ソニー創業者井深氏の語る「わが友 本田宗一郎」

ソニー創業者の井深大氏が親交の深かったホンダ創業者の本田宗一郎について語った本。戦後超一流のベンチャーを生み出した経営者たちがどのような関係性で、どのようにお互い見ていたのかが見て取れて非常におもしろかったです。

ものをつくる苦労や喜びを知っている人は、自分の失敗を、そう簡単に人のせいにはしません。失敗したのは、自分がどこか間違っていたからだということがわかっているからです。失敗を人のせいにしていたら、いつまでたっても、新しいものなどつくれっこありません。  逆にいえば、ものをつくっていればこそ、ほんとうの自信なども生まれてくるのです。本田さんの生き方は、ご存じのように、たいへん堂々として男らしいものでしたが、その自信も、ものをつくっているところに源があったのだと思います。  ものづくりにこだわり、生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を、いまの人たちがもっと学んでほしいと願うのは、おそらく私ひとりではないでしょう。

僕もものづくりにこだわってやっていきたいと思いました。

<抜粋>
本田さんは、私にとって、かけがえのない兄貴であり、先輩でありました。  よく人に聞かれるのですが、私と本田さんは仕事の面でもいろいろなつながりがあったように思っている人もいるようです。しかし、仕事のことで直接相談したり、いっしょに仕事をしたということは、四十年間のおつきあいのなかで一度もありませんでした。まして、困ったからあいつに助けてもらおう、などということはまったくありません。お互いに、相手の会社や仕事のことには口を出さないという不文律のようなものがあったのです。本田さんも私も、仕事では自分勝手というかわがままというか、唯我独尊のところがありますから、もしふたりが仕事を媒介につながっていたら、すぐけんか別れをしていたかもしれません。
・技術者として、本田さんと私とのあいだに共通していたのは、ふたりとも、厳密にいえば技術の専門家ではなく、ある意味で〝素人〟だったということでしょう。  技術者というのは、一般的にいえば、ある専門の技術を持っていて、その技術を生かして仕事をしている人ということになるでしょう。しかし、私も本田さんも、この技術があるから、それを生かして何かしようなどということは、まずしませんでした。最初にあるのは、こういうものをこしらえたい、という目的、目標なのです。それも、ふたりとも人真似が嫌いですから、いままでにないものをつくろうと、いきなり大きな目標を立ててしまいます。この目標があって、さあ、それを実現するためにどうしたらいいか、ということになります。この技術はどうか、あの技術はどうか、使えるものがなければ、自分で工夫しよう、というように、すでにある技術や手法にはこだわらず、とにかく目標に合ったものを探していく――そんなやり方を、私も本田さんもしていました。
・社長として、会社の経営をちゃんとやろうなどという考えは、おそらく本田さんにはいっさいなかったでしょう。本田さんが、六十六歳で社長をやめ、以来、会社の経営にはいっさい口出しをしなかったということが話題になっていますが、実際のところは、最初から社長でなかった、と言ったほうが、本田さんの本心に近いかもしれません。会社を自分の思うように動かしていこうなどという考えはまったくなく、自分がこれをつくろうと思ったら、その目的に向かってとにかく進んでいくだけでした。途中のプロセスにどんな困難があるかということなどは、最初からまったく頭にはなく、あるのは「こういうものをつくりたい」という目的だけ。
長いつきあいのなかでも、ふたりのあいだでは経営の話なんていうのは、まず出てきませんでした。ふたりとも経営者としては失格だったのですが、ご存じのように、それぞれ藤沢武夫、盛田昭夫といういい相手がいたからこそ、ここまでやってこられたわけです。
・本田さんがいつも研究所にいて、本社にはほとんど顔を出さず、ハンコから何から会社のことはすべて藤沢さんにまかせておいたというのは有名な話ですが、私も、そろばん勘定などめんどうなことは、すべて盛田君がやってくれました。自分の夢を実現することだけを考えて、一生懸命やっていればいい。そういう状態をつくってくれる人たちに恵まれていたという点で、私たちふたりはほんとうに幸せだったと思います。
・私が、本田さんを高く評価する点は、大きくいって二つあります。ひとつは、技術者としての志の高さというか、完璧なエンジンづくりを目指したその姿勢です。もうひとつは、会社のことだけでなく、広く世の中のことや、みんなが上手に幸せに暮らしていけることをつねに考え、ほんとうの意味での「真理」を自分のできることで実行し、一生を貫いた存在だった、ということです。
・もともと、日本の産業界というのは、外国からモノを持ってきては、それを見本に同じものをつくりだす、ということから始まっていて、いまでも、それが半ば体質のようになっています。新しい技術にしても、ひとつの会社が新しいものをつくり出すと、それまで無理だ、不可能だと言っていた他社も、すぐ同じものをつくるようになります。そういうところは、日本人は上手なのです。
・本田さんのオートバイエンジンのときも、同じようなことが起こりました。この、まったく新しいエンジンに刺激され、各社が競いあって技術開発に取り組んだ結果、日本のオートバイの技術レベルはいっきょに世界の先をいくものに飛躍したのです。  ですから、人真似が上手ということは、けっして悪いことだとは、私は考えていません。一社だけが独占している状態より、各社が競争しあったほうが、よりいいものができあがってくるからです。ただ、人の真似をしているよりは、日本で初めて、世界で初めてというものをつくったほうが、人より一歩先に進むことができます。ホンダやソニーが大きくなれたのも、それがあったから、という話なのです。
ソニーでやったことも同じです。トランジスタの周波数をどんどん上昇させて、世界ではじめての短波ラジオができ、FMラジオもできた。ものをつくる、ものを変えるということをしなければ、新しいものなどできてこないのです。本田さんは、このものづくりに徹底的にこだわったのです。本田さんが他の経営者とちがっていたのも、ものをつくる喜びを知っていたからです。そんな本田さんだからこそ、紙切れを売り買いするばかばかしさなども、よくご存じだったのですし、また、日本をよくしたいと本気になって考えておられたのです。
・ものをつくる苦労や喜びを知っている人は、自分の失敗を、そう簡単に人のせいにはしません。失敗したのは、自分がどこか間違っていたからだということがわかっているからです。失敗を人のせいにしていたら、いつまでたっても、新しいものなどつくれっこありません。  逆にいえば、ものをつくっていればこそ、ほんとうの自信なども生まれてくるのです。本田さんの生き方は、ご存じのように、たいへん堂々として男らしいものでしたが、その自信も、ものをつくっているところに源があったのだと思います。  ものづくりにこだわり、生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を、いまの人たちがもっと学んでほしいと願うのは、おそらく私ひとりではないでしょう。
・井深 企業というものは、激しい競争をやって進歩発展していくんですね。ウカウカしてると、競争に負けてつぶれますよ。競争がないと、これはアグラをかいちゃってダメになる。わたしのところは、テープレコーダーを始めてから五年間くらい、モノポリー(独占)だった。ぜんぜん競争相手がなかったんです。そのときは伸びが遅々としていたんですね。そのうちに競争が始って、よそのがバーッと出てきたら、ウチのがバーッと伸びたんです。一社だけでは油断するんだな。競争は必要ですよ。  本田 宣伝力も一社でやるより、各社でやったほうが強いんです。しかし、企業をやってると、これで大丈夫と思うことはないな。それと、周囲が敵だとファイトがわいてくるんだな。しっかりしなきゃならんと思うからね。
本田技研がなぜここまで伸びたかといえば、本田技研には伝統がなかったということがいえると思う。過去がないから未来しかない。それだけに、古い過去のひっかかりにわずらわされずにのびのびとやれた。だから僕は、よその会社のように、やれ五十年とか三十年の歴史と自慢するような伝統は持たせたくない。強いて伝統という言葉を使うならば、伝統のない伝統、「日に新た」という伝統を残したい。
・また、私がトランジスタの開発に踏みきったのも、じつをいえば、そのころテープレコーダーのテープの開発が一段落し、五十名ほどいた技術者をどうするかという問題をかかえていたからこそなのです。みな大学や専門学校を卒業した高学歴社員で、彼らにしかるべき地位を与えるのがそのころの常識だったので、その悩みで頭がいっぱいでした。そんなとき、トランジスタという新しい技術開発の目標に飛びついたのです。
以前、本田さんが藍綬褒章をもらうことになったとき、皇居で行なわれる伝達式に、正装して出席するようにといわれて、「真っ黒になって働く人間にとって、作業服こそ何よりも尊い制服だ」と言い出して、周囲をおおいに困らせたという話は有名です。
・こうした世間の評判というのは、かなりいい加減なところがあって、本田さんも、マスコミでの自分の評価があまりにコロコロ変わるのにあきれていたことがあります。そんな世間の〝常識〟や評判にとらわれず、自分の考え方を貫いていった本田さんですが、それにしても、たとえへ理屈にせよ、女性に喜ばれる車が売れる車だと言っているのは、本田さんならではの卓見でしょう。
・ちょっと理屈をいうようですが、人間というのは、大人でも子どもでも、自分が見たい、知りたいと思ったことが、簡単に手にはいってしまうと、それ以上、興味を持たなくなりがちです。なかなか手にはいらないからこそ、興味もますますつのってきて、実際に手にはいったときでも、もっと一生懸命やろうとするのです。教育の原点はここにあるような気がしますが、その後、生涯にわたる本田さんの飛行機への関心は、このとき、強く芽生えたのではないでしょうか。そして、私の飛行機への関心は、さほど大きくならないまま、終わってしまったというわけです。
最初から世界一なんて思いもしなかった。せいぜいよくてでっかい企業になればいいなあと思ったぐらいだよ。はじめはこれをやるといった目的のためにやったのじゃない。どんな企業でも同様だと思う。それが一歩一歩進んでいくうちに欲が出てだんだんと夢も大きくなる。つまり欲の積み重ねが、ここまできたというのが現実ですよ。
井深 ウチでも輸出をはじめたのはトランジスタラジオができてからだった。トランジスタは世界で二番目だった。たまたま盛田君がオランダへ行ってフィリップスを見学したが、オランダという小国にありながら世界中に進出して国内市場よりも世界のマーケットが大きかった。そこで日本はこれだと悟って帰国しましてね。それから輸出をはじめたわけです。  本田 トランジスタラジオはソニーにとって大きな節だったね。
「負けてもいいんだという商売をやっている人は、いつまでたっても、他のものも上がってこない。商売でなくても、他では負けないというだけの気持ちがないと、その会社のレベルは上がってこない」とも、おっしゃっていました。本田さんも私も、要するに、負けず嫌いだったから、ここまできたようなものです。
・やはり、各人が一番得意なものに全精力を打ちこんで人に惜しみなく与え、自分の欠陥は人に補ってもらうというのが、道徳教育の基本になるべきである。一生かかって一点非のうちどころのない人間に仕立てあげようとしたって、夜になれば酒も飲みたいだろうし、女房にはうそもつきたい人生なんだから、無理な話である。(『ざっくばらん』より)

数十年後の未来を想像する「限界費用ゼロ社会」

IoT(モノのインターネット)がバズワードになっている感もある最近ですが、本書はIoTがなぜ重要で、社会にどのような影響を与え、今後どのようなことが起こりえるのかをあらゆる切り口から描いています。

正直、かなり荒削りな部分があるのは確かで、「え、本気で言ってるの?」と思うことも多々ありました。しかし短期的にはありえなくとも、その方向に世の中が向かっているのは確かであり、であればそうなることを前提にこれからのことを考える方がよいと言えます。

数十年後の未来を想像するのに非常に示唆に富んだ素晴らしい一冊です。

いくつか重要なポイントを抜粋コメントしておきます。

だが依然として権力者たちは、グローバルなエネルギー市場における再生可能エネルギーの将来の占有率を過小に見積もり続ける。その理由の一つは、一九七〇年代のIT業界や電気通信業界と同様、たとえ数十年にわたる累積的な倍増実績を目の当たりにしていても、指数曲線がある時点から大きく変化することを、彼らは予測していないからだ。

カーツワイルはいくぶん楽観的かもしれない。だが、不慮の事態にでも陥らないかぎり、二〇四〇年よりはだいぶ前に再生可能エネルギーによる電力がほぼ八割に達するだろうと、私自身は見ている。

再生可能エネルギーについて、確かにその効率がムーアの法則ばりの指数曲線であがっていくならばまったく別の考えをしなければならない。

新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。

すべてのものが3Dプリンティングで提供されると限界費用がゼロになり、資本主義が時代遅れになると。

レンタル分野が活況を呈するなか、再流通のネットワークでも同じような状況が生じている。プラスチックやガラス、紙などのリサイクルに親しみながら成長してきた若い世代が、今度は自分の所有物のリサイクルに目を向けたとしても何ら不思議はない。リサイクル製品を製造する必要性を削減するために、それぞれの品物のライフサイクルを最大限引き延ばそうという意識は、持続可能性こそが新たな倹約を意味する若い人々にとって、自然と身につく第二の天性のようなものになった。

メルカリはこの流れに乗っている。

今から半世紀後、私たちの孫は、私たちがかつての奴隷制や農奴制をまったく信じられない思いで振り返るのと同じように、市場経済における大量雇用の時代を顧みることだろう。生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。

中長期的には、雇用はしだいに市場部門からコモンズへ移ってゆくに違いない。市場経済で財やサービスを生み出すために必要とされる人手は減少する一方で、コモンズでは機械は人の代用として比較的小さな役割しか担えないだろう。なぜなら、社会と深くかかわり、社会関係資本を蓄積するというのは、本質的に人間の営為にほかならないからだ。機械がいつの日か社会関係資本を生み出すという考えには、どれほど熱烈な技術信奉者であっても賛同しない。

そしてコモンズが力を持ち、社会関係資本こそが資本主義の次の拠り所になると。

<抜粋>
・じつは、エントロピーを増大させる一方の工業化時代のつけはすでに回ってきている。厖大な量の炭素エネルギーを燃やして大気中に放出した二酸化炭素が累積し、気候変動が起こり、地球の生物圏が大規模に破壊され、既存の経済モデルに疑問の声が上がっている。それにもかかわらず、経済学は概して、経済活動が熱力学の法則によって左右されるという事実にまだ向き合っていない。
私たちは、資本主義市場と政府の二つだけが経済生活を構成する手段であるという考え方に慣れきっているがゆえに、コモンズというもう一つ別の構成モデルが身の回りに存在していることを見過ごしている。
・しだいに多くの財やサービスがほぼ無料になるにつれ、市場での購入は減少し、これまたGDPにブレーキをかける。依然として交換経済で購入される財でさえ、量が減ってきている。かつては購入していた財を、共有型経済の中で再流通させたりリサイクルしたりする人が増えたため、使用可能なライフサイクルが引き延ばされ、結果としてGDPの損失を招いているのだ。
・縮絨機が劇的な生産性拡大をもたらしたおかげで、土地の利用法が変わった。自給用の食物の栽培から、輸出や市場での交換用の羊毛生産のための羊飼育へと切り替えれば経済的で、非常に大きな利益が生まれるからだ。縮絨機が「一三世紀の産業革命[15]」と言われることがあるのも無理はない。
・古典派と新古典派の経済学者の大半は、利益は自らの資本を危険にさらす資本家に対する正当な報酬だと考えている。だが、社会主義を信奉する経済学者は、若き日のカール・マルクスに賛同するかもしれない。マルクスは、労働者の貢献のうち、本来支払われるべき賃金から差し引かれ、利益として取っておかれる部分(剰余価値)は不正な横領であり、生産を共有化して、労働者に自らの労働による貢献の恩恵を全面的に享受させるほうが公平であると主張した。
・一八四五年には、イギリスの鉄道利用客は年間四八〇〇万人に達していた[10]。アメリカでは、一八五〇年代だけでも二万一〇〇〇マイル(約三万四〇〇〇キロメートル)の線路が敷設され、ミシシッピ川以東の国土の大半を結びつけた[11]。人々の時間と空間の感覚を鉄道がどのように圧縮したかを理解するためには、一八四七年にニューヨークからシカゴまで駅馬車で旅するのに三週間以上かかった事実を考えるとよい。一八五七年には、鉄道を利用すれば同じ区間に三日しかかからなくなっていた[12]。
・実質的に鉄道会社は、近代的な資本主義の事業会社の第一号となった。これらの会社は、所有権と経営管理を分離する新しいビジネスモデルを生み出した。それ以後、大企業は、投資収益を株主のために確保することを最大の責務とする、有給雇用のプロの経営者によって経営されるようになる。資本主義は独特かつ風変わりな事業形態で、従業員は製品を生み出す道具・機械の所有権を奪われ、企業を所有する投資家は自らの企業を経営管理する権限を奪われている。
・小さな町や田園地帯に住む何百万ものアメリカ人は、事務機器や家庭用家具、衣服の事実上いっさいを、シカゴの大手印刷会社が印刷したカタログを見て購入した。品物は鉄道で運ばれ、郵政公社の手で企業や家庭に直接配達された。一九〇五年、シアーズの通信販売の売上は、なんと二八六万八〇〇〇ドルにのぼり、これを二〇一三年の価値に換算すると、七五四七万三六八〇ドルに相当する[26]。
・ダーウィンは二番目の著書『人間の進化と性淘汰』で、人間は心的能力を進化させて良心を育み、その良心の働きによって、最大多数の最大幸福を支持する功利主義的原理をしだいに忠実に守るようになったと主張した。経済学者はダーウィンの考えから、自らの唱える功利主義には「自然という後ろ盾」があるという自信を得られた。  ところがダーウィンは、自分の進化論が盗用されたことが不満だった。けっきょくのところ彼は、人間という種の持つ功利的性質は、ずっと高次のもの──人々の間で共感の拡がりと協力を促すもの──だと主張していたのであって、自らの見識が、物質的私利の集団的な追求を正当化するというもっぱら経済的な目的に狭められたのを知って、立腹した。もっともな話だ。
・経済が発展した国々では、たいていの人がおよそ一〇〇〇個から五〇〇〇個のモノを持っている[19]。法外な数に思えるかもしれないが、自宅や車庫、自動車、オフィスを見回して、電動歯ブラシに電子書籍、ガレージドア開閉装置、建物の出入り用の電子パスといったものを数えてみれば、自分がどれだけ多くのデバイスを持っているかに驚くものだ。こうしたデバイスの多くには、今後一〇年ほどの間にタグがつき、インターネットを使って自分のモノと他のモノとをつなげることになるだろう。
・懐疑的な見方をする人は、成長曲線は、固定価格買取制度という形の、グリーンエネルギーへの助成金によって梃入れされていると主張する。だが現実には、助成金は単に普及と規模拡大の速度を上げ、競争を促し、イノベーションを奨励しているにすぎない。それによって、さらに再生可能エネルギーの採取テクノロジーの効率が上がり、発電と設置にかかるコストが下がる。
・だが依然として権力者たちは、グローバルなエネルギー市場における再生可能エネルギーの将来の占有率を過小に見積もり続ける。その理由の一つは、一九七〇年代のIT業界や電気通信業界と同様、たとえ数十年にわたる累積的な倍増実績を目の当たりにしていても、指数曲線がある時点から大きく変化することを、彼らは予測していないからだ。
・カーツワイルはいくぶん楽観的かもしれない。だが、不慮の事態にでも陥らないかぎり、二〇四〇年よりはだいぶ前に再生可能エネルギーによる電力がほぼ八割に達するだろうと、私自身は見ている。
・新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。
・グラム・パワー社以外にも、インドの田園地帯に展開し、地元の村がグリーンなマイクロ送電網を設置して電気を普及させるのを助けている新規企業は多数ある。ビハール州に本拠を置くハスク・パワー・システムズ社も、そんな企業の一つだ。ビハール州では、八五パーセントの住民が電気なしで暮らしている。同社は、籾殻のバイオマスを地元の九〇か所の発電所の燃料としている。これらの発電所はマイクロ送電網を利用し、田園地帯の四万五〇〇〇世帯に電気を供給する。人口一〇〇人程度の村にマイクロ送電網を設置する費用はわずか二五〇〇ドルほどで、村はほんの数年で投資を回収でき、その後は、電気を一キロワット発電・送電するごとにかかる限界費用はほぼゼロとなる[42]。
・製造部門で、テクノロジーが原因の人員削減が現在の割合で続くと(業界アナリストは加速する一方だと見ている)、二〇〇三年には一億六三〇〇万人いた工場労働者は、二〇四〇年にはわずか数百万人にまで減り、世界全体で工場での大量雇用が終焉を迎えることになるだろう[21]。
・実店舗で営業している小売業者の売上は、好調とまではゆかないまでも、表面上は堅調そのものに見える。これらの業者の売上は、二〇一一年の小売全体の売上の九二パーセントを占め、オンライン小売業者の売上はわずか八パーセントだった[27]。だが、もう少し深く覗いてみると、成長率では不吉な前兆が出始めている。アメリカ小売業協会によれば、実店舗で営業する小売業者は年間成長率がわずか二・八パーセントなのに対し、オンライン小売業者の年間成長率は一五パーセントで、固定費が大きく人件費も多くかかる従来型の小売業者が、労働の限界費用がはるかに少ないオンラインの業者といつまで闘えるかという疑問が生じる[28]。
この期に及んでもまだ、古典派経済理論の根底にある前提──生産性が向上すれば、それによって排除されるよりも多くの雇用が生み出される──がもはや信頼できるものではないと、前に進み出てついに認めようとする経済学者がほとんどいないことに、私は今でもいささか驚きを禁じえない。
・今から半世紀後、私たちの孫は、私たちがかつての奴隷制や農奴制をまったく信じられない思いで振り返るのと同じように、市場経済における大量雇用の時代を顧みることだろう。生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。
・所有権の歴史の分野における二〇世紀の名高い権威で、トロント大学教授の故クロフォード・マクファーソンは、次のように指摘している。私たちは所有権を、他者が何かを利用したり、何かの恩恵に与ったりするのを許さない権利だと考えることにあまりにも慣れ過ぎているため、それより古い所有権の概念のことを忘れてしまった。それは共有物を利用する慣習的な権利、すなわち、水路を自由に航行したり、田舎道を散歩したり、公共広場を利用したりする権利だ[5]。
・ここで、たいていの経済学者は途方に暮れるだろう。なぜなら彼らの学問は、人間の本性はあくまで利己的で、各自が自己決定権を最大にしようとするという考えと、切っても切れない関係にあるからだ。集団の利益を追求することを進んで選ぶという考えそのものが、多くの市場志向型の経済学者に忌み嫌われている。彼らは、進化生物学者と神経認知科学者の研究成果について猛勉強すると得るところが大きいかもしれない。過去二〇年間に数多くの調査と発見がなされ、人類は根底では他人を搾取して自らを豊かにする機会を求め、市場を徘徊して実利を追求する一匹狼だ、という長い間信じられてきた考えが打ち砕かれているからだ。
・ところが残念ながら、グーグルやフェイスブックやツイッターといった、ウェブ上でも最大級のアプリのいくつかは、自らをここまで大きな成功に導いてくれた、まさにその参加規程を金儲けの種にし、自社のサービスで伝送されるビッグデータから入手した大量の情報を、ターゲット広告、販売キャンペーン、市場調査、新しい財やサービスの開発などの多くの商業的事業に利用する、営利目的の入札者や事業者に売っている。要するに、コモンズを商売に利用しているのだ。バーナーズ=リーは自らの記事で、「大きなソーシャルネットワーキング・サイトは、ユーザーが投稿した情報を壁で囲ってウェブの他の部分から引き離し」、囲い込んだ商業空間を創り出していると警告している[16]
・今日、九〇〇の非営利の農村電力協同組合が、四七州で二五〇万マイル(約四〇〇万キロメートル)に及ぶ送電線を管理して、四二〇〇万人の顧客に電力を供給している。アメリカの送電線の四二パーセントは農村電力協同組合によるものだ。その送電線は、国土の四分の三に張り巡らされており、アメリカで売られる総電力の一一パーセントを届けている。各地の農村電力協同組合の資産を合計すると、一四〇〇億ドルを超える[59]。
実際は、現在一〇億を超える人、つまり地球上の人間の七人に一人が協同組合に所属している。また、一億人以上が協同組合に雇用されており、これは多国籍企業の従業員より二割多い。
ロジスティクスを単独で行なうことには欠点がある。ロジスティクスや輸送に関して、社内のトップダウンの集中制御を維持すれば、民間企業は自社の生産、保管、流通経路を強力に支配できるが、その支配には効率や生産性を損ない二酸化炭素の排出量を増やすという高い代償が伴う。
・現在のロジスティクス体制では、ほとんどの民間企業が一つもしくは複数の倉庫や流通センターを所有しており、その数が二〇を超えることはめったにない。独立した倉庫や流通センターのほとんどは、普通、民間企業一社と専用契約を交わしており、一〇社以上のロジスティクスを扱うことは稀だ。つまり、民間企業には利用できる倉庫や流通センターがわずかしかなく、それが財の保管や大陸の広域輸送業務を制約しているわけだ。
アメリカでは、自動車は使用されていない時間が平均で九二パーセントにものぼり、きわめて効率の悪い固定資産になっている[11]。そのため、若い人々には所有ではなく、時間単位で移動手段の費用を負担するほうが、はるかに気安く思われるのだ[12]。
カーシェアリング団体の会員の八割が、ネットワーク加入後、それ以前に保有していた自動車を売却したこと、そしてカーシェアリングの車両一台につき個人所有の車一五台が道路上から姿を消していることを思い出してほしい。すでに利鞘はごくわずかで、競争を継続する余力も乏しい自動車メイカー各社は、この新たな競争自体で売上が下落し、すでに微々たるものになっている利鞘がさらに圧縮されるだけであっても、カーシェアリング事業に乗り出さざるをえないのだ。
・レンタル分野が活況を呈するなか、再流通のネットワークでも同じような状況が生じている。プラスチックやガラス、紙などのリサイクルに親しみながら成長してきた若い世代が、今度は自分の所有物のリサイクルに目を向けたとしても何ら不思議はない。リサイクル製品を製造する必要性を削減するために、それぞれの品物のライフサイクルを最大限引き延ばそうという意識は、持続可能性こそが新たな倹約を意味する若い人々にとって、自然と身につく第二の天性のようなものになった。
・スレッドアップの指摘によると、子供が一七歳までに着られなくなってしまう衣料品は、平均で一三六〇点以上にもなるという[43]。
・シェアードアースは有意義な影響を与えうる存在であると思うし、そうした影響を与えることが私の希望でもある。一〇〇〇万エーカーの耕作地があると、ちょっと想像してみてほしい。そうした土地は、多くの酸素を生成し、多くの二酸化炭素を吸収し、多くの食物を生み出すのだ[51]。
・クラウドファンディングの熱烈な支持者は、お金が目当てではないことを強調する。彼らは、他者が夢を追いかけるのをじかに支援できることを喜び、自分のささやかな貢献が大きな効果を持つこと──すなわち、プロジェクトを前進させる上できわめて重要であること──を実感しているのだ。ガートナー社の推計によると、ピアトゥピアの融資額は、二〇一三年末には五〇億ドルを超えると見られる[11]。
・だが中長期的には、雇用はしだいに市場部門からコモンズへ移ってゆくに違いない。市場経済で財やサービスを生み出すために必要とされる人手は減少する一方で、コモンズでは機械は人の代用として比較的小さな役割しか担えないだろう。なぜなら、社会と深くかかわり、社会関係資本を蓄積するというのは、本質的に人間の営為にほかならないからだ。機械がいつの日か社会関係資本を生み出すという考えには、どれほど熱烈な技術信奉者であっても賛同しない。
・ワールド・ウォッチ研究所(人間が地球資源に与える影響を監視している組織)の創立者であるレスター・ブラウンは、答えはどういった食生活を選ぶかによって決まるという。アメリカの食生活を基準にすれば、年間一人当たり平均八〇〇キログラムの穀物を、食糧や家畜の飼料という形で摂取することになる。世界中の誰もがこのような食生活を送っていたら、年間二〇億トンという世界の穀物収穫量では、二五億人の世界人口しか支えられない。これに対して、年間穀物摂取量が一人当たり四〇〇キログラムのイタリア・地中海地方の食生活を基準にすれば、世界の年間穀物収穫量で五〇億の人口を維持できる。さらに、年間穀物摂取量が一人当たり二〇〇キログラムのインドの食生活を基準にすれば、地球は最大で一〇〇億人を養えることになる。
・二〇世紀には、中央集中型の電化、石油、自動車輸送が結びつき、大量消費社会が台頭し、またしても新たな認識上の移行、すなわちイデオロギー的意識から「心理的意識」への移行をもたらすことになった。私たちにとって、セラピーのように自らを省みることや、内面世界と外界の双方を同時に生きていると考えることは(それが人づき合いや日々の生活にたえず影響を及ぼしているのだが)、しごく当たり前になった。そのため、私たちはつい、祖父母以前の人々は誰一人として(厳密には、歴史上傑出したごくわずかの例外者を除いては)、心理的観点から考えることなどできなかったという事実を失念してしまう。私の祖父母はイデオロギー的観点や神学的観点、あるいは神話的観点からさえ、物事を眺められたが、心理的観点に立つことはまったく不可能だったのだ。
共感を抱くとはすなわち、文明化することであり……文明化するとは、共感を抱くことにほかならない。じつのところ、両者は不可分なのだ。
・人類の歩んだ歴史を振り返ると、幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出されることがわかる。人生の黄昏時を迎えて来し方を振り返ったとき、記憶の中にはっきりと浮かび上がるのが物質的な利得や名声、財産であることはほとんどないだろう。私たちの存在の核心に触れるのは、共感に満ち溢れた巡り会いの瞬間──自分自身の殻を抜け出して、繁栄を目指す他者の奮闘を余すところなく、我がことのように経験するという超越的な感覚が得られた瞬間なのだ。  
・資本主義市場と共有型経済の両方から成るハイブリッドの経済体制に向かおうとしているのに対して、日本は、老朽化しつつある原子力産業を断固として復活させる決意でいる堅固な業界と、日本経済を方向転換させて、スマートでグリーンなIoT時代への移行によってもたらされる厖大な数の新たな機会を捉えようとする、新しいデジタル企業や業界との板挟みになってもがいている。
・この新たな現実が最も如実に表れているのが、新しい再生可能エネルギーへの移行だ。すでに述べたように、ドイツでは再生可能エネルギーの大半が、いっしょになって電力協同組合を結成した何百万もの家庭と何千、何万もの企業によって、おのおのの場所で生み出されている。そのグリーン電力はデジタル化されたエネルギー・インターネット全体でシェアされる。これはピアトゥピアのエネルギー生産・流通という新時代の始まりを告げている。

