アマゾンの強さを知る「ベゾス・レター 」

今や世界最大級の企業となったアマゾンの哲学がまとめられています。個人的にはアマゾンの強みは大きく2つあると考えています。

ひとつはeコマースというある意味勝ちパターンが決まっているサービスで、とにかく愚直に改善し続けること。eコマースは、できるだけ豊富な品揃えで、できるだけ安く、そしてできる限り早く届くのが絶対的によいわけです。誰も少し遅いほうがいい、とは思わないわけで。これは言うは易しですが、実際には倉庫やデリバリー網やベンダー確保まで、ひたすら投資を続ける必要があり、いったん引き離されると追いつくのはほぼ不可能になってきます。その結果アマゾンで扱えないようなユニークな商品でなければアマゾン一択になってくるわけです。

もうひとつは、AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)やAlexaのような周辺の未知な分野への果敢な挑戦と成功です。この影には、zShopsやFire Phoneのような壮大な失敗もあるのですが(一覧でみるとこんなにあります)、それを補ってあまりあるだけの成功例があるため、失敗を許容できる強いカルチャーが形成されています。いったん成功の可能性が見えれば、ひとつめに戻り愚直に改善を続けます。

この組み合わせが強力な成功を続ける推進力になっていると考えます。見習うべきところがたくさんあるメガベンチャーなのですごく勉強になりました。

<抜粋・コメント>

ところで、会議室でメモを全員で読む理由は、そうしないと、会議前にメモを読み終わったふりをして会議を乗り切るという、高校生のようなことをする経営幹部が出てくるからです。みんな忙しいですから。そこで、わざわざ事前にメモを読まなくてすむよう、会議の最初の 30 分間に組み込んだのです。こうすることで、全員がきちんとメモを読むようになり、読んだふりをする人はいなくなりました。かなり効果が高かったです

これメルカリでも取り入れていますが、非常にワークしています

ですが、社員の意見はまったく異なっていました。ぜひ進めたいと言われたのです。私はすぐに返信しました。「異議を唱えたから、あとは全力で取り組むよ。これまで作ったものの中で一番視聴されるものになってほしい」と。考えてみてください。もし私がただ全力で取り組む姿勢を見せるのではなく、チームがまず私を説得しなければならなかったら、決定までの流れはどれだけ遅くなっていたことでしょう。

いわゆるDisagree and commitの文化

これは、ウーバーやリフトのような会社がドライバー候補者に示している奨励策とは対照的だ。ウーバーは、柔軟な働き方や報酬の早期支払いを売りにしている。リフトも似たような奨励策を採用していて、ウェブページにもこう書かれている。「あなたが従わなければならないのは、あなただけです。収入を得たい場所も手段も時間も自分でコントロールできます。通勤途中でも、お子さんが学校に行っている間でも、夜間学校が終わったあとでもかまいません」。これは、アマゾンがドライバー候補者に対して強調している「顧客へのこだわり」や「リーダーシップ」や「結果を出す」ことや「粘り強さ」というメッセージとはまったく違う。

カルチャーへのこだわりをどのように徹底しているか

スタートアップの急激な成長で何が起こるか「ブリッツスケーリング」

Linkedinを創業し数兆円まで育て上げMicrosoftに売却し、Facebookなど含め数々の投資でも知られるリード・ホフマンが、スタートアップが急拡大する際に何が起こり、どう対処すべきかをかなり具体的に書いています。この急拡大をブリッツスケーリングと呼んでいます。

メルカリの成長と照らし合わせてものすごい勉強になりました。ブリッツスケーリングしているスタートアップの方には、経営陣でも社員でも、かなりおすすめです。若干矛盾があったりストーリーで語られている部分もありますが、経験からの示唆に富んでいます。

以下で、抜粋コメントしていきますが、かなり長くなってしまいました。。

ブリッツスケーリングの5つのステージ  スタートアップのブリッツスケーリングは単純な外挿法のプロセスではない。みすぼらしいガレージから出発した会社の規模が1000倍になり、モダンな高層ビルに本社が移ってめでたしめでたしというストーリーではすまないのだ。ブリッツスケーリングによる成長には大きな節目がいくつもあり、そのつど会社は質・量とも根本的に変化しなければならない。ドロップボックスのドリュー・ハウストンは私にこのことを「新しい駒が次々に追加され、次元も増えていくチェスのようなものです」と説明した。  物理学では、よく相変化ということを言う。物質は温度、圧力の変化に応じて全く違う状態に変わる。氷は溶けて水となり、水は沸騰して蒸気になる。  スタートアップもある状態から全く異なる状態に相転移することがある。相が変化すればことは同じように運ばない。氷が溶ければスケートはできない。水が水蒸気になれば小石を投げて水面で水切りするわけにはいかない。スケールアップが次のフェーズに達すると、以前のフェーズで有効だったアプローチやプロセスが無効となる。

5つのステージというのは、家族(1-9)、部族(数十)、村(数百)、都市(数千)、国家(万以上)としていて、まさにメルカリは都市ステージ初期の会社であると言えます。

ブリッツスケーリングを実行する企業がまず直面するのは、人材獲得という課題だ。社員数が毎年3倍になることは珍しくない。このため普通の成長企業とは根本的に異なるアプローチが必要になる。成長が年間 15 パーセントなら完璧にフィットする人材を発見し、企業文化を確立する余裕があるだろう。この後に詳しく説明したいが、ブリッツスケーリング中の企業は数々の常識外れな経験をすることになる。急速な成長により組織は一変する。「そこそこ」の人材で我慢しなければならない。まだ不完全でアラが目立つプロダクトをリリースしなければならない。顧客は怒り狂い、会社は炎上するかもしれない。

本当にその通りで、各ステージを乗り越えるときに前ステージとは違う人材や考え方が必要になってきますが、それに気づかない、気づいてもどう解決すればよいのか分からない、ということが頻繁に起こります。まさにCEOおよび経営陣の限界が会社の限界になってきます。

実際、ブリッツスケーリングは会社が市場の限界に達したときには危険ですらある。市場の伸びしろがなくなったとき、それまで成長を支えてきたスピードと勢いは市場の天井に激突して停止する。市場に伸びしろがなくなるときによく見られる症状といえば、成長の急激な鈍化、そして内部抗争だ。成長が続くことに慣れ切ったマネジャーや投資家は、「何がおかしくなったんだ」「誰の責任だ」などと言い始める。根本的な原因を会社がわからないとき、いちばんよく見られる(かつ役に立たない)行動は、CEOまたは経営チーム、あるいは両方を変えることだ。営業担当副社長は成長鈍化の責任を取らされることが多いので、特に狙われやすい。CEOの交代で大幅な成長が復活したことが、かつてあっただろうか。唯一思い浮かぶ好例といえば、スティーブ・ジョブズがアップルで行ったことくらいだ。だから、もしスティーブ・ジョブズが脇に控えているのならCEOを交代させればいい。そうでなければ、おそらくムダなことだ。

原因と結果を間違えないようにしたいですね。あと大きくなればなるほど、事業の難易度はあがります。ただ成功した場合は果実は大きい。どの会社も大きく投資をし、それに一時期は批判が集まります。ただ、それに成功する会社が次のステージに行けるということを忘れてはいけません。投資せずして次のステージに行くのはできません。

第4ステージ(都市サイズ)  創業者は高度なレベルで組織の目的と戦略を決定する必要がある。創業者の役割は重大で戦略的な決定をすることだ。こうした決定は日々の業務にもいわば戦術的な影響を与えるだろうが、それに対処するのは部下のマネジャーの業務だ。フェイスブックの場合、マーク・ザッカーバーグが下した重大で戦略的な決断はフェイスブックのモバイル化を最優先するために新機能の追加を2年近く一切停止したことだ。2012年にザッカーバーグがこの勇気ある決断をしたとき、フェイスブックは社員4000人を抱え、まさに「都市」ステージにあった。ザッカーバーグは自分でモバイル化のためのデベロッパーを採用したわけではないし、モバイルアプリをデザインしたわけでもない。しかし、方向を決め、責任を負ったのはザッカーバーグだった。

まさに都市スケールのメルカリではこういう経営になってきていると感じます。

ファミリーステージでは、チーム全員があらゆる重要事項の決定に関与する。村(ビレッジ)ステージ以降になると、このやり方はほぼ不可能になる。社員は自分たちが直接かかわるチームや分野に付いていくだけで精一杯になり、ほかの部門の業務はほとんどわからなくなる。中途入社した社員はあたり前だと思っても、初期からの社員はこの変化に当惑し、インサイダーだった自分たちが今はアウトサイダーのように扱われていると感じてしまう。この問題にはどう対処すればよいだろうか? 答えは、社員をあらゆる決定に関与させないことだ。それは不適切だし、運用上も不可能であるからだ。

この問題はメルカリでもあって、何度か「今となってはすべてのひとがすべてのことに関わることはできません。自分の仕事に集中しましょう」というメッセージは発してきた覚えがあります。

