今後の参考になる「お金の流れでわかる世界の歴史」

「徴税がうまくいっている間は富み栄えるが、やがて役人たちが腐敗していくと国家財政が傾く」とまで言い切る元国税調査官が世界の歴史をお金の流れ、特に税金から解説している。かなり幅広いトピックを取り上げながらも、軽いわけではなく本質的な部分をうまく解説しており、勉強になりました。

またひとというのは常にお金に振り回されてきたのだなぁと思ったのと、今の半分くらいという税率はやはり異常だなと。シンガポールなんかが極めて低い税率でもやれていけてるわけなので、大国家ができない理由もなさそう。そのうち落ち着いていくのでしょうね、何十年かかかるか分かりませんが。

<抜粋>
・本書では、世界史上の様々な国が富み栄え、やがて衰えていく様子を経済面から見ていくのだが、国の栄枯盛衰には一定のパターンがある。徴税がうまくいっている間は富み栄えるが、やがて役人たちが腐敗していくと国家財政が傾く。それを立て直すために重税を課し、領民の不満が渦巻くようになる。
・ローマは、征服した土地を一旦、ローマの領土に組み込み、被征服地住民たちに貸し出すという形で、税が課せられた。ローマには各地から税として、貴金属や収穫物などが集まり、それだけで国を維持できるようになったのである。  中でも、スペインから送られてくる金、銀は、ローマの国庫を潤した。紀元前206年から紀元前197年までの10年間だけで、金約1・8トン、銀約60トンがスペインからローマに献納されたのだ。このスペインの金銀のおかげで、ローマは貨幣制度を整えることができた。
重い鉄銭は持ち歩くのが大変であり、高額取引には不便でもあった。  そのうち鉄銭を預かる「交子舗」という金融業者が現れた。 「交子舗」というのは、鉄銭を客から預かり、預かり証を発行するのである。客はその預かり証を「交子舗」に持っていけば、いつでも鉄銭を受け取ることができる。
・イスラム帝国は、占領地から撤退するときには、税の還付まで行っている。  636年、イスラム帝国はパレスチナをほぼ占領し、ユダヤ教徒、キリスト教徒から人頭税を徴収していた。が、ローマ帝国がこの地を奪還するために大軍を派遣し、イスラム帝国軍は撤退を余儀なくされた。その際、イスラム帝国軍は、パレスチナの領民に対し、「わが軍は、諸君の安全に責任を持てなくなったので、保護の代償である人頭税を還付する」として、すでに納められた人頭税の全額が還付されたのである。  当然、この地のユダヤ教徒、キリスト教徒は感激し、攻め込んでくる旧主君のローマ軍に敵意を抱いた。  イスラム帝国が急激に勢力を伸ばした背景には、こういう温かい税務行政があるのだ。
・西欧諸国が危険を顧みず、大航海に乗り出したのは、地中海をオスマン・トルコに支配されているため、オスマン・トルコを避けて、アジアと交易できるルートを開拓しようとしたのが、そもそもの始まりなのである。
・アメリカに渡ったスペイン人たちは、「キリスト教布教」を隠れ蓑にして、収奪と殺戮を繰り返した。ポトシ銀山の開発でも、多くのインディオたちが奴隷労働を強いられたのである。  その結果、1492年からの200年間で、インディオの人口の90%が死滅したという。
・マグナカルタというのは、1215年、時のイギリス国王ジョン王が、国民に対して、「国王が勝手に税金を決めてはならない」「国民は法によらずして罰せられたり、財産を侵されたりしてはならない」というような約束をしたものである。  ジョン王というのは、戦争好きな王で、フランスとたびたび戦争をし、しかも負けてばかりいた。それで、度重なる戦費徴収に業を煮やしたイギリスの市民や貴族たちが、国王に廃位を求めた。ジョン王は、それに対して「もう二度と勝手な税徴収はしません」と国民に約束したというわけである。
・これを機に、ヘンリー8世は、イギリス国教会をローマ教会から離脱させた。そして、1534年、「国王至上法」により自分がイギリス国教会の最高位者であると宣言した。  これにより、ヘンリー8世はイギリスのキリスト教会の財産をすべて手中にすることができた。「十分の一税」も、自分の金庫に納めさせるようにしたのだ。
・16世紀半ば、イギリス海峡には約400隻の海賊船が横行していたという。その海賊船は、イギリス人だけではなく、フランス人のものも多数あった。またスペインも、ユダヤ人の商船などを襲い、積み荷の略奪を頻繁に行っていた。  イギリスの場合、それを国家プロジェクトとして行ったということなのである。
・ナポレオンは軍事的には天才だと言われているが、財政面ではまったくの素人だったのだ。
・蒸気船「シャーロット・ダンダス」は、フォース・クライド運河において「逆風」の中を70トンの荷船2隻を曳いて、19・5マイル運航した。帆船では逆風の中で真っすぐ進行することはできないので、船の歴史における快挙だったといえる。「シャーロット・ダンダス」は3~4カ月の間、故障もせずに荷船の曳船として活躍したという。しかしその後、運河会社や船頭たちの抗議で、運航を中止させられた。いつの世も、新しいものに対する風当たりは強いのだ。
・1692年、イギリスで国債に関する法律が制定された。  厳密な意味での「国債」は、これが最初だとされている。  これまでも、国王が借金をすることは多々あったが、国債という正式な債券を発行したのは、これが世界で初めてだったのだ。  そして、その2年後、イングランド銀行が設立された。  イングランド銀行というのは、イギリスの中央銀行である。イギリスの国債を引き受ける代わりに、通貨発行権を得るという仕組みになっていた。具体的に言えば、政府は8%の利率で国債を発行し、イングランド銀行がそれを引き受ける。イングランド銀行は通貨を発行し、それを民間業者に貸し付けるのだ。
・19世紀のアメリカ大陸には、植民地経営に行き詰まっていた地域がたくさんあった。  アメリカはそれらを片っ端から買い漁ったわけである。  1803年、独立から20年後、アメリカはフランスからルイジアナを購入した。214万平方キロメートル、1500万ドルである。これで、アメリカの面積は約2倍になったのである。  そして1819年には、スペインからフロリダを購入した。
・このようなロスチャイルド家の犠牲について、陰謀論者が言及することはない。もし、このような犠牲を払うことをも想定した巨大な陰謀を彼らが企んでいたというのなら、筆者は抗弁するすべを持たないが。
・ドイツは、ヨーロッパの中では「後れてきた列強」という存在だった。  19世紀後半までドイツは、いくつかの州に分かれていたので、国家的な規模での発展は後れていた。ドイツの中の一つプロイセンが、普仏戦争でフランスを破り、ドイツの中心的地位を確立、1871年にようやく統一されたのだ。  日本の明治維新が1868年なので、ドイツと日本はほぼ同じころに統一国家として国際デビューしていることになる。  そして1888年に即位したヴィルヘルム2世が、帝国主義を積極的に推進し、ドイツはアメリカとともに、世界の工業生産をリードしていくことになる。  1870年の時点で、世界の工業生産のシェアは、イギリス32%に対しドイツ13%だった。しかし1910年にはイギリス15%に対してドイツは16%と逆転している。フランスにいたっては、6%に過ぎない。  ドイツは第一次大戦前から、ヨーロッパ大陸で最大の工業国になっていたのだ。
・イギリスは実は石炭によって栄えていた国である。イギリスは世界有数の石炭産出国であり、17世紀後半には世界の石炭産出量の85%を占めていたこともある。  南ウェールズ産の石炭は、燃えてもあまり煙が出ない「無煙炭」と呼ばれ、軍艦には欠かせない燃料だった。そのため、世界中の国がイギリスから石炭を購入していたのだ。石炭はイギリスに多くの富をもたらすとともに、戦争の際には戦略物資として重要な外交カードにもなった。  しかしその座が石油に取って代わられたために、大英帝国も、国際的地位が低下することになるのだ。
・前述したようにドイツは、第一次大戦の敗戦で、国土の13・5%、人口の10%を失った。植民地もすべて委任統治という名目で連合国諸国に分捕られた。  もちろん、植民地の没収、国土の割譲は、ドイツの国力を大きく削ぐことになった。しかも、多額の賠償金を課せられたのである。  ドイツとしては、賠償金を払わなければならないのなら、植民地と、旧国土を返してほしいという気持ちがずっとあったのだ。
このミュンヘン会議で、ヒトラーが「これ以上の領土は求めない」という確約をし、英仏はズデーテン地方のドイツ割譲を認めた。  このとき、世界中の人々が、「世界大戦が回避された」として歓喜した。英仏の代表や、ヒトラーは「世界に平和をもたらした」として、賞賛されたのだ。イギリス代表のチェンバレン首相などは、帰国したときには凱旋将軍のようにイギリス国民に迎えられた。  このとき、なぜヒトラーが賞賛されたかというと、ドイツの周辺には、まだ回復していない旧領土や、ドイツ系住民が居住する地域が多々あったからだ。「ヒトラーはそれを放棄した」として、世界中から評価されたのである。  そして、ヒトラーがノーベル平和賞候補に挙がったのも、これが主な理由なのだ。
・東アジア全体を日本が支配することになれば、アメリカは大きな市場、資源を失ってしまうことになる。また日本が、東アジア全体を支配することで石油などの重要な資源を獲得すれば、アメリカへの依存度が弱まってしまう。そうなれば、日本はアメリカの言うことをまったく聞かなくなるだろう。
戦争というものは、単にどちらが降伏したかで勝敗を問えるものではない。どちらが多くのものを得たかを分析する必要がある。
そもそも、東南アジア地域が、簡単に日本軍の手に落ちたのは、欧米諸国の植民地政策に対する現地の反発があったからなのだ。  第二次大戦後、東南アジアの各地で、独立戦争の火の手があがる。
・第二次世界大戦というのは、日独英米のいずれの国も、多くのものを失った戦いである。「自由主義対全体主義の戦い」ではなく、「帝国主義経済崩壊への戦い」だったのだ。  が、この戦争で多くのものを得た勢力があった。  それは、ソ連を中心とした共産主義勢力である。
(注:共産主義について)必要だと思った仕事も、事前に、計画と予算を組んでいなければ、実行に移すことはできない。また不必要だと思われる仕事でも、計画が組んであれば、必ず実行しなければならない。現場の創意工夫がまったく反映されないシステムなのである。

「シャープ崩壊」までのドキュメンタリー

シャープ崩壊までを日経が丁寧に追ったドキュメンタリー。

様々なタイミングで正しい決断、つまり提携(資本)、撤退や人事が行われなかったが故にズルズルと悪い状況に陥っていく様が描かれています。結局のところまとめると液晶で大成功したがゆえの自己イメージの増幅による崩壊ということなのかなと。

液晶工場への投資は確かに多かったかもしれないが、それで成功してきた歴史があるのだから個人的には責められない。ただ過剰投資が分かってからも、甘い見込みや先代社長や部門への配慮から提携も進まず最後は屈辱的な条件を飲まざるを得ないところまで行ってしまったのはなんとも擁護しがたい。

本書は一貫して会社側に厳しい視点で、いわば一方的な見方ではあると思いますが、いろいろと学ぶべきものがありました。いずれにしても勝てば官軍負ければ賊軍、経営は結果が全て、ですね。

<抜粋>
・だが、シャープの多くの社員たちは片山に憎悪の視線を投げかける。「会社を傾かせたのに反省がない片山さんだけは許せない」
「片山さんはものすごく頭がよくて、先見性がありました。一切残業はしないので、夕方6時ぐらいに帰ります。ところが翌日になると、自動車向け液晶の駆動回路ですばらしいアイデアとかが出ている。
・シャープにはもともと、取引先よりも社内の都合を優先する傾向があった。「中小企業で規模も大きくなかったから、取引は内需が中心で、長く本格的な外販をしてこなかった。営業が弱く、外との付き合いがうまくなかった」と片山の側近だった社員は話す。社内事情を最優先とする〝内向き志向〟がはびこり、商談中でも「上司から呼び出しがあったので」と席を立つのも半ば常識だったという。
・時計の針をいったん1年前の2010年に戻す。堺工場の稼働率が悪化するとすぐ、片山は液晶事業のてこ入れに向けて新たな一歩を踏み出した。10兆円規模の売上高を持つ、電子機器の受託製造サービス(EMS)の世界最大手、台湾の鴻海精密工業との連携だ。  しかし、この交渉で片山は鴻海の董事長(会長)、郭台銘(テリー・ゴウ)に振り回され続けた。鴻海への警戒を強めた町田は、片山の経営能力に次第に疑問を抱くようになっていった。
・過去に結んだシリコン調達契約をすべて洗い直したところ、調達額の合計は3000億円弱。シリコンの市価は、ピークだった08年のリーマン・ショック前に比べて20分の1以下にまで下落していた。割高な原料調達契約を結んでいたことが、国内トップシェアでありながら太陽電池事業の赤字が続いていた大きな要因だったのだ。  この違約金支払いが表面化するまで「トップは太陽電池事業の赤字の本質をつかみ切れていなかったから、抜本対策も打てなかった」(中堅幹部)といわれる。
・売上高20兆円の世界最大の電機メーカー、サムスン。瀕死のシャープに手を差し伸べるという名目のもと、〝はした金〟に過ぎない100億円でここまで要求を飲ませた。逆にいえば、シャープは100億円欲しさにサムスンに全面的にかしずいたともいえる。
・「危機になったのは自業自得だ」「下請けいじめしていた罰が当たったんだよ」──。高橋が本社に戻ってきて、取引先や部下から聞く声は、同情や激励というより、「上から目線」で多くの取引先を敵に回していた実態だった。  高橋自身、親しい同僚役員に「シャープの評判は最悪や。本当に潰れるかもしれない」と吐露したこともある。「高橋さん、あなただから信用して話しますけど、シャープがこういうことになって『ざまあみろ』と思っている人は多いですよ」。取引先や関係者から直接、何度も耳打ちされた。
・下請け企業に対し執拗に部品の値下げを迫り、横柄な態度で接するシャープの悪評は、地元の関西地域ではよく知られていた。取引先を「おまえ」呼ばわりし、怒鳴り散らすのは当たり前。シャープとだけは二度と取引しないという下請けも少なくない。パナソニックに吸収された三洋電機の経営危機とは違い、地元ではシャープに対する同情論はほとんど広がっていなかった。
・交渉に携わったシャープ関係者はこう指摘する。 「最後は時間切れで交渉が終了した。高橋の意思は最後までよく分からなかったが、それが高橋の戦略かもしれない。少なくとも複写機という収益事業を切り売りしなかったことで、高橋さんへの社内の求心力が高まったことだけは間違いない」
・「(第3代社長の)さんは約束を破ると怒るけど、失敗したことには文句を言わない。だから、さんのころまでは自由だったのです。町田さんは文句を言うやつは許さないから、雰囲気が変わっていった。液晶テレビで成功したために勘違いしたのか、『(会社として)一流意識を持つように』などと言い出しました。これでは以前のように冒険はできません」
・佐伯は全社で100人に過ぎない技術者のうち、浅田ら20人を研究所へ移し、半導体や計算機などの開発に没頭させた。浅田がリーダーとして担当したのが電卓だ。電卓の開発では、大阪大学の工学部の教授に顧問になってもらった。
・「シャープは天理や三重に液晶工場を建てたことで、液晶の生産能力が増えすぎて、自分たちで使わざるを得なくなりました。液晶ビューカムのようなヒットが生まれたのは事実です。しかし冷蔵庫に液晶を付けるなど、あらゆる商品に液晶を搭載するという戦略には明らかに無理がありました。液晶をさばききれなかったから無理やり商品側に押しつける。それでは売れる商品にはなりません」。目のつけどころがシャープさという強さが消えていったのである。
・高橋の側近の幹部はこう分析する。 「高橋さんは液晶のことが分からなかった。特に、14年秋以降、液晶がみるみる悪くなっていたところをトップとして把握できなかった。それは高橋さんの責任だと思います。自分に近い人間を亀山に送りましたが、その人も液晶は素人だったんです。結局、液晶を統括する専務の方志(教和)さんの情報を信じすぎたんですよ。液晶が一番の不安であれば、自分で亀山に乗り込めばいいんですけど、そうしなかった。『大丈夫、大丈夫、まだまだ挽回できる』と方志さんもそう思ったし、高橋さんもああいう性格だから厳しく追及しなかった。いや、できなかった。当事者意識がなかったんですよ。誰も。それで危機が再燃するんですから自業自得です」
・金融機関幹部は当時の流れを振り返ってこう話す。「主力2行が恐れていたのはシャープが開き直ることだった。万が一、民事再生法など法的整理の道を選ばれれば、銀行にとっては大きな痛手になる。多額の債務の回収ができず、責任が問われるからだ。だから、扱いやすい高橋さんには残っていただくのが都合よかった。神輿は軽い方がいい」。高橋にとっても自らの首がつながる提案ゆえ、断る理由などなかった。

貴重な銀行頭取の回顧録「ザ・ラストバンカー」

三井住友銀行元頭取、日本郵政公社の民営化も総裁として務めた西川氏による回顧録。銀行トップが自らの言葉で、世の中を騒がせた事件を言及しているのは非常に珍しい。また内容も新たな視点がたくさんあり大変おもしろいです。

一方で、イトマン事件や磯田さんを退任させた件などでは何かを意図的に言及していない感じもあり、やはりひとつのモノの見方だと考える必要もありそうです。

とはいっても、個人的には非常に明確なポリシーのもとの仕事をされている仕事人と思い好感を持ちました。

<抜粋>
・実際に国は「道路運送車両の保安基準」を改正して、一九六九(昭和四四)年四月一日以降に国内で生産された普通乗用車、一〇月一日以降に生産された軽自動車の運転席にシートベルトの設置を義務付けた。それとともにタカタにはシートベルトの発注が大量に押し寄せた。落下傘のひもからの見事な業態転換だった。シートベルトはその後、運転席だけでなく全座席設置が義務化されたし、エアバッグも義務化されているから、今では当時と比べものにならない優良企業に成長している。二代目の社長さんの手腕が大きかった。会社の良し悪しはやはり経営者で決まると再認識させられた。
・当時の安宅産業の負債総額は一兆円あり、もし安宅産業が倒れれば、一九七五(昭和五〇)年八月に戦後最大の負債総額で倒産したばかりの興人の五倍にも達する超大型倒産になってしまう。三万五〇〇〇社もある取引先の連鎖倒産、主力銀行の住友銀行はじめ二三〇行ある取引銀行の債権焦げ付き、関連会社を含めると二万人もの従業員の失業にもつながりかねない。しかも、これを放置して十大商社の一角が破綻し外銀が損失を受けたとなれば、日本の総合商社というビジネスそのものに対する国際的信用が地に落ち、総合商社に多額の融資をしている日本の銀行の国際的信用をも失う。信用不安がとめどもなく連鎖し、一九二七(昭和二)年の昭和金融恐慌の再現となるばかりか、海外でのビジネスに壊滅的な打撃を与え、日本経済は焦土と化してしまうかもしれない──。  そういった認識だったから、一一月四日には伊部恭之助頭取が極秘に日本銀行に森永貞一郎総裁を訪ねて会談し、「安宅アメリカの破綻は万難排して食い止める」と発言している。安宅破綻によってとくに地方銀行が痛撃を受け、バタバタ倒産することは、日銀も絶対に阻止したかった。
安宅を破綻させてはならない。対応を誤ったら日本経済はおしまいだ。私たちは文字通り日本経済を救う使命感を持って、この問題に取り組んだのだ。
・その頃の融資第三部には、八〇人から九〇人もの職員が在籍していた。皆、組織図の上では私の部下ということになっていたが、そのほとんどが私より年上で、私より年下の職員は一〇人そこそこしかいなかった。どうしてそんなことになっていたかというと、以上に述べてきたような安宅の関係会社に社長として派遣される支店長や副支店長経験者などの優秀なベテランが、ここに在籍した上で出向していったからである。  安宅地所、安宅木材、安宅建材、日本ハードボード工業、三精輸送機といった関係会社の社長は皆ベテラン支店長だった人が社長として就任した。こうした資本関係がある会社以外でも経営支援して再建しなければいけない会社がたくさんあって、銀行中から人材を集めた。現役職員だけでなく住友銀行OBの人たちにも社長になってもらった。だから部長といっても部の中で私は若造のほうで、給料は三〇番目以下だったと思う。
・事実としては、まず佐藤社長が河村社長とは関係なく平和相銀の株を買い取り、その資金をイトマンファイナンスから融資された。この返済をするためには平和相銀株をどこかに売らなければならない。そこで住友銀行がその株式を買い取ったわけである。前もって平和相銀株取得の下相談が佐藤社長と河村社長との間にあったのかもしれないが、私は知らなかったし、頭取の小松さんも、副頭取のさんもそのことは何も知らされていなかった。下相談があったかどうかはともかく、イトマンの資金で佐藤社長を抱き込み、小宮山家の株を取得した時点で三和との争奪戦は実質的に住友銀行の勝利に終わったのである。  ちなみにこのとき、当時大蔵大臣だった竹下登氏の秘書、青木伊平氏の紹介で、平和相銀株を買い戻そうと焦っていた伊坂氏に対して真部俊生八重洲画廊社長が「金蒔絵時代行列という金屛風を四〇億円で購入すれば株買い戻しの取引が可能になる」と持ちかけ、伊坂氏は自らが経営していたコンサルタント会社に購入代金四一億円を融資し金屛風を購入したにもかかわらず株の買い戻しができなかったのが、後に言う「金屛風事件」である。
・とにかく、私からすれば平和相銀は、数だけは一〇三店と多くてもボロ店舗ばかりで、住友銀行は余計な苦労を抱え込むばかりに見えた。しかし磯田さんは「一〇〇年経ってもこれは手に入らない」とよく言っていた。たしかにこのとき支店を手に入れた東京の西新橋や飯田橋では、当時はそう簡単に新規出店などできない。店舗行政の制約を突破して住友銀行を日本のトップバンクにしようとする強い執念が磯田さんを突き動かし、それが住友銀行全体を動かした。磯田さんはどちらかというと言葉数の少ない人だったが、こうと決めて発言したら絶対譲らないバイタリティがあったし、周囲にはそれをサポートする側用人のような役員が大勢いた。
・私はこのとき常務企画部長の任に就いていたが、だんだんわかってきた事態の中でも特に困ったことだと思ったのは、こうした絵画取引に磯田さんの長女である磯田園子さんが勤務していたセゾングループの宝飾販売会社でピサという会社が間に入っていたことだ。  今まで私を含めて誰も住友銀行関係者は語ってこなかったことがある。この機会にあえて申し上げよう。イトマン事件は磯田さんが長女の園子さんをことのほか可愛がったために泥沼化したのだと私は思う。私は磯田園子さんと直接話した機会はなかったのだが、磯田さんの溺愛ぶりを示す、こんなことを耳にしたことがあった。後に結婚することになるアパレル会社社長の黒川洋氏と磯田園子さんがロサンゼルスに駆け落ちした。それを認めるわけにいかず困っていた磯田さんは、秘書を派遣して二人を連れ戻させたのだ。磯田さんの秘書は園子さんに振り回されて、本当に苦労したようだ。  そういう磯田さんに、父親として娘の事業を後押ししたい気持ちがなかったわけがない。磯田さんが溺愛していることを知って、イトマンの河村社長も伊藤常務も彼女の面倒をよく見ていたようだ。
しかも、マスコミが騒ぎ立てたことによって、伊藤寿永光氏や許永中氏との関連が取り沙汰されて、住友銀行は闇の紳士たちと関係が深いダーティーな銀行だという、実態とはかけ離れたイメージが定着し始めていた。私たちがどんなにそれを否定して、正論を吐いても、トップが磯田さんである限り、誰一人耳を貸してはくれない。磯田さんの個人的な問題のせいで住友銀行全体が危うくなることなど、私は絶対に許せないと思った。
・これに追い打ちをかけるように、この頃、雑誌の記事に磯田さんが出た。そこで当時の大蔵大臣だった橋本龍太郎さんのことを青二才呼ばわりしていたのだ。私は目の前が真っ暗になるような衝撃を受けた。傍若無人にも程がある。「天皇」と持ち上げられ、周囲を自分におもねる人ばかりで固め、状況を冷静に見ることができなくなっていないか。よりによってこんなタイミングで、こんな馬鹿なことをしでかすトップを戴いていることが恥ずかしかった。
そういう心配があったので、全員の意見を集約する形で磯田会長退任要望書をまとめた。印鑑をもっている人は印鑑で、もっていない人は朱肉に指をつけて全員が押印した。昔で言うなら血判状である。  その中には磯田さんの秘書を務めた人物もいたし、それぞれ万感の思いが去来していたにちがいない。しかし全員異論はなかった。欠席した人には電話で伝えた。銀行のために今なすべきことは何か、皆一致していた。
・こうして一九八六(昭和六一)年四月から九一(平成三)年一一月までの、四七歳から五三歳にわたる私の企画部長時代は、就任してすぐに安宅を処理した関係で平和相互の始末をつけさせられ、さらに銀行全体に影響していた問題としてイトマン事件でも奔走させられた。だから私には楽しい思い出というものが本当にない。しかしこれらを通じて、あいつは問題処理に強い、厄介事は西川に任せておけという評価が定着してしまったようだ。
これはもうトップ交渉しかないと思った私はイギリスに向かい、イングランド銀行のロイド・ジョージ総裁を訪ねた。総裁とは旧知の間柄だった。私の顔を見るなり「よくおいでになりました。話は聞いています。FSAには私のほうから電話しておきますよ」と言ってくれ、非常に話が早い。しばらく旧交を温めたあと、その足でFSAを訪問すると、大変丁重に迎えてくれる。こちらがSMBCは何も変わっていない事情を説明すると、納得してすぐに認可をおろしてくれた。
私がスピードにこだわったのは競争優位要因になるのはもちろんだが、スピードを軸に業務や身の回りを点検したり検証したりすると、思い切ったプロセス改革が必要であることがわかり、そのためには改善などという穏やかなものではなく、従来に比べて二分の一、三分の一にするぐらいの革新的な取り組みが必要であることがわかるからなのだ。
・そんな話をして私は、「決断を下すに当たって、八〇パーセントの検討で踏み出す勇気を持ってほしい」と訴えている。 「私の経験から言っても、八〇パーセントの自信があれば、ほとんどの判断は正しいものになる。失敗を恐れてはならない。何もスピードを上げたために起きた失敗に限らない。前向きにチャレンジして結果として失敗した場合、その責任は問わない。減点主義の人事を廃していく。何も行動を起こさない者こそ、私は責任を問う」
・だから私は、百日作戦を指示した後に、「リストラに関する留意点」という話をした。つまり、私が訴えているのは、一円や二円を削るにはどうしたらよいかというつましい話ではなく、固定観念に囚われない大胆な事業の検証作業を進めるのが真意だということだった。一円や二円の削減は、その結果として浮かび上がってくるものなのだ。
・その後の百日作戦は、実に徹底したものだった。これに成功したことが、旧住友と旧さくらの壁をなくし、新生の三井住友銀行としての一体感を醸成できたのは間違いない。言葉を換えれば、百日作戦により私たちはスタートダッシュができ、早い段階で新銀行の経営を軌道に乗せることができたのである。  百日作戦では、とにかく見直せるものはすべて見直した。私自身、「聖域はない。あらゆる手だてを総動員して最大限に努力しろ」と発破をかけ続けた。支店では、一般職だけでなく給与の高い総合職も人員の削減対象になったし、ムダなコピーはするなというケチケチ作戦も当然のごとく行った。この結果、二〇〇二(平成一四)年三月期には人件費や店舗維持費用などの物件費を中心とした経費は前年よりも三〇〇億円減り、六七〇一億円となった。さらに業務粗利益に占める経費の割合(経費率=OHR)は、前年の四六・六パーセントから三六・二パーセントにまで低下した。当時、ライバル他行の経費率は五〇パーセント前後であったから、私たちの取り組みは驚異的なものだった。
・その象徴のような存在が経団連だろう。経団連というと、日本企業のトップが集まって日本経済の行方を見据えていると思っている人がいるかもしれないが、実際は組織としてかなり硬直した部分があり、官僚ならぬ民僚まで存在している。彼ら民僚は経済人ではなく、経団連という組織のために動いているのだ。経団連の会長になるには、そういった民僚と戦えるだけの資質と多数のスタッフが必要となる。そんなにしてまで会長になったところで、いま経団連に日本経済を引っ張る力がどれほどあるだろうか。経団連はもはや無用の長物だと私は思っている。
・郵貯に預け入れられた国民の資金は、二〇〇〇(平成一二)年までは大蔵省(当時)の資金運用部に全額を預託する義務があった。預託期間は七年間で、金利は一〇年物国債の利回りに〇・二パーセント程度が上乗せされた。民営化された日本郵政では、運用ノウハウの確立と運用担当者の育成に苦労させられることになるのだが、いきさつを振り返れば、それも至極当然のことなのだった。郵貯は、市中よりも有利な金利で自動的に〝運用〟でき、資金を集めることだけに専念していればよかったのである。言うまでもなく、預託された資金は財政投融資などの資金となり、これがまた特殊法人のずさんな経営を生む一因にもなっていた。
郵政福祉は、給与天引きの資金を運用していたと書いたが、そもそもこの団体は、特定郵便局の局舎を約一五〇〇ほど所有し、公社が家賃を支払う形になっていた。賃料は結構高く、利回りにすると約一〇パーセントで回っていた。しかも財団法人は公益法人なので、税金がかからない。その団体が、局舎を郵政に貸し出して賃料を得、それを運用して職員の退職金に上乗せするという構造は、どう考えてもおかしい。
・結局、二〇〇九(平成二一)年五月には日本郵政の指名委員会が私の社長続投を決め、逆に六月には鳩山大臣が一連の〝郵政騒動〟の責任を取らされるような形で総務相を辞任した。この鳩山大臣の辞任をきっかけとして麻生内閣の支持率が下がり始めるのだが、そのことについて私が書き残すことはない。