失敗続きのヤフーの歴史「FAILING FAST」

表紙からしてマリッサ・メイヤー後のヤフーの話かと思いきや、ヤフー全体の歴史を丁寧に描いてありかなり骨太な一冊です。
※ヤフージャパンではなく米Yahoo! Incの話

初期は成功の歴史なのですが、直近10年位はまさに迷走。イーベイ、グーグル、フェイスブックを買収しそこね。CEO含め幹部選定にミスを続け、出資したアリババ株の値上がりになんとか助けられながら生きながらえている様が描かれています。

マリッサ・メイヤーも最初は周囲の期待感が溢れていた模様も描かれていますが、その後はコテンパンにされています。

ヤフーにとって、彼らは期待に値する人物だった。しかし、全員が敗北した。  メイヤーも同じ運命をたどるのかもしれない。  結局のところ、ヤフーが成功できたのは、世界に一瞬しか存在しない問題を解決したからだ。初期のインターネットは使うのが難しかった。ヤフーがインターネットを簡単にした。ヤフーがインターネットだった。しかし、インターネットが普及し、大きな資金が集まるようになり、問題の解決法も増えるにしたがい、ヤフーの必要性が消えていった。「ほかの誰かができないことをする」という存在意義がなくなり、新しい目的が見つからなかった。

もちろん一方的な見方だと思いつつ読みましたが、結局のところ結果が出てないわけなので、このように書かれてもしょうがない。ジョブズやイーロン・マスクが、本書でマリッサが持っているような特徴を持っているように見えていても、描かれ方はまったく違います。

他のこういったベンチャーを追いかけたドキュメンタリーは基本的に肯定的に描かれており、成功物語ですが、本書はまさに失敗談の連続。悪戦苦闘の歴史であり、シリコンバレーのトップ経営者や取締役、投資家も時には盛大に間違えているのだなと思いました。

今も間違え続けているかは今後のヤフーの業績によります。今後を見守りたいと思います。

<抜粋>
・一九九八年時点で、ベンチャー投資家によるスタートアップへの出資額は合計二二七億ドル、その大半がドットコム企業に投資された。一九九九年にはその数は倍を超え、五六九億ドルだったと言われている。その多くのケースで、投資家からスタートアップに流れた資金は、そのままヤフーかヤフーのライバル企業の懐に入った。
・二〇〇〇年の一〇月、マレットも状況を把握した。彼のマシン──四〇〇のポッドと一〇〇を超えるバーチャル・セブンからなる巨大なシステム──は危機にさらされている。ヨセミテ国立公園内の別荘で、マレットは経営陣に話した。ヤフーはビジネスの方法を変える必要がある。スタートアップから搾取するよりも持続可能なビジネスを見つけなければならない。広告主の扱いも改善する必要がある、と。  彼の言うことは正しかった。しかし、気づくのが遅すぎた。
・マレットが選ばれなかったのには、三つの理由があった。マレット本人にはどうしようもないものばかりだ。  第一に、彼の年齢。モリッツとヤンはより年配のCEOを求めていた。大企業の経営経験をもち、ウォール街に信頼される誰かを。二〇〇一年の二月時点で、マレットはまだ三六歳だった。四〇歳にも満たないCEOがヤフーを救えるとは思えない。 二つ目の理由は彼の野心、彼の権力欲だ。一九九九年、ヤフーはインターネットオークションで名を馳せたスタートアップ、イーベイを買収する寸前にあった。イーベイとヤフーの取締役会は合併で合意していたにもかかわらず、この話はご破算となった。マレットがイーベイのCEOメグ・ホイットマンに、クーグルではなく、自分の直属の部下になるよう要求したからだ。また、ヤンとクーグルに対し自分以上の影響力をもちそうな幹部に敵対心を燃やし、彼らが社を去るまで執拗に攻撃を加えるといったうわさもあった。彼に二〇代半ばにして巨額の富をもたらし、一二八〇億ドル企業のナンバー2の座に押し上げる原動力となった競争心が、彼の悲劇の原因となったのである。 そして、マレットがCEOになれなかった三つ目の──悲しい──理由は、彼の身長にあった。マレットは背が低い。ヤフー本社を訪れる他社の上級幹部が会議室で待つ彼を見ても、コーヒーでもいれにきた研修生か何かだと勘違いするのだ。マレット自身、彼らがそう考えていることに気づいていた。声に出して言うことはないが、ヤフーの役員たちは「もっと立派な体格の人物が必要だ」と考えていたのは明らかだ。だから、スパーキーをCEOにするわけにはいかない。
・セメルとの出会いは、ヤフーにとって一種のカルチャーショックだった。クーグルと違い、セメルのキュービクルに気楽に入る気にはなれない。セメルは社内を歩き回ることもしない。会議室を自分のオフィスにしてしまった。メールを書いたことも、ヤフーを利用したこともないといううわさだ。クーグルがヤフー本社近くの部屋一つしかないアパートに住み続けたのと違い、セメルはロサンゼルスの高級マンションに住んでいる。毎週のように、ビジネスジェット「ガルフストリーム」に乗って仕事をしている。街ではサンフランシスコのフォーシーズンズホテルで食事をして、毎日レンジローバーの後部座席に座ってオフィスにやってくる。
・ただし、セメルがヤフーから高給を得ていたわけではない。クーグルと同じで、年俸三一万ドルだった。しかし、ストックオプション(自社株購入権)はよこせと要求した。権利を得た彼は、一〇〇〇万株(同社の二パーセント)を一七・六二ドルから七五ドルのあいだで購入した。それだけではない。セメルは自腹を切って一般の市場でもヤフー株式一〇〇万株を一七〇〇万ドルで購入した。彼にとっては安い買い物だった。なにしろ、ヤフーの時価総額は一年間で九〇パーセント──一二八〇億ドルから一二六億に──価値を落としたばかりだ。  彼の考えはこうだった。もしヤフーの縮小を止め、再び堅実なペースで成長させることに成功すれば、彼はのちに想像もできないほどの額の資産を手に入れるだろう。  言い換えると、もしセメルがヤフーの再生に失敗すれば、彼は財産を失うだけでなく、ハリウッドとヤフーの重鎮に、自分はやはり年老いたレトロ人間であったことを証明してしまう。映画業界を離れるべきではなかったと、誰もが言うことになるだろう。
・二〇〇〇年一〇月、増え続けるトラフィックを広告収入に変える方法をグーグルは見つけた。アドワーズ(AdWords)と呼ばれる仕組みだ。
一〇億ドルなら妥当などころか安価な買い物だ、と彼らはセメルに説明した。セメルは納得し、早速グーグルに向かった。しかし、グーグルのラリー・ペイジが首を横にふる。そして、値段は三〇億ドルに上がったと告げた。  セメルはもう一度財務部と会合を開いた。そして、再び買収を決断し、グーグルに赴く。  今度は数字が六〇億に跳ね上がっていた。
なぜ、ヤフーはグーグルに勝てなかったのか。その理由は山ほど考えられるが、根本の問題はただ一つだ。検索結果のページに表示される広告の並び順だ。グーグルは正しい順序で表示したが、ヤフーは間違っていた。
このころには、グーグルは自分たちのやっていることは〝収穫逓増ビジネス〟だと、理解するようになっていた。出資をすればするほど、利益も大きくなる。  なぜそうなるのか? グーグルの場合、市場シェアが増すにつれ、企業が広告費をヤフーとグーグルに振り分けるのをやめ、グーグルだけに一本化するようになった。その結果、グーグルの収入も上昇し、シェアをさらに増やすことができる。シェアが増えれば、グーグルだけに全広告費をつぎ込む企業の数もまた増える。
フェイスブック本社に戻ったザッカーバーグは、彼の共同創業者でありハーバード大学時代からの仲間でもあるダスティン・モスコービッツのもとに向かい、顔を合わせるやいなやガッツポーズをして喜んだ。一〇億ドルが提示された場合、必ず売却に同意すると、ザッカーバーグは取締役会に約束していた。しかし、提示額が一〇億を下回った。フェイスブックを手放す必要はない。  次の日、ザッカーバーグはヤフーに連絡をとり、交渉を続ける気がないことを伝えた。
・マイクロソフトにヤフーを買収する意志があることを、バルマーはヤンに告げた。  バルマーの声は穏やかだったが、使う言葉は厳しいものだった。ひとことで言うと「敵対的」。  バルマーが言うには、マイクロソフトはこれまで数年にわたって、ヤフーと友好的な交渉を続けてきたが、何の成果も生み出さなかった。今回はそうはいかない。オファーを今、ファクスで送った。  つづけて、バルマーはヤンに言った。もしヤンとロイ・ボストックにヤフーを売却する意志があり、価格を提示するのなら、このオファーを公表するつもりはないし、詳細は後日時間をかけて話し合おう。しかし、ヤフーを売る気がないのなら、我々はこの話を公表する。その場合、投資家たちがどう動くか、楽しみだ。
・ヤンはヤフーが独立していることに誇りを感じていた。より客観的にものごとを考えられるCEOなら、空港会議室でバルマーと対面したときに、一株三七ドルの申し出を受け入れるなら、買収に応じると言っただろう。ヤンにはそれができなかった。
・ウェブ調査会社コンピートによると、アメリカにおけるウェブメールサービスへのアクセスは二〇〇九年の一億四〇〇〇万人強(ユニークビジター数=重複を除いた正味の人数)がピークで、その後は急速に減少している。二〇一〇年の九月は、一億二五〇〇万人だった。利用者数の低下は、ヤフーにとっても大きな痛手となった。二〇一一年から二〇一二年にかけて、ヤフー・メールの使用回数は二五パーセント減った一方で、iOSのメールは七四パーセント、アンドロイドのメールは九〇パーセントの増加を記録した。
・二〇〇九年に結んだマイクロソフトとの契約でも、バーツは先見の明のなさをさらけ出した。提携することを決定した背景には、マイクロソフトの市場シェアとヤフーの市場シェアを組み合わせることで、グーグルに一方的に集中していた広告主の関心を、ヤフー&マイクロソフト陣営に呼び戻し、検索広告収入を増加させるという考えがあった。しかし、そうはならなかった。理由の一つは、マイクロソフトの検索エンジンが非ラテン語系の文字セットと相性が悪かったことだ。日本語や中国語では使い物にならなかった。つまり、グローバルな検索テクノロジーではなかった。かつてはヤフーが大きなシェアを占めていたアジア諸国で、利用者の数が減っていった。
・ヤフーのトップに君臨する前、テリー・セメルはメディア業界で広く称賛されていた。サン・マイクロシステムズとオートデスクにおけるキャロル・バーツの実績は、目を見張るものがあった。CEOになるまで、ジェリー・ヤンは誰からも愛される創業者だった。社長になる前のスー・デッカーは、ウォール街での大胆さや取締役会議での賢明さから、スーパーヒーローと見なされていた。  しかし、ヤフーの再建に失敗してからは、彼らは不幸にもあざけりの対象となり、業界からのけ者扱いされるようになった。  自分ならうまくやれる、という人物はこの世に存在するのだろうか?
・最高の人々に囲まれ、彼らにもまれているうちに、自分も成長できる。それがメイヤーの信条だ。  優秀な人々に囲まれて生きるための場所を探しているうちに、グーグルに出会った。それが彼女の答えだ。  だから、メイヤーはグーグルに入社した。
・まず、アリババから現金が手に入った。タオバオへの出資額は八〇〇〇万ドル。それが二年で四倍になって返ってきた。おいしい話だ。つぎに、この取引によりアリババは強い会社になった。タオバオを完全に所有することになったからだ。これもマサを喜ばせた。ソフトバンクはいまだにアリババの株式を三分の一保有している。また、アリババが強くなればヤフーも恩恵を受ける。ソフトバンクはヤフーにも出資している。孫正義にとっては三重の喜び、ウィン・ウィン・ウィンだ。
・IPG幹部の一人、クエンティン・ジョージが「ヤフーの今後における広告代理店の役割をどう思うか」と尋ねた。  代理店はヤフーのパートナーであり、協力者だ。これがトンプソンが口にすべき正しい答えだった。どのブランドがどこに広告費を落とすかを左右するのは、結局のところ代理店の顧客ではなく、代理店自身なのだ。  しかし、トンプソンは正しい回答を知らなかった。  かわりに「ペイパルでは、我々は一般的に仲介業を取引から排除することに努めた」と答えた。  レヴィンゾーンは椅子から滑り落ちそうになった。おい、冗談もほどほどにしろよ。こいつ、どうやってこの仕事を手に入れたんだ?
・会談が終わるたびに、ヘックマンとレヴィンゾーンの二人は、アローラがデ・カストロに対しひどく横暴な態度をとることをネタに、笑い合ったものだった。デ・カストロの考えをアローラは厳しく批判し、彼をバカ呼ばわりすることもあった。
・メイヤーはデ・カストロの雇用を強く主張した。実現しなければ、ヤフーの収益は減りつづけ、彼に支払う報酬よりも数倍大きな資産を失うことになるだろう。彼がCOOになれば、彼に支払った報酬の何倍もの額の増益が期待できる。結果として安上がりだ。
マリッサ・メイヤーとヤフー取締役会はエンリケ・デ・カストロの評判を確かめるべきだった。  少し調べるだけでも、グーグルの広告関係者における彼の評判はすこぶる悪いことがわかっただろう。  グーグルの上級幹部のなかで彼の評価が最も低かったことは、同社の広告部門のマネジャーを務めたことのある人物なら誰もが認めるところだ。
・メイヤーが考える〝シンプルでわかりやすい改善〟とは、グーグルのユニバーサル検索のようなマルチメディア検索の統合、グーグルのインスタント検索のような入力途中の結果表示、そしてグーグルのナレッジグラフのような検索結果リンク以外の情報の提供のことだ。  二〇一三年、ヤフーはこれらの変更のほぼすべてを実装した。  それでもヤフーの検索シェアは回復しなかった。二〇一三年の夏──アリババの空の傘がなくなるまであと一年──シェアは一二パーセント以下にまで縮小していた。
・これが人々の怒りに火をつけた。  アリババの空の傘がなくなる二〇一四年秋までに、メイヤーはユーザーに愛されるモバイルアプリをつくらなければならない。必然的に、モバイル部門を束ねるカーハンが最重要人物の一人となる。しかし現実には、有能な人材たちの多くがカーハンを嫌っていた。彼らのなかには、二〇一三年の夏までに退社していった者もいる。
メイヤーが積極的で、共感のできる上司なら、それでもよかったのかもしれない。  しかし、彼女はそうではなかった。大勢の聴衆の前に立てば情熱的になれる一方で、小さなグループに対してはいまだに内気なままだ。閉鎖的で、冷たく、無感情。そう見えた。  たいていの上司は、気に入らないアイデアやプロダクトを目にしたとき、「もう一度、考えを練り直そう」などと言うだろう。  メイヤーはそれすらしなかった。かわりに、彼女は相手に最後まで話を続けさせる。不機嫌そうな表情を浮かべながら。そして最後の最後に突き放すような口調でこう言うのだ。「あなたは間違ってると思うわ。的外れよ」  なぜメイヤーはそう振る舞うのか、人々は理解しようと努めた。
・メイヤーとミーティングをするのなら、何時に始まるか考えるな。開始時間はどうせ変わるのだから。これがヤフーの一般常識となった。サニーベールで働く従業員にとっては、〝迷惑な話〟ですんだ。しかし、インドやヨーロッパなどの遠隔地で働く人々にとっては迷惑どころの話ではない。
・彼女のルーズさが、ときには人々を激怒させることもあった。  二〇一二年の秋、メイヤーはリリース直前にまでこぎつけたヤフー・メールのチームにカラーを変えろと指示を与え、チームを率いるヴィヴェク・シャーマに明朝までにモックアップをつくり、見せにくるよう伝えた。シャーマのチームは夜を徹して働いた。ところが、メイヤーのほうが明朝のミーティングに姿を見せなかった。  冷たさと遅刻。この組み合わせは強烈な破壊力をもつ。部下たちは自分がないがしろにされているように感じた。
・しかし、ヤフーにとって本当に厄介な問題は、マリッサ・メイヤーの経営スタイルが外部に漏れることで、才能ある人物を雇用するのが難しくなることだった。経営再建中の企業に就職するのはただでさえリスクが高いのに、CEOの振る舞いに難があるとわかれば、誰も寄りつかなくなってしまう。
・ヤフーにとって、彼らは期待に値する人物だった。しかし、全員が敗北した。  メイヤーも同じ運命をたどるのかもしれない。  結局のところ、ヤフーが成功できたのは、世界に一瞬しか存在しない問題を解決したからだ。初期のインターネットは使うのが難しかった。ヤフーがインターネットを簡単にした。ヤフーがインターネットだった。しかし、インターネットが普及し、大きな資金が集まるようになり、問題の解決法も増えるにしたがい、ヤフーの必要性が消えていった。「ほかの誰かができないことをする」という存在意義がなくなり、新しい目的が見つからなかった。
ネットの世界では、「経路」の基盤(プラットフォーム)を奪取しなければ勝ち組にはなれないのだ。そしてヤフーがSNSや、あるいはその先にある未知の「経路」を奪えるという可能性は、今のところまだ見えていない。

アイデアによるV字回復物語「USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?」

USJの観客動員数がジリ貧の中でマーケティング担当として入社した著者が、V字回復の際にどういった施策をどのように思いつき、実行に移し、どのような結果になったかを丁寧に描いています。特にハリーポッターアトラクションに大型投資をする中で数年間ほとんど予算がない中で圧倒的な結果を出していく様は大変興味深く、かつ爽快でした。

でも粘りに粘って考えていると、そんなコロンブスの卵を生み出すことができることがあるのです。ある問題について、地球上で最も必死に考えている人のところに、アイデアの神様は降りてくるのだと私は思っています。

もし明日までに「新しい強いアイデア」を出さないと、自分の家族が全員皆殺しにされることになったら、多くの人は必死な集中力で長時間考えられると思います。そうすると、きっと何かを思いつく確率は上がっているはずです。足らないものがあるとすれば、その必死さ、その執念、「コミットメント」なのではないでしょうか?