一方、スペシャリストは重要な役割を担う。リンクトインの元最高人事責任者、パット・ワドーズを見てみよう。ワドーズは2013年に都市ステージにあったリンクトインに入社し、国家ステージへと導いた(最近はリンクトインを離れ、私の友だちで元イーベイCEO、ジョン・ドナホーのいるサービスナウに加わった。つまり、都市ステージへ逆戻り!)。コーラーと同じくワドーズも聡明で才能豊かであり、バイアコム、メルク、ヤフー、プラントロニクスなどの大手企業の人事担当を務めたスペシャリストだった。都市ステージや国家ステージの会社で重要な任務を指揮するには、その領域の深い専門知識が必要であり、それは賢いゼネラリストが数週間で「解明できる」ようなものではない。  

都市ステージのメルカリでも金融分野含めスペシャリストが必要な部門が出てきたので、必要な部門でスペシャリストの採用も進めてきました。

ゼネラリストの上司の後任にスペシャリストを配置すると、組織の士気を損ないかねない。ハーバード・ビジネス・スクールのランジェイ・グラティとアリシア・デサントラは「事業をスケールさせる4つの方策」(ハーバード・ビジネス・レビュー2016年3月号に掲載)に次のように書いている。「組織を動かすための専門知識は、初期の社員がすぐに身に着けられるものではない。組織をうまく動かすリーダー職は外部の人間へと移っていき、初期社員の不満は募っていく。初期からの社員の中には、役割が限定されることにいら立つ者もいるかもしれない。ゼネラリストの誰もがスペシャリストになれるわけではなく、なりたいとさえ思わないかもしれない。多くの人はいら立ち、貴重な人間関係や会社のミッションやカルチャーなど明文化されていない知識を抱えたまま会社を辞めていく」

「小さなチームから大きなチームへ」で検討した課題は、組織の外から幹部を採用しなければならないことだった。これは、自然発生的にリーダーになった初期社員を昇進させてきた企業にとっては、大きな方針転換となる。こういう組織でのマネジャーから幹部に役割を変えるのは、担当者からマネジャーになるよりはるかに難しい。

どの社員も、さまざまなスタイルや資質のマネジャーの下で働いてきたはずだ。昇進して初めてマネジャーになった社員は自分のマネジメントスタイルを構築するために、そういう体験を参考にすることができる。しかし、初めて幹部が必要になった組織の場合、内部昇進のマネジャーは以前の幹部の意見を生かせない。なぜなら幹部がいなかったからだ。ロールモデルはどこにもない。  われわれはこの状態を「標準的スタートアップ・リーダーシップ真空状態」と呼んでいる。この状態を経験した創業者は、幹部経験者を外部から採用して、社内になじませようと考える。しかし、組織のストレスが限界に達するまで創業者が採用を遅らせてしまうと、状況は悪化する。社内の緊張と不透明性が最大になっているときに、新しいリーダーがやって来ることになるからだ。これを乗り切るカギは開かれた心だ。インサイダーは幹部を外部から登用することについてオープンであるべきだし、アウトサイダーは入社前に起きたことを学習しようとオープンになるべきだ。

その際にこういった状況や問題は常に発生してきたし、今も発生しています。しかし、ブリッツスケーリングするにはやむを得ない部分もあります。

会社が村から都市、さらには国家へとステージを上げていくときも、常に幹部を採用する必要がある。成長によって前線のマネジャーの上にも階層が必要になること、また現在の幹部は必ずしも次のステージのスケーリングに必要な能力をもっていないからだ。しかし、ひとたびロールモデルやメンターの役割を果たす優れた幹部が社内に現れたら、その幹部と仕事をした経験がある将来有望なマネジャーを内部昇進させられるようになる。フェイスブックでは、シェリル・サンドバーグのような経験ある幹部を連れてくることが絶対的に必要だったが、現在のフェイスブックで重要なプロダクトを担当しているリーダーは、ほぼ全員が社内で訓練を積んできた。

一方で、内部登用の動きも増やしています。そのためにはメルカリらしいマネジメントの定義や育成も含めた人事制度が必要になっているので、いままさにここを作り変えているところです。

買収は、国家ステージの作戦の中で攻守を兼ねた最大の効果がある戦法だ。重要な買収によって、買い手がどのように市場を獲得できるか考えてみよう。ユーチューブ、インスタグラム、ワッツアップの買収はいずれも守りと攻めの効果があった。ユーチューブを買収したことでグーグルは、グーグル・ビデオ・プロジェクトの失敗を取り戻しただけでなく、ユーチューブがマイクロソフトなどのライバルの手に渡るのを防いだ。インスタグラムとワッツアップの買収は、フェイスブックをモバイルによる侵略から守っただけでなく、フェイスブックをモバイルのリーダーにした。

国家ステージの会社は大胆な買収も考えていかなければならない。

「なにがなんでも成長」の時代から、「責任を伴う成長」の時代に移り、われわれのカルチャーを進化させる必要がある。すべてを捨てるのではなく、うまくいっているものは残し、そうでないものは変えることに集中する。

会社が都市(シティ)または国家(ネーション)ステージに到達すると、既存企業としての責任を負う必要があり、それは挑戦者の責任とは大きく異なる。どの問題を後で修正できるか自問したことを覚えているだろうか? その「後で」がやって来たわけだ。あなたがそれまで多様性、法令遵守、社会的正義などの問題を無視していたとしても、今やあらゆる目が自分に向けられ、責任ある市民のお手本になるよう期待されていることを理解する必要がある。加えて、こうした責任に早くから積極的に取り組まないと、将来には受動的に取り組まなくてはならなくなる。それはほぼ間違いなく高くつくし、痛みも大きい。好むと好まざるとにかかわらず、会社が都市/国家ステージになったら、市長や大統領のように考え、己の利益だけでなく、人類全体のためにルールを決めなくてはならなくなる。

スタートアップは「なにがなんでも成長」を目指しているので、この求められている変化に鈍感になりがちです。まさにメルカリも現金出品問題の頃気づいたところで(本件については重々お詫び申し上げます)、今はカルチャーを進化させ「責任を伴う成長」を目指しています。

賢い人たちと話をすれば、彼らの成功と失敗から学べるという意味だ。誰かの失敗から学ぶほうが簡単で痛みも少ない。私は新しい物事について学ぶとき、もちろんそのテーマの本を読み漁るが、その分野で有数の専門家を見つけて話をして補っている。

重要な点の第一は、常に学び続けることだ。良い点でもあり悪い点でもあるが、あらゆる物事が急速に変化する現代にあっては、「専門家」は存在しない。これほど変化が激しい分野では 10 年以上の経験などはもちようがない。ライバルに比べて学習曲線を登るのがわずかに速いというだけで、巨大な価値を築くチャンスが生まれる。シンプルで具体的な成功を約束するルールを提示できれば理想的だが、向こう数年でさえ変化は広い範囲で起きると予想される。まして何十年先まで射程があるような成功への包括的な法則など誰が描けるだろうか? 変化こそが唯一の不変のものという世界にあっては「常に学ぶ」ことこそ適応への最良の道だ。

「常に学ぶ」性質は優れた人材に共通しているなと最近強く思います。

部族ステージや村ステージの成長に見合う速さで社員を増やすときは、ほかのステージ以上に組織的な手法で多様性を確保しなければならない。少なくとも3つの重要なポリシーを制定することを推奨する。第一に、社員の人口動態を調べ、その情報を社内にも社外にも隠さず公開する。どんな分析でもそうだが、測定していないものは管理できない。第二に、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のルーニー・ルールと同等のしくみを導入する。NFLチームは球団運営の上級職を採用する際、少なくともひとりのマイノリティの候補と面接する(必ずしも雇わなくてよい)ことが義務付けられている。そして第三に、幹部報酬の少なくとも一部を、多様性に関する会社目標の達成度と連動させる。

ダイバーシティの確保はメルカリも非常に力を入れてやっているところです。日本においては外国人の採用はうまくいっていますが、それ以外はまだまだです。

常に最初に反応する者となる必要がある。新しいテクノロジーやトレンドが現れたとき、われわれは往々にして自分の居場所を見失い、思考を麻痺させてしまう。これでは行動せずに変化を眺めているだけになる。不確実さをものともせず行動する者、しかも素早く行動する者がわずかの時間差とは不釣り合いなほど巨大なチャンスを得るのだ。これがブリッツスケーリングだ。ブリッツスケーリングを実行できる企業、マーケットを探さねばならない。成長とチャンスはそこにある。  最後に、やや逆説的に聞こえるかもしれないが、不確実性に立ち向かうためには安定性が必要だ。なにもかもが変化する世界では、人は何か確実なものを求める。嵐の中でこそ冷静さと確固たる指導力を保つことが重要となる。混乱の中で不安にかられた人々は、自然にそうした人々にリーダーとして従うようになる。

メルカリで言えば、USやメルペイが次のブリッツスケーリングだと考えているということだし、その土台になっているものはメルカリのマーケットプレイス・ビジネスやCEOおよび経営陣の器ということになってくるのでしょう。