一気通貫で知る「昭和史 1926-1945」

戦前と戦中については教科書で習って以来細切れにしか把握できてなかったので、すごく一気通貫に世の中はどういう雰囲気で、どういう政治や生活があって戦争に向かっていき、そして敗戦したのかがすごく理解できてよかったです。

といっても内容は難しくなく、特に雰囲気については著者の子どもの頃の感覚も書かれていて分かりやすかったです。

結局のところ、ずっと際どい道を渡っていたがそれがうまく行き続けることで、世間的にも後退は許されなくなってしまい、サンクコストが大きくなりすぎてしまったのでしょうね。直前で満州権益くらいまでギブアップすればなんとかなったかもしれませんが、そんなことは世間が許さなかったと。

いずれにしても何もかもゼロ、というかマイナスになったことで、誰もがひとの足の引っ張り合いをするヒマもなかったことで戦後の高度経済成長があったと。今、日本はいろいろな問題が蓄積されていますが、これを自己改革できるのでしょうか。

<抜粋>
・ではこの〝魔法の杖〟を考え出したのは誰か。この概念で政治を動かせると思いついたのは、北一輝*4だと言われています。この半分宗教家ともいえる天才哲学者が統帥権干犯問題を考えつき、犬養さんや鳩山さんら野党に教え込んだ、それにまた海軍の強硬派がとびついた。そこで妙な大喧嘩がはじまった。しかも、国際的な条約が結ばれたあとで、それが暴発して日本を揺すぶったのです。考えてみると、まことに理不尽な話でした。そして多くの優秀な海軍軍人が現役を去っていきました。
元老の西園寺さんは、天皇の御意見番として、昭和前期の内閣総理大臣をほとんど一人で決めたといってもいいと思います。何かあって内閣が倒壊し、次は誰かという時には、西園寺さんが住む静岡県興津の駅前旅館に新聞記者らが殺到するほど権威があり、いわゆる「興津詣で」でこの旅館が大いに繁昌したという逸話も残っています。
・斎藤内閣は「挙国一致内閣」といいまして、もう政党などにかまっておられず、国のためを思う人たちを集めて内閣を組織しました。これ以後もそうなります。つまり五・一五事件の結果として、日本の政党内閣は息の根を止められた。さらに、軍人の暴力が政治や言論の上に君臨しはじめる、一種の「恐怖時代」がここに明瞭にはじまるのです。
『落日燃ゆ』*4で非常に持ち上げたためたいへん立派な人と広田さんは思われているのですが、二・二六事件後の新しい体制を整えるという一番大事なところで広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです。スタートから、「政治が悪いから事件が起きた。政治を革新せよ」という軍部の要求を受け入れて、「従来の秕政を一新」という方針に同調して組閣しました。秕政とは悪い政治という意味です。これでは軍部独走の道を開くことと同じなんですね。
日本の第23師団約二万人のうち約七〇パーセントが死傷して師団が消滅してしまったほどの大戦争が起きていることを、どうも昭和天皇は知らなかったようなんですね。考えてみるとずいぶんおかしなことなのですが、そう考えるより解釈のしようがない。
・ポーランドにとってはひどい話ですが、ひどいといえば日本にとってもそうです。これまで見てきましたように、対ソ連の有利な戦略を練るためにドイツと軍事同盟を結ぼうかと盛んに議論している最中に、ヒトラーとスターリンが手を結んだとなると、日本は何のために七十数回も五相会議をやっているんだかわからなくなります。世界の裏側で首脳たちが何を考え、どんなやりとりをし、何が起こりつつあるかをまったく知らないまま、日本は一所懸命議論をしていたわけです。アホーもいいところです。
・かつて米内光政・山本五十六・井上成美トリオが猛反対し、当時の海軍中堅クラスも陸軍と戦争をする覚悟で反対した三国同盟を、一年たつかたたないうちに海軍が事実上賛成してしまったのはどうしてか。これが昭和史の大問題なのです。この同盟を結ぶことは、完全にイギリスはもちろんのこと、それを応援しているアメリカをも敵であると明示することになる、非常に大事な決定だったのです。ここをこれからちょっと詳しくみていきます。
・「内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客顛倒もはなはだしい」
・その時、松岡のほうから、二人で「電撃外交」をやって全世界をあっと驚かせようじゃないか、と言い出したという話も残っています。いや、スターリンからともいわれていますが、いずれにせよスターリンがいかなる政戦略を頭に描いていたのか、話がトントンと妙に進んであっという間に四月十三日午後二時、その日のうちに世界じゅうの誰もが予想していなかった日ソ中立条約が調印されてしまったのです。
・八月八日にはじまって、十二月三十一日、天皇陛下が「このような情勢では大晦日も正月もない」と急きょ、御前会議を開いてガダルカナル島撤退を決めるまで約五カ月間の戦闘で、海軍は艦艇(戦艦含む)二十四隻、計十三万四百八十三トンが沈みました。アメリカも二十四隻、計十二万六千二百四十トンが沈むほど、全力をあげてぶつかり合ったのです。一方、日本の飛行機は八百九十三機が撃墜され、搭乗員二千三百六十二人が戦死しました。これは非常に大きなことで、ここで日本のベテラン飛行機乗りの大半が戦死し、あるいは傷つき、以後、あまり熟練していない人たちが飛行機に乗るようになりました。陸軍が投入した兵力三万三千六百人のうち、戦死約八千二百人、戦病死約一万一千人、そのほとんどが栄養失調による餓死なんです。哀れというほかはない。 一方アメリカは、作戦参加の陸軍および海兵隊計六万人のうち、戦死千五百九十八人、戦傷四千七百九人で、戦病死者はなし。ペニシリンがすでに発明されていましたから、たいていの傷病はどんどん治ったのです。
・河辺も牟田口も、飢えてどんどん死んでゆく兵隊、その死体が山のようになっていくことを知っていました。置き捨てられた死体をネズミが食い、目の玉をかじる、負傷兵の上をイギリス・インド連合軍の戦車がばく進してゆくことも知っていながら、作戦中止を言わなかったのです。河辺の戦後の回想があります。 「この作戦には私の視野以外さらに大きな性格があった。この作戦には日本とインド両国の運命がかかっていた。チャンドラ・ボースと心中するのだと、予は自分自身にいい聞かせた」
・つまりチャーチルは「俺は知らない」とはっきり言ってるんですね。トルーマンの記憶が正しいのか、チャーチルの記述が本当なのか、あるいはチャーチルが自分の責任を回避して全責任をトルーマンにあずけているのかは疑問なわけです。
・午前十時三十分に会議がはじまり、鈴木首相はいきなり言いました。 「広島の原爆といい、ソ連の参戦といい、これ以上の戦争継続は不可能であると思います。ポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させるほかはない。ついては各員のご意見をうけたまわりたい」 こうしてはっきり「戦争を終結させなくてはならない」と首相が軍部の前で明言したのです。会議は重い沈黙で誰もしゃべらなくなってしまいました。まあ、原爆にしろソ連参戦にしろ、考えてもみないような鉄槌を二つも頭からくらったのですから、ほとんどの人がどうしていいかわからない状態だったのでしょう。
・また日本の要求をイギリス、ソ連、中国に知らせると、イギリスと中国は比較的早く返事がきて、どちらかといえばこれ以上の流血の惨事より条件をのんだほうがいいのでは、という意見でした。ただソ連はなかなか結論が出ず、またアメリカ内部の議論も長引き、ようやく日本時間の八月十二日の夜、連合軍側からの回答が決まります。そこでサンフランシスコ放送を通して日本に伝えました。それは実にあいまいで、何にも答えないような回答でした。
・わたしは、明治天皇が三国干渉の時の苦しいお心持をしのび、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、将来の回復に期待したいと思う。これからは日本は平和な国として再建するのであるが、これは難しいことであり、また時も長くかかることと思うが、国民が心を合わせ、協力一致して努力すれば、かならずできると思う。私も国民とともに努力する。
・今日まで戦場にあって、戦死し、あるいは、内地にいて非命にたおれた者やその遺族のことを思えば、悲嘆に堪えないし、戦傷を負い、戦災を蒙り、家業を失った者の今後の生活については、私は心配に堪えない。この際、私のできることはなんでもする。国民は今何も知らないでいるのだから定めて動揺すると思うが、私が国民に呼びかけることがよければいつでもマイクの前に立つ。陸海軍将兵はとくに動揺も大きく、陸海軍大臣は、その心持をなだめるのに、相当困難を感ずるであろうが、必要があれば、私はどこへでも出かけて親しく説きさとしてもよい。内閣では、至急に終戦に関する詔書を用意してほしい」
第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。
・「読んでいいですか」と聞くと「いい」と言うので読みますと、先ほど少し申しました須見元連隊長からでした。 文面を全部記憶しているわけではないので大意だけ申しますと、「私は司馬さんという人を信じて何でもお話したが、あなたは私を大いに失望させる人であった。したがって、今までお話したことは全部なかったことにしてくれ。私の話は全部聞かなかったことにしてくれ」という趣旨でした。 その理由は、「あなたは『文藝春秋』誌上で、瀬島龍三大本営元参謀と実に仲良く話している。瀬島さんのような、国を誤った最大の責任者の一人とそんなに仲良く話しておられるあなたには、もう信用はおけない。昭和史のさまざまなことをきちんと読めば、瀬島さんに代表されるような参謀本部の人が何をしたかは明瞭である。そういう人たちと、まるで親友のごとく話しているのは許せない」といったことでした。この手紙を読んで、あ、これでは司馬さんはノモンハンを書けないなと思いました。

奇跡の経営者「ソニー 盛田昭夫」

ソニー創業者盛田昭夫にフォーカスしながらもソニーの奇跡的な成長をかなり具体的に描いており非常に勉強になりました。

「ソニーはわれわれが知る唯一の連続破壊者である。ソニーは一九五〇年から一九八二年の間、途切れることなく一二回にわたって破壊的な成長事業を生み出した。……しかしほとんどの企業にとって、破壊は多くても一度きりのできごとなのである」。アップルの場合でも、AppleⅡ、Macintosh、iPod、iPhone、iPad、これにiTunesを加えても、破壊的イノベーションといえるほどのものは、せいぜい六つだ。

ソニーは2000年くらいまではまさに奇跡的に破壊的イノベーションを連続して起こし続けており、とにかく何をやってもうまくいっていた。ベータマックスはVHSとの競争に敗れたとしているが、7年で2000億の売上を作っており、その後のベーカムやイメージセンサーに繋がっているし、その反省を踏まえて8ミリ、CD、DVD、ブルーレイの規格を抑えたことを考えれば、ベータマックスですら失敗とは言えない。

本書を読むとまさに盛田昭夫氏の奇跡的な経営判断を目にすることができます。ではその経営はどのように生まれてきたのか。

「アメリカに右へならえして、アメリカ経営学を導入するのが、解決の道だろうか。私はそうは思わない。……鵜呑みにするのは、かえって危険である。日本とアメリカでは会社の成立する社会的基盤が、根本的に違っているからだ。かといって漫然と現状を見過ごすことは、もっと大きな間違いだ。アメリカから取り入れるもの、学ぶべきものは堂々と学び、かつ日本の歴史的土壌を見きわめ、そこに足をつけたままで、現実的に不合理を是正してゆくべきなのである。社員を〝無難なサラリーマン〟から〝意欲あるビジネスマン〟へとレベル・アップすることに努めなければならない」

まさにアメリカに切り込みながらも郷に入れば郷に従えではなく、あらゆることを考えぬいて独自のソニーの経営を作ってきたのだということが分かります。

これに対して、盛田はこう切り返したという。「何を言っているんだ。映画会社ひとつ経営できなくて、それでもソニーなのか。それじゃ、普通の日本の会社と同じじゃないか。俺は映画会社を経営できないような、マネージャーを育てた覚えはない」

まさにひとの限界を取っ払い企業を成長させてきた。

久夛良木は、最後にこう結んだ。「ソニーには、すごい人たちが五人や一〇人じゃなくて、数百人規模でいて、ここまでのソニーを引っ張って、何度も何度も革新をもたらしたのだ、とわかった。すごい人材を惹き付け、結集し本気にさせたら、何でも出来るぞと思った」

だからこそ数百人単位ですごい人たちがいる企業になったのだと思います。

「経営首脳の不思議なところは、ミスをしてもその時にはだれにも気付かれず何年もそのままでいられる点である。それは経営というものが一種の詐欺まがいの仕事にもなりかねないことを意味する。……私の考えでは、経営者の手腕は、その人がいかに大勢の人間を組織し、そこからいかに個々人の最高の能力を引き出し、それを調和のとれた一つの力に結集し得るかで計られるべきだと思う。これこそ経営というものだ。例え何であろうとも、今日の黒字が明日の赤字にもなるような方法で今日のバランスシートの収支をつくろっていては、真の経営とは言いがたい。私は最近、わが社の幹部にこんなことを言った。『社員の目にうつるあなた方の姿が、高い所で一人で綱渡りする軽業師のような個人プレーであっては困る。そうではなく、大勢の人びとがあなた方に喜んでついてきて、共に会社のために働く気になる——そういう人間であってほしい』

僕自身もメルカリ流の経営を生み出していきたいと思いました。

出井は取締役時代には、久夛良木の「夢」だったプレイステーションに強硬に反対しているし、社長になってからも土井利忠(元・上席常務)が開発した犬型ロボット「AIBO」に反対を表明、会長兼CEOになると〇四年にはロボットの開発中止を指令している。

本書は出井氏以降の経営に批判的で、辛辣になぜダメかを書いてます。例えば、今になってIoTやAIの時代が来ているのに、当時「AIBO」事業を中止してしまった、など。しかしそれは結果にすぎず、何を言われようがすごい結果を出せば、今のスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグのように評価されるわけです。