もっともっと真剣に考えることできるなと思いました。

後、これ読んだいま、すぐにUSJに行かねばという思いです。

<抜粋>
・要するに「映画だけにこだわらないとディズニーブランドと差別化できなくなるから絶対に集客できなくなる」のだそうです。大変失礼ですが「ああ、実戦経験の足らない自称マーケターは多いな」と私は思いました。  その「映画だけにこだわること」こそが戦略上の大きなミスなのです。この日本において、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが、どうしてディズニーランドと差別化しないといけないのでしょうか?
・その歩いている一歩一歩が正しいんだ! と思えないと、自信を持ったよいエクセキューション(実際のプラン=この場合はショーやイベントの品質)を現場が作ることはできません。腹の底の弱気や心配は絶対に周囲に悟られてはならない、誰かが言い切らないといけないのです。
橋下知事のメッセージをメディアが最初に報道した直後から、我々は突貫で製作した「スマイル・キッズフリー・パス」のTVCMを放映開始したのです。  すると……。  GW前までの地獄の集客トレンドがまるで噓のように、パークに子供を連れたご家族がたくさんたくさん来てくれました。やがてキッズフリーの対象者以外のゲストもパークにどんどん戻って来ました。  潮目は変わったのです!
私はアイデアを考えるときは、まず目的を徹底的に吟味して定め、その次にアイデアが満たすべき「必要条件」を一番時間をかけて考えます。そしてその必要条件を組み合わせ、より条件を絞り込んで、自分が必死に思いつくべきアイデアの輪郭をできるだけ明確に絞り込んでいきます。具体的なアイデアを考え始めるのはいつも最後の最後なのです。
・この日のハロウィーン・ホラー・ナイトを楽しみに夜の時間に残っていた実際のゲストは、想定の2万人どころか、なんと3倍の6万人にも及んだのです! 需要予測を現実がはるかに超えた瞬間でした。  ハロウィーン・ホラー・ナイトは、ずっと7万人程度で赤字だったハロウィーン・イベントを大きく黒字化させる倍増目標14万人をはるかに超え、なんと追加集客数で40万人以上を集客することに成功しました。  これは何十億と投資した大型アトラクションが年間を通じて集客する数字よりも多い数を、約2カ月の間に集客してしまう凄まじい需要創出となったのです。
私は信じているのですが、マーケティングをやる人間は、何でも自分自身でやってみることを習慣にするべきです。前職でヘアカラーやスタイリング剤を売っていた時代は、私は自分のヘアスタイルを金髪のスパイキーや、真っ赤なソフトモヒカンにしていたこともありました。
・しかし、ビジネスは不思議なものです。つくづくそう思います。  もしあの震災自粛の衝撃によって我々があれほど追い詰められることがなければ、これらのアイデアを思いつくこともなかったでしょう。そして、これほどの10周年の成功も絶対になかったはずです。そう考えると、会社の経営も不思議な運命のバランスの上に成り立っているのだと改めて思います。
一般論ですが、日本人は何でも自分でゼロから始めようとする、悪いクセがあるように思うのです。これは日本人の職人気質から来ているのではないかと思うのですが、人のアイデアを活用したり、それをベースに新たな価値を増築していくことが、スマートだと信じている人をあまり見たことがありません。
・世の中からアイデアを探して盗んでくることを真っ先にやることは、マーケティングをやる人間には絶対に必要だと思っています。誇りを持ってやるべきです。自分たちでゼロからアイデアを捻り出すのは、本来は探してどうしても見つからないときの最後の手段であるべきだと私は考えています。そしてリノベーションは、それがリノベーションだと気づかれないくらいの新しい価値を創造できたときに成功するのです。
・アイデアというのはそんなに安いものではないのです! そして2013年を生き抜くことは、会社の未来を創ることそのものでしたから、ベストを尽くさず諦めるなど絶対に選択肢にはなかったのです。
・でも粘りに粘って考えていると、そんなコロンブスの卵を生み出すことができることがあるのです。ある問題について、地球上で最も必死に考えている人のところに、アイデアの神様は降りてくるのだと私は思っています。
・もし明日までに「新しい強いアイデア」を出さないと、自分の家族が全員皆殺しにされることになったら、多くの人は必死な集中力で長時間考えられると思います。そうすると、きっと何かを思いつく確率は上がっているはずです。足らないものがあるとすれば、その必死さ、その執念、「コミットメント」なのではないでしょうか?
・ビギナーだからベテランだからどうのこうのではなく、確率を上げている人が一番釣るのです。考えてみれば当たり前の話ですね。アイデアも同じです。アイデアの神様に微笑んでもらうためには、やるべきことをちゃんとやって確率を上げておくのが道理だということです。
・何十億も何百億も投資して、一体何年間集客に貢献してくれるのか。「中途半端な強さの映画」に何十億円もかけることは非常に非効率なのです。  我々がハリー・ポッターに450億円もの巨額を投じる決心をした理由の1つは、すぐに劣化していく中途半端な映画アトラクションを45億円で10個作るよりも、よほど効率的だと考えたからです。
・経済的に有利な人間だけを優遇するのか? と、ネガティブにとる人もいるようですが、より多くの料金を払った方が、より良い席で見られたり、より良い体験ができたりするのは、世の常ではないでしょうか? なぜテーマパークだけが入場料金だけの画一料金でなければならないのでしょうか? ファストパスのように開園ダッシュの「走力」でゲストに差がつくことも、エクスプレス・パスのように「料金の選択」で差がつくことも、同等だと私は考えています。
経営資源が少ない企業は、まず一番大事なところに資源を集中しないと勝てません。あれこれリスクヘッジしようと資源を分散すると、全てで資源が不足して負ける可能性が大きくなります。一点張りで絶対に勝たないといけない重要性は、大企業の比ではありません。  だから中小企業は、大企業よりも頭を使っていかないと駄目なのです。より戦略的でなければならないのです。生み出されるアイデアの質もスピードも、大企業よりも優れていないことには話にならないでしょう。経営資源で劣るならば、せめて知恵で優れないと勝負になりません。
・これは私の考えですが、先進国の中でも特異な日本の文化事情によって、母親が罪の意識なしにストレスを発散できる装置が少ないからではないかと思います。先進国の中で、家事負担がここまで女性に偏るのも日本くらいなので、欧米のように子供をどこかに預けてストレス発散をすることに罪悪感を覚える人が多い。日本の女性は献身的な存在と言えるのではないでしょうか。家庭のため子供のため、子供の教育にすべてを注ぎ込み、自分の楽しみは後回しの傾向は、昔から続いてまだ残っています。そんな彼女たちにとって、子供と一緒に楽しめるテーマパークの存在は貴重なのです。  パークを歩いているときに、子ども連れの母親ゲストを見かけると、私はいつも「どうか彼女たちのこの1日が素晴らしいものになりますように……」と祈るような気持ちになります。ユニバーサル・ワンダーランドをつくったのもその想いが土台にあったからです。

今後無視することはできない「ブロックバスター戦略」

一時期クリス・アンダーソンの「ロングテール」理論が脚光を浴びましたが、近年実際にはエンターテイメントの世界で真逆にソーシャルメディアなどで拡散力が広まったこともありメガヒットが連発されています。

例えばレアル・マドリード(世界最大予算のサッカークラブ)やワーナー(ハリウッドのメジャー映画配給会社)、レディ・ガガ、シャラポワなどの例を詳細に解説しており、ヘッドの部分に投資を集中させリターンを最大化するかというブロックバスター戦略が成功を収めています。一方で、iTunesの売れた曲のうち1/3は1曲しか売れていないなどロングテールがほとんど機能していない例も挙げられています。

本書はエンターテイメント中心なのですが(一部ファッションやサービスの話もあり)、インターネット業界でも、GoogleやFacebookなど一部のメガベンチャーに一流の人材が集中し、それがサービスを進化させ(競合に差をつけ)ユーザーを増やし、それが収益を増やし、またひとを集めるという流れを生み出していることを考えると、個人的にも非常に考えさせられるものがありました。基本的には、ブロックバスター戦略はインターネット業界にも有効になりつつあるので、うまく取り込んでいかないとなと思っています。

今後の世の中の流れを考える上で非常に勉強になる一冊でした。

<抜粋>
・ここで、ひとつの原則が鮮明に浮かび上がる。エンターテインメント企業は、創造性豊かな人材との関係を継続させるためならどんな苦労も厭わない、という原則だ。
・ブロックバスター戦略の成功は、マーケティング費用を含めて考えると一層明らかになる。高額を投じた作品ほど、広告の効率性がいいのだ。「製作費1億5000万ドルの映画の広告宣伝費は、たとえ市場を飽和状態にしても、製作費7500万ドルの映画の2倍というわけではない★14」。
・次に、出版社でもスタジオでも、ブロックバスター狙いを敬遠してばかりいると、才能あふれる編集者や映画製作者、テレビプロデューサー、クリエイティブな人たちは職を辞して、大きな成功のチャンスを追求できる会社に移るだろう。
・第一に、低予算の投資はテストケースの役割を果たせるからだ。小さな賭けを妥当な数だけ行えば、メディア制作者が次の大ヒットシリーズを見出す手がかりとなる。
・この話で思い出されるのは、ワーナー・ブラザーズが開催したホーンの送別パーティーでの出来事だ。ジョージ・クルーニーが満座の中で、「俳優たちがやりたかったのに、スタジオ側はやりたくなかった諸々を支持してくれたこと」に対して、ホーンに感謝の意を伝えたのだ。賢い一流俳優は、この種の姿勢を決して忘れず支持者になってくれるものだ。
・どうしてなのだろうか。どうしてレディー・ガガを支えるチームは、かつてはあれほどうまくいった口コミを利用した戦略から手を引くことにしたのだろうか。ガガの新アルバムなら飛ぶように売れるはずなのに、レコード・レーベルの経営陣は、不必要なマーケティングの支出を抑えたいとは思わなかったのだろうか。
・「要は、多様なグループを見つけることが大事なんだ。ゲイ・コミュニティ、ダンス・コミュニティ、クラバー・コミュニティ、ファッション・コミュニティ、アート・コミュニティなどを、ガガのファン層に育てることが必要だ。だからあとになって、ラジオで売り込もうとしたときには、もう何カ月もガガを追っている強力なファン層がいたし、彼らはガガの成功に自分たちも貢献していると感じていた」。
・最終的に、エンターテインメント商品の成功は最初にそれを試した少数の人たちの判断に大きな影響を受けやすいということを、ワッツたちは明らかにした★15。
ワッツによれば、売れている歌でも映画でも本でもアーティストでも、必ずしも〝ほかのものより優れている〟わけではないという。むしろ、人が好むものというのは、他者が好むと考えられているものだ。
・ディーナーは、既存のジャンルをまたいだ音楽やメインストリームの型にはまらない音楽は、たいてい中小レーベルから生まれると指摘した。中小レーベルは、革新的なものを生み出すには好位置につけているのかもしれない。あるいは、なじみのある言葉を用いるなら、過去に売れたアーティストと似たアーティストに多額の費用をかけるという、ブロックバスター・トラップに陥りにくいのかもしれない。
・パフォーマーの私生活さえ一役買う。そもそもイギリスでは、元スパイス・ガールズのメンバーとの関係が大きく取り沙汰されたために、サッカーファン以外の間でもベッカムの名前が広く知られるようになった。ほかの一流サッカー選手と比べて、当初は少しだけ有利に働いたこの種の出来事が、やがて高禄を食める、ベッカムブランドを中心としたキャリアの構築につながっていった。パフォーマーは往々にして、世間の注目を浴びるほど、ますますスターになっていくのだ。
・南米のトップクラブは、ヨーロッパのトップクラブとフィールドでは互角の勝負なのに、南米はヨーロッパと比べて金回りが良くない。サッカーが人気スポーツだという点では引けを取らないが、南米のサッカー市場がわずか20億ドル相当なのに対して、ヨーロッパのサッカー市場は170億ドルにも相当する。
・そのひとつの要因は、早くに勝利を収めた者は、さらなる成功に対して有利な立場にあるという点だ。要するに、経済学者のいう「経路依存性」や「正のフィードバック★18」のことだ。配役担当ディレクターが映画俳優を選ぶ場合を思い描いてほしい。小さな役のオーディションを受ける何百人もの無名俳優を見分けようとするとき、ディレクターにはおそらく判断材料がほとんどない。ところが、ある俳優が1、2度選ばれて、期待に添う仕事をしたとなると、以降もその俳優が引き立てられる十分な理由となる。結果として、ほかの俳優と比べて(仮に違いがあったとしても)ほんのわずかの強みに基づく決定が、幸運な勝者としての豊かなキャリアにつながり、ほかの何百人もの志願者のチャンスをつぶすことになるかもしれないのだ。
・アップルが意気揚々と、アップストアには10万のアプリがあると発表したとき、98パーセントのiPhoneユーザーが、人気の低い9万9000のアプリのどれ一つとして興味を示さなかった★21ことも、驚くにはあたらない。
・それでも、『デコーデッド』のキャンペーン中、ビングのシェアはサービスが始まって以来最高となる12パーセントに達し、最も閲覧数が多いウェブサイトの上位10位にはじめて入った★13。
・まずは、ナイトクラブの世界を詳しく見ることにしよう。パーティー好きの人なら、ストラウスとテッパーバーグの運営するクラブの名前は少なくともひとつは知っているのではないだろうか。しかし、根っから遊び好きの人でも、この2人が起業家としてどれほどの成功をあげているのかについては正確に理解していないだろう。ナイトライフのビジネスでは、クラブはあっという間に、〝イケてる〟から〝イケてない〟に変わるものだ。クラブにとって最高の顧客は、最新流行のクラブにだけ通う客だ──しかし、どのクラブも最新でありたいと願うが、これは時間の問題だ。映画や新アルバムの口コミと同じように、興奮はあっという間に静まる。すると、オープン当初の収益はあがってもすぐに減益に転じて、クラブのオーナーは高額の先行投資を回収しようとして大慌てすることになる。
・アメリカでは、CBSがショーの放映権を100万ドル以上支払って手に入れ、900万人以上の視聴者がチャンネルを合わせた★12。1時間にわたるショーの模様は、12月4日──クリスマス休暇向けの買い物シーズンのはじまりとぴったり一致する──のゴールデンアワーで放送されて、視聴者がヴィクトリアズ・シークレットの小売店やネットショップで買い物したくなるように構成されていた。莫大な宣伝費を投じたこのブロックバスター狙いは目覚ましい効果をあげて、このブランドは毎年大衆市場で大きな話題を呼んでいる。

経営者は成果がすべて「ドキュメント パナソニック人事抗争史」

パナソニックの歴代社長の人事を綿密な取材から追っています。もちろんこういったものは話すひとは何かしらポジショントークな部分があると思うし、一概にこの社長はいい、悪いとは言えないとは思うのですが、それでもかなり混乱した状態が続き権力争いが続いたのは間違い無さそうです。

とはいえしかし、結局のところ業績があがっていないからこそ歴代社長は糾弾されているわけです。もし何かしら素晴らしい業績があれば偉大な中興の祖として祭り上げられたのは間違いない。

結局、経営者は成果がすべて。

当たり前のことを粛々とやるのは当然で、さらに一段ギアチェンジするような業績をあげ続けないと評価されず、いつの間にか忘れられてしまう。自分も圧倒的な成果を出さなければならないし、そのための組織を作っていく(権限移譲していく)必要があると改めて感じました。

<抜粋>
・やがて山下のあとを継いで谷井昭雄が4代目社長に就任し、その大役を果たそうとした時、業家の反発や正治の執拗な反撃などが相まって、逆に谷井が、社長の座を追われることとなった。
・むめのにしてみれば、正治はひとり娘幸子の夫であり、かわいい孫の正幸の父親である。将来、孫の正幸に社長を継がせるためにも、正治が社長の座に居続けることを強く望んだ。
・山下には、柔軟な思考力、冷静な判断力のほか、叩き上げの人間に共通のシンの強さが備わっていた。しかしなぜか、「正治を引退させろ」との幸之助の命に関しては、優柔不断だった。
・要するに、山下の進めた「近代化」によって、正治に苦言を呈してきた幸之助の番頭たちが会社を去り、ようやく手足を思いっきり伸ばせるようになったということである。
・山下は、常務会を開くにあたって、会長である正治への出席要請はしなかった。意思決定のスピードを落とさないため、常務会は、社長、副社長、専務、常務のみの出席としたのである。重要事項を協議する常務会の様子が皆目わからないことに、正治は苛立ちを隠さなかったという。 「客員会」の重鎮のひとりによれば、「正治さんは、ひょっとして自分は無視されているのではないかと心配になりだした。それで、自分も常務会に出席したいと言うんですが、山下さんは、いや会長は出ていただかなくても大丈夫ですと断っている。すると今度は、当時の人事担当副社長だった安川洋さんに、自分の出席を認めるよう山下に言ってくれと頼んでるんですね」。
・松下家に近かった元幹部社員によれば、「正治さんは、そのうち人事案だけでなく、事業買収などにもズケズケものを言いだした。反対したくてもできない案件だと、『決裁願』の書類に逆さまにハンコを押していた。それがまた、アッという間に、会社中に知れわたるわけや。あの案件、会長は不同意やと──。だから、そういう事態にならないよう、治めて、治めて、やっていこうとするようになった
・しかし森下は、社長に就任するや、恩義を感じるべき谷井に背を向けた。社長を退き、相談役となってからの谷井の口癖のひとつは、森下への不満であった。親しい役員に、よくこう零していた。森下は、何にも相談に来んもんなあ──。
・会長として、業家の代表として、松下電器を預かる立場の正治にとってみれば、いわば蚊帳の外に置かれたも同然の形で進行したMCAの買収は、谷井の身勝手な行動であり、出過ぎた経営と映るようになる。そんな感情的シコリもあって、正治は、MCAの買収に途中から反対の意向を示しはじめた。
・ワッサーマンと森下との違いは、浮き沈みの激しいハリウッドで、生き馬の目を抜くような仕事をこなしてきた海千山千の経営者と、ドメスティックな世界で営業畑しか歩いてこなかったサラリーマン社長との、主体性と自信とチャレンジ精神の違いによるものだった。
・映画作品への造詣が深かった斎藤は、MCAの保有する映像ライブラリーに関する克明な資料を作成し、特命チームの判断を助けた。そしてMCAの買収契約が成立したのち、平田からワッサーマンに送る手紙の作成を依頼されると、その最後を「お楽しみはこれからだ」という台詞で締めくくった。  昭和2(1927)年に公開された映画『ジャズ・シンガー』で、主人公が語ったこの台詞は、無声映画からトーキー映画に切り替わった最初のスクリーンで観客に向けて発せられたものである。映画史上に残る記念碑的な台詞を盛り込んだ手紙に、ワッサーマンはいたく感動し、「松下には、本当に映画の心がわかる人がいる」と語ったほどだった。
・「テレビは、何と言っても家電の中心であり、利益を出していたブラウン管に特化するのが業績向上の近道と考えたんでしょう。当時、全世界で使われていたテレビは約10億台で、そのほとんどがブラウン管でした。これほどの市場規模を持つブラウン管が急になくなることはない。まだまだ需要はある。ブラウン管は〝金のなる木〟と周りから吹き込まれ、森下さんはすっかりその気になってしまった。もともと森下さんは、〝マルドメ〟というあだ名を持つぐらい、まるでドメスティックな人だけに、将来のメシの種に投資することより、ブラウン管で日銭を稼ぐことに関心が向かった」
・80年代の松下電器の業績は、本業での儲けを示す営業利益率で平均9%を稼ぎだしていた。それが、森下が社長に就任した平成5(1993)年には2・6%へとガクンと落ち、その在任期間中の7年間の平均も3・4%という結果に甘んじていた。この業績を早期に回復することが、与えられた使命と森下は考えたのである。それはまた、谷井路線の全否定にも繫がり、いわば一石二鳥であった。
・「『何が正しいか』ではなく『誰が正しいか』を重視する」風潮が蔓延し、「人事も『秀でた仕事をする可能性』ではなく、『好きな人間は誰か』『好ましいか』によって決定する」ようになっていたからだ。
・「全社方針会議」は、むしろ村瀬の欠席をこれ幸いとばかりに、東芝方式の採用を決めていた。もし村瀬が出席していれば、それまでの協議経過や、信義問題などが持ち出され、議論は白熱し、容易に結論は得られなかったはずである。
・それまで沈黙を守っていた山下が、この時、突如として世襲批判を展開したのは、このままでは、正幸の社長就任が実現してしまうと危機感を覚えたからだった。たとえ正治との関係が壊れたとしても、幸之助の〝遺言〟を実現するには、この機会しかないと考えてのことだ。谷井に託したものの果たせないでいた、業家と経営との間に一線を引くことで、経営を安定させよという〝遺言〟である。
・佐久間が失脚したあととはいえ、アメリカ勤務時代にさして世話にもなっていない森下を持ち上げようと、先のエピソードを仕立てあげていたとすれば、いささか品位に欠ける。 「客員会」の重鎮のひとりは、「そういう点が、いかにも中村君らしい」と断ったうえで、こう続けた。 「要するに、佐久間さんが失脚した途端、森下君に乗り換えたいうことですわ。彼は、常に上しか見てこなかったし、取り立ててくれる上司には徹底的に媚を売り、逆らわずに仕えてきた。まさに、組織の中で生き延びる術を心得た〝プロのサラリーマン〟ですよ。これは、森下と共通するところですが、裏を返せば、このような芸当ができたからこそ、彼らはトップの座を手にできたということでしょう」
・当時、取締役米州本部長だった岩谷英昭は、プラズマに固執する中村に対し、公然と異を唱えた。その時の緊迫した様子は、「客員会」の一部で、伝説となって語り継がれているほどだ。
・しかしその後も中村は、活を入れつづけた。 「PDP(プラズマ・ディスプレイ)は絶対に引くことのできない事業です。技術力はもちろん、コスト力でも圧倒的に勝ち続けるべく、全社の最重点事業として総力を挙げた取り組みをお願いいたします」(『PaNa』2006年1&2月号)
・「V字で男をあげて以降の中村というのは、人が変わってしまったわね。異常なほど部下を選り好みして、自分の好きなタイプしか選ばないというところへいっちゃった。しかも嫌いとなると、人格を全否定する。それだけに、骨のある奴から抜けていきましたなあ」(中村の元同僚)
・中村は、50歳代前半で人事の苛酷さを、骨身に沁みる思いで嚙みしめていた。社長までの道のりは決して平坦ではなく、一度は左遷によって将来が閉ざされる危機を味わっている。その時、手を差し伸べてくれた森下には、まさに〝絶対不可侵〟の態度を貫いていたのである。
・中村が社長時代の元部下もこう語っている。 「中村さんが社長になってから、品質会議というのをはじめたのですが、ここでは毎回のように事業部長や工場長が吊し上げられていた。説明が悪いと、極端な話、次ぎの会議にはいない。どこかに飛ばされちゃってるんだから。だからみんな、自分の身を守るため、自分の責任のとれること以外何もしなくなる。身を縮こませ、足元ばかり見て仕事をするようになっちゃったわけですよ」

Google人事の成功例と失敗例「ワーク・ルールズ!」

Googleの人事トップがGoogleでの数千人から数万人になるまでに行ったあらゆる人事的施策(成功例も失敗例も)や人事の考え方について赤裸々に語っています。

もちろん数千人からの話ではあるし、その時点でものすごく優れたビジネスモデルがあり、かつエンジニアが憧れるレピュテーション(評判)もある会社であったのでそのまま転用が可能というわけではないけれども、ベンチャー経営においては非常に実践的でとにかく勉強になる一冊です。