王道の経営手法を知る「破天荒な経営者たち」

ジャック・ウェルチを超える株式パフォーマンスを発揮した9人の経営者の経営について分析して紹介している。フリー・キャッシュフローを最大化し、いいタイミングで投資する(買収含む)こと、あるいは配当や自社株買いすること、など王道の経営手法が示されています。

一方で、これらはあくまで結果論であって、どうすれば「フリー・キャッシュフローを最大化」し、「いいタイミングで投資する(買収含む)」ことができるのか、などについては明確な解がありません。

取り上げられているCEOのひとりの言葉

「事業運営の難しさは、日々の多くの何気ない判断のなかに、経営を左右するような大きい判断が紛れ込んでいることです」

これはまさにその通りなんですが、この辺りをどうやってうまく察知して、よい経営判断をしていくか、は本当に経験と才能、そして運も必要なのではと思っています。ただ、王道の経営手法を知ることはその前提となるものなので、ある程度の規模の会社経営をしていく上で本書は必読かなと思っています。

世界最強のコーチングを知る「1兆ドルコーチ」

世界最強のコーチと言われるビル・キャンベルのコーチングについて、膨大なヒアリングを元に解説しています。結構具体的なのですごく勉強になりました。一方で、ビル・キャンベルのコーチング自体は、彼自身の経験則に基づいた極めて属人性が高い内容だなとも思いました。

彼自身がIntuitで上場企業CEOの経験があり、アップルやグーグルなどの社外取締役もしていたという最先端中の最先端を走ってきているからこそできる芸当だと思いました。また、暴言は多いようで、一方で誰でも彼でもハグする、といったような人間味あふれる天性の明るいところもある。そういった経験やキャラクターが相まって非常に有効なコーチングになっていたと。

素直に真似はできませんが、いずれにしてもマネジメントとコーチングは不可分で、自分のスタイルを見つけていこうと思いました。

以下、抜粋・コメントしておきます。

<抜粋・コメント>

企業の成功にとって、スマート・クリエイティブを生かす環境と同じくらい重要な要素がもう一つある。それは、さまざまな利害をまとめ、意見のちがいは脇に置いて、会社のためになることに個人としても集団としても全力で取り組む、「コミュニティ」として機能するチームだ。

チームが重要=「コミュニティ」として機能するチーム

リーダーシップはマネジメントを突き詰めることによって生まれるものだと、ビルは考えていた。 「どうやって部下をやる気にさせ、与えられた環境で成功させるか? 独裁者になっても仕方がない。ああしろこうしろと指図するんじゃない。同じ部屋で一緒に過ごして、自分は大事にされていると、部下に実感させろ。耳を傾け、注意を払え。それが最高のマネジャーのすることだ

人がすべて どんな会社の成功を支えるのも、人だ。マネジャーのいちばん大事な仕事は、部下が仕事で実力を発揮し、成長し、発展できるように手を貸すことだ。われわれには成功を望み、大きなことを成し遂げる力を持ち、やる気に満ちて仕事に来る、とびきり優秀な人材がいる。優秀な人材は、持てるエネルギーを解放し、増幅できる環境でこそ成功する。マネジャーは「支援」「敬意」「信頼」を通じて、その環境を生み出すべきだ。

マネジャーの仕事は議論に決着をつけることと、部下をよりよい人間にすることだ」とビルは言った。「『この方針で行くぞ。下らん議論はおしまいだ。以上』と宣言するんだ」

マネージャーの仕事

グーグルの取締役会では、ビルは業務報告に詳細な「ハイライト」と「ローライト」を含めるよう、いつもエリックに勧めた。「これがうまくいったことや満足できること」で、「これがあまりうまくいかなかったこと」だという報告だ。 ハイライトをまとめるのはいつでもわけなくできる。チームは成功事例を 見栄えよく見せ、取締役会にアピールするのが大好きだからだ。だがローライトはそういうわけにはいかない。思い通りにいっていない分野を率直に認めさせるには、多少の促しが必要な場合がある。 じっさいエリックは、率直さが足りないという理由で、ローライトの草稿を突き返すことがよくあった。エリックは取締役会がよい知らせと悪い知らせの両方を知ることができるように、偽りのないローライトを含めるよう努めた。

率直さ、重要

ビルが求めたコーチャブルな資質とは、「正直さ」と「謙虚さ」、「あきらめず努力を 厭わない姿勢」、「つねに学ぼうとする意欲」である。 なぜ正直さと謙虚さが必要かといえば、コーチングの関係を成功させるには、ビジネス上の関係で一般に求められるよりも、 はるかに 赤裸々に自分の弱さをさらけだす必要があるからだ。

すぐれたマネジャーやリーダーでいるためには、すぐれたコーチでいなくてはならない。コーチングはもはや特殊技能ではない。めまぐるしい変化と熾烈な競争が渦巻く、テクノロジー主導のビジネス界で成功するには、パフォーマンスの高いチームをつくり、とてつもないことを成し遂げるための資源と自由を彼らに与えなくてはならない。 そしてパフォーマンスの高いチームに不可欠な要素が、俊敏なマネジャーと思いやりのあるコーチを兼ね備えたリーダーなのだ。

マネージャーとコーチは不可分

事業で失敗しないためのテクニック「NO FLOP!」

成功するためにはすべての段階のどれかひとつでも失敗してはいけない。例えば、

ご機嫌斜めの有名グルメ評論家が書いた一件の辛口レビューのせいで、レストランの命運が尽きてしまう場合もないとはいえない──そうなると、店の宣伝に一〇〇〇ドルかけようが一〇〇万ドルかけようが関係ない。どれだけ多くの主要素が適切になっていても、不適切な主要素が一つでもあれば帳消しになる。このような過酷な状況では、ほとんどの新製品が失敗したとしても驚くにはあたらない。  こうした残酷な論理を考えれば、「新製品失敗の法則」の背景にある統計にも納得がいくだろう。

たしかに、そうした事実をすんなり受け入れられる人などほとんどいないし、気持ちはよくわかる。以前は私も同じだったからだ。「失敗するのは、企画・開発から販売までのどこかの段階で何らかの能力や経験が不足していたから」、そう固く信じていた。  だが残念ながら、十分な経験や能力があって、計画をきちんと実行していても、失敗を追い払うことはできない。それが現実なのだ。  それでも幻想を捨てず、私は大丈夫、こんなに経験豊富で有能なんだから、などと思い続けるようなら──ただ失敗するだけでは済まないかもしれない。その傲慢さのせいで、失敗がさらに大規模で深刻になる恐れもある。

ということ。ではどうすればよいか、というテクニックがいろいろと書いてあり、非常に勉強になります。よく考えてみれば当たり前のことではあるのですが、ひとってなかなか切羽詰まるといいアイデアが思い浮かばなくなるもので、それをある程度のフレームで考えることができるようになるのはすごく有用だと思います。

2020年謹賀新年+本ベスト5

パルテノン神殿@アテネ

■2019年の振り返りと今年のテーマ

2019年は、引き続き難しかった一年でした。

メルペイを無事にローンチし、500万人以上のお客さまに使っていただけるようになりました。これによりメルカリ本体も進化したと思うし、USも成長しています。また特に外国籍社員が激増したことでダイバーシティも進んで、強い組織になってきたと思います。鹿島アントラーズの経営のような新しい試みも始めました。

一方で、圧倒的な結果を出せたかというと出せていません。

メルカリグループの社員数は2,000人に迫っていますが、ゼロからこのような成長をしたスタートアップは最近の日本には存在していません。スタートアップの経営は数百人くらいまではノウハウもいろいろ蓄積しつつありますが、それ以上となると急に手探りになります。

アプリとしてほぼ一体のインターネット・サービスを1,000人以上でどのように開発していくのかというのはすごくチャレンジングです。マイクロ・サービス化してマイクロ・ディシジョンしていける(システム相互依存をなくして小さなチームで素早く決めていける)ようにすると共に、その判断を支えるデータを中心に据えるべくデータ基盤の作り替えも進めています。

また、事業規模拡大によりミッション・ロードマップ・OKRから事業計画・予算・管理会計まで一体感を持った経営が必要になってきています。もちろん採用・育成・登用(抜擢)・評価などのHRも重要です。またメルペイでは金融免許取得しましたが、実際にお客さまに迷惑をかけないようなガバナンス、セキュリティ、リスクなどについても対応していく必要も出てきています。アマゾンではスケールする仕組みのことをメカニズムと言っているそうですが、メルカリでもそれにならって各種メカニズム化を急ピッチで進めています。

メカニズムを作っていく上では、スタートアップだけでなく、様々な会社、例えばGAFAのようなテック・ジャイアントや、日本の伝統的な大企業、中国の新興メガベンチャーなどのよいところを集めてきて参考にしつつ、自分たちがこうありたいという意思も重要です。昨年は上記のような会社の方々にたくさんいろいろと教えていただき大変感謝しています。