経営はすべて結果で判断される。僕もとにかく結果を出すことに注力するのみです。

「小説 盛田昭夫学校」と合わせて読むとよいと思います。

<抜粋>
・来世紀にソニーがリーダーだというためには、何をやらなければならないか。もう一つ先に何をやるか。謙虚に考える必要がある。私は非常に心配になっております。ここで皆さんに本当に目をいっぱいに開いてですね、来世紀に何をやるかと、真剣に考えていただきたい。
・「ソニーはわれわれが知る唯一の連続破壊者である。ソニーは一九五〇年から一九八二年の間、途切れることなく一二回にわたって破壊的な成長事業を生み出した。……しかしほとんどの企業にとって、破壊は多くても一度きりのできごとなのである」。アップルの場合でも、AppleⅡ、Macintosh、iPod、iPhone、iPad、これにiTunesを加えても、破壊的イノベーションといえるほどのものは、せいぜい六つだ。
・四六年には新円への切り替えが実施されたため、市販品を扱わないと新円がすぐに入手できないという事態に迫られた。そこで、お櫃に電熱線を張った電気釜(物にならず)や、綿の間に電熱線をはさんだ電気ざぶとんを、急場しのぎでつくった。東通工の名前をつけるのは「サスガに気がひけて」(井深)、(熱するにかけて)「銀座ネッスル商会」名で発売すると「ものすごく売れ」(盛田)、新円かせぎに貢献した。
・ソニーは、その後もベータマックス訴訟に代表される大きな裁判に、何度も巻き込まれていくが、そのたびに盛田は自ら陣頭に立って闘いを主導する。すなわち、法務戦略は「最高幹部が扱う」重要な仕事であることを自覚した最初の日本企業でもあった。
・ソニーの半導体開発で活躍した川名喜之(元・中央研究所副所長)はこう指摘している。 「井深が『なに、うちの連中ならきっとやるだろう』と言っていたことが事実となった。翻ってTI(テキサス・インスツルメンツ)でもベル研究所でも、このような開発はできなかった。ベル研究所ではゲルマニウム中のリンの拡散係数はアンチモンと同じになっていた(筆者注:だからできないと思い込んだ)。塚本はそれを知っていたが、あえて実験してみて、実際は大きく違っていることを発見したのであった。それ以外に改善策が思いつかなかったからでもある。……岩間は一人責任を負ってこの仕事を進めた。そして、やり遂げた塚本を評価した」 ソニーはこの技術の特許を出願せずに「一切秘密にした」。それほど画期的なイノベーションだった。
・この電話で井深を口説いた盛田は、グールドとの三度目の会見で注文を断った。憮然とする彼に、盛田は宣言する。「五〇年前、あなたの会社のブランドは、世間に知られていなかったでしょう。いまわが社は、新製品とともに五〇年後に向けて第一歩を踏み出そうとしているところです。たぶん、五〇年後にはあなたの会社に負けないくらい、SONYのブランドを有名にしてみせます」。そう大見得を切った。
・始まりはいつも、つましく困難なものだった。ソニー・アメリカのイタリア系社員による逸話がある。ニューヨークに事務所を設けた五七年九月頃だと思われるが、「雨がそぼ降る夕方に、シャッターを必死で叩いている東洋人の青年に気づいた。事務所には誰もいなかったので、駆け寄って声を掛けたら、英語も通じない日本人で、それがミスター・モリタだった」という。
後年、アメリカ人を感動させる英語の名スピーチを連発し、世界に通用するコミュニケーション力を持つに至るが、それは相手にいかに伝えるかを常に研究し、学びと練習を繰り返した成果である。そうしたスピーチのいくつかを収録した本が発売され、いまあらためて映像と音声で見聞きできるようになった。流暢な英語でなくても、聴衆を冒頭の「つかみ」で一挙に惹きつけ、簡潔なセンテンスで明確なメッセージを、聞き手のハートに打ち込むさまがよくわかる。
「人が育つのは、やっぱり新しいことを苦労してやっているときで、ソニーの成長期において、盛田さんはそういうのを意識的につくってきた。盛田流の経営の本質は、みんながチャレンジできるものをつくっていったことにあるんじゃないか。前に人がいないところを走るのは、実に大変で苦しい。だけど、そこから会得するものが違う。命令されてやるのではなく、自分で考えて自分で行動することの大事さを、彼は身をもって示していた」
・「日本人は、ともすると現地の日本人に相談や案内をしてもらう。そうしていつの間にか〝日本人の道〟に引き込まれ、アメリカにいる普通の日本人の生活態度になってしまう。香川さんは、私にそれとはまったく違う〝道〟を教えてくれた。アメリカ人に接し交渉する態度にしても、卑屈になりがちな日本人ではなく、堂々と対等にわたりあってゆくべきだと、何度も忠告してくれた。……米国の業者に出入りする日本の輸出業者は、まったく哀れなほど卑屈に、値下げばかりをして、売り込みを図るという時代だった。
・『お言葉ではありますが、あなたと私がすべての問題についてそっくり同じ考えを持っているなら、私たち二人が同じ会社にいて、給料をもらっている必要はありません。この会社がリスクを最小限に押さえて、どうにか間違わないですんでいるのは、あなたと私の意見が違っているからではないでしょうか。どうぞお怒りにならず私の考えを検討してみてください。私と意見が違うからと言ってお辞めになるというのでは、会社はどうなってもよいというのでしょうか』 これは、日本の会社にはない発想だったのだろう。田島氏は最初、驚かれた。もちろん氏は会社を辞められなかった。しかし、この種の論争は、わが社では目新しいことではなかった」
・樋口:「やっとかなければ次のステップへ行かないんです。それをやったからソニーは伸びたんです。世間並みのことをしていたんではソニーなんてありませんよ」
「アメリカ人の生活がどんなものかをほんとうに理解し、この巨大なアメリカ市場で成功しようと思うなら、アメリカに会社を設立するだけでは不十分である。家族共々アメリカに引っ越して、実際にアメリカの生活を経験しなければだめだと考えるようになった。……家族で住めば、旅行者にはとうてい望めないほどアメリカ国民を理解することができるだろう」
・彼女は、盛田にとって一緒に闘う戦友だった。盛田の著書によれば、ニューヨーク滞在中だけでアパートに接待した客は四〇〇人余りにのぼった。それだけではない。お抱え運転手に早変わりして、空港までの送り迎えや、技師を乗せてアンテナの感度テストで郊外を走り回ったりもした。三〇歳台の彼女は、盛田のアパートの一室で他社のテレビを調べたりテストしたりしていた日本人のエンジニアや、駐在社員たちとほぼ同世代だった。 「皆んなハングリーで、アメリカを知り、アメリカ人を知り、彼らのなかに入って、ソニーを知ってもらい、製品を買ってもらうのに必死でした」——それが、「世界のソニー」の原点だった。
・当の盛田は、六四年八月一日には、二年間の予定だったアメリカ駐在を、半年分を残して急遽切り上げ帰国した。七月三一日に盛田の父・久左ヱ門(ソニー相談役でもあった)が死去したからである。急な帰国は、盛田家の家業の相続問題もあったが、ソニーの経営が厳しい綱渡りを強いられていたことが大きい。
・そこで井深は、行き詰まった開発をリセットして再出発するために、社長自らプロジェクト・マネージャーとして陣頭指揮に乗り出した。六六年秋のことだった。松下幸之助が、家電不況の危機に営業本部長に就任し、販売体制をリセットするため陣頭指揮をはじめた姿と重なる。
・「人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、その中で一番大切なのは試したりであると僕は思う。ところが世の中の技術屋というもの、見たり、聞いたりが多くて、試したりがほとんどない。僕は見たり聞いたりするが、それ以上に試すことをやっている。その代わり失敗も多い。失敗と成功はうらはらになっている。みんな失敗をいとうもんだから、成功のチャンスも少ない」
・そして、六八年四月一五日、二年前にオープンしたばかりの銀座ソニービル八階で、トリニトロンの製品発表会が行われた。その席上、井深はめずらしく「世界のカラーテレビ界に革命をもたらす」、とスティーブ・ジョブズのような発言をしている。 井深は、後述するようにこの記者会見の席上で爆弾発言を行い、独自のイノベーションの方法論にもつながっていく。そして、「必要な資金はすべて私が考えます」と見得を切り、ソニービルに巨額投資をしながら、この開発を支えた盛田の闘いもまた、イノベーティブなものとなる。
・井深はトリニトロンの発表の場で、こんなことも語っている。「スジがよかったので総力あげてかかりました。既成品のまねをしていれば間違いはないのでしょうが、それではよりすばらしいものは何もできません。見きわめて踏み切る——ともかくこれがウチの信条です」(『日本経済新聞』一九六八年四月一六日付)。
・こうした「フレキシブルPERT法」の基本姿勢を、唐澤は井深の言葉をもとに五つにまとめている。 ①時間は競争優位に立つ唯一の条件である ②おカネは無限にあると考えよ ③人も人材も無限にあると考えよ ④制限条件に頼って発想するな。制限条件は挑戦の対象としてモデルを作れ ⑤前例は常に打破すべきであり、従うことは恥
・盛田はさらなる増枠を考えていたようだ。心配した社長室の佐野が、「これではTOB(株式公開買い付け)の標的になります」と意見すると、盛田は「井深さんや私を超える経営者が現れるのなら、どうぞと言いたいくらいだ」と一笑に付したという。
・これはシャインに直接インタビューし、周到な取材でアメリカ経営の実際を描いたジャーナリストの加納明弘が、本人から聴き出した言葉だ。そして、次の発言が興味深い。「私は問題を常にシャイン流、つまりアメリカ式に処理した。なぜならば、私に投資した日本人は、アメリカ式マネジメントをソニーアメリカに持ち込むことを期待して、私を社長にしたのだし、私はその期待に応えたのだ」(『ソニー新時代』プレジデント社より)。
・何かが変わろうとしていた。盛田がソニーの第三代目社長に正式に就任したのは、そんな七一年六月二九日のことだった。 この時期、ソニーの業績は絶好調だった。世界初の一三型トリニトロン・カラーテレビKV‐1310が発売されたのは六八年一〇月末(この一機種だけで一七万台出荷)。トリニトロンの前と後で、収益は大きく変化した。 六八年度(一〇月期決算)の売上高は七一二億円、営業利益八四億円だったが、以後は毎年二ケタの増収増益で、七一年度には売上高一九四七億円、営業利益二六二億円に達した。三年でそれぞれ二・七倍と三・一倍の急伸ぶりである。当時、「(世の中の)減産も不況も、松下も無関係」(吉井陛常務)といった「荒い鼻息」や、「ソニーはドルショックや円切り上げ不況の圏外にある企業」といった報道も、なされたほどだった。
「私どもトップの仕事の一番大事なことは、いいことを聞いて喜ぶことではない。マネジメントの最大の要諦は、トラブルシューター(問題解決人)であることだ。問題を解決するのが、私どもの仕事だ。だから、失敗はかくさずレポートしていただきたい。それは、会社に周知させ同じ失敗を繰り返さないためだ。何度も申し上げるが、私どもの仕事はトラブルシューティングである」
・これが、新社長が社内に向けて発した第一声だった。夢やスローガンをぶち上げるのではなく、〝外〟(世界)と〝内〟(社内)の変化を見つめ、やがて大きな問題となる内外二つの変化に向き合っている。それは、もう一度、ソニーを「白紙にもどして」再出発する=DNAを「ON」にすることをも意味していた。
・「アメリカに右へならえして、アメリカ経営学を導入するのが、解決の道だろうか。私はそうは思わない。……鵜呑みにするのは、かえって危険である。日本とアメリカでは会社の成立する社会的基盤が、根本的に違っているからだ。かといって漫然と現状を見過ごすことは、もっと大きな間違いだ。アメリカから取り入れるもの、学ぶべきものは堂々と学び、かつ日本の歴史的土壌を見きわめ、そこに足をつけたままで、現実的に不合理を是正してゆくべきなのである。社員を〝無難なサラリーマン〟から〝意欲あるビジネスマン〟へとレベル・アップすることに努めなければならない」
・「『出るクイ』を求む!」と「英語でタンカのきれる日本人を求む」である。盛田のフィロソフィーと言動から生まれたが、いずれも『朝日新聞』朝刊に掲載された。出るクイが打たれる日本で、「『出るクイ』を求む!」のコピー本文は、こう呼び掛けている。 「積極的に何かをやろうとする人は『やりすぎる』と叩かれたり、足をひっぱられたりする風潮があります。……いいアイデアを育てる人はなかなかいません。反対に、ダメだダメだとリクツをつけて、それをこわす人はたくさんいます。しかし、私たちはソニーをつくったときから、逆にそういう〝出るクイ〟を集めてやってきました。ソニーがつねに他に先駆けて個性的な新製品を出し、わずかここ十年間に『SONY』を世界でもっとも有名なブランドの一つにすることができたのも、ひとつにはそのように強烈な個性をもった社員を集めその人たちの創造性を促進してきたからだと思います。ウデと意欲に燃えながら、組織のカベに頭を打ちつけている有能な人材が、われわれの戦列に参加してくださることを望みます」 一方、「英語でタンカのきれる日本人」は、タイトルコピーの手書き文字が、当時としては極めて斬新である。これは新設された国際貿易課が募集したもので、「『生きた英語』を話せる方」「技術を愛する方」という条件がついている。
・それは権限と責任をないがしろにしたやり方だ。相互の信頼を欠いた命令からは、進歩はおろか、責任感の生まれる余地もない。〝誰々の命令〟が、マネジメントの方便であってはならない。一般社員の皆さんも、つまらぬ遠慮などせずに疑問点の解明を行い、納得したうえで仕事を受けるようにしてほしい。疑問を残したまま、命令だからやるといった、いいかげんな態度は個人的にマイナスであるばかりか、会社にとっても大きな損失である。〝厳しい環境下〟のソニーには、積極的で前向きな姿勢と、信頼を基軸に据えた相互の意思疎通が必要なのだ」
井深・盛田のファウンダー二人が、社長・副社長として二枚看板を背負っていた時代に、うまく機能していた経営のメカニズムは、井深が第一線を退いたことで、社長の盛田の双肩にすべての重荷がかかってきた。技術畑の岩間和夫専務を急遽、ソニー・アメリカの社長にし(現地での生産と販売を学ばせる)、翌七二年には役員たちを次々昇格させ、CBS・ソニーの社長をしていた大賀を呼び戻し(一挙に常務にした)、経営者育成を急いだが、成熟にはもう少し時間を要した。そこに石油ショックが襲ってきた。おそらく七三年後半の盛田には、ビデオ戦略をじっくり構築する余裕は持てなかったはずだ。
破竹の快進撃を続けてきたソニーの成功神話が、初めて大きく頓挫したのが「ベータマックス」を巡る闘いだった。この戦闘の局面は、大きく三つに分けられる。 一つは、「VHS」との間で繰り広げられた世界の産業史にも残るVTR規格戦争である。二つ目は、ハリウッドのメジャー(大手映画会社)から著作権侵害で訴えられ、アメリカの連邦最高裁まで争われた、これもまた歴史に残る大事件。三つ目は、規格戦争で敗れた後、いかに撤退作戦を行い、次の成功へ向けて展開するかという未来のための闘い、である。 七一年に五〇歳で社長となった盛田にとって、井深の後を継いだプレッシャーのなかで大きな試金石となったのが、これら三つの闘いだ。そこには、彼自身の「ミスジャッジ」が招いた失敗もあったが、現実を直視し失敗を克服する過程で、経営者としての凄みが浮かび上がってくる。
・「ソニーはテクノロジーの進歩によって、世の中にない製品をつくって、マーケットを創造してきた。テクノロジーが新しい市場をつくり、ライフスタイルを変え、新しいカルチャーを生み出したと言える。しかし、肝心のテクノロジーの進歩が、古びた法律によって阻害されるようなことがあったら、ソニーという会社はこの世に存在できない。 だから、われわれは徹底的に闘わなければいけない。この訴訟は、科学技術というシビリゼーション(文明)に対する挑戦だと、私は理解している。最終的には、法律まで変えなくてはいけないと思っている。ただ、今は現在の法律で裁かれるのだから、その法律のなかで勝つか負けるか、やってみようじゃないか」
アメリカの民衆を味方につけることによって、(それが人の生活の豊かさを阻害するものである限り)法律そのものまで変えようという発想をもった日本人の経営者は、盛田が最初で、おそらく最後だろう。
・そこまで考えていたものを、もう一度、カセットサイズやドラム径(ベータは七五ミリ)を練り直し、基本規格を二時間に設計し直すことは、「取引コスト」の観点から見て、「合理的」ではなかった。取引コストとは、人間同士の取引に伴い、駆け引きで発生する心理的な負荷や手間暇といった目に見えないコストのことである(菊澤研宗『なぜ「改革」は合理的に失敗するのか』に詳しい)。
・訴訟以降は、前述の通りシャインはベータ販促に熱心ではなく、日本人駐在員の目には「ユニバーサルとの訴訟に敗れた際に、損害が増えることを懸念して販売を抑制している」としか見えなかった。ついに盛田は七七年七月に、シャインを会長に退かせ、実質解任した(シャインは七八年に退社、八〇年に大手レコード会社ポリグラムの社長に就任)。七〇年代にアメリカ型経営の限界を、反面教師として学んだ。 盛田は同じ著書で、「それはわれわれのドル箱になるはずであった」と本音も漏らしていて、ベータ販売の初速に弾みがつかなかったことが、よほど悔しかったに違いない。
・「世の中には、衰退する会社、倒産する会社があります。なぜそうなったか、をよく見ますと、競争相手によって倒された例は余りありません。会社の内部の問題が原因で、いわば〝自家中毒〟で衰退してきているのが実情です。ソニーが外部から批判を受け、昔の評価を落としてきたのは、競争相手のせいではなく、われわれ自身に原因がある。自らの行動によって招いた結果であると反省しなければいけない」
問題が誰にも見えるようになった段階で、経営陣が慌てて手を打つようでは、経営者失格である。井深や盛田は、そのことを誰よりもよくわかっていた(創業期に前田多門、田島道治、万代順四郎といった錚々たる長老たちが、若い二人を厳しく鍛えたことも功を奏している)。禊の一〇年近く前、七五年一月に幹部社員を集めた席で、二人はソニーが置かれた事態を看破して、こう訴えている。 井深(当時、会長):「わがソニーは、いつも日本経済のトップを切って成長してきました。初期のころは、ソニー独特のものを切り拓き、そこにソニーの生命があり、特長がありました。それが大きな世帯となり、大きな数字に接するようになると、これを縮めることは、破壊的な打撃をこうむらない限り、不可能だという〝弱さ〟を持つようになってきました」
・このことは、今から四〇年ほど前に「コーポレートガバナンス(企業統治)」を、日本で最初に導入したことも意味していた。しかも、エレクトロニクス企業であるソニーの実情にふさわしくアレンジしている。統治を担うメンバーの構成比を、社内七割、社外三割とし、さらにエレクトロニクスの技術系が常にメジャーを占めるように設定してある(音響技術に明るい大賀を技術系とすれば、「経営会議」も六人のうち五人が技術系だ)。
・ちなみに、二〇一六年三月現在のソニー取締役一二人の構成をみると、社内三人、社外九人とソニーを知らない社外取締役が七五%を占めている。一方、社内取締役も平井一夫CEOをはじめ技術系はゼロである。エレクトロニクス技術への深い知識と理解を持つ人間がいない現状では、主力事業の統治に関して、その識見を的確に発揮する体制とは言い難い。経営機構の改革にも着手する必要があるだろう。
「盛田さんは、お前考えろとか、誰かに考えさせろ、とか決して言わない。自分自身が考えるんです。それこそ脳みそが汗かくくらいに。僕らエンジニアはそういうものに非常に敏感で、すぐに分かるんです。あっ、この人は自分で考えているな。そうきたか、だったら、こういう提案はどうか。こっちも負けないように、必死に勉強して考えるようになる。凄い刺激とモチベーションになったのです」 上から目線で命令を下したり、ニンジンをぶら下げて走らせたりすることはしない。大きな目的とそのプロセスでの目標を明確にして、相手の波長に合わせて動機づける〝コミュニケーター〟であった。だからこそ、みんなが本気になって、衆知を集め、一体となって仕事に邁進することができたのだ。独裁者や凡庸な経営者は、そんな面倒なことはしない。 盛田は七六年五月の創立三〇周年にあたって、「次の三〇年をどう生き抜いていくか」、創立記念日と同じ五月七日に生まれた若手社員を集めた座談会で、こんなことを語っている。
・八二年度の売上は、前年対比で音響機器とテレビが減収、それをビデオの伸びが補って、増収になったが営業利益は二四%減。八三年度は、音響、テレビ、ビデオの三本柱が軒並み前年割れで、創業来初の減収(八%減)、営業利益も半減以下となった。この時、ベータの売上は一九九二億円と七%のマイナスであった。VHS全体の生産金額が一兆五一四〇億円で一八%のプラスだった(八三年度)ことを勘案すれば、ソニー経営陣の焦燥感は相当なものがあったに違いない。
・「独創性(オリジナリティ)とは起源(オリジン)に戻ることである」。これはスペインの偉大な建築家アントニ・ガウディの言葉だが、八二年にソニーは「創立の頃の雰囲気を、もう一度吹き込む」(盛田)ことで、「新しいソニーに」生まれ変わろうとしていた。この年の九月二七日、盛田は東京・高輪のホテルパシフィックに、部課長と関連会社首脳を含めた一七〇〇名を集めて「部課長大会同」を行っている。
・「新しいことを勇気をもって試みるという創立の頃の雰囲気を、もう一度吹き込みたい。……ソニーは、皆さんの努力で、世界に先駆けて、いろんな製品を出し成長してきました。同時に競争相手に、大きなビジネスを与えてきたことも事実です。全部を自分のものにする必要はありませんが、ソニーの努力と技術で生み出した製品の価値判断を誤ったことがあるのではないか。これは、トップはもとより、担当事業部、担当者がその本当の意味が判らなかったのではないか。われわれがせっかく、造りだした製品の価値を、われわれが認識して最大限に利用することが必要です」、とまず大きな反省を行っている。
・八〇年代のソニーの再生戦略は、次の三つにまとめられる。 ①ノンコンシューマー市場が一番伸びると捉えて、ここに乗り出す。 ②キーコンポーネントとキーデバイスを、最重要戦略と位置づける。 ③新しい時代に即応した新しい考え方を取り入れ、多角化にも躊躇しない。
この映画会社の買収は、ソニーを揺るがす軋轢や問題を生んだ。だが盛田の真意は、古い概念では捉えきれない、新しい思考回路をソニーのなかに取り入れることだった(後段で詳しく述べる)。八〇年代のソニーは、テクノロジーと時代の才能を一挙に解き放ち、可能性の王国を築こうと挑戦していた。
・そんなやりとりの間に、「あいつら会長まで担ぎ出して、こんな半端な商品を売らせようとしている」という声が、営業部門で高まっていた。国内営業は八〇〇万円をかけて市場調査を依頼。結果は、「音楽は再生できるが録音はできない。ヘッドホン以外では聴けない。そういう商品は誰も買わない」というものだった。提出された調査資料に、盛田は激怒したという。 「ソニーにとって、市場はサーベイ(調査)の対象じゃないんだ。クリエイト(創造)する対象なのだ。全く新しい商品を出すということは、新しい文化をつくるということなんだ」。大曽根はこの言葉が今でも忘れられない。
・ところが、「ウォークマンなんて英語じゃない」とソニー・アメリカでは「サウンドアバウト」、誇り高い英国では独自の「ストーアウェイ」、密航者(ストーアウェイ)なんて嫌だとスウェーデンでは「フリースタイル」、と同一商品が四つの名前で(いずれも商標登録)発売されてしまった。 しかし、「英語じゃないウォークマン」のインパクトが強く、外人の指名買いも多いことを確認したうえで、八〇年四月の全米のソニー・コンベンションの会場で「今後は、世界中すべてウォークマンに統一する」、と盛田は宣言している。現在販売中の商品の名前を変えるという、前代未聞の決定を、CEO権限で実施したのだ。
・「だまされてはいけない」、「我々には長年築いてきたLPレコードというビジネスがある。すでに多額の投資もしてきた。ユーザーも満足しているんだ。なぜ、それを捨てなければならないのか」、「(CDは)需要に結びつくのか、わからない」、「ソニーとフィリップスを儲けさせるだけではないか」。 会場は、罵声と抗議でたちまち「反(アンチ)CD」で固まった。「誰一人として賛成の声はなく、我々の片方の親会社であるCBS(ソニーは米CBSと折半出資でCBS・ソニーレコードを六八年に日本で設立していた)でさえ、アンチ側に加わっている。私たちは、反対の大合唱のなかを皆に蹴飛ばされるように、石もて追われた。這々の体で会場を逃れ、アテネの港町のレストランで、失意の余り呆然としていたことを、私は鮮明に覚えていますよ」
あのとき盛田が、社内外の大反対を押し切って金融に進出していなければ、今日ソニーは持ちこたえていなかったのではないだろうか。もし多角化の支えがなければ、消滅の危機に直面していたに違いない。
・この広告を掲載前の版下段階で、最初に見た人物がいる。後にソニー・ミュージックの社長になる丸山茂雄である。当時、読売広告社に勤めていた関係で、仕事先の製版所で「変わった版下だなぁ」と目をとめ、心惹かれて応募。第一期生八〇人の一人として入社している。
・これに対して、盛田はこう切り返したという。「何を言っているんだ。映画会社ひとつ経営できなくて、それでもソニーなのか。それじゃ、普通の日本の会社と同じじゃないか。俺は映画会社を経営できないような、マネージャーを育てた覚えはない」
・「日本人と付き合えば、日本人の考えていることしか判らない。あなたが本当にアメリカで仕事をしたいなら、アメリカ人が何を考えているか。いい物を高く売りたいなら、アメリカの白人が何を感じ、どう考えているか、をまず知らなくてはいけない」。そう言われたのだ。
田宮(前出)は、社用機ファルコンで全米各地を一緒に飛び回った体験を語る。 「アメリカに来るたびに盛田さんが先頭に立って、各州の知事を説得し、個別に落としていくのです。オレゴン、フロリダ、インディアナ、ユタ、コロラド、カリフォルニア……。州によって条件や対応がそれぞれ異なる。そこを踏まえたうえで、駆け引きをやりながら撃破していくのです。それは凄いものでした」
・八四年のオレゴン州から撤廃がはじまり、頑強だったカリフォルニア州議会も八八年には改正新法を発効させ、九一年のアラスカ州を最後に、ユニタリータックスは実質的に姿を消した。 ファルコンで、アメリカ大陸を飛び回っていた頃、田宮は盛田に「会長、あなたはドン・キホーテみたいですね」と声を掛けると、「何を言っているか。ドン・キホーテというのは風車に突っ込んでいくだけじゃないか。俺は違うよ」と笑みを浮かべて応えたという。「勇気だけではなく、現実に物事を動かしていく算段があるんだと」、その表情は語っていた。
・盛田と親しい経営コンサルタントの大前研一は、倒れる直前二カ月ほどのスケジュール表を見て「気絶しそうになった」と後になって打ち明けている(後述)。
・マイケルが届けた自作の「ヒーリングテープ」は、静かな優しい声で次のように呼び掛けている。 「ミスター盛田、ミスター盛田、マイケル・ジャクソンです。どうか良くなってください。早く良くなってください。あなたは僕たちを導いてくれる存在です。先生であり、リーダーです。僕たちの世界そのものです。あなたはたくさんのことを教えてくれました。あなたはとても強い人です。私はあなたを信じています。『一日一日、何としても良くなるんだ。私はどんどん良くなっている』。この言葉を深い意識の中で繰り返してください。愛しています、ミスター盛田。世界中の人があなたを愛し、必要としています。一番必要としているのはこの僕です……」 二六分間のテープは、朝起きる前と夜就寝の前に毎日必ず掛けられた。マイケルの言葉は、日本の一人の経営者が世界から敬愛され回復を祈られたことを象徴していた。また、そこにマイケルなりの事情があったにせよ、敬意と優しい真情が込められていた
・「プレイステーションの父」と呼ばれた久夛良木健は、一介のエンジニアだったが、井深と盛田が形づくったソニーの「破壊的成長エンジン」のプラットフォームをテコに、五年で五〇〇〇億円、一三年目には一兆円の売上を、ゼロから創りあげることに成功した。
・久夛良木は、最後にこう結んだ。「ソニーには、すごい人たちが五人や一〇人じゃなくて、数百人規模でいて、ここまでのソニーを引っ張って、何度も何度も革新をもたらしたのだ、とわかった。すごい人材を惹き付け、結集し本気にさせたら、何でも出来るぞと思った」
・大賀の右腕として総合企画本部を取り仕切り、九〇年には副社長となり、周囲からも社長候補と目されていた岩城賢が、九四年にソニー生命社長に転出すると、奇妙な文書が流布した。 「新聞を見て驚きました。なぜ出て行くのがMではないのですか」という出だしではじまるセクハラ・スキャンダルの告発文だった。決めつけの著しい文章で、内容の質は高くなかったが、事実関係は精査されないまま、「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったM副社長に社長の目はなくなった。一三年間にわたる大賀社長の長期政権のせいか、ハリウッドの乱脈ぶりが影を落としたのか、社内政治も蠢いたのか。ソニーの美点だった箍や篤実さが緩みだしていた。 副社長二人が候補リストから消え、悩んだ末に、大賀は出井を一四人抜きで抜擢した。
・出井は取締役時代には、久夛良木の「夢」だったプレイステーションに強硬に反対しているし、社長になってからも土井利忠(元・上席常務)が開発した犬型ロボット「AIBO」に反対を表明、会長兼CEOになると〇四年にはロボットの開発中止を指令している。
・「ファウンダー世代の空気を完全に払拭」するとは、アナログ時代の技術や発想からの決別を意味しているのだろうが、むしろ大賀に「消去法」と言われたことへの反発が滲んでいる。本来、デジタル・ネットワークに舵を切るならば、真っ正面から社内に訴え、ソニー・スピリットをテコに、自らのクビを賭けて渾身のエネルギーを注がなければならなかった。出井は優れたアナリストだったのだから、優秀な経営実務家とタッグを組んで、井深と盛田のように心底から信頼しあい・協調できていれば、日本発のネットワーク革命が実現できたかもしれない。
・盛田は、「経営首脳の不思議なところは、ミスをしてもその時にはだれにも気付かれず何年もそのままでいられる点である。それは経営というものが一種の詐欺まがいの仕事にもなりかねないことを意味する」、と全経営者が自戒しなければならない言葉を吐いている。
・それが〇四年頃には微妙に変わっていた。アメリカの高級誌『ニューヨーカー』の記者ケン・オーレッタが、出井CEOに「アイポッドに脅威を感じるか?」と尋ねると、「出井はまるでジャケットについた糸くずでも払うかのように否定した。——ソニーやデルはものづくりを知っている。アップルは知らない。一〜二年のうちに、アップルは音楽産業から手を引くはずだ、と」。
・久夛良木が「凄い人たちが数百人規模でいて、何度も何度も革新をもたらした」と言い、安藤が「自由闊達の風土に凄い人たちが群雄割拠していた」と語ったように、ソニーには人材や才能の〝菌糸〟が張り巡らされていて、エネルギーが充満していた。
「経営首脳の不思議なところは、ミスをしてもその時にはだれにも気付かれず何年もそのままでいられる点である。それは経営というものが一種の詐欺まがいの仕事にもなりかねないことを意味する。……私の考えでは、経営者の手腕は、その人がいかに大勢の人間を組織し、そこからいかに個々人の最高の能力を引き出し、それを調和のとれた一つの力に結集し得るかで計られるべきだと思う。これこそ経営というものだ。例え何であろうとも、今日の黒字が明日の赤字にもなるような方法で今日のバランスシートの収支をつくろっていては、真の経営とは言いがたい。私は最近、わが社の幹部にこんなことを言った。『社員の目にうつるあなた方の姿が、高い所で一人で綱渡りする軽業師のような個人プレーであっては困る。そうではなく、大勢の人びとがあなた方に喜んでついてきて、共に会社のために働く気になる——そういう人間であってほしい』」

鮮やかに描かれた「日本を揺るがせた怪物たち」

田原総一朗氏が日本を揺るがせた怪物たちに自身の関わった経験からその人物像を鮮やかに描いています。人物は死んで伝説化しているひともいれば、まだ生きているひともいますが、いずれも歴史を動かした政治家や起業家、文化人などの大人物となっています。

もちろん田原氏との関わりからの印象に引っ張られている部分もあると思いますが、そのやりとりは非常に鮮明ですごく刺激的です。それぞれ普通ではない独特の哲学を持っているのですが、だからこそ世の中へインパクトを出せたのだろうなと思いました。

<抜粋>
・「風見鶏だ」と言われたら「そんなことはない」と否定するか怒るかだと思った。怒らせて、そこから先の発言を引き出そうと思っていた。それなのに、ムッとした表情も見せずに「偉大な政治家は風見鶏だ」と開き直る。ここがいかにも中曽根なのだ。
・政治評論家で大平のブレーンであった伊藤昌哉は、 「中曽根内閣のオーナーは田中角栄。中曽根は雇われマダム」  と言っていたのである。  それが、中曽根内閣は五年も続いた。国鉄、電電公社、専売公社の民営化を実現し、レーガンほか各国首脳と緊密な関係を結んだ。サミットでも中曽根の行動は話題になり、これまでの首相にない存在感を示した。売上税の導入に失敗して支持率が急降下するが、やがて人気を取りもどし、一九八七年(昭和六二年)には、竹下登を後継総裁に指名して退陣した。
「あなたが首相になったことはいいけれども、人間としては大いに問題がある」  すると、小泉の返答はこうだった。 「田原さん、確かにその通りだ。人間としては問題がある」  そして、こう続けた。 「しかし、権力とはそういうものだ」
・「だから田原さん、こう言っておいてくれ。『小泉は人の言うことを一切聞くつもりがないようだ』とね」
「いくつも話すと、もっとも不快な部分だけを記者たちが拡大して取り上げる。一つのことしか言わなければ、どのメディアもそれを報じるしかないからいいのです」
・本田は昭和三年二二歳で最初の結婚をするのだが、こんな調子で仕事に遊びにと家庭を顧みることがなかったせいか、七年で離婚になった。一九三五年(昭和一〇年)に、生涯の伴侶となる磯部さちと再婚している。
・本田がイギリスに行って実際のコースを一ヵ月かけて視察する間、日本では、藤沢が手形の決済日を綱渡りで乗り切り、倒産を回避していた。  羽田空港で出迎えた藤沢の笑顔を見たとき、本田は人目もはばからず涙をこぼした。本田が見た世界トップクラスのレーシングエンジンは、想定した倍以上のパワーで走っていた。ホンダと世界の力の差に打ちのめされていたのだ。  このとき、本田はそれまで分散していた技術部門を統合して、本田技術研究所として独立させた。これは藤沢の発想だった。資金不足と外務省がレース遠征への許可を渋ったこともあり、本田レーシングチームが再びマン島TTレースに参戦したのは、一九五九年(昭和三四年)になってからのことだった。
本田技研が急成長を遂げた一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本におけるオートバイのイメージは決していいものではなかった。 「いまだに自動車に乗る人は良い人で、オートバイに乗るのは悪い人間だ、という固定観念がある。人間は、自分がやらないもの、得意になれないものに対して悪口をたたく、エゴのかたまりだ。おまわりさんがオートバイに乗る若者をはじめから暴走族と決めてかかっているし、ジャーナリストも自分では乗らないから、オートバイは悪いものと記事を書く。しかし、道路を走る権利、乗る権利は平等に与えられ、好きか嫌いかはその人の自由なんですよ」 と、本田は言い、日本人の持ちがちな個性的なものに対する偏見や反発と戦い続けてきた。
・かつて一〇〇人以上の部下を抱える技術部長が、大勢の前で二発殴られたことがあると言っていた。その理由は、ボルト一本の設計が間違っていたというもので、殴られた部長は、本田をにらみ返した。 「たかがボルト一本でこんな扱いを受けるのなら、こんな会社、いつでもやめてやる」 と、まさにその言葉を叫ぼうとしたとき、息を吞んだ。目の前の本田が、ぶるぶると手を震わせ、三角になった目にいっぱい涙を浮かべていたからである。大勢の社員の前で、涙を浮かべて真剣に怒る本田を見て、部長の怒りは逆に消え去った。
・本田技研工業には、今でも社長室や役員専用の個室はない。創業当時は、普通の会社のように社長室も役員室もあったのだ。しかし、本田がいつも語っていた「社長は役割に過ぎない。人間としては平等だ」という考えに基づき、一九六四年に全廃された。
・「うちが五〇年かかって築き上げたブランドを使わずに、無名のソニーブランドで売るのは馬鹿げた話だ」 とあきれ返った。それに対して、盛田は次のように答えた。 「五〇年前には、あなたの会社のブランドも現在のソニーと同様に無名だったに違いない。わが社は今五〇年の第一歩を踏み出すのです。五〇年後には現在のあなたの会社同様に、有名にしてみせます」
・一九五八年一二月、稲盛は仲間を引き連れて松風工業を退社し、翌年四月に京セラの前身である京都セラミックが発足した。当時の社員数は、社長以下二七名ほど。見通しなど何もなかった。本人や仲間たちはもちろん、前年に結婚したばかりの妻の朝子までが新会社は一年もたたずにつぶれるに違いないと思い込んでいたらしい。  ところが一年たって、京セラの社員数は、役員を除いて六〇人あまりになっていた。倍増である。一年間の売り上げは二六二七万六〇〇〇円、利益は一八六万九〇〇〇円。倒産もせずなんと黒字になったのだ。
「アメリカで売れると世界中で売れる」、この図式は現在もそうで、だからこそ、世界の企業がシリコンバレーを意識する。京セラも、日本国内のマーケットに足場を作るための戦いが、一挙に京セラを世界マーケットに押し上げたのだ。
・野坂は反原発を貫いたが、大島は原発絶対反対ではなかった。ただ、原発は非常に危険なエネルギーであって、事故が起きる可能性がある。そして、起きたら大変なのだということを当初からしきりに言っていた。  そう言うと、原発推進派は、 「チェルノブイリの原発事故は、ロシアなんていう国だから起きたのだ。日本ではあんな事故は起きない」 と熱弁していたのだが、結局二〇一一年には大変な事故が起きてしまった。あの討論のときの「そうは言っても人間というのはミスをする。想定外の問題で事故が起きる可能性があるのだ」という大島の言葉は正しかった。
さっそく立ち読みを始めてあっという間に読んでしまい、しばし呆然とした。『太陽の季節』は、石原が弟の石原裕次郎から聞いた話をモデルに書いたものなのだが、当時の青春を正面から描いた作品で、ものすごいリアリティがあった。  それに引き換え、私が書いていたのは、まるで私小説の作家たちの文章を模写するかのようなものだった。恋愛もセックスもろくに経験もないのに、ただそのまね事を書いていたのだ。「これは駄目だ。まったくかなわない」と、そこで意欲の半分が崩れ去った。  その後間もなく、やはり本屋の店先で「芥川賞大江健三郎『飼育』」という短冊を見つけた。すぐに読んで、その翻訳調で非常に鮮烈な文体に圧倒された。これで、作家への夢は完全に挫折したのである。
・インタビュアーが、相手とけんかするというのは言語道断である。もうこれで石原との関係は終わりだなと思っていたら、数日経って、石原事務所から電話がかかってきた。 「先日の田原さんとの話を、うちの後援会誌に全文載せたいのですが」  という。石原がとてもおもしろがっているというのだ。こちらは、かなりぼろくそに言ったのだから、思いもよらない話だった。そこから、石原と話をするようになっていった。
・彼の発言は「歯に衣着せぬ」と言われ、いつも問題になった。しかしどれだけ失言で物議を醸しても、本人はなんとも思っていない。だから謝罪も撤回もしない。これは、石原が政治家ではなく、作家としてしゃべっているからだ。  作家というのは、世の中に波風を立てることが仕事である。著作が「旋風を巻き起こした」とされるのは、作家としては間違いなく褒め言葉になる。石原が言いたいことを言うときは、わざわざ世の中に波風を立てる、あるいは波乱を起こすために発言しているのだ。

ひとをたくさん育てる「スーパーボス」

本書では突出した有能な人をたくさん育てる上司のことをスーパーボスと呼んでおり、それはどういうひとたちでどういったマネジメントをするひとたちなのかを描いています。

正直、何を持って「育てた」というのかは定性的なものもあり、本書もストーリーが描かれているにすぎないとも言えます。が、一定の納得感はあり、その中で自分に合った手法を見つけスーパーボスを目指していくというのがよい本書の読み方だと思います。

個人的にも、会社が急激に大きくなり、かつ拠点が増えて外国人社員も増えていく中で、いかに任せていくかは重要なテーマになっています。いろいろ問題もないわけではないですが、最終的には信頼感さえあればなんとかなるかなと思ってます。これは僕と誰かというだけではなく、社員同士も同じで。

とはいえそれがもっとも難しいことのうちのひとつでもあるのですが。

以下、おもしろかったところを抜粋コメントします。

スーパーボスは有能な求職者をビジネスチャンスと考えるので、「うちには合わない」という理由で採用を見送ることはなく、試しに使ってみるのが普通だ。そして期待どおりの働きをしなければ、単純に異動させるか解雇する。人員配置を考えなおさなければならないからといって、スーパーボスに迷いはまったくない。  部下を積極的に試そうとするので、通常の企業なら敬遠するほど人員を頻繁に入れ替える。

入れ替えるかどうかは別にして、この「試しに使ってみる」というのはすごく実感としてあります。結構ビビってしまうことが多いので。

才能があって賢いのではなく、人並み外れた才能があって驚くほど賢い人材。普通のリーダーではなく、変化の推進者。成功の可能性が高いタイプではなく、成功の定義そのものを変えてしまうような人材である。

実績というよりはこういうひとを探してきて、常にいいところを活かすようにしようとしてます。逆に言えば、ひとをうまく活用できないひとは多い気がする。僕は逆にひとが期待以上の成果を出せないのは自分のせいだと考えます。

雇うべき「ダイヤモンドの原石」と次の大きなビジネスチャンスを常に探すのと同様、新たな難しい課題に取り組む能力と意志がある従業員がいないか注意を払っているのである。

まさにこれすごく重要で、実際どのひとがどんな能力や意思があるのかを把握するのは常に注意してないと非常に難しいです。それが大体分かっていれば最善の打ち手を打っていくことができます。ただ現実には目の前に最善手があるのに気づかないケースがすごく多いと思ってます。

有能な人材は脇役に甘んじないので、上司が新しいチャンスを常に用意できるくらい成長しつづけられなければ、いずれ去っていく 。

そして最終的には自分自身や会社が成長し続けないとそういった人材を引き止めていくことはできません。

<抜粋>
・一般的に言って、規模と事業範囲で抜きん出ている業界大手には才能の養成でいくつかアドバンテージがある。特に重要なのは、評判がいいという理由だけで有能な人材が多く集まってくる点だが、スーパーボスなら規模や事業範囲や評判に頼らなくても、あらゆる組織を「才能の磁石」と呼べるほど魅力的にできる。全従業員の才能を引き出すために、やる気とインスピレーションとチャンスを与え、親身になって指導し、イノベーションを起こすといったことを、権威のある最大手と同じか、より高いレベルで行なうからだ。
・部下を指導する立場なら、スーパーボスをロールモデルにすることで自分も有能な人材を見つけ、オールスターのチームをつくり育てることができる。超一流の従業員を絶えず獲得したいと考えている取締役なら、組織にいるスーパーボスを探して重用し、まわりに見習わせるようにするとよい。社会人になって間もない場合は、スーパーボスのもとで働くチャンスを逃さないようにしよう。投資家なら、スーパーボスの事業から目を離さないようにしたい 。
・このタイプが「栄誉ある」上司になれる秘密は、勝利のためには最高の人材とチームが必要だと理解していることにある。自分の名声と栄光のことを第一に考えるエゴイストではあっても、部下の成功がそこにいたる助けになると知っているのだ。だから勝つにはどうすればいいかを教え、勝利の味を覚えさせ、これまで以上の能力を発揮するよう叱咤する。部下個人の成長にはまったく興味がないが、驚くべきことに利己的な関心だけで一流の人材を育ててしまう。
スーパーボスは革新的で先見の明があり、競争心が旺盛だ。ひたむきで想像力がたくましく、裏表がない。まわりに親切な養育者タイプもいれば、オフィスにラクダが入ってきても動じない面白いこと好きもいるが、例外なく自分のビジネスに完全にコミットし、成功の助けになる人材と真剣に向き合う。また、その言動は部下の心に強く刻まれる。
・特別な才能に対するスーパーボスの執着は、普通では想像もつかないほど強い。ほとんどの企業の経営陣、特に人材担当者は、才能があって賢くてリーダーの素質があり全般的に優秀な人材を求めていると口をそろえる。しかし、スーパーボスが求めるのはこんなレベルではない。才能があって賢いのではなく、人並み外れた才能があって驚くほど賢い人材。普通のリーダーではなく、変化の推進者。成功の可能性が高いタイプではなく、成功の定義そのものを変えてしまうような人材である。
・ラリー・エリソンは、就職希望者に「あなたは知り合いの誰よりも賢いですか?」と聞くよう採用担当者に指示していた。答えが「イエス」なら、先の面接に進める可能性が高くなる。「ノー」であれば、「では誰がいちばん賢いですか?」と聞かれる。その希望者は選考過程から外され、採用担当者は名前が挙がった人物にコンタクトしたという(13)。
スーパーボスはそれぞれの分野できわめて有能だと自覚し、安心しきっている。その地位は虚栄の上に成り立っているわけではないからだ。スーパーボスは自己意識が強いので、どれほどレベルの高い能力を見せられてもぐらつくことがない。そればかりか、新人からの挑戦を楽しみさえする。その挑戦が優れた洞察に裏づけられている場合は特にそうで、自分の理解が深まり、能力が上がり、よりよい解決策が浮かぶきっかけになれば、ありがたいと考える。
・スーパーボスは有能な求職者をビジネスチャンスと考えるので、「うちには合わない」という理由で採用を見送ることはなく、試しに使ってみるのが普通だ。そして期待どおりの働きをしなければ、単純に異動させるか解雇する。人員配置を考えなおさなければならないからといって、スーパーボスに迷いはまったくない。  部下を積極的に試そうとするので、通常の企業なら敬遠するほど人員を頻繁に入れ替える。
・スーパーボスが全力を出そうとしないときは一瞬もない。つまり、部下にとって心配すべきはスーパーボスからの要求がなくなったときなのだ。
部下から新しいアイデアを絶えず引き出し、その過程でビジネスを成功に近づけられるのは、こうしたぶれないビジョンと変化への柔軟性を両立するという、一見すると不可能なスタンスなのだ。
・スーパーボスはまず、普通よりも知性に恵まれていて「何かある」と思わせる有能な人材を雇うことから始める。次に、ビジョンで感化し、やる気を引き出し、限界まで駆りたててレベルアップする自信をつけさせ、その才能を解放させる。しかし、それでは不十分の場合は、決定的な一押しをする。部下に向かって「よし、これからは何もかもを見直さないといけない。世界を変えてこい!」と喝を入れるのだ。
・ひとつ目は、スーパーボスがチャンスを見つける鋭い目を持っていることだ。雇うべき「ダイヤモンドの原石」と次の大きなビジネスチャンスを常に探すのと同様、新たな難しい課題に取り組む能力と意志がある従業員がいないか注意を払っているのである。
・徹底した権限委譲とマイクロマネジメントを両立するなんてことが、どうしてできるのか? 一見すると相いれないふたつの行動を同時に取り入れるすばらしい能力が人間にはあるものだ。つまり、部下を信じていないせいで権限委譲におよび腰なマイクロマネジャーと、真剣さや能力がないせいで仕事を丸投げするフリーライダーに代わる、第3の道をスーパーボスは発見したのである。これを 「関与型権限委譲 」と呼ぶことにしよう。
スーパーボスは口出しせずに監督・統制する巧みなスキルを持っているという。最初に絶対的なビジョンを示してゴールを明確にしたら、あとは一歩下がってなりゆきを見守るのだ。
・普通のボスと違って、スーパーボスは大きな自信があるので他人を常に支配する必要がない。同じく自意識の強い人間が近くにいるのを楽しめるし、若手を育てて強い自意識を持たせてやろうとさえする。
・人材の選択肢は2つある。自然の限界に達するまで育てていつまでも雇うか、上司を追い越そうとする次世代の逸材を養成して手助けをするかだ。有能な人材は脇役に甘んじないので、上司が新しいチャンスを常に用意できるくらい成長しつづけられなければ、いずれ去っていく 。
・私は自分のことを考えてみた。キャリアを通じて何を成し遂げようとしているのだろうか? 車椅子生活になったとき、列をつくって挨拶に来てくれる人がいるだろうか?