本書を参考にしながらメルカリでもいろいろ改善していきたいなと思います。

<抜粋>
・必要なのは、社員は基本的に善良なものだという信念──そして、社員を機械ではなくオーナーのように扱う勇気だけだ。機械は与えられた仕事をこなすが、オーナーは会社やチームの成功に必要なことなら何でもやる。
・ラリーとセルゲイの野望は、すばらしい検索エンジンの開発にとどまるものではなかった。2人はまず、自分たちが社員をどう処遇したいのかを知ろうとした。現実離れして聞こえるかもしれないが、有意義な仕事に取り組む会社、社員が情熱のおもむくままに活動する会社、社員とその家族を大切に扱う会社をつくりたかった。ラリーはこう語っている。「自分が大学院生だとすれば、やりたいことは何でもできます。本当に優れたプロジェクトは、多くの人に実際に取り組みたいと思わせるものです。私たちはこうした考えをグーグルに取り入れてきましたが、それは本当に本当に役立ちました。あなたが世界を変えようとしているなら、重要なことをしようとしているのです。朝、あなたはわくわくしながら目を覚ますでしょう。有意義でインパクトのあるプロジェクトに携わりたいと願っているはずです。それこそ、実は世界に足りないものです。グーグルにはまだそうしたものがあると思います」。
・わが社にとっては、グーグラーを自称するわが社の社員がすべてです。グーグルは、卓越した科学技術者やビジネスピープルといった才能ある人材を引きつけ、活用する能力をもとに組織されています。幸い、わが社は創造的で、信念を持ち、仕事熱心な多くのスターを採用してきました。これからもさらに多くの人材を採用したいと願っています。私たちは彼らに報い、彼らを大切に扱うつもりです。 わが社は、無料の食事、医師の診察、洗濯機など、多くの独自の福利厚生を社員に提供しています。これらの制度が会社にもたらす長期的メリットについては、慎重に検討しています。今後も、福利厚生は削減されるのではなく追加されるものとお考えください。社員の相当な時間を節約し、健康と生産性を向上させる福利厚生については、些細な負担を惜しんでも大金を無駄にするだけです。
・さらに悪いことに、個々のマネジャーはえこひいきをする可能性がある。つまり、友人を雇いたがったり、取締役や大口顧客に好意を示すためにインターンを採用したりするのだ。最後に、マネジャーに採用決定を任せると、チームのメンバーに対して彼らの権力が大きくなりすぎてしまう(のちの章で、私たちがマネジャーの権力を最小限に抑えるために実際に努力している理由を述べたい)。
・結果はどうなっただろうか? 私たちはひとりも採用しなかった*5。広告板はメディアで盛んに取り上げられたものの、資源の無駄遣いになっただけだった。人材募集チームは洪水のような履歴書と問い合わせに対応しなければならなかったからだ。
・たとえば、特定の職務に推薦するなら誰かとたずねた。「これまで一緒に働いたなかで最高の財務担当者は誰ですか?」とか「プログラミング言語のルビーを使える最高の開発者は誰ですか?」などと質問したのだ。また、グーグラーを20人から30人のグループごとに集め、外部調達会議を開いた。彼らには、グーグルプラス、フェイスブック、リンクトインで接触がある人たちを念入りに調べるよう頼み、紹介されるすばらしい人材をすぐに追跡できるようリクルーターが待機した。大きな質問(「わが社が雇うべき人を知っていますか?」)を小さく扱いやすい質問(「ニューヨークで優秀なセールスパーソンを知っていますか?」)に分解することによって、より多くのより質の高い人材を紹介してもらえるようになる。
あなたの行動がチームに前向きな影響を与えたときのことを聞かせてください。(補足質問:あなたの主要な目標は何であり、その理由は何でしたか? チームメイトの反応はどうでしたか? 今後はどんな計画がありますか?) 目標達成のためにチームを効果的に運営したときのことを聞かせてください。あなたはどんなアプローチをとりましたか? (補足質問:あなたの目標は何であり、個人としてまたチームとして、それをどう達成しましたか? チームのメンバーそれぞれに応じてリーダーシップをどう変えましたか? こうした特定の状況から学んだ最も重要なことは何でしたか?) 他人(同僚、クラスメート、顧客など)とうまく協働できなかったときのことを聞かせてください。あなたから見て、その人とともに働くのが難しかった理由は何ですか? (補足質問:問題を解決するためにどんな手順を踏みましたか? その結果はどうでしたか? ほかにどんなことができたと思いますか?)
・グーグルがいまより小さかった頃、私たちはディレクターの2つの階層を公式に区別していた。下位のディレクターの肩書きは「ディレクター、エンジニアリング」、上位のディレクターは「エンジニアリング・ディレクター」としてあった。ところが、肩書きの語順といったわずかな差異があるだけで、社員は階層の違いにこだわることに気づいた。そこで、その区別を廃止した。
・ピシェットはグーグルの最高財務責任者であり、事業を大ヒットさせたいという際限のない欲求と、わが社の財務状態を慎重かつ責任を持って管理することのバランスを取る役目を負っている。
・2010年だけで、8157回のA/Bテストと2800回を超える1%テストを実施した。言い換えれば、毎日30回を超える実験を行い、何がユーザーに最も役立つかを探っていたことになる。しかも、これは検索サービスについてだけの話だ。
・活用される20%の時間は年を追って増減を繰り返しており、最後に調査した際には、およそ10%程度が主流だった。ある意味で、現実がどうあるかよりも、勤務時間の20%を別の仕事に使えるという考え方のほうが重要だ。それは、経営陣による正式な監視をややはずれたところで活用され、今後も変わらないだろう。才能にあふれる創造性豊かな人々が仕事を強要されることはありえないからだ。
・1970年代のベストセラー小説『かもめのジョナサン』の作者リチャード・バックは、のちに『イリュージョン』でこう書いた。「あれこれ理屈をつけて自分の限界を正当化するなら、なるほど、それが君の限界なのだ★109」。
すべてのグーグラーが社内のウェブサイトでほかのグーグラーのOKRを見ることができる。電話番号とオフィスの所在地の次に掲載されているのだ。重要なのは、ほかの社員やチームが何をしているかを調べる方法があること、また、グーグルが成し遂げようとしている大きな構図のなかで自分がどんな位置にいるかを理解するよう促すことだ。
2013年の初め、実験にもとづいて、四半期ごとの業績評価を廃止して6カ月ごとの評価に切り替えた。多少の不満は出たものの、特に問題は起こらなかった。さっそく50%の時間を節約できた。
あなたがこの本を読む頃には、グーグルは全社的に5段階評価に移行しているはずだ。2013年末の時点ではまだ実験中だったものの、初期兆候は良好だった。この方式のおかげで、社員はまず、3・2と3・3のあいだのわかりにくい差の代わりに、より一貫したフィードバックを受け取れるようになった。次に、評価区分の幅が広がった。私たちが業績評価の区分を減らすと、マネジャーは評価システムの上下両端をよく利用するようになった。業績評価システムに関する学術研究は結論がはっきりせず、グーグラーのフィードバックは中立的なものであるものの、少なくともこの2つの評価方式のうちでは、5つの区分のほうが区分をさらに増やすよりも優れていることがわかった。
・キャリブレーションによって評価の手続きがひとつ増えることになる。しかし、それは公正さを確保するにはきわめて大切な手続きだ。ひとりのマネジャーの評価は同様のチームを率いる複数のマネジャーの評価と比較され、マネジャーたちは集団で社員を審査する。5人から10人のマネジャーがひとつのグループとして集まり、50人から1000人の社員の映像を壁に映し出し、ひとりひとりについて論じ、みなが合意できる公正な評価を下す。こうした手続きのおかげで、マネジャーが感じる、評価を上げてほしいという部下からの圧力を払拭できる。また、最終結果は共有された業績期待値を反映したものになる。
・私たちは毎回のキャリブレーション会議を、こうした誤りの再検討から始めるようにしている。私が出席したキャリブレーション会議では、短時間でもこうした現象にマネジャーの注意を向けさせるだけで、多くのゆがみを取り除くには十分であることがわかった。また、そうすることによって、こうしたゆがみを防ぐための言葉や文化的規範が生まれたことも同じく重要だ。
拍子抜けするほど簡単な解決策がある。  2つの議論を決して同時にしないことだ。年度の評価は11月に、報酬についての話し合いはその1カ月後に行う。グーグルでは全社員に株式付与を受け取る資格があるが、その決定はさらに6カ月先だ。  プラサド・セティはこう説明する。「昔ながらの業績管理システムは大きな誤りを犯しています。完全に切り離すべき2つのこと、つまり業績評価と人材育成を結びつけてしまうのです。業績評価が必要なのは、昇給やボーナス向けの資金のような有限の資源を配分するため。人材育成が同じく必要なのは、社員を成長させ、向上させるためです★121」。社員に成長してほしいと願うなら、これらの2つの議論を同時にしてはならない。人材育成については、マネジャーとチームメンバーのあいだで不断に議論を交わすようにすべきであり、年度末のサプライズにしてはならない。
・2013年、私たちは同僚からのフィードバックの書式をもっと具体的なものにしようと試みた。それまでは何年にもわたって同じ書式を使っていた。それは、対象となる人物がうまくやっていることを3つから5つ、もっとうまくできることを3つから5つ記入するようになっていた。現在は、もっとやるべきだったことをひとつ、別のやり方をすればもっと大きな成果を上げられたことをひとつ質問する形になっている。
・「ひとりの一流エンジニアは300人の平凡なエンジニアに匹敵する価値があるが、業績評価と賃金の昔ながらのシステムが積み重なると、貢献度よりも職位にもとづいて報酬が支払われることになる」。
・実のところ、組織のなかで人が発揮するパフォーマンスは、たいていの仕事の場合べき分布になる。インディアナ大学のハーマン・アグイニスとアイオワ大学のアーネスト・オボイルは「平均的な能力の人々がつくる大集団が強い影響力を振るうわけではない……きわめて優れた能力を持つ人々の小集団が圧倒的な業績を上げることによって[影響力を振るうのだ]」と解説する★130。大半の組織はそうとは知らずに、最高の人材を過小評価し、正当な報酬も払わないでいる。
・そんなわけで、「業績不振」の社員を解雇するという従来のやり方とは違う手段をとることにした。私たちの目標は、底辺の5%に該当する全社員に、その事実を伝えることだ。これは楽しい会話ではない。だが、そのときにこんなメッセージを伝えれば多少やりやすくなる。「あなたの成績はグーグル全体で下から5%です。そう聞いて気分が良くないことはわかります。わざわざ私がそれを伝えるのは、あなたに成長し、向上してもらいたいからです」
ボトムテールに投資するこのサイクルを通じて、チームは改善する……それも格段に。社員は業績をぐんと上げるか、さもなければ退職して別の会社で成功を収める。
最高のマネジャーを擁するチームは業績も良く、離職率も低かった。実際、マネジャーの質は社員が辞めるか残るかを予測する唯一にして最高の指標だった。社員は会社を辞めるのではなく、ダメなマネジャーと働くのを辞めるのだという格言を証明した格好だ。
・すると、やはりマネジャーによって差がついた! より悪いマネジャーのもとに異動した65人は、グーグルガイストの42項目のうち34項目でスコアがきわめて低くなった。翌年、より良いマネジャーのもとに異動した社員は、42項目のうち6項目でスコアが大幅に改善した。変化が最も大きかったのは、定着率、業績管理への信頼度、キャリア開発度を測る質問に関するものだった。より悪いマネジャーのもとに異動することは、それだけで、社員のグーグルでの経験を変容させるのに十分であり、会社への信頼が崩れ、退職を考えるきっかけとなる。
・意外にも、優れたマネジャーに必要な8つの属性のうち、技術的な専門知識の重要度はいちばん低いことがわかった。誤解のないように言っておくが、技術的な専門知識はもちろん必須である。プログラムを書けないエンジニアリング部門のマネジャーは、グーグルでチームを率いることはできない。だが、最高のマネジャーとその他のマネジャーの違いを生む行動のうち、技術的な貢献はチームにとって最も影響が小さかった。
・①報酬は不公平に ②報酬ではなく成果を称える ③愛を伝え合う環境づくり ④思慮深い失敗に報いる
・オボイルとアグイニスは次のように説明する。「生産力の10%を最上位の従業員が担い、生産量の26%を上位5%が担う」。言い換えれば、上位1%の従業員の生産量は平均の10倍、上位5%の従業員は平均の4倍にのぼる。
・2004年11月に発表された最初のファウンダーズ・アワードは、ユーザーに関連性の高い広告を提示する仕組みを構築したチームと、重要な業務提携を交渉したチームに贈られ、総額1200万ドル相当のストック・ユニットが支給された★182。翌年は11のチームに総額4500万ドル以上が支給された
・グーグルでは現在も、例外的に優秀な人には、例外的な額の現金や株式で報いる。ボーナスと株式報奨の金額は、以前よりべき分布に近くなった。ただし、私たちはこの10年をかけて、報奨の内容と同じくらい報奨の決め方が重要であることを学んできた。配分的正義と手続き的正義にかなわないプログラムは、改良するか刷新している。現金だけでなく、経験の報奨を積み重ねていくことの大切さも重視している。経験の報奨によって成果を公に称え、ボーナスや株式報奨の金額に大きな差をつけることによって個別に称える。その結果、社員も以前より満足している。
グーグルではひとり1回175ドルまで、管理職の承認や書類の手続きなしで社員が社員にボーナスを支給できる。あり得ないと思う会社も多いだろう。社員同士が裏で組んで、ボーナスを交換するかもしれない。システムを悪用して数千ドルの臨時収入を目論む人がいるかもしれない。  しかし、わが社では心配無用だった。  
・ウェーブの開発中止から1、2年後、ジェフ・ヒューバーはアドワーズの技術チームを率いていた。彼は、大きなバグやミスが生じたら、必ず「何を学んだか」を議論するという方針を掲げていた。悪いこともいいことと同じようにチームで共有し、実際に起きていることをリーダーが確実に把握して、失敗から学ぶことの重要性を強調したいと考えたのだ。ある会議でエンジニアが悔しそうに報告した。「プログラムのコードを台無しにして、会社に100万ドルの損失を出してしまいました」。
2011年からは、未行使のストックオプションに相当する金額を、残されたパートナーがすぐに受け取れるようにした。さらに、社員の死後10年間、給与の50%を支給する。子どもがいる場合は19歳になるまで(全日制の学生は23歳まで)、ひとりにつき毎月1000ドルを加算する。
①仕事の役割と責任について話し合う。 ②ヌーグラーに相棒をつける。 ③ヌーグラーの社会的なネットワークづくりを手助けする。 ④最初の半年は月に1回、新人研修会を開く。 ⑤遠慮のない対話を促す。
・そして、プロジェクト・オキシジェンと同じように目覚ましい改善が見られた。マネジャーがこのメールに従って働きかけたヌーグラーは、働きかけがなかった人より研修期間が1カ月短くて済み、25%速いペースで一人前の戦力になったのだ。たった1通のメールが、これほど大きな効果をあげた。
①質問する。とにかく質問する! ②マネジャーと定期的な面談(1対1)をする。 ③自分のチームについて知る。 ④積極的にフィードバックを求める。待っていてはダメだ! ⑤挑戦を受け入れる(リスクを選んで失敗を恐れない。失敗してもほかのグーグラーが助けてくれる)。  2週間後、講習を受けたヌーグラーは5つの行動指針を確認するメールを受け取った。
調査の結果、故意でも偶然でも、意図的でもそうでなくても、当事者は必ず解雇される。個人の名前は公表しないが、どのような情報が漏洩して、どのような結果になったかについては全社に知らせる。多くの人が多くの情報に触れている以上、間違いをおかす人が出ることは避けられない。しかし、私たちが享受する開放性に比べれば情報漏洩のコストは小さいのだから、そのリスクを受け入れる価値はあるだろう。
・これらのプロダクトは2006~2009年に提供を終了した。グーグルは15年間で250以上のプロダクトやサービスを投入してきたが、その大半は私も名前さえ聞いたことがない。
・私は本書を通じて、グーグルで何がうまくいき、何がうまくいかなかったのか、正直に語ろうと努めてきた。うまくいった話に偏りがちなのは、そのほうがよりよいロードマップを描けると思うからだ。
・私が知っているさまざまな環境と違って、グーグルは私たち自身が理解している以上に野心的だ。そのため、毎四半期のOKRは70%を達成すれば優秀とされ、ラリーは「ムーンショット[困難だが壮大な挑戦]」を信じている。控えめな目標で成功するより、壮大な挑戦で失敗したほうが多くのことを達成できる。
・認知科学者のスティーヴン・ピンカーは著書『暴力の人類史』で、少なくとも暴力の発生率で見ると、世の中は平和になったと主張している。国家が誕生する前の狩猟採集社会では、暴力による他殺率は15%だったが、古代ローマの初期やイスラム王朝、イギリス帝国の時代に3%まで減った。20世紀に入り、ヨーロッパ諸国の殺人率はさらに1桁減った。こんにちでは暴力による他殺率はさらに減っている。「人間の本性はつねに、暴力性とそれに対抗する性質──自制、共感、公平性、理性──を包含してきた……暴力が減っているのは、歴史の流れが私たちの内なる善き天使を好むようになったからだ★256」。
①仕事に意味をもたせる ②人を信用する ③自分より優秀な人だけを採用する ④発展的な対話とパフォーマンスのマネジメントを混同しない ⑤「2本のテール」に注目する ⑥カネを使うべきときは惜しみなく使う ⑦報酬は不公平に払う ⑧ナッジ──きっかけづくり ⑨高まる期待をマネジメントする ⑩楽しもう!(そして、①に戻って繰り返し)
・やる前からやる気をくじかれそうな話かもしれないが、実はそれほどリスクは高くない。投書箱はいつでも撤去できる。社員からの提案を受けつけるのはやめると宣言して、何ならクビにすればいい。手放した権限を取り戻せるだろうかと不安なら、数カ月間の試験的な取り組みだと、あらかじめ説明する。うまくいけば続ける。うまくいかなければ続けない。実験的な試みでも社員は歓迎するだろう。
「あなたがもっと成功するために、私はどんな手助けができるか」という心がけで向き合わなければ、相手の防衛本能が高まり、学習の回路が閉ざされる。
・エンジニア部門の昇進プロセスは、委員会で検証して別の委員会が実行する。納得できない社員は査問委員会に不服を申し立てることができ、その裁定も不満なら査問を査問する委員会に上訴する。このプロセスについて、ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズのマネジング・ディレクターで、グーグルの取締役を務めるジョン・ドーアに説明すると、「私はエンジニアとしても、こんな複雑怪奇な仕組みを設計した人に感嘆する」と言われた。それでも機能しているのは、チェック・アンド・バランスの原理がプロセスの公正さを保証し、可能なかぎり透明性を維持しているからだ。透明性はエンジニアにとって重要な資質だ。
・私は元コンサルタントとして断言する──コンサルティング会社の採用はIQ(知能指数)が最も重要で、EQ(心の知能指数)はその次だ。彼らにとっては合理的な基準だが、ピープル・オペレーションズは、問題を解決できるだけでなく、社内のさまざまな人と協調的な人間関係を築ける人材を求めている。感情的知性が高い人は自分のことを理解している人が多く、したがってあまり傲慢ではない。そのような資質の人は新しい分野に溶け込みやすいだろう。
ショナのブランディングの直感はすばらしかった。私たちがピープル・オペレーションズという名称を使いはじめると、人事部門の呼び方として業界で人気が高まった。今ではドロップボックスやフェイスブック、リンクトイン、スクエア、ジンガなど20社以上で使われている。

“経営の神様”松下幸之助の違う側面「血族の王」

松下幸之助と言えば伝説の経営者であり「経営の神様」というすごいイメージしかなかったですが、本作を読むと、若い時は数々の過ちを犯し、後半はデジタルへの対応ミスや一族支配への執着など人間らしい部分も多くあり、非常に興味深かったです。

最晩年の幸之助は、孫の正幸を社長にするという悲願に悩みながら、一方で、長く付きまとっていた汚名を返上し、〝経営の神様〟としての面目を保っている。

とはいえ事実として、素晴らしい着眼点と実行力を持ち、ゼロから世界的な企業を育てあげた稀有な経営者であるわけで、結局のところは経営者は結果がすべてだと改めて思いました。

<抜粋>
・滑稽ともいえるその生産方式は、あっという間に月産二千個から五千個まで製造個数をのばし、関西だけでなく東京市場をも席巻した。だがしばらくして、〈東京方面のメーカーが思い切った値下げを発表して対抗策をとったために、売り上げに反動をきたした〉。
・創業から数えて二十年足らずの間に幸之助は、のちに〝神話〟とよばれる成功譚を生み出していた。夫人のむめのと義弟の井植歳男の三人で、わずか四畳半と二畳の借家からはじめた事業は、この時までに工場数十四、営業所数十九、従業員数三千五百四十五名を数える一大企業に発展していたのである。
・先行メーカーの多くは、性能がいまひとつで故障の多い製品であっても、それらを売り抜けることで利益を稼ごうと汲々としていた時代のことだ。消費者にしても、満足のいく品がなかったため手に入りやすいものを我慢して購入していたというのが実情だった。その満たされない欲求を、幸之助は理屈や理論からではなく、大衆の気持ちをシンプルに見詰めることでつかんだ。
この間にも、地方問屋からの苦情は強まるばかりで、ついに全国販売権を山本に譲り渡さなければならない状況に追い込まれてしまった。大正十四年五月、忍びがたい思いで幸之助は有効期限三年の総代理店契約を山本との間で結んだ。  これによって幸之助は事実上、山本の軍門に下り、契約期間中は単に注文を受けて自転車ランプを製造するだけの〝下請企業〟になり下がった。なぜ、こんな屈辱的な契約に応じたのかは、幸之助の精神世界を知るうえで興味深い問題だ。
・無線通信がもの珍しかった時代、デパートの屋上に設置された通信ブースで立ち働く通信士は、買物客の興味を引くかっこうの広告塔であった。だが、タイタニック号の事故を境に状況は一変し、無線は社会にとって必要不可欠なものと考えられるようになっていった。米国政府は事故後すぐに「無線法」を制定し、乗組員五十人以上の船舶には無線通信機の設置を義務づけるようになっている。もっと多くの船舶に無線機が備えられていれば、タイタニック号の乗客がさらに数百人は救助されていたはずとして――。
・『独占への審判―アメリカ・ヨーロッパ・日本の大企業と独禁法―』の著者で、元京都大学法学部長の道田信一郎の調査研究によれば、そもそも〈RCAの設立は、ふつうの株式会社の設立とは違っていた〉という。〈それは、単に資本を拠出し、新しい事業のために一つのユニットをつくっただけではない。GEやラジオ通信の分野で既にすぐれた特許技術をもっている他の大企業が設立に参加し、特許の管理をRCAに集中しようとした〉ものだった。
・何かを自分に言い聞かせるかのように、「金、金、金……」と書きつけた心境について、幸之助は語ったことはない。国家の要請によって、無理な事業展開を余儀なくされるいっぽう、巨額の資金調達にも苦しめられなければならなかった時期である。幸之助とすれば、その苦しい胸の内を「金」という文字に託し、書きつけずにはいられなかったのだろう。
・〈いまだったら、本当にもう、ただちに会社潰れるような、そういう大借金しとって、しかも親父は、父は個人保証しとったですからね。ですからこれは何回か、私にも言いましたけども、個人保証してるからな、これ返せんかったら一家離散や、と言ってましたよ〉
・縄張の拡大を常に歓迎したホイットニーはすぐに同意し、その日の夜、マッカーサーに面会を求めると、いとも簡単に所管換えをおこなってしまった。ホイットニーは、マッカーサーの個人弁護士を務めたことがあり、日常的にも家族ぐるみのつきあいにあった。この特別な関係と、マッカーサーの性格と野心が、経済科学局から民政局への所管換えをおこなわせたのである。
・〈自分は変わることなく平和産業中心主義を主張し、そのように行動しつづけてきた。それを、おまえがネジ曲げて軍需会社の経営へ向けてしまい、その結果、自分を公職追放、戦犯の容疑まで受けかねない窮地に追いこんでしまった。自分には一切、そんな責任はない。もし責任をとるならば、おまえではないか〉
幸之助にすれば、下請だからこそ、この安さでの譲渡ということになるのだろうが、退社にあたって退職金さえろくに支給されなかった井植にすれば、あくまで正当な対価を払っての取得となる。この認識のずれが、一時期、幸之助と井植の間で繰りひろげられた激しい対立の遠因となっていった。
・三洋電機の思いもよらぬ追い上げと成功に対する幸之助の危機意識は、そっくりそのまま激しい叱責となって部下にぶつけられることになる。
・一方で会社存亡の危機に直面し、もう一方で生活費に事欠きながら、二つの家庭を養っていかねばならなかったのが、この時期の幸之助であった。
・〈当時、わしは工場長やってましてね。請負い単価を変更した。われわれの工場のなかで相談しまして、割合が少ないから、ちょっと値上げしようやと。それはよかったんや、値上げをしたことは。報告しなかったことが悪かった。それが二、三カ月でばれましてね。で、首謀者は誰やと、後藤やないかと。それがばれたんが、晩の遅うなってからですね、九時か十時頃やった。電話があって、すぐ来い、と。お前の値上げしたことは、すべてに関係することや。それをなぜ、わしに事前に報告せんのか。お前さん、偉ろうなったんか。お前、大将か。ちがうやろ。大将、俺や。俺になぜ、報告せんのか〉
全神経を傾注し、工場の隅々にまで目を光らせ、細心の注意を払って経営を行っていた幸之助にとって、部下が経営判断の領域に踏み込むことは、理屈ではなく感情が許さなかったものと想像される。
世田谷夫人との間に、幸之助は四人の子供をもうけ、認知も済ませていたが、そのことによって、死後、子供たちの実名が大阪・門真税務署によって明かされることになった。当時の税法は、課税遺産総額が五億円を超える相続人は実名を公表することになっていたからだ。幸之助の娘婿であり、松下電器会長だった松下正治は、記者会見でこの公示に対し「プライバシーの侵害」と声高に不快感を示し、「週刊新潮」の記者から世田谷夫人について質問されると、吐き捨てるようにひとこと「知らん」と答えた。
・ところが松下は、農家はテレビを買えないほど自分たちが貧しいとは思っていないという事実を受け入れた。農家は、テレビが外の世界と接触させてくれることを知った。たしかに、経済的には大変だった。しかし彼らはテレビを買おうとし、事実、買った。当時、松下よりも優れたテレビを開発していた東芝や日立は、東京の銀座や大都市の百貨店で売っていた。地方の農民にとってはお呼びでないところだった。これに対し松下は、農家を一軒一軒訪ねてテレビを売った。農家に対し、木綿の作業ズボンやエプロンよりも高いものを、そのように売ろうとしたのは松下がはじめてだった
・一連の報告を受けるや、幸之助は言葉を失い、ショックを隠しきれなかったという。この窮状から脱し、再び〝販売の松下〟を再生するには、現在の販売網に大ナタを振るい、再構築する以外にない。それには、まず、溜まりに溜まった不平と不満をガス抜きし、一気呵成に販売改革へのコンセンサスを作りあげることだった。幸之助は、そのためのシナリオを練り上げ、周到な準備を整えたのち、熱海会談に臨むことにしたのである。
・〈きょう、久しぶりに皆さんにご出張いただきまして、ほんとうに皆さんの窮状と申しますか、皆さんのおかれている立場がよくわかりました。業界が荒れに荒れていることもわかりましたから、今日まで蓄えました松下電器の力をば、ほんとうに適切に行使しまして、やれるだけやってみたいと思います。そのやってみたいといいますことは、販売の面にも、業界に対する面にも、社員を訓育する面にも、いろいろあらわれてくると思います。こなければ申しわけないと思います。誓ってやってみることを申し上げまして、きょうお集まりいただいたことに対する心からなるお礼を申し上げる次第でございます。どうもありがとうございました〉
「お前たちは、売れた売れた言うけれど、そもそも一店舗のナショナルショップが十個買うてくれたら、全国で五十万個売れる仕掛けを作ってあるのや。その製品が、小売店の倉庫に止まっているのか、お客さんの手元にまで届けられているのか。要は、わしの作った仕組みがちゃんと機能してるかどうかを見るのが、お前たちの仕事や」
・実際、砲弾型自転車ランプが松下電器の基礎を築きあげ、熱海会談が開かれた昭和三十九(一九六四)年の時点で、松下電器は資本金三百三十七億五千万円、従業員数三万九千五百人、売上高二千二百四億円を誇る大企業にまで成長することができたのである。
・「この電池は、一社で普及させることはできへん。市場を広げていくには、松下にやってもらわなかったら絶対にあかんのや」  企業秘密を明かしたところで、そんなに簡単には追いつけない。かりに追いつかれても、負けることはないという自信があってのことだろう。だが、敏にとって意外だったのは、父が嬉々として幸之助の接待の準備をはじめたことだった。
・その直後に出された公正取引委員会の排除命令は、彼女たちの目に、松下電器は消費者を搾取する強欲な企業と映ったようだ。すかさず松下電器の全製品の不買運動を決めている。これは、幸之助を打ちのめした。
「いや、もう、わしね、悔しうて三日ほど眠れてないんや。あの不買運動や。わしが考えて考え抜いた商売のやり方がけしからんいうて、しかも松下電器と取り引きもない縁もゆかりもないおばさんたちが、土足で会社に上がり込んで、わしが営々と築いてきた商売のやり方を変えろと言うんだ。法治国家でそんなこと許されてええのかと思ったら、悔しくて眠れんのや」
「委員長、君は、従業員の代表やから給料増やせとか休みを増やせとか要求すべきで、それに対してわしは答える。経営のことは、会社にまかしてくれんと、やりにくくてしょうがない。わしは経営の神様や。だから、経営のことであれこれ言うてくれるな」
昭和三十六年に幸之助が会長に退いたあと、社長の座は女婿の正治に譲られた。しかし幸之助は、常に正治の首根っこを押さえ、経営判断の自由を与えなかったばかりか、趣味のゴルフさえ自由にさせなかった。
・幸之助がVHS方式に軍配を上げた理由は、録画時間の長さだった。ベータ方式の一時間に対し、VHS方式は二時間が基本規格であり、しかも四時間録画に向けて、すでに開発がはじめられていた。実現すれば、商品としての魅力に決定的な差がつくのは明らかであった。
・幸之助は、松下伝統の基本精神と、日本の伝統を重ね合わせながら、経営方針が「旧式」だとか「遅れている」と考えるのは間違っていると、真っ向から否定するとともに、伝統と経験がいかに大切かを力説したのである。映像に残された、この幸之助の演説が終わるまで、ゆうに一時間四十五分がかかっていた。
〝経営の神様〟の晩年は、幾ばくかのさみしさと憂いに包まれていた。デジタル技術が台頭するなか、もはや自分の出る幕はないと自覚しながらも、経営への未練が絶ちがたく、しかもかつてのように思い通りにならない組織を前に、歯がゆさを抱え過ごさなければならなかったからだった。まして後継問題に思いを馳せた時、憂いは増すばかりであった。
・幸之助の言葉通り四十歳で取締役、四十四歳で常務へと引き上げられている。さらに四十六歳で専務、五十歳で副社長に昇進したが、シナリオ通りことが進んだのはここまでだった。五十四歳の時に財界活動担当の副会長に棚上げされたのち、現在に至るまで社長に就いていない。
・今にして思えば、『秘密な事情』は、松下家と松下電器の間に一線を引かせる役割を担っていたことに気づく。幸之助のプライバシーを暴いただけでなく、小説で描かれたオーナー家の身勝手ぶりと、現実に起こった不祥事とをオーバーラップしてイメージさせる効果があったからだ。
・最晩年の幸之助は、孫の正幸を社長にするという悲願に悩みながら、一方で、長く付きまとっていた汚名を返上し、〝経営の神様〟としての面目を保っている。
・無一文から身を興し、これほどまでの成功を手に入れた幸之助が、富がもたらす余裕のもと第二夫人を囲うのは、ある意味、自然の流れであったろう。そしてむめのへの気兼ねはあったとしても、世田谷夫人との実生活が生み出すさまざまな心配事に心を砕くことになる。家族に終の棲家を世話したのも、そのひとつだった。
・「私、株をやるものですから、取り引きしていた証券会社に、どっか京都でお売りになる家ありませんかと聞いたら、こういう物件がありますというので見に行ったのがこの家。それで、あの人に欲しい家があるにはあるんだけど、大きくてねという話をしたわけ。私、お目玉が来ると思ってビクビクしてたら、よし、そいじゃ、買うてあげましょうといって買うてもろうたんがこの家です。君にやるんじゃない、子供にやるんだからと。娘のおとうさんは、そりゃあ、立派な人でした」
この二人の明暗を分けたのは、経営権を一族が支配したかどうかの違いであったかのように思われる。一族が支配し続けようとしたことで三洋電機は消えることになり、一族の支配を求めながらも、その禅譲を果たしえなかった幸之助の事業は永続することになった。