大変なことばかりのように思えますが、メルカリは日本・USですごくたくさんの方に使っていただいているし、メルペイは1年経たずして500万人もの方に街中で使っていただいているわけです。社会的な責任を持ちながら事業をするのは当然だし、むしろこの責任を引き受けないと、世界中で使っていただくサービスになっていくのは難しいと感じています。

なによりも今は自分たちが理想とするテックカンパニーをイチからデザインできる大変貴重かつおもしろいタイミングだと考えています。まだ圧倒的な結果までは出せてはいないですが、今仕込んでいることは間違っていないと考えているし、もがきながらも前進しているという実感があります。この難易度の高い仕事を一緒にやってみたいという方はぜひ採用サイトをご覧ください。

前期(FY2019.6)の決算発表後、再三「勝負の年」と言ってきましたが、この土台を使って、今年はピュアに結果を出していきたいと思っています。昨年のテーマは「寛容(クレメンティア)」でしたが、今年は「結果を出す」にしたいと思います。

昨年に引き続き、今年もよろしくお願いいたします。

■2019年の本ベスト5

2019年は例年に比べて紹介した本が激減してしまいました。たくさん買ったのですが最後まで読了できた本が少なかったように思います(すぐに読み止める読書スタイルです)。これは僕の余裕のなさのせいかもしれません。いずれにせよ今年はたくさんのよい作品に出会いたいです。

5位 「中国全史」を描こうとする意欲作

知っているようで知らない中国の歴史を俯瞰できます。中国が一つの国というより多種多様な多民族がいてダイナミックに変わってきたのがよく分かります。

4位 気候変動が人類に与えた影響「気候文明史」

「恐竜は二億年近く地上で繁栄していたのに、なぜ知性を発達させなかったのか?」という問いかけがある。答えは知性を発達させる必要がなかったからだ。恐竜は知性を獲得せずとも生き延びることができた。人類が直面したような、生き延びるために知性を必要とする気候激変の連続という環境的な圧力は、中生代に存在しなかったのだ。

気候変動が人類の文明に多大な影響を与えたという事実を丁寧に描いています。

3位 より世界を知る「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」

人間によって大気に蓄積されてきた二酸化炭素の大部分は、現在レベル4にいる国々がこの 50 年間に放出してきたものだ。カナダのひとりあたり二酸化炭素排出量は、いまでも中国の2倍にのぼるし、インドと比べると8倍にものぼる。世界を金持ち順に並べて、いちばん上の 10 億人が毎年どれほどの化石燃料を燃やしているかをご存じだろうか? 全体の半分以上だ。次に金持ちな 10 億人が残りの半分を燃やし、その次の 10 億人が残りの半分を燃やし……と続いていく。いちばん貧しい 10 億人は、全体のたった1%しか使っていない。

ファクトを知ることで現実的な対処が可能になる。しかしファクトを知ること自体が難しいのだなと理解できる。

2位 自らを見つめ直す機会になる「残酷すぎる成功法則」

私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。卓越した人になるには、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度に従っていてはいけない。世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知らないからだ。むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を意味する。

成功した人々がなぜ成功したのかをエビデンスとともに書いているのですが、残酷な事実が明らかになってしまう。

1位 21世紀の人類のための「21 LESSONS」

私たちがしだいにAIに頼り、決定を下してもらうようになると、この人生観に何が起こるのか? 現時点では、私たちはネットフリックスを信頼して映画を推薦してもらい、グーグルマップを信頼して右に曲がるか左に曲がるか選んでもらう。だが、何を学ぶべきかや、どこで働くべきかや、誰と結婚するべきかを、いったんAIに決めてもらい始めたら、人間の一生は意思決定のドラマではなくなる。民主的な選挙や自由市場は、ほとんど意味を成さなくなる。大方の宗教と芸術作品にしても同じだ。

『サピエンス全史』『ホモ・デウス』のハラリ新作。21のテーマに沿って解説をしてくれているので、未来を考える上で非常に参考になります。

P.S.2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年2018年のベスト本はこちらからどうぞ。

21世紀の人類のための「21 Lessons」

サピエンス全史』『ホモ・デウス』のユヴァル・ノア・ハラリの新作。本作は「雇用」「自由」「平等」「コミュニティ」「宗教」「戦争」「教育」「意味」「瞑想」などなど身近といえば身近な21のテーマそれぞれにハラリが現状はどうで将来どうなっていくか、などを明瞭に描いています。

特に重要なのはAIやバイオのようなテクノロジーの発展により、上記のようなテーマのそれぞれが甚大な影響を受けるというところです。いくつか抜粋します。

たとえ私たちが新しい仕事を絶えず創出し、労働者を再訓練したとしても、平均的な人間には、そのように大変動が果てしなく続く人生に必要な情緒的スタミナがあるかどうか、疑問に思える。変化にはストレスが付き物だし、二一世紀初頭のあわただしい世界は、すでにグローバルなストレスの大流行を引き起こしている。雇用市場と個人のキャリアの不安定さが増すのに、人はうまく対処できるだろうか? サピエンスの心が参ってしまわないようにするためには、おそらく、薬物からニューロフィードバック、さらには瞑想まで、今よりはるかに効果的なストレス軽減法が必要となるだろう。二〇五〇年までには、仕事の絶対的な欠如あるいは適切な教育の不足のせいばかりではなく、精神的なスタミナの欠乏のせいでも、「無用者」階級が出現するかもしれない。

私たちがしだいにAIに頼り、決定を下してもらうようになると、この人生観に何が起こるのか? 現時点では、私たちはネットフリックスを信頼して映画を推薦してもらい、グーグルマップを信頼して右に曲がるか左に曲がるか選んでもらう。だが、何を学ぶべきかや、どこで働くべきかや、誰と結婚するべきかを、いったんAIに決めてもらい始めたら、人間の一生は意思決定のドラマではなくなる。民主的な選挙や自由市場は、ほとんど意味を成さなくなる。大方の宗教と芸術作品にしても同じだ。アンナ・カレーニナがスマートフォンを取り出して、カレーニンの妻であり続けるべきか、それとも 颯爽 としたヴロンスキー伯爵と駆け落ちするべきかをフェイスブックのアルゴリズムに尋ねるところを想像してほしい。あるいは、あなたが気に入っているシェイクスピアの戯曲で、きわめて重要な決定がすべてグーグルのアルゴリズムによって下されるところを想像するといい。

事態はこれよりはるかに悪くなりうる。これまでの章で説明したとおり、AIが普及すれば、ほとんどの人の経済価値と政治権力が消滅しかねない。同時に、バイオテクノロジーが進歩すれば、経済的な不平等が生物学的な不平等に反映されることになるかもしれない。超富裕層はついに、自分の莫大な富を使って本当にやり甲斐のあることができるようになる。これまで彼らが買えるものと言えば、ステータスシンボルがせいぜいだったが、間もなく彼らは生命そのものを買えるようになるかもしれない。寿命を延ばしたり、身体的能力や認知的能力をアップグレードしたりするための治療や処置には多額のお金がかかるようであれば、人類は生物学的なカーストに分かれかねない。

今後数十年でほとんどすべてのテーマで劇的な変化が起こり、油断すると、ディストピア的な世界へと待ったなし、という警告になっています。

個人的には、今後すべてが変わるのは間違いないと思いますが、悪い方向にだけいくとは考えていません。バイオテクノロジーが発展すればより健康に生きられる時間が伸びるのは間違いないわけだし、AIは今も人々の生活をどんどん便利にしてくれています。しかし、当然ディストピアへの入口も徐々に広がっており、ひとりひとりがどういった可能性があるのかということをよく考えて、よりよくしようと努力しなければならないと思いますし、自分がその一躍を担えたらと思っています。

未来を考える上で、非常に考えさせられる作品なので、必読だと思います。

気候変動が人類に与えた影響「気候文明史」

人類の歴史に、気候がかなり密接に関わってきたことを明らかにしています。気候変動によって陸地が繋がってひとが移動できるようになった、という程度ではなく、国家の勃興と衰退などの多くが気候変動期と不思議と重なっています。もちろんそれだけですべてが説明できるとは著者は言っていないし、むしろ否定していますが、気候変動からみた文明史は非常に新鮮でおもしろかったです。

※原著は2010年で今のような温暖化への注目が集まっていない時期に書かれており、だからこそ温暖化や寒冷化で何が起こるのかが冷静に描かれているように思います

下記に抜粋で事例をあげておきます。

「恐竜は二億年近く地上で繁栄していたのに、なぜ知性を発達させなかったのか?」という問いかけがある。答えは知性を発達させる必要がなかったからだ。恐竜は知性を獲得せずとも生き延びることができた。人類が直面したような、生き延びるために知性を必要とする気候激変の連続という環境的な圧力は、中生代に存在しなかったの だ。