※本書は献本いただいたのですがKindleで購入して読みました

ワクワク感がすごい「ボールド 突き抜ける力」

本書でいうエクスポネンシャル起業家とは「超ド級の成長と富を手に入れ、世界を変える」存在。

序盤はべき乗則な世界でどのようなことが今後可能になるのか、3Dプリンターなどを実例に描いている。中盤ではエクスポネンシャル起業家としてラリー・ペイジ、イーロン・マスク、リチャード・ブランソン、ジェフ・ベゾスを取り上げ彼らがどのような発想でどういったことを実現してきたか、しようとしているかをまとめてあります。終盤は、クラウド・ソーシング、クラウド・ファンディングの実例の話。

最後はちょっと実務的すぎるかなとも思いましたが、勉強になりました。特に序盤のワクワク感が素晴らしかったです。

<抜粋>
・今日のメイキーラブの事業は、完全に3Dプリンターによって成り立っている。「オフィスには試作品づくりのために、3台の小型プリンター『メイカーボット』を置いているの」とテイラーは説明する。「良いデザインができたら、クラウド上で3Dシステムズの大型プリンターを使って印刷するのよ。工場設備への投資を避けることはもちろん、オンデマンドのクラウド・プリンティングを使うことで、自前で大型の3Dプリンターを用意する必要もなくなる。梱包、出荷、マーケティングもすべてバーチャルでできる。倉庫代もかからないし、極東まで出張する手間もかからない。包装材を大量に生産する必要もないの。必要に応じてプリントすればいいから」
・1960年代末、トロント大学の心理学者ゲーリー・ラサムとメリーランド大学の心理学者エドウィン・ロックが、モチベーションを高め、パフォーマンスを向上させる最も簡単な方法の一つが目標設定であることを突き止めた (注4) 。当時、これは衝撃的な結果として受け止められた。幸せな労働者ほど生産的で、たとえば困難な目標を課すなどストレスを与えすぎるのは事業にマイナスだと一般に考えられていたためだ。だがラサムとロックは何十もの研究を見た結果、目標を設定することによってパフォーマンスと生産性は11~25%向上することを発見した (注5) 。かなりの増加幅と言える。8時間労働を基準とすると、作業に心理的な枠(つまりは目標)を当てはめるだけでプラス2時間分の労働を引き出せることを意味する。
・残る七つはすべてプロジェクトをしっかりと隔離するためのものだ。たとえば第3条にはこうある。「プロジェクトに何らかの関わりを持つ者の数は、悪意が感じられるほど限定すべし」。第13条も同じようなものだ。「プロジェクトおよびメンバーへの部外者の接触は、適切なセキュリティー手段によって厳格に管理しなければならない」。つまりジョンソンによると、隔離はスカンクワークスの成功に最も重要な要素なのだ。
・リンクトイン創業者のリード・ホフマンにもこんな名言がある。『製品のバージョンワンを恥ずかしいと感じないなら、出すのが遅すぎたということだ』」
・「われわれはたくさんのことに手を出すが、ほとんどは継続を許されない。いくつかの段階で、ほとんどのプロジェクトに終止符を打つ。次の段階に進めるのは、ほんのひとにぎりだ。最終的にはわれわれのやっていることはすべて成功しているように見え、一見すると天才集団のようだが、実態はまるで違う
・イギリス医療ジャーナルの2005年のレポートによると、55歳で引退する人は65歳で引退する人と比べて、退職から10年以内に死亡する確率が89%高いという。長生きするためには、生き生きとした毎日を送らなければならない。わかりやすい話だ。
・それと同じように重要なのが、この四人はそれぞれ突き抜けた挑戦やエクスポネンシャル起業家にとって必要不可欠でありながら、あまり注目されることのない能力を備えていることだ。それは大きなスケールでモノを考える発想法である。エクスポネンシャル技術によって、これまでとは比較にならないほど大きなことができるようになった。少人数のグループが大きな影響力を持ちうるようになったのだ。情熱的なイノベーターが何人か集まれば、ごく短期間で数十億人の生活を変えてしまうことだってできる。「はかりしれない影響力」という言葉ではとても言い尽くせないほどだ。
・親しい友人から直接、率直なフィードバックを受けるべきタイミングはここだ、とも言う。 「たやすいことではないが、友人からマイナスのフィードバックをもらうことが本当に需要だ。どこがまちがっているのかを確認し、軌道修正するのに役立つようなフィードバックをできるだけ早期に受ける必要がある。だがほとんどの人はこれをしない。早めに軌道修正し、現実の状況に適応しようとしないのだ」
・「結果というのは通常、あらかじめ決まっているわけじゃない。しかしわれわれは確率論ではなく、決定論的な考え方をしようとする。同じことを何度も何度も繰り返し、違う結果を期待するのは愚か者の所業とされる。でもこうした見方が当てはまるのは、きわめて決定論的状況においてだけだ。確率論的状況、すなわち現実世界におけるほとんどの状況では、同じことを2回やって違う結果を期待するというのはかなり理にかなったことだ
・「成功する確率がかなり低くても目的が本当に重要なものなら、それでも挑戦する価値はある。逆に目的がそれほど重要でなければ、成功の確率がはるかに高くなければ選ばない。僕がどのプロジェクトを選ぶかは、確率と目的の重要性の掛け合わせで決まる」
・・今後も短期的利益や短期的なウォール街の反応ではなく、長期的に市場のリーダーシップを維持するという観点から投資判断を行う。 ・市場のリーダーシップがもたらす優位性を獲得できる可能性が十分あると感じた場合は、控えめではなく大胆な投資判断を行う。そうした投資の一部は成功し、一部は成功しない可能性があるが、いずれの結果に終わっても貴重な教訓が得られるはずだ。 ・大胆な選択をするときには(競争上のプレッシャーが許す範囲で)、そこに至った戦略的思考プロセスを共有する。われわれが長期的リーダーシップに向けた合理的投資をしているか、みなさん自身で評価していただくためだ。 ・成長を重視する姿勢と長期的収益性や資金管理をバランスさせる。現段階では成長を優先する。われわれのビジネスモデルの可能性を実現するには、規模の大きさがきわめて重要と考えるためである。
・「これからの10年で変わるものは何か」。これはとても興味深い質問だし、よく聞かれる。しかし「これからの10年で変わらないものは何か」と聞かれることはまずない。私の考えでは、この二番目の質問のほうがずっと重要だ。なぜなら時間がたってもずっと変わらないものがあれば、それを軸として事業戦略を構築することができるからだ。小売業について言えば、顧客は安さを求める。それは10年後でも変わらない。配送は速いほうがいいし、選択肢は多いほうがいい。10年後になったらお客様が「ジェフ、アマゾンは好きなんだけど、もうちょっと値段が高ければいいな」とか、「アマゾンはいいんだけど、もうちょっとゆっくり配送してくれないか」などということはありえない。絶対にない。だからわれわれはこういう部分に力を注ぎ、磨きをかける。そうすれば今日の努力が、10年後も顧客に恩恵をもたらし続けることがわかっているからだ。長期的に見ても真実だと思うことがあれば、そこにエネルギーを注ぐことができる。
・「みんなが『きてる!』とわかっているもので成功するのはとても難しい。それより自分の立ち位置を決め、波が自分のほうにくるのを待ったほうがいい。次の質問は『立ち位置をどこに決めればいいんだ?』かもしれない。自分の好奇心をとらえて離さないもの、使命感を感じられるものによって決めればいい。僕は会社を買収するとき、常にこう自問するんだ。この会社のトップは使命感で動く人間か、それともカネで動く人間か、と。使命感で動く人間は、顧客が好きだから、製品あるいはサービスが好きだから、という理由で製品やサービスをつくる。一方、カネで動く人間はさっさと会社を売却して金儲けをするために製品やサービスをつくる。非常に逆説的ではあるのだが、結局は使命感で動く人間のほうがカネで動く人間よりも多くのカネを手にする。だから自分が情熱を感じられるものを選ぼう。それが私からの一番重要なアドバイスだ」
・「僕にはとてもシンプルな尺度がある。『あなたは世界を変える可能性のある仕事をしているか?』。イエスかノーか。99・99999%の人の答えは『ノー』だ。われわれはもっと多くの人に、世界を変える方法を教えるべきだと思う」
「野心的なプロジェクトを増やすと、失敗する確率も高まると思われがちだが、実際にはそうならない。たぶんその理由は、野心的なことに取り組めば、たいていは何か重要なものが生まれるからだ。グーグルが初めてAIに取り組んだときの例を挙げよう。2000年のことで、当時の社員はまだ200人に満たなかった。そのときはAIを生み出すことはできなかったが、検索連動広告を適切なウェブページに載せるための『アドセンス』が生まれた。それが今ではグーグルの売り上げの相当部分を生み出すようになっている。だからAIは失敗したけれど、副産物としてとても有益なものが生まれた。これまでの野心的挑戦はほぼ100%、こういう展開になっている」
・だがフタを開けてみると、世の中にはTシャツの図柄に投票したいという人がたくさんいることがわかった。それも大量に。こうして数年もたたないうちにスレッドレスの利益は年間2000万ドルを超えるようになった。ニッケルとデハートはあれよあれよという間にアメリカ第3位のTシャツメーカーをつくってしまったのだ。
・それとは対照的に、トンガルのプロセスはこんな具合だ。まずブランドはコマーシャルをクラウドソースすることを決めると、最初のステップとして予算を提示する。だいたい5万ドルから20万ドルの間である。それからトンガルがプロジェクトを企画、制作、配信の3段階に分割する。クリエイターがそれぞれの専門分野(脚本、監督、アニメーション、俳優、ソーシャルメディアのプロモーションなど)に特化できるようにするためだ。第一段階の企画コンペでは、クライエントがコマーシャルの目的を簡潔に説明する。トンガルのメンバーはそれを読み、企画を500文字(ツイート3本分)以内にまとめて提出する。クライアントは気に入った企画を数本選び、全体予算の一部を勝者に配分する。
・従来のプロセスでは7~10本のコンテンツしか制作されないのに対し、トンガルのコンペでは平均して企画段階で442本、制作段階では20~100の動画が制作される。費用対効果は絶大だ。
・たとえばすでに紹介した配車サービスのウーバーは、エンジェルリストで創業資金の130万ドルを集めただけでなく、投資家のシャービン・ピシェバとも出会った。ピシェバはのちにメンロー・ベンチャーズで、ウーバーのために3200万ドル規模の「シリーズB」ラウンドを取り仕切った(ピシェバ自身はエンジェルリスト有数の投資家である)。
・最終結果も予想外だった。ペブルウォッチは正確には37日間で6万8929人の支援者から1026万6845ドルを調達した。その時点の世界記録である。それ以降も輝かしい結果を残してきた。20万ドルの出資も集まらないという状況からわずか1年後には、クラウドファンディングの成功をテコにミジコフスキーはベンチャーキャピタルからさらに1500万ドルを調達した。特筆すべきはペブルウォッチが初年度で40万個を売り上げるなど、iPodの初年度(39万4000個)を上回る結果を残したことだ。
・目指すべきは、この金額があればプロジェクトを前進させることができるという〝ギリギリ最低限の金額〟を設定することだ。この数字を算出するうえで重要なのは、クラウドファンディング・キャンペーンにかかる必要経費を考慮しておくことだ。一つは取引コストで、ここにはクレジットカード会社への手数料4~5%に加えて、プラットフォームに支払う手数料4~5%も含まれる。二つ目は約束した特典をまかなうためのコストで、これについてはあとで詳しく述べる。
・キャンペーンの多くは期間を30~120日間にしているが、インディゴーゴーのデータによると期間が短めのキャンペーン(平均33~40日)のほうが長めのキャンペーンより成績が良い(注21)。ちなみにペブルウォッチのキャンペーンは37日間、ARKYDは32日間、テスラミュージアムは45日だ。上のグラフからもわかるとおり、ARKYDのキャンペーンでは最初に大きな山があり、中間に小さな山(目標額の100万ドルを超過したあたり)、そして最後に大きな山があった。このようにキャンペーンの中盤がへこむのは典型的な推移で、キャンペーン期間を長くしても意味がない理由もここにある。
・もしあなたが特大ホームラン、つまり25万ドル以上の獲得を目指すのであれば、魅力的な1万ドルクラスの特典を用意することも重要だ。これについては後で詳しく説明するが、1万ドルの特典はゲートから勢いよく飛び出し、超・信頼性のあるスタートを切るための手段であることを頭に入れておこう。
・希少性はプラス材料  いろいろなクラウドファンディング・キャンペーンを見てみると、たいていの特典は数が限られていることがわかる。100ドルの特典は1000個、1万ドルの特典は20個のみ、といった具合に。このように数を限定することで、支援者の間に後ではなく今すぐに出資を約束しなくてはという、希少性の幻想と焦りが生まれる。実際にはもちろんキャンペーンの途中でいつでも特典を追加するのは可能で、特定の価格の特典が定員に達したら同じ価格で似たような特典を発表すればいい。
・第三に、ARKYDキャンペーンで集まった資金の10%以上が、既存の出資者による追加出資だった。つまりキャンペーン期間中に、すでに出資した支援者がもっと上の特典パッケージに切り替えようと金額を積み増したのだ。この〝買い増し〟を助長したのが、出資者の関心をつなぎとめるためにわれわれが行ったさまざまな活動である。詳しく見ていこう。
・今後はネットフリックス・プライズのようなコンテストの重要性が一段と高まるだろう。今日の世界はデータであふれており、この宝の山から有益なものを掘り出すと何十億ドルものビジネスに化ける可能性がある。明日の世界ではさらに情報量は増えるだろう。一兆個のセンサーとネットワークが遍在する時代が始まろうとしており、いつでもどこでもあらゆるモノについてのデータが取れるようになる。賞金付きコンテストは人類史上最高のイノベーションを加速するエンジンであり、エクスポネンシャル起業家にとっては宝の山からとてつもない価値のある知識を抽出するための、きわめて効果的なツールとなる。
・6 社内のイノベーションだけを頼みにしている企業は消滅する。競争力を維持するにはクラウドの力を使いこなさなければならない
・これから到来するエクスポネンシャルの時代には、革新的技術があらゆる人の手に渡る。それがわれわれを潤沢な世界に導いてくれることに疑いの余地はないが、富と権力をひとにぎりの人間の手に集中させる可能性がある。これからの激動の時代にはそのような絶対権力によって堕落しない、新しいタイプの道徳的リーダーが必要だ(注26)

神話から始まる「善と悪の経済学」

世界初の長編物語である「ギルガメシュ叙事詩」にはお金が出てこないという。ギルガメッシュはまさに自然状態から都市を築いていく、すなわち文明化していく物語です。しかし、その後の旧約聖書には自然礼賛が見受けられ、富に対する嫌悪も貧しさの称賛もほとんど出てこない。一方で、新約聖書は富者を手ひどく軽蔑し、天国の新しい都エルサレムの楽園としている。

神話は現実の抽象化であり、モデルであり、比喩であり、物語である。神話をこれまでとはちがう角度から見たら、科学にしても、理論を巡る神話を形成していることがわかるだろう。人間は事実を物理的に見るのではなく、事実が表していると解釈したものを見る。太陽が「昇る」のは誰でも目にするが、なぜ、どうして、ということは解釈に拠る。ここに物語の入り込む余地がある。

これらの神話は世の中を抽象化したものであり、経済思想の源流となっています。

二人の偉大な経済学者、ハイエクとシュンペーターは、マンデヴィル★57とスミス★58いずれについても経済思想の独創性を否定する一方で、心理学、倫理学、哲学に関しては両者を重要な思想家と評価している。それなのに、経済学の基礎を築いたのはスミスだという見方がなぜ定着したのだろうか。これは要するに、実際には心理学、倫理学、哲学が経済学の核の部分に存在するからではあるまいか。

マンデヴィルとスミスは心理学、倫理学、哲学で独創性を示したが、これはまさに経済思想の核であった。

私としては、経済思想が単なる応用数学よりはるかにゆたかな学問であることを、ここで思い出してほしいのである。そして、人間の行動を説明したいなら、このゆたかな学問の広がりを理解すべきであると強調したい。数学はたしかに必要だが、十分ではない。数学は経済学という大きな器の一部にすぎない。この器にはもっと根本的な問題がたくさん詰まっており、本書ではそれらを論じようと試みてきた。

現在の経済学を痛烈に批判しつつそういった壮大な経済思想の歴史を描いています。読み終わった後、壮大な旅をしたようになれる良書でした。

<抜粋>
最初に文字の書かれた粘土板が手形や帳簿であって、それらは商売や戦争のためだったとしても、最初に書かれた物語が主に描いたのは、偉大な友情と冒険だった。意外にも、そこにはお金のことも戦争のことも出てこない。ものを売る人も買う人も登場しない★5。
・C・S・ルイスが書いたように、「友情は、哲学のように、芸術のように……不必要である。友情に存在価値はない。しかし友情は、生きることに価値を与えてくれるものの一つだ★15」。
だが友情は、偶然や外生的要因も絡んでくるにしても、ゆたかな発想を生み、偉業を成し遂げる下地となり、社会を変えられるほどの力を持つ★19。友情は、自分一人では逆らえないような既存体制にさえ、立ち向かう勇気を与えてくれる。
・ここには、一つの重大な歴史的変化も示されている。人々は、都市という不自然な環境で暮らすことを自然だと感じるようになったのである。メソポタミアの人々にとって、人間の住まうところは都市だった。
つまりギルガメシュは単に腕っ節の強さだけでなく、経済的な重要性を持つ発見や行為によって英雄になったと考えられる。杉の森を切り倒して建設資材を手に入れたことも、エンキドゥがウルクの経済を乱すのを防いだことも、冒険の途上で砂漠を横断する新しいルートを発見したことも、これに該当する。
・人間の中には二つの傾向があるように思われる。一つは経済人のそれであり、合理的で、抑制や最大化や効率向上をめざす。もう一つは野生児のそれであり、動物に近く、予測不能で荒々しい。人間であるということは、両者の間のどこか、あるいは両方なのではあるまいか。
彼は自然を出て城壁を越えて人間になったが、この変化は不可逆的で、以前の生活に戻ることはできない。「野の動物たちは彼を避け★36」るようになる。自然は、一度その胎内から出た者が戻ることを許さない。「遠い昔に人間を生んだ自然は、いまも外にあり、城壁の向こうにある。自然は見知らぬものであり、いくらか敵対的である★37」。
文化の歴史は、自然の気まぐれをできるだけ遮断しようとする人間の努力の歴史でもある★39。文明が高度化するほど、人間は自然やその影響から守られ、望み通りの安定した環境あるいは制御可能な環境を整える術を身につける。現代人の予定は、もはや収穫にも、野生の獲物にも、季節にも左右されない。外が極寒であれ猛暑であれ、家の中の温度を一定に保つこともできる。
・「城壁は、都市の永続性を象徴すると同時に、それを実現するものだった。都市は恒久的な建造物であり、住民に安全を保障し、個人の一生をはるかに超えるような事業に投資しうる環境を整えた。ウルクの繁栄と富は、城壁の確実性に支えられていたのである。地方から来た者は都市の住民に憧れ、おそらくは羨んだだろう★43」。
・すべてのニーズを満たされていたエンキドゥは、自然状態において幸福だったと言ってよかろう。文明人の場合、持てば持つほど、洗練されゆたかになるほど、必要なものは(けっして満たされないものも含め)増えていくように見える。
文明と進歩は都市の中で実現する、都市こそは人間の「自然な」住処だ──これは、ギルガメシュ叙事詩を貫く無言のメッセージである。この視点からすれば、自然のままの状態でいることは、人間にとってけっして自然ではない。そもそも都市は、人間のみならず神の住処でもあった。
・生まれたときの自然な状態は、ギルガメシュ叙事詩の中では不完全であり、悪である。人間の本性は、手を加え、文明化し、育て、押さえつけなければならない。この叙事詩の視点からは、次のような象徴的な見方をすることができる。すなわち人間の本性は不十分な悪いものである。教育や修練によってありのままの姿から断ち切ったときに初めて、よいもの、人間的なものが生まれる。人間らしさこそが文明の始まりなのだ……。
・ギルガメシュ叙事詩にはことさら自然を讃えた箇所はないが、旧約聖書には詩の形をとった自然礼賛が見受けられる。
このように、自然や自然状態はヘブライ人にとってよいものであり、都市文明は悪いものだった。神の祭壇の原型は移動式で、固定されたときもただ天幕の中に置かれるだけである。ユダヤ教の幕屋(タバナクル)という移動式の神殿はここに由来する。彼らは、文明は人間をだめにすると考えていたのだろう。自然に近ければ近いほど、より人間らしくいることができた。人間がありのままの姿でいるためには、いかなる文明もよいものではなかったし、人間的でもなかった。ギルガメシュ叙事詩とは反対に、ヘブライ人にとって悪は城壁の中に、文明の中に存在した。
たとえば新約聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」を読めば、楽園の構想が、庭園だった旧約聖書の時代から大幅に変わったことがわかる。ヨハネは、天国を都市として、新しい都エルサレムの楽園として語っている。城壁の内側の様子がことこまかに語られ、純金の大通りや真珠の門があるという。生命の木があり、河はそこから流れ出すとあるが、それ以外に自然に言及した箇所は見当たらない。
・始めギルガメシュは、ウルクの城壁建設というさほど独創的でない方法で自分の名前を永遠に残そうとした。しかし友エンキドゥを得ると、城壁建設を放棄し、英雄としての評価を高めるべく都市を後にする。「永遠の生命を求めて、ギルガメシュは途方もない難事業に挑み、超人的な能力を発揮する★76」。ここではもはや、自分の幸福や利益の最大化は目的ではない。重要なのは、英雄的な行為の形で人類の歴史に名を残すことだった。冒険と名声の最大化が、利益の最大化に取って代わったのである。
この叙事詩では、人間の文明化にも立ち会うことができた。自然状態から解放され、自然から遠ざかっていく壮大なドラマである。ギルガメシュは都市を自然から遮断する城壁を築き、文化のための空間をつくった。それでも「文明の偉大な成果でさえ人間の欲望を満足させることはなかった★86」。人間は、けっして安住することがなく、満足を知らない不安定な傾向を祖先から受け継いでいるのであり、このことを忘れないようにしたい。
経済的な取引や交換からは、友情は抜け落ちている。なぜなら、友情は与えるからだ。真の友は真の友にすべてを与える。
のちに科学を生み出し文明全体に希望をもたらす力となる進歩という観念は★14、歴史を一本の線と捉えたとき初めて生まれた。歴史に始まりと終わりがあり、それは同一地点ではないとすれば、次世代に実を結ぶようなことを探求するのも、意味のある行為になる。こうして進歩は新しい意味を獲得した。
・標準的な世帯の家具は、四〇〇〇年にわたってほとんど変化がなかった。つまり、キリスト生誕のはるか前に眠りについた人が一七世紀になって目覚めたとしたら、日々の生活で使う道具や設備類にさほど変化を認めなかっただろう。
・旧約聖書の教えには、富に対する嫌悪も貧しさの称賛もほとんど出てこない。富者を手ひどく軽蔑する厳格さが表れるのは、新約聖書になってからである。
・シュメール人は二元論を信じており、善の神と悪の神が存在し、地上はその争いの場だった。ユダヤ人は正反対である。世界は善の神によって創造され、悪は倫理に反する人間の行為の結果として生まれる。つまり悪は人間が引き起こすものだった★66。
・同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えられるためである★156。
・プラトンもアリストテレスも、労働は生きるために必要とみなしてはいたものの、それは低い階級のやることだと考えていた。そうすればエリートは労働に煩わされることなく、「純粋に精神的な活動すなわち芸術や哲学や政治」に専念できる。アリストテレスは、労働は「堕落であり時間の無駄であって、真の名誉への道を妨げる★173」とさえ考えていた。  だが旧約聖書の労働観はまったくちがう。労働を称える文章は枚挙にいとまがない。
・ここですこしアダム・スミスに言及しておこう。近代以降の経済学に対する彼の偉大な貢献の一つは、分業について考察し、生産プロセスの発展と合理化における分業や専門化の重要性を指摘したことにある。ところがクセノポンは、アダム・スミスより二〇〇〇年も前に、分業の重要性を説いているのだ。
・神話は現実の抽象化であり、モデルであり、比喩であり、物語である。神話をこれまでとはちがう角度から見たら、科学にしても、理論を巡る神話を形成していることがわかるだろう。人間は事実を物理的に見るのではなく、事実が表していると解釈したものを見る。太陽が「昇る」のは誰でも目にするが、なぜ、どうして、ということは解釈に拠る。ここに物語の入り込む余地がある。
・ヌスバウムによれば、「ソクラテスは、人間の社会的生活における決定的な真の進歩は、人間が新たな技術、とりわけ計算や測定をこなす技術を発見したときにのみ実現すると述べた★89」。この観点からみれば、人間と文明の歴史全体は「偶発性に対して人間が次第に支配を強めていく物語★90」だと言えよう。
・「アリストテレスの聴衆は、彼が現世の日常的なことばかり好んで論じるのに腹を立て、もっと高尚で洗練されたことを話題にせよと要求した★102」という。だがやがてアリストテレスの語る現世のことは注意を引くようになり、プラトンの観念の世界は脇に押しやられた。アリストテレスは、プラトンが重々しく影にしてしまったことに光を当てたと言える。
『指輪物語』の中では、何一つとして売ったり買ったりされないことに読者は気づいておられるだろうか。必要なものはすべて、旅の途上で贈られる★40。細部にこだわる作者のトールキンは、物語のどこにもお金が出てこないよう細心の注意を払った。その効果もあって、『指輪物語』は昔話やおとぎ話、あるいは神話との共通性を感じさせる。ギルガメシュ叙事詩の中にも、お金に関することはいっさい出てこないし、誰かが何かを売る場面もない。大切なものは贈られるか、見つかるか、盗むのである(たとえば「力の指輪」なるものはこれらの方法を使って持ち主を変えるが、売られることはない★41)。
「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます★53」。この一節は、「金銭は諸悪の根源」というふうに誤って引用されることが多い。だが聖書の言いたいことは、そうではない。人を誤らせるのは、金銭そのものではなく、金銭欲なのである。
アダム・スミスほど有名ではないが、現在知られている形での市場の見えざる手を思いついたのは実際にはマンデヴィルであって、アダム・スミスだとする今日の見方は誤りである。
・見栄と虚栄から建てられる病院の数は、徳が束になってかかるよりも多い。 ──バーナード・マンデヴィル★7
スミスが残したほんとうに重要な遺産は、社会を結びつけるのは共感であるという思想と、中立な観察者という概念の二つである。今日では、見えざる手によって経済社会がうまく運営されている、というようなことをスミスが言ったとされているが、実際には彼自身はこの言葉を三回しか使っていない。主著である二冊の著作で一回ずつ、そして『天文学』で一回である。したがって、なぜ見えざる手がこれほどの熱狂を巻き起こしたのか、まったく解せない★18。
・自分の利益を追求する方が、実際にそう意図している場合よりも効率的に、社会の利益を高めることが多いからだ。社会のために事業を行っている人が、実際に大いに社会の役に立った話は、いまだかつて聞いたことがない。
・二人の偉大な経済学者、ハイエクとシュンペーターは、マンデヴィル★57とスミス★58いずれについても経済思想の独創性を否定する一方で、心理学、倫理学、哲学に関しては両者を重要な思想家と評価している。それなのに、経済学の基礎を築いたのはスミスだという見方がなぜ定着したのだろうか。これは要するに、実際には心理学、倫理学、哲学が経済学の核の部分に存在するからではあるまいか。
・旧約聖書の時代には、人々は社会制度のグレーゾーンで生まれるこうした悪に対して、毎年象徴的に生け贄を捧げることによって対処した。罪を誰か特定の人間に負わせることは不可能でも、悪を防ぐことが全体のために必要だと考えたからである。新約聖書の時代になると、「自分が何をしているのか知らない★27」人々や「目の見えない案内人★28」のための象徴的な生け贄は、キリストによって永遠に果たされた。キリストは自ら生け贄の子羊となったのである。社会が複雑化するほど、知らないことが多くなる。私たちは、いま着ているシャツを誰がつくったかさえ知らないし、知ろうともしない。しかもこれは、ごく単純な事柄である。もっと複雑な社会の相互作用になったら、どれほど無知かは改めて言うまでもあるまい。
・とはいえこれは数学批判ではないし、数理経済学にケチをつけるつもりもない。私としては、経済思想が単なる応用数学よりはるかにゆたかな学問であることを、ここで思い出してほしいのである。そして、人間の行動を説明したいなら、このゆたかな学問の広がりを理解すべきであると強調したい。数学はたしかに必要だが、十分ではない。数学は経済学という大きな器の一部にすぎない。この器にはもっと根本的な問題がたくさん詰まっており、本書ではそれらを論じようと試みてきた。
・分別のある人は、自分を世界に適応させる。 分別のない人は、なんとかして世界を自分に適応させようとする。 よって、世の進歩はすべて分別のない人による★2。 ──ジョージ・バーナード・ショー
経済学者は未来を説明したがっているが、じつは過去さえ説明できないことがままある。カール・ポパーは、その名も『歴史主義の貧困』という本を書き、過去の出来事を説明することは現実には不可能か、逆に何通りもの説明を与えることが可能だという結論に達した。たとえば、経済学者は一九二九年の大暴落の原因についていまだに意見が一致していないし、大恐慌が終わった理由についても一致していない。この例一つで十分だろう。
・最も妥当な結論は、二〇世紀最大級の哲学者にして神学者(そして数学者)のアルフレッド・ホワイトヘッドが下したものではないだろうか。それは、未来は神にとってさえ定まっていない、という結論である。アダムとイヴが禁断の木の実を食べると知っていたら、なぜ神はあれほど怒ったのだろう。旧約聖書の預言者たちは、未来を決定論的に預言したのではなく、とくに何か対応策が必要な場合について、警告を発して戦略的選択肢を提示したのである。対応が適切であれば、預言は実現しない。人間は未来について悲観も楽観もすべきではなく、やはり未来はわからないと考えるほかはない。
人間の歴史をふり返ってみていま言えるのは、人間は、人生の単純なことを受け入れて楽しむ方向へと進化しなければならない、ということのように思われる。

