしまう。
・自分の時間をうまく割り振る努力の一環として、一対一の面談をやめると宣言。一対一で部下と面談すると、問題解決やブレインストーミングにならず、どうでもいいような報告と社内政治の雑音を聞かされることが多いからだ。いまも、ベゾスが社員と個別面談することはめったにない。
ベゾスはこの方法をさらに一歩進めた。新しい機能や製品を提案する場合は、プレスリリース形式の意見書にすべしとしたのだ。目的は、うりのポイントをぎりぎりまで洗練させること、顧客が目にするリリースからスタートし、そこからさかのぼる形で仕事をするようになることだ。新しい機能や商品が世間にどのように伝えられるのかを知らず、神様である顧客がそれをどう受け取るのかを知らずに優れた意思決定はできないーーそうベゾスは考えたのだ。
宝飾品担当となったふたりは、その少し前、アパレルへ参入したときと同じように、慎重に進めようと考えた。経験豊富な小売業者にマーケットプレイス経由で商品を販売させ、アマゾンは手数料を受けとると同時に彼らのやり方を見て学ぶのだ。ランディ・ミラーはこう証言している。 「アマゾンはこれが得意なんですよ。よくわかっていない事業に参入する場合、マーケットプレイスでスタートして小売業者を誘致し、彼らのやり方や品ぞろえを観察して学んでから参入するのです」
・アンストアであるとは、また、顧客にとってなにが一番いいのかさえ考えればいいことを意味する。宝飾品事業では100%から200%の利ざやが慣例だが、アマゾンがそれに従う必要はない。 この会議でベゾスは、アマゾンは小売企業ではない、よって、小売業界に頭を下げる必要はないと宣言したのだ。
・物流ネットワークのソフトウェアを根本的に改めた結果、大きな成果が得られた。(中略)ウィルケがアマゾンに来たころはクリックから出荷まで3日かかる場合が少なくなかったが、それが、ファーンリー会議から1年でほとんどの商品について4時間以内と短くなったのだ。ちなみに、電子商取引業界の一般的な値は12時間である。
・プライムには価値があると、最終的には確認される。Amazonプライムに登録した顧客は、注文の翌々日に必ず商品が届くのが便利だとアマゾン中毒になるのだ。
・ジャシーとベゾス、ダルゼルが新しいAWSの構想を取締役会に提出すると、組織的ノートがその鎌首ともたげようとした。「まっとうな疑問」だったとのちに述懐しているが、ジョン・ドーアが当然の質問をしたのだーー海外展開を加速しなければならないのにエンジニアの採用が滞っているいま、なぜ、この事業をはじめなければならないのか、と。 「この事業も必要だからだ」ーーそれがベゾスの回答だったアマゾンは市場ニーズを繁栄する形でそのようなサービスを必要としている、というのだ。ジャシーは、取締役会後、これほど大胆な投資をする会社で仕事ができるお前は幸せ者だとドーアに言われたらしい。
ビル・ミラーからAWSの収益予想を尋ねられたとき、ベゾスは、長期的には収益が上げられるようになるが、「スティーブ・ジョブズの失敗」をくり返したくないと回答した。iPhoneをびっくりするほど利益があがる価格にして、競争相手をスマートフォン市場に引き寄せた愚は避けたいというわけだ。
・アマゾンの弾み車が加速しているころ、イーベイの弾み車はばらばらに壊れつつあった。安値で入札したコブラのゴルフクラブセットが落札できるかどうか7日間も待つのはつらいと考え、消費者は、さっと買い物ができる確実性と利便性を求めるようになった。オンラインオークションの魅力は薄れてしまったのだ。
時間がたつにつれ、消費者はアマゾンでのショッピングを楽しいと思い、イーベイで品物を探したり高すぎる配送料を請求してくる売り手に対応したりするのはめんどうだと思うようになった。アマゾンは混乱と戦って克服したのに対し、イーベイは混乱に飲まれたのだ。
・(ダルセル)「いろいろな人のもとで仕事をしましたが、ジェフには何点か、ほかの人より優れているところがあります。ひとつは、現実を受け入れること、現実について語る人は多いのですが、現実に一番近いと思われることを前提に意思決定をする人はまずいません。 もうひとつ、彼は因習的な考え方にとらわれることがありません。なんと、物理法則以外に縛られるものがないのです。物理法則はさすがの彼にも変えられませんが、それ以外はすべて応談だと考えているのです」
・自分たちが知る配送料金とP&Gの卸価格からクイッドシーが試算したところによると、アマゾンは、3ヶ月で1億ドル以上の赤字を紙おむつだけで出す計算になったらしい。
・危害を持てーー反論し、コミットしろ リーダーには、賛同できないとき、まっとうなやり方で決定に異を唱えることが求められる。そうするのは気が進まない場合や大変だと思われる場合も、である。リーダーは、信念を持ってねばり強く行動しなければならない。社会的結束を優先して妥協するなどもってのほかだ。そして、リーダーたる者、最終決定が下されたら、それに全力でコミットしなければならない。
・50人以上の部署をたばねるマネージャーは、一定のカーブで部下を並べ、成果を一番挙げられていない社員をクビにしなければならない。アマゾン社員は常に評価され、処分の恐怖にさらされているのだ。
・倹約 顧客にとって意味のないお金は使わないようにする。倹約からは、臨機応変、自立、工夫が生まれる。人員や予算規模、固定費が高く評価されることはない。
グーグルのような無料食堂や無料送迎バスなどの福利厚生はほとんどない。