気候変動の連続が人間の進化を即した。

南米大陸の場合、家畜化できたのはラマとその近縁種のアルパカだけだった。両者の野生種は、高地の草原に棲息する動物である。家畜は荷物の運搬だけでなく、農業が不作の際の生きた食糧備蓄として貴重であり、南米大陸の先住民は生活圏を選ぶ際に家畜の都合を優先して高地に住みついた。現在の南米大陸の太平洋側での主要都市の多くが標高三〇〇〇メートル以上に位置する理由は、ここにある。

家畜によって居住地域まで規定される例。

こうした古気候研究から、エルニーニョ現象の発生頻度は温暖な時代に減少し、寒冷な時代に増加する傾向があるとの推測が成り立つ。エルニーニョ現象に注目が集まったのが一九七〇年代半ば以降であり、同じ時期に地球全体の気温が上昇したことで温暖化と結びつける発想が生まれたもので、過去一五〇〇年間の発生頻度を振り返ると実際には温暖化で増加するという相関関係はみられない。

実はエルニーニョ現象は温暖化とは相関がない。

ローマ人による地中海的な生活様式がヨーロッパ全土に広がったのは、紀元前二世紀から紀元四世紀にかけてである。この五〇〇年から六〇〇年間の温暖期に、今日に至る西欧社会の枠組みが形作られたといっても過言ではない。ローマは、気候の温暖化という恩恵を受けてパックス・ロマーナと称される大帝国を築き上げ、やがて寒冷期の到来とともに混乱していった。

ローマの勃興に温暖化という恩恵があり、寒冷化と共に混乱していった。

日本の政権が交代する推移をみると、中世温暖期には鎌倉幕府が築かれ、一方で気候が寒冷化する十四世紀以降には北関東を拠点としていた足利氏が幕府を京都へと移す。そして十六世紀後半から十七世紀前半の寒さが小休止した時代に江戸幕府が開かれ、再び厳寒期となる十八世紀後半以降に東日本の経済力が低下し、西日本の薩摩や長州による倒幕が果たされる。

日本も同様に気候変動と共に大きな政権交代が行われている。

新たな歴史解釈を提示する「危機と人類」

銃・病原菌・鉄』などで知られるジャレド・ダイアモンドの新作。様々な国がどのように危機を乗り越えていったのかを7つのケースをとりあげていて、非常に興味深く、おもしろかったです。

ただしそのおもしろさは物語(ストーリー)としてのおもしろさであることは否定はできません。例えば、日本も明治維新以降現代まで、取り上げられているのですが、確かに「危機」という観点から日本が追い込まれ、成し遂げてきたことを見るのは非常におもしろいのですが、一方で捕鯨や戦争責任においては重要な論点が欠けているなと思った部分もありました。また日本ではないですが、中国という大国の台頭、テクノロジー的観点についてももう少し解釈があるかなと。

とはいえ複雑な情勢の中で大国への対応は理想論では語れない点、国家が国家たりうるナショナリズムの重要性、地理的な条件や権力者の権力への固執など、すごく興味深く、新たな解釈を提示したという意味で非常に意味があると思います。

ますます不安定になっていく世界について、どう考えるべきかについて非常に参考になる一冊だと思います。

「中国全史」を描こうとする意欲作

中国の歴史のすべてを描こうとした意欲作。各時代の歴史については歴史小説も含めて読む機会もありましたが、全体を通して、かつ世界での立ち位置や世界との関係性を明らかにしながら書かれたものはなかったので大変勉強になりました。

世界と中国が思ったより影響し合っていたことが分かったし、農業や貿易の発展はともかくとして、温暖化や寒冷化みたいな気候変動も大きく影響しているのもすごく興味深かったです。また、中国というのが一つの国というよりは多種多様な民族による多民族国家であるということもよく分かりました。

いろんな意味で知らない「中国」がたくさん描かれていて、すごくエキサイティングかつ勉強になりました。読みやすいですし、オススメの一冊です。

自らを見つめ直す機会になる「残酷すぎる成功法則」

成功した人々がなぜ成功したのかをエビデンスベースで様々に検証しているのですが、結果として「残酷すぎる」真実が明らかになってしまうという恐ろしい本です。

カリフォルニア大心理学教授のディーン・キース・サイモントンによれば、「創造性に富んだ天才が性格検査を受けると、精神病質(サイコパシー)の数値が中間域を示す。つまり、創造的天才たちは通常の人よりサイコパス的な傾向を示すが、その度合いは精神障害者よりは軽度である。彼らは適度な変人度を持つようだ」という。

要するに、適度な変人度が必要なわけですが、

私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。卓越した人になるには、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度に従っていてはいけない。世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知らないからだ。むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を意味する。

普通のひとは世間並みを目指しているから、その天才性が発揮できない、と。アインシュタインは、妻を解雇できない雇い人として扱い、モーツァルトは出産時に別室で作曲をしていたという事例も紹介されています。

ただやみくもに、例の一万時間の計画的な訓練に励んでも、明るい未来につながらない恐れがある。ハーバード教育学大学院教授のハワード・ガードナーは、ピカソ、フロイトといった、創造的な功績で名高い人びとについて調べた。  研究の結果わかったことは、創造的天才たちはその類まれな才能の維持に万全を期するために、何らかのファウスト的な契約に組み込まれていたことだ。一般的に、並はずれて創造的な人びとは、自分の使命の追求に没頭するあまり、ほかのすべて、とりわけ、個人としての円熟した人生の可能性を犠牲にしていた。

つまり、「個人としての円熟した人生の可能性を犠牲にして」いると。

僕も自分の凡人性にがっかりすることが多くて、それは「世間並み」を意識しすぎているからなんだろうなと思っています。それをなんとか変えようと努力をしていたこともあるのですが、本書にもありましたが、ひとの性質というのはなかなか変えられるものではないのので、最近はあまり意識せずに、自分の納得の行くようなスタイルを探すようにしています(「何言ってるの? 相当変わってるよ」という声は甘んじて受けます…)。

また、本書では最近よく言われるグリットについては、ときには、見切りをつけることこそ最善の選択であることも示しています。

見切りをつけることは、グリットの反対を意味するとはかぎらない。「戦略的放棄」というものもある。あなたがひとたび夢中になれることを見つけたら、二番目のものを諦めることは、利益をもたらす。一番のものにまわせる時間が増えるからだ。もっと時間があったら、もっとお金があったらと願うなら、これが解決法だ。とくにあなたが多忙な場合には、唯一の打開策だ。

僕自身は昔から自らの基礎的な身体・頭脳能力の低さから、「戦略的放棄」を意図的に行ってきました。20代は多動なところもあったのですが、それはこの「戦略的放棄」を早く行うためのひとつの手段だったような気がします。最近は、エンジェル投資など結構好きでそこそこ得意と思わるものも止めているし、今は英語学習のために遅くまで飲むこともしてません。

あのピーター・ドラッカーからもらった返事にいたっては、次のようなものだった。 「おこがましく、無作法と受け取られないことを願いたいが、ここで生産性を向上させる秘訣の一つを申しあげたい……それは、こうした招待状すべてを捨てる大きなゴミ箱を持つことです」  チクセントミハイはこのような返事がくることを予期すべきだったかもしれない。ドラッカーに調査への参加が依頼された理由は、同氏が効率的にものごとをこなすという面での世界的権威だったからだ。

苦手なのが断ることなのですが、ドラッガーもこう言っているし、バフェットも「成功した人と大成功した人の違いは何かと言えば、大成功した人は、ほとんどすべてのことに『ノー』と言うことだ」と言ったそうですから、私もメルカリのミッションの実現のために心を鬼にしようと思います。

他にもハッとするような事実がたくさん紹介されていて非常におもしろいだけでなく、自分を見つめ直すよい機会になるのではと思います。

より世界を知る「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」

世の中、特に先進国のひとびとは、自分はよくこの世界を知っていると思っているが、実は知らない、ということを事実(ファクト)の積み重ねで説明しています。著者ハンス・ロスリングはスウェーデンの医師、公衆衛生学者で豊富な経験があるだけでなく、TEDトークなどでも有名で本書もすごく分かりやすく読みやすい作品になっています。

確かに世界が誤解されているというのはすごくあると思います。僕も様々な書籍やネットの情報や世界一周などする過程で徐々に分かってきた部分が大きかったなと思っていて、それは今のビジネスにも繋がっています。本書を読みながら改めて思い返す部分多かったので、書評というよりはメルカリへの繋がりを抜粋コメントしていきたいと思います。

ナイジェリアと中国のレベル2家庭では調理方法がほとんど同じだったことを思い出してほしい。あの中国の写真だけを見た人は、「なるほど、中国ではこうやってお湯を沸かすんだな。鉄瓶を火にくべるのか。それが中国の文化なんだ」と思うだろう。だが違う。世界中のレベル2の人たちはみんな、同じような方法で湯を沸かしている。つまり、所得の問題なのだ。それに、中国でもそれ以外の国でも、違うやり方で湯を沸かす人たちがいる。それは文化の違いではなく所得の違いによるものだ。  人の行動の理由を、国や文化や宗教のせいにする人がいたら、疑ってかかったほうがいい。同じ集団の中に違う行動の例はあるだろうか? あるいは違う集団でも同じ行動があるだろうか? 考えてみよう。