100%わかっていることに賭け続ける「ぼくらの仮説が世界をつくる」

著者は『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などを出してきた編集者で、現在は漫画家・小説家のエージェントをするコルクという会社を起業しています。

編集者が何をしているのかあまりよく知らなかったのですが、作家が作品を生み出すことに全精力を使っているからそれ以外のことをする、というのはすごく理解ができるし、ビジネスモデルがどんどん変わっている今、さらに必要とされていくのだろうなと思いました。

また「100%わかっていること」に賭けるというのは起業家も同じであるわけですが、これはすごく難しい。何年も芽が出なくてもやり続けるというのは相当な強さが必要だと思うし、それだけの確信を得るための観察力や洞察力が優れているからこそできる技なんだろうなと思いました。

下記、抜粋みてもらえればと思いますが、いろいろハッとすることがあっておもしろかったです。

<抜粋>
・作家は、「異能の人」です。人口の1%どころではなく、0・1%か、0・01%くらいしか存在しません。一緒に仕事をしていて感じるのは、彼らは物語を作っているのではなく、頭の中にもう一つ別の世界を持っていて、そこへトリップしているのです。 だから、本という形だけだと、作家が創造したものの10%くらいしか使用していないことになります。それを、30%、40%に高めていくのが、これからの時代の編集者の役目だとぼくは考えているのです。
・同じように作家も、本というプロダクト一つではなく、そのまわりに付随するすべてを、誠実にパブリッシュしていくことが、求められていくのです。ただ、作家は、作品を生み出すことに全精力を使っていて、それ以外のことをする余裕なんか残っていません。そこで、それをサポートするのが、コルクの役割です。
・たとえば1日中、何もすることがなかったとします。ひと昔前までは、そんなとき「今日はヒマだから映画を観に行こう」と思ったものです。しかし、最近では「ヒマだから映画を観に行こう」という感覚は、あまり一般的ではありません。 映画はヒマだからふらっと観に行くものではなく、「予定を立ててわざわざ観に行くもの」になっているからです。2000円近い料金を払って、2時間くらい劇場に座り続ける。もはや映画はヒマつぶしではなく、立派な「イベント」になっているのです。
本質的なものを作れば、強いコンテンツができて、ちゃんと売れていく。ぼくはそういう信念で本作りをしています。
「どちらの欲望のほうが、より本質的なのか」を見極めると、どちらが残るかがわかります。
・ぼくの行動原理も、恐怖から来ているので、「100%わかってること」しか、ぼくとしてはやっていないつもりです。 CDショップや書店をぶらぶらして、出会いたかった作品と出会うのではなく、「SNSを通じて作品と出会うようになる」というのは、100%起きる変化です。その変化に対応する方法はまだわからないけれど、変化することはわかっている。だから、ぼくの行動は、「100%わかっているほう」へ懸けているだけなんです。
誰も読んだことがない物語を作る人も、誰も想像できない社会を実現する経営者も、優れているのは「想像力」というよりも「観察力」です。
観察力がある人は、努力すれば必ず表現力を身につけることができます。でも、その逆に、いい観察ができない人は、継続していい表現をすることはできません。
・ぼくらは普段、ちゃんと見ているように思っても、ほとんど何も見えていないのです。あとで「さっき、何があった?」などと聞いてみても、漠然としか記憶していないでしょう。そのことを意識することから、観察は始まります。 私たちのほとんどは、「見たいものしか見ていない」のです。「現実をほとんど見ていない」ということを理解できたとき、観察力は上がっていくでしょう。
多くの人は、だいたい1年ほど結果が出ないと、そこで諦めてしまいます。2年頑張れる人もかなり少ない。3年、自分を信じて、努力し続けることができる人はほとんどいません。
・最終的には、時間消費としての買い物のほうが大きくなってくるはずです。 ただ、時間消費はコミュニケーションが鍵になります。今は、ネット上のお店とお客のコミュニケーションは、リアルと比べるとずっと不便です。コミュニケーションの問題が解決されたら、ネット上の売買は爆発的に増えるとぼくは予想しています。
・嫉妬は、たいてい自分が目立ちたい、評価されたいという気持ちから起きます。でも、「自分が目指しているのはそこではない」と冷静に分析できれば、そのような気持ちは自然となくなります。 仮説がないと、未来は変えられない。でも、仮説だけじゃ何も起きません。それを実行する人が必要で、そのほうが、仮説を立てるよりもずっとずっと難しい。
・実は、自分が「おもしろい」と思うことは、自分にとって新鮮なだけなのです。自分がおもしろいと思っても、世間には「よくわからない」と思われて終わりです。それよりも、自分では飽きていておもしろくないと思っていること。そういうことは、自分の中で何度も考えられ、熟成されたことなので、世間にとっては発見であることが多いのです。
・だから、「ぼくは楽しめなかったけれど、描いていて、どこが一番ワクワクしたのですか?」と質問します。説明を聞けば、ただ演出がうまくいっていなくて、おもしろさが伝わっていないだけだ、とわかるので、どのような演出がいいのかを話し合えばいいのです。 相手と信頼関係を築き、一緒に同じ目標に向かっていることを確認し合っていれば、正直な感想は、相手が自分を客観視する手助けとなり、感謝されるはずです。
・葬式に出ながら、ぼくは仕事について、自問していました。 そして、彼がどれだけ望んでも手に入れられない「仕事をする」という機会をもらっているのだから、もっともっと仕事を楽しまなければ!そう考えました。

米国最高情報機関の予測する「シフト」

大統領が変わると報告されるという「グローバル・トレンド」執筆責任者が辞任後に、一般向けに未来を予測してもっと噛み砕いて書いています。

丁寧にテクノロジーの進歩や各国の政治を分析していて、かつ政府文書ほど固くないのでおもしろいです。もちろんこの通りにすべてはいかないのは間違いないですが、それでも一部は実現する未来だろうし、可能性があるという一点だけでも知っておくことには意味があることです。

その上で自らの人生の戦略や自分の関わるビジネスも組み立てていかなければならないという意味で、非常に勉強になる一冊かなと思います。

<抜粋>
SF小説家ウィリアム・ギブソンが言うように、「未来はすでにここにある。ただ均一に広まっていないだけ」かもしれない。
・個人のエンパワメントが現代のメガトレンドであり、未来を考えるときの出発点にするべきだという私の考えには、誰もが同意してくれた。だが、警戒の声は大きくなる一方だった。ケニアの会議出席者はこう語った。「個人のエンパワメントは大きな危険をはらんでいる。民族ごとの集まりが政治的に利用されて、紛争の種になるおそれもある。アンチ市場、アンチ社会保障、アンチ政府を唱える大衆迎合主義が高まっている」。さらにこの人物は最大の懸念を口にした。「ケニアが20〜30年後も統一国家でいられるという確信が私にはない」。個人のエンパワメントによって国の一体性が失われつつあるからだ。
ハーバード大学の社会学者サミュエル・ハンチントンらは、「中間層は生まれたときは革命家で、中年になる頃には保守的になる傾向がある」と指摘している。
・大きな試金石となるのは中国だ。中国が民主化すれば、民主主義は西側の価値観なのか、それとも普遍的な価値観なのかという議論に決着がつく。また、ソ連崩壊後のような民主化の波が起きるだろう。
・こうした中国政府の立場は、検閲をめぐるグーグルとの対立でも表れた。中国の検閲戦略を注意深く見守ってきた人なら、政府が国内のビジネスエリートの反応を気にしていることを知っているだろう。ある人物は次のように指摘したという。「政府は現在、グーグルから新しいサービスが出たら、中国で一定の人気が出る前にブロックする戦略を取っている。……中国でGメールがブロックされていない(一時的に使えなくなることはあるが)唯一の理由は、すでに企業や政府のエリート層が世界じゅうの友達や家族や同僚とGメールで連絡を取り合っているからだ」
・調査では、多くの国で道徳的・文化的な優越意識が見られた。2013年の調査では、アメリカ、東ヨーロッパ、そしてアフリカとアジアと中米のほとんどで、回答者の半分以上が、自国の文化はよその国の文化よりも優れていると考えていた。この意識は特に途上国で強い。インドネシアと韓国では回答者の90%が、インドでは80%以上が、自国の文化の優位を信じている。
日本は中国との差が拡大しているが、「中の上」程度のパワーを維持するだろう。ただし大規模な構造改革を実行すれば、という条件がつく。
・日本ではいまも文化的に、母親が家にいることが理想と考えられており、女性が家庭と仕事のバランスを取るのは難しい。しかし実は、日本の女性の労働力参加率はさほど低くない。61%という数字は、アメリカ(62%)、イギリス(66%)、ドイツ(68%)と大差ない。英フィナンシャル・タイムズ紙のマーティン・ウルフ主任経済論説委員は、「(日本の)女性の労働力参加率は、アメリカなど西側諸国と同等の水準まで上昇するかもしれないが、それでも経済の見通しが変わるわけではない」と指摘している。
・現在、ドイツの人口はフランスやイギリスよりも多いが、2050年までに逆転する可能性がある。フランスとイギリスのほうが移民が多いからだ。最新のCEBRの予測では、イギリスは2030年までに西ヨーロッパ最大の経済大国になりそうだ。イギリスの人口動態がドイツよりも好ましいことがその一因となっている。
・そもそも将来、グローバルな機構は必要なのか——こう聞いてくる人は多い。それに対する私の答えは、イエスだ。どんなに非効率的で、官僚的で、場合によっては腐敗していても、国際機構の存在意義は、たとえば国連平和維持活動によって、紛争の犠牲者が減ったことに明確に見て取れる。国連のミレニアム開発目標が、貧困の撲滅、普遍的初等教育の実現、そしてエイズの蔓延防止を掲げたおかげで、これらの目標に世界の注目が集まった。アメリカを含め、どんな加盟国が単独でこうしたキャンペーンを張っても正統性は認められなかっただろう。
・あと20年もすれば、現在の職場を破壊するような未来型システムの基本的要素が出そろうだろう。そうなれば製造業には、人間の作業がまったく不要になる領域が出てくるだろう。途上国にアウトソーシングするよりも、業務を完全自動化したほうが安上がりになる。途上国でもエレクトロニクスなどの分野では、ロボットが単純労働を担うようになり、賃金水準を押し下げるか、多くの労働者を失業させるだろう。
・IBMはニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリング癌センターと、米医療保険大手ウェルポイント・ヘルス・サービスと協力して、ワトソンによる腫瘍専門医の診断支援を行っている。人間が最新の医療文献に目を通すには、週180時間が必要だが、忙しい医師にそんな時間はない。ワトソンは入手可能な全文献と患者のカルテに基づき、最適の治療法を医師に推薦する。それもたった一つの治療法ではなく、複数の治療方法をランクづけして提示する。もちろんその根拠となった文献も表示する。医師は専用マイクでワトソンに意見を言ったり、もっと証拠となる文献を見せてくれと頼むこともできる。
・中国は、難しい体制移行の時期に差しかかっている。向こう5年間で1人当たりの所得は1万5000ドルを超えると言われているが、歴史的にこの水準は、政治的自由化運動が起きる分岐点と考えられている。
・現在生産技術に起きている変化は、第3次産業革命を起こすレベルの激変だ。それは過去20年間にインターネットがもたらした変化よりも、はるかに深遠な変化を今後20年間にもたらすだろう。もちろんインターネットは新しい産業化の波に不可欠だったが、第3次産業革命にはそれとは違う勢いがある。特にバイオテクノロジーのもたらす激震を考えると、この革命はインターネット革命を超えるだろう。
・グーグルなどが開発を進める自動運転車は、向こう10年以内に実用化されそうだ。そうなれば、長期的には車の使い方から交通インフラの設計、さらには都市計画における土地利用法に劇的な変化をもたらすだろう。交通事故の原因は90%以上が人為的ミスだから、自動運転車が普及すれば激減するはずだ。また、現在都市空間の60%が車道や駐車場など自動車のために割かれているが、アプリを使って必要なときに車を呼び出せられるようにすれば、そのスペースは大幅に減らせる。マイカーは1日の90%は使われていないから、オンデマンド利用が拡大すれば駐車場と車の数自体が激減するだろう。他方、車を使えば現在地から目的地の目の前まで行けるから、公共交通機関を使うよりも効率的になるだろう。
・シリコンバレーは利益を独り占めした。テクノロジーの恩恵の偏りは、貧困層だけでなく、中間層も苦しめた。高賃金の仕事の多くが消滅した。それに対して、われわれグーグルやフェイスブックの従業員は、外とは隔絶された世界に生きていた。何もかもが苦労なく手に入り、自分たちはすごいと錯覚するようになった。

圧倒的成果をあげるための近道「イシューからはじめよ」

いろいろやらなければならないことが多いように見えるが、実は本当に今すぐ解決すべきイシューは少ない。イシューを特定してから集中して解決していった方がよいということで、そのやり方やアウトプットの質を高めるやり方などが書かれています。

これはまさにそうで、過去を振り返っても、結局のところ本当に成果を出せたということは年に1,2回しかない。しかも、そのうち特大の成果は数年に一度しかないことを考えれば、まさにイシュー設定が非常に重要だということが分かります。

もう一つの観点としては、成果を出せるひととなかなか出せないひとの違いというのは、ほとんどこのイシュー設定がうまいかどうかにかかっています。一見すごくスムーズに的確な判断をしながら仕事をこなしているように見えても、成果がなかなか出ないのはうまくイシューを特定できてないからだったりします。

これらを考えれば、仕事を目一杯詰め込むのではなく、いつもある程度余裕を持って様々なものにアンテナを張りイシュー探しをしていること、何か引っ掛かりがあったときにこれは重要なイシューかもしれないと時間を割いて考えるということが重要だということが分かります。

その他マッキンゼー仕込みのテクニックも役に立つのですが、本書のイシューの考え方は改めて僕にとっても気づきが多く、非常に勉強になりました。

<抜粋>
・世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、実はビジネス・研究上で本当に取り組む必要のある問題ではない。世の中で「問題かもしれない」と言われていることの総数を100とすれば、今、この局面で本当に白黒をはっきりさせるべき問題はせいぜい2つか3つくらいだ。
問題はまず「解く」ものと考えがちだが、まずすべきは本当に解くべき問題、すなわちイシューを「見極める」ことだ。ただ、これは人間の本能に反したアプローチでもある。
・単純なことのようだが、いざやってみると、これは僕ら日本人にはそれほど簡単ではないことがわかる。言葉で明確に表現しないのは、日本人の言語・文化のもつ思考上の特性でもあるので、ここは意図的に訓練することを薦めたい。
・知らない人に電話でインタビューを申し込むことを英語で「コールドコール」と言うが、これができるようになると生産性は劇的に向上する。あなたがしかるべき会社なり大学・研究所で働いており、相手に「守秘義務に触れることは一切話す必要はなく、そこで聞いた話は内部的検討にしか使われない」といったことをきちんと伝えれば、大半は門戸が開くものだ。実際、僕自身もこれまで数百件の「コールドコール」をしてきたが、断られた記憶は数えるほどしかない。生産性を上げようと思ったらフットワークは軽いほうがいい。
・また、これはビジネスの世界においてコンサルティング会社が存在している理由のひとつでもある。業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは、自分たちは知り過ぎているが故に、その世界のタブーや「べき論」に束縛されてしまい、新しい知恵が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。優秀であればあるほど、このような「知り過ぎ」の状態に到達しやすく、そこに到達すればするほど知識の呪縛から逃れられなくなる。
・「分析とは何か?」  僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象同士を比べ、その違いを見ることだ。
・「どんな説明もこれ以上できないほど簡単にしろ。それでも人はわからないと言うものだ。そして自分が理解できなければ、それをつくった人間のことをバカだと思うものだ。人は決して自分の頭が悪いなんて思わない

謹賀新年+2015年の本ベスト10

虹

2016年、あけましておめでとうございます!
昨年は本当に周りに助けられた幸運な一年でした。

まずはじめての子どもを授かるという一大イベントがあり、その他のプライベートな理由もあり、日本で出産してもらうことに決めました。結果、健やかな娘を授かることができました。いろいろと大変なこともありますが、スクスクと成長するのを見るのはそれ以上の喜びがありますね(もちろん一番大変なのは妻なのですが。いつも感謝です)。

2015年11月18日、産まれてきてくれてありがとう。抱いたらすごく実感がわいてきた!

Shintaro Yamadaさん(@suadd)が投稿した写真 –

仕事においても、メルカリがリリース2周年を迎え業績が急拡大する中で(かつ子ども関連で若干行動も以前に比べて制限される中で)、地理的(日米欧)にも社員数的(120→230)にも自分一人が見られるキャパシティを軽く超えて行きましたが、素晴らしい仲間が増えたことですごい成果を出してくれました。昨年はメルカリの組織的な強みが一気に花開いた感がありました。自分は自分にしかできないことのみをやっていこうと思っています。

メルカリ、リリース2周年! めでたし、ありがたし

Shintaro Yamadaさん(@suadd)が投稿した写真 –

ということで、いろいろな意味で周りに助けられた一年で、ありがとうございました。また自分の幸運も改めて実感しました。

2016年はシンプルにメルカリUSの大成功を目指したいと思います。ただ同時に、もう少し中長期的な視点でいかに世界中にサービス展開していくか、そのためにどのような技術やプロダクト、人材、組織が必要かを考えて少しづつ種を巻いて行きたいと思っています。

昨年に引き続き今年もよろしくお願いいたします。

青の洞窟(無修正) #カプリ #イタリア

Shintaro Yamadaさん(@suadd)が投稿した写真 –

さて恒例のベスト本ですが、2015年は非常に豊作で久しぶりにベスト10となってます。どれも名作なので興味がわいたらぜひ手にとってみてください。

■2015年の本ベスト10

10位.クロネコヤマト誕生の物語「小倉昌男 経営学」

宅急便を始めて気がついたのは、これまでは、荷主の輸送担当者にあごで使われていたという感じだったのが、集荷に行っても配達に行っても、家庭の主婦から必ず「ありがとう」「ご苦労様」という言葉をかけられることであった。これまで聞いたことのない感謝の言葉を聞いて、現場を回るドライバーたちは感激してしまった。

クロネコヤマトの始まりとその後の快進撃。しかしその裏には緻密な計画があったことが分かります。

9位.アップル製品のこだわりを知る「ジョナサン・アイブ」

ジョブズはいつも、集中とはイエスということではなく、ノーということだと語っていた。ジョニーの指導のもと、アップルは「そこそこいい」ものであっても「偉大な製品」でなければ却下することを激しく自分たちに課している。

アップルのデザインをリードしてきたジョナサン・アイブに迫ったドキュメンタリー。どのようにiMac、iPod、iPhone、iPadが生まれてきたかがよく分かります。

8位.謙虚さと内省の重要さ「ピクサー流 創造するちから」

社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自信がある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。

ピクサーがなぜここまで成功し続けられるのかがよく分かる一冊。会社に内省の仕組みを入れる、というのは目からウロコでした。

7位.スーパーグローバル企業の実態「石油の帝国」

エクソンモービルの幹部たちは、石油国有化の波が来ては去っていくのを何十年も見てきた。そして長い目で見れば、ほとんどの政府は民間企業とパートナーシップを組むことが自国の利益となる、ということを理解する、という理屈だった。

エクソンモービルのような超グローバル企業がどのように運営され、国家とどのような関係性にあるのかが分かります。

6位.失敗続きのヤフーの歴史「FAILING FAST」

ヤフーのトップに君臨する前、テリー・セメルはメディア業界で広く称賛されていた。サン・マイクロシステムズとオートデスクにおけるキャロル・バーツの実績は、目を見張るものがあった。CEOになるまで、ジェリー・ヤンは誰からも愛される創業者だった。社長になる前のスー・デッカーは、ウォール街での大胆さや取締役会議での賢明さから、スーパーヒーローと見なされていた。  しかし、ヤフーの再建に失敗してからは、彼らは不幸にもあざけりの対象となり、業界からのけ者扱いされるようになった。  自分ならうまくやれる、という人物はこの世に存在するのだろうか?

米ヤフーの始まりとその後の苦闘。物語として非常におもしろいです。

5位.マネーの歴史を知る「21世紀の貨幣論」

通貨そのものはマネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのだ。

マネー史を神話から現代まで。これからお金がどうなっていくのかを考えるのに必読。

4位.数十年後の未来を想像する「限界費用ゼロ社会」

新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。

IoT(モノのインターネット)により限界費用ゼロの社会が到来したときどのような社会になっていくのかを想像するのに最適な一冊です。

3位.スタートアップの厳しさが詰まった「HARD THINGS」

私がCEOであり、ラウドクラウドが上場企業であったために私以外には全体像が見えていなかった。私は、会社が極めて深刻なトラブルに陥っているとわかっていた。私以外にこのトラブルから会社を救える者はいないし、私はすべての事情を理解していない人たちからのアドバイスに聞き入っていたのだ。私にはあらゆるデータと情報が必要だったが、会社の方向性に関する提言はいらなかった。今は戦時なのだ。会社が生きるも死ぬも、私の決断の質次第であり、その責任を回避したり、緩和したりする術はなかった。

スタートアップの厳しさがすべて詰まった本。厳しい状況=戦時、に経営者が何を考えてどのように行動すべきかの指針が示されています。非常に実践的でスタートアップの経営者は必読だと思います。

2位.今後無視することはできない「ブロックバスター戦略」

出版社でもスタジオでも、ブロックバスター狙いを敬遠してばかりいると、才能あふれる編集者や映画製作者、テレビプロデューサー、クリエイティブな人たちは職を辞して、大きな成功のチャンスを追求できる会社に移るだろう。

ソーシャルメディアなどで情報伝達スピードがますます早まる中、実はロングテールではなく、ヘッドがさらに強くなっている現状を明らかにしています。主にエンターテイメント業界の話なのですが、インターネットビジネスにも完璧に当てはまります。

1位.Google人事の成功例と失敗例「ワーク・ルールズ!」

実のところ、組織のなかで人が発揮するパフォーマンスは、たいていの仕事の場合べき分布になる。インディアナ大学のハーマン・アグイニスとアイオワ大学のアーネスト・オボイルは「平均的な能力の人々がつくる大集団が強い影響力を振るうわけではない……きわめて優れた能力を持つ人々の小集団が圧倒的な業績を上げることによって[影響力を振るうのだ]」と解説する。大半の組織はそうとは知らずに、最高の人材を過小評価し、正当な報酬も払わないでいる。

現在世界最強の一社Googleのかつての人事トップが成功例も失敗例も赤裸々に書いており、とにかく勉強になる一冊です。もちろんこの戦略を取るには非常に強固なビジネスモデルと技術力が必要なのですが。

P.S.2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年のベスト本はこちらからどうぞ。

ソニー創業者井深氏の語る「わが友 本田宗一郎」

ソニー創業者の井深大氏が親交の深かったホンダ創業者の本田宗一郎について語った本。戦後超一流のベンチャーを生み出した経営者たちがどのような関係性で、どのようにお互い見ていたのかが見て取れて非常におもしろかったです。

ものをつくる苦労や喜びを知っている人は、自分の失敗を、そう簡単に人のせいにはしません。失敗したのは、自分がどこか間違っていたからだということがわかっているからです。失敗を人のせいにしていたら、いつまでたっても、新しいものなどつくれっこありません。  逆にいえば、ものをつくっていればこそ、ほんとうの自信なども生まれてくるのです。本田さんの生き方は、ご存じのように、たいへん堂々として男らしいものでしたが、その自信も、ものをつくっているところに源があったのだと思います。  ものづくりにこだわり、生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を、いまの人たちがもっと学んでほしいと願うのは、おそらく私ひとりではないでしょう。