ジェフ・ベゾス 果てなき野望

あけましておめでとうございます+2013年の本ベスト5

あけましておめでとうございます!

昨年は、一昨年の世界一周から一変して、二度目の起業でビジネスにどっぶりでした。思ったのは、やっぱり自分は何かを創るというのが大好きだということ。旅行は旅行で大好きなのですが、いまはむしろモノ作りが楽しくてしょうがないです。

おかげさまで、なんとかフリマアプリ「メルカリ」も立ち上がったのですが、まだまだぜんぜん小さい規模ですし、アメリカ進出とかやりたいことが山積みなので、ベストを尽くして行こうと思います。

恒例のベスト本紹介。実は昨年も結構読んでいたのですが(たぶん50冊くらい?)、エントリするまでに至るインパクトのあるものが例年よりも少なかったです。恐らくこれは自分がアウトプットモードになっていて、インプットがなかなか響かなかったのと、アウトプットを極力仕事に注ぎ込んでいたからかなと思っています。

それにも関わらずエントリしたベスト5はどれも珠玉の名作だと思うので、ぜひ機会があったら読んでみてください。

5位.マッキンゼーの飽くなき優秀な人材獲得法から学ぶ「採用基準」

マッキンゼーがどのような人材を優秀を規定し、採用では何を見ているか。経営者には非常に勉強になります。

4位.人生のジレンマを考える「イノベーション・オブ・ライフ」

クリステンセン教授の「人生に対する戦略を考える」最終講義。良質なストーリーがたくさんあります。

3位.才能vs努力に真正面から取り組む「非才!」

成功には才能は必要なく、努力「のみ」が必要なのだと説く力作。個人的には、努力「のみ」でなく才能も運も必要だと言う意見に変わりはありませんでしたが、それでも非常に斬新な視点で世界を捉え直すことができてよかったです。

2位.良質な起業ストーリー「GILT(ギルト)」

GILTの創業ストーリー。スタートアップの雰囲気がそのまま再現されていて素晴らしいです。

1位.創造とは何か?を知る「ロスト・インタビュー スティーブ・ジョブズ 1995」

映画「スティーブ・ジョブズ1995」の書き起こし。スティーブ・ジョブズの1995年のインタビューでとにかくインスパイアされまくる傑作です。

P.S.1.映画「スティーブ・ジョブズ1995~失われたインタビュー~」は3月4日発売のようです

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