メタップス創業者が描く「未来に先回りする思考法」

先日上場したメタップス創業者で社長の佐藤航陽氏が考え方をまとめた作品。佐藤さんとは同じ業界で付き合いもありますが、佐藤さんの今の頭の中が分かって非常に勉強になり、かつおもしろかったです。

タイトルにある「未来に先回りする思考法」というのは

もし何か新しいことをはじめるのであれば、ルールメーカーがまだ存在していない領域を選ぶことをおすすめします。当時のシリコンバレーのように、すでに多くの人から名指しされるようなフィールドにこれから飛びこむようでは、アクションが一歩遅れている可能性があります。

リアルタイムの状況を見ると自分も含めて誰もがそうは思えないのだけれど、原理を突き詰めていくと必ずそうなるだろうという未来にこそ、投資をする必要があります。あなた自身がそう感じられないということは、競合もまたそう感じられないからです。

等と書かれています。が、実際のところはこれがかなり難しい。何が未来にも有効な「ルール」かなんて分からないし、「原理」も分からないからです。

誰がいつ実現するかは最後までわかりません。しかし、何が起きるかについては、おおよその流れはすでに決まっています。人が未来をつくるのではなく、未来のほうが誰かに変えられるのを待っているのです。適切なタイミングでリソースを揃えた人間が、その成果を手にします。

実際のところGoogleもSNSが来ると思ってGoogle+とか作っていたけども、Facebookに惨敗しています。さらに言えば、FacebookがいなければGoogle+がFacebookの代わりになったかすら非常に怪しいと思っています。

つまり、GoogleやFacebook、Appleが同じような未来を描いていようが、彼らの思う通りにならないで、結果無名の企業から次のGoogleやFacebookが誕生する。

むしろタレブが「ブラック・スワン」で言うように、何かが起こった途端に世界が(「ルール」や「原理」も含めて)一変する、が、何も起こらなければずっと何も変わらない、というのが僕の世界観です。

だから個人的には、個人の裁量による未来の変動はかなり大きいと思っていて、自分が信じる未来、こうあってほしいという未来を作るためにモノ・サービスを作る意味は大きいし、やりがいもあると思っています。

というわけで、すべて賛同するわけではありませんが、佐藤さんのあらゆる方面への幅広い知識や世界観は非常におもしろくて勉強になりました。もちろん僕も自分が正しいと思っているわけでもありません。

P.S.いきなり途中で名前を挙げていただいてて驚いたんですが、

以前、ウノウという会社を起業したのちアメリカのZyngaに売却し、今はメルカリというサービスを展開している山田進太郎さんに、なぜIT業界に入ったのかを聞いたことがあります。彼の答えは「当時は、他の業界よりも優秀な人が少なかったから」というものでした。

実際はインターネットビジネスやってみたいというのが第一だったんですが、1999年当時って僕の周りでもみんな大企業に就職するのが当たり前で、スタートアップに行くひとが本当にいなかったんですよね。僕は頭も良くないので普通に優秀な人たちと同じ勝負をするのではなくて違う山に登ろうと思った、というのがこの話ですね。

<抜粋>
・情報の伝達コストが高く、スピードが遅かったために、様々なハブをつくり代理人を立てて「伝言ゲーム」をしていたのが近代の基本構造です。必然的に、ハブの中心には権力が集中するようになります。 実は今私たちが生きている社会も、多くはまだ「情報の非対称性」を前提に運営されています。
・共有することのメリットや楽しさがより大きくなっていく以上、プライバシーの概念もそれに伴い今よりもゆるやかになっていく可能性は高いでしょう。
・もともと、国家も企業も世の中の「必要性」を満たすために誕生した組織であり、異なるのはそのアプローチだけです。国家は法律を執行し、公共サービスを提供することで国民の「必要性」に応えます。企業は、同じことを自社の製品やサービスを通じて行います。
・アメリカには、人を使った諜報活動を担うかの有名なCIAの他に、情報技術による諜報活動を行うNSAと呼ばれる組織があります。NSAは日本での知名度こそCIAに劣りますが、人員10万人、5兆円というCIAの4倍以上の予算規模を持つ巨大組織です。
・経済的な活動には「公益性」が求められるようになり、政治的な活動にはビジネスとしての「持続可能性」が求められる。こうなると、経済と政治の境界線はどんどん曖昧になってきます。政治は経済化し、経済は政治化し、その境界線もまた融解しはじめているのです。
・結局は、資本が重要な社会でも情報が重要な社会でも、そのシステムの根幹を握る存在の力が強まってしまいます。それをどのようにコントロールしていくかが、今後社会全体の課題になってくるでしょう。
・新興企業でいえば、本書執筆時ではNextdoorにも注目が集まっています。Nextdoorはネット時代のご近所付き合いを再現するソーシャルネットワークサービスです。近隣の人たちと、いらなくなった家具からイベント情報まで、様々なモノや情報を共有しあうことができます。Nextdoorは2015年3月に資金調達をしましたが、そのときの企業の評価額は10億ドルを超えています。2010年の創業でありながら、いまや、全米で4万を超える地域で普及しています。
・こちらの過去の行動を学習し、自分に適した情報を提供してくれるサービスは、とても楽だし、便利です。しかし、パーソナライズの技術は「思ってもみなかった発見」は提供してくれません。過去の行動履歴からパーソナライズをしていくことは、本当の意味での「最適化」をむしろ遠ざけてしまう危険性があるのです。
本当に大きな成果を上げたいのであれば、真っ先に考えなければいけないのは今の自分が進んでいる道は「そもそも本当に進むべき道なのかどうか」です。
・短期間で大きな企業をつくりあげた企業経営者に会うと、意外な共通点があることに気付きます。実は、彼らが、コミュニケーション能力が高く、リーダーシップや人望にあふれるスーパービジネスマンであることは稀です。そのかわり、彼らが共通して持っているのが「世の中の流れを読み、今どの場所にいるのが最も有利なのかを適切に察知する能力」です。
・自分の経験からいえば、いきなりグローバルに事業を展開した当時は、自分が成功するとはとてもではありませんが、確信できませんでした。今ならどの国がどのぐらいの市場規模で、どのように構成されているか、どう攻略すべきかをすぐに頭の中に思い浮かべることができますが、当時は何もわかりませんでした。それでもなぜ足を一歩踏み出せたかというと、自分の認識を信用していなかったからです。今の自分の狭い視野によってつくられた認識のほうが「間違っている」と考えていましたし、今だってそう考えています。
・もし何か新しいことをはじめるのであれば、ルールメーカーがまだ存在していない領域を選ぶことをおすすめします。当時のシリコンバレーのように、すでに多くの人から名指しされるようなフィールドにこれから飛びこむようでは、アクションが一歩遅れている可能性があります。
・以前、ウノウという会社を起業したのちアメリカのZyngaに売却し、今はメルカリというサービスを展開している山田進太郎さんに、なぜIT業界に入ったのかを聞いたことがあります。彼の答えは「当時は、他の業界よりも優秀な人が少なかったから」というものでした。
プレイヤーは、逆立ちしてもルールそのものにはかなわないからです。本当に一番になりたいのなら、自分自身がルールをつくり、誰もいないフィールドに飛びこんでください。
・リアルタイムの状況を見ると自分も含めて誰もがそうは思えないのだけれど、原理を突き詰めていくと必ずそうなるだろうという未来にこそ、投資をする必要があります。あなた自身がそう感じられないということは、競合もまたそう感じられないからです。
・誰がいつ実現するかは最後までわかりません。しかし、何が起きるかについては、おおよその流れはすでに決まっています。人が未来をつくるのではなく、未来のほうが誰かに変えられるのを待っているのです。適切なタイミングでリソースを揃えた人間が、その成果を手にします。

世界中で衰退する権力を描く「権力の終焉」

近年、国家、企業、宗教団体などの権力が弱まっている様子とその原因を描いています。非常に幅広い事例に言及されており、非常に勉強になりました。

特に政治においては、各国で権力側が非常に弱まっておりその理由をNGOと対比する形で

NGOは偏執的な熱意でひとつの問題だけを追求するが、政党は多数の矛盾さえする目標を追いかけ、選挙献金の追求においてのみ偏執的であるようだ。

政党はその構造と方法をよりつながり合った世界に積極的に適応させなければならない。NGOが、比較的平坦でそれほど階層的でない構造によってさらに機敏で柔軟になり、メンバーたちの需要と期待により調和できたように、政党も同じような構造によって新しい党員を勧誘し、より敏捷になり、自分たちの課題を前進させ、うまくいけば、党の内外で力を手に入れようと狙っている危険な扇動者たちともっとうまく戦えるようになるかもしれない。

と書いています。しかし、実際のところどうすればよいかというとほとんど解決方法を提示できていません。

確かに、権力が弱まることにより、例えば、温暖化阻止等で国家間で合意できなかったり、テロ組織が力を持つなどの問題が起こりつつあるのは確かです。しかし、著者が

ここで言いたいのは、権力が過度に希釈され、指導者的プレーヤーが指導することができないという状況は、少数の手に権力が過度に集中することと同じくらい危険だということだ。

と言うほど、ものすごい支障があるかというと正直分からない部分もあります。例えば、日本でもねじれ国会や保守回帰などで政治的解決に進まなくなったりしているが、それは国民が望んだことではないかという疑問もある。つまり、極論「政治は何もやらないでくれ」というメッセージである可能性があります。

万が一、どうしようもない状況になったら、一致団結して合意するのではないかという希望もなくはないかなと。

また、本書は本当に事例が豊富なんですが、宗教においてもペンテコステ派と福音派というゲリラ型の組織が拡大しているのを読んで、スーパーAPCやロス・セタスもそうですが、もはや権力の衰退は避けられないのではないかという思いを強くしました。

ペンテコステ派と福音派の強みの本質は、既存のヒエラルキーを気にせずに教会を設立できることだ。教えを受けたり、指示を待ったり、バチカンやカンタベリー大主教やその他の中央指導部の叙階式 (聖職位の授与式) の許可を得たりする必要はない。標準的なケースでは、既存の福音派教会から独立する場合でない限り、ただ牧師を自称し(カトリック信仰では依然として女性が神父になることができないが、カリスマ派には女性の使徒、主教、予言者はいくらでもいる)、小さな看板を掲げればよい。この点において、教会は中枢から資金提供を受けることなく競争市場に参入した小さな会社と変わりない。会員たちと彼らに提供するサービス、十分の一税や献金の収入を基盤として成功しなければならない ( 14)。

現在世界で起こっていることを俯瞰するには非常に有益な良書です。

<抜粋>
・実際のところ、権力は金のようなものだと考えている人は多い。持っていればいるほど、もっと持つ機会が増える、というわけだ。この観点から見ると、権力と富の集中という際限なく継続できるサイクルは、人類の歴史を前進させていく中心的な推進力だと考えることができる。確かに世界は、絶大な権力を持ち、それを失うつもりなど毛頭ない人間と団体で満ちている。しかし、以下の章を読めば、このようなプリズムを通して世界を見ると、物事の変化のきわめて重要な要素が見えなくなってしまうことがわかるだろう。
・同じくアラブの春におけるツイッターの使用パターンを調べた米平和研究所の調査は、この新しいメディアは、「国内の集団行動においても、地域内の他国への蜂起の拡散においても、重要な役割は果たしていなかったようだ」と結論づけている。
権力とは、ほかの集団や個人の現在または将来の行動を命令したり、阻んだりする能力である。
・一八六四年生まれのウェーバーが成人に達したとき、ドイツはプロイセン王国のオットー・フォン・ビスマルク首相の舵取りのもと、諸邦国が統一されて近代工業先進国へと生まれ変わろうとしていた。ウェーバーは、知識人でありながら、さまざまな役割でこの近代化に参加した。研究者としてだけではなく、ベルリン証券取引所の顧問、政治改革グループのコンサルタント、皇帝の軍の予備役将校として──。
・コースの「取引コスト」が組織の大きさや性質をも決定するという考え方は、産業を超えたほかの多くの分野にも適用できる。それによって、なぜ現代企業だけでなく、政府機関、軍隊、教会まで規模が大きくなり集権化されたのか、という疑問も説明できる。これらの組織はすべて、そうすることが合理的であり効率的でもあったからである。取引コストが高いと、ほかの組織が管理する重要な活動を組織内に持ってきて、それによって組織を成長させたい、という強力な動機が生まれる。
・つまり、「権力と富は集中しがちである。富める者はますます富み、貧しき者は貧しくなる一方だ」。この考えの解釈は多少戯画化されているものの、当然とされている大前提であり、ありとあらゆる場所で交わされる会話の基盤となっている。たとえば、議会で、数えきれないほどたくさんの家庭の夕食の席で、大学のホールで、あるいは仕事を終えた後の友人たちとの集まりや、学術書のページであったり、テレビの人気連続番組で。自由市場に心酔する者たちの間でさえ、権力と富は集中しがちだというマルクス主義者の考えに同調する声はよく聞かれる。
・その理由は何だろうか? それは、貧困国の経済が、金融危機が起きても拡大を続け、雇用を創出していたからである。このトレンドは三〇年前にはじまった。たとえば中国では、一九八一年以降、六億六〇〇〇万人が貧困から抜け出している。アジアでは、極度の貧困の中で暮らす人々の割合は一九八〇年に人口の七七パーセントを占めていたが、一九九八年には一四パーセントまで激減した。
・重要なのは、こういうことだ。人口が増えて、その生活がより満たされると、彼らを厳しく統制し管理することが困難になる。
昨今の送金額は、世界の対外援助の合計額の五倍以上にのぼり、貧困諸国への外国投資の年間流出量を上回る。
・わずか半世紀と少しのうちに主権国家の数が四倍に急増したことにより、大きな権力に近づくことを妨げる障壁の多くはそれほど威圧的なものではなくなった。
・独裁的支配の絶頂期であった一九七七年、世界には九〇の独裁国家が存在していた。アメリカの研究グループ、ポリティ・プロジェクトによれば、二〇〇八年の世界には九五の民主国家が存在し、独裁国家はわずか二三カ国、そしてその中間のどこかに属する国家が四五あったという。
二〇一一年二月には、とうとうカンボジアを抜いて無政府期間の世界最長記録を打ち立てた。そして同年一二月六日、実に五四一日間に及ぶ膠着状態ののち、ようやく新しい首相を宣誓就任させたのである。政府にひどい打撃を与えることが推測されるこの不条理な危機にもかかわらず、この期間、ベルギーの経済と社会は順調に営まれ、ほかの近隣ヨーロッパ諸国と同じようにうまく機能していた。この事実は、政治家たちの権力が弱まっていることをなによりも雄弁に物語っている。それどころか、対立する諸政党に解決策を打ち出すよう圧力をかけるきっかけとなったのは、S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)のベルギーの信用格付けが下がったという事実のみであった。
・ティーパーティーは、二〇〇九年に出現してからほんの数カ月で、共和党政治そのものを作り直し、それによってアメリカ全体の政治を再形成した。この運動は、まったくの門外漢たちと、党上層部が推薦しえないその他の候補者たちを予備選挙で勝利に導いたのである。
スーパーPACとは、二〇一〇年に最高裁判所が下したシチズンズ・ユナイテッド判決 (右翼団体シチズン・ユナイテッドと連邦選挙委員会の裁判の結果、企業による政党や政治家の選挙キャンペーンへの資金援助を禁止する連邦法を違法とした判決) によって新たに作られた機関であり、選挙献金の制限を撤廃し、民間企業に政治主体としての力を与えるものである。これらの特別政治活動委員会は、自分たちが支持する候補者と連携することを禁じられている。が、二〇一二年の選挙運動では各大統領候補(共和党の各指名候補者でさえ)がひとつまたは複数のスーパーPACを有し、自らの宣伝や対立候補へのネガティブ・キャンペーンに巨額の資金を投入していることが明らかになった。
・多くの都市や地域が、中央政府からきわめて成功裏に解放されている──この状況を、都市国家という中世の秩序の現代版が生まれつつある、と主張する学者もいる
・ポールソンもアサンジも、政府の権力を制限することによって国政を変える新種のプレーヤーとして象徴的な存在なのである。
大きな安定した政党は、これからも民主主義において政府の主導権を握る中心的な媒体であり続けるだろう。しかし、新しい形態の政治組織や政治参加によって、大政党は弱体化が進み、迂回されることが増えているのだ。
全体として、NGOは社会のためになるが、その視野の狭さと、関係者と資金提供者に結果を示さなければならないというプレッシャーから非常に融通が利かないこともあるのだ
・権力は移行しているだけではない。衰退しており、場合によっては蒸発さえしてしまっているのだ。
・一八〇〇年から一八四九年の間に弱い主体が勝利を収めた割合はたった一一・八パーセントだった。それに対し、一九五〇年から一九九八年には実に五五パーセントを占めている。これは、戦争の中核的な公理が逆になったことを意味している。つまり、昔は火力が勝っている方が最終的に勝利した。しかし、今はもうそれが正しいとは言えなくなっているということだ。
・マックス・ウェーバーはこう書いている。「国家とは、正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体である」
・年間一〇〇〇億ドルと推定される今日の民間軍事サービス市場は、一世代前はほとんど存在していなかった。
二〇一一年には少なくとも四三〇人のアメリカの民間軍事会社の従業員がアフガニスタンで殺害されている。これは軍の犠牲者を上回る数字である。このような軍事会社のひとつであるL‐3コミュニケーションズが国家だったなら、イラクとアフガニスタンでアメリカとイギリスに次いで三番目に死亡者が多い
・アメリカとほかの国々は今もそれなりの量の「金メッキ」の近代兵器を保有しているものの、今日の戦争にもっとも適した軍用機は戦闘機ではない。戦闘機よりはるかに安く、はるかに柔軟性のあるもの──無人機(ドローン)である。
・たとえば二〇一一年に除去または爆発させたIEDの数は、アフガニスタンだけで一万五二二五個から一万六五五四個へと九パーセント増えている。IEDによって死亡または負傷したアフガニスタン人の数も、二〇一一年は前年比一〇パーセントも急増した。この兵器だけで、民間人犠牲者総数の死因の実に六〇パーセントを占めている ( 33)。
・ペンタゴンのような大きな組織が、紛争解決に必要な手段や資源を独占していた時代は終わった。紛争に有用なスキルは、今や軍隊内の基礎訓練、士官学校や国防大学だけでなく、パキスタン北西の反政府キャンプ、イギリスのレスターにあるイスラム神学校、中国広州のコンピューター学校などでも習得することができるのだから。
・ロス・セタスとは、実際には何者なのだろう? あるレベルで見れば、メキシコで長年続いている麻薬戦争に関連する多くの準軍事的組織のひとつにすぎない。〝戦争〟は、比喩などではない。二〇〇六年一二月から二〇一二年初めにかけて、メキシコでは麻薬がらみの暴力で実に約五万人が死んでいる ( 47)。麻薬戦争は、メキシコ政府から物理的な領土と経済活動のかなりの部分の権限を奪ってきた。この構図において、ロス・セタスはとりわけ強大な力を誇っている。彼らはメキシコ北東の重要な地域を支配し、混雑するラレド街道経由でアメリカへ流れるドラッグの積荷のほとんどを見張っている。四〇〇〇人と推定される私兵たちは、縄張りの地域に恐怖支配を敷いていることと、その力がメキシコ国内だけでなく、国境を越えてアメリカまで及ぶことで悪名高い。ロス・セタスは、メキシコ政府が立ち向かっている多くの敵たちの中で、もっとも手ごわい相手と言えるかもしれない。
・言い換えれば、今日の紛争では、〝命令〟は〝物質的な誘因〟に劣るということだ。従来の軍隊では、給与レベルは二次的なものである。入隊する第一の動機は、忠誠心、市民としての身分、使命感や戦争目的であり、この事実は同時多発テロ以後のアメリカで入隊が著しく流行ったことでも明らかだ。そのような使命感が、占領勢力から祖国を守ることや異教徒から信仰を守ることを訴えて新兵を引きつける一部の反乱軍にまで──そしてもちろん、暴力的な組織にも──拡大している。
理論上は強い影響下にある国でさえ、ほとんどアメリカに従っていない。
二〇〇九年一二月にコペンハーゲンで開催された国連気候変動枠組条約締結会議(コペンハーゲン合意)の失敗には、多くの要因──アメリカと中国が取引に乗り気ではなかったこと、工業大国や発展途上国の非協力的な態度──があげられているが、不十分な協定すら採用されなかった最終的な原因は、以前は想像もつかなかったある連合──ベネズエラ、ボリビア、スーダン、太平洋の小さな島国ツバル──が異議を唱えたことにあった。
・将来の超大国は、過去の超大国のように見えたり、ふるまったりはしないだろう。将来の超大国が物事を巧みに操る余地は狭まり、彼らを妨害したり、方向を転換させたり、単純に無視したりする小国の力が増大し続けることになる。
・経営コンサルタントのジョン・チャレンジャーによれば、平均的なCEOの在職期間は、約一〇年だった一九九〇年に比べると、近年は五・五年に半減しているという。
・二〇〇九年に実施した別の調査からは、毎年アメリカのCEOの一五パーセントが辞職していることが明らかになった ( 9 )。
・業界のトップ5企業が、五年後にその層から脱落するリスクは、一九八〇年はわずか一〇パーセントであったのに対し、一九九八年には二五パーセントまで上昇した ( 11)。
・実のところ、ミズーリ州カンザスシティに拠点を置く新興取引所のBATSは、NYSEとNASDAQにはまだ追いつかないが、ほかのどの証券取引所よりも取引量が多く、東京、ロンドン、上海、パリ、その他を上回っているのである。
カトリック教徒を自認するラテンアメリカ人の割合は、一九九五年から二〇〇五年の一〇年間で八〇パーセントから七一パーセントに落ちている。カトリック教会にとってなお悪いことに、実際に信仰の教えに従っているという信徒は四〇パーセントしかおらず、同教会が何世紀もこの大陸を支配してきたことを考えると、これは衝撃的な数字と言ってよい。
・カトリックの不振の原因は何だろうか? ひとつには、厳粛で反復的なカトリックの儀式とは対照的に、新しい福音派が富に根ざした華やかな礼拝をおこない、信仰療法と救済に基づいたメッセージを伝えていることが関係している。しかし、これらの新興宗教勢力の核心は組織の在り方そのものにあり、それがすべてのことに強みを与えている。
・ペンテコステ派と福音派の強みの本質は、既存のヒエラルキーを気にせずに教会を設立できることだ。教えを受けたり、指示を待ったり、バチカンやカンタベリー大主教やその他の中央指導部の叙階式 (聖職位の授与式) の許可を得たりする必要はない。標準的なケースでは、既存の福音派教会から独立する場合でない限り、ただ牧師を自称し(カトリック信仰では依然として女性が神父になることができないが、カリスマ派には女性の使徒、主教、予言者はいくらでもいる)、小さな看板を掲げればよい。この点において、教会は中枢から資金提供を受けることなく競争市場に参入した小さな会社と変わりない。会員たちと彼らに提供するサービス、十分の一税や献金の収入を基盤として成功しなければならない ( 14)。
・第五章で述べたように、二〇一二年の時点で、世界の富裕国の上位三四カ国のうち、大統領か首相が率いる党が議会の過半数を握っている国がたった四カ国しかない、という事実を思い出してほしい。
・ここで言いたいのは、権力が過度に希釈され、指導者的プレーヤーが指導することができないという状況は、少数の手に権力が過度に集中することと同じくらい危険だということだ。
・NGOは偏執的な熱意でひとつの問題だけを追求するが、政党は多数の矛盾さえする目標を追いかけ、選挙献金の追求においてのみ偏執的であるようだ。
・政党はその構造と方法をよりつながり合った世界に積極的に適応させなければならない。NGOが、比較的平坦でそれほど階層的でない構造によってさらに機敏で柔軟になり、メンバーたちの需要と期待により調和できたように、政党も同じような構造によって新しい党員を勧誘し、より敏捷になり、自分たちの課題を前進させ、うまくいけば、党の内外で力を手に入れようと狙っている危険な扇動者たちともっとうまく戦えるようになるかもしれない。
・NGOが支持者の信頼を獲得できたのは、自分たちが直接的な影響を与えられること、その努力がなくてはならないものであること、リーダーが責任感と透明性をそなえていて、邪悪なまたは未知の利益を受け取っていないことを、メンバーたちに実感させたからにほかならない。
・私たちが国内で政治システムをもう一度信頼すること、そして、それによって指導者たちに権力の衰退を抑制する能力を与え、困難な決定を下し膠着状態を避けることができるようにすること。それができて初めて、もっとも差し迫った地球規模の難題に取り組めるようになるだろう。そのためには、人々の参加意識を高める、より強力で、より近代的で、より民主的な政党が必要なのである。
・アメリカの歴史家ヘンリー・スティール・コマガーも一八世紀にこう述べている。  私たちは、今ある主な政治制度のほぼすべてを発明し、それ以来、何も発明していない。政党も、民主主義も、そして代議政治も発明した。歴史上初の独立した司法制度を発明した……司法審査を発明したのも私たちだ。軍事力に対する民間の優位も発明した。宗教の自由も、言論の自由も、権利章典も──まだまだ枚挙にいとまがない……どれも実にすばらしい遺産である。しかしそれ以降、これらに匹敵する重要なものを発明しただろうか