僕もものづくりにこだわってやっていきたいと思いました。

<抜粋>
本田さんは、私にとって、かけがえのない兄貴であり、先輩でありました。  よく人に聞かれるのですが、私と本田さんは仕事の面でもいろいろなつながりがあったように思っている人もいるようです。しかし、仕事のことで直接相談したり、いっしょに仕事をしたということは、四十年間のおつきあいのなかで一度もありませんでした。まして、困ったからあいつに助けてもらおう、などということはまったくありません。お互いに、相手の会社や仕事のことには口を出さないという不文律のようなものがあったのです。本田さんも私も、仕事では自分勝手というかわがままというか、唯我独尊のところがありますから、もしふたりが仕事を媒介につながっていたら、すぐけんか別れをしていたかもしれません。
・技術者として、本田さんと私とのあいだに共通していたのは、ふたりとも、厳密にいえば技術の専門家ではなく、ある意味で〝素人〟だったということでしょう。  技術者というのは、一般的にいえば、ある専門の技術を持っていて、その技術を生かして仕事をしている人ということになるでしょう。しかし、私も本田さんも、この技術があるから、それを生かして何かしようなどということは、まずしませんでした。最初にあるのは、こういうものをこしらえたい、という目的、目標なのです。それも、ふたりとも人真似が嫌いですから、いままでにないものをつくろうと、いきなり大きな目標を立ててしまいます。この目標があって、さあ、それを実現するためにどうしたらいいか、ということになります。この技術はどうか、あの技術はどうか、使えるものがなければ、自分で工夫しよう、というように、すでにある技術や手法にはこだわらず、とにかく目標に合ったものを探していく――そんなやり方を、私も本田さんもしていました。
・社長として、会社の経営をちゃんとやろうなどという考えは、おそらく本田さんにはいっさいなかったでしょう。本田さんが、六十六歳で社長をやめ、以来、会社の経営にはいっさい口出しをしなかったということが話題になっていますが、実際のところは、最初から社長でなかった、と言ったほうが、本田さんの本心に近いかもしれません。会社を自分の思うように動かしていこうなどという考えはまったくなく、自分がこれをつくろうと思ったら、その目的に向かってとにかく進んでいくだけでした。途中のプロセスにどんな困難があるかということなどは、最初からまったく頭にはなく、あるのは「こういうものをつくりたい」という目的だけ。
長いつきあいのなかでも、ふたりのあいだでは経営の話なんていうのは、まず出てきませんでした。ふたりとも経営者としては失格だったのですが、ご存じのように、それぞれ藤沢武夫、盛田昭夫といういい相手がいたからこそ、ここまでやってこられたわけです。
・本田さんがいつも研究所にいて、本社にはほとんど顔を出さず、ハンコから何から会社のことはすべて藤沢さんにまかせておいたというのは有名な話ですが、私も、そろばん勘定などめんどうなことは、すべて盛田君がやってくれました。自分の夢を実現することだけを考えて、一生懸命やっていればいい。そういう状態をつくってくれる人たちに恵まれていたという点で、私たちふたりはほんとうに幸せだったと思います。
・私が、本田さんを高く評価する点は、大きくいって二つあります。ひとつは、技術者としての志の高さというか、完璧なエンジンづくりを目指したその姿勢です。もうひとつは、会社のことだけでなく、広く世の中のことや、みんなが上手に幸せに暮らしていけることをつねに考え、ほんとうの意味での「真理」を自分のできることで実行し、一生を貫いた存在だった、ということです。
・もともと、日本の産業界というのは、外国からモノを持ってきては、それを見本に同じものをつくりだす、ということから始まっていて、いまでも、それが半ば体質のようになっています。新しい技術にしても、ひとつの会社が新しいものをつくり出すと、それまで無理だ、不可能だと言っていた他社も、すぐ同じものをつくるようになります。そういうところは、日本人は上手なのです。
・本田さんのオートバイエンジンのときも、同じようなことが起こりました。この、まったく新しいエンジンに刺激され、各社が競いあって技術開発に取り組んだ結果、日本のオートバイの技術レベルはいっきょに世界の先をいくものに飛躍したのです。  ですから、人真似が上手ということは、けっして悪いことだとは、私は考えていません。一社だけが独占している状態より、各社が競争しあったほうが、よりいいものができあがってくるからです。ただ、人の真似をしているよりは、日本で初めて、世界で初めてというものをつくったほうが、人より一歩先に進むことができます。ホンダやソニーが大きくなれたのも、それがあったから、という話なのです。
ソニーでやったことも同じです。トランジスタの周波数をどんどん上昇させて、世界ではじめての短波ラジオができ、FMラジオもできた。ものをつくる、ものを変えるということをしなければ、新しいものなどできてこないのです。本田さんは、このものづくりに徹底的にこだわったのです。本田さんが他の経営者とちがっていたのも、ものをつくる喜びを知っていたからです。そんな本田さんだからこそ、紙切れを売り買いするばかばかしさなども、よくご存じだったのですし、また、日本をよくしたいと本気になって考えておられたのです。
・ものをつくる苦労や喜びを知っている人は、自分の失敗を、そう簡単に人のせいにはしません。失敗したのは、自分がどこか間違っていたからだということがわかっているからです。失敗を人のせいにしていたら、いつまでたっても、新しいものなどつくれっこありません。  逆にいえば、ものをつくっていればこそ、ほんとうの自信なども生まれてくるのです。本田さんの生き方は、ご存じのように、たいへん堂々として男らしいものでしたが、その自信も、ものをつくっているところに源があったのだと思います。  ものづくりにこだわり、生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を、いまの人たちがもっと学んでほしいと願うのは、おそらく私ひとりではないでしょう。
・井深 企業というものは、激しい競争をやって進歩発展していくんですね。ウカウカしてると、競争に負けてつぶれますよ。競争がないと、これはアグラをかいちゃってダメになる。わたしのところは、テープレコーダーを始めてから五年間くらい、モノポリー(独占)だった。ぜんぜん競争相手がなかったんです。そのときは伸びが遅々としていたんですね。そのうちに競争が始って、よそのがバーッと出てきたら、ウチのがバーッと伸びたんです。一社だけでは油断するんだな。競争は必要ですよ。  本田 宣伝力も一社でやるより、各社でやったほうが強いんです。しかし、企業をやってると、これで大丈夫と思うことはないな。それと、周囲が敵だとファイトがわいてくるんだな。しっかりしなきゃならんと思うからね。
本田技研がなぜここまで伸びたかといえば、本田技研には伝統がなかったということがいえると思う。過去がないから未来しかない。それだけに、古い過去のひっかかりにわずらわされずにのびのびとやれた。だから僕は、よその会社のように、やれ五十年とか三十年の歴史と自慢するような伝統は持たせたくない。強いて伝統という言葉を使うならば、伝統のない伝統、「日に新た」という伝統を残したい。
・また、私がトランジスタの開発に踏みきったのも、じつをいえば、そのころテープレコーダーのテープの開発が一段落し、五十名ほどいた技術者をどうするかという問題をかかえていたからこそなのです。みな大学や専門学校を卒業した高学歴社員で、彼らにしかるべき地位を与えるのがそのころの常識だったので、その悩みで頭がいっぱいでした。そんなとき、トランジスタという新しい技術開発の目標に飛びついたのです。
以前、本田さんが藍綬褒章をもらうことになったとき、皇居で行なわれる伝達式に、正装して出席するようにといわれて、「真っ黒になって働く人間にとって、作業服こそ何よりも尊い制服だ」と言い出して、周囲をおおいに困らせたという話は有名です。
・こうした世間の評判というのは、かなりいい加減なところがあって、本田さんも、マスコミでの自分の評価があまりにコロコロ変わるのにあきれていたことがあります。そんな世間の〝常識〟や評判にとらわれず、自分の考え方を貫いていった本田さんですが、それにしても、たとえへ理屈にせよ、女性に喜ばれる車が売れる車だと言っているのは、本田さんならではの卓見でしょう。
・ちょっと理屈をいうようですが、人間というのは、大人でも子どもでも、自分が見たい、知りたいと思ったことが、簡単に手にはいってしまうと、それ以上、興味を持たなくなりがちです。なかなか手にはいらないからこそ、興味もますますつのってきて、実際に手にはいったときでも、もっと一生懸命やろうとするのです。教育の原点はここにあるような気がしますが、その後、生涯にわたる本田さんの飛行機への関心は、このとき、強く芽生えたのではないでしょうか。そして、私の飛行機への関心は、さほど大きくならないまま、終わってしまったというわけです。
最初から世界一なんて思いもしなかった。せいぜいよくてでっかい企業になればいいなあと思ったぐらいだよ。はじめはこれをやるといった目的のためにやったのじゃない。どんな企業でも同様だと思う。それが一歩一歩進んでいくうちに欲が出てだんだんと夢も大きくなる。つまり欲の積み重ねが、ここまできたというのが現実ですよ。
井深 ウチでも輸出をはじめたのはトランジスタラジオができてからだった。トランジスタは世界で二番目だった。たまたま盛田君がオランダへ行ってフィリップスを見学したが、オランダという小国にありながら世界中に進出して国内市場よりも世界のマーケットが大きかった。そこで日本はこれだと悟って帰国しましてね。それから輸出をはじめたわけです。  本田 トランジスタラジオはソニーにとって大きな節だったね。
「負けてもいいんだという商売をやっている人は、いつまでたっても、他のものも上がってこない。商売でなくても、他では負けないというだけの気持ちがないと、その会社のレベルは上がってこない」とも、おっしゃっていました。本田さんも私も、要するに、負けず嫌いだったから、ここまできたようなものです。
・やはり、各人が一番得意なものに全精力を打ちこんで人に惜しみなく与え、自分の欠陥は人に補ってもらうというのが、道徳教育の基本になるべきである。一生かかって一点非のうちどころのない人間に仕立てあげようとしたって、夜になれば酒も飲みたいだろうし、女房にはうそもつきたい人生なんだから、無理な話である。(『ざっくばらん』より)

数十年後の未来を想像する「限界費用ゼロ社会」

IoT(モノのインターネット)がバズワードになっている感もある最近ですが、本書はIoTがなぜ重要で、社会にどのような影響を与え、今後どのようなことが起こりえるのかをあらゆる切り口から描いています。

正直、かなり荒削りな部分があるのは確かで、「え、本気で言ってるの?」と思うことも多々ありました。しかし短期的にはありえなくとも、その方向に世の中が向かっているのは確かであり、であればそうなることを前提にこれからのことを考える方がよいと言えます。

数十年後の未来を想像するのに非常に示唆に富んだ素晴らしい一冊です。

いくつか重要なポイントを抜粋コメントしておきます。

だが依然として権力者たちは、グローバルなエネルギー市場における再生可能エネルギーの将来の占有率を過小に見積もり続ける。その理由の一つは、一九七〇年代のIT業界や電気通信業界と同様、たとえ数十年にわたる累積的な倍増実績を目の当たりにしていても、指数曲線がある時点から大きく変化することを、彼らは予測していないからだ。

カーツワイルはいくぶん楽観的かもしれない。だが、不慮の事態にでも陥らないかぎり、二〇四〇年よりはだいぶ前に再生可能エネルギーによる電力がほぼ八割に達するだろうと、私自身は見ている。

再生可能エネルギーについて、確かにその効率がムーアの法則ばりの指数曲線であがっていくならばまったく別の考えをしなければならない。

新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。

すべてのものが3Dプリンティングで提供されると限界費用がゼロになり、資本主義が時代遅れになると。

レンタル分野が活況を呈するなか、再流通のネットワークでも同じような状況が生じている。プラスチックやガラス、紙などのリサイクルに親しみながら成長してきた若い世代が、今度は自分の所有物のリサイクルに目を向けたとしても何ら不思議はない。リサイクル製品を製造する必要性を削減するために、それぞれの品物のライフサイクルを最大限引き延ばそうという意識は、持続可能性こそが新たな倹約を意味する若い人々にとって、自然と身につく第二の天性のようなものになった。

メルカリはこの流れに乗っている。

今から半世紀後、私たちの孫は、私たちがかつての奴隷制や農奴制をまったく信じられない思いで振り返るのと同じように、市場経済における大量雇用の時代を顧みることだろう。生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。

中長期的には、雇用はしだいに市場部門からコモンズへ移ってゆくに違いない。市場経済で財やサービスを生み出すために必要とされる人手は減少する一方で、コモンズでは機械は人の代用として比較的小さな役割しか担えないだろう。なぜなら、社会と深くかかわり、社会関係資本を蓄積するというのは、本質的に人間の営為にほかならないからだ。機械がいつの日か社会関係資本を生み出すという考えには、どれほど熱烈な技術信奉者であっても賛同しない。

そしてコモンズが力を持ち、社会関係資本こそが資本主義の次の拠り所になると。

<抜粋>
・じつは、エントロピーを増大させる一方の工業化時代のつけはすでに回ってきている。厖大な量の炭素エネルギーを燃やして大気中に放出した二酸化炭素が累積し、気候変動が起こり、地球の生物圏が大規模に破壊され、既存の経済モデルに疑問の声が上がっている。それにもかかわらず、経済学は概して、経済活動が熱力学の法則によって左右されるという事実にまだ向き合っていない。
私たちは、資本主義市場と政府の二つだけが経済生活を構成する手段であるという考え方に慣れきっているがゆえに、コモンズというもう一つ別の構成モデルが身の回りに存在していることを見過ごしている。
・しだいに多くの財やサービスがほぼ無料になるにつれ、市場での購入は減少し、これまたGDPにブレーキをかける。依然として交換経済で購入される財でさえ、量が減ってきている。かつては購入していた財を、共有型経済の中で再流通させたりリサイクルしたりする人が増えたため、使用可能なライフサイクルが引き延ばされ、結果としてGDPの損失を招いているのだ。
・縮絨機が劇的な生産性拡大をもたらしたおかげで、土地の利用法が変わった。自給用の食物の栽培から、輸出や市場での交換用の羊毛生産のための羊飼育へと切り替えれば経済的で、非常に大きな利益が生まれるからだ。縮絨機が「一三世紀の産業革命[15]」と言われることがあるのも無理はない。
・古典派と新古典派の経済学者の大半は、利益は自らの資本を危険にさらす資本家に対する正当な報酬だと考えている。だが、社会主義を信奉する経済学者は、若き日のカール・マルクスに賛同するかもしれない。マルクスは、労働者の貢献のうち、本来支払われるべき賃金から差し引かれ、利益として取っておかれる部分(剰余価値)は不正な横領であり、生産を共有化して、労働者に自らの労働による貢献の恩恵を全面的に享受させるほうが公平であると主張した。
・一八四五年には、イギリスの鉄道利用客は年間四八〇〇万人に達していた[10]。アメリカでは、一八五〇年代だけでも二万一〇〇〇マイル(約三万四〇〇〇キロメートル)の線路が敷設され、ミシシッピ川以東の国土の大半を結びつけた[11]。人々の時間と空間の感覚を鉄道がどのように圧縮したかを理解するためには、一八四七年にニューヨークからシカゴまで駅馬車で旅するのに三週間以上かかった事実を考えるとよい。一八五七年には、鉄道を利用すれば同じ区間に三日しかかからなくなっていた[12]。
・実質的に鉄道会社は、近代的な資本主義の事業会社の第一号となった。これらの会社は、所有権と経営管理を分離する新しいビジネスモデルを生み出した。それ以後、大企業は、投資収益を株主のために確保することを最大の責務とする、有給雇用のプロの経営者によって経営されるようになる。資本主義は独特かつ風変わりな事業形態で、従業員は製品を生み出す道具・機械の所有権を奪われ、企業を所有する投資家は自らの企業を経営管理する権限を奪われている。
・小さな町や田園地帯に住む何百万ものアメリカ人は、事務機器や家庭用家具、衣服の事実上いっさいを、シカゴの大手印刷会社が印刷したカタログを見て購入した。品物は鉄道で運ばれ、郵政公社の手で企業や家庭に直接配達された。一九〇五年、シアーズの通信販売の売上は、なんと二八六万八〇〇〇ドルにのぼり、これを二〇一三年の価値に換算すると、七五四七万三六八〇ドルに相当する[26]。
・ダーウィンは二番目の著書『人間の進化と性淘汰』で、人間は心的能力を進化させて良心を育み、その良心の働きによって、最大多数の最大幸福を支持する功利主義的原理をしだいに忠実に守るようになったと主張した。経済学者はダーウィンの考えから、自らの唱える功利主義には「自然という後ろ盾」があるという自信を得られた。  ところがダーウィンは、自分の進化論が盗用されたことが不満だった。けっきょくのところ彼は、人間という種の持つ功利的性質は、ずっと高次のもの──人々の間で共感の拡がりと協力を促すもの──だと主張していたのであって、自らの見識が、物質的私利の集団的な追求を正当化するというもっぱら経済的な目的に狭められたのを知って、立腹した。もっともな話だ。
・経済が発展した国々では、たいていの人がおよそ一〇〇〇個から五〇〇〇個のモノを持っている[19]。法外な数に思えるかもしれないが、自宅や車庫、自動車、オフィスを見回して、電動歯ブラシに電子書籍、ガレージドア開閉装置、建物の出入り用の電子パスといったものを数えてみれば、自分がどれだけ多くのデバイスを持っているかに驚くものだ。こうしたデバイスの多くには、今後一〇年ほどの間にタグがつき、インターネットを使って自分のモノと他のモノとをつなげることになるだろう。
・懐疑的な見方をする人は、成長曲線は、固定価格買取制度という形の、グリーンエネルギーへの助成金によって梃入れされていると主張する。だが現実には、助成金は単に普及と規模拡大の速度を上げ、競争を促し、イノベーションを奨励しているにすぎない。それによって、さらに再生可能エネルギーの採取テクノロジーの効率が上がり、発電と設置にかかるコストが下がる。
・だが依然として権力者たちは、グローバルなエネルギー市場における再生可能エネルギーの将来の占有率を過小に見積もり続ける。その理由の一つは、一九七〇年代のIT業界や電気通信業界と同様、たとえ数十年にわたる累積的な倍増実績を目の当たりにしていても、指数曲線がある時点から大きく変化することを、彼らは予測していないからだ。
・カーツワイルはいくぶん楽観的かもしれない。だが、不慮の事態にでも陥らないかぎり、二〇四〇年よりはだいぶ前に再生可能エネルギーによる電力がほぼ八割に達するだろうと、私自身は見ている。
・新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。
・グラム・パワー社以外にも、インドの田園地帯に展開し、地元の村がグリーンなマイクロ送電網を設置して電気を普及させるのを助けている新規企業は多数ある。ビハール州に本拠を置くハスク・パワー・システムズ社も、そんな企業の一つだ。ビハール州では、八五パーセントの住民が電気なしで暮らしている。同社は、籾殻のバイオマスを地元の九〇か所の発電所の燃料としている。これらの発電所はマイクロ送電網を利用し、田園地帯の四万五〇〇〇世帯に電気を供給する。人口一〇〇人程度の村にマイクロ送電網を設置する費用はわずか二五〇〇ドルほどで、村はほんの数年で投資を回収でき、その後は、電気を一キロワット発電・送電するごとにかかる限界費用はほぼゼロとなる[42]。
・製造部門で、テクノロジーが原因の人員削減が現在の割合で続くと(業界アナリストは加速する一方だと見ている)、二〇〇三年には一億六三〇〇万人いた工場労働者は、二〇四〇年にはわずか数百万人にまで減り、世界全体で工場での大量雇用が終焉を迎えることになるだろう[21]。
・実店舗で営業している小売業者の売上は、好調とまではゆかないまでも、表面上は堅調そのものに見える。これらの業者の売上は、二〇一一年の小売全体の売上の九二パーセントを占め、オンライン小売業者の売上はわずか八パーセントだった[27]。だが、もう少し深く覗いてみると、成長率では不吉な前兆が出始めている。アメリカ小売業協会によれば、実店舗で営業する小売業者は年間成長率がわずか二・八パーセントなのに対し、オンライン小売業者の年間成長率は一五パーセントで、固定費が大きく人件費も多くかかる従来型の小売業者が、労働の限界費用がはるかに少ないオンラインの業者といつまで闘えるかという疑問が生じる[28]。
この期に及んでもまだ、古典派経済理論の根底にある前提──生産性が向上すれば、それによって排除されるよりも多くの雇用が生み出される──がもはや信頼できるものではないと、前に進み出てついに認めようとする経済学者がほとんどいないことに、私は今でもいささか驚きを禁じえない。
・今から半世紀後、私たちの孫は、私たちがかつての奴隷制や農奴制をまったく信じられない思いで振り返るのと同じように、市場経済における大量雇用の時代を顧みることだろう。生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。
・所有権の歴史の分野における二〇世紀の名高い権威で、トロント大学教授の故クロフォード・マクファーソンは、次のように指摘している。私たちは所有権を、他者が何かを利用したり、何かの恩恵に与ったりするのを許さない権利だと考えることにあまりにも慣れ過ぎているため、それより古い所有権の概念のことを忘れてしまった。それは共有物を利用する慣習的な権利、すなわち、水路を自由に航行したり、田舎道を散歩したり、公共広場を利用したりする権利だ[5]。
・ここで、たいていの経済学者は途方に暮れるだろう。なぜなら彼らの学問は、人間の本性はあくまで利己的で、各自が自己決定権を最大にしようとするという考えと、切っても切れない関係にあるからだ。集団の利益を追求することを進んで選ぶという考えそのものが、多くの市場志向型の経済学者に忌み嫌われている。彼らは、進化生物学者と神経認知科学者の研究成果について猛勉強すると得るところが大きいかもしれない。過去二〇年間に数多くの調査と発見がなされ、人類は根底では他人を搾取して自らを豊かにする機会を求め、市場を徘徊して実利を追求する一匹狼だ、という長い間信じられてきた考えが打ち砕かれているからだ。
・ところが残念ながら、グーグルやフェイスブックやツイッターといった、ウェブ上でも最大級のアプリのいくつかは、自らをここまで大きな成功に導いてくれた、まさにその参加規程を金儲けの種にし、自社のサービスで伝送されるビッグデータから入手した大量の情報を、ターゲット広告、販売キャンペーン、市場調査、新しい財やサービスの開発などの多くの商業的事業に利用する、営利目的の入札者や事業者に売っている。要するに、コモンズを商売に利用しているのだ。バーナーズ=リーは自らの記事で、「大きなソーシャルネットワーキング・サイトは、ユーザーが投稿した情報を壁で囲ってウェブの他の部分から引き離し」、囲い込んだ商業空間を創り出していると警告している[16]
・今日、九〇〇の非営利の農村電力協同組合が、四七州で二五〇万マイル(約四〇〇万キロメートル)に及ぶ送電線を管理して、四二〇〇万人の顧客に電力を供給している。アメリカの送電線の四二パーセントは農村電力協同組合によるものだ。その送電線は、国土の四分の三に張り巡らされており、アメリカで売られる総電力の一一パーセントを届けている。各地の農村電力協同組合の資産を合計すると、一四〇〇億ドルを超える[59]。
実際は、現在一〇億を超える人、つまり地球上の人間の七人に一人が協同組合に所属している。また、一億人以上が協同組合に雇用されており、これは多国籍企業の従業員より二割多い。
ロジスティクスを単独で行なうことには欠点がある。ロジスティクスや輸送に関して、社内のトップダウンの集中制御を維持すれば、民間企業は自社の生産、保管、流通経路を強力に支配できるが、その支配には効率や生産性を損ない二酸化炭素の排出量を増やすという高い代償が伴う。
・現在のロジスティクス体制では、ほとんどの民間企業が一つもしくは複数の倉庫や流通センターを所有しており、その数が二〇を超えることはめったにない。独立した倉庫や流通センターのほとんどは、普通、民間企業一社と専用契約を交わしており、一〇社以上のロジスティクスを扱うことは稀だ。つまり、民間企業には利用できる倉庫や流通センターがわずかしかなく、それが財の保管や大陸の広域輸送業務を制約しているわけだ。
アメリカでは、自動車は使用されていない時間が平均で九二パーセントにものぼり、きわめて効率の悪い固定資産になっている[11]。そのため、若い人々には所有ではなく、時間単位で移動手段の費用を負担するほうが、はるかに気安く思われるのだ[12]。
カーシェアリング団体の会員の八割が、ネットワーク加入後、それ以前に保有していた自動車を売却したこと、そしてカーシェアリングの車両一台につき個人所有の車一五台が道路上から姿を消していることを思い出してほしい。すでに利鞘はごくわずかで、競争を継続する余力も乏しい自動車メイカー各社は、この新たな競争自体で売上が下落し、すでに微々たるものになっている利鞘がさらに圧縮されるだけであっても、カーシェアリング事業に乗り出さざるをえないのだ。
・レンタル分野が活況を呈するなか、再流通のネットワークでも同じような状況が生じている。プラスチックやガラス、紙などのリサイクルに親しみながら成長してきた若い世代が、今度は自分の所有物のリサイクルに目を向けたとしても何ら不思議はない。リサイクル製品を製造する必要性を削減するために、それぞれの品物のライフサイクルを最大限引き延ばそうという意識は、持続可能性こそが新たな倹約を意味する若い人々にとって、自然と身につく第二の天性のようなものになった。
・スレッドアップの指摘によると、子供が一七歳までに着られなくなってしまう衣料品は、平均で一三六〇点以上にもなるという[43]。
・シェアードアースは有意義な影響を与えうる存在であると思うし、そうした影響を与えることが私の希望でもある。一〇〇〇万エーカーの耕作地があると、ちょっと想像してみてほしい。そうした土地は、多くの酸素を生成し、多くの二酸化炭素を吸収し、多くの食物を生み出すのだ[51]。
・クラウドファンディングの熱烈な支持者は、お金が目当てではないことを強調する。彼らは、他者が夢を追いかけるのをじかに支援できることを喜び、自分のささやかな貢献が大きな効果を持つこと──すなわち、プロジェクトを前進させる上できわめて重要であること──を実感しているのだ。ガートナー社の推計によると、ピアトゥピアの融資額は、二〇一三年末には五〇億ドルを超えると見られる[11]。
・だが中長期的には、雇用はしだいに市場部門からコモンズへ移ってゆくに違いない。市場経済で財やサービスを生み出すために必要とされる人手は減少する一方で、コモンズでは機械は人の代用として比較的小さな役割しか担えないだろう。なぜなら、社会と深くかかわり、社会関係資本を蓄積するというのは、本質的に人間の営為にほかならないからだ。機械がいつの日か社会関係資本を生み出すという考えには、どれほど熱烈な技術信奉者であっても賛同しない。
・ワールド・ウォッチ研究所(人間が地球資源に与える影響を監視している組織)の創立者であるレスター・ブラウンは、答えはどういった食生活を選ぶかによって決まるという。アメリカの食生活を基準にすれば、年間一人当たり平均八〇〇キログラムの穀物を、食糧や家畜の飼料という形で摂取することになる。世界中の誰もがこのような食生活を送っていたら、年間二〇億トンという世界の穀物収穫量では、二五億人の世界人口しか支えられない。これに対して、年間穀物摂取量が一人当たり四〇〇キログラムのイタリア・地中海地方の食生活を基準にすれば、世界の年間穀物収穫量で五〇億の人口を維持できる。さらに、年間穀物摂取量が一人当たり二〇〇キログラムのインドの食生活を基準にすれば、地球は最大で一〇〇億人を養えることになる。
・二〇世紀には、中央集中型の電化、石油、自動車輸送が結びつき、大量消費社会が台頭し、またしても新たな認識上の移行、すなわちイデオロギー的意識から「心理的意識」への移行をもたらすことになった。私たちにとって、セラピーのように自らを省みることや、内面世界と外界の双方を同時に生きていると考えることは(それが人づき合いや日々の生活にたえず影響を及ぼしているのだが)、しごく当たり前になった。そのため、私たちはつい、祖父母以前の人々は誰一人として(厳密には、歴史上傑出したごくわずかの例外者を除いては)、心理的観点から考えることなどできなかったという事実を失念してしまう。私の祖父母はイデオロギー的観点や神学的観点、あるいは神話的観点からさえ、物事を眺められたが、心理的観点に立つことはまったく不可能だったのだ。
共感を抱くとはすなわち、文明化することであり……文明化するとは、共感を抱くことにほかならない。じつのところ、両者は不可分なのだ。
・人類の歩んだ歴史を振り返ると、幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出されることがわかる。人生の黄昏時を迎えて来し方を振り返ったとき、記憶の中にはっきりと浮かび上がるのが物質的な利得や名声、財産であることはほとんどないだろう。私たちの存在の核心に触れるのは、共感に満ち溢れた巡り会いの瞬間──自分自身の殻を抜け出して、繁栄を目指す他者の奮闘を余すところなく、我がことのように経験するという超越的な感覚が得られた瞬間なのだ。  
・資本主義市場と共有型経済の両方から成るハイブリッドの経済体制に向かおうとしているのに対して、日本は、老朽化しつつある原子力産業を断固として復活させる決意でいる堅固な業界と、日本経済を方向転換させて、スマートでグリーンなIoT時代への移行によってもたらされる厖大な数の新たな機会を捉えようとする、新しいデジタル企業や業界との板挟みになってもがいている。
・この新たな現実が最も如実に表れているのが、新しい再生可能エネルギーへの移行だ。すでに述べたように、ドイツでは再生可能エネルギーの大半が、いっしょになって電力協同組合を結成した何百万もの家庭と何千、何万もの企業によって、おのおのの場所で生み出されている。そのグリーン電力はデジタル化されたエネルギー・インターネット全体でシェアされる。これはピアトゥピアのエネルギー生産・流通という新時代の始まりを告げている。

失敗続きのヤフーの歴史「FAILING FAST」

表紙からしてマリッサ・メイヤー後のヤフーの話かと思いきや、ヤフー全体の歴史を丁寧に描いてありかなり骨太な一冊です。
※ヤフージャパンではなく米Yahoo! Incの話

初期は成功の歴史なのですが、直近10年位はまさに迷走。イーベイ、グーグル、フェイスブックを買収しそこね。CEO含め幹部選定にミスを続け、出資したアリババ株の値上がりになんとか助けられながら生きながらえている様が描かれています。

マリッサ・メイヤーも最初は周囲の期待感が溢れていた模様も描かれていますが、その後はコテンパンにされています。

ヤフーにとって、彼らは期待に値する人物だった。しかし、全員が敗北した。  メイヤーも同じ運命をたどるのかもしれない。  結局のところ、ヤフーが成功できたのは、世界に一瞬しか存在しない問題を解決したからだ。初期のインターネットは使うのが難しかった。ヤフーがインターネットを簡単にした。ヤフーがインターネットだった。しかし、インターネットが普及し、大きな資金が集まるようになり、問題の解決法も増えるにしたがい、ヤフーの必要性が消えていった。「ほかの誰かができないことをする」という存在意義がなくなり、新しい目的が見つからなかった。

もちろん一方的な見方だと思いつつ読みましたが、結局のところ結果が出てないわけなので、このように書かれてもしょうがない。ジョブズやイーロン・マスクが、本書でマリッサが持っているような特徴を持っているように見えていても、描かれ方はまったく違います。

他のこういったベンチャーを追いかけたドキュメンタリーは基本的に肯定的に描かれており、成功物語ですが、本書はまさに失敗談の連続。悪戦苦闘の歴史であり、シリコンバレーのトップ経営者や取締役、投資家も時には盛大に間違えているのだなと思いました。