僕も世界一周で感じたことのひとつが世の中一物一価なんだなということです。例えば、ホテル。新興国であろうがよいホテルは数万するし、お湯が出れば1,000円を下回ることはない。モノも歯ブラシは安いが質は悪く、日本と同じクオリティの高い歯ブラシは売っていない。恐らく高い歯ブラシがあれば同じ値段になります。同じようなものは同じ価格になっている。そしてどんな価格帯のものが多く求められるかはその社会の所得水準による、というのは大きな気付きでした。

時を重ねるごとに少しずつ、世界は良くなっている。何もかもが毎年改善するわけではないし、課題は山積みだ。だが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。これが、「事実に基づく世界の見方」だ。

また、世界はどんどん良くなっているということも一つの大きなうれしい気付きでした。この本にあるように貧しい国は貧しいままだと僕も思っていましたが、全然そんなことはなく、みんな豊かになろうとがんばっていて、実際所得や生活水準もあがってきていました。

 「地球温暖化を引き起こしているのはインドや中国やそのほかの所得レベルの上がっている国だ。その国の人たちはがまんして貧しい暮らしを続けるべきだ」という考え方は、西洋では驚くほどあたりまえになっている。バンクーバーの大学でグローバルトレンドについて講演したとき、弁の立つ学生が声に絶望をにじませてこう言った。「あの人たちがあのまま生活してたら、地球が持ちません。あの人たちに発展を続けさせてたらダメなんです。あの人たちの国の排気ガスで地球が死んでしまいます」。まるで、西洋人がリモコンひとつでほかの国の数十億人の生活を操作できるかのように話しているのを聞いて、わたしはいつもあきれてしまう。周りを見回したが、ほかの学生たちはあたりまえのように聞いていた。みんなあの学生に賛成していたのだ。  人間によって大気に蓄積されてきた二酸化炭素の大部分は、現在レベル4にいる国々がこの 50 年間に放出してきたものだ。カナダのひとりあたり二酸化炭素排出量は、いまでも中国の2倍にのぼるし、インドと比べると8倍にものぼる。世界を金持ち順に並べて、いちばん上の 10 億人が毎年どれほどの化石燃料を燃やしているかをご存じだろうか? 全体の半分以上だ。次に金持ちな 10 億人が残りの半分を燃やし、その次の 10 億人が残りの半分を燃やし……と続いていく。いちばん貧しい 10 億人は、全体のたった1%しか使っていない。

そして、問題意識のひとつがこういった新興国が豊かになるために、リソースやエネルギーの観点から、先進国がこのままの生活をすることはできないということでした。

帰国した2012年末スマートフォンの急激な普及をみてこれは全世界のひとがスマートフォンを持つ時代が来ると確信できたし、スマホ向けのC2Cサービスがいくつか始まっていたのをみて、こういったC2Cサービスがもっと求められるようになるし、それはむしろ全世界でこそ必要とされるだろうと思いました。そうしてメルカリを創りはじめたのでした。

現実的に考えてみようじゃないか。いまも洗濯物を手で洗っている世界中の 50 億人は、何を望んでいるのだろう? 彼らがどんなことをしてでも手に入れたいと思っているものは何だろう? 彼らが「経済成長を控えます」なんて自分から言い出すのを期待するのは、ばかばかしいほど非現実的だとわかるはずだ。洗濯機、照明、まともな下水道設備、食べ物を保存できる冷蔵庫、目の悪い人にはメガネ、糖尿病ならインシュリン、家族との旅行のための交通手段を、わたしたちと同じように彼らが欲しがるのはあたりまえだ。  そうしたものをすべて手放して、ジーンズやシーツを手洗いする覚悟が、あなたにはあるのだろうか? あなたにそれができないのなら、どうして彼らに不便でもがまんしろなんて言えるのだろう? 犯人を捜し出して責任を押し付けても仕方がない。とてつもなく深刻な地球温暖化のリスクから地球を守りたい? だったら必要なのは、現実的な計画だ。110億人全員が望んだ生活を送れるような新しいテクノロジーを開発することに、力を注ぐべきなのだ。みんながわたしたちと同じレベル4の生活を送り、全員がいまより快適に暮らせるようなスマートな解決策を見出さなければならない。

特に先進国のひとびとはもっとリソースを大切に使っていく必要があって、新興国はひとっ飛びにそういった世の中になっていくと思います。

メルカリはまだUSすら成功できたと言えない状況ですが、海外にこだわっているのもその先の他の先進国だけでなく、新興国こそこういったC2Cサービスが必要とされていて、そのための第一歩だと考えているからです。

僕自身も世の中をより知ることが、ビジネスの着眼点になったし、よりよい世界を作ることの第一歩になると思うので、本書で本当の世界を知ることにはすごく意味があるはずです。そして、それだけでなく実際に行ってみるのもよいのではと思ってます。

チンパンジークイズ、ぜひトライしてみてください。

2019年謹賀新年+本ベスト5

■2018年の振り返りと今年のテーマ

2018年は、メルカリのIPOという大きなマイルストーンもあったのですが、個人的には、1,000人を超えた組織をどう経営していくのか、ますます社会性が求められるC2C事業をどう展開していくか、が大きなチャレンジで、未知の体験にすごく苦しんだ一年でした。

2018年のテーマは「現実を知る」だったのですが、自分(たち)が現実の一部になってしまっていて、自分(たち)を知らないと現実も知れないし、現実を知ると同時に自分(たち)や現実が変質する、というシュレディンガーの猫のような状況になってきている気がします。

こういった状況下では、自分(たち)だけが理想を追求するわけにはいかず、様々な社会的な問題を(少しだけ)解決したり、折り合いをつけたりしながら、それでも自分たちが信じるよりよい世界の実現を目指していく苦しい仕事になっていきます。

しかし、それこそが「現実を知る」ということだし、昨年も書いた「こういった紆余曲折こそ生きている実感が大きかった」のをさらに強く感じた一年でした。

そういった中で、2019年は2年前にも掲げた「寛容(クレメンティア)」を再度テーマにします。まずは自らが何事にも寛容になることが、少しでも世の中をよくすることの第一歩になると信じてます。

■2018年の本ベスト5

5位 最近5年間のこと「メルカリ 希代のスタートアップ、野心と焦りと挑戦の5年間」

手前味噌感はありますが、いわゆるメルカリ本を入れさせてください。ここ5年間丹精込めてやってきたことをこうしてまとめていただけるのは大変ありがたいことです。どうやら売れ行きはよいようで胸をなでおろしています。

4位 複雑な人物「江副浩正」

取締役会は江副の独壇場になった。江副の成功体験に引きずられ、誰も反対意見を言い出せないまま、取締役会は江副の思い通りに動いていった。そしてリクルートは「誰もしていないことをする主義」からはほど遠い、デジタル回線、コンピュータレンタルの下請け事業、そして不動産業へと急激に傾斜していく。  次々と新規事業を開設していった「江副一号」。それとは対照的に、「江副二号」は何一つ新しい事業を開発し、軌道に乗せられずに、リクルート王国の国王として君臨した。

リクルート創業者がどのようにリクルートを成功させていったのか、やがてその歯車が狂い始める。リクルート事件はそのきっかけにすぎなかった。しかし、その後リクルートが数兆円企業にまで成長していることを考えると、江副氏の目論見はほとんど成功したとも言えるのかもしれない。

3位 幅広い知識で迫る「貨幣の「新」世界史」

人類学者のデイヴィッド・グレーバーは、ピタゴラス、ブッダ、孔子など影響力の大きな宗教指導者が、紀元前六世紀に硬貨が発明された地域──ギリシア、インド、中国──に暮らしていた事実を指摘する(15)。そして、お金も永続的な宗教も、どちらも紀元前八〇〇年から紀元六〇〇年にかけて誕生したのは、決して偶然ではないという。市場の重要性が高まるにつれ、組織的な宗教が広がったのではないかと考えている。たとえば、イエス・キリストの初期の弟子たちの多くは貧しかったので、物質的な富に関して逆説的かつ解放的な見識を素直に受け入れたのかもしれない。

昨年は仮想通貨バブルが弾けた年でもありましたが、歴史的にみれば仮想通貨によりお金の意味が変質しつつあるのは避けられないと思います。

2位 ローマへと続く「ギリシア人の物語」

 「決定的な何か」とは、言い換えれば洞察力である。これを辞書は、見通す力であり見抜く力、と説明している。イタリアでは、この種の能力に欠ける人を、自分の鼻の先までしか見る力がない人、という。だから、洞察力のある人とは、その先まで見る力がある人、のことである。  だが、洞察力とは、自分の頭で考える力がなくてはホンモノにはならない。  私には、アレクサンドロスは配下の将たちに、考える時間を与えなかったのではないか、とさえ思えるのである。

ギリシアの勃興から、アレキサンダー大王までを描いた塩野七生の歴史書。連戦連勝でペルシアを滅ぼし、インドまで東征する凄まじさ。わずか32歳で死去したためその後の混乱も印象的でしたが、歴史を作るというのはこういうことかとも思いました。

1位 ホモ・サピエンスの行く末「ホモ・デウス」

やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか? 人は何かする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。彼らは一日中、何をすればいいのか? 薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかもしれない。必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティの世界でしだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない。その世界は外の単調な現実の世界よりもよほど刺激的で、そこでははるかに強い感情を持って物事にかかわれるだろう。とはいえ、そのような展開は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に致命的な一撃を見舞うことになる。夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖だというのか?

ひとは神になろうとしていることを明らかにしようとする超意欲作。僕の周りでは2018年一番議論になったし、そういった時代にどういう戦略で生きていくのかを考えさせられました。

P.S.2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年のベスト本はこちらからどうぞ。

シリコンバレーの日常「サルたちの狂宴」

著者は、ゴールドマン・サックスからスタートアップに転職し、その後スタートアップ(Y Combinator参加)をTwitterに売却し、Facebookで広告プロダクトを作っていた方なのですが、とにかくプライベートから仕事のことまでぶっちゃけすぎてて非常におもしろかったです。

シリコンバレーのイケてないスタートアップの内情から、起業の仲間集め・プロダクト開発・投資(エンジェルからVC)・売却(アクハイア)、Facebookの社内政治・文化(恋愛含む)・IPO・広告プロダクト、そして成功と失敗についての講釈の誤りなどなど、身も蓋もない話がすごいスピード感で描かれています。

著者はまったく鼻持ちならない人間なのですが、最後まで読み終えるとなんとなく愛着が出てくるし、言ってることは身も蓋もないだけで本質をついているところも多く、実際のところすごく人間らしいだけなのかもしれないとも思えてきます。

少なくともこれだけのリアルをぶっちゃけてくれるのは本当に世の中にとって意味があることであるのは間違いないです。スタートアップに関わる人は必読です。

最後に引用されていて大変共感した言葉を紹介しておきます。

スピードが肝心 すべてコントロールできているように思えるときは、出すべきスピードを出していないだけだ。 ――マリオ・アンドレッティ、F1ドライバー

最近5年間のこと「メルカリ 希代のスタートアップ、野心と焦りと挑戦の5年間」

日経奥平さんにメルカリのことを書いていただきました。私も何度かインタビューしてもらいましたし、関係者への膨大かつ綿密な取材を元に描かれています。

読んでいると、その時々のギリギリな感覚、その中で辛かったり、悔しかったり、うれしかったり(こっちは稀)を克明に思い出しました。それもわずか5年強くらいの出来事なのがまったく信じられない思いです。

個人的には、私の物語というわけではなく、関わってくれている方々の群像劇になっているのがすごくうれしかったです。私も知らないことがたくさんありましたし(忘れていることも、、、)、そうやってみんなでメルカリを創ってきたのだなと、改めて関わってくれている方々への感謝しかありません。

赤裸々に描かれていておもしろいかと思いますので、ぜひどうぞ。

ホモ・サピエンスの行く末「ホモ・デウス」

イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの新作。前作「サピエンス全史」は人類の歴史のすべてを描こうとした意欲作でしたが、「ホモ・デウス」は、サピエンス(人類)がデウス(神)になるときなにが起こるのかという、今後の人類の行く末を描こうとしており、哲学とテクノロジーが合体したようなさらなる意欲作となっています。

前半は「サピエンス全史」とかぶる部分もあるのですが、後半はテクノロジーの進歩によって、ひとの判断をアルゴリズム(AIのような)に委ねるようになり、また圧倒的な豊かさによりもはや何もしなくてよい世の中になった時、何が起こるか、というような壮大なテーマに挑んでいます。

実際は荒削りな部分も多く、また自分としても消化できてない部分が多いのですが、最近ひとと話していると本書の話になることが多く、様々な議論を呼ぶ非常に興味深い作品であることは間違いないです。

以下抜粋コメントでいきます

やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか? 人は何かする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。彼らは一日中、何をすればいいのか? 薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかもしれない。必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティの世界でしだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない。その世界は外の単調な現実の世界よりもよほど刺激的で、そこでははるかに強い感情を持って物事にかかわれるだろう。とはいえ、そのような展開は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に致命的な一撃を見舞うことになる。夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖だというのか?

人類は薬物とコンピューターゲームに明け暮れると。しかし本当にありえそう。現実はクソゲーでがんばっても成功するとは限らないが、ゲームはそうではない。しかし個人的には現実の方がゼロサムでなく再現性がないからこそのおもしろさがあるのではと思う。

当然ながら、グーグルはいつも正しい判断を下すとはかぎらない。なにしろ、万事はただの確率だからだ。だが、もしグーグルが正しい判断を十分積み重ねていけば、人々はしだいにグーグルに権限を与えるようになるだろう。時がたつにつれ、データベースが充実し、統計が精度を増し、アルゴリズムが向上し、決定がなおさら的確になる。グーグルのシステムはけっして私を完璧に知ることはないし、絶対確実にはならない。だが、そうなる必要はない。自由主義は、システムが私自身よりも私のことをよく知るようになった日に崩壊する。たいていの人は自分のことをあまりよく知らないのだから、本人よりもシステムのほうがその人のことをよく知るのは、見かけほど難しくはない。

たいていの人は自分のことをあまりよく知らないってのはほんとそうで、確かに自分よりもグーグルやフェイスブックが自分のことを知りつつあるというのは納得感がある。ティッピング・ポイントに到達した時に何が起こるかは非常に興味深い。

ヨーロッパの帝国主義の全盛期には、征服者や商人は、色のついたガラス玉と引き換えに、島や国をまるごと手に入れた。二一世紀には、おそらく個人データこそが、人間が依然として提供できる最も貴重な資源であり、私たちはそれを電子メールのサービスや面白おかしいネコの動画と引き換えに、巨大なテクノロジー企業に差し出しているのだ。

これからは、データの時代に突入する

自由主義に対する第三の脅威は、一部の人は絶対不可欠でしかも解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の、少数の特権エリート階級となることだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するシステムのために不可欠な仕事を行なうが、システムは彼らを理解することも管理することもできない。ところが、ほとんどの人はアップグレードされず、その結果、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。

そうなりつつある世界で、超人=価値を生み出せる人間というのはどういうひとたちだろうか?

したがって、より大胆なテクノ宗教は、人間至上主義の 臍の緒 をすぱっと切断しようとする。そういうテクノ宗教は、何であれ人間のような存在の欲望や経験を中心に回ったりはしない世界を予見している。あらゆる意味と権威の源泉として、欲望と経験に何が取って代わりうるのか? 二〇一六年の時点では、歴史の待合室でこの任務の採用面接を待っている候補が一つある。その候補とは、情報だ。最も興味深い新興宗教はデータ至上主義で、この宗教は神も人間も崇めることはなく、データを崇拝する。

しかし欲望がなくなるということはないのでは。それこそ神の手みたいな話で実際は人間は合理的な判断をしていないし、したくもない、のではないだろうか?

一九世紀と二〇世紀には、産業革命がゆっくりと進展したので、政治家と有権者はつねに一歩先行し、テクノロジーのたどる道筋を統制し、操作することができた。ところが、政治の動きが蒸気機関の時代からあまり変わっていないのに対して、テクノロジーはギアをファーストからトップに切り替えた。今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。

民主主義がうまく機能していないのではという疑念はテクノロジーの進化が早いからだと。

私たちは、情報の自由と、昔ながらの自由主義の理想である表現の自由を混同してはならない。表現の自由は人間に与えられ、人間が好きなことを考えて言葉にする権利を保護した。これには、口を閉ざして自分の考えを人に言わない権利も含まれていた。それに対して、情報の自由は人間に与えられるのではない。 情報 に与えられるのだ。しかもこの新しい価値は、人間に与えられている従来の表現の自由を侵害するかもしれない。人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、情報が自由に拡がる権利を優先するからだ。

情報の権利の話。「人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、情報が自由に拡がる権利を優先」こんな世の中が来るのかもしれない。今のところGDPRなどみてると逆だが。

ところが二一世紀の今、もはや感情は世界で最高のアルゴリズムではない。私たちはかつてない演算能力と巨大なデータベースを利用する優れたアルゴリズムを開発している。グーグルとフェイスブックのアルゴリズムは、あなたがどのように感じているかを正確に知っているだけでなく、あなたに関して、あなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。したがって、あなたは自分の感情に耳を傾けるのをやめて、代わりにこうした外部のアルゴリズムに耳を傾け始めるべきだ。一人ひとりが誰に投票するかだけでなく、ある人が民主党の候補者に投票し、別の人が共和党の候補者に投票するときに、その根底にある神経学的な理由もアルゴリズムが知っているのなら、民主的な選挙をすることにどんな意味があるのだろうか? 人間至上主義が「汝の感情に耳を傾けよ!」と命じたのに対して、データ至上主義は今や「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令する。  あなたが、誰と結婚するべきかや、どんなキャリアを積むべきかや、戦争を始める