英雄中の英雄カエサルの偉業を知る「ローマ人の物語」

※イタリア旅行のために再読。ユリウス・カエサルの章前後を読み返しました。

ユリウス・カエサルは、常に少数ながらヨーロッパ中東各地で勝利を収め続けた軍事の天才というだけではなく、ローマ帝国を元老院中心の共和制から帝政への移行を図った稀有な政治家でもあり(暗殺されたが、後継者指名したアウグストゥスが初代皇帝となる)、さらに「ガリア戦記」他の作者でもあり一言で軍隊や民衆を掌握する文才もありました。

しかし、そのカエサルも40歳過ぎるまでは、ポンペイウス他の影に隠れた普通の元老議員でした。その頃から始まった三頭政治、ガリア戦争、そしてローマ内戦でルビコン川を渡るわけですが、この辺りの確信めいた足取りは本当に神がかっているとしか言い様がありません。

とはいえ、若かりし頃の思えば大胆な言動や、数々の致命的ではない失敗からその基礎が築かれたのも間違いありません。と考えれば、自分自身もまだまだこれからなのではと思えば非常に勇気が湧いてくるし、まさにこれからどう行動していくかがすごく重要と考えれば身も引き締まります。

<ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前 抜粋>
生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。
・人は、仕事ができるだけでは、できる、と認めはしても、心酔まではしない。言動が常に明快であるところが、信頼心をよび起こすのである。そして、スッラの強みには、悪評に強いことも加わる。つまり、世間の評判を気にしない男であったのだ。
・スッラの「処罰者名簿」には、八十人近くの元老院議員、一千六百人の「騎士」(経済人)もふくめて、四千七百人が名を連ねていたという。これらの人々には、裁判もなく殺された末財産も没収されるか、殺されなくても財産を没収されるかの道しか残されていなかった。そして、その全員が子孫にいたるまで、ローマの公職からの追放に処されたのである。没収された資産は、競売に付された。まったくのたたき売りに乗じて大儲けしたのは、スッラ派に連なる人々である。その中には、スッラ家の解放奴隷までいた。
・十九歳の若者は、小アジア西岸一帯の属州総督だったミヌチウスの陣営に行き、軍団入りを志願した。ミヌチウスは、オリエント遠征当時のスッラの部下だった男だから、スッラ派に属す。だが、官僚タイプではなく、親分肌の男でもあったのだろう。最高権力者の逆鱗にふれて逃げていながら堂々と本名を名乗ってあらわれた若者を、元老院議員を務めた人の子息には開かれている、即時の参謀本部入りをもって迎え入れたのである。若きカエサルは、幕僚の末席に連なることになった。
・カエサルが国外脱出をしなければならなくなったと同じ頃、わずかに六歳しか年上でないポンペイウスのほうは、ローマ正規軍四万を率いる総司令官に任命され、スペインに向けて堂々たる出陣を果していたのである。
・彼は、部下を選ぶリーダーではなかった。部下を使いこなす、リーダーであった。使いこなすには、部下の必要としているものは適時に与えねばならなかった。
・三十六万八千人で移動をはじめた人々のうち、もとの土地にもどったのは十一万人だった。とはいえ、これでスイス人も、スイスに住みつづけることになったのである。でなければ、フランスのどこかを、スイスと呼ぶことになっていたかもしれない。あるいは、スイス人は消え失せてしまっていたかもしれない。
・カエサル軍の総計は、八個軍団四万八千に外国傭兵の五千、それにガリア現地兵である騎兵四千で、総計五万七千。一方、ベルギー人の戦闘要員の総数は、四十万に迫る大戦力であった。
・男たちは、十人か十二人の妻を共有する。兄弟間や親子同士で妻を共有するのが、通常の形である。子供の親が誰かという問題だが、女が処女ではじめて交わした男を、子の親とするようである
・総司令官に求められるのは、戦略的思考だけではない。待つのは死であるかもしれない戦場に、兵士たちを従えて行くことのできる人間的魅力であり人望である。
・「お前たちが、やる気充分でいるのはわかっている。わたしに栄光をもたらすためには、どんな犠牲も甘受する気でいるのもわかっている。だが、わたしが、お前たちの命よりも自分の栄光を重く見たとしたら、指揮官としては失格なのだ
・後年カエサルは、退役する旧部下たちを、現役当時の軍団のままで植民させるやり方をとる。これならば、技術力に加え、共同体内部での指揮系統まで整った形で、新都市建設をはじめることになる。彼らの建てた町が、二千年後でも現存するのは、彼らが軍役中に会得した、工学部的知識と建設会社的実地訓練によったのではないだろうか。
・この日に決定した非常事態宣言は、カエサルと、「元老院派」にかつがれたポンペイウスの間に闘われる抗争に際し、後者が前者に突きつけた武器であったのだから。
・少年の住むスブッラからフォロ・ロマーノまでの距離は、五分となかったのだ。
しかし、カエサルは生涯、自分の考えに忠実に生きることを自らに課した男でもある。それは、ローマの国体の改造であり、ローマ世界の新秩序の樹立であった。ルビコンを越えなければ、「元老院最終勧告」に屈して軍団を手離せば、内戦は回避されるだろうが新秩序の樹立は夢に終わる。それでは、これまでの五十年を生きてきた甲斐がない。甲斐のない人生を生きたと認めさせられるのでは、彼の誇りが許さなかった。しかも、名誉はすでに汚されていた。まるでガリア戦役などなかったとでもいうふうに、「元老院最終勧告」に服さなければ共同体の敵、国家の敵、国賊と見なすと宣告されたことで、すでに充分に汚されていたのである。

<ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後 抜粋>
・人は、全幅の信頼を寄せてではないにしろ、他人にまかせなければならないときがある。そのような場合の心がまえは、まずはやらせてみる、しかない。
・これで、七個軍団もあったスペインでのポンペイウス軍は、全軍が解体したのである。このことは、西と南と東の三方からカエサルを包囲するという、ポンペイウスの立てた壮大な戦略が、早くも西方で破綻したことを意味していた。
・ポンペイウスとの抗争では、公正はわたしのほうにあると確信している。だからこそ諸君も、このわたしに従いてきてくれた。だが、立場は公正でも、それを実施していく段階で公正を忘れたらどうなるのか。ポンペイウス側の不正を、非難する資格も失うではないか。
・「とはいえ、今日の不運の責任は、他のあらゆることに帰すことはできても、わたしに帰すことだけはできない。わたしは、戦闘のための有利な地勢を諸君に与え、敵側の多くの砦まで陥とし、これまでの戦闘でも勝って、戦役が有利に展開するよう配慮を怠らなかった。このように眼前に迫っていた勝利を逃した要因は、諸君の混乱、誤認、偶発事への対処の誤りにある。だが、もしも全員が全力をつくすならば、この現状を逆転させることは充分に可能だ。そして、もしもこのような気持で一致するならば、ジェルゴヴィア撤退時と同じに、敗北は勝利に転ずるだろう。それには、恐怖に駆られて闘わなかった者たちも、自ら進んで前線に立つ気概を取りもどさねばならない」
映画あたりだと、会戦とは両軍が接近するやただちに戦端が切られるように見えるが、あれは上映時間の関係で時間の短縮を余儀なくされているからである。現実の会戦は、こうは簡単にはじまらない。布陣を終えるだけに、二、三時間かかるのが普通だ。また、何日もの間、布陣したままでにらみ合うのも始終だった。
えてして新参者のほうが熱心な体制維持派にまわる例が少なくないが、それはおそらく、自分のように縁故のない者にまで出世の機会を与えてくれた現体制への、愛着を捨てきれないからであろう。
・「市民諸君、諸君の給料もその他の報酬も、すべては約束どおり支払う。ただしそれは、わたしが、わたしに従いてきてくれる他の兵士たちとともに戦闘を終え、凱旋式までともに祝い終わった後で果す。諸君はその間、どことなりと安全な場所で待っていればよい」  カエサルの子飼い中の子飼いと自負していた第十軍団の兵士たちにとっては、カエサルが自分たちに、市民諸君、と呼びかけたことがすでにショックだった。それまでのカエサルは、「戦友諸君」と呼びかけるのが常であったのだ。それが今、もはや退役してカエサルとの縁も切れた普通の市民並みの存在になったかのように、「市民諸君」である。カエサルは自分たちを他人あつかいしたと感じた彼らは、従軍拒否もなければ報酬の値上げもない気持になっていた。泣き出した兵士たちは、口々に叫んだ。 「兵士にもどしてくれ」 「カエサルの許で闘わせてくれ」  それらに対してカエサルは、答えもしなかった。
・キケロは、地方出身の成功者である。人間世界ではしばしば、部外者であった者のほうが、自分を受け容れてくれた現体制維持に熱心になるものである。
・しかし、孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は遂行できない。ほんとうを言うと、嘆いてなどいる時間的精神的余裕もないのである。
・失業とは、その人から生活の手段を奪うに留まらず、自尊心を保持する手段までも奪うことである。普通の人間は、何であれ働くことによって、自らの存在理由を感得していく。それゆえに、失業問題は福祉では解決できず、職を与えることのみが解決の道になる。
・こうして、ヴェネツィア広場からコロッセオにいたる、現に見る広い道路が通ることになってしまった。最高権力者でも知性に欠けると、このようなことをして恥じないという実例である。
・この他にもカエサルは、テヴェレ河近くに半円の石造劇場を建設することも計画していた。これもまた、完成は後継者アウグストゥスを待つしかなかったものの一つだが、計画を引き継いで完成させた初代皇帝アウグストゥスは、早死した甥をしのんで、「マルケルス劇場」と名づけることになる。これは現代でも、中身は集合住宅と変わっても建っている。
・「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意によるものであった」
・カエサルは、愛人であることを隠しもしなかったクレオパトラのローマ滞在中の宿泊先として、テヴェレ河の西岸につくらせた庭園内のヴィラを提供している。彼自身は、公邸での妻との日々はつづけながらではあったが。
・ファルサルス戦以後の一年余りの間のアントニウスの失政は、カエサルに、一時の不快感を与えただけではすまなかった。カエサルは、アントニウスの平時での統治能力を見限ったのである。軍事面でのアントニウスは、軍団長クラスでも最上位にあり、右翼、中央、左翼と布陣するのが常のローマ軍では、右翼か左翼のいずれでもまかせられる能力の持主であることは、カエサルも認めていた。だが、戦時ではない平時の統治能力は認めなかったのである。パルティア遠征中の本国統治も、アントニウスにまかせつづけてはいない。
ローマの一般市民の間でも、オクタヴィアヌスは無名だった。それで、資産の相続だけでなく自らの家名まで与えるとしたカエサルの遺言状が公開されたとき、市民たちのいだいた想いは、「オクタヴィアヌス、WHO?」であり、元老院階級に属する人の間ですら、「オクタヴィアヌス、WHY?」であったのだ。
・ところが、オクタヴィアヌスの求めも聴かずに着服しつづけていたカエサルの遺金を大盤振舞いしたにかかわらず、軍勢のほぼ半ばの兵士たちが、アントニウスの指揮下に入ることを拒否したのである。カエサルが後継者に指名した人の指揮下に入る、が理由だった。これは、アントニウスにとっては、キケロの弾劾演説よりも打撃だった。あわてたアントニウスは、北伊属州総督のデキムス・ブルータスにあてて、その地位を明けわたすように求めた執政官通達を送る。北伊属州にいる軍勢を自下に組み入れることが、オクタヴィアヌスへの対抗上急務と考えたからだった。
・ユリウス・カエサルの名を継ぐことは、一億セステルティウスの金の遺贈よりも効力があったのだ。それをわかって遺したカエサルも見事だが、十八歳でしかなかったのにカエサルの真意を理解したオクタヴィアヌスも見事である。世界史上屈指の、後継者人事の傑作とさえ思う。
・ナポリ湾の西の端に位置するミセーノ岬に、ポンペイウスの次男セクストゥスを招いて成立したのが、史上「ミセーノ協定」と呼ばれる三者協約である。このたびの出席者は、アントニウスとオクタヴィアヌスにセクストゥス・ポンペイウスの三人。会談の場所にミセーノ岬が選ばれたのは、船で来るセクストゥスの便を考えてであった。
・これを知ったローマ人は、唖然とした。二重結婚は、ローマ法では許されていない。また、ローマの覇権下にある多くの地方を、ローマの同盟国でしかないエジプトに与えてしまったのだ。怒りよりも、あきれかえって一言もないというのが実状だった。だが、アントニウスのほうは、パルティア遠征に成功すれば、ローマ人も追認するしかなくなると思っていたのである。
・所詮アントニウスは、軍団長クラスの人材であったのだろう。軍団長は、最高司令官の考える戦略戦術の遂行者にすぎない。パルティア遠征は彼が最高司令官を務める最初の機会だったが、経験の有無は弁解にならない。資質であり器量が問われることだからである。だが、この人物に、あなたが釣るのは魚ではなく、王国であり大陸であると煽ったクレオパトラは、世上言われる人なみはずれて優れた女であったのか。クレオパトラは、ギリシア語・ラテン語はもちろんのことエジプトの民衆の言葉まで解したという。しかし、多くの言語を巧みに操る技能と知性は、必ずしもイコールではないのである。

クロネコヤマト誕生の物語「小倉昌男 経営学」

元ヤマト運輸代表取締役社長の小倉昌男氏による経営中心の自伝。創業者の先代から受け継いだヤマト運輸の歴史とクロネコヤマト開始とその発展について、どのように考えながら経営してきたかが詳しく描かれています。

その考え方などは非常に合理的でありながら、人情味にも溢れており、それらがクロネコヤマトの大成功に繋がったのがよく分かります。本当に社会インフラとなるサービスを作るにはどうすればよいか、非常に勉強になりました。