今も間違え続けているかは今後のヤフーの業績によります。今後を見守りたいと思います。

<抜粋>
・一九九八年時点で、ベンチャー投資家によるスタートアップへの出資額は合計二二七億ドル、その大半がドットコム企業に投資された。一九九九年にはその数は倍を超え、五六九億ドルだったと言われている。その多くのケースで、投資家からスタートアップに流れた資金は、そのままヤフーかヤフーのライバル企業の懐に入った。
・二〇〇〇年の一〇月、マレットも状況を把握した。彼のマシン──四〇〇のポッドと一〇〇を超えるバーチャル・セブンからなる巨大なシステム──は危機にさらされている。ヨセミテ国立公園内の別荘で、マレットは経営陣に話した。ヤフーはビジネスの方法を変える必要がある。スタートアップから搾取するよりも持続可能なビジネスを見つけなければならない。広告主の扱いも改善する必要がある、と。  彼の言うことは正しかった。しかし、気づくのが遅すぎた。
・マレットが選ばれなかったのには、三つの理由があった。マレット本人にはどうしようもないものばかりだ。  第一に、彼の年齢。モリッツとヤンはより年配のCEOを求めていた。大企業の経営経験をもち、ウォール街に信頼される誰かを。二〇〇一年の二月時点で、マレットはまだ三六歳だった。四〇歳にも満たないCEOがヤフーを救えるとは思えない。 二つ目の理由は彼の野心、彼の権力欲だ。一九九九年、ヤフーはインターネットオークションで名を馳せたスタートアップ、イーベイを買収する寸前にあった。イーベイとヤフーの取締役会は合併で合意していたにもかかわらず、この話はご破算となった。マレットがイーベイのCEOメグ・ホイットマンに、クーグルではなく、自分の直属の部下になるよう要求したからだ。また、ヤンとクーグルに対し自分以上の影響力をもちそうな幹部に敵対心を燃やし、彼らが社を去るまで執拗に攻撃を加えるといったうわさもあった。彼に二〇代半ばにして巨額の富をもたらし、一二八〇億ドル企業のナンバー2の座に押し上げる原動力となった競争心が、彼の悲劇の原因となったのである。 そして、マレットがCEOになれなかった三つ目の──悲しい──理由は、彼の身長にあった。マレットは背が低い。ヤフー本社を訪れる他社の上級幹部が会議室で待つ彼を見ても、コーヒーでもいれにきた研修生か何かだと勘違いするのだ。マレット自身、彼らがそう考えていることに気づいていた。声に出して言うことはないが、ヤフーの役員たちは「もっと立派な体格の人物が必要だ」と考えていたのは明らかだ。だから、スパーキーをCEOにするわけにはいかない。
・セメルとの出会いは、ヤフーにとって一種のカルチャーショックだった。クーグルと違い、セメルのキュービクルに気楽に入る気にはなれない。セメルは社内を歩き回ることもしない。会議室を自分のオフィスにしてしまった。メールを書いたことも、ヤフーを利用したこともないといううわさだ。クーグルがヤフー本社近くの部屋一つしかないアパートに住み続けたのと違い、セメルはロサンゼルスの高級マンションに住んでいる。毎週のように、ビジネスジェット「ガルフストリーム」に乗って仕事をしている。街ではサンフランシスコのフォーシーズンズホテルで食事をして、毎日レンジローバーの後部座席に座ってオフィスにやってくる。
・ただし、セメルがヤフーから高給を得ていたわけではない。クーグルと同じで、年俸三一万ドルだった。しかし、ストックオプション(自社株購入権)はよこせと要求した。権利を得た彼は、一〇〇〇万株(同社の二パーセント)を一七・六二ドルから七五ドルのあいだで購入した。それだけではない。セメルは自腹を切って一般の市場でもヤフー株式一〇〇万株を一七〇〇万ドルで購入した。彼にとっては安い買い物だった。なにしろ、ヤフーの時価総額は一年間で九〇パーセント──一二八〇億ドルから一二六億に──価値を落としたばかりだ。  彼の考えはこうだった。もしヤフーの縮小を止め、再び堅実なペースで成長させることに成功すれば、彼はのちに想像もできないほどの額の資産を手に入れるだろう。  言い換えると、もしセメルがヤフーの再生に失敗すれば、彼は財産を失うだけでなく、ハリウッドとヤフーの重鎮に、自分はやはり年老いたレトロ人間であったことを証明してしまう。映画業界を離れるべきではなかったと、誰もが言うことになるだろう。
・二〇〇〇年一〇月、増え続けるトラフィックを広告収入に変える方法をグーグルは見つけた。アドワーズ(AdWords)と呼ばれる仕組みだ。
一〇億ドルなら妥当などころか安価な買い物だ、と彼らはセメルに説明した。セメルは納得し、早速グーグルに向かった。しかし、グーグルのラリー・ペイジが首を横にふる。そして、値段は三〇億ドルに上がったと告げた。  セメルはもう一度財務部と会合を開いた。そして、再び買収を決断し、グーグルに赴く。  今度は数字が六〇億に跳ね上がっていた。
なぜ、ヤフーはグーグルに勝てなかったのか。その理由は山ほど考えられるが、根本の問題はただ一つだ。検索結果のページに表示される広告の並び順だ。グーグルは正しい順序で表示したが、ヤフーは間違っていた。
このころには、グーグルは自分たちのやっていることは〝収穫逓増ビジネス〟だと、理解するようになっていた。出資をすればするほど、利益も大きくなる。  なぜそうなるのか? グーグルの場合、市場シェアが増すにつれ、企業が広告費をヤフーとグーグルに振り分けるのをやめ、グーグルだけに一本化するようになった。その結果、グーグルの収入も上昇し、シェアをさらに増やすことができる。シェアが増えれば、グーグルだけに全広告費をつぎ込む企業の数もまた増える。
フェイスブック本社に戻ったザッカーバーグは、彼の共同創業者でありハーバード大学時代からの仲間でもあるダスティン・モスコービッツのもとに向かい、顔を合わせるやいなやガッツポーズをして喜んだ。一〇億ドルが提示された場合、必ず売却に同意すると、ザッカーバーグは取締役会に約束していた。しかし、提示額が一〇億を下回った。フェイスブックを手放す必要はない。  次の日、ザッカーバーグはヤフーに連絡をとり、交渉を続ける気がないことを伝えた。
・マイクロソフトにヤフーを買収する意志があることを、バルマーはヤンに告げた。  バルマーの声は穏やかだったが、使う言葉は厳しいものだった。ひとことで言うと「敵対的」。  バルマーが言うには、マイクロソフトはこれまで数年にわたって、ヤフーと友好的な交渉を続けてきたが、何の成果も生み出さなかった。今回はそうはいかない。オファーを今、ファクスで送った。  つづけて、バルマーはヤンに言った。もしヤンとロイ・ボストックにヤフーを売却する意志があり、価格を提示するのなら、このオファーを公表するつもりはないし、詳細は後日時間をかけて話し合おう。しかし、ヤフーを売る気がないのなら、我々はこの話を公表する。その場合、投資家たちがどう動くか、楽しみだ。
・ヤンはヤフーが独立していることに誇りを感じていた。より客観的にものごとを考えられるCEOなら、空港会議室でバルマーと対面したときに、一株三七ドルの申し出を受け入れるなら、買収に応じると言っただろう。ヤンにはそれができなかった。
・ウェブ調査会社コンピートによると、アメリカにおけるウェブメールサービスへのアクセスは二〇〇九年の一億四〇〇〇万人強(ユニークビジター数=重複を除いた正味の人数)がピークで、その後は急速に減少している。二〇一〇年の九月は、一億二五〇〇万人だった。利用者数の低下は、ヤフーにとっても大きな痛手となった。二〇一一年から二〇一二年にかけて、ヤフー・メールの使用回数は二五パーセント減った一方で、iOSのメールは七四パーセント、アンドロイドのメールは九〇パーセントの増加を記録した。
・二〇〇九年に結んだマイクロソフトとの契約でも、バーツは先見の明のなさをさらけ出した。提携することを決定した背景には、マイクロソフトの市場シェアとヤフーの市場シェアを組み合わせることで、グーグルに一方的に集中していた広告主の関心を、ヤフー&マイクロソフト陣営に呼び戻し、検索広告収入を増加させるという考えがあった。しかし、そうはならなかった。理由の一つは、マイクロソフトの検索エンジンが非ラテン語系の文字セットと相性が悪かったことだ。日本語や中国語では使い物にならなかった。つまり、グローバルな検索テクノロジーではなかった。かつてはヤフーが大きなシェアを占めていたアジア諸国で、利用者の数が減っていった。
・ヤフーのトップに君臨する前、テリー・セメルはメディア業界で広く称賛されていた。サン・マイクロシステムズとオートデスクにおけるキャロル・バーツの実績は、目を見張るものがあった。CEOになるまで、ジェリー・ヤンは誰からも愛される創業者だった。社長になる前のスー・デッカーは、ウォール街での大胆さや取締役会議での賢明さから、スーパーヒーローと見なされていた。  しかし、ヤフーの再建に失敗してからは、彼らは不幸にもあざけりの対象となり、業界からのけ者扱いされるようになった。  自分ならうまくやれる、という人物はこの世に存在するのだろうか?
・最高の人々に囲まれ、彼らにもまれているうちに、自分も成長できる。それがメイヤーの信条だ。  優秀な人々に囲まれて生きるための場所を探しているうちに、グーグルに出会った。それが彼女の答えだ。  だから、メイヤーはグーグルに入社した。
・まず、アリババから現金が手に入った。タオバオへの出資額は八〇〇〇万ドル。それが二年で四倍になって返ってきた。おいしい話だ。つぎに、この取引によりアリババは強い会社になった。タオバオを完全に所有することになったからだ。これもマサを喜ばせた。ソフトバンクはいまだにアリババの株式を三分の一保有している。また、アリババが強くなればヤフーも恩恵を受ける。ソフトバンクはヤフーにも出資している。孫正義にとっては三重の喜び、ウィン・ウィン・ウィンだ。
・IPG幹部の一人、クエンティン・ジョージが「ヤフーの今後における広告代理店の役割をどう思うか」と尋ねた。  代理店はヤフーのパートナーであり、協力者だ。これがトンプソンが口にすべき正しい答えだった。どのブランドがどこに広告費を落とすかを左右するのは、結局のところ代理店の顧客ではなく、代理店自身なのだ。  しかし、トンプソンは正しい回答を知らなかった。  かわりに「ペイパルでは、我々は一般的に仲介業を取引から排除することに努めた」と答えた。  レヴィンゾーンは椅子から滑り落ちそうになった。おい、冗談もほどほどにしろよ。こいつ、どうやってこの仕事を手に入れたんだ?
・会談が終わるたびに、ヘックマンとレヴィンゾーンの二人は、アローラがデ・カストロに対しひどく横暴な態度をとることをネタに、笑い合ったものだった。デ・カストロの考えをアローラは厳しく批判し、彼をバカ呼ばわりすることもあった。
・メイヤーはデ・カストロの雇用を強く主張した。実現しなければ、ヤフーの収益は減りつづけ、彼に支払う報酬よりも数倍大きな資産を失うことになるだろう。彼がCOOになれば、彼に支払った報酬の何倍もの額の増益が期待できる。結果として安上がりだ。
マリッサ・メイヤーとヤフー取締役会はエンリケ・デ・カストロの評判を確かめるべきだった。  少し調べるだけでも、グーグルの広告関係者における彼の評判はすこぶる悪いことがわかっただろう。  グーグルの上級幹部のなかで彼の評価が最も低かったことは、同社の広告部門のマネジャーを務めたことのある人物なら誰もが認めるところだ。
・メイヤーが考える〝シンプルでわかりやすい改善〟とは、グーグルのユニバーサル検索のようなマルチメディア検索の統合、グーグルのインスタント検索のような入力途中の結果表示、そしてグーグルのナレッジグラフのような検索結果リンク以外の情報の提供のことだ。  二〇一三年、ヤフーはこれらの変更のほぼすべてを実装した。  それでもヤフーの検索シェアは回復しなかった。二〇一三年の夏──アリババの空の傘がなくなるまであと一年──シェアは一二パーセント以下にまで縮小していた。
・これが人々の怒りに火をつけた。  アリババの空の傘がなくなる二〇一四年秋までに、メイヤーはユーザーに愛されるモバイルアプリをつくらなければならない。必然的に、モバイル部門を束ねるカーハンが最重要人物の一人となる。しかし現実には、有能な人材たちの多くがカーハンを嫌っていた。彼らのなかには、二〇一三年の夏までに退社していった者もいる。
メイヤーが積極的で、共感のできる上司なら、それでもよかったのかもしれない。  しかし、彼女はそうではなかった。大勢の聴衆の前に立てば情熱的になれる一方で、小さなグループに対してはいまだに内気なままだ。閉鎖的で、冷たく、無感情。そう見えた。  たいていの上司は、気に入らないアイデアやプロダクトを目にしたとき、「もう一度、考えを練り直そう」などと言うだろう。  メイヤーはそれすらしなかった。かわりに、彼女は相手に最後まで話を続けさせる。不機嫌そうな表情を浮かべながら。そして最後の最後に突き放すような口調でこう言うのだ。「あなたは間違ってると思うわ。的外れよ」  なぜメイヤーはそう振る舞うのか、人々は理解しようと努めた。
・メイヤーとミーティングをするのなら、何時に始まるか考えるな。開始時間はどうせ変わるのだから。これがヤフーの一般常識となった。サニーベールで働く従業員にとっては、〝迷惑な話〟ですんだ。しかし、インドやヨーロッパなどの遠隔地で働く人々にとっては迷惑どころの話ではない。
・彼女のルーズさが、ときには人々を激怒させることもあった。  二〇一二年の秋、メイヤーはリリース直前にまでこぎつけたヤフー・メールのチームにカラーを変えろと指示を与え、チームを率いるヴィヴェク・シャーマに明朝までにモックアップをつくり、見せにくるよう伝えた。シャーマのチームは夜を徹して働いた。ところが、メイヤーのほうが明朝のミーティングに姿を見せなかった。  冷たさと遅刻。この組み合わせは強烈な破壊力をもつ。部下たちは自分がないがしろにされているように感じた。
・しかし、ヤフーにとって本当に厄介な問題は、マリッサ・メイヤーの経営スタイルが外部に漏れることで、才能ある人物を雇用するのが難しくなることだった。経営再建中の企業に就職するのはただでさえリスクが高いのに、CEOの振る舞いに難があるとわかれば、誰も寄りつかなくなってしまう。
・ヤフーにとって、彼らは期待に値する人物だった。しかし、全員が敗北した。  メイヤーも同じ運命をたどるのかもしれない。  結局のところ、ヤフーが成功できたのは、世界に一瞬しか存在しない問題を解決したからだ。初期のインターネットは使うのが難しかった。ヤフーがインターネットを簡単にした。ヤフーがインターネットだった。しかし、インターネットが普及し、大きな資金が集まるようになり、問題の解決法も増えるにしたがい、ヤフーの必要性が消えていった。「ほかの誰かができないことをする」という存在意義がなくなり、新しい目的が見つからなかった。
ネットの世界では、「経路」の基盤(プラットフォーム)を奪取しなければ勝ち組にはなれないのだ。そしてヤフーがSNSや、あるいはその先にある未知の「経路」を奪えるという可能性は、今のところまだ見えていない。

アイデアによるV字回復物語「USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?」

USJの観客動員数がジリ貧の中でマーケティング担当として入社した著者が、V字回復の際にどういった施策をどのように思いつき、実行に移し、どのような結果になったかを丁寧に描いています。特にハリーポッターアトラクションに大型投資をする中で数年間ほとんど予算がない中で圧倒的な結果を出していく様は大変興味深く、かつ爽快でした。

でも粘りに粘って考えていると、そんなコロンブスの卵を生み出すことができることがあるのです。ある問題について、地球上で最も必死に考えている人のところに、アイデアの神様は降りてくるのだと私は思っています。

もし明日までに「新しい強いアイデア」を出さないと、自分の家族が全員皆殺しにされることになったら、多くの人は必死な集中力で長時間考えられると思います。そうすると、きっと何かを思いつく確率は上がっているはずです。足らないものがあるとすれば、その必死さ、その執念、「コミットメント」なのではないでしょうか?

もっともっと真剣に考えることできるなと思いました。

後、これ読んだいま、すぐにUSJに行かねばという思いです。

<抜粋>
・要するに「映画だけにこだわらないとディズニーブランドと差別化できなくなるから絶対に集客できなくなる」のだそうです。大変失礼ですが「ああ、実戦経験の足らない自称マーケターは多いな」と私は思いました。  その「映画だけにこだわること」こそが戦略上の大きなミスなのです。この日本において、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが、どうしてディズニーランドと差別化しないといけないのでしょうか?
・その歩いている一歩一歩が正しいんだ! と思えないと、自信を持ったよいエクセキューション(実際のプラン=この場合はショーやイベントの品質)を現場が作ることはできません。腹の底の弱気や心配は絶対に周囲に悟られてはならない、誰かが言い切らないといけないのです。
橋下知事のメッセージをメディアが最初に報道した直後から、我々は突貫で製作した「スマイル・キッズフリー・パス」のTVCMを放映開始したのです。  すると……。  GW前までの地獄の集客トレンドがまるで噓のように、パークに子供を連れたご家族がたくさんたくさん来てくれました。やがてキッズフリーの対象者以外のゲストもパークにどんどん戻って来ました。  潮目は変わったのです!
私はアイデアを考えるときは、まず目的を徹底的に吟味して定め、その次にアイデアが満たすべき「必要条件」を一番時間をかけて考えます。そしてその必要条件を組み合わせ、より条件を絞り込んで、自分が必死に思いつくべきアイデアの輪郭をできるだけ明確に絞り込んでいきます。具体的なアイデアを考え始めるのはいつも最後の最後なのです。
・この日のハロウィーン・ホラー・ナイトを楽しみに夜の時間に残っていた実際のゲストは、想定の2万人どころか、なんと3倍の6万人にも及んだのです! 需要予測を現実がはるかに超えた瞬間でした。  ハロウィーン・ホラー・ナイトは、ずっと7万人程度で赤字だったハロウィーン・イベントを大きく黒字化させる倍増目標14万人をはるかに超え、なんと追加集客数で40万人以上を集客することに成功しました。  これは何十億と投資した大型アトラクションが年間を通じて集客する数字よりも多い数を、約2カ月の間に集客してしまう凄まじい需要創出となったのです。
私は信じているのですが、マーケティングをやる人間は、何でも自分自身でやってみることを習慣にするべきです。前職でヘアカラーやスタイリング剤を売っていた時代は、私は自分のヘアスタイルを金髪のスパイキーや、真っ赤なソフトモヒカンにしていたこともありました。
・しかし、ビジネスは不思議なものです。つくづくそう思います。  もしあの震災自粛の衝撃によって我々があれほど追い詰められることがなければ、これらのアイデアを思いつくこともなかったでしょう。そして、これほどの10周年の成功も絶対になかったはずです。そう考えると、会社の経営も不思議な運命のバランスの上に成り立っているのだと改めて思います。
一般論ですが、日本人は何でも自分でゼロから始めようとする、悪いクセがあるように思うのです。これは日本人の職人気質から来ているのではないかと思うのですが、人のアイデアを活用したり、それをベースに新たな価値を増築していくことが、スマートだと信じている人をあまり見たことがありません。
・世の中からアイデアを探して盗んでくることを真っ先にやることは、マーケティングをやる人間には絶対に必要だと思っています。誇りを持ってやるべきです。自分たちでゼロからアイデアを捻り出すのは、本来は探してどうしても見つからないときの最後の手段であるべきだと私は考えています。そしてリノベーションは、それがリノベーションだと気づかれないくらいの新しい価値を創造できたときに成功するのです。
・アイデアというのはそんなに安いものではないのです! そして2013年を生き抜くことは、会社の未来を創ることそのものでしたから、ベストを尽くさず諦めるなど絶対に選択肢にはなかったのです。
・でも粘りに粘って考えていると、そんなコロンブスの卵を生み出すことができることがあるのです。ある問題について、地球上で最も必死に考えている人のところに、アイデアの神様は降りてくるのだと私は思っています。
・もし明日までに「新しい強いアイデア」を出さないと、自分の家族が全員皆殺しにされることになったら、多くの人は必死な集中力で長時間考えられると思います。そうすると、きっと何かを思いつく確率は上がっているはずです。足らないものがあるとすれば、その必死さ、その執念、「コミットメント」なのではないでしょうか?
・ビギナーだからベテランだからどうのこうのではなく、確率を上げている人が一番釣るのです。考えてみれば当たり前の話ですね。アイデアも同じです。アイデアの神様に微笑んでもらうためには、やるべきことをちゃんとやって確率を上げておくのが道理だということです。
・何十億も何百億も投資して、一体何年間集客に貢献してくれるのか。「中途半端な強さの映画」に何十億円もかけることは非常に非効率なのです。  我々がハリー・ポッターに450億円もの巨額を投じる決心をした理由の1つは、すぐに劣化していく中途半端な映画アトラクションを45億円で10個作るよりも、よほど効率的だと考えたからです。
・経済的に有利な人間だけを優遇するのか? と、ネガティブにとる人もいるようですが、より多くの料金を払った方が、より良い席で見られたり、より良い体験ができたりするのは、世の常ではないでしょうか? なぜテーマパークだけが入場料金だけの画一料金でなければならないのでしょうか? ファストパスのように開園ダッシュの「走力」でゲストに差がつくことも、エクスプレス・パスのように「料金の選択」で差がつくことも、同等だと私は考えています。
経営資源が少ない企業は、まず一番大事なところに資源を集中しないと勝てません。あれこれリスクヘッジしようと資源を分散すると、全てで資源が不足して負ける可能性が大きくなります。一点張りで絶対に勝たないといけない重要性は、大企業の比ではありません。  だから中小企業は、大企業よりも頭を使っていかないと駄目なのです。より戦略的でなければならないのです。生み出されるアイデアの質もスピードも、大企業よりも優れていないことには話にならないでしょう。経営資源で劣るならば、せめて知恵で優れないと勝負になりません。
・これは私の考えですが、先進国の中でも特異な日本の文化事情によって、母親が罪の意識なしにストレスを発散できる装置が少ないからではないかと思います。先進国の中で、家事負担がここまで女性に偏るのも日本くらいなので、欧米のように子供をどこかに預けてストレス発散をすることに罪悪感を覚える人が多い。日本の女性は献身的な存在と言えるのではないでしょうか。家庭のため子供のため、子供の教育にすべてを注ぎ込み、自分の楽しみは後回しの傾向は、昔から続いてまだ残っています。そんな彼女たちにとって、子供と一緒に楽しめるテーマパークの存在は貴重なのです。  パークを歩いているときに、子ども連れの母親ゲストを見かけると、私はいつも「どうか彼女たちのこの1日が素晴らしいものになりますように……」と祈るような気持ちになります。ユニバーサル・ワンダーランドをつくったのもその想いが土台にあったからです。

今後無視することはできない「ブロックバスター戦略」

一時期クリス・アンダーソンの「ロングテール」理論が脚光を浴びましたが、近年実際にはエンターテイメントの世界で真逆にソーシャルメディアなどで拡散力が広まったこともありメガヒットが連発されています。

例えばレアル・マドリード(世界最大予算のサッカークラブ)やワーナー(ハリウッドのメジャー映画配給会社)、レディ・ガガ、シャラポワなどの例を詳細に解説しており、ヘッドの部分に投資を集中させリターンを最大化するかというブロックバスター戦略が成功を収めています。一方で、iTunesの売れた曲のうち1/3は1曲しか売れていないなどロングテールがほとんど機能していない例も挙げられています。

本書はエンターテイメント中心なのですが(一部ファッションやサービスの話もあり)、インターネット業界でも、GoogleやFacebookなど一部のメガベンチャーに一流の人材が集中し、それがサービスを進化させ(競合に差をつけ)ユーザーを増やし、それが収益を増やし、またひとを集めるという流れを生み出していることを考えると、個人的にも非常に考えさせられるものがありました。基本的には、ブロックバスター戦略はインターネット業界にも有効になりつつあるので、うまく取り込んでいかないとなと思っています。

今後の世の中の流れを考える上で非常に勉強になる一冊でした。

<抜粋>
・ここで、ひとつの原則が鮮明に浮かび上がる。エンターテインメント企業は、創造性豊かな人材との関係を継続させるためならどんな苦労も厭わない、という原則だ。
・ブロックバスター戦略の成功は、マーケティング費用を含めて考えると一層明らかになる。高額を投じた作品ほど、広告の効率性がいいのだ。「製作費1億5000万ドルの映画の広告宣伝費は、たとえ市場を飽和状態にしても、製作費7500万ドルの映画の2倍というわけではない★14」。
・次に、出版社でもスタジオでも、ブロックバスター狙いを敬遠してばかりいると、才能あふれる編集者や映画製作者、テレビプロデューサー、クリエイティブな人たちは職を辞して、大きな成功のチャンスを追求できる会社に移るだろう。
・第一に、低予算の投資はテストケースの役割を果たせるからだ。小さな賭けを妥当な数だけ行えば、メディア制作者が次の大ヒットシリーズを見出す手がかりとなる。
・この話で思い出されるのは、ワーナー・ブラザーズが開催したホーンの送別パーティーでの出来事だ。ジョージ・クルーニーが満座の中で、「俳優たちがやりたかったのに、スタジオ側はやりたくなかった諸々を支持してくれたこと」に対して、ホーンに感謝の意を伝えたのだ。賢い一流俳優は、この種の姿勢を決して忘れず支持者になってくれるものだ。
・どうしてなのだろうか。どうしてレディー・ガガを支えるチームは、かつてはあれほどうまくいった口コミを利用した戦略から手を引くことにしたのだろうか。ガガの新アルバムなら飛ぶように売れるはずなのに、レコード・レーベルの経営陣は、不必要なマーケティングの支出を抑えたいとは思わなかったのだろうか。
・「要は、多様なグループを見つけることが大事なんだ。ゲイ・コミュニティ、ダンス・コミュニティ、クラバー・コミュニティ、ファッション・コミュニティ、アート・コミュニティなどを、ガガのファン層に育てることが必要だ。だからあとになって、ラジオで売り込もうとしたときには、もう何カ月もガガを追っている強力なファン層がいたし、彼らはガガの成功に自分たちも貢献していると感じていた」。
・最終的に、エンターテインメント商品の成功は最初にそれを試した少数の人たちの判断に大きな影響を受けやすいということを、ワッツたちは明らかにした★15。
ワッツによれば、売れている歌でも映画でも本でもアーティストでも、必ずしも〝ほかのものより優れている〟わけではないという。むしろ、人が好むものというのは、他者が好むと考えられているものだ。
・ディーナーは、既存のジャンルをまたいだ音楽やメインストリームの型にはまらない音楽は、たいてい中小レーベルから生まれると指摘した。中小レーベルは、革新的なものを生み出すには好位置につけているのかもしれない。あるいは、なじみのある言葉を用いるなら、過去に売れたアーティストと似たアーティストに多額の費用をかけるという、ブロックバスター・トラップに陥りにくいのかもしれない。
・パフォーマーの私生活さえ一役買う。そもそもイギリスでは、元スパイス・ガールズのメンバーとの関係が大きく取り沙汰されたために、サッカーファン以外の間でもベッカムの名前が広く知られるようになった。ほかの一流サッカー選手と比べて、当初は少しだけ有利に働いたこの種の出来事が、やがて高禄を食める、ベッカムブランドを中心としたキャリアの構築につながっていった。パフォーマーは往々にして、世間の注目を浴びるほど、ますますスターになっていくのだ。
・南米のトップクラブは、ヨーロッパのトップクラブとフィールドでは互角の勝負なのに、南米はヨーロッパと比べて金回りが良くない。サッカーが人気スポーツだという点では引けを取らないが、南米のサッカー市場がわずか20億ドル相当なのに対して、ヨーロッパのサッカー市場は170億ドルにも相当する。
・そのひとつの要因は、早くに勝利を収めた者は、さらなる成功に対して有利な立場にあるという点だ。要するに、経済学者のいう「経路依存性」や「正のフィードバック★18」のことだ。配役担当ディレクターが映画俳優を選ぶ場合を思い描いてほしい。小さな役のオーディションを受ける何百人もの無名俳優を見分けようとするとき、ディレクターにはおそらく判断材料がほとんどない。ところが、ある俳優が1、2度選ばれて、期待に添う仕事をしたとなると、以降もその俳優が引き立てられる十分な理由となる。結果として、ほかの俳優と比べて(仮に違いがあったとしても)ほんのわずかの強みに基づく決定が、幸運な勝者としての豊かなキャリアにつながり、ほかの何百人もの志願者のチャンスをつぶすことになるかもしれないのだ。
・アップルが意気揚々と、アップストアには10万のアプリがあると発表したとき、98パーセントのiPhoneユーザーが、人気の低い9万9000のアプリのどれ一つとして興味を示さなかった★21ことも、驚くにはあたらない。
・それでも、『デコーデッド』のキャンペーン中、ビングのシェアはサービスが始まって以来最高となる12パーセントに達し、最も閲覧数が多いウェブサイトの上位10位にはじめて入った★13。
・まずは、ナイトクラブの世界を詳しく見ることにしよう。パーティー好きの人なら、ストラウスとテッパーバーグの運営するクラブの名前は少なくともひとつは知っているのではないだろうか。しかし、根っから遊び好きの人でも、この2人が起業家としてどれほどの成功をあげているのかについては正確に理解していないだろう。ナイトライフのビジネスでは、クラブはあっという間に、〝イケてる〟から〝イケてない〟に変わるものだ。クラブにとって最高の顧客は、最新流行のクラブにだけ通う客だ──しかし、どのクラブも最新でありたいと願うが、これは時間の問題だ。映画や新アルバムの口コミと同じように、興奮はあっという間に静まる。すると、オープン当初の収益はあがってもすぐに減益に転じて、クラブのオーナーは高額の先行投資を回収しようとして大慌てすることになる。
・アメリカでは、CBSがショーの放映権を100万ドル以上支払って手に入れ、900万人以上の視聴者がチャンネルを合わせた★12。1時間にわたるショーの模様は、12月4日──クリスマス休暇向けの買い物シーズンのはじまりとぴったり一致する──のゴールデンアワーで放送されて、視聴者がヴィクトリアズ・シークレットの小売店やネットショップで買い物したくなるように構成されていた。莫大な宣伝費を投じたこのブロックバスター狙いは目覚ましい効果をあげて、このブランドは毎年大衆市場で大きな話題を呼んでいる。