合理的な選択をするだけなら本当にこれでいいと思うのだが、そもそも欲望自体はどうするのか。しかしその欲望自体もAIの方が分かるのかもしれない。ただ最後の最後まで結局AIには限界がある気はしている。ひとの気分はいつでも代わりうるし、まったくそれは合理的ではないから

1 科学は一つの包括的な教義に 収斂 しつつある。それは、生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。  
2 知能は意識から分離しつつある。  
3 意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。  

この三つの動きは、次の三つの重要な問いを提起する。本書を読み終わった後もずっと、それがみなさんの頭に残り続けることを願っている。

1 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?  
2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?  
3 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

意識の方が価値があるというよりは、結局のところ人間は意識でしか無いということなのかなと。なので意識のことをAIが分かるようになったと言っても、結局最後の最後では意識が合理的な判断をしないで欲望に流されることになる。しかしそれすらもアルゴリズムは予想するのかもしれない。ただ複雑性的な考え方では予測できないのではないだろうか。と考えたら、アルゴリズムではないと言える気がする。今僕がこの文章を書いているということは僕の意識がしっかりと認識している。AIにはその目的すら分からない。何を目指しているのか分からないというか欲望のないAIというのはどこに向かうのだろうか。生存本能だけ? しかしAIは永遠に生存している。人間は死ぬ。だからこそ欲望があるのかもしれない。限らえた時間の中で自分なりのやりたいことをやりつくそうとして死んでいく。だからこそ人生に価値がある。AIはずっと存在する。終わりがないということは欲望も持たない。子孫を残したいとも思わないように。この辺りはおもしろいテーマだなと。

エイベックス松浦氏の頭を覗く「破壊者」

エイベックス株式会社代表取締役会長CEO松浦勝人氏の「GOETHE[ゲーテ]」の連載をまとめたエッセー集。2009年からはじまって2018年5月まで、時々のトレンドへの言及もあり、すごくおもしろい。例えば、アーティストのCD中心のビジネスからマネジメント・ビジネスへの移行、EDM、定額制音楽配信などはかなり昔から言及して手を打ってきているのが見て取れます。

また、会社への想いや、仕事のやり方、お金について、若さについてなどなど、松浦氏の(その時々の)思考がぶっちゃけられていて、頭の中を覗き込んでいるような不思議な感覚になります。個人的には、共感する部分も多く、大変勉強にもなりました。

起業家なら分野は違っても読んでおくべき一冊かと思います。

「エンジェル投資家」の実情を知る

シリコンバレーで成功したエンジェル投資家として有名なジェイソン・カラカニス氏が、エンジェル投資とは何なのか、どうやってやるのか、その周辺のエコシステム(主にシリコンバレーの)についてなどを書いてるのですが、あまり表に出てきてない情報が多く非常に貴重な一冊になってます。

私もエンジェル投資は30件くらいやってきているのですが(ここ数年はやっていません)、本書に書いてあることはかなり実情に近いことがあるのは間違いがないです。押さえなければいけないポイントも網羅されていると思いますし、エンジェル投資をやってみたいという方には必読かと思います。

一方で、起業に絶対に成功する方法などないように、投資も同様です。本書は筆者のスタイルが強い部分もあるので、すべてを参考にしたり真似したりする必要はまったくなく、むしろこれを参考に自分なりのスタイルを確立できたひとこそ、エンジェル投資で成功できるのだと思います。

また、本書はエンジェル投資についてですが、上場株や不動産など他の投資をする方にも(投資という意味では同一の)こういう世界があるんだなということを知るためにもすごく役に立つかなと思います。

日本インターネット・メディアの歴史「ソーシャルメディア四半世紀」

東京経済大学教授の佐々木裕一氏が日本の各インターネット・メディアやその周辺ビジネスがどのように誕生し、成長し、そして衰退していったのかを追っています。もはや個人的には日本インターネット・メディアの歴史書といっても良いのではないかと思われる大作です。

豊富なインタビューを元にしており、ある時点でどういう意図でどういった判断がありどういう結果が出たのかなど詳細に書かれています。私も継続的にインタビューしていただいてまして、映画生活、フォト蔵、まちつく!、メルカリも取り上げていただいているのですが、他サービスがどういう状態だったのかは知らないことも多く、ものすごい興味深かったし、勉強になりました。

2000年、2005年、2010年、2015年、そして現在といったように時代背景も丁寧に書かれていて、その時代をまさにプレイヤーとしてもがき続けてきた一員として、懐かしさと同時に苦しい思いも蘇えりました。

これからどんなインターネット・ビジネスをする上でもこの歴史を知っているのと、知らないのでは大きな差が出ると思います。そういった意味で、この業界のひとは必読かと。

※本書はインタビュー協力したため献本いただいてますが、Kindleで購入し読んでいます

ローマへと続く「ギリシア人の物語」

「ローマ人の物語」の塩野七生氏がギリシア勃興の歴史を全三巻で描いています。一巻づつレビューしていきます

■ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

なぜなら、古代のアテネの「デモクラシー」は、「国政の行方を市民(デモス)の手にゆだねた」のではなく、「国政の行方はエリートたちが考えて提案し、市民(デモス)にはその賛否をゆだねた」からである。  クレイステネスは、自らが属す特権階級をぶっ壊したのではない。それどころか、温存を謀ったのだ。ただしそれは、当時のアテネ社会の中での力の移行を考慮したうえでのことであり、ゆえに特権階級のマイナスの部分はきっぱりと切り捨てて、ではあったのだが。  アテネの民主政は、高邁なイデオロギーから生れたのではない。必要性から生れた、冷徹な選択の結果である。このように考える人が率いていた時代のアテネで、民主主義は力を持ち、機能したのだった。

アテネにおける民主主義の誕生と、対抗軸としてのスパルタの成り立ち。そして、ペルシアとの攻防。特に、マラトンの戦い、サラミスの海戦でのギリシア側勝利をダイナミックに描いています。こういった歴史をみると、本当にひとりの人の判断が歴史を変えることがあり得るということを改めて感じさせられます。一方で、繰り返し出てくる大衆の愚かしさも。。

■ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

ペルシアとの戦いに勝利したギリシアが繁栄を謳歌するところから始まります。アテネではペリクレスという天才政治家が現れ「デロス同盟」や民主政を確固たるものとしていきます。一方で、スパルタとの長期にわたるペロポネソス戦争に突入していきます。紆余曲折あった後、アテネの敗北に終わるわけですが、この辺りの戦局(場所も)の移り変わりがすごく興味深い。何が重要かということすら、刻一刻とダイナミックに変化する好例かと思いました。また一度の敗退が決定的にすべてを変えてしまう残酷さも。

■ギリシア人の物語III 新しき力

アテネ敗北後の世界のカオスぶりが、ソクラテスの自死事件なども含めて、描かれています。しかし、その後、マケドニアにフィリッポス、次いでその息子であるアレクサンドロス(いわゆるアレキサンダー大王)が登場し、一転ギリシア文明が、ペルシアを征服する側にまわります。

常に劣勢かつ相手の選んだ戦場で戦いながら連戦連勝なのはまさに天才。ローマの英雄ユリウス・カエサルは40を過ぎてから頭角を表しますが、アレクサンドロスは20歳で即位してから無敗でペルシア帝国を滅すまでする。

また戦争だけでなく、占領した地域の統治も滞りなく行っている。でなければ広大なペルシアを滅ぼしながら、インドまで行けるはずがありません。

アリストテレスが家庭教師だったり、フィリッポスの帝王学を一心に受けて育ったとは言え、どうやったら経験がほとんどない中でほぼノーミスで直実な打ち手をしながら、東征をやりとげることができたのか、本当に不思議です。

著者もなぜ後継者を指名しなかったのかというところで、

 「決定的な何か」とは、言い換えれば洞察力である。これを辞書は、見通す力であり見抜く力、と説明している。イタリアでは、この種の能力に欠ける人を、自分の鼻の先までしか見る力がない人、という。だから、洞察力のある人とは、その先まで見る力がある人、のことである。  だが、洞察力とは、自分の頭で考える力がなくてはホンモノにはならない。  私には、アレクサンドロスは配下の将たちに、考える時間を与えなかったのではないか、とさえ思えるのである。

と述べています。天才すぎたが故に部下が育たなかったというのが唯一の難点だったのかもしれません。ただ彼が生きた時代は、紀元前330年前後のほとんどギリシアとペルシアくらいしか文明がなかった(東洋除く)時点でまとめられる力量を持った人材がいなかったとして責められるのかというと疑問は残ります。

その後帝国は数十年かけて瓦解しましたが、それでもヘレニズム文化は残り、その後のローマ帝国などに繋がっていきました。まさに歴史を変えるとはこういうことなんだろうなと。