<抜粋>
・大正八(一九一九)年十一月、トラック四台をもって創業したヤマト運輸(当時は大和運輸といった)は、翌年三月、突如として起こった恐慌に出端をくじかれ、会社の存立も危ぶまれた。その危機を乗り切ることができたのは、大正十二(一九二三)年に現在の三越百貨店の前身である三越呉服店との間に市内配送契約が締結されたからであった。
・昭和五十一(一九七六)年から始まった宅急便は、当初の心配をよそに着実に伸長し、初年度には百七十万個、五十二(一九七七)年度五百四十万個、そして五十三(一九七八)年度は一千万個を超すことが確実であった。  宅急便が業務の新しい柱になる見込みがあったからこそ、最大の顧客であった三越からの撤退という重大な決断を、躊躇なく行うことができたのである。
・三十歳の誕生日に創業した小倉康臣は、明治二十二(一八八九)年、東京・京橋生まれ。二十五歳で青果店を興した後、第一次世界大戦後の景気を目の当たりにして自動車時代が到来するのを確信し、研究の末、トラック運送会社の設立を思い立った。
戦後、日本の製造業が経済復興に必死の努力をした結果、家電など工業製品が生産地から消費地に向かって大量に流れ込んだ。中でも爆発的に伸びたのが関西から東京への輸送需要である。
市場は大きく変化しつつあった。にもかかわらず、ヤマト運輸は相変わらず関東一円のローカル路線に閉じこもっていた。というのも、社長である康臣が、トラックの守備範囲は百キロメートル以内でそれ以上の距離の輸送は鉄道の分野だ、と固く信じていたからである。私を筆頭に社内の若手は長距離輸送への進出を懇願したが、康臣は断固として許さなかった。
・私の観察では、営業利益率が七%以上の路線会社の荷筋は一口五個以下の貨物が多かった。五%以上の会社は大体十個以下であった。ヤマトは五十個前後が多い。これでは利益率が低いのも当たり前である。こうしてみると、小口貨物を断って大口貨物に重点を置いた営業戦略はなんと間違っていたことか。他社は大口貨物も運んでいるが、その陰で小口貨物を大量に運んでいたのがぜんぜん見えなかったのだ。
・篠田教授は特にコミュニケーションの重要性を強調された。社長の持っている情報と同じ情報を従業員に与えれば、従業員は社長と同じように考え、行動するはずである。従業員が、社長はこうして欲しいだろうと推察し、自発的に行動するのが、パートナーシップ経営だというのだ。
昭和四十年代後半、この個人向け市場で事業を展開しているのは郵便局だけ。民間業者が参入してなかった理由は、採算が取れないことがはっきりしていることと、信書は郵便法で郵便局以外の者の参入を禁じており、それに違反すると三年以下の懲役という罰則があるからだった。
・平成十一(一九九九)年三月末時点で、全国の宅急便の取次店数は二十九万七千軒である。ちなみに、全国の郵便ポストの数は、約十六万本である。
最後に警察署。これは全国で約千二百ある。案外少ない感じだが、地域の治安を維持するのが役目だから、必要ならもっと多いはずだろう。これは参考になった。警察署が千二百で済むなら、ヤマト運輸の宅配のための営業所も、そのくらいあれば間に合うのではないかと考えたのである。  そこでセンターの目標は全国の警察署の数、千二百ヵ所とした。
・平成十一(一九九九)年三月の東京・中央区全域における宅急便の取扱個数は、発送が六十一万個、到着が四十六万個、一ヵ月の発着合計は百七万個であった。それを九つのセンターと六つのデポでさばいている。配属の集配車両は百六十八台である。一台の一日当たりの集配個数は、平均二百五個になる。センターには車両が配属されているが、デポに車はなく、手押し車で客先を回って歩いている。中央区の中でも銀座は荷物の多い地域だが、銀座一丁目から八丁目まで、あの狭い地域に全部で二十一台の車両が配属され、毎日走り回っている。一丁目に平均二・六台の割合である。
・現在全国に約三十万店の取次店があるが、会社の支払う手数料は百円×荷受け個数で、総枠は決まっているから、取次店は多ければ多いほど有効なのである。  取次店手数料とお客様の割引料の合計二百円は、販売促進費用として考えれば、決して高くはない。私はそう確信した。
初日の全体の出荷個数は、十一個であった。
車体に「翌日配達」と書いて走り回ったことは、宣伝のためでもあったが、むしろヤマト運輸の社員に、必ず翌日配達してみせるという、決意表明をうながすものであった。
・宅急便のサービスエリアが順次拡大し、面積で全国の九八・八%、人口で九九・七%をカバーするようになった平成元(一九八九)年三月末におけるサービスレベルは、全配達個数四億一千万個の中、翌日配達が九〇・三%、三日目配達が九・七%であった。
・サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。どちらを優先するかの判断の問題なのである。
企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。
「サービスが先、利益は後」というのは、社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのである。
宅急便を始めて気がついたのは、これまでは、荷主の輸送担当者にあごで使われていたという感じだったのが、集荷に行っても配達に行っても、家庭の主婦から必ず「ありがとう」「ご苦労様」という言葉をかけられることであった。これまで聞いたことのない感謝の言葉を聞いて、現場を回るドライバーたちは感激してしまった。
・社員の中には、両方やって何が悪い、宅急便も頑張ってやるけれど、従来のせっかく築いた商業貨物の取引先を切る必要はないではないか、と言う者も多かった。しかし宅急便は正に社運を賭けた仕事であり、成功するかどうかわからないが、始めた以上成功させなかったら会社がつぶれることは間違いなかった。宅急便を成功させる道は徹底した業態化しかないのである。
・だが、周囲が驚く以上にこちらが驚くことがあった。宅急便をそっくり真似して宅配事業を始めた会社が続々と出てきたのだ。それもいきなり三十五社である。
・人が成功したらすぐ真似をするのは日本人の通弊である。誰がやっても儲からないと言われていた宅配事業でヤマト運輸が成功したと聞いたら、その理由を調べるのが普通であろう。単にクロネコのマークが主婦に受けたなどという単純なものではないことぐらいわかるはずである。
・名称は社内から公募し、千八百三十三通の応募から女子社員の出した「ダントツ三ヵ年計画」に決まった。
・道路運送法では、免許は輸送力の需給を考慮して付与する建前になっていた。だが運輸省には輸送力の需給をつかむ資料は一つもなかったから、担当者の恣意的な判断に任されていたのが実態であった。
・ヤマト運輸は、監督官庁に楯突いてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである。不当な処置を受けたら裁判所に申し出て是正を求めるのは当然で、変わったことをした意識はまったくない。
・この機をとらえ、ヤマト運輸は、運賃改定申請書の表紙を提出するのを拒否した。大手の申請が一社でも欠けると作業が進まないから、運輸省はトラック協会を通じて頭を下げてきた。それならばと、宅急便の独自運賃の申請を認めるなら路線トラックの申請書を提出するという妥協案を出したところ、運輸省からは承知したという返答があった。そこで路線運賃の申請書と、宅急便運賃の申請書を両方とも出した。
・運輸省はヤマト運輸の申請を無視し、審査しようとはしなかった。そこで、五月三十一日の朝刊に、同じ一頁三段の広告を出した。今度は、Pサイズの発売は、運輸省が未だに認可しないため、六月一日の開始予定を延期せざるを得なくなりました、というものであった。
・「全員経営」とは、経営の目的や目標を明確にしたうえで、仕事のやり方を細かく規定せずに社員に任せ、自分の仕事を責任を持って遂行してもらうことである。
・ところで組織が大きくなると、社員のやる気を阻害する者が社内にいることが多い。注意しなければならない点である。それは往々にして直属の上司であることが多い。とくに社歴の長い者が要注意である。
・こうした社員は、自分の経験をもとに仕事のやり方を部下に細かく指示したがる傾向がある一方で、会社の方針とか計画をなぜそうなのか説明することが苦手だったりする。しかしそうなると、社内のコミュニケーションがそこで途切れてしまうことが多い。  だからこそ、コミュニケーションの推進役として中間管理者が大事な役割を負っているのだ。彼らが任務を果たしてくれるかどうかが、やる気のある社員集団ができるかどうかの決め手であることを忘れてはならない。
・要するに管理職は、現場をあまり見ていないし、また都合の良い報告はするけれど悪い報告は社長に一切しないのである。よく言われる通り、社長は孤独である。その孤独とそこから派生する弊害を補ってくれるのが、労働組合なのである。だから極論すれば、労働組合がなければ責任をもった経営はできない。私はそう思う。
・今後、インターネットを利用した商品売買が普及すれば、宅急便事業を軸にさらなるビジネスチャンスも期待できるだろう。
・一方、クール宅急便の年間取扱個数は約九千七百万個強、収入で一千億円強に上るが、これは全宅急便の中で、個数で一二・五%、金額で一八%を占めている。
・利用料金は集金額が一万円未満の場合は三百円、一万円以上三万円未満は四百円、三万円以上十万円未満は六百円、十万円以上三十万までは千円である。  普通商店でクレジットカードを使用したときの店側の払う手数料はだいたい五%くらいだから、コレクトサービスの二~三%というのは割安だと思う。
・ヤマト運輸が通信販売業者を対象に品代金のコレクトサービスを展開できるのも、本業の宅急便が多額の現金収入を抱えているからといえる。
・トラックも、タクシー同様、単に個人の営業を認めればいい。運輸政策の問題だが、個人タクシーが認められているのだから、規制撤廃をしたらよいのではないか。私はそう思う。
・誠実であるか、裏表がないか、利己主義ではなく助け合いの気持ちがあるか、思いやりの気持ちがあるかなど、人柄に関する項目に点を付ける。体操の採点のように、複数の社員の採点を集め、最高の点と最低の点を外し、残りを足して平均点を出す。つまり多くの目で評価する。  日本では、客観的に通用する実績評価の方式は見当たらない。ならば、せめて次善の策として下からの評価を行ったらよいのではないかと思ったのである。もちろん単独ではなく、他の制度と併用するのであるが、私は、人柄の良い社員はお客様に喜ばれる良い社員になると信じている。
・そして、五年後に宅急便が黒字を出すと、今度はその理由も考えずにいきなり三十五社も新規参入してくるありさまである。だから今は一社のみ残し、すべて撤退してしまっている。  要するに、自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。論理の反対は情緒である。情緒的にものを考える人は経営者には向かない。  論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。また説明をしているうちに、考え方を論理的に整理することもある。他に対して説明する能力も、経営者にとって大事な資質である。
攻めの経営の神髄は、需要をつくり出すところにある。需要はあるものではなく、つくるものである。
・私は、役人とは国民の利便を増進するために仕事をするものだと思っている。だから宅急便のネットワークを広げるために免許申請をしたとき、既存業者の利権を守るために拒否されたのには、芯から腹が立った。需給を調整するため免許を与えるかどうかを決めるのは、役人の裁量権だという。では需給はどうかと聞いても資料も何も持っていない。行政指導するための手段にすぎない許認可の権限を持つことが目的と化し、それを手放さないことに汲々としている役人の存在は、矮小としか言いようがないのである。
・平成六(一九九四)年に行政手続法が制定された。この法律は、基本的に口頭による行政指導を禁止した法律である。ところが、役人の猛烈な巻き返しで、行政指導の文書化は受ける側が文書を要求したときにのみ限定されたのである。もちろん行政指導を受ける側、つまり民間企業が必ず文書に記すことを要求すれば問題はないのだが、実際には文書請求を言い出しかねて口頭の指導を受けている例がほとんどだという。役人にも問題があるが、民間企業の経営者の姿勢にも問題があると思う。

ピカソがどうスゴいのかを知る「ピカソは本当に偉いのか?」

ピカソがなぜ芸術家として圧倒的に評価され、その作品が高価になっているのかを丁寧に解説してあります。ピカソが英才教育を受けとてつもない技量を持っていたこと、「種の起源」から変化、前衛に価値が出てきたこと、美術館が登場し美術マーケットができてきたこと、などなど他にもいろいろ理由がありますが、まさに時代が作ったスーパースターだということがよく分かりました。ディズニーやマリリン・モンロー、ビートルズ、ビル・ゲイツやジョブズなどと同じ。

著者は、労働意欲を奪ってしまうほどの高値はどうか、晩年の自画像から幸せであったのかと疑問を投げかけていますが、個人的には現代のスポーツ選手や映画スターも同じだし、起業家もそう。膨大な価値を生み出した対価としてはそんなものかなとも思うし、晩年の自画像が後悔を示しているのではないかという点については、というよりも他の要素(分からないですが数々の女性を傷つけたことなど)が影響しているような気はしてます。そもそも普通のひとでないので普通の感覚では計り知れないのかなと。

いずれにしても、非常に勉強になる良作です。

<抜粋>
・ピカソの成功の秘密は、十九世紀後半に急成長した画商というビジネスの可能性を正確に見抜き、自分の作品の市場評価の確立と向上にあたって、彼らが果たす役割というものをとことん知り抜いていた点にありました。
・当然ながら、そうした安値で仕入れられた絵というものは、ひとたび市場で評価を得た場合には、画商に大きな利益をもたらすことになります。実際に、モネやルノワールの作品は、はじめは徐々にでしたが、やがて加速度的にその評価と値段を上昇させていくことになり、これを扱う画商には大成功がもたらされることになりました。
絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは、その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
・こうしたピカソの破壊的な性向は、作品制作にとどまらず彼の対人関係、とりわけ女性関係においても発揮され、時に相手の人格までを崩壊させてしまうような、激烈な愛憎関係を再生産していくことになります。
・人格や自尊心までが内面に向かって崩れていくさまを見るような迫真の描写は、子供がおもちゃの中を見たくて壊すように、画家が人間の心を破壊することではじめて可能になったものといえるでしょう。そもそも、自分が一度は愛した女性の半狂乱の泣き顔というものを、絵画作品の題材にできるという点で、ピカソの感覚は常軌を逸してしまっています。
マティスは、いかに大胆な表現を追求しようとも芸術は、人の哀しみや苦しみを癒すものという信念を抱いていたといいます。ところが、ピカソはまるで芸術によって世界を破壊し創造し直そうとでもしているかのように見えたというのです。
・そして、彼らに先立つドラクロワが、色彩は脇役であるべしという絵画理論の基本を破壊したのは、デッサンに象徴される「理性」に代わって、色彩の喚起する「感覚」こそが革命後の絵画の主人公となるべきだとの確信があってのことでした。
・ニーチェはモネやルノワールと同世代のドイツの哲学者。二十四歳という異例の若さで大学教授に抜擢された俊才で、激烈な陶酔に誘う独特の文体で綴る強烈な哲学は当時の若者を熱狂させました。四十四歳の時にトリノ街頭で発狂し、十一年の療養生活の後、肺炎で一九〇〇年に亡くなっています。
ピカソに限らず、周囲にカリスマ的な影響力を及ぼす人の多くは、それが意識的なものであるか否かを問わず、自身の感情をあらわにすることに長けています。
・彼女の切り出した突然の別れ話にピカソは、自分に発見された恩を返せと逆上、自分のもとを去ったら行く先は砂漠しかないと警告します。実際に、ピカソの彼女に対する嫌がらせは執拗をきわめ、画学生時代にピカソとの同棲で中断されていた絵画を再開したフランソワーズは、フランスではなく英米の絵画市場に活躍の場を見出そうとします。
近代絵画は写真に対抗して写実描写を放棄しましたが、当時の画家が写真に対して抱いていた危機感は私たちの想像を上回るものがあり、ピカソの世代に至ってなお真剣に心配をしています。
・ピカソは写真の出現が絵画の存在基盤を危うくしていると語っています。対するムンクの答がふるっていて、カメラをあの世に持って行き死後の世界を撮れるようになるまでは恐るるに足らないと、一笑に付しています。
・じつは、ジャリがその怒りにも似た破壊性をもって打破しようとしていたのは、この「常識」というものに他なりませんでした。  ただし、ここでいう「常識」は、ブルジョワ階級というフランス革命によって新たに社会の支配的な階層に納まった人々に特有の「常識」を指しています。
・じつは、ピカソ自身もそのことは充分に心得ており、経済的な安定を確保して以降は、個人的な面談にせよマスコミの取材にせよ、意識的に演出したボヘミアン的な言動を欠かさぬよう留意していました。

「我が逃走」を本当に書いた貴重な作品

paperboy&co.創業者、家入さんの新作。ペパボがGMOに買収されたくらいから、上場、社長退任、カフェ立ち上げ、東京都知事選挙、CAMPFIRE、BASE立ち上げなどなど。とにかく赤裸々に逃走っぷりを書いていて、非常におもしろかったです。むしろこれだけ自分のダメっぷりや散財する様を克明に描いた作品は今までにないのではないでしょうか。

個人的には、このくらいの時期はよく家ちゃんと飲んだりしていたので、各出来事にいろいろ思い出があり、登場人物も知っているひとが数多くいて、「なるほど、あれはそういうことだったのか」と物事をまったく違う方向から観た思いです。

むしろ、割と近い位置にいても心理状態まではなかなかよく分からないというか、誰であっても分からないものなんだなと思いました。

後、本当に家入さんのダメっぷりが強調されているのですが、しなしながらロリポップ初めとしたサービスやペパボという組織や、その後一緒に作ってきたCAMPFIRE、BASEといったサービスは本当に素晴らしく、創るひととして超一流なのは間違いないです。今は新しいサービスを作ってるみたいで(ちょくちょく聞いてますが)本当に楽しみです。

ハチャメチャぶりを周りではなく自らが書いたという点で非常に貴重でおもしろい作品でした。

※本書は献本いただきました(後、CAMPFIRE運営会社には出資しております)

スタートアップの厳しさが詰まった「HARD THINGS」

オプスウェア創業者であり、短期間で超一流VCに上り詰めたアンドリーセンホロウィッツのベン・ホロウィッツが自らの起業と彼の経営の考え方をまとめた作品。

前半はほとんどジェットコースターのようなオプスウェア時代の振り返りが強烈。浮き沈みというよりは、ほとんど死にかけながらなんとか倒産を免れ続け、最後に大復活してHPへの売却を果たす、まさに奇跡のストーリー。

後半はそういった経験を元にしたベンの経営哲学。僕も同じような悩みを抱えてきたので、すごく共感できたし、勉強になりました。複雑な問題について、明確な理由付けをして対応していっているにつけて、非常に頭が良いひとなのだなと思いました。

しかし、最終的なところは

スタートアップのCEOは確率を考えてはいけない。会社の運営では、答えがあると信じなきゃいけない。答えが見つかる確率を考えてはいけない。とにかく見つけるしかない。可能性が10に9つであろうと1000にひとつであろうと、する仕事は変わらない。

ということで、逃げたくなるような局面でも諦めないであらゆる手を尽くせるかが、成否を分けるというのに完全に同意します。

<抜粋>
・私はこのままでは時間切れになってしまうのを思い知らされた。そのときまで、私は本当に真剣な選択をしたことがなかった。自分には無限の時間と無限の能力があって、やりたいことは何でもできるとぼんやり考えていた。しかし父のジョークのお陰で私は、このままでは家族を失いかねないと気づかされた。ありとあらゆる努力をしながら、私はもっとも大切なことを忘れていた。自分がしたいことではなく、何が大切なのかという優先順位で、世界を見ることをこのときに初めて学んだ。
・1995年11月になってビル・ゲイツは、『ビル・ゲイツ未来を語る』(アスキー)という著書の中で、やがて「情報スーパーハイウェイがすべての企業と消費者を単一のネットワークで結びつける」と予想し、「インターネットに取って代わって、コミュニケーションの世界を制覇することは論理的な必然だ」と書いている。ゲイツは後になって「情報スーパーハイウェイ」を「インターネット」と書き直した。しかしオリジナル版ではそうではなかったのだ。
・ネットスケープ以後、デベロッパーがコンピューティングに新たな機能を追加するとすればインターネットという環境に対してであり、マイクロソフトの独自規格に対してではなくなった。
・またも資金調達が必要になった。今回は状況がさらに悪くなっていた。2000年の第4四半期に、私は可能性が少しでもある資金源はすべてあたり、その中にはサウジアラビアのアル・ワリード・ビン・タラール王子も含まれていたが、誰ひとりとしていかなる評価額でも投資する意思を見せなかった。シリコンバレーでもっとも勢いのあるスタートアップだったわれわれが、たった半年のうちに投資対象ですらなくなっていた。477人の社員と時限爆弾にも似たビジネスを抱えながら、私は答えを探し求めた。
完全に資金が底をついたら何が起こるかを考えていると──あれだけ注意深く選んで雇った社員を全員解雇し、投資家の金をすべて失い、われわれを信じてビジネスを託してくれた顧客を危険にさらす──将来の可能性に集中することなど困難だった。
・私は、愕然とした。激しく汗をかき始め、電話を切ったあと、すぐに着替えなければならなかったほどだった。どうしていいか、見当もつかなかった。もし私が家へ帰れば、会社は間違いなく倒産する。もし、ここに残れば……そんなことができるか? 私は電話をかけてフェリシアを出してもらった。
・われわれの運命を考えると、とても眠るどころではなかった。私はなんとか気分を高めようと、こう自問してみた。「起き得る最悪のことは何か?」。返ってくる答えはいつも同じだった。「倒産し、母を含めて全員の財産を失い、ひどい不景気の中で一生懸命働いてくれた人たちを全員レイオフしなければならず、私を信じてくれた顧客全員が困難に陥り、私の評判は地に堕ちる」。もちろん、その質問で気分が楽になったことなど一度もなかった。
・私がCEOであり、ラウドクラウドが上場企業であったために私以外には全体像が見えていなかった。私は、会社が極めて深刻なトラブルに陥っているとわかっていた。私以外にこのトラブルから会社を救える者はいないし、私はすべての事情を理解していない人たちからのアドバイスに聞き入っていたのだ。私にはあらゆるデータと情報が必要だったが、会社の方向性に関する提言はいらなかった。今は戦時なのだ。会社が生きるも死ぬも、私の決断の質次第であり、その責任を回避したり、緩和したりする術はなかった。
「ひどい経済環境だった」「アドバイスが悪かった」「物事の移り変わりが速すぎた」などというセリフは許されない。選択肢は、生き残るか、完全崩壊のどちらかだ。
・「きみは会社に残り、全員の立場を理解していることを確かめなきゃいけない。一日も待てない。いや、むしろ1分だって待てない。従業員たちは、自分がきみのために働くのか、EDSに行くのか、いまいましい職探しをするのかを知る必要がある」とビルは答えた。ビルは正しかった。
・「いくつか悪い知らせがある。ブレードロジックにやられている。これは製品の問題だ。これが続けば、会社を叩き売らなくちゃならない。勝てる製品を持たない限り、生き残る道はない。そのために、きみたち全員にがんばってもらう必要がある。今晩家に帰ったら、奥さんやご主人、大切な人、誰であれきみたちのことを一番気にかけている人と真剣に話し合って、こう言ってもらいたい。『ベンが向こう半年間、私を必要としている』。会社に朝早く来て、遅くまでいてもらいたい。夕食はおごる。私も一緒にここにいる。失敗は許されない。銃には一発だけ弾が残っていて、標的に命中させなくてはならない
・自分へのメモ「やっていないことは何か?」を聞くのは良いアイデアだ。
・それは死ぬまで続く、自分対自分の議論だった。一方で私は、仮想化によって仮想サーバーのインスタンスが大量発生すれば、われわれのやり方が以前にも増して重要になると主張した。しかし次の瞬間私は、それは真実かもしれないが、アーキテクチャを変更すれば、オプスウェアの立場は危うくなると思い直した。
・「成功するCEOの秘訣は何か」とよく聞かれるが、残念ながら秘訣はない。ただし、際立ったスキルがひとつあるとすれば、良い手がないときに集中して最善の手を打つ能力だ。逃げたり死んだりしてしまいたいと思う瞬間こそ、CEOとして最大の違いを見せられるときである。
・自分の中では、プラスを強調し、マイナスを無視することによって、全員の士気を高めているつもりだった。しかし部下たちは、現実が私の説明よりも微妙な状況だと知っていた。しかも彼らは、世界が私の言うようにバラ色ではないことを知っているのに、全社ミーティングのたびに私のくだらない景気付けを聞かされていたのだ。
・200人のグローバルなセールス部門を率いるのは、25人のローカルなセールス部門を動かすこととは違う。運が良ければ、25人のチームを率いるために雇った人物が、200人のチームの動かし方を身に着けるかもしれない。そうでなければ、新しい仕事に最適な人物を雇う必要がある。これは、幹部の失敗でもシステムの失敗でもない。それが大都市における生活なのだ。この現象を避けて通ろうとしてはいけない。事態を悪化させるだけだ。
・もっとも重要なのは、あなたの強い意志だ。降格の話題をあやふやな気持ちで始めたら、混乱を招く。状況の混乱、そして人間関係の混乱だ。相手が会社を辞めるかもしれないという考えを持っておくべきだ。彼が抱く強い感情を考えれば、会社に残りたいと思う保証はどこにもない。彼を失う余裕がないなら、降格は実行できない。
どの会社にも、命懸けで戦わなくてはならないときがある。戦うべきときに逃げていることに気づいたら、自分にこう問いかけるべきだ。 「われわれの会社が勝つ実力がないのなら、そもそもこの会社が存在する必要などあるのだろうか?」
・自分の惨めさを念入りに説明するために使うすべての心的エネルギーは、CEOが今の惨状から抜け出すため、一見不可能な方法を探すために使うほうがはるかに得策だ。やればよかったと思うことには一切時間を使わず、すべての時間をこれからきみがするかもしれないことに集中しろ。結局は、誰も気にしないんだから。CEOはひたすら会社を経営するしかない。
教育は、早い話が、マネジャーにできるもっとも効果的な作業のひとつだ。自分の部下たちに全4回の講義を受けさせることを考えてほしい。1時間の講義に3時間の準備が必要だとする──計12時間の作業になる。クラスには生徒が10人いるとしよう。   来年彼らは合計約2万時間、会社のために働くことになる。あなたの教育によって部下たちの業績が1パーセント向上するなら、あなたの12時間によって、会社は200時間相当の利益を得ることになる。
・機能教育を新規採用の条件にする。 アンディ・グローブ曰く、マネジャーが社員の生産性を改善する方法はふたつしかない。動機づけと教育だ。よって、教育は組織のマネジャー全員にとって、もっとも基本的な要件である。この要件を強制する効果的な方法のひとつは、採用予定者向け教育プログラムを開発するまで、その部署の新規雇用を保留することだ。
幹部採用をみんなの総意で決めようとすると、議論はほぼ間違いなく、長所ではなく短所のなさへとぶれていく。孤独な作業ではあるが、誰かがやらなくてはならないのだ。
・第一は、「正しい野心を持った人材を採用する」ことだ。会社をアメリカ上院みたいな政治の場にしたければ、間違った野心を持つ人間を雇うのがてっとり早い。長年インテルを率いたアンディ・グローブによれば、「正しい野心家」というのは「会社の勝利を第一の目標とし、その副産物として自分の成功を目指す」ような人物だという。それに反して「悪い野心家」は、「会社の業績がどうあろうと自分個人の成功が第一」というタイプだ。
・「大組織においては、どの職階においても社員の能力はその職階の最低の能力の社員の能力に収斂する」  その理由はこうだ。どの職階でも、社員は自分の能力を測る物差しを直近上位の職階の社員の中で最低の能力の社員に求める。仮にジャスパーという男が副社長の中で一番能力が低いとしよう。すると部長職の社員は、全員がジャスパーと自分を比べて自分には昇進の資格があると考える。すると副社長はすべてジャスパーと同程度の能力の社員で占められるようになる。以下同様にして、すべての職階が無能レベルに達する。
・フェイスブックは新規採用職員に対して他社に比べて低い肩書しか与えないことで、いくぶんかは損をしているかもしれない。しかし逆に、肩書が低いことでフェイスブックを選ばないような社員はまさにフェイスブックが必要としない社員だとも考えられる。実際、フェイスブックの採用手続きと試用期間はフェイスブックが望むような人材が残り、望まないような人材が自ら去るよう巧みにデザインされている。
・CEOは開発過程をブラックボックスと考えて、目に見える成果だけを追ってはならない。「ソーセージがつくられる現場」を自分の目で見て何が行われているのか理解していなければならない。
・個人面談は緊急性の高い課題についての報告だけでなく、社員が日頃抱いている不満、目にしてはいるが正式の報告書には書きにくい問題点、温めている有望なアイデア、メールシステムへの不満、個人的な悩みなど、ありとあらゆる問題を拾い上げることができるほとんど唯一のチャネルだ。
・組織デザインで第一に覚えておくべきルールは、すべての組織デザインは悪いということだ。あらゆる組織デザインは、会社のある部分のコミュニケーションを犠牲にすることによって、他部分のコミュニケーションを改善する。
・私は成功したCEOに出会うたびに「どうやって成功したのか?」と尋ねてきた。凡庸なCEOは、優れた戦略的着眼やビジネスセンスなど、自己満足的な理由を挙げた。しかし偉大なCEOたちの答えは驚くほど似通っていた。彼らは異口同音に「私は投げ出さなかった」と答えた。
・過去10年間にテクノロジーの進歩のおかげで、新企業を立ち上げるための資金的ハードルは大幅に下がった。しかし、優れた企業を築くために必要な勇気というハードルは、以前と変わらず高いままだということを覚えておくべきだろう。
・平時のCEOは会社が現在持っている優位性をもっとも効果的に利用し、それをさらに拡大することが任務だ。そのため、平時のリーダーは部下からできる限り幅広く創造性を引き出し、多様な可能性を探ることが必要となる。しかし戦時のCEOの任務はこれと逆だ。会社にすでに弾丸が一発しか残っていない状況では、その一発に必中を期するしかない。戦時には社員が任務を死守し、厳格に遂行できるかどうかに会社の生き残りがかかることになる。
・平時のCEOは企業文化の育成に務める。戦時のCEOは生き残りを賭けた闘争に自ら企業文化をつくらせる。戦時のCEOは突発的非常事態に対応するプランを用意する。戦時のCEOは、『バトルスター・ギャラクティカ』のアダム提督ではないが、サイコロを投げて「3のゾロ目に賭ける」しかない場合があることを知っている。平時のCEOは自社の優位性の活かし方を知っている。
・しかし良きCEOであろうとするなら、つまり長期的に人々の支持を得ようとするなら、時には短期的に人々を怒らせるような行動を取らねばならない。つまり不自然な行動を必要とする。
・社員の行動にいちいちフィードバックを与えることは、当初いかに不自然に感じられようと、CEOの業務の基礎となるブロックのひとつずつだ。
CEOが常にフィードバックを発信し続けていれば、全社員がそのことに慣れる。「ボスにああいうことを言われたが、どういう含みがあるのだろうか? ひょっとしてCEOは私を嫌っているのかもしれない」などというような疑心暗鬼を生まずに済む。誰もがフィードバックで指摘された内容に集中するようになり、個人に対する抜き打ちの実績評価だとは考えなくなる。
ベンチャーキャピタリストになって初めて私は、他人の思惑を気にせずに本当に思っていることを言う自由を得た。CEOにはそのような贅沢は許されない。CEOは「周りはどう思うだろうか?」と常に考えていなければならない。特に公に弱みを見せることは許されない。それは社員、経営陣、株主の利益に反する。CEOは常に絶対の自信を見せていなければならない。