経営者は成果がすべて「ドキュメント パナソニック人事抗争史」

パナソニックの歴代社長の人事を綿密な取材から追っています。もちろんこういったものは話すひとは何かしらポジショントークな部分があると思うし、一概にこの社長はいい、悪いとは言えないとは思うのですが、それでもかなり混乱した状態が続き権力争いが続いたのは間違い無さそうです。

とはいえしかし、結局のところ業績があがっていないからこそ歴代社長は糾弾されているわけです。もし何かしら素晴らしい業績があれば偉大な中興の祖として祭り上げられたのは間違いない。

結局、経営者は成果がすべて。

当たり前のことを粛々とやるのは当然で、さらに一段ギアチェンジするような業績をあげ続けないと評価されず、いつの間にか忘れられてしまう。自分も圧倒的な成果を出さなければならないし、そのための組織を作っていく(権限移譲していく)必要があると改めて感じました。

<抜粋>
・やがて山下のあとを継いで谷井昭雄が4代目社長に就任し、その大役を果たそうとした時、業家の反発や正治の執拗な反撃などが相まって、逆に谷井が、社長の座を追われることとなった。
・むめのにしてみれば、正治はひとり娘幸子の夫であり、かわいい孫の正幸の父親である。将来、孫の正幸に社長を継がせるためにも、正治が社長の座に居続けることを強く望んだ。
・山下には、柔軟な思考力、冷静な判断力のほか、叩き上げの人間に共通のシンの強さが備わっていた。しかしなぜか、「正治を引退させろ」との幸之助の命に関しては、優柔不断だった。
・要するに、山下の進めた「近代化」によって、正治に苦言を呈してきた幸之助の番頭たちが会社を去り、ようやく手足を思いっきり伸ばせるようになったということである。
・山下は、常務会を開くにあたって、会長である正治への出席要請はしなかった。意思決定のスピードを落とさないため、常務会は、社長、副社長、専務、常務のみの出席としたのである。重要事項を協議する常務会の様子が皆目わからないことに、正治は苛立ちを隠さなかったという。 「客員会」の重鎮のひとりによれば、「正治さんは、ひょっとして自分は無視されているのではないかと心配になりだした。それで、自分も常務会に出席したいと言うんですが、山下さんは、いや会長は出ていただかなくても大丈夫ですと断っている。すると今度は、当時の人事担当副社長だった安川洋さんに、自分の出席を認めるよう山下に言ってくれと頼んでるんですね」。
・松下家に近かった元幹部社員によれば、「正治さんは、そのうち人事案だけでなく、事業買収などにもズケズケものを言いだした。反対したくてもできない案件だと、『決裁願』の書類に逆さまにハンコを押していた。それがまた、アッという間に、会社中に知れわたるわけや。あの案件、会長は不同意やと──。だから、そういう事態にならないよう、治めて、治めて、やっていこうとするようになった
・しかし森下は、社長に就任するや、恩義を感じるべき谷井に背を向けた。社長を退き、相談役となってからの谷井の口癖のひとつは、森下への不満であった。親しい役員に、よくこう零していた。森下は、何にも相談に来んもんなあ──。
・会長として、業家の代表として、松下電器を預かる立場の正治にとってみれば、いわば蚊帳の外に置かれたも同然の形で進行したMCAの買収は、谷井の身勝手な行動であり、出過ぎた経営と映るようになる。そんな感情的シコリもあって、正治は、MCAの買収に途中から反対の意向を示しはじめた。
・ワッサーマンと森下との違いは、浮き沈みの激しいハリウッドで、生き馬の目を抜くような仕事をこなしてきた海千山千の経営者と、ドメスティックな世界で営業畑しか歩いてこなかったサラリーマン社長との、主体性と自信とチャレンジ精神の違いによるものだった。
・映画作品への造詣が深かった斎藤は、MCAの保有する映像ライブラリーに関する克明な資料を作成し、特命チームの判断を助けた。そしてMCAの買収契約が成立したのち、平田からワッサーマンに送る手紙の作成を依頼されると、その最後を「お楽しみはこれからだ」という台詞で締めくくった。  昭和2(1927)年に公開された映画『ジャズ・シンガー』で、主人公が語ったこの台詞は、無声映画からトーキー映画に切り替わった最初のスクリーンで観客に向けて発せられたものである。映画史上に残る記念碑的な台詞を盛り込んだ手紙に、ワッサーマンはいたく感動し、「松下には、本当に映画の心がわかる人がいる」と語ったほどだった。
・「テレビは、何と言っても家電の中心であり、利益を出していたブラウン管に特化するのが業績向上の近道と考えたんでしょう。当時、全世界で使われていたテレビは約10億台で、そのほとんどがブラウン管でした。これほどの市場規模を持つブラウン管が急になくなることはない。まだまだ需要はある。ブラウン管は〝金のなる木〟と周りから吹き込まれ、森下さんはすっかりその気になってしまった。もともと森下さんは、〝マルドメ〟というあだ名を持つぐらい、まるでドメスティックな人だけに、将来のメシの種に投資することより、ブラウン管で日銭を稼ぐことに関心が向かった」
・80年代の松下電器の業績は、本業での儲けを示す営業利益率で平均9%を稼ぎだしていた。それが、森下が社長に就任した平成5(1993)年には2・6%へとガクンと落ち、その在任期間中の7年間の平均も3・4%という結果に甘んじていた。この業績を早期に回復することが、与えられた使命と森下は考えたのである。それはまた、谷井路線の全否定にも繫がり、いわば一石二鳥であった。
・「『何が正しいか』ではなく『誰が正しいか』を重視する」風潮が蔓延し、「人事も『秀でた仕事をする可能性』ではなく、『好きな人間は誰か』『好ましいか』によって決定する」ようになっていたからだ。
・「全社方針会議」は、むしろ村瀬の欠席をこれ幸いとばかりに、東芝方式の採用を決めていた。もし村瀬が出席していれば、それまでの協議経過や、信義問題などが持ち出され、議論は白熱し、容易に結論は得られなかったはずである。
・それまで沈黙を守っていた山下が、この時、突如として世襲批判を展開したのは、このままでは、正幸の社長就任が実現してしまうと危機感を覚えたからだった。たとえ正治との関係が壊れたとしても、幸之助の〝遺言〟を実現するには、この機会しかないと考えてのことだ。谷井に託したものの果たせないでいた、業家と経営との間に一線を引くことで、経営を安定させよという〝遺言〟である。
・佐久間が失脚したあととはいえ、アメリカ勤務時代にさして世話にもなっていない森下を持ち上げようと、先のエピソードを仕立てあげていたとすれば、いささか品位に欠ける。 「客員会」の重鎮のひとりは、「そういう点が、いかにも中村君らしい」と断ったうえで、こう続けた。 「要するに、佐久間さんが失脚した途端、森下君に乗り換えたいうことですわ。彼は、常に上しか見てこなかったし、取り立ててくれる上司には徹底的に媚を売り、逆らわずに仕えてきた。まさに、組織の中で生き延びる術を心得た〝プロのサラリーマン〟ですよ。これは、森下と共通するところですが、裏を返せば、このような芸当ができたからこそ、彼らはトップの座を手にできたということでしょう」
・当時、取締役米州本部長だった岩谷英昭は、プラズマに固執する中村に対し、公然と異を唱えた。その時の緊迫した様子は、「客員会」の一部で、伝説となって語り継がれているほどだ。
・しかしその後も中村は、活を入れつづけた。 「PDP(プラズマ・ディスプレイ)は絶対に引くことのできない事業です。技術力はもちろん、コスト力でも圧倒的に勝ち続けるべく、全社の最重点事業として総力を挙げた取り組みをお願いいたします」(『PaNa』2006年1&2月号)
・「V字で男をあげて以降の中村というのは、人が変わってしまったわね。異常なほど部下を選り好みして、自分の好きなタイプしか選ばないというところへいっちゃった。しかも嫌いとなると、人格を全否定する。それだけに、骨のある奴から抜けていきましたなあ」(中村の元同僚)
・中村は、50歳代前半で人事の苛酷さを、骨身に沁みる思いで嚙みしめていた。社長までの道のりは決して平坦ではなく、一度は左遷によって将来が閉ざされる危機を味わっている。その時、手を差し伸べてくれた森下には、まさに〝絶対不可侵〟の態度を貫いていたのである。
・中村が社長時代の元部下もこう語っている。 「中村さんが社長になってから、品質会議というのをはじめたのですが、ここでは毎回のように事業部長や工場長が吊し上げられていた。説明が悪いと、極端な話、次ぎの会議にはいない。どこかに飛ばされちゃってるんだから。だからみんな、自分の身を守るため、自分の責任のとれること以外何もしなくなる。身を縮こませ、足元ばかり見て仕事をするようになっちゃったわけですよ」

Google人事の成功例と失敗例「ワーク・ルールズ!」

Googleの人事トップがGoogleでの数千人から数万人になるまでに行ったあらゆる人事的施策(成功例も失敗例も)や人事の考え方について赤裸々に語っています。

もちろん数千人からの話ではあるし、その時点でものすごく優れたビジネスモデルがあり、かつエンジニアが憧れるレピュテーション(評判)もある会社であったのでそのまま転用が可能というわけではないけれども、ベンチャー経営においては非常に実践的でとにかく勉強になる一冊です。

本書を参考にしながらメルカリでもいろいろ改善していきたいなと思います。

<抜粋>
・必要なのは、社員は基本的に善良なものだという信念──そして、社員を機械ではなくオーナーのように扱う勇気だけだ。機械は与えられた仕事をこなすが、オーナーは会社やチームの成功に必要なことなら何でもやる。
・ラリーとセルゲイの野望は、すばらしい検索エンジンの開発にとどまるものではなかった。2人はまず、自分たちが社員をどう処遇したいのかを知ろうとした。現実離れして聞こえるかもしれないが、有意義な仕事に取り組む会社、社員が情熱のおもむくままに活動する会社、社員とその家族を大切に扱う会社をつくりたかった。ラリーはこう語っている。「自分が大学院生だとすれば、やりたいことは何でもできます。本当に優れたプロジェクトは、多くの人に実際に取り組みたいと思わせるものです。私たちはこうした考えをグーグルに取り入れてきましたが、それは本当に本当に役立ちました。あなたが世界を変えようとしているなら、重要なことをしようとしているのです。朝、あなたはわくわくしながら目を覚ますでしょう。有意義でインパクトのあるプロジェクトに携わりたいと願っているはずです。それこそ、実は世界に足りないものです。グーグルにはまだそうしたものがあると思います」。
・わが社にとっては、グーグラーを自称するわが社の社員がすべてです。グーグルは、卓越した科学技術者やビジネスピープルといった才能ある人材を引きつけ、活用する能力をもとに組織されています。幸い、わが社は創造的で、信念を持ち、仕事熱心な多くのスターを採用してきました。これからもさらに多くの人材を採用したいと願っています。私たちは彼らに報い、彼らを大切に扱うつもりです。 わが社は、無料の食事、医師の診察、洗濯機など、多くの独自の福利厚生を社員に提供しています。これらの制度が会社にもたらす長期的メリットについては、慎重に検討しています。今後も、福利厚生は削減されるのではなく追加されるものとお考えください。社員の相当な時間を節約し、健康と生産性を向上させる福利厚生については、些細な負担を惜しんでも大金を無駄にするだけです。
・さらに悪いことに、個々のマネジャーはえこひいきをする可能性がある。つまり、友人を雇いたがったり、取締役や大口顧客に好意を示すためにインターンを採用したりするのだ。最後に、マネジャーに採用決定を任せると、チームのメンバーに対して彼らの権力が大きくなりすぎてしまう(のちの章で、私たちがマネジャーの権力を最小限に抑えるために実際に努力している理由を述べたい)。
・結果はどうなっただろうか? 私たちはひとりも採用しなかった*5。広告板はメディアで盛んに取り上げられたものの、資源の無駄遣いになっただけだった。人材募集チームは洪水のような履歴書と問い合わせに対応しなければならなかったからだ。
・たとえば、特定の職務に推薦するなら誰かとたずねた。「これまで一緒に働いたなかで最高の財務担当者は誰ですか?」とか「プログラミング言語のルビーを使える最高の開発者は誰ですか?」などと質問したのだ。また、グーグラーを20人から30人のグループごとに集め、外部調達会議を開いた。彼らには、グーグルプラス、フェイスブック、リンクトインで接触がある人たちを念入りに調べるよう頼み、紹介されるすばらしい人材をすぐに追跡できるようリクルーターが待機した。大きな質問(「わが社が雇うべき人を知っていますか?」)を小さく扱いやすい質問(「ニューヨークで優秀なセールスパーソンを知っていますか?」)に分解することによって、より多くのより質の高い人材を紹介してもらえるようになる。
あなたの行動がチームに前向きな影響を与えたときのことを聞かせてください。(補足質問:あなたの主要な目標は何であり、その理由は何でしたか? チームメイトの反応はどうでしたか? 今後はどんな計画がありますか?) 目標達成のためにチームを効果的に運営したときのことを聞かせてください。あなたはどんなアプローチをとりましたか? (補足質問:あなたの目標は何であり、個人としてまたチームとして、それをどう達成しましたか? チームのメンバーそれぞれに応じてリーダーシップをどう変えましたか? こうした特定の状況から学んだ最も重要なことは何でしたか?) 他人(同僚、クラスメート、顧客など)とうまく協働できなかったときのことを聞かせてください。あなたから見て、その人とともに働くのが難しかった理由は何ですか? (補足質問:問題を解決するためにどんな手順を踏みましたか? その結果はどうでしたか? ほかにどんなことができたと思いますか?)
・グーグルがいまより小さかった頃、私たちはディレクターの2つの階層を公式に区別していた。下位のディレクターの肩書きは「ディレクター、エンジニアリング」、上位のディレクターは「エンジニアリング・ディレクター」としてあった。ところが、肩書きの語順といったわずかな差異があるだけで、社員は階層の違いにこだわることに気づいた。そこで、その区別を廃止した。
・ピシェットはグーグルの最高財務責任者であり、事業を大ヒットさせたいという際限のない欲求と、わが社の財務状態を慎重かつ責任を持って管理することのバランスを取る役目を負っている。
・2010年だけで、8157回のA/Bテストと2800回を超える1%テストを実施した。言い換えれば、毎日30回を超える実験を行い、何がユーザーに最も役立つかを探っていたことになる。しかも、これは検索サービスについてだけの話だ。
・活用される20%の時間は年を追って増減を繰り返しており、最後に調査した際には、およそ10%程度が主流だった。ある意味で、現実がどうあるかよりも、勤務時間の20%を別の仕事に使えるという考え方のほうが重要だ。それは、経営陣による正式な監視をややはずれたところで活用され、今後も変わらないだろう。才能にあふれる創造性豊かな人々が仕事を強要されることはありえないからだ。
・1970年代のベストセラー小説『かもめのジョナサン』の作者リチャード・バックは、のちに『イリュージョン』でこう書いた。「あれこれ理屈をつけて自分の限界を正当化するなら、なるほど、それが君の限界なのだ★109」。
すべてのグーグラーが社内のウェブサイトでほかのグーグラーのOKRを見ることができる。電話番号とオフィスの所在地の次に掲載されているのだ。重要なのは、ほかの社員やチームが何をしているかを調べる方法があること、また、グーグルが成し遂げようとしている大きな構図のなかで自分がどんな位置にいるかを理解するよう促すことだ。
2013年の初め、実験にもとづいて、四半期ごとの業績評価を廃止して6カ月ごとの評価に切り替えた。多少の不満は出たものの、特に問題は起こらなかった。さっそく50%の時間を節約できた。
あなたがこの本を読む頃には、グーグルは全社的に5段階評価に移行しているはずだ。2013年末の時点ではまだ実験中だったものの、初期兆候は良好だった。この方式のおかげで、社員はまず、3・2と3・3のあいだのわかりにくい差の代わりに、より一貫したフィードバックを受け取れるようになった。次に、評価区分の幅が広がった。私たちが業績評価の区分を減らすと、マネジャーは評価システムの上下両端をよく利用するようになった。業績評価システムに関する学術研究は結論がはっきりせず、グーグラーのフィードバックは中立的なものであるものの、少なくともこの2つの評価方式のうちでは、5つの区分のほうが区分をさらに増やすよりも優れていることがわかった。
・キャリブレーションによって評価の手続きがひとつ増えることになる。しかし、それは公正さを確保するにはきわめて大切な手続きだ。ひとりのマネジャーの評価は同様のチームを率いる複数のマネジャーの評価と比較され、マネジャーたちは集団で社員を審査する。5人から10人のマネジャーがひとつのグループとして集まり、50人から1000人の社員の映像を壁に映し出し、ひとりひとりについて論じ、みなが合意できる公正な評価を下す。こうした手続きのおかげで、マネジャーが感じる、評価を上げてほしいという部下からの圧力を払拭できる。また、最終結果は共有された業績期待値を反映したものになる。
・私たちは毎回のキャリブレーション会議を、こうした誤りの再検討から始めるようにしている。私が出席したキャリブレーション会議では、短時間でもこうした現象にマネジャーの注意を向けさせるだけで、多くのゆがみを取り除くには十分であることがわかった。また、そうすることによって、こうしたゆがみを防ぐための言葉や文化的規範が生まれたことも同じく重要だ。
拍子抜けするほど簡単な解決策がある。  2つの議論を決して同時にしないことだ。年度の評価は11月に、報酬についての話し合いはその1カ月後に行う。グーグルでは全社員に株式付与を受け取る資格があるが、その決定はさらに6カ月先だ。  プラサド・セティはこう説明する。「昔ながらの業績管理システムは大きな誤りを犯しています。完全に切り離すべき2つのこと、つまり業績評価と人材育成を結びつけてしまうのです。業績評価が必要なのは、昇給やボーナス向けの資金のような有限の資源を配分するため。人材育成が同じく必要なのは、社員を成長させ、向上させるためです★121」。社員に成長してほしいと願うなら、これらの2つの議論を同時にしてはならない。人材育成については、マネジャーとチームメンバーのあいだで不断に議論を交わすようにすべきであり、年度末のサプライズにしてはならない。
・2013年、私たちは同僚からのフィードバックの書式をもっと具体的なものにしようと試みた。それまでは何年にもわたって同じ書式を使っていた。それは、対象となる人物がうまくやっていることを3つから5つ、もっとうまくできることを3つから5つ記入するようになっていた。現在は、もっとやるべきだったことをひとつ、別のやり方をすればもっと大きな成果を上げられたことをひとつ質問する形になっている。
・「ひとりの一流エンジニアは300人の平凡なエンジニアに匹敵する価値があるが、業績評価と賃金の昔ながらのシステムが積み重なると、貢献度よりも職位にもとづいて報酬が支払われることになる」。
・実のところ、組織のなかで人が発揮するパフォーマンスは、たいていの仕事の場合べき分布になる。インディアナ大学のハーマン・アグイニスとアイオワ大学のアーネスト・オボイルは「平均的な能力の人々がつくる大集団が強い影響力を振るうわけではない……きわめて優れた能力を持つ人々の小集団が圧倒的な業績を上げることによって[影響力を振るうのだ]」と解説する★130。大半の組織はそうとは知らずに、最高の人材を過小評価し、正当な報酬も払わないでいる。
・そんなわけで、「業績不振」の社員を解雇するという従来のやり方とは違う手段をとることにした。私たちの目標は、底辺の5%に該当する全社員に、その事実を伝えることだ。これは楽しい会話ではない。だが、そのときにこんなメッセージを伝えれば多少やりやすくなる。「あなたの成績はグーグル全体で下から5%です。そう聞いて気分が良くないことはわかります。わざわざ私がそれを伝えるのは、あなたに成長し、向上してもらいたいからです」
ボトムテールに投資するこのサイクルを通じて、チームは改善する……それも格段に。社員は業績をぐんと上げるか、さもなければ退職して別の会社で成功を収める。
最高のマネジャーを擁するチームは業績も良く、離職率も低かった。実際、マネジャーの質は社員が辞めるか残るかを予測する唯一にして最高の指標だった。社員は会社を辞めるのではなく、ダメなマネジャーと働くのを辞めるのだという格言を証明した格好だ。
・すると、やはりマネジャーによって差がついた! より悪いマネジャーのもとに異動した65人は、グーグルガイストの42項目のうち34項目でスコアがきわめて低くなった。翌年、より良いマネジャーのもとに異動した社員は、42項目のうち6項目でスコアが大幅に改善した。変化が最も大きかったのは、定着率、業績管理への信頼度、キャリア開発度を測る質問に関するものだった。より悪いマネジャーのもとに異動することは、それだけで、社員のグーグルでの経験を変容させるのに十分であり、会社への信頼が崩れ、退職を考えるきっかけとなる。
・意外にも、優れたマネジャーに必要な8つの属性のうち、技術的な専門知識の重要度はいちばん低いことがわかった。誤解のないように言っておくが、技術的な専門知識はもちろん必須である。プログラムを書けないエンジニアリング部門のマネジャーは、グーグルでチームを率いることはできない。だが、最高のマネジャーとその他のマネジャーの違いを生む行動のうち、技術的な貢献はチームにとって最も影響が小さかった。
・①報酬は不公平に ②報酬ではなく成果を称える ③愛を伝え合う環境づくり ④思慮深い失敗に報いる
・オボイルとアグイニスは次のように説明する。「生産力の10%を最上位の従業員が担い、生産量の26%を上位5%が担う」。言い換えれば、上位1%の従業員の生産量は平均の10倍、上位5%の従業員は平均の4倍にのぼる。
・2004年11月に発表された最初のファウンダーズ・アワードは、ユーザーに関連性の高い広告を提示する仕組みを構築したチームと、重要な業務提携を交渉したチームに贈られ、総額1200万ドル相当のストック・ユニットが支給された★182。翌年は11のチームに総額4500万ドル以上が支給された
・グーグルでは現在も、例外的に優秀な人には、例外的な額の現金や株式で報いる。ボーナスと株式報奨の金額は、以前よりべき分布に近くなった。ただし、私たちはこの10年をかけて、報奨の内容と同じくらい報奨の決め方が重要であることを学んできた。配分的正義と手続き的正義にかなわないプログラムは、改良するか刷新している。現金だけでなく、経験の報奨を積み重ねていくことの大切さも重視している。経験の報奨によって成果を公に称え、ボーナスや株式報奨の金額に大きな差をつけることによって個別に称える。その結果、社員も以前より満足している。
グーグルではひとり1回175ドルまで、管理職の承認や書類の手続きなしで社員が社員にボーナスを支給できる。あり得ないと思う会社も多いだろう。社員同士が裏で組んで、ボーナスを交換するかもしれない。システムを悪用して数千ドルの臨時収入を目論む人がいるかもしれない。  しかし、わが社では心配無用だった。  
・ウェーブの開発中止から1、2年後、ジェフ・ヒューバーはアドワーズの技術チームを率いていた。彼は、大きなバグやミスが生じたら、必ず「何を学んだか」を議論するという方針を掲げていた。悪いこともいいことと同じようにチームで共有し、実際に起きていることをリーダーが確実に把握して、失敗から学ぶことの重要性を強調したいと考えたのだ。ある会議でエンジニアが悔しそうに報告した。「プログラムのコードを台無しにして、会社に100万ドルの損失を出してしまいました」。
2011年からは、未行使のストックオプションに相当する金額を、残されたパートナーがすぐに受け取れるようにした。さらに、社員の死後10年間、給与の50%を支給する。子どもがいる場合は19歳になるまで(全日制の学生は23歳まで)、ひとりにつき毎月1000ドルを加算する。
①仕事の役割と責任について話し合う。 ②ヌーグラーに相棒をつける。 ③ヌーグラーの社会的なネットワークづくりを手助けする。 ④最初の半年は月に1回、新人研修会を開く。 ⑤遠慮のない対話を促す。
・そして、プロジェクト・オキシジェンと同じように目覚ましい改善が見られた。マネジャーがこのメールに従って働きかけたヌーグラーは、働きかけがなかった人より研修期間が1カ月短くて済み、25%速いペースで一人前の戦力になったのだ。たった1通のメールが、これほど大きな効果をあげた。
①質問する。とにかく質問する! ②マネジャーと定期的な面談(1対1)をする。 ③自分のチームについて知る。 ④積極的にフィードバックを求める。待っていてはダメだ! ⑤挑戦を受け入れる(リスクを選んで失敗を恐れない。失敗してもほかのグーグラーが助けてくれる)。  2週間後、講習を受けたヌーグラーは5つの行動指針を確認するメールを受け取った。
調査の結果、故意でも偶然でも、意図的でもそうでなくても、当事者は必ず解雇される。個人の名前は公表しないが、どのような情報が漏洩して、どのような結果になったかについては全社に知らせる。多くの人が多くの情報に触れている以上、間違いをおかす人が出ることは避けられない。しかし、私たちが享受する開放性に比べれば情報漏洩のコストは小さいのだから、そのリスクを受け入れる価値はあるだろう。
・これらのプロダクトは2006~2009年に提供を終了した。グーグルは15年間で250以上のプロダクトやサービスを投入してきたが、その大半は私も名前さえ聞いたことがない。
・私は本書を通じて、グーグルで何がうまくいき、何がうまくいかなかったのか、正直に語ろうと努めてきた。うまくいった話に偏りがちなのは、そのほうがよりよいロードマップを描けると思うからだ。
・私が知っているさまざまな環境と違って、グーグルは私たち自身が理解している以上に野心的だ。そのため、毎四半期のOKRは70%を達成すれば優秀とされ、ラリーは「ムーンショット[困難だが壮大な挑戦]」を信じている。控えめな目標で成功するより、壮大な挑戦で失敗したほうが多くのことを達成できる。
・認知科学者のスティーヴン・ピンカーは著書『暴力の人類史』で、少なくとも暴力の発生率で見ると、世の中は平和になったと主張している。国家が誕生する前の狩猟採集社会では、暴力による他殺率は15%だったが、古代ローマの初期やイスラム王朝、イギリス帝国の時代に3%まで減った。20世紀に入り、ヨーロッパ諸国の殺人率はさらに1桁減った。こんにちでは暴力による他殺率はさらに減っている。「人間の本性はつねに、暴力性とそれに対抗する性質──自制、共感、公平性、理性──を包含してきた……暴力が減っているのは、歴史の流れが私たちの内なる善き天使を好むようになったからだ★256」。
①仕事に意味をもたせる ②人を信用する ③自分より優秀な人だけを採用する ④発展的な対話とパフォーマンスのマネジメントを混同しない ⑤「2本のテール」に注目する ⑥カネを使うべきときは惜しみなく使う ⑦報酬は不公平に払う ⑧ナッジ──きっかけづくり ⑨高まる期待をマネジメントする ⑩楽しもう!(そして、①に戻って繰り返し)
・やる前からやる気をくじかれそうな話かもしれないが、実はそれほどリスクは高くない。投書箱はいつでも撤去できる。社員からの提案を受けつけるのはやめると宣言して、何ならクビにすればいい。手放した権限を取り戻せるだろうかと不安なら、数カ月間の試験的な取り組みだと、あらかじめ説明する。うまくいけば続ける。うまくいかなければ続けない。実験的な試みでも社員は歓迎するだろう。
「あなたがもっと成功するために、私はどんな手助けができるか」という心がけで向き合わなければ、相手の防衛本能が高まり、学習の回路が閉ざされる。
・エンジニア部門の昇進プロセスは、委員会で検証して別の委員会が実行する。納得できない社員は査問委員会に不服を申し立てることができ、その裁定も不満なら査問を査問する委員会に上訴する。このプロセスについて、ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズのマネジング・ディレクターで、グーグルの取締役を務めるジョン・ドーアに説明すると、「私はエンジニアとしても、こんな複雑怪奇な仕組みを設計した人に感嘆する」と言われた。それでも機能しているのは、チェック・アンド・バランスの原理がプロセスの公正さを保証し、可能なかぎり透明性を維持しているからだ。透明性はエンジニアにとって重要な資質だ。
・私は元コンサルタントとして断言する──コンサルティング会社の採用はIQ(知能指数)が最も重要で、EQ(心の知能指数)はその次だ。彼らにとっては合理的な基準だが、ピープル・オペレーションズは、問題を解決できるだけでなく、社内のさまざまな人と協調的な人間関係を築ける人材を求めている。感情的知性が高い人は自分のことを理解している人が多く、したがってあまり傲慢ではない。そのような資質の人は新しい分野に溶け込みやすいだろう。
ショナのブランディングの直感はすばらしかった。私たちがピープル・オペレーションズという名称を使いはじめると、人事部門の呼び方として業界で人気が高まった。今ではドロップボックスやフェイスブック、リンクトイン、スクエア、ジンガなど20社以上で使われている。