スーパーグローバル企業の実態「石油の帝国」

今やアップルに抜かれてしまったが、それまで全世界で時価総額一位であったエクソンモービルの実態を詳細な取材から明らかにした力作。

イメージとしては、アメリカ政府とエクソンモービルのような石油系ジャイアント企業は一心同体のように思っていましたが、実際はかなり違っています。エクソンモービルは各国、特にアメリカとは仲の良くない中東国家やアフリカの独裁国家などとうまくやった行かなければならないし、実際のところ売上の半分以上は海外ということもあり、全然一枚岩ではないようです。

エクソンモービルの幹部たちは、石油国有化の波が来ては去っていくのを何十年も見てきた。そして長い目で見れば、ほとんどの政府は民間企業とパートナーシップを組むことが自国の利益となる、ということを理解する、という理屈だった。

法律もコロコロと変えるような独裁国家でいかにうまく企業を経営するかは本当にノウハウであって、非常に学ぶべきものが多いと思いました。結局のところ、そういった国家であっても石油を組み上げるだけの技術はなくエクソンモービルと組むのがもっともよいことだと長い期間をかけて理解してもらうのが重要なようです。時にはイラクのように接収されても、またチャンスはある、といった感じです。

リー・レイモンドが述べた、エクソンモービルを満足させるためにはロシアは何をしなければならないか、についての言葉はプーチンの神経を逆なでしていた。「後に受けた報告によれば、プーチンはレイモンドのことを、全く傲慢で攻撃的すぎる人物と受け取った」、とミザモアは述べている。「そしてプーチンはレイモンドに完全に興ざめした。アメリカ実業界の大物が来て、傲慢にも一国の大統領に物事を指図するとは……プーチンはただ彼に完全に興ざめした。それが我々の受けた報告だった」。

途中このようにロシアとすら譲らないで交渉するシーンも登場します。

アメリカが1日に消費するおよそ2000万バレルの石油のうち4分の3は輸送用燃料だった。その残りはプラスティック製造などの産業用途に向けられていた。発電にはほとんど使われていなかった。石炭、天然ガス、水力、原子力が発電用の主要エネルギー源だった。

アメリカではクルマがないと何もできないわけですが、3/4もが輸送用燃料に使われているとは知りませんでした。環境面からも内燃機関の効率の悪さ(発電所に比べて)を考えると、電気自動車が重要になると共に、ライドシェアリングなど社会構造も変化していくのだろうなぁと思いました。

いずれにしてもスーパーグローバル企業の実態が知れる素晴らしい力作です。

<抜粋>
・エクソンモービルのアチェにおけるガス生産事業は、いまやインドネシアにおけるアメリカ外交・情報上の優先課題と位置付けられていた。
あらゆる前線において、彼らは大使館から一定の距離を置くことを好み、現地政府関係者との会議に大使館上級スタッフの同席を求める必要を感じたことがない、という印象を受ける
・エクソンモービル以外の多くの会社においては、契約を分割したり、会計処理のグレーゾーンを残したりすることを許容し、四半期業績報告のばらつきをなくし、投資家には安定した姿が見えるようにしていたが、レイモンド下のエクソンモービルにおいては、そのような会計数値の操作は解雇に値する行為だった。レイモンドはさらに、わずかな経費のごまかしであっても解雇の対象にした。
・カタールは、サウジアラビアからペルシャ湾に突き出た半島にあり、地図上では小さなトウヒの木のような形をしている。特徴がなく、荒れて砂だらけの土地で、湿気が多く、オアシスも自然の緑もなかった。20世紀の変わり目のころ、カタールの人々は、貧しい漁民、真珠採り、そしてベドウィンの牧夫だけで、人口はおそらく5000人から1万人程度だった。
・BPの太陽エネルギー事業投資は、石油・ガス事業に比べれば取るに足りないレベルだった。ある元幹部によれば、この投資は社内では、ビジネスとしてよりもマーケティングの立場から認められたものだった。BPソーラーは、通常のイメージ広告投資がなし得るよりもはるかにプラスの社会的評価向上効果をもたらした。
・中国は安全な海洋航行の便益を享受でき、アメリカの納税者にその負担を押し付けることができる。しかし、それがなぜ将来の興隆を目指す中国にアピールしないのか、は明白であった。「状況が逆だったら我々ならどう思うか、を考えてみればいい」。
・チェイニーを信頼し、頻繁に会っていた。そして彼は、元石油業界幹部でブッシュ政権2期目のエネルギー省長官のサミュエル・ボドマンを非常に尊敬していた。しかしながら、レイモンドはブッシュ政権との関係を深める中で、意識的にブッシュ政権によるサダム・フセイン後のイラク再生の試みからは一定の距離を置いた。世界で最も未開発の石油とガスの多い国での国家建設失敗という汚点によって、自社の評判に傷をつけたくなかった。イラクにおけるアメリカの新帝国主義的野心は破綻するだろう。しかし、エクソンモービルという企業帝国はその独自の利益を追求し続け、またそれは焦ってはならなかった。
アメリカの大衆の一部と同じく、プーチンの閣僚の一部もブッシュのホワイトハウスが、アメリカの巨大多国籍石油会社の意思決定を行っている、あるいはその逆、と信じているようだった。
・1995年ごろ、レイモンドは、同社買収の可能性について話し合うため、ロスネフチ幹部と会談した。幹部たちは、「喜んで」と言い、買収してくれるよう懇願した。しかしレイモンドはこれを断った。ロスネフチの幹部でさえ、法的に何を所有しているのか確実に把握していなかったからだ。
・「舞台裏で起こっていることは誰にも見えないが、プーチンはクレムリンを元KGBや元ロシア軍人で一杯にしている。これは非常に、非常に危険なことだ。なぜなら、プーチンは超保守派を通じて権力を掌握しようとしているからだ。いったん彼がクレムリンに権力を確立したら、最悪の事態となる」。
・リー・レイモンドが述べた、エクソンモービルを満足させるためにはロシアは何をしなければならないか、についての言葉はプーチンの神経を逆なでしていた。「後に受けた報告によれば、プーチンはレイモンドのことを、全く傲慢で攻撃的すぎる人物と受け取った」、とミザモアは述べている。「そしてプーチンはレイモンドに完全に興ざめした。アメリカ実業界の大物が来て、傲慢にも一国の大統領に物事を指図するとは……プーチンはただ彼に完全に興ざめした。それが我々の受けた報告だった」。
・石油とガスは使われ続ける、とエクソンモービルのエコノミストやプランナーは結論付けた。化石燃料は2030年ころまで、そしてそれを越えても、グローバルな経済と安全保障の中心であり続けるであろう。レイモンドはこの予測をブッシュ政権と議会の、できるだけ多くの聞く耳を持つスタッフに聞かせるよう骨を折った。
・エクソンモービルの科学者たちはそのような技術革新が2030年以前に起きるとは信じていなかった。それまでの間は、たった一つの予測不可能な展開、いわゆる「ブラック・スワン〔事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のこと。〕」だけが、グローバルな石油需要の上昇カーブをシフトさせる可能性を有していた。政府による、炭素課税や炭化水素燃料使用の制限などを通じた温室効果ガス排出制限の決定がそれだった。
・同社幹部はしばしば、アメリカ政府からの便宜の提供は必要ない、ホワイトハウスからの指図も受けない、グローバルな自立を選ぶ、と主張するが、現実はもう少し複雑である。同社はチェイニーとの間に直通ラインを持っており、事業上の必要次第では国務省ともアブダビとも交渉した。
・デビー側のチャド東部方面及び首都の防衛は脆弱だった。国防省が給与を払っている7万人の兵士の内、2万人の兵士だけが制服を保有し、時折仕事に現れるような有様で、実際に訓練され、武装し、戦闘ができる者はわずか4000人だった。それだけでなく、もし何万人もの幽霊軍人への給与支払いに必要な現金が尽きたなら、反乱が起きる。この脅威のために彼は巨額の資金を必要とした。
・同社の国際的な競争相手はエクソンモービルの強硬姿勢にただ乗りをしていた。シェブロン、シェル、トタール、その他の会社は、エクソンモービルが産油国政府相手に行った教育と標準契約普及の取り組みから恩恵を受けていたが、柔軟に対応する用意もあった。彼らは、エクソンモービルのように契約を至上命題とするポリシーを採用していなかったので、自分たちの都合に合えば契約の改訂には比較的容易に妥協した。
2006年以降、エクソンモービルがついに、人間の活動が地球温暖化に寄与していることを認めた後においてさえ、同社は、経済的コストが環境上の便益を上回ることを理由に、炭素利用の制限に対して抵抗した。まず保護主義者の側が最初に害を証明しなければならない。次に、提案された規制の費用と便益の方程式が成立していることを証明しなければならない。エクソンモービルは、化学物質に対する規制の提案に対し、同じロビーイング戦略を適用した。
ティラソンと経営企画グループは、何が2008年の油価高騰の原因だったのかを解明できなかった。
・排出権取引は複雑で、将来の予測が立てにくく、煩雑、かつ高コストであり、企業の長期的な投資計画を困難にさせる。これと比べると、炭素税は税額の変動予測が立てやすく、炭素削減技術への新規投資を促進すると考える」と強調した。
・世界の石油供給はその頂点に達し下降し始める、という「ピークオイル」の予測が馬鹿げた世迷い言であることは、過去の不正確な予測が示す通りだった。最低限、世界には数十年先あるいはもっと先の需要を満たすに十分な石油が残っている。また、ガスと石炭の埋蔵量はさらに豊富だ。ロシア、カタール、そしてイランの天然ガス田は数十年もつはずであり、アメリカも、もし非在来型天然ガスの埋蔵量が期待通りならば、国内供給によって自国のガス需要を満たせる見込みである。
・2011年、経済面での苦痛が広がった時代において、ガソリン支出は家計の10パーセントにも達した。今、政策の硬直化が起きているガソリン価格を形成するシステムを変えることは、最も苦しんでいる中間層に新たな重い負担を押し付けることに他ならなかった。

マネーの歴史を知る「21世紀の貨幣論」

物々交換社会は実は存在しなかった、『オデュッセイア』にはお金が出てこない、など衝撃的な話から繰り広げられるマネーの歴史で、非常にダイナミックでおもしろいです。タイトルは「21世紀の貨幣論」となっていますが、マネー史とした方がしっくりきます。

今となっては社会的な常識となっているお金が、昔から今のような信任を集めていたわけではなく、君主、民衆、商人、国家、銀行などの進化の過程でどのように成立してきたかが、見事に描かれています。

お金とは何かを知るにはその歴史を知る必要がある、という意味において、必読な作品だと思います。

<抜粋>
・取引は盛んに行われるが、取引から生まれる債務は取引の相手との間で相殺されるのがふつうだった。相殺後に残った分は繰り越されて、次の交換に使うことができた。未払い分を精算しなければならないようなときでも、フェイそのものが交換されることはめったになかった。
・(注:ジョージ・ドルトン)「われわれが信頼できる情報を持っている過去の、あるいは現在の経済制度で、貨幣を使わない市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であったりしたことは一度もない」
通貨そのものはマネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのだ。
・『オデュッセイア』では、暗黒時代の社会の驚くほど多彩な光景が次々に繰り広げられるのだが、あることが目を引く、マネーが出てこないのだ。
・国がペソを使うことを義務づけていない領域で、代替貨幣が自然発生的に生まれたのである。州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始めた。借用書はまたたく間に通過として流通するようになった。ペソを支えるために流動性供給を絞ろうとする政府の対応に、国民は公然と反旗を翻した。
・中世の君主には、みずから治める領地からの収入以外に歳入を増やす方法はほとんどなかった。封建領土に直接税や間接税を課すことは実際問題として不可能だったため、貨幣鋳造益はこのうえなく魅力的で、このうえなく確実な収入源だった。
たとえば1299年には、フランス国王の総収入は200万ポンド弱あった。このうち優に半分を、悪鋳と改鋳による造幣局の鋳造益が占めている。
・オレームはまったくちがう貨幣感を示した。マネーは君主の所有物ではなく、マネーを使用する共同体全体の所有物としたのである。
銀行の屋台骨を支えているのは、資金を融通し、決済する能力のほうだ。銀行はマネーシステムの中で銀行にしかできない役割を果たしているから、特別な存在なのである。
銀行業務の真髄は、銀行の資産と負債から発生する資金の支払いと受け取りを全体として一致させることにほかならない。銀行の資産と負債とは、もちろん、すべての借り手と債権者のすべての負債と資産である。これこそが、中世時代の大国際商会が再発見していた技術だった。
・今度はマネー権力が君主に圧力をかける側に回った。マネー権力者の利益に沿ってソブリンマネーが管理されなければ、ソブリンマネーを放棄すると威嚇したのである。形勢は完全に逆転した。
・(モンテスキュー)為替相場が確立されたため、君公が貨幣を突然、大きく操作すること、少なくともそうした強権の発動を成功させることはできなくなった。
・キャッシュは国に対する信用の表象として揺るぎない地位を保っているが、流通しているマネーの圧倒的多数は、民間企業の口座にある預金だ。1694年に政治の妥協が成立して、ソブリンマネーとプライベートマネーが統合されたことが、いまも現代のマネー世界を支える基礎になっている。
理想の国家であるスパルタに、このイノベーションは必要ない。スパルタは自国の伝統的な社会構造は完璧だとして、貨幣を使用しなかった。
・(ロー)「貨幣の価値に対して財貨が好感されるのではなく、その価値によって財貨が交換されるのである」
5月には500ルーブルだったインド会社の株価は、12月には1万ルーブルを突破した。株価が上がるほど、公的債務が新株に置き換えられていった。この取引が完了すると、ローはついに、政府債務と政府株式の交換という、空前絶後の偉業を成し遂げることになった。
・おそらく、オーバレント・ガーニー商会の提供担保に対して貸し付けた債権者のうち、その担保に頼らざるを得なくなることを予想した人や、その担保に本当に注意を払った人は、1000人に1人もいなかっただろう。
・「なぜだれも危機が来ることをわからなかったのでしょうか」という女王の質問に対する答えは単純明快である。マクロ経済を理解するための大きな枠組みに、マネーが組み込まれていなかったからだ。
・9月15日月曜日、国が信用支援を拒否し、リーマン・ブラザーズは破産申請する。それをきっかけに始まったパニックの大きさを見ても、リーマンは救済されるとだれもが固く信じていたことがうかがわれる。
・ソロモン王は聖書でこう戒める。「かならずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また、賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また、知識ある者が恵みを得るものでもない」(中略)「しかし、時と機会はだれにでも与えられている」
シラーは何年も前から、市払いがGDPに連動する国債を発行することを提唱している。経済成長の不確実性がもたらす財政リスクを、国と投資家が共有するようにするのである。

ソフトバンクのロビイング「孫正義の参謀」

元ソフトバンク社長室長の嶋氏が、ボーダフォン買収からスプリント買収くらいまでの仕事を語っています。嶋氏は元衆議院議員だっただけあり、主にロビイングの話が多いのですが、かなり赤裸々です。ソフトバンク規模の会社がどういうロビイングをしているのか分かり、非常に興味深かったです。

<抜粋>
・「いろいろと検討したが、どうもピンと来ない。ヤケのヤンパチで犬と外国人を使ったら、これが当たった」 孫社長の説明である。
・犬が父親という白戸家のアイディアをクリエーターがプレゼンしたとき、孫社長は「天才だ!」と叫んだという。
・そう決意して携帯電話の電話帳を見た。官房長官、官房副長官、首相補佐官、そして内閣総理大臣まで番号があった。

アップル製品のこだわりを知る「ジョナサン・アイブ」

アップルの近年の製品のデザインをリードしてきたジョナサン・アイブについて丹念に追った作品。最初の辺りが冗長だが、後半はアップル入社後にどのようにチームができていき、復帰したジョブズと関わり、iMac、iPod、iPhone、iPadなんかがデザインされていったのかなどが克明に描かれており、非常におもしろかったです。

とにかくこだわりがすごい。このくらいのこだわりでもってプロダクトを作っていきたいと思いました。

<抜粋>
・アメリカの教育制度が企業への就職を目的にしていたなれば、イギリスのデザイン教育は、情熱を追求し、情熱を核としたチームを築くことを奨励していた。
「違うものを作るのは簡単だが、いいものを作るのは難しい」 ーージョニー・アイブ
・(ジョブズが戻ってきて)「スティーブが、僕らの目標は金儲けではなく、偉大な製品を作ることだと宣言したんだ。その哲学があれば、これまでとは根本的に違う判断を下すはずだと思った」。ジョニーはのちにそう語っている。
・「デザインが差別化の手段だと思っている人が多すぎる。全く嫌になるよ。それは企業側の見方だ。顧客や消費者の視点じゃない。僕たちの目標は差別化じゃなくて、これから先も人に愛される製品を創ることだとわかってほしい。差別化はその結果なんだ」
・「フォーカスグループはやらない。アイデアを出すのはデザイナーの仕事だから」とジョニーは言う。「明日の可能性に触れる機会のない人たちに、未来のデザインについて聞くこと自体が的外れだよ」
・その時点で携帯電話には数曲しか入らなかったが、そう遠くないうちに、だれか、おそらくライバル会社がふたつのデバイスをひとつにすることは目に見えていた。
現在のデザインの前線はハードウェアではなくソフトウェアなのだ。
ジョブズはいつも、集中とはイエスということではなく、ノーということだと語っていた。ジョニーの指導のもと、アップルは「そこそこいい」ものであっても「偉大な製品」でなければ却下することを激しく自分たちに課している。

謙虚さと内省の重要さ「ピクサー流 創造するちから」

ピクサーの創業者&社長のエド・キャットムルがピクサーをいかにして成功に導き「続けている」かについて語った作品。ピクサーの成り立ちから途中のスティーブ・ジョブズがオーナーの時代、そしてディズニー買収後のディズニーのアニメーション部門の立て直しなどが描かれています。

要点は二つかなと思っていて

・とにかく優秀な人間を集めて、相乗効果が出るチームを築くこと
・隠されている罠に気づくような内省的な仕掛けを作ること

これは言うのは簡単ですが実行するのは難しいです。しかし、ピクサーはこれを非常にうまくやっており、施策もこれでもかというくらいあげられており、非常に勉強になります。

特筆すべきはエド・キャットムル自身が繰り返し謙虚さや内省について語っていることです。

チーフたちは、不満を持っていたにもかかわらず、歴史をつくっているという実感はあり、ジョンを才能あるリーダーだと認めていた。『トイ・ストーリー』は、取り組む意味のあるプロジェクトだった。仕事が好きだからこそ、その中での腹立たしいことも我慢できた。私にとって目からウロコだった。よいことが悪いことを隠していたのだ。今後気をつけなければならないことだと認識した。よい状況にもたいていマイナス面が共存しているものだが、実際にそれに気づく人がいても、クレーマーのレッテルを貼られることを恐れて言い控えてしまう。また、こういうことは放置すると悪化し、ピクサーを崩壊させかねないとも思った。

社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自信がある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。

会社がうまくいっているときは、リーダーが抜け目のない決断を下した結果だと考えるのは自然なことだ。そのようなリーダーたちは、会社を繁栄させるカギを見つけたとさえ信じるようになる。実際には、偶発性や幸運が果たした役割が大きい。

リーダーの本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。

こんな形です。結局のところ持続的な成功は、経営陣がどれだけ謙虚さを保ち内省し続けるかにかかっていると思いました。

<抜粋>
・私がとくに重視しているのが、不確実性や不安定性、率直さの欠如、そして目に見えないものに対処するメカニズムだ。私は、自分にはわからないことがあることを認め、そのための余白を持っているマネージャーこそ優れたマネージャーだと思っている。それは、謙虚さが美徳だからというわけでなく、そうした認識を持たない限り、本当にはっとするようなブレークスルーは起きないからだ。
・スティーブは正しかった。ピクサー初の映画が興行収入成績を打ち立て、我々の夢が実現しようとしていたとき、IPOによって1億4000万ドル近い金額が調達できた。1995年で最大のIPOだった。それから数カ月後、まるでキューの合図とともにアイズナーから電話があり、契約を見直してピクサーとの提携関係を結びたいと言ってきた。そしてスティーブの折半という条件をのんだ。スティーブの言ったとおりになり、私は感嘆した。その確信と遂行力は見事としか言いようがない。
・チーフたちは、不満を持っていたにもかかわらず、歴史をつくっているという実感はあり、ジョンを才能あるリーダーだと認めていた。『トイ・ストーリー』は、取り組む意味のあるプロジェクトだった。仕事が好きだからこそ、その中での腹立たしいことも我慢できた。私にとって目からウロコだった。よいことが悪いことを隠していたのだ。今後気をつけなければならないことだと認識した。よい状況にもたいていマイナス面が共存しているものだが、実際にそれに気づく人がいても、クレーマーのレッテルを貼られることを恐れて言い控えてしまう。また、こういうことは放置すると悪化し、ピクサーを崩壊させかねないとも思った。
・アイデアをきちんとかたちにするには、第一にいいチームを用意する必要がある。優秀な人材が必要だと言うのは簡単だし、実際に必要なのだが、本当に重要なのはそうした人同士の相互作用だ。どんなに頭のいい人たちでも相性が悪ければ無能なチームになる。したがって、チームを構成する個人の才能ではなく、チームとしてのパフォーマンスに注目したほうがいい。メンバーがお互いを保管し合うのがよいチームだ。当たり前のように聞こえるかもしれないが、私の経験から言って、けっして当たり前ではない、重要な原則がある。いいアイデアよりも、適切な人材と適切な化学反応を得ることのほうが重要なのだ。
・社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自信がある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。
監督がクルーからの信頼を失ったら介入する、それが判断基準だ。一本のピクサー映画に関わる300人あまりのスタッフは、物語が独り立ちするまでに発生する途方もない調整や変更に慣れている。
・会社がうまくいっているときは、リーダーが抜け目のない決断を下した結果だと考えるのは自然なことだ。そのようなリーダーたちは、会社を繁栄させるカギを見つけたとさえ信じるようになる。実際には、偶発性や幸運が果たした役割が大きい。
・彼らには経営能力と壮大な野心があり、本人は判断をまちがえたとも自分を尊大だとも思っていなかった。それでも勘違いは生まれる。頭脳明晰なリーダーでさえ、成功し続けるために必要な何かを見失う。私はこう思った。自らの視野の限界を知り、うまくつき合わなければ、ピクサーもいずれ同じ勘違いをするようになると、“隠れしもの”と私が呼ぶものに対処する必要があった。
「見えないものを解き明かし、その本質を理解しようとしない人は、リーダーとして失格である」
・リーダーの本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。
・反省会の「予定」が反省を促す
反省会の準備に費やす時間は、反省会そのものと同じくらい価値がある。言い換えれば、反省会が予定されることで自省を強いられる。反省会がオープンに問題と格闘する場だとすると、プレ反省会は、格闘を成功させる舞台づくりをする期間だ。反省会を行う価値の九割方は、それに至るまでの準備にかかっていると言っても過言ではない。
・どれほど促しても、出席者はあからさまな批評をしたがらない、ということを忘れてはならない。その壁を取り除くために私がとった方法は、出席者に二つのリストをつくらせることだった。一つは、次回もやろうと思っていることトップ5、もう一つは、二度とやらないと思っていることトップ5だ。否定的なことが相殺するため率直な意見を言いやすい。進行役にバランスをとるように頼んでもいい。
・PUはけっしてプログラマーをアーティストに、アーティストをベリーダンサーにするためにやっているのではない。誰もが新しいことを学び続けることの大切さに気づいてもらいたくてやっている。それもまた柔軟性を維持するための重要な部分だ。やったことのないことにあえて挑戦することで、頭を柔らかく保つ。それがPUがもたらすメリットであり、人を強くしていると思う。
・最終的に、4000通のメールがノーツ・デーの投書箱に届いた。全部で1000種類のアイデアがあった。
・ミスを防げば、ミスに対処する必要がなくなるという幻想に陥ってはならない。実際には、ミスを防ぐためのコストのほうが、ミスに対処するコストよりはるかに高くつく場合が多い。
リスクを回避することはマネージャーの仕事ではない。リスクを冒しても大丈夫なようにすることがマネージャーの仕